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  • 継体持統⑳:大化改新

    軽皇子=孝徳天皇は旧来の制度にとらわれない全く新しい王朝を開いた。日本書紀の孝徳紀は、唐風の近代国家を作る意欲に満ち溢れ、躍動感あふれる記載となっている。 改新の詔が意味するところ 日本書紀により646年に出されたとされる改新の詔は要約すると以下の通り。第一条:公地公民制:豪族による私有を否定。第二条:地方組織の整備:中央政府による地方の統制を明確化。第三条:戸籍・班田収授法:人口調査と中央政府による土地の再分配。第四条:税制:土地面積に基づく税制の規定。 唐のような律令制の近代国家を目指した象徴的な詔となっている。 日本書紀記載の改新の詔は、大宝律令等の後世の資料との比較から、646年当時に…

  • 継体持統⑲:乙巳の変

    641年10月9日舒明天皇崩御から645年6月12日の乙巳の変へ至る経緯を以下にまとめる。 舒明崩御と皇極の暗躍 641年舒明天皇崩御の段階で、祭祀を司る天皇の後継者として、母が皇族である男性皇族は、宝皇女が庇護する葛城皇子=天智、大海人皇子=天武のほか、弟の軽皇子=孝徳、上宮王家にも白髪部王、弓削王がいた。 641年で30歳程度以上の壮年であったのは、軽皇子、上宮王家の白髪部王であり、天智・天武はまだ10代であることから継承資格がない。 宝皇女は、天智、天武への日嗣を実現させるため、推古天皇の先例に倣い、皇后として舒明天皇からの日嗣を企図し、舒明天皇の殯(もがり)を2年にわたり行った。 日本…

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