がんサバイバーでオストメイトとなった母とその娘のライフより。身体障害者でアルコホリックとイネイブラーの1人娘元ACの筆者が抱えてきた生きづらさは「ひとり当事者研究」により楽になるが、母がステージ4のがんに。母の人生最終段階に私は―――。
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小さな母(がんサバイバー)とその娘の歩み|母と手を繋ぎ―――自分でできるが自信に繋がる
退院後の母はあまりにも痩せ、弱っていました。当時の母の体重は29㎏台で、30㎏にも達していませんでした。身長は147㎝で小柄だといえ、あまりにも痩せすぎです。前回外来時に計測した体重30㎏(今の時点ではもっとあると思いますが)でのBMIは13.9で、世界保健機構(WHO)の評価では最も低い値の「痩せすぎ」となります。
母の抗がん剤にソワソワ、モヤモヤ……一般名と商品名?医療用語に混乱しました。
この初夏、ステージ4の大腸がんと宣告された母ですが、手術では癌を摘出することはできず、頼みの綱は抗がん剤だけとなりました。母の初めての化学療法(抗がん剤治療)は、4週間程前に始まって、今2クール目に入っています。終わりのない(!?)化学療法はまだ始まったばかり。今回は、そんな母の化学療法開始時の私の混乱と学びについてお話ししたいと思います。
母娘の通い同居生活にバテまして……寝不足解消のため時間割変更しました。
母が最初の入院を終えてからのおよそ2週間を、母の家に泊まり込み、母の生活リズムに合わせ、母とべったりの通い介護(というより通い同居生活)をしていました。その間、新たな自分に出会うなどうれしいことも。ですがその反面、軟弱者のために暑さのせいかちょっと息切れ……。また、自分の時間のあまりの無さに僅かながら不満も感じ始め……。今回は、そんな私と母の通い同居生活のお話しです。
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