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歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

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2022/12/12

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  • 旧町名「長浜市南船町」

    長浜市観光のついでに見つけることができた旧町名の痕跡はひとつだけだった。 発見日 2025年4月8日 発見場所 滋賀県長浜市朝日町 下船町(現朝日町) 天正年間~明治12年までの町名。豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 船持ちや船乗りが多く住んでいた事に由来する。江戸期は瀬田村領年貢地。元禄8年の家数34人口190。明治12年大安寺町と合併し南船町となる 船運で栄えた町 下船町 江戸時代の長浜を構成した五十二町の一つ。北国街道に沿いの両側町て、北は大安寺町を介して北船町と接し、南は稲荷町へ続く。西の小船町へ出る道を「六軒町」という。町の西側を流れる米川には船が入り、川岸は荷揚げ場となり蔵が並ん…

  • 「佐竹商店街 お休み処・事務所」に展示されていたサイン類

    佐竹商店街の入口 アーケードが続く商店街 土曜日だが、雨の日だったからか、それほど人出はない。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 台東区台東二・三・四丁目付近 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。 佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風…

  • 旧町名「彦根市彦根町」

    彦根城周辺の観光を終え、彦根駅に向かう途中、古そうな建物に付いていた関電のプレートに旧町名である「彦根町」を発見した。 発見日 2025年4月10日 発見場所 滋賀県彦根市元町 彦根市には、このような町名が書かれているプレートが存在していた。 現現町名は変わっているのだが、現町名は書かれていなかった。 調べてみたところ、1981年(昭和56年)頃、彦根史談会のメンバーだった細江敏氏が設置したものとのこと。 このプレートについては、観光中(探索中ではない)に何枚か見つけたので、別の記事で紹介することにしたい。石材店に石製の立派な旧町名の説明板が設置されていた。 旧彦根町 彦根町は、彦根城下の親町…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 膳所本町駅周辺 ~

    1日で、と言っても早朝の2時間だけだが、大津駅周辺に存在する仁丹町名表示板を見つけられたので、2日目の早朝探索は、範囲を広げることが出来た。 膳所で目撃情報ががあったものは3枚あり、一応、事前にストリートビューで所在地を確認してきてはいた。 だが、設置されている場所の建物の記憶はすっかり忘れていて、ない。 スマホのストリートビューはあまり使えるものではないので、前日再確認をしなかった。 付箋を貼った地図だけが頼りだ。 最寄りの駅を調べてみると、京阪膳所駅ではなく、膳所本町駅が一番近いようだ。2025年4月9日、目が覚めたのは、4時頃だったろうか? 5時頃まで布団の中にいた。 着替えて、出発する…

  • 別所三丁目交差点標示板が一丁と二丁目に見える in 埼玉県さいたま市南区

    探索中に見つけた交差点。 以前も通ったことがあるが、気が付かなかった。 ネタ探しの意味もあり、街中の色々なものに目が行く年頃になってきたのだ。文字がほとんど消えかかっている北側の交差点標示板 遠くからだと「一丁」としかわからないだろう。南向きなので、日光が当たり、劣化が早いのだろう。一方、南側の交差点標示板は消えかかっているのは一部だけになっている。 こちらは遠くから見たら、「別所二丁目」に見えてしまうだろう。 支障はないのだろうけれど、いじってみたくなる事象であった。撮影日 2025年3月31日、4月5日

  • 『清水寺の仁王門』と『明治初期の基準点標石』

    まだ未見の仁丹もかなりあるのだが、事前調査をしてこなかったこともあり、以前調べていた時に、清水寺に基準点標石があることを知ったので、訪ねてみることにした。 わざわざ京都に来てまで、と思うかもしれないが、花見を兼ねてということで。2025年4月10日6時頃のホテルグランヴィア京都のロビー。 早朝なので人影もまばらだ。京都駅前でバス停を探す。 乗るバスも調べてこなかった。 人が並んでいるバス停があり、行き先を見ると清水寺行のバス停だった。 でも、どこで降りればいいんだ? 清水道で降りる外人さんが何人かいたので、後をついていくことにした。 600mか。 清水坂を登っていく。 早朝なので、人通りも少な…

  • 滋賀県近江八幡市の町名説明板と町名表示板

    2025年4月7日、宿泊地は大津市なのだが、観光の初日に大津市にある三井寺の予約が取れなかったため(予約するのが遅すぎた)、当初の予定を変更して初日は近江八幡観光することにし、京都駅から近江八幡駅へ直行する。 近江八幡駅から目的地の八幡堀まではバスで八幡堀八幡山ロープウェイ入口まで行く。 平日は本数が少ないね。 11時15分発に乗る。 ほぼ満席になるが、立っている人はいない。 乗客は日本人より中国系の観光客が多い感じ。近江八幡の町並みについて 近江八幡市は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の…

  • 清瀬花の里公園のトイレ

    2025年4月17日、探索していると、2025年4月1日にオープンしたばかりの公園があった。 この日は誰も遊んでいなかった。 まだ、学校が終わっていなかったからかな。 芝生にはしばらく入れないそう。 花の里公園と言いつつも、花はまだ何も植えられていない。花はオープンしてから、て少しずつ植えていく予定になっているらしい。 花の植え付けイベント5月10日(土)雨天の場合は11日(日) 午前の部 11時~12時 午後の部 14時~16時気になったはトイレ 男女ともトイレの入口は暖簾が掛けられていた。 風が吹くと中が見えてしまう。 男性用はいいかもしれないが、女性用はどうなのかなあ。 入りにくそう。 …

  • 旧町名「小田原市幸」

    「幸町」ではなく「幸」と一文字だけの町名を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市本町二丁目 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄町、大窪村、早川村および酒匂村の一部(大字網一色、山王原)と合併して小田原市が発足。同日小田原町廃止。2町3大字はそれぞれ幸一 - 四丁目、緑一 - 四丁目、万年一 - 四丁目、新玉一 - 四丁目、十字一…

  • 「琴佐」の文字がある旗竿ボックスから旧町名を辿る。

    ネットで調べていたら、港区西新橋に「琴佐」の文字がある骨董蓋があるらしいことが分かった。 ただ、10年以上前の目撃情報だ。 今もあるのだろうか? 頼りになるのは、サンドラッグが写っている写真のみ。 調べてみると、西新橋には、サンドラッグがなくなっていた。 ストビューでいろいろ探して見るが、場所が特定できない。 西新橋にサンドラッグがあったという情報がないかと探していると、ありがたいことにある大学の事務所の道案内にサンドラッグが載っていた。 これで場所をほぼ特定できたが、問題は現存しているかだ。 ストビューでは確認できなかったので、2025年3月24日、現地に飛ぶ。 あったよ、あった!知っていな…

  • 解体予定のビルに書かれているシャッターアート

    創業1892年の三原屋があったビル 調べてみたが、もう営業はしていないようだ。このビルに明治大学商学部と神奈川県三浦市がコラボしたと思われるシャッターアートが描かれていた。 犬?が船の上からマグロを釣っている絵 マグロは「マグオ君」と言うマスコットキャラクターらしい。柱にも絵が描かれていた。 調べてみると、ここには、明治大学商学部の学生が企画・運営していた神奈川県三浦市のアンテナショップ「なごみま鮮果(せんか)」があったらしい。 2006年6月27日オープン、2019年11月に閉店したとのこと。 もしかしたら、営業中の店舗を見たことがあるかもしれないが、記憶にはない。この辺り一帯が再開発される…

  • 電力プレート「ミナミ-2」 in 埼玉県川越市

    久しぶりに川越市の記事。 あるものを探しに来たのだが、結局見つからず、意気消沈していたのだが、いくつかの新発見があったので、帳消しにはならないけれど、いいことにしよう。 前向きに考えることが大事だ。それにしてもすごい人出だ。 前回はコロナの真っ最中に来たので、それほど観光客がいなかったように記憶している。 目的にしていたものは、古い建物にありそうだったので、メインの通りを歩くしかなく、探索しにくいと言ったらありゃしない。 まっ、それでも、新たに発見したものがあったんだから、自分はすごい、かもしれない。 ただ、今まで見落としていただけの話だが・・・。川越市で発見した電力プレートは下記の記事で紹介…

  • 旧番地「小田原市十字」

    旧町名だと思ったが、現存している町名だったので、旧番地扱いとした。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市南町①塩小売店 住所付きの塩小売店の看板は久しぶりに見た気がする。 小田原市の後ろの文字が見えないのと"字"と書いてあるので、"字○○"と思ったが、②の住所プレートを発見し、"十字"という町名であることが分かった。②住所プレート 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 大津駅周辺 ~

    今回の旅は琵琶湖周辺に咲く桜の花見がメインだが、タイトルに書いたように大津市に現存している「仁丹町名表示板」に出会うことも大きな目的の一つになっている。 大津市には消滅してしまったものを除くと、19枚(琺瑯製18枚、木製1枚)の目撃情報がある。 ただ、時間の関係上、念入りに調査したのは、大津駅周辺だけだった。 大津駅周辺には8枚の目撃情報があった。 「東上栄町」は、ストリートビューで確認できなかったので、京都仁丹樂會さんに確認したところ、2019年頃に消滅してしまったとのことだった。 ということは、7枚現存しているはずということになる。 無駄足にならないように目撃情報を元にストリートビューで事…

  • 加賀塚公園にある加賀塚 in 東京都日野市

    キリンの滑り台が目に入った加賀塚公園 説明板 加賀塚公園公園内にある塚は加賀塚という。広さ3m四方、高さ50cmで、塚上に高さ50cmくらいの自然石の墓があり、榎が1本自生している。塚の主は戦国時代の武将竹間加賀入道で、小田原北条氏に仕え、日野本宿に住し、日野に知行地を有していた。竹間加賀入道は、豊臣秀吉が関東に兵を進め北条氏と交戦、八王子城も落城した天正18年(1590年)6月の前、2月にこの地で自害したとつたえられる。昭和15年(1940年)子孫の竹間弥惣次氏により供養墓碑が建てられている。 日野市このような公園に墓があるのは珍しいのではないか。市指定史跡 加賀塚(竹間加賀入道の墓) 昭和…

  • 上野公園の路上に書かれていたウォーターアート

    2025年2月15日、上野公園を歩いていたら、路上に絵が描かれていた。 今まで上野公園は何度も歩いているが、今回初めて出会うことが出来た。 コナン そっくりだ。近くにスマホを見ながら水で絵を描いているおじさんがいた。 調べてみると、東京都美術館ニュースNo457にも掲載される程有名な方だった。 もともとは福島県で中学校の美術教師をしていたそうで、2008(平成20)年、54歳の時に早期退職をしたとのこと。第二の人生を考えるうちに、路上に水で絵を描いてみようと、チャレンジすることにしたそうだ。それでは描かれていた作品の一部を見ていくことにしよう。バイキンマン バンギラス クレヨンしんちゃん ドラ…

  • 旧町名「小田原市緑町」

    まだサラリーマンだった頃、平日だが、ある理由で、小田原市を探索したことがある。その時の記憶は、小田原城と報徳二宮神社を訪れたことくらいしかない。その頃は、今ブログで書いていることには全く関心がなかった。時が経つと変わるものだ。国府津駅に着いた時には、電車が来ていて、乗り遅れた。次の電車まで、少し時間があった。仕方ないので、ホームで待つことにする。そうしたら、なんと電車が遅れてきた上に普段は快速が止まらない次の駅鴨宮にも止まり(自動放送では止まらないと言っていたのだが、駅員の放送では止まると訂正していた)、少し予定より遅く着くことになる。数分の違いなので全然問題ないが。駅に着いた。 さてどうする…

  • 屋上に三連の輪がある廃墟?ビル

    青梅街道沿いの西荻地域区民センターにある彫刻を撮りに訪れたのだが、その隣のビルの屋上に乗っかっている三連の輪がとても気になってしまった。 ビル名かわからないが、上の方に"Le VERT 1"と書かれているようだ。1F 心の居酒屋 道草 2F コーヒー&スナック たんぽぽ 3F カラオケひろば ピンクモンキー ビューティーサロン フォルム 給水塔ではないよね? ネットで調べてみたが、情報は見つからず。撮影日 2025年1月7日 撮影場所 東京都杉並区桃井4-3-1

  • 電力プレート「ナカメ1-30」 in 東京都目黒区中目黒

    中目黒の電力プレートは下記の記事で2枚紹介しているが、新たに1枚発見したので、紹介することにしよう。 citywalk2020.hatenablog.com急坂の途中にある路地を入った突き当りにあった。発見日 2025年3月17日 発見場所 東京都目黒区中目黒四丁目 まだ出会えていない電力プレートを探し求めて、探索は続く。

  • 琺瑯住所プレート&たばこ住所プレート&電力プレートのトリプル痕跡「千住柳町」

    この建物はタイトルに書かれているように3つの痕跡達を一ヶ所で見ることが出来るレアな場所。 上の建物が描かれた絵 2025年3月6日、現存を確認してきたので、記事を書くことにした。①琺瑯住所プレート ②たばこ住所プレート ③電力プレート

  • Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 受賞作品

    工事現場の仮囲いにアート等があると立ち止まらずにいられなくなる。おぼえておきたい 町火消の記憶 ― 中央区を守った纏と半纏 ― 町火消は、江戸を40組に分け、「い」「ろ」「は」 146文字を組の名前とし、 組の目印として、それぞれ纏と半纏を作りました。配置図 Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 『東銀座』のまちと2024年の干支である『龍』をテーマにアートコンテストを開催!コンテストにて見事受賞を果たした計8作品が 『東銀座』のまちを彩ります!新進気鋭の次世代アーティストによって自由に表現された 《まちの魅力》!地図を見てぜひ訪れてみてください! 主催:一般社…

  • まちの発展は名勝小金井(サクラ)とともに

    2025年1月14日、武蔵小金井駅北口に出ると説明板があった。 日付を見ると令和6年12月とある。 設置ホヤホヤだ。 折角のめぐりあわせなので、記事を書くことにした。 桜の名所から名勝へ武蔵小金井駅から北方へ15分ほど歩くと玉川上水の小金井橋にたどり着き、この橋を中心に東西6kmにわたる桜並木が広がります。この桜並木は1737(元文2)年頃、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の命令により川崎平右衛門定孝等が、桜川(茨城県)や吉野山(奈良県)等の名所から集めたヤマザクラを植樹したものと伝わります。江戸時代後期、立派に成長した桜並木は'小金井桜'や'御上水桜'と呼ばれるようになり、歌川広重をはじめ文人墨客…

  • 「一寸まてこみの捨場は川しやない」って何?+看板など

    あきる野市を探索中にタイトルのように読めてしまった石の標柱があったので、立ち止まる。 よく見ると、 「ごみ」に見える? 「じゃ」に見える? 見えない。 「じや」に見える。 ということで正解は「一寸まてごみの捨場は川じやない。」 じゃないよね。 「一寸まてごみの捨場は川じゃない。」古い手書きの看板 新しい看板 ちょっと書き方が変わっていた。他にも気になることが書いてある看板もいくつか発見した。STOP 冷水病って何? 「フラボバクテリウム・サイクロフィラム」という病原菌が原因で引き起こされる細菌性の感染症のことらしい。お知らせ "魚族"っていう言葉初めて見た。「遊漁証」について 鮎だけ漢字という…

  • 日本橋タカシマヤセミナーをアップデートする(3)プラスアルファ

    2011年に実施された髙島屋友の会主催の日本橋タカシマヤセミナーで紹介されたマンホール蓋の現存状況は下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 気が付けば、あれからずいぶん経っていた。 色々調べていたら、新しい資料を見つけた。と言っても2012年6月実施された日本橋タカシマヤセミナーの資料なので、今頃ようやく見つけたのかという感じ。なぜ今までの検索に引っかからなかったのだろう?見つけたということは、自分が少しは成長して、そういう時期になったということなのかもしれない。その資料とは、「復…

  • 旧大宮市の旧小字「高間間」の痕跡を電柱に見つける。

    2025年1月27日、さいたま市見沼区染谷付近を探索していたところ、電柱を見上げると「高間間」の文字が書かれていた。 旧町名か? 民家が少なく、探してみたが、表札の痕跡は見つからず。 仕方ない。 電柱だけにフォーカスして探していると、いくつかのバージョンがあった。①高間間バージョン ②「高間間」略字バージョン ③高間々バージョン 書き方は統一はされていないようだ。 手書きのものは書いた人の個性が出るのだろう。 書いた人のサインらしきものも書かれてものもある。 これはこれで面白いものだ。

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ~ 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 後編 ~

    後編は左側に展示されていたもの。 出場者サイン

  • 中央に「E」の文字があるマンホールのふた

    一般的によく見かける模様(JIS規格模様とのこと)のマンホールのふただが、このマンホールのふたの中央には、「E」の文字が輝いていた。 発見日 2025年2月17日 発見場所 東京都荒川区西尾久 マニアの方には珍しいものではないと思うが、初見のものだったので、お披露目することにした。 「E」は電気の英語のelectricityの頭文字か?

  • もしかしたら小田原市で最後の1枚の琺瑯町名看板「国府津町1815」

    「悠久の思い出」さんの神奈川県小田原市の町名看板https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/tyoumei-Kanto.html#Kanagawa の一覧には、浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24、曽我別所808、国府津町1815が現存していることになっている。 現地調査をする前に、無駄足にならないよう、それぞれストビューで確認してみた。 浜町1-2、浜町1-9、浜町4-242019年3月まであり、2022年12月なし → 新しい家又は更地になっていた。 曽我別所8082023年1月まであり、2024年3月なし建物は残っているが、町名看板だけ無くなっている。→ 家主…

  • 東京体育館と国立競技場から見える景色

    2025年3月20日、時間や季節のあるタイミングでないと撮れないものが撮れた。 撮ろうとして訪れたわけではなく、たまたま訪れ、その時間帯でないと撮れないものに出会えた。 東京体育館 国立競技場が切れていて、何となく違和感を感じる写真。 こういうのを何と言うのかわからないが、鏡面仕上げの東京体育館と書かれているものに国立競技場の一部が写っているのだ。 拡大すると、UFOではない、ヘリコプターが写っていた。 作品名「風のように、光のように」 太陽が反射している。このように光が反射する時間帯は、今の季節では短いかもしれない。自動で動いているのかと思ったが、風が吹くと動くようになっているそうなので、無…

  • 東武鉄道千住線跡がある岡田商事に「解体工事のお知らせ」が貼られていた。

    2025年3月22日、一通りの探索を終えたあと、やっちゃば緑道を歩き、東武鉄道千住線跡があるという岡田商事へと向かう。 千住の青物市場の起源は古く天正の頃にさかのぼるといわれ、江戸中期以降は、神田・駒込とならぶ江戸の三大市場であった。往時、旧日光街道に面した千住河原町かいわいは、 「やっちゃやっちゃ」のセリのかけ声で賑わった。この緑道は、市場が昭和十六年に東京市に移管された後、建設された引込鉄道の跡地を足立区が譲り受け整備したものである。昭和五十七年四月吉日 墨堤通りに出て歩道を歩いていると目的地である岡田商事が見えた。 以前もすぐそばを通ったことがあるが、その時は鉄道遺産に興味がなかった頃で…

  • 電力プレート「コウズ- 」とその仲間たち in 神奈川県小田原市

    2025年3月25日の最初の目的地、小田原市国府津。 目的は下記のふたつ。 一つ目は、「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くこと。 二つ目は、国道一号線沿いの出桁造り商家や看板建築を見に行くこと。 初上陸の東海道線国府津駅を降りて、探索を開始する。 一つ目の「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くことを予定していたのだが、駅を出てすぐにあったものに心を奪われしまい、先に二つ目の目的を果たすことにした。その前に、難読駅名のひとつ「国府津」。 読めるだろうか? 小田原市民やマニアの方ならわかるだろうが、一般の方は「コクフツ」「コクフヅ」「クニフツ」「クニフヅ」くらいしか思い浮かばないだろう。 正解は「コ…

  • 壱岐坂通りで"岐"の文字がある蓋に出会う。in 東京都文京区本郷

    今回の探索範囲はこの辺り。 歴史ある坂の説明から入ろう。 壱岐坂(壱岐殿坂) 江戸時代には、社寺や大名屋敷は、ほとんど移転することもなかったので交通の重要な目印となていました。この坂は昔、この地にあった小笠原壱岐守の下屋敷にちなんで壱岐殿坂と呼ばれていました。当時、小笠原家は、九州佐賀県唐津六万石の大名でした。壱岐坂は、白山通り(本郷1丁目20・22の間)から上り、東洋女子短大の所で通称大横町へ至る細い坂道です。 「壱岐殿坂」ともいう。江戸時代からある占い坂である。近隣に屋敷があった武家の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の地誌に「彦坂壱岐守」の屋敷があったことによって名付けられた…

  • 東京都立小山台高等学校に残る東京府立第八中学校時代の正門

    名前からだと期待してしまう商店街「東天地通り GOLDEN TOWN」だが、 完全に名前負けしていて、どこがという感じだった。その後、品川区と目黒区の区界辺りを歩いていたら、古そうな門柱が見えた。 東京都立小山台高等学校の門柱だった。 小山台100周年WEBに旧校舎の正門の写真が載っていた。 門柱が3つある。校名標がある中央の門柱は撤去されてしまったようだ。この元正門が北側にある理由を知らべてみると、 1924年(大正12年)、現校地に旧校舎の一部が竣工した。府立八中が小山の地に決定した経緯は分かっていないが、当時東急目蒲線(現:東急目黒線)が開設目前であり、東京府が今後この地域が住宅地域の中…

  • 横川橋(復興局)→マンホール蓋(逓信省)→厩橋地域安全センター(元厩橋交番)→御蔵前書房

    北千住から秋葉原へと、結構ハードスケジュールの中、移動中にいくつか気になったものがあったので紹介することにしよう。 何度も通ったことがある横川橋 下に見たいものがあったので下りてみた。(それについては、時間の関係で後日再訪することにした。) 橋の下から東京スカイツリーが見えた。 古そうな橋だ。橋名板があるのに気が付いた。 昭和二年株式会社横河橋梁製作所製作復興局株式会社横河橋梁製作所は現株式会社横河ブリッジ、1907年創業。 復興局と書かれている銘板は初めて見たかもしれない。 1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災後、9月27日に政府機関である帝都復興院が設置された。1924年(…

  • 文京区と台東区の区界にある街区表示板

    以前も撮ったことがあるはずだが、2025年2月15日同じ日に出会ったため、区界シリーズの一環として紹介することにした。①ピッタリ寄り添っているもの ②少し離れているもの 他でも撮ったことがあるはずだが、見つけた時に紹介しないと忘れてしまう。 次からは見つけた時に紹介していくことにしよう。

  • 「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋

    今回の対象は「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋。 目撃情報を確認し、それらが現存しているかどうか確認するため、2025年2月17日調査隊を派遣した。 久しぶりの荒川区編となる。①荒川区立八幡児童遊園 所在地 東京都荒川区西尾久二丁目5-9 公園の脇には「八幡堀」と呼ばれる農業用水路跡の八幡堀プロムナードが整備されていた。 北側から 南側から この途中に尾久町のマンホール蓋が展示されている。 尾久 ヲクこの付近は、昭和2年から7年にかけて下水道が整備されました。(北豊島郡尾久町下水道、昭和7年以降は荒川区尾久町)このマンホールの蓋は、この時造られたもので、ヲが9ケで「ヲク」と読ませたユーモア…

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ― 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 前編 ―

    今年も「超体験NHKフェス」を見学してきた。(2025年3月20日) 開催日時:2025年3月20日(木)〜23日(日) 会 場:NHKホール(東京都渋谷区神南2丁目2-1) 紅白歌合戦出場者のサインはコンテンツ一覧に掲載されていなかったので、今年はないのかと思っていたが、入口を入って少し行った所の両側にあった。 出場者一覧 まず右側から 右から左へ、上から下に紹介していこうと思ったのだが、めんどうくさいので、出場者、ゲスト審査員、司会者に分けただけにしておく。出場者 ゲスト審査員 司会者 後編へ続く。

  • たばこ住所看板「江東区東陽一丁目19-10」

    これは目撃情報があったものだ。 ストビューでは確認できたが、果たしてまだ残っているだろうか?発見日 2025年2月27日 まだ残っていてよかった。 表側 裏側 まだ、他にも残っているだろうか?

  • 琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」と電力プレート「コトブキ-19」

    琺瑯町名看板を最初に発見したのは、かなり前のことになるが、記事を書いていなかったのと再会を果たしてきた(2025年3月6日)ので、琺瑯町名看板と電力プレートの同町内のダブル痕跡を紹介することにしよう。①琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」 発見日 2020年2月3日 ②電力プレート「コトブキ-19」 自分のスマホの記録によると初見のものとなるようだ。 発見日 2025年3月6日 歴史 1932年(昭和7年)10月1日千住町が西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。千住町大字寿町から足立区千住寿町に変更される。

  • 「市電灯 NO」の文字がある東京市電氣局のものと思われる角蓋

    東京市電氣局のマンホール蓋は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京市電氣局のものは「市電燈」の文字があるものだけと思っていたが、「市電灯」の文字があるものを発見した。 発見日 2024年3月16日(再訪日2025年3月15日) 東京都千代田区神田美倉町 「市電燈」のものより新しいものと思われるが、自分で調べた限り「市電灯」と書かれたのものはこれしかないようだ。 さあ、ここで気になるのは"燈"と"灯"の字だ。 「燈」と「灯」はもともと成り立ちも意味も違うそう。 灯の右側の「丁」はクギを描いた象形文字で、ぶつかることをあらわし、灯は固定された…

  • 2025年2月25日、神奈川県藤沢市で発見した個人的遺産

    丸石サイクルの看板 よく見るとお腹の袋の中に子供がいた。 結構厚みがあった。 藤沢清運の清掃票プレート 藤沢清運って何? 清掃票とあるから、ごみ収集の会社? このような小さなプレートを発見すると、何者だろうととても気になる。 そんな古いものでなくても、見たことがないものは気になる。 誰にも注目されていないものは特に気になる。 ネットで情報を調べてみた。 1958年(昭和33年)4月㈲藤沢清運(一般廃棄物収集運搬業)、鵠沼神明1丁目1-7に開業快適な市民生活の環境保持と公衆衛生の向上を目指し、市内9業者が企業合同して有限会社藤沢清運として発足。 設立当時の基幹業務 し尿汲取り業務 1959年(昭…

  • 東京大学本郷地区キャンパスで前方後円形マンホール蓋を探す

    2025年2月13日理学部1号館東棟の裏あたりを歩いていたら、変わった形のマンホール蓋を4基(⑪~⑭)発見した。 丸蓋と角蓋が連結されており、前方後円形と呼ばれているようだ。下記の記事によると、正門から安田講堂へ向かう途中に5基あるらしい。 massneko.hatenablog.com 2025年2月15日再訪する。 イチョウの木の剪定が行われていた。 何人でやっているんだ? 6人?正門から安田講堂に行く間に4基あった。上の5基というのは、横の道にもあるものを数えたのだと思われるが、それを加えると6基になるので、自分がカウントしているものと違うのかもしれない。 写真を何回か撮り直しに行ったり…

  • ビックリガードと雑司が谷いろはかるた

    たぶん初めて通るビックリガード 壁に「ビックリガードの由来」のプレートが設置されていた。 池袋の通称ビックリガードは、むかし山の手線の下を通るガードを指したもので、西武池袋線は道路と平面交差の踏切でした。当時のガードは天井も低く、頭上を通る列車の轟音と振動で、人も荷馬車の馬もビックリ仰天、こどもは、耳をふさいで逃げ出す始末で、これがビックリガードの名のおこりとなったのでした。また、大雨が降ればガード下は水が溜まり、急勾配の狭い入り口は運転手泣かせ、対向車がくれば、両者の意地くらべになったとも言われます。現在のようになって全面開通したのは、昭和38年(1963)10月で、ちなみに正式名称は「都道…

  • レンガ塀だけが残る本郷尋常小學校跡&文京区立第四中学校跡

    まだレンガ塀に関心がなかった頃(2021年2月25日)だったようで、説明板だけ撮った写真があった。 約4年後の2025年3月9日、たまたま再会することになり、改めて撮り直して、記事にすることにした。 創立明治九年 本郷尋常小學校跡 明治九年一月二十日 本郷区元町二丁目六十番地にて開校明治十六年二月 本郷区本富士町三番地に新校舎落成(現在地)初代校長 合志林藏 師範学校訓導(教授)兼任明治二十一年四月 英語科を設ける 校舎及運動場を拡張六代校長 松下專吉 正六位 勲六等瑞宝章 奏任官 明治三十五年九月東京府師範学校訓導より赴任 昭和十年九月退職 この間政府より北米及中国の視察を命ぜられ又国語調査…

  • 2025年2月17日、荒川区で出会った昭和遺産たち

    ビーボ スペシャルコーヒー 屋根付きを見たのは初めてかもしれない。 うまさイキイキ!冷た~い飲物 右から はごろもフーズ オレンジ こつぶ ? サントリー はちみつレモン コーヒー 不二家 ココア ドリンク COFFEE「ラッキーセブン」の当たり付き おそらく電話台 文字が薄くなってしまっているが、「かけて損? うけて迷惑」と書いてある。 どこかに「迷惑電話」と書かれているのかもしれない。カーレース 赤や黄のものは見かけるが、青は珍しいかも。 投入した10円硬貨をレバーで弾いて、ゴールを目指す。 複数回レバーで10円を弾いてゴールに入ると当たり。お寺にあった郵便ポスト もちろん現役ではない。

  • 関東配電株式会社の屋外用単相小型計器箱

    旧千住宿の旧日光街道沿いの路地を歩いていたところ、古そうなボックスを発見する。 発見日 2025年3月6日 発見場所 東京都足立区千住 隣にある木材はかつての細身の木製電柱か?謎のボックス。 プレートを見ると「関東配電」とある。 あの関配が設置したもののようだ。 関配の電力プレートは見かけたことがあるが、これは初見のもの。 関東配電は、1942年(昭和17年)から1951年(昭和26年)まで存在した企業。日本最初の電力会社東京電燈の後身であり、現在の東京電力グループの前身にあたる。 製作は昭和25年8月とある。今から70年以上前のもので、東京電力のものに変えられていてもおかしくないと思うが、よ…

  • 大型車両通行困難 傾いた電柱に接触の恐れがあります

    2025年3月15日、昭和通りを歩いていたら、こんな注意書きを発見した。 お~、確かに傾いている。 倒れないのか心配。 東京電力に連絡しなくても大丈夫なのか?

  • 摂政宮関東大震災視察碑と臨幸記念碑

    西郷さんの銅像近くにあるのだが、あまり注目されていないものと思われる。 自分もその存在に今回(2025年2月15日)初めて気が付いた。 大正十二年九月十五日 摂政殿下大震災ノ惨状御視察ニ際シ畏クモ此地ヨリ御展望遊サレ被害ノ情況ヲ聞召サル越エテ七歳昭和五年三月二十四日天皇陛下此ニ臨御アラセラレ親シク街衢ノ復興ヲ曫ハセ給フ乃テ石ヲ此處ニ樹テ以テ 聖恩ヲ不朽ニ傳ヘントス大正12年9月15日 摂政殿下大震災の惨状御視察に際し、畏くも此地より御展望遊され被害の情況を聞召さる。越えて7歳昭和5年3月24日 天皇陛下此に臨御あらせられ親しく街衢の復興を曫はせ給ふ。乃て石を此處に樹て以て 聖恩を不朽に傳へんと…

  • 西片町会が発行している「西片まちあるき」が秀逸

    掲示板に貼ってあった「西片まちあるき」 300円か。 買うのかい、買わないのかい、どっちなんだい? 買わない。 下側が見えていた。 これだけで十分だ。 何回も探索したことがあるので、ほとんどは知っている。 その中から、厳選したもの?を紹介することにしよう。旧長岡半太郎旧居跡 撮影場所 東京都文京区西片一丁目 北側 北西側 西側 穴あきと溝ありレンガが印象的 二連長屋の石畳の先にレンガ塀が見える。 撮影場所 東京都文京区西片二丁目 裏側 奥まで続いている。 文京区立第一幼稚園 正門左側にある鳥に乗った少年 幼稚園の同窓会から昭和34年8月に贈られたもののようだが、文字が読めない。ホームページも充…

  • 電力プレート PartⅡ in 東京都足立区

    以前、足立区で発見した電力プレートは、以下の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 次に紹介するものは、以前発見したものもあるのだが、上の記事では未紹介だったものと今回新たに発見したものと合わせてお披露目することにしよう。①サクラギ-4 発見日 2022年1月24日 発見場所 東京都足立区千住桜木 1932年(昭和7年)10月1日千住町が西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。千住町大字桜木町から足立区千住桜木に変更される。②セン4-7 発見日 22022年1月24日 発見場所 …

  • 旧町名「東京都文京区春木町」

    以前発見していたものだが、2025年3月11日約4年ぶりに再会してきたので、紹介することにしよう。 発見日 2021年5月1日 発見場所 東京都文京区本郷三丁目 以前はシールが貼られ、隠されていたようだ。それが取れて、旧町名が見れるようになった。 どこにあったか覚えていないが、まだいくつかシールが貼られているのがある。自然にはがれるのを待つしかないが、待っている間に建物ごと無くなってしまったケースもあり、待つ身はつらい。旧町名案内 もと、本郷村の内であった。元和2年(1616)、徳川家康の死去により駿府から引上げた御中間、御駕籠方が大縄拝領(広い土地を一括してもらう)、その後元禄9年(1696…

  • 旧町名「滋賀縣愛知郡湖東町」

    さいたま市見沼区染谷を探索中に、何に付いていたか忘れてしまったが、随分離れたところの旧町名の痕跡を発見した。 現地に行かなくても、地元さいたま市で見つけることが出来て、ラッキー!発見日 2025年1月27日 発見場所 埼玉県さいたま市見沼区染谷 愛知郡(えちぐん)湖東町(ことうちょう)と読む。歴史 1954年(昭和29年)11月3日愛知郡豊椋村・西押立村・東押立村が合併して愛知郡湖東町が発足。 2005年(平成17年)2月11日八日市市・愛知郡愛東町・神崎郡永源寺町・五個荘町と合併して東近江市が発足。同日湖東町廃止。町名の由来「湖東平野」に位置することと、3村合併以前から存在する「湖東中学校」…

  • 「東京府北豊島郡高田町」時代の汚水升角蓋を探す。

    「東京府北豊島郡高田町」時代の丸い形をしたマンホール蓋を下記の記事で紹介したことがある citywalk2020.hatenablog.com 調べていると、目白二丁目付近に四角い形をしたマンホール蓋があるらしいということが分かった。 場所は公開されていないので、西巣鴨町の角蓋を発見したように、Googlマップの航空写真で上空から目白二丁目付近を探してみると、それらしきものが見つかった。 ストビューでは行けないところにあり、Googlマップの航空写真の撮影日は確認できないので、もしかしたら、消滅してしまっているかもしれない。早速、2025年2月8日、探索隊を派遣した。 探し回ることなく、Goo…

  • 電力プレート「タイヘイ」 in 神奈川県藤沢市

    現地探索による長年の実施訓練の結果、電力プレートはかなり遠目からでも分かるようになった。 たまに似たような形をしているものに出会うこともあり、「あっ、違った。」ということになることもあるが、今回のようにすべてが見えなくても、離れた所からすぐにフォーカスできた。 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町三丁目 タイヘイ? 見つけたのだが、近くに痕跡(自治会・町会、電柱など)は見つからなかった。 そこでネットで調べてみた。 1967年10月1日に実施された住所表示は、 辻堂元町一丁目 大字辻堂字熊之森・字土打辻堂元町二丁目 大字辻堂字土打・字後山・字ガル池・字大荒久・字高山・…

  • 2025年2月6日探索中に見かけた石製のもの。

    ランダムな形の御影石のアプローチ 撮影場所 東京都豊島区駒込付近 御影石が敷石になっていると、思わず撮りたくなってしまう。違和感ありありのブロック塀に張り付いている大師道の道標 撮影場所 東京都豊島区駒込六丁目 染井通りから染井よしの桜の発祥の寺として知られている西福寺(所在地駒込6-11-4)までの道らしい。何だかわからない石造物 撮影場所 東京都北区西ケ原一丁目付近 結構大きいものだった。塀の途中に埋め込まれている2本の石柱 撮影場所 東京都文京区大塚五丁目付近 上に丸い穴があるから、測量関連のもの?

  • 東京メトロの「かけこみ乗車は危険です!!」のポスターがとてもユニーク。

    あまり東京メトロには乗らないので、今年初めて貼ってあるのに初めて気が付いた。 かけこみ乗車をしようとしたのか、ヘビがドアに挟まれていて、イエローカードを提示されている。 ヘビなら、そのまま行けそうな気がするが。 イエローカードの絵は人じゃなくて干支の絵が良かったのではないかな。左下には昨年の干支の龍のイラストがあり、ドアに挟まれてケガをしたようで、松葉杖をついている。 今年になってまだ直らないなんて、かなり重症のようだ。年末にけがをしたのか?干支をモチーフとしたシリーズが始まったのは2019年の猪年からで、6年前からほぼ同じ構図で、その年の干支に合わせて作り替えられているらしい。撮影日 202…

  • 足立区千住で発見した戦前物と思われるプレート類

    今回紹介するものは、以前撮っていたのだが、記事にしていなかった。2025年3月6日、久しぶりに旧千住宿を再訪したので、記事にすることにした。千住絵馬屋・吉田家 吉田家は、江戸中期より代々絵馬をはじめ地口行灯や凧などを描いてきた際物問屋である。代々東斎を名乗っている。手書きで描く絵馬は都内にほとんど見掛けなくなって、稀少な存在となった。当代の絵馬師は八代目で、先代からの独特の絵柄とその手法を踏襲し伝統を守り続けており、昭和五十八年(一九八三)十二月、千住絵馬づくりが足立区登録無形民俗文化財となった。絵馬は、縁取りした経木に、胡粉と美しい色どりの泥絵具で描く小絵馬で、千住絵馬と呼ばれる。絵柄は、安…

  • 国土交通省と東京都の道界キスマーク

    2025年2月15日、千石一丁目の北東側交差点にて発見。 今まで気にしていなかったのだが、マンホール蓋などを確認するために歩道をよく見るようになったので気が付いた。 「境界協会」という会があるようで、2つ並んでいる境界プレートのことを『境界キスマーク』と呼んでいるらしい。 探そうとして中々見つかるものではない。 積極的に探すことはするつもりはないが、偶然見つけた場合があったら、紹介することがあるかもしれない。

  • 東京大学本郷キャンパスに残る木製電柱

    東京大学本郷キャンパスの工学部の船型試験水槽の裏に木製電柱が5本あるらしいとの情報を入手した。 2025年2月8日、言問通りの歩道から上を見上げて確認してみたが、見えなかった。構内に入って確認したかったが、夕方になってしまっていたので、後日再訪することにした。 2025年2月10日、現存しているか確認に向かった。(追加撮影日2025年2月13日) 西片門から入る。 あったよ! 現存していた。 1本目 右横から 左横から 木製の支柱に支えられている。プレート 63という数字が見えるので、1963年(昭和38年)のものか? 1本目から2本目方面へ 2本目 これにだけ電灯が付いていた。 3本目 3本…

  • 旧町名「下谷區池之端仲町」時代のものと思われる旗竿ボックス

    不忍通りを歩いていたら、「伊豆栄 不忍亭」の前の歩道に小さな蓋があるのに気が付いた。 この道は何回も歩いているが、初めて気が付いた。 今まではあまり下にあるものを見ることはなかったが、探蓋師のまねごともするようにになったので、気が付くことが出来た。「下谷池仲」の文字 「下谷池仲」? "下谷"は下谷區のことだろう。 "池仲"は何の略だろう? その答えはすぐ近くにあった。旧町名由来案内 本町は、寛永五年(一六二八)に寛永寺門前町として起立した。町名の池之端については、不忍池のほとりにあることから付けられたが、仲町についての由来は不詳である。町内に、吹貫横丁という不忍池の南側から本町を南北に縦断した…

  • 文京区内の幹線道路で最高地点と書かれている三角点を探す。

    2025年2月8日、護国寺を後にして不忍通りを歩いていると「富士見坂」の説明板があった。 富士見坂大塚2丁目と5丁目の間坂上からよく富士山が見えたのでこの名がある。 高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二か所ある。 坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では、最高地点となっている。 むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年(1924)10月に、旧大塚仲町(現大塚3丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時, 整備されて坂はゆるやかになり, 道幅も広くなった。 また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。 とりかごをてにと…

  • 2025年2月3日、豊島区で出会った壁画・仮囲いアート

    豊島区内を探索しているといろいろな場所でいろいろなアートに出会った。千川上水公園 正面 右側面 左側面 裏面 千川上水公園トイレ再生プロジェクト 完成年月日:2023年8月30日 参加団体巣鴨庚申塚まちづくりを考える会大正大学 宮崎ゼミ・美術部淑徳巣鴨中学高等学校 美術部塗魂ペインターズ原画は大正大学美術部の制作で、ふくろうが都電を運転しているデザインになっている。明治と1940と書かれているのは、旧千川上水水路敷地を市民により旧東京市へ寄付されたのが、1880年(明治13年)、現在のような公園として開放されたのが、1940年(昭和15年)だからと思われる。仮囲いの迷路の絵 みんな同じだと思っ…

  • 千登世橋と夕景

    三日月 撮影日 2025年2月3日林 撮影日 2025年2月6日

  • 「東京府北豊島郡巣鴨町」時代のものと思われる境界石

    「巣鴨町」時代のものと思われる境界石が2ヶ所にあるらしいということが分かった。 2025年2月6日、調査隊を派遣する。1ヵ所目は豊島区駒込三丁目と北区西ヶ原一丁目の境界上にあるらしい。旧巣鴨町と旧瀧野川町の境界ということになるだろう。北区の住居表示街区案内板。 豊島区は道路だけになっていて、道路もかなり端折られているようだ。自分の地図を見ながら、豊島区駒込三丁目と北区西ヶ原一丁目の境界辺りと思われるところを探索してみる。 ない。 結構な路地も入り込み、探すが、見つからない。 途中で豊島区の案内板を見つけた。 案内図を見ると、まだ、探索していないところがあるのがわかった。 行ってみるとこんな場所…

  • 上野公園にある仮水準点

    2025年2月13日、上野公園を歩いていたら、公園管理所近くの植え込みの中に小さめの石柱があるのに気が付いた。 正面 東京都北部公園緑地事務所右側面 AP(霊岸島)19.666米左側面 仮水準点裏面 TP(東京湾)18.532米家に帰ってから調べてみると、摺鉢山古墳の上にもあるらしいことがわかり、2025年2月15日確認しに行った。摺鉢山古墳 摺鉢山は、その形状がすり鉢を伏せた姿に似ていることから名づけられた。ここから弥生式土器、埴輪の破片などが出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳と考えられている。現存長七十m、後円部径四十三m、前方部幅は最大二十三m。後円部の道路との比高は五mである。丘…

  • 旧番地「辻堂」&電力プレート「ツジドウ」と街区表示板

    ①藤澤市辻堂 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町二丁目 "澤"が旧字体になっている。 辻堂は現存している町名なので、旧番地扱いにしている。②ツジドウ-11 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町一丁目 歴史 1873年(明治6年)5月1日神奈川県が区番組制を施行し、辻堂村は第17区となる。小字および地番が制定される。 1878年(明治11年)11月18日郡区町村編制法により、行政区画としての高座郡辻堂村が編成され、当地はその一部となる。 1889年(明治22年)4月1日町村制が施行され、辻堂村、大場村、羽鳥村および稲荷村が合併し、神奈川県高座…

  • 「荏原郡玉川」と刻まれている道標

    以前撮った写真を見ていたら、「荏原郡玉川」と刻まれている石標があった。 全く記憶にないし、調べてみたが、これについて書かれているものも見つからなかった。発見日 2021年5月10日 発見場所 東京都世田谷区等々力五丁目(尾山台駅付近の等々力通り沿いの駐車場) 何か文字か刻まれているのなら、全部の面を撮るのが常識だが、当時の自分は興味がなかったのか、正面しか撮っていなかったようだ。ストビューで確認したところ、右側面には「右 等々力」、左側面には「左 九品仏」と刻まれていた。「荏原郡玉川」の下は、埋もれてしまっていて見えないが、「村」なのかもしれない。 荏原郡玉川村の歴史は、 1889年(明治22…

  • 新宿公園と太宗寺で発見した旧町名の痕跡

    新宿公園 開園は1955年(昭和30年)だが、全面的な改修が行われて2015年(平成27年)4月にリニューアルオープンした。ここに「區政功労者諸霊之碑」があった。 裏面が見えないので、いつ頃建てられたのは不明。 ネット上でも、書かれているものは見つからず。上部に「四谷區」と刻まれていた。 内藤新宿太宗寺の文化財 太宗寺は、慶長年間初頭(1596頃)に僧太宗の開いた草庵を前身とし、のちの信州高遠藩主内藤家の菩提寺として発展した寺院です。 かつての内藤新宿の仲町に位置し「内藤新宿の閻魔」「しょうづかのばあさん」として江戸庶民に親しまれた閻魔像・奪衣婆像や、江戸の出入口に安置された「江戸六地蔵」のひ…

  • 現状では藤沢市に1枚しか発見されていない琺瑯町名看板「鵠沼海岸1-13」とそれを守っている木製電柱

    先週の月曜日(2025年2月17日)探索を終え、家の近くの道を急いで渡ろうと思いダッシュしたところ、左足のふくらはぎから「ブチッ」という音が聞こえた。 イテテ!! 家はすぐそばだったが、びっこを引きながらだったので、時間がかってしまった。 「びっこを引く」は差別用語にもなるらしいので、言い直そう。 家はすぐそばだったが、左足を引きずって歩いていたので、時間がかってしまった。 肉離れか? 手首や足首の捻挫をやってしまったことはあったが、たぶん肉離れは初めてだ。翌日、一番近くにある整形外科へ痛い足を引きずりながら、普段の2倍以上かかって行く。 診察の結果、やはり、肉離れだった。 自分のふくらはぎに…

  • 中央区立京橋築地小学校と旧鉄砲洲小学校跡

    二宮金次郎像があったので、立ち寄ってみることにした。 2025年2月1日は土曜日だったので、気兼ねなく確認することが出来た。 中央区立京橋築地小学校 統合前の小学校の沿革が大きなプレートに書かれていた。 京橋小学校 明42.11.25朝海小学校(明治34~同41年度の8年間)から児童・職員全員移籍し、京橋区金六町17番地に京橋尋常小学校として開校式を挙行する。 大7.4東京市立京橋実業補習学校を併設する(昭和15年まで続く) 大12.9.1関東大震災に遭い、校舎全部類焼する。 大12.11.25一部バラックの校舎で創立記念日の式を挙行する。 大13.1.15仮校舎が完成し、授業を開始する。(二…

  • 「東京府北豊島郡西巣鴨町」時代のマンホール蓋

    「東京府北豊島郡巣鴨町」時代のマンホール蓋は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 「東京府北豊島郡西巣鴨町」時代のマンホール蓋も現存している可能性があることが分かった。 調査してみると、ストビューでは行けないところにあったので、航空写真で見てみた。 たぶん中央付近にある白い四角に覆われているものがそうだろうと当たりを付けた。2026年2月6日、探索隊を派遣する。 そこは以前も上り下りしたことのある階段だった。 興味がないというのは恐ろしい。 足元にこんな貴重なものがあったのに、目に入らなかったのだ。 撮影秘話というほどのものではないが、この狭…

  • 文京区西片に残る旧阿部伯爵邸のマンホール蓋とゆかりの場所

    1回目のチャレンジで見つからなかったので、消滅したものと思っていたが、あきらめきれず、家に帰ってから、ストビューで探していたら、まだ探していなかった怪しい場所があり、行ってみると、思ったところにあった。 残っていてよかった! とあるお宅の勝手口に奇跡的に残っている角蓋。 劣化しており、分かりにくいが、中央に「阿」の字、周囲に「本郷西片町」とある。 ここ西片には江戸時代中期~後期、備後福山藩・阿部家の中屋敷があり、その中屋敷を、明治から昭和初期にかけて、阿部家自らが住宅地として開発し、昭和初期に敷設した時の下水の蓋だそうだ。 今年令和7年は昭和100年になるので、約100年近く前のものとなる。同…

  • 栃木県小山市で日本酒「八海山」で有名な八海醸造株式会社の旧町名を発見する。

    酒屋の店頭にあった「八海山」の看板で旧町名を発見。 発見日 2024年11月14日 発見場所 栃木県小山市乙女三丁目 旧町名 新潟縣南魚沼郡六日町大字長森 現町名 新潟県南魚沼市長森

  • あるきっかけから小石川後楽園周辺で戦争遺跡を辿ることになる。

    2024年5月4日、みどりの日は都立公園が無料だった。 小石川後楽園に入園するのは、たぶん初めて。 この日は4都立公園を1日で巡るという弾丸スケジュールだったので、ゆっくり見学できなかった。 そこに変わった形をした石碑があるのに気が付いた。 先を急いでいたが、撮らないわけにはいかない。 陸軍造兵廠東京工廠跡 記念碑 此地ハ陸軍造兵廠東京工廠ノ旧跡ナリ。其創立ノ起源ハ遠ク徳川幕府ノ関口水道町ニ於ケル大砲製造所ニ発ス。明治二年政府之ヲ収メテ群無冠ノ下ニ造兵司ト称シ、吹上上覧所ニ置キ、四年六月之ヲ旧水戸邸跡ニ移ス。本廠即チ是ナリ。五年陸軍省ノ所属トナリ、八年砲兵本廠ト改称シ、陸軍大佐大築尚志ヲ提理ト…

  • 工事現場の仮囲いに貼ってあった監視カメラ作動中の絵がカワ(・∀・)イイ!!ポスター

    2月22日、猫の日に合わせて猫が書かれているものを。ヒヨコ、イヌ、ネコが怪しいウサギを監視している? みんなかわいくて、今まで見たことがある監視カメラのポスターと違う。撮影日 2025年2月1日 撮影場所 東京都中央区日本橋一丁目

  • 奥多摩町のトイレにあるハンドソープがとてもユニークだった。

    奥多摩駅駅舎 東京都内のJRの駅で最も標高の高い場所にある駅舎。木造2階建ての山小屋風駅舎は「関東の駅100選」にも選ばれている。隣接しているトイレに何やらメッセージが書かれているハンドソープがあった。上を向いてごらん・・・ 小便器に立つアナタへ フレーフレーもっとフレー 何をフルんだ?オナラなんて屁だ 空想する前に思考せよ 「空想する」とは「ク〇する」ということか? 奥多摩駅から約4㎞離れている「むかしみち惣岳公衆トイレ」 ここにもあった。夢は叶う、いや叶えるのだ 床を磨く、いや制するのだ トイレの壁に膝まずいてトイレの床を磨く男性のポスターが貼ってあるのに気が付いた。 OKUTAMA PI…

  • 大量のハトのフンが少年の頭に直撃している絵

    「ハトのフンで迷惑しています。餌をあたえないで下さい。」と書かれた看板。 大量のフンが少年の頭に直撃している絵だった。 ちょっと盛り過ぎ。 カラスでもここまではないよね。探索している時、今のところ1回だけかな、鳥にふんをかけられたの。撮影日 2025年2月4日

  • 日本女子大寮前にある木製電柱と電力プレート「ゾウシガ-3」

    2025年2月8日、店頭に「雑司が谷・目白小周辺お散歩MAP」が貼られているのを発見する。 そこに「女子大寮の前に木の電柱が1本残っている。」と書かれていた。 2022年3月製作と書かれているので、まだ残っているかもしれない。 早速、日本女子大学寮の門付近へ。 ない。 消滅してしまったのか? 念のため周辺を1周してみる。 やっぱり、ない!帰ってから、ストビューで確認してみると、日本女子大学寮の門側ではなく、地図に書かれている通り、門の前付近の植栽部分にあった。 やってもうた。2025年2月10日、再チャレンジする。 北側から、下ってくると、レトロ電柱ぽいものがあった。 そこには、雑司谷二丁目町…

  • 護国寺周辺にある歴史を感じる境界石とマンホール蓋

    今回探索するのはこの辺り。 不忍通りの護国寺西交差点の近くの歩道上にある陸軍省の境界石 正面 右に傾いている。 何があったのか? 真上 護国寺へ護国寺仁王門 境内の音羽富士付近にある古い量水器の蓋 不老門 本堂 護国寺墓地 北西奥に音羽陸軍埋葬地がある。 入口 門扉はあるが、鍵はかかっていない。 門には、陸軍の徽章だった五芒星が付けられている。音羽陸軍埋葬地英霊之塔 音羽陸軍埋葬地英霊之塔の由来と砲弾 この地は戦前、明治以降の近衛その他の在京部隊に在籍し、幾多の戦役等で身を挺して勇戦敢闘され、国に殉じた二千四百余柱の英霊を埋葬した墓地でしたが、戦後は護国寺が管理しています。本英霊之塔は昭和三十…

  • 旧町名「文京区駒込曙町」

    以前発見していたのだが、まだ紹介していなかったものがあったので、今回はそれらを紹介することにしよう。 ①発見日 2021年2月20日 発見場所 東京都文京区駒込一丁目 約4年後の2025年2月13日、たまたま通った道で再会することになる。 発見済だったことはすっかり忘れていた。 文字がかなり薄くなっていたが、何とか読むことが出来る。 「文京区駒込曙町」が正しいはずだが、「文京区曙町」と書かれていた。②発見日 2021年5月8日 発見場所 東京都文京区駒込二丁目 旧町名案内 もと駒込村の内であった。慶長18年(1613)以来、古河藩主(8万石)土井家の下屋敷であった。南側の中山道(現・17号線)…

  • 橋名が消えかかっている分校前橋から由来を探る。

    上流側に書かれていた橋名 校前橋?下流側に書かれていた橋名 分校の後の文字がそれぞれ一部消えている。 消え方がおかしいので、誰かが消したのかな。 両方見ると分校前橋という橋の名前であることが分ってしまうが、こちらはナゾトレになりそう。2019年2月以降に設置されたと思われる(ストビュで確認)新しい橋名板。 これなら、文字が消えてしまう、消されてしまうことはないだろう。分校前橋が架設されたのは、1927年(昭和2年)、東村山市で管理している橋梁101橋の中でも、架設年が分かっている中では、最も古い橋のひとつのようだ。 分校という名称に興味をひかれた。橋名の由来が書かれたものはないようだが、近くに…

  • 電力プレート「マルシン-1」があるお宅に「解体予定のお知らせ」が貼られていた。

    2025年2月15日、白山一丁目を歩いていたら、嫌なものを見つけてしまった。 趣ある日本家屋。 2ヵ所に「解体予定のお知らせ」が貼られていた。 下記のものが近日中に消滅してしまうことになる。電力プレート 下は2桁時代の電話番号プレート 読めない表札。 もしかしたら「丸山新町」?文京区本郷にある旧諸井恒平邸も解体工事が始まっているらしい。 ここにあった電力プレート「マサゴ-11」も消滅してしまった。

  • 「東京府北豊島郡巣鴨町」時代のマンホール蓋

    高田町の探索を終え、家に帰って、調べていると染井霊園に巣鴨町マンホール蓋が現存しているらしいことが分かった。 2025年2月5日、調査隊を派遣する。染井霊園案内図 日本語だけではなく、他国語のもあった。 ①巣鴨口付近 ②外人墓地付近 こちらは、縁石付き。 ここからは残念な消滅情報。③巣鴨三丁目の路地 訪問日 2025年2月6日 新しいものに交換されていた。④巣鴨三丁目8と9の間の道路 訪問日 2025年2月6日 ちょうどアスファルト舗装工事が行わている最中で、通行止めになっていた。 角蓋があったと思われる場所は、新しいアスファルトが敷設されていた。 ストビューでは確認できていたのに。 もう少し…

  • 仙川アパートの給水塔に貼られていた建築計画のお知らせ

    2025年1月23日、調布市内を探索していたところ、給水塔が見えた。 都営仙川アパートのものだった。 根元が円筒型をしている。 仙川アパート案内図 団地のほぼ中央に給水塔を示す丸いマークがある。 かなり建て替えが進んでいるようだ。給水塔の下に建築計画のお知らせが貼られていた。 近いうちにこの給水塔も解体されてしまうのだろう。棟数名 字体が異なっている。 建てられた時が違うからだろうか?建設:1961~1964年(昭和36~39年)戸数:1,197戸

  • 野毛のDEEP ZONE「野毛都橋商店街ビル」

    出会ったら、被写体にしたくなる「野毛都橋商店街ビル」。 横浜市内を探索中に何回か立ち寄って、違う表情を撮ってみた。 中央階段付近 1階の郵便受け 数えてみると30あった。 2がないので、最後が131になっていた。説明板 野毛の華・都橋商店街ビル 夕闇に包まれる頃、大岡川の水面に仄かな灯りを落とすこの建物。名前は「野毛都橋商店街ビル」。大岡川の湾曲した河畔に沿って、緩やかにカーブした建物の姿は艶めかしく美しい。今や飲み屋がひしめき合う野毛の人気スポットです。 その形状からちょっと変わった建物と人は言います。それもそのはず、昭和39(1964)年の東京オリンピック開催に合わせ、この界隈の路上で営業…

  • 西荻窪六童子めぐり+α

    以前、薮内佐斗司作の彫刻を下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 以前撮った写真を調べていたら、杉並区にも薮内佐斗司作の彫刻があることをわかったので、2025年1月6日彫刻巡りを決行することにした。西荻窪六童子めぐり ①西荻南児童公園「おすもう童子」②JR西荻窪駅南口「花の童子」③西荻北中央公園「龍神童子」④井荻公園「大朝露童子」⑤地蔵坂「縁結び童子」⑥西荻地区区民センター「上向き童子」 彫刻家薮内佐斗司作「童子像」を西荻窪地域6箇所に設置しました。童子像を鑑賞しながら、まちめぐりをお楽しみ下さい。スマホで撮った上の地図をところどころで見ながら…

  • 下高井戸駅付近にある木製電柱

    久しぶりに風邪をひいてしまった。 ちょっと体がだるいのだが、探索はやめられない。 こんなことをしているから治りが遅いのかもしれない。2025年1月18日、熱はないので、この日も探索を継続する。 電車の中はマスクをして、おとなしくしていた。お好み焼きごっついの屋根を突き破る木製電柱 なぜかバスのりばがあった スタッフ募集の貼り紙の下にバス停と思われる名称が書かれているのがとても気になったので、めくってみた。しかし、聞いたことがないものばかりだったので、都内のものではないと思われる。もしかしたら、架空のものなのかもしれない。やせ薬バゼットの琺瑯看板 米国アーマー会社 バイロン会社 製品・・・・甲状…

  • 森永ケチャップ他の看板

    ここは通ったことがある通りなのだが、初めて見る看板があることに気が付いた。発見日 2025年2月6日 発見場所 東京都文京区大塚六丁目 森永ケチャップ 森永ケチャップ? 1936年(昭和11年)に開設された安城工場で森永ケチャップや苺ジャム等の製造していたことがあったそうだ。その後、1980年(昭和55年)に岡崎工場と統合し、現中京工場となったとのこと。 悠久の思い出さん(https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/syokuhin1.html)に掲載いただきました。塩小売店とカップ印の砂糖の看板

  • 善福寺川緑地で発見したユニークなもの

    次の目的地へ向かうため、善福寺川緑地を散策していたところ、面白いものをいくつか発見した。 こまっています、犬の飼い主の方へ公園より これだけは守ってください! 絵と書かれている言葉が他では見たことがない。 ルールはちゃんと守りましょう。サイクリングコースの絵 昭和の女の子という感じ それもかなり前の 自転車の形も気になるよねぇ。顔の彫刻がある和田堀公園 裏側にもあった。 ちょっと怖いかも。遊び方がわからない遊具 カメ?のオブジェ 上とは別なオブジェ カエル?カワセミとカニ 車止めがたぶん白鳥で逆ハート形になっているのがポイント 日時計 15時くらいだったが、全然時間が分からない。公園内に現役の…

  • 旧町名「駕篭町」が書かれている関配プレート

    春日通りを歩いているとお寺の門にプレートが貼られているのが目に入った。 何のプレートだ? 近づいて確認してみると「駕篭町」と旧町名のものだった。 ここは、豊島区に近いところだ。 駕籠町があった辺りから随分離れているのに。①発見日 2025年2月6日 発見場所 東京都文京区大塚六丁目 関配のプレートはたまに見かけるが、一番上は数字になっていて、このように町名が書かれているのは初めて見たかもしれない。 中央も数字だけで、「外」と書かれているのも初見かもしれない。 関東配電株式会社(かんとうはいでん。略称は「関配(かんぱい)」)は、1942年から1951年まで存在した企業。日本最初の電力会社東京電燈…

  • 冬の日の光に照らされて

    飛遊星がたくさん舞っていた 飛遊星(ひゆうせい)とは光が不規則な動きをする花火のこと。この公園はまだ紅葉がまっさかり 撮影日 2024年12月17日 撮影場所 東京都武蔵野市

  • ヤマボウシ広場にある遊具の車の計器が本格的

    小金井市 ヤマボウシ公園 他では見かけたことがない遊具があった。レーシングカー 正面 右側面 後ろ側 ナンバープレートに"GT"とある。運転席のパネルに注目。 右側 右から"OIL PRESS"=油圧計,"OIL TEMP"=油温計,"WPERES"=?左側 , ”RPM×1000”=回転計,”CYL HEAD TEMP"=シリンダーヘッド温度計 肝心なスピードメーターが付いていないと思ったが、基本的にレーシングカーにスピードメーターは付いていなそう。飛行機の遊具 これもロケットみたいでちょっとかっこいい。撮影日 2025年1月14日 撮影場所 東京都小金井市貫井南町五丁目21番

  • 日本でここだけ!「豆乳自販機」

    2025年1月28日、JR新宿駅構内を歩いていると、下の看板があるのに気が付いた。 何? 日本でここだけだって? こう書かれていると見に行きたくなるよね。 中央東改札内ロッカー付近 株式会社JR東日本クロスステーションウォータービジネスカンパニーは、『キッコーマン豆乳自販機』を2024年10月2日(水)から、JR東日本新宿駅に設置した。 無調整豆乳や調製豆乳をはじめ、フレーバー付きの豆乳など、200mlパック全36品が並ぶ自販機で、全国で初めての取り組みとなる。 営業期間 :2024年10月2日(水)~2024年12月23日(月) 販売されている商品 「カラダの豆乳+MCT」を税込150円、「…

  • 秩父市で発見したレアなプレートや看板

    2025年1月30日、秩父市を探索中に発見したもの。 一部は秩父市だけでしか見ることが出来ないもの。労働基準法 秩父 適用事業場 秩父消防団 後援会々員 第七分団 専用 何の専用なのかは不明秩父青色申告会員 遊興飲食 税納入店 埼玉県 愛国婦人会 有功章特別会員 ラジオ聴取 日本放送協会 看板 浅賀提燈店 消火栓 ホンダショップ エクスチン消火器 業務用米穀取扱店之証他 キリンビール他 井戸のマーク

  • 箱根山ラジオ体操会とパン食い競走の看板

    2025年1月28日、明治通りの東新宿駅付近を歩いていたら、パン食い競走の看板を発見した。 (日 時)5月4日(日)午前6時30分~8時まで(雨天決行)(場 所)戸山教会の横、年中無休(一切無料)(食 事)カレー、枝豆、サラダ、ビール・ワイン等(お土産)粗品等を用意しております(主 催)全国新宿戸山公園箱根山ラジオ体操第一・第二会場 ビール、ワインも無料なのかな。 大番振る舞いだ。 しかし早朝、朝から流石に飲めないよね。 調べてみると、1周100mの箱根山をぐるっと回るコースを2周して、ゴール地点にパンが吊るされているそう。全国新宿戸山公園 箱根山ラジオ体操会 ※イベント以外は毎朝6時半より2…

  • レンガで組み立てられた「とまれ」の道路標示

    何回か歩いたことがある道だが、レンガを加工して組み立てられている「とまれ」の道路標示があるのに初めて気が付いた。 漢字の「止まれ」ではなく、ひらがなの「とまれ」になっている。漢字の「止」にしたほうが、丸みがなく、楽だったと思うが、職人のこだわりを感じられる。発見日 2025年2月3日 発見場所 東京都豊島区西池袋二丁目20と31の間付近

  • 「東京府北豊島郡高田町」時代のマンホール蓋を探索する。

    2025年2月3日、豊島区を探索していると、千登勢橋付近で、偶然、「高」とデザインされているマンホール蓋を発見した。①豊島区雑司が谷三丁目 千登勢橋東詰の北側 中央の高田町章は幅太になっている。 そして、更に他の場所にもあるらしいことが判明した。 あるらしいと書いたのは、情報が古く、消滅している可能性も高いということだ。 それは、王子町時代のマンホール蓋の現存を確認しに行ったところ、散々な目に合ったことがあるからだ。 その実情は下記の記事で書いた。 citywalk2020.hatenablog.com 思い立ったが吉日。 翌日の2025年2月4日、早速、探索隊を派遣した。 と言っても、ボッチ…

  • 入間町一丁目自治会・防災会の避難所案内看板に書かれている施設の現状を調べてみた。

    2025年1月23日、調布市入間町一丁目で、電柱に巻き付いている「中央電気通信学園グランド」と書かれている看板を発見する。 たぶんかつて一度も注目された事がない看板。(自分調べ)右側部分 目には見えていたのに、写っていないところがあった。 もっと右側によるべきだった。 仕方ない、ここはストビューの力を借りよう。 三船プロ?1966年、東京都世田谷区成城と調布市入間町にまたがる敷地に、時代劇が撮影可能なオープンセットがある撮影所を建設した。1984年に撮影所は閉鎖、跡地はマンションやレストランになっている。 イースタン交通?今のイースタンモータース東京株式会社の前身か? バッティングセンター跡形…

  • 建設省の名がある謎の「芳野台」の石の標柱

    2025年1月25日、西東京市(旧保谷市)に残る旧町名の名を遺す公園巡りをしていた。 あらやしき公園 あらやしき公園造成感謝碑 この公園は、保谷市下保谷の、高橋敬一・富美御兄弟のご厚意により、保谷氏に平成11年3月24日に寄贈されたもので、そのご厚意に報い、この場所に一体化した自転車駐輪場および緑化公園を造成いたしました。保谷市は、高橋家のご厚意に感謝し、本公園が市民の皆様のくつろぎと憩いの場として、末永く利用に供されることを願い、ここに寄贈者に感謝の心をこめて碑を建てます。 平成12年12月 保谷市坊が谷戸公園 案内板がいくつも設置されていた。 実際の公園名は「北町坊が谷戸公園」だった。 着…

  • 東大久保二丁目町会と余丁町児童遊園に残る手書きの看板

    これらの看板は以前から知っているものだが、記事にしていなかったようなので、今回取り上げることにした。撮影日は両方とも2025年1月28日。新宿東二町会内の塀に貼られている古そうな看板 撮影場所 東京都新宿区新宿七丁目14付近 これについて書かれているものはないようなので、書き起こしにチャレンジする。人間生きることの真価は 一.人間 心 枝授けて無なり」一.人間に 授けても会得せぬ人多し」一.人間 無い人程不幸である」一.自然は である であるそれが善である そこに走る」一.人間 話し方なり の活動法なり」一.完全 完全なもの無し これを知る・完全を追うのみ」一.子供は国の宝である 目で見せて耳…

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