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歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

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2022/12/12

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  • 樹齢420年以上の「蘇武橋のエノキ」の下にある『今井町道路元標』 in 奈良県橿原市

    今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…

  • おおさき今昔MAP & 大崎てくてくマップ

    大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…

  • 牧野記念庭園に咲くハートの形をしたヒメアジサイ

    朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…

  • たばこ住所看板「文京区本駒込一丁目11-4」

    たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。

  • 平塚市にいたライオンズマンションの金色のライオン像

    平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…

  • 旧町名「埼玉県入間郡坂戸町」

    2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…

  • 国府津レトロ写真パネル展

    国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…

  • 旧町名「目黒區平町」

    一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…

  • 「北区郷」と刻まれている基準点らしいもの。

    北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。

  • 秩父町道路元標と秩父童子と開運案内板

    東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…

  • 「大宮前の巨欅」跡 in 東京都杉並区西荻南

    2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…

  • 上ではなく横に伸びているように見えるアオノリュウゼツラン

    通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市

  • 台田の杜切通しを抜けたところに木製電柱が立っていた。

    2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…

  • 川越鉄道開業130周年記念写真展 in 狭山市駅

    西武新宿線「狭山市駅」階段を上っていくと、窓に写真が貼られていた。 こんな催しが開催されているなんて知らなかった。 ほぼ独占状態だったので、写真を撮りまくってしまった。 川越鉄道開業130周年記念写真展について 川越鉄道は、1895年(明治28年)3月21日に国分寺駅から川越駅(現・本川区)を結ぶ路線として開業しました。現在の西武鉄道の路線の中で初に開業した区間であり、 1894年12月21日に国分寺~久米川駅(現・東村山駅)間が開通、翌1895年3月21日に川越駅(現・本川越駅)まで全線開通しました。創業当初の目的は、地域の物資輸送と人々の移動を支えることで、農産物の輸送や観光用業の活性化を…

  • かつて入間市に存在していた「西武町」の痕跡を探す。

    調べていたら、仏子駅付近にかつて「西武町」があったらしいことを知る。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、小谷田村、新久村が合併し入間郡東金子村(ひがしかねこむら)が成立する。 1954年(昭和29年)4月1日前年施行された町村合併促進法により、飯能市の一部(野田、仏子、新光の一部)を編入、町制施行、即日改称し西武町となる。 町役場を大字仏子に設置。町名は旧・武蔵国の西部にあたることによる。 1956年(昭和31年)9月30日町の一部(旧・東金子村)が豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村と合併し武蔵町を新設する。 1967年(昭和42年)4月1日入間市へ編入する。入間市になったの…

  • 電力プレート「ハラ-11」 in 神奈川県横浜市磯子区

    横浜市は随分探索しているが、中々電力プレートが見つからない。 これでやっと2枚目だ。 たぶん。 発見日 2025年5月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区原町 下部の"中"は横浜市中区のことだろう。剥がれかかっているシールの街区表示板 シールでも街区表示板というらしい。 横浜市では、令和元年度から、シール製街区表示板への貼り換え作業を進めているとのこと。 貼り換え前のものも残っている。 歴史 1933年(昭和8年)4月1日磯子区滝頭町から原町が分割される。 1965年(昭和40年)7月1日住居表示実施。

  • 旧町名「東京市小石川區駕籠町」が併記されているマンション名プレート

    以前下記の記事でビル名プレートに「駕籠町」が書かれているものを紹介したことがあるが、2025年5月26日探索中に新たなものを発見した。 citywalk2020.hatenablog.com 書かれているアルファベットは何と読むのかなと近づいてみると、旧町名が書かれているのに気が付いた。 ただの「駕籠町」ではなく、「東京市小石川區」となっていて、右書きなんて、かなりこだわりを感じる。 ホームページがあるのかなと調べていたところ、ここに由来が書かれていた。 https://femtioett.com/what_is.html フェムティエット(femtioett)はスウェーデン語で「51」とのこ…

  • 琺瑯町名看板を探して ~ 横須賀市編1 ~

    2025年5月22日、横須賀市初上陸。横須賀中央駅から探索を開始することにした。①横須賀市深田台41 ストリートビューで見つからなかったので、消滅してしまったと思っていたが、念のため付近を探してみた。そうしたら、かなり無残な姿になっていたが、店の軒先にぶら下がっていた。 ②富士見町3丁目50 番地が50か58か59かわからず、これもストリートビューで見つけられなかった。 しかし、現地調査で無事発見することが出来た。 50だった。 帰ってからストリートビューを確認してみたら、すぐわかった。わかりやすいところにあったのに、最初見た時、なぜ分からなかったんだろうと、自問自答。③横須賀市公郷町4丁目1…

  • 琺瑯住所プレート「川越市藤間」PartⅢ

    以前、「川越市藤間」の琺瑯住所プレートは下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 2025年4月28日、久しぶりに「川越市藤間」を探索したところ、見落としていたものが3枚あったので、紹介することにしよう。 この地域は短いが、路地は坂道と階段だらけだ。それを登ったり下ったりするので結構足に堪えた。①川越市藤間八七七 ②川越市藤間八九二 ③川越市藤間八九六 まだあると思っていなかったので、本来これが目的ではなく、町名看板を探しに来ていたのだが、その探索中に発見できたのは、ラッキーなことで…

  • 神辺土建コレクション in 埼玉県入間郡越生町 ~ 郵便関連編 ~

    ここは「旧武蔵国越生郵便局」の跡地だったということもあり、貴重な郵便関連のものが展示されていた。 一角にカラフルな郵便ポストが並んでいた。 元の赤色のままにして置いていたら、お上から「間違えて投函する人がいるので撤去するように。」と言われたそうで、それでこのようにレインボーカラーに塗ったそうだ。ピンクに塗られた明治時代の郵便ポスト 昭29昭和製 昭37年吉村製? 富岡製糸場の庭にあった郵便ポスト 越生郵便取扱所の通用門 越生郵便局小史明治元年(一八六八年)から明治四年にかけて、明治政府は郵政の前身、駅逓司、駅逓寮等の役所を設置、職制を制定、郵便事業の基礎を作った。しかし、当時の逓送は飛脚業者に…

  • 旧町名「横浜市港北区南綱島町」「横浜市港北区北綱島町」

    「綱島西」で発見した旧町名「南綱島町」と「北綱島町」。 なぜ、"南"と"北"が"西"になった? 理由は下に書いてある歴史の中に書かれていた。発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区綱島西①横浜市港北区南綱島町 ②横浜市港北区北綱島町 歴史 1872年(明治5年)10月10日大区小区制に伴い、橘樹郡南綱島村と北綱島村は樽村・大曽根村・太尾村・箕輪村と共に神奈川県第3大区7小区となる。 1878年(明治11年)7月22日郡区町村編制法に伴い、元の橘樹郡南綱島村と北綱島村に戻る。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、南綱島村および北綱島村の2村は樽村・大曽根村・太…

  • 埼玉県川越市で発見した"司法省の境界石"と"個人名の刻字がある境界石"

    2025年4月14日、川越市を探索中にさいたま地方検察庁川越支部の角に境界石があるのに気が付いた。 昭和十一年 司法省と刻まれていた。 左隣は裁判所 その端にも草に囲まれている境界石があった。 司法省(しほうしょう)は、1871年(明治4年)から1948年(昭和23年)まで設置されていた日本の行政官庁。司法行政や、登記や戸籍といった民事行政、監獄、検察等を所管していた。廃止後、法務庁(後に法務府、法務省へと改称)に事務が引き継がれた。更に探索していると、特別養護老人ホームの角に個人名が刻字されている境界石があった。 上には北と南の文字が刻字されている。 このようなフルネームが刻字されている境界…

  • 旧町名「埼玉縣入間郡飯能町」

    下記の記事で、「飯能町時代の痕跡も発見したかったのだが、今回は発見することができなかった。」と書いていたのだが、 citywalk2020.hatenablog.com かなり前に発見していたことをすっかり忘れていた。 過去に撮った写真を見ていたところ、お宝が眠っていることに気が付いたのだ。 どこかに書いたかもしれないが、当ブログ開始(2021年8月20日)以前に撮った写真は、記事にできていないものがほとんどなので、過去に撮った写真の発掘もしくことにしよう。 発見日 2020年4月21日 発見場所 埼玉県飯能市 歴史1889年町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村…

  • 童謡「赤とんぼ」作曲の地と木製電柱と電力プレート in 神奈川県茅ケ崎市

    2025年4月24日、茅ケ崎市を探索中に「赤とんぼ作曲の地」と書かれた看板があるのに気が付いた。 行ってみることにした。 まず木製電柱発見。 茅ヶ崎市で何本目だろう。電柱に付いていた電力プレート。 形は同じなのだが、上部が東京電力のマークではなく、防犯灯と書かれており、中央が町名ではなく数字。ようやく見つけたと思ったのに、つまんな~い。童謡「赤とんぼ」作曲の地 作曲家山田耕筰は1926年(大正15年)40才の時東京より家族と共にこの地に移り住みました。トラック3台分の楽器はこの奥の大工さんの特設小屋に保管されました。晴朗な湘南茅ヶ崎の大気その晴朗な大気と愛児らの素純、それこそは私の胸底に徒らな…

  • 通称町名「奈良市三條町三綱田町」

    2022年4月8日の探索中、早朝6時頃に発見した表札。 「三條町三綱田町」? 「三條町」と「三綱田町」と町が続いている。 「三條町」が町名で、「三綱田町」は通称町名だった。 「三綱田町」はなんと読むんだ? 難読町名だと思うが、通称町名になってしまったためか、この通称町名についてあまり書かれているものはなかった。 回答は次の交差点名にもあるが「さんごでちょう」だった。交差点「三綱田」 由来 当地がかつて興福寺三綱の領田であったのに由来すると言われている。 ※三綱(さんごう)仏教寺院において寺院を管理・運営し、僧尼を統括する上座(じょうざ)・寺主(じしゅ)・都維那(ついな・維那とも)の3つ僧職の総…

  • 旧町名「神奈川県横浜市港北区日吉町」&旧番地「神奈川県横浜市港北区日吉本町」

    日吉(ひよし)は、神奈川県横浜市港北区の町名。住所表記上の「日吉」以外に、日吉本町・箕輪町・下田町も一般に「日吉」と呼ばれる。旧町名 日吉町 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区日吉 ① ② 旧番地 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区日吉本町 ③ ④ ⑤ ⑥箕輪町 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区箕輪町 歴史 1889年(明治22年)市町村制施行に伴う町村合併で、神奈川県橘樹郡のうち、駒林村・駒ケ橋村・箕輪村・矢上村・南加瀬村・小倉村・鹿島田村が合併して、日吉村が成立。 1937年分村合併が実施される。矢上・駒…

  • 阿佐谷アートフォレストウォールの絵に見入る。

    探索中に出会った動物が描かれているアートウォール こちらの壁画は阿佐谷アートフォレスト2015の企画のアート作品です。阿佐谷を文化と福祉、緑の街として彩ることを目的として、杉並区のアーティ しました。森の持つ多様性や神秘性を町に還元できるように「森」をテーマとしています。 まちづくりの一環として助成金を受け、壁面の所有者に許可を受けて地域に住んでいとに製作いたしました。 平成28年12月をもって完成いた読めないところが多いが、肝心なところは残っている。近くの壁に描かれていた絵。 このような街に埋もれているアートの掘り起こしもしていきたい。撮影日 2025年1月11日

  • 中野の犬屋敷跡 中野区役所と一緒にお引越していたワン

    2025年3月20日、杉並区内探索後、高円寺駅から帰ろうと思ったが、中野駅も近かったので、中野の犬屋敷跡が移転したという情報を思い出し、再開発中の所なんか見たくもなかったが、久しぶりに中野駅方面へ向かうことにした。駅付近にあった案内図を見ると、その一部にシールが貼られていたワン。 犬のブロンズ彫像と書かれているワン。 そこに行くんだワン。 中野区役所が随分前に移転していたワン。 知らなかったワン 旧中野区役所 新中野区役所 立派になっていたワン中野の犬屋敷跡 移転前 移転後 少し狭くなった気がするワン 区役所のガラスに映る夕焼けを見るワン。 犬屋敷は、五代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設…

  • 月岡温泉にあった「暴力追放宣言」の看板

    2020年11月17日早朝、温泉街を探索している時に発見。 暴力追放宣言 犯罪のない明るく住みよい社会を作ることは、 われわれ国民の願望であるのにかかわらず、今なお法律を無視した無軌道な行為を敢えてし、善良な市民に不安と苦痛を与えているもののあることは、まことに残念であり、われわれは暴力に対し、 心から強い憎しみと憤りを覚える。今回、ここに業界の会同開催にあたり、われわれは、今後一層関係機関と連けいを密にし、暴力追放運動を推し進めるとともに本組合の名のもとに、つぎのことを宣言する。 一.われわれは、順法精神の高揚をはかる。 一.われわれは、暴力を徹底的に排除するため、 暴力被害等の届け出を積極…

  • 『磯子に花街があった頃からあるらしい2本のレトロ電柱』と『八幡神社にある謎の球体』

    2025年5月12日、根岸駅周辺を探索後、磯子駅方面へ向かう。 その途中、16号線沿いでレトロ電柱を発見! いかにも自分が発見したように書いてしまったが、目撃情報があったものだ。 既に現役ではないようだ。上部の装飾 サビサビだ。プレートは取り外されていた。 何と書いてあったのだろう? 花街関係のものだろうか?下部 いいよねぇ、この特徴的な形。この部分は空洞になっているものが多いが、まだ部品が残っていた。 付いていた電力プレート "街"のよく見かける奴。次に紹介するのは、目撃情報がなかったもの。 周辺に他にもないかなと探していたら、モジャハウスにあった。 先に見つけたものと同じ装飾。 こちらの方…

  • 数字とひらがなが混ざる漢字「憩」

    店の扉にだったと思うが、書かれていた「憩」の文字に💮 数字「151」と色が付いたひらがな「いこい」が混在していた。発見日 2025年4月29日 発見場所 埼玉県所沢市狭山ヶ丘

  • 旧町名「新潟市沼垂」

    新潟市の難読町名「沼垂」の表札。 過去に撮った写真を見ていたら、その存在に気が付いた。 「沼垂」は「ぬったり」と読む。 発見日 2020年11月17日 発見場所 新潟県新潟市中央区沼垂西 歴史 1889年(明治22年) 町村制施行に伴い中蒲原郡沼垂町、蒲原村、流作場新田、長嶺新田が合併し、町制施行して沼垂町が発足。 1914年(大正3年)4月1日沼垂町は、新潟市に編入され消滅。新潟市の大字となる。 1968年(昭和43年)沼垂の一部から沼垂東、沼垂西、竜ヶ島、日の出、鏡が岡が分立した。 2007年(平成19年)4月1日新潟市の政令指定都市移行に伴い中央区が設置される。 大字としての沼垂は新潟市…

  • 旧町名「入間市森坂町」と小字町名「入間市大字仏子字○○」

    今回は入間市西部地区で発見した旧町名と小字町名を紹介することにしよう。旧町名 目的のものを探していたのだが、その標識があるのに気が付かず、そのまま進んでしまい、上らなくてもいい急坂を上ってしまった。そこに住宅街があり、これがあった。苦労して上った甲斐があったというものだ。 発見日 2025年5月8日 発見場所 埼玉県入間市森坂 現町名は"町"が取れただけだが、旧町名は旧町名だ。小字町名 発見日 2025年5月8日 発見場所 埼玉県入間市大字仏子 ①入間市仏子字霞沢 ②入間市仏子広町 「仏子」 読めるだろうか? 自分は埼玉県民なので、わかるが、難読地名のひとつだ。 答えは「ぶし」歴史明治19年(…

  • 琺瑯町名看板「川越市藤間896」

    「悠久の思い出」さんから情報をいただき、探しに行くことにした。 ストリートビューの事前調査では、これがあると思われる路地は入れなかったので、現地で確認するしかなかった。路地を往復するが、見つからない。 消滅してしまったのか? 路地を出てふと振り返ると、生垣の下に青いものが見えた。 あった。 こんなところにあったのか。 発見日 2025年4月28日 これは気が付きにくい。 帰ってからストリートビューを確認してみると、ストリートビューでも確認することが出来た。古い方が、生垣が成長していないので、わかりやすかった。

  • 昭和通りと交差する江戸-平成-------明治

    昭和通りを歩いていたところ、江戸通りと交差する交差点に気が付いた。 調べてみると、昭和通りが平成通りと明治通りと交差する交差点もあることが分かったので、2025年4月19日、明治通りと交差する交差点まで歩いてみることにした。 本当の時代は、江戸→明治→昭和→平成なので、時代通りではないが、実際にそうなっているので仕方ない。 タイトルの"-"はそれぞれの距離感を表している。①昭和通りと交差する江戸通り。 昭和通り 国道4号線と都道316号線江戸通り 国道4号線と国道6号線②昭和通りと神田平成通りが交差する東松下町交差点 ③昭和通りと交差する明治通り 昭和通り 国道4号線 明治通り 都道306号線…

  • 東日暮里の路地にあるレトロ電柱

    2025年3月29日、東日暮里四丁目の路地を歩いていたら、レトロ電柱に類すると思われるものを発見した。 形はストレートであれだが、銀色に塗られているので、レトロ電柱扱いとすることにした。 多分「東日暮里四丁目町会防犯灯」と書かれている。 日街 日本街路灯製造株式会社の略か? www.gairoto.co.jp 下部

  • 旧町名「神奈川県横浜市港北区太尾町」

    以前撮っていた横浜市の写真を見返していたところ、旧町名の写真が結構あることが分かった。 この頃は、琺瑯町名看板の探索がメインで、その探索で横浜市の各区をうろついていた。 その時にたまたま見つけた旧町名を撮っていたようだ。 "撮っていたようだ"というのは変な表現だが、覚えていないからだ。撮っていた時期が、ブログ開始(2021年8月20日)前だったので、まだ、記事にしていないものがいくつもあった。 それらは旧町名は「町」が付いていて、現町名は「町」が付いていないものが多いが、消滅してしまった町名なので、旧町名であることには変わりない。 その中には完全に町名が変わってしまっているものもあった。 旧町…

  • 電力プレート「ハナザワ-32」 in 東京都国分寺市

    国分寺駅ロータリー付近の柵に「計画道路」の看板が貼られていた。 この裏側は更地になっていた。 ということは、これは消滅してしまったことになる。 citywalk2020.hatenablog.com この道沿いの角の元居酒屋に、電力プレートがあった。 発見日 2025年4月12日 発見場所 東京都国分寺市本町三丁目 以前探したことがあったような気がするが、その時は、南口側を探していたので気が付かなかった。 でも、この道は通ったことがあるはずなのに、その時は気が付かなかった。 その頃は、まだ探索レベルが低かったのかもしれない。 道路が計画されているので、いずれ消滅してしまうだろう。 その前に出会…

  • 彦根市に設置されている旧町名関連のプレート・石標・説明板

    2025年4月10日、市内を探索していたところ、旧町名関連のものにいくつか出会った。 彦根史談会が設置した町名プレート ①元川町 ②京橋通 ③鍛冶屋町 藩政時代町名が刻字された石標 ①連着町 桶屋町 ②紺屋町 彦根商工会議所 女性会が設置した旧町名説明板 白壁町は、彦根城下町の中央付近に位置した町で、町名の由来は、富裕な町人が多く、白壁造りの屋敷が多かったことによるという説があります。元禄8年(1695)の「大洞弁財天祠堂金寄進帳」によると、当時、町内の総軒数は53軒で306人が住んでいました。職種は、鍛冶屋が5軒と最も多く、そのほか小間物屋4軒、米屋・煙草屋・搗米屋・薬屋各3軒などとなってい…

  • 新宿区市谷台町に残る郵政省の境界石

    市谷台町宿舎の両側に境界石が設置してあった。 白いシールの下は旧番地が隠れているのだろう。右端のもの 正面 左面 「郵政省」の文字が見える。 真上 中央に青い点、下に黄色の点がある。左端のもの 右側に「郵政省」の文字が見える。 真上 中央に青い点がある。「〒」のものはたまに見かけるけれど、「郵政省」と刻まれているものは、見たことがないかも。覚えていないだけかもしれないが・・・。その可能性が大なんだよね。記憶力に自信があると言えない年になってしまった。発見日 2025年1月28日

  • 大津駅に北緯35°線モニュメントがあるが、北緯35°線は移動していた。

    大津駅を降りると北口近くの通路に北緯35°と書かれている大きなポスターが貼られていた。(東側) 何だ? ホテルのバスの時間が近づいているので、写真だけ撮って、後ろ髪を引かれる思いだったが、バス停へ急ぐ。 翌朝、電車が来る間に確認してみることにした。 1・2番線ホームに上がる階段に矢印があった。 どこにあるんだ? ホームの一番端にモニュメントが設置されていた。 赤に塗られたレールが北緯35度線を表わしている。 裏側 左側面 地球儀をアップ 北緯35度線が描かれている。 北緯35度線と大津駅 大津駅は、北緯35度線上に位置しています。線上を東の方向に進むと千葉県千倉町で太平洋に出、 アメリカ大際で…

  • 電力プレート「タナカ-2」 in 埼玉県狭山市

    何か旧町名の痕跡が見つかるかもしれないと思い、自治会名が書かれたプレートの写真を撮っておいた。 そうしたら、運よく電力プレートを発見することが出来た。 発見日 2025年5月1日 発見場所 埼玉県狭山市狭山 町名としては面白みのないものだが、電力プレートが現存していることに意味がある。今昔マップ(1944年~1954年)を見てみると「田中」が載っていた。 歴史 旧武蔵国入間郡入間川村之内田中村。 1891年(明治24年)8月14日入間川村が町制施行し入間川町となる。埼玉県入間郡入間川町田中。 1954年(昭和29年)7月1日入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が新設合併し市制…

  • 木製の枠で囲まれた「財団法人結核予防会」の古そうな看板

    2022年11月14日、京都市内を探索中に発見。 今まで訪問した市区町村で初めて見たもの。 結核予防標語 結核の撲滅へ早期発見 財団法人結核予防会 京都府支部結核は過去の病気だと思っていた。しかし、実態は違っていた。近年でも、毎年約10,000人が新たに結核を発症し、1,500人以上が結核で亡くなっているそうだ。最近の日本の結核患者の傾向をみると、70歳以上の高齢者が約6割を占めているそうだ。その年齢に近くなってきているので、気を付けなければ。

  • 旧町名「埼玉県入間郡武蔵町下藤沢」

    入間市のことを調べていたら、次の情報が見つかった。 「埼玉県入間市において、区画整理事業により町名が新設され住所変更がおこなわれました。 実施日は2021年5月1日です。 新設される町名は、下藤沢1丁目 下藤沢2丁目 下藤沢3丁目 下藤沢4丁目 下藤沢5丁目です。 従来の住所は、「大字下藤沢」 他 です。 入間都市計画事業武蔵藤沢駅周辺土地区画整理事業(市施行)は、土地区画整理法第103条第4項の規定により、令和3年4月30日付で、換地処分の公告が行なわれました。 施行地区の区域入間市大字下藤沢字下前原、同字中前原、同字水押、同字筑地、同字山ノ神、同字三方原、同字水入、同字本山、同字明ノ沢およ…

  • 空き地前に残る三室商店会の街路灯 in 埼玉県さいたま市見沼区

    以前は工場みたいのが建っていた。 いつの間にか更地になっており、そこに1本の街路灯だけが残されていた。 上部がイエローとグリーンになっている。 真下から見たところ 周りを探して見たが、この形のものは、他にはなかった。 ここに何かの施設ができる時に撤去されてしまうかもしれない。撮影日 2027年1月27日

  • 神辺土建コレクション in 埼玉県入間郡越生町 ~ オブジェ編 ~

    以前板橋区にある昭和レトロ満載の展示会場?を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は、敷地が広い分、板橋区のものを上回ると思われる「神辺土建コレクション」と言われているところを3回に分けて紹介することにしよう。 ※神辺土建コレクション「旧武蔵国越生郵便局」の跡地で、また2011年に廃業した越生酒造の酒蔵があった場所に、土木・建築・解体業等を営む(有)神辺土建の社長が収集した骨董品や昭和レトログッズを展示している。県道の西側 トリケラトプス 美ヶ原美術館作品原作とある。 沢山あるが全部そうなのか? ハート目のピンクカエル ピンクの鳥居も見える。 彫刻家…

  • 群馬県高崎市で発見した『東京電燈』時代のものと思われる3枚のプレート

    以前、下記の記事で東京電燈のプレートを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 この形を覚えていてほしい。高崎市で以前撮った写真(2024年8月26、27日)を調べていたところ、撮った時は気が付かなかったが、『東京電燈』時代のものと思われるプレートが3枚あった。 3枚も現存していることがわかったので、記事を書いている今、独りでコーフン!状態。 今のところ、この高崎市に現存する『東京電燈』時代のものと思われるプレートについて書かれたものはない(自分調べ)ので、これが初出になるのかもしれない。①まず1枚目、左側の八角形をしたプレートがそれ。 劣化し…

  • 電力プレート「イナカミ-17」 in 栃木県小山市

    栃木県小山市で発見した電力プレート。 調べても、分からなかったので、調べることを放置していたら、記事にすることを忘れていた。発見日 2024年11月12日 発見場所 栃木県小山市本郷町 発見した場所は「本郷町」だ。 「イナカミ」? どういう漢字を書くのだろう? 「稲神」や「稲上」で調べてみたが、分からない。 現存している町名を調べていたら、「稲葉郷(イナバゴウ)」と「神鳥谷(ヒトトノヤ)」があった。 「稲葉郷」の"稲"と「神鳥谷」の"神"で、「稲神」? 通称町名か?難読町名「神鳥谷」について その昔、近くに鷺城という出城が有り、鷺は神鳥とされ「しとと」と呼ばれていたので、谷の様な地形とあわせ、…

  • 琺瑯町名看板 in 埼玉県越谷市 PartⅡ

    埼玉県越谷市で発見した琺瑯町名看板は、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 「悠久の思い出」さんに越谷市と草加市と川越市に琺瑯町名看板あるとの情報をいただいた。ストリートビューの日付を見ると越谷市のものは2024年6月、草加市のものは2022年6月となっていた。ストリービューの情報が少し古い。現存しているのだろうか?越谷市と草加市は東武鉄道の同じ路線上にあるので、まとめて確認することにした。 情報を戴いた当日の2025年4月21日、越谷市を再訪した。まず、今回は、約5年ぶりに新たに越谷市で発見した2枚の琺瑯町名看板を紹介することにしよう。①越…

  • 旧町名「東京都北多摩郡清瀬町中清戸」

    最初の投稿時は、「上清戸」と同じ記事の中で紹介していたのだが、「上清戸」「中清戸」とも新たに発見したものがあったので、記事を分けることにした。 citywalk2020.hatenablog.com ①清瀨町中清戸 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「瀬」の旧字体「瀨」、よろし。②北多广郡清瀬町中清戸 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「北多广郡」よろし。③清瀬町中清戸 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 ④東京都北多摩郡清瀬町中清戸 発見日 2025年4月17日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 これは目撃情報があったも…

  • 旧町名「埼玉県入間郡越生町西和田」

    埼玉県でまた探索したことがない自治体を探していると、どういう経緯か忘れてしまった(つい2、3日の前のことなのに・・・)が、越生町が面白そうだということになった。 越生梅林くらいしか思いつかなかったが、段々調べていくように、どうしても見てみたいものあった。 それについては、後で書くことにしよう。 その前に、「越生町」を何と読むかご存じだろうか? "ねとらば"が2024年に「【難読地名】地元民しか読めないと思う「埼玉県の市町村名」ランキングTOP30!」のアンケートを実施し、第1位にランクインしたのがこの「越生町」。 正解は「おごせまち」。 その語源については諸説があるが、平野と山地の接点にあたる…

  • ビルの隙間に設置されていた住所入りのキリンレモンの看板

    住所入りのキリンレモンの看板 キリンレモン単独の看板は見かけることがあるような気がするが、「ここは」の後に住所が書かれているのは珍しい気がする。 この珍しいとの言うのは自分基準なので、知っている方にとっては、全然珍しいものではないだろう。 でも、調べ方が悪いのかもしれないが、これと同じようなものは見つからなかった。更に上の方にあった看板 Drink Coca-Colaと書いてあるように見える。発見日 2025年1月7日

  • 滋賀県大津市の街区表示板(琺瑯、非琺瑯)

    滋賀県大津市に市内の一部だけにしか存在していない思われる大津びわこライオンズクラブのコピー付き街区表示板があった。琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①京町一丁目3 あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう ②御幸町3 時代にふさわしい風習をそだてましょう非琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①昭和町4 郷土を愛し琵琶湖の美しさを生かしましょう ②木下町12 豊かな文化財をまもりましょう大津びわこライオンズクラブだけ 元は上に街区表示板があったと思われるが、無くなっていた。非琺瑯と琺瑯のペア ①丸の内町1 ②本丸町4 ③逢坂一丁目11 設置されていた建物が解体され、街区表示板だけが残っていた。 再…

  • 東京都荒川区荒川一丁目の路地に佇むレトロ電柱

    今日(2025年2月17日)は暖かいはずじゃなかったのか? 途中から冷たい風が吹き始め、真冬に逆戻り。 路地に入るとレトロ電柱に出会った。 上部 街灯が付いていた。銘板は取り外されていた。 下部 よく見かけるタイプのもの。裏側 中身は外されていた。周辺を探してみたが、これ1本しか見つけられなかった。

  • 目黒区立不動公園に残る「目黒不動公園沿革碑」と「国旗掲揚台」

    2025年3月18日、目黒不動尊の横を道を登っていくと説明板があった。 目黒区緑の散歩道 不動コース 古代遺跡も眠る不動公園昭和9年にオープンしたこの公園は、碑文谷、清水池の両公園と並び、区内で最も古い公園の一つ。地下には古代遺跡が眠る。昭和55年の発掘調査では、目黒区で初めて弥生後期の竪穴式住居跡が出土。縄文期の土器、石器類も多数見つかっている。公園裏の共同墓地には、サツマイモ栽培を奨励し、【甘藷先生】と呼ばれた江戸の儒学者・ 青木昆陽の墓がある。この昆陽の道徳を偲び、 毎年10月28日に開かれる「甘藷まつり」は、大勢の人で賑わう。不動公園の入口の大きな木の下に石碑があるのに気が付いた。 東…

  • 町名が書かれていない電力プレート in 東京足立区千住仲町

    路地を歩いていると、おっ、電力プレートがある。 少し離れていても形だけで分かる。 近づいて見てみると、町名が書かれているはずのところが、数字になっていた。 円形のもので中央に数字があるものはよく見かけるが、この形のもので、数字だけのものを見たのは初めてかもしれない。 色も赤だ。黄色のものもあるが、赤のものは初かもしれない。 このお宅の正面に付けられていたものが下記の記事でも紹介済だが、 citywalk2020.hatenablog.com これ。 これが一般的で、中央には「ナカマチ」と町名が書かれており、色も青だ。 "33 161"という数字は何を意味しているのだろう?発見日 2025年3月…

  • レトロ感ある江東区独自の標識と公園の注意書き

    探索している時、道路にある標識や公園の注意書きにも注目している。 2025年2月27日、探索中、気になったもの。劣化していて「ふな」としか読めなくなっている標識 正解は、「あぶない! とびだし」だった。こちらは別バージョン「あぶない とび出し その ?」 ?に入るのは一歩か? ツッコミがいのある絵だ。 ・靴の裏がやけに誇張されている。 ・上の子と同じ子だと思ったが、前髪が違っていた。 ・虫歯だらけに見える口。枝川三丁目公園にあった注意書き 左上にいる犬は他の自治体でもよく見かけるので、同じ会社が製作しているのかも。 左下の花火をしている少年の頭にボールが直撃するという衝撃の絵。

  • 旧町名「小田原市新玉」

    3社のバス停「新玉新道」が並んでいた。 この通りは新玉新道というのか。 "新玉"って何でつけられたのだろう?と思いながら、新玉新道を歩いていると、青い塩小売店の看板を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市栄町① 付近を探索していると、続いて「新玉」の表札も発見。 ② "新玉"は旧町名であった。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄…

  • 旧町名級旧番地「川越市石原町」

    「石原町」は現存している町名だが、表札が木製でかつ市名が右書きになっているので、戦前のものかもしれないということで、旧番地扱いではなく、旧町名扱いしたいのだが、旧町名級旧番地としておこう。発見日 2025年4月14日 発見場所 埼玉県川越市石原町 川越市中心部の旧町名「十ヶ町四門前」「郷分町」のものは、電力プレートや家屋調査済証でいくつか発見しており、紹介している。※十ヶ町四門前 上五ヶ町:本町、高沢町、喜多町、江戸町、南町下五ヶ町:多賀町、鍛冶町、志義町、上松江町、志多町四門前:養寿院門前、行伝寺門前、妙養寺門前、蓮馨寺門前 ※郷分町 清水町、竪久保町、北久保町、南久保町、坂下町、坂上町、通…

  • 滋賀県大津市に設置されている旧町名看板

    仁丹の町名看板を探していると、非仁丹の旧町名看板を見かけた。 見かけたものしか撮っていないが、2010年(平成22年)中央学区内の旧町を対象に112箇所の看板の取付けが実施されたそう。 町名の由来は、昭和12年大津市が発行した『伝説の大津』に載せられていた「町名の起源」から引用したもの。①上京町 ②中京町 ③葛原町 ④寺町 ⑤上西八町 西上栄町 ⑥中関寺町 下関寺町 関寺町 関寺町=昔、関寺のあった所である。 ⑦上小唐崎町 松幡町 ⑧丸屋町 ➈大工町 大工町=昔は両替町とも云い、舟大工が住んでいたので、つけた名であると云う。 ⑩塩屋町 白玉町 江戸時代、この付近は、湖岸沿いの浜通には米商人が、…

  • 旧町名「長浜市南船町」

    長浜市観光のついでに見つけることができた旧町名の痕跡はひとつだけだった。 発見日 2025年4月8日 発見場所 滋賀県長浜市朝日町 下船町(現朝日町) 天正年間~明治12年までの町名。豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 船持ちや船乗りが多く住んでいた事に由来する。江戸期は瀬田村領年貢地。元禄8年の家数34人口190。明治12年大安寺町と合併し南船町となる 船運で栄えた町 下船町 江戸時代の長浜を構成した五十二町の一つ。北国街道に沿いの両側町て、北は大安寺町を介して北船町と接し、南は稲荷町へ続く。西の小船町へ出る道を「六軒町」という。町の西側を流れる米川には船が入り、川岸は荷揚げ場となり蔵が並ん…

  • 「佐竹商店街 お休み処・事務所」に展示されていたサイン類

    佐竹商店街の入口 アーケードが続く商店街 土曜日だが、雨の日だったからか、それほど人出はない。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 台東区台東二・三・四丁目付近 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。 佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風…

  • 旧町名「彦根市彦根町」

    彦根城周辺の観光を終え、彦根駅に向かう途中、古そうな建物に付いていた関電のプレートに旧町名である「彦根町」を発見した。 発見日 2025年4月10日 発見場所 滋賀県彦根市元町 彦根市には、このような町名が書かれているプレートが存在していた。 現現町名は変わっているのだが、現町名は書かれていなかった。 調べてみたところ、1981年(昭和56年)頃、彦根史談会のメンバーだった細江敏氏が設置したものとのこと。 このプレートについては、観光中(探索中ではない)に何枚か見つけたので、別の記事で紹介することにしたい。石材店に石製の立派な旧町名の説明板が設置されていた。 旧彦根町 彦根町は、彦根城下の親町…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 膳所本町駅周辺 ~

    1日で、と言っても早朝の2時間だけだが、大津駅周辺に存在する仁丹町名表示板を見つけられたので、2日目の早朝探索は、範囲を広げることが出来た。 膳所で目撃情報ががあったものは3枚あり、一応、事前にストリートビューで所在地を確認してきてはいた。 だが、設置されている場所の建物の記憶はすっかり忘れていて、ない。 スマホのストリートビューはあまり使えるものではないので、前日再確認をしなかった。 付箋を貼った地図だけが頼りだ。 最寄りの駅を調べてみると、京阪膳所駅ではなく、膳所本町駅が一番近いようだ。2025年4月9日、目が覚めたのは、4時頃だったろうか? 5時頃まで布団の中にいた。 着替えて、出発する…

  • 別所三丁目交差点標示板が一丁と二丁目に見える in 埼玉県さいたま市南区

    探索中に見つけた交差点。 以前も通ったことがあるが、気が付かなかった。 ネタ探しの意味もあり、街中の色々なものに目が行く年頃になってきたのだ。文字がほとんど消えかかっている北側の交差点標示板 遠くからだと「一丁」としかわからないだろう。南向きなので、日光が当たり、劣化が早いのだろう。一方、南側の交差点標示板は消えかかっているのは一部だけになっている。 こちらは遠くから見たら、「別所二丁目」に見えてしまうだろう。 支障はないのだろうけれど、いじってみたくなる事象であった。撮影日 2025年3月31日、4月5日

  • 『清水寺の仁王門』と『明治初期の基準点標石』

    まだ未見の仁丹もかなりあるのだが、事前調査をしてこなかったこともあり、以前調べていた時に、清水寺に基準点標石があることを知ったので、訪ねてみることにした。 わざわざ京都に来てまで、と思うかもしれないが、花見を兼ねてということで。2025年4月10日6時頃のホテルグランヴィア京都のロビー。 早朝なので人影もまばらだ。京都駅前でバス停を探す。 乗るバスも調べてこなかった。 人が並んでいるバス停があり、行き先を見ると清水寺行のバス停だった。 でも、どこで降りればいいんだ? 清水道で降りる外人さんが何人かいたので、後をついていくことにした。 600mか。 清水坂を登っていく。 早朝なので、人通りも少な…

  • 滋賀県近江八幡市の町名説明板と町名表示板

    2025年4月7日、宿泊地は大津市なのだが、観光の初日に大津市にある三井寺の予約が取れなかったため(予約するのが遅すぎた)、当初の予定を変更して初日は近江八幡観光することにし、京都駅から近江八幡駅へ直行する。 近江八幡駅から目的地の八幡堀まではバスで八幡堀八幡山ロープウェイ入口まで行く。 平日は本数が少ないね。 11時15分発に乗る。 ほぼ満席になるが、立っている人はいない。 乗客は日本人より中国系の観光客が多い感じ。近江八幡の町並みについて 近江八幡市は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の…

  • 清瀬花の里公園のトイレ

    2025年4月17日、探索していると、2025年4月1日にオープンしたばかりの公園があった。 この日は誰も遊んでいなかった。 まだ、学校が終わっていなかったからかな。 芝生にはしばらく入れないそう。 花の里公園と言いつつも、花はまだ何も植えられていない。花はオープンしてから、て少しずつ植えていく予定になっているらしい。 花の植え付けイベント5月10日(土)雨天の場合は11日(日) 午前の部 11時~12時 午後の部 14時~16時気になったはトイレ 男女ともトイレの入口は暖簾が掛けられていた。 風が吹くと中が見えてしまう。 男性用はいいかもしれないが、女性用はどうなのかなあ。 入りにくそう。 …

  • 旧町名「小田原市幸」

    「幸町」ではなく「幸」と一文字だけの町名を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市本町二丁目 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄町、大窪村、早川村および酒匂村の一部(大字網一色、山王原)と合併して小田原市が発足。同日小田原町廃止。2町3大字はそれぞれ幸一 - 四丁目、緑一 - 四丁目、万年一 - 四丁目、新玉一 - 四丁目、十字一…

  • 「琴佐」の文字がある旗竿ボックスから旧町名を辿る。

    ネットで調べていたら、港区西新橋に「琴佐」の文字がある骨董蓋があるらしいことが分かった。 ただ、10年以上前の目撃情報だ。 今もあるのだろうか? 頼りになるのは、サンドラッグが写っている写真のみ。 調べてみると、西新橋には、サンドラッグがなくなっていた。 ストビューでいろいろ探して見るが、場所が特定できない。 西新橋にサンドラッグがあったという情報がないかと探していると、ありがたいことにある大学の事務所の道案内にサンドラッグが載っていた。 これで場所をほぼ特定できたが、問題は現存しているかだ。 ストビューでは確認できなかったので、2025年3月24日、現地に飛ぶ。 あったよ、あった!知っていな…

  • 解体予定のビルに書かれているシャッターアート

    創業1892年の三原屋があったビル 調べてみたが、もう営業はしていないようだ。このビルに明治大学商学部と神奈川県三浦市がコラボしたと思われるシャッターアートが描かれていた。 犬?が船の上からマグロを釣っている絵 マグロは「マグオ君」と言うマスコットキャラクターらしい。柱にも絵が描かれていた。 調べてみると、ここには、明治大学商学部の学生が企画・運営していた神奈川県三浦市のアンテナショップ「なごみま鮮果(せんか)」があったらしい。 2006年6月27日オープン、2019年11月に閉店したとのこと。 もしかしたら、営業中の店舗を見たことがあるかもしれないが、記憶にはない。この辺り一帯が再開発される…

  • 電力プレート「ミナミ-2」 in 埼玉県川越市

    久しぶりに川越市の記事。 あるものを探しに来たのだが、結局見つからず、意気消沈していたのだが、いくつかの新発見があったので、帳消しにはならないけれど、いいことにしよう。 前向きに考えることが大事だ。それにしてもすごい人出だ。 前回はコロナの真っ最中に来たので、それほど観光客がいなかったように記憶している。 目的にしていたものは、古い建物にありそうだったので、メインの通りを歩くしかなく、探索しにくいと言ったらありゃしない。 まっ、それでも、新たに発見したものがあったんだから、自分はすごい、かもしれない。 ただ、今まで見落としていただけの話だが・・・。川越市で発見した電力プレートは下記の記事で紹介…

  • 旧番地「小田原市十字」

    旧町名だと思ったが、現存している町名だったので、旧番地扱いとした。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市南町①塩小売店 住所付きの塩小売店の看板は久しぶりに見た気がする。 小田原市の後ろの文字が見えないのと"字"と書いてあるので、"字○○"と思ったが、②の住所プレートを発見し、"十字"という町名であることが分かった。②住所プレート 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 大津駅周辺 ~

    今回の旅は琵琶湖周辺に咲く桜の花見がメインだが、タイトルに書いたように大津市に現存している「仁丹町名表示板」に出会うことも大きな目的の一つになっている。 大津市には消滅してしまったものを除くと、19枚(琺瑯製18枚、木製1枚)の目撃情報がある。 ただ、時間の関係上、念入りに調査したのは、大津駅周辺だけだった。 大津駅周辺には8枚の目撃情報があった。 「東上栄町」は、ストリートビューで確認できなかったので、京都仁丹樂會さんに確認したところ、2019年頃に消滅してしまったとのことだった。 ということは、7枚現存しているはずということになる。 無駄足にならないように目撃情報を元にストリートビューで事…

  • 加賀塚公園にある加賀塚 in 東京都日野市

    キリンの滑り台が目に入った加賀塚公園 説明板 加賀塚公園公園内にある塚は加賀塚という。広さ3m四方、高さ50cmで、塚上に高さ50cmくらいの自然石の墓があり、榎が1本自生している。塚の主は戦国時代の武将竹間加賀入道で、小田原北条氏に仕え、日野本宿に住し、日野に知行地を有していた。竹間加賀入道は、豊臣秀吉が関東に兵を進め北条氏と交戦、八王子城も落城した天正18年(1590年)6月の前、2月にこの地で自害したとつたえられる。昭和15年(1940年)子孫の竹間弥惣次氏により供養墓碑が建てられている。 日野市このような公園に墓があるのは珍しいのではないか。市指定史跡 加賀塚(竹間加賀入道の墓) 昭和…

  • 上野公園の路上に書かれていたウォーターアート

    2025年2月15日、上野公園を歩いていたら、路上に絵が描かれていた。 今まで上野公園は何度も歩いているが、今回初めて出会うことが出来た。 コナン そっくりだ。近くにスマホを見ながら水で絵を描いているおじさんがいた。 調べてみると、東京都美術館ニュースNo457にも掲載される程有名な方だった。 もともとは福島県で中学校の美術教師をしていたそうで、2008(平成20)年、54歳の時に早期退職をしたとのこと。第二の人生を考えるうちに、路上に水で絵を描いてみようと、チャレンジすることにしたそうだ。それでは描かれていた作品の一部を見ていくことにしよう。バイキンマン バンギラス クレヨンしんちゃん ドラ…

  • 旧町名「小田原市緑町」

    まだサラリーマンだった頃、平日だが、ある理由で、小田原市を探索したことがある。その時の記憶は、小田原城と報徳二宮神社を訪れたことくらいしかない。その頃は、今ブログで書いていることには全く関心がなかった。時が経つと変わるものだ。国府津駅に着いた時には、電車が来ていて、乗り遅れた。次の電車まで、少し時間があった。仕方ないので、ホームで待つことにする。そうしたら、なんと電車が遅れてきた上に普段は快速が止まらない次の駅鴨宮にも止まり(自動放送では止まらないと言っていたのだが、駅員の放送では止まると訂正していた)、少し予定より遅く着くことになる。数分の違いなので全然問題ないが。駅に着いた。 さてどうする…

  • 屋上に三連の輪がある廃墟?ビル

    青梅街道沿いの西荻地域区民センターにある彫刻を撮りに訪れたのだが、その隣のビルの屋上に乗っかっている三連の輪がとても気になってしまった。 ビル名かわからないが、上の方に"Le VERT 1"と書かれているようだ。1F 心の居酒屋 道草 2F コーヒー&スナック たんぽぽ 3F カラオケひろば ピンクモンキー ビューティーサロン フォルム 給水塔ではないよね? ネットで調べてみたが、情報は見つからず。撮影日 2025年1月7日 撮影場所 東京都杉並区桃井4-3-1

  • 電力プレート「ナカメ1-30」 in 東京都目黒区中目黒

    中目黒の電力プレートは下記の記事で2枚紹介しているが、新たに1枚発見したので、紹介することにしよう。 citywalk2020.hatenablog.com急坂の途中にある路地を入った突き当りにあった。発見日 2025年3月17日 発見場所 東京都目黒区中目黒四丁目 まだ出会えていない電力プレートを探し求めて、探索は続く。

  • 琺瑯住所プレート&たばこ住所プレート&電力プレートのトリプル痕跡「千住柳町」

    この建物はタイトルに書かれているように3つの痕跡達を一ヶ所で見ることが出来るレアな場所。 上の建物が描かれた絵 2025年3月6日、現存を確認してきたので、記事を書くことにした。①琺瑯住所プレート ②たばこ住所プレート ③電力プレート

  • Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 受賞作品

    工事現場の仮囲いにアート等があると立ち止まらずにいられなくなる。おぼえておきたい 町火消の記憶 ― 中央区を守った纏と半纏 ― 町火消は、江戸を40組に分け、「い」「ろ」「は」 146文字を組の名前とし、 組の目印として、それぞれ纏と半纏を作りました。配置図 Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 『東銀座』のまちと2024年の干支である『龍』をテーマにアートコンテストを開催!コンテストにて見事受賞を果たした計8作品が 『東銀座』のまちを彩ります!新進気鋭の次世代アーティストによって自由に表現された 《まちの魅力》!地図を見てぜひ訪れてみてください! 主催:一般社…

  • まちの発展は名勝小金井(サクラ)とともに

    2025年1月14日、武蔵小金井駅北口に出ると説明板があった。 日付を見ると令和6年12月とある。 設置ホヤホヤだ。 折角のめぐりあわせなので、記事を書くことにした。 桜の名所から名勝へ武蔵小金井駅から北方へ15分ほど歩くと玉川上水の小金井橋にたどり着き、この橋を中心に東西6kmにわたる桜並木が広がります。この桜並木は1737(元文2)年頃、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の命令により川崎平右衛門定孝等が、桜川(茨城県)や吉野山(奈良県)等の名所から集めたヤマザクラを植樹したものと伝わります。江戸時代後期、立派に成長した桜並木は'小金井桜'や'御上水桜'と呼ばれるようになり、歌川広重をはじめ文人墨客…

  • 「一寸まてこみの捨場は川しやない」って何?+看板など

    あきる野市を探索中にタイトルのように読めてしまった石の標柱があったので、立ち止まる。 よく見ると、 「ごみ」に見える? 「じゃ」に見える? 見えない。 「じや」に見える。 ということで正解は「一寸まてごみの捨場は川じやない。」 じゃないよね。 「一寸まてごみの捨場は川じゃない。」古い手書きの看板 新しい看板 ちょっと書き方が変わっていた。他にも気になることが書いてある看板もいくつか発見した。STOP 冷水病って何? 「フラボバクテリウム・サイクロフィラム」という病原菌が原因で引き起こされる細菌性の感染症のことらしい。お知らせ "魚族"っていう言葉初めて見た。「遊漁証」について 鮎だけ漢字という…

  • 日本橋タカシマヤセミナーをアップデートする(3)プラスアルファ

    2011年に実施された髙島屋友の会主催の日本橋タカシマヤセミナーで紹介されたマンホール蓋の現存状況は下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 気が付けば、あれからずいぶん経っていた。 色々調べていたら、新しい資料を見つけた。と言っても2012年6月実施された日本橋タカシマヤセミナーの資料なので、今頃ようやく見つけたのかという感じ。なぜ今までの検索に引っかからなかったのだろう?見つけたということは、自分が少しは成長して、そういう時期になったということなのかもしれない。その資料とは、「復…

  • 旧大宮市の旧小字「高間間」の痕跡を電柱に見つける。

    2025年1月27日、さいたま市見沼区染谷付近を探索していたところ、電柱を見上げると「高間間」の文字が書かれていた。 旧町名か? 民家が少なく、探してみたが、表札の痕跡は見つからず。 仕方ない。 電柱だけにフォーカスして探していると、いくつかのバージョンがあった。①高間間バージョン ②「高間間」略字バージョン ③高間々バージョン 書き方は統一はされていないようだ。 手書きのものは書いた人の個性が出るのだろう。 書いた人のサインらしきものも書かれてものもある。 これはこれで面白いものだ。

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ~ 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 後編 ~

    後編は左側に展示されていたもの。 出場者サイン

  • 中央に「E」の文字があるマンホールのふた

    一般的によく見かける模様(JIS規格模様とのこと)のマンホールのふただが、このマンホールのふたの中央には、「E」の文字が輝いていた。 発見日 2025年2月17日 発見場所 東京都荒川区西尾久 マニアの方には珍しいものではないと思うが、初見のものだったので、お披露目することにした。 「E」は電気の英語のelectricityの頭文字か?

  • もしかしたら小田原市で最後の1枚の琺瑯町名看板「国府津町1815」

    「悠久の思い出」さんの神奈川県小田原市の町名看板https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/tyoumei-Kanto.html#Kanagawa の一覧には、浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24、曽我別所808、国府津町1815が現存していることになっている。 現地調査をする前に、無駄足にならないよう、それぞれストビューで確認してみた。 浜町1-2、浜町1-9、浜町4-242019年3月まであり、2022年12月なし → 新しい家又は更地になっていた。 曽我別所8082023年1月まであり、2024年3月なし建物は残っているが、町名看板だけ無くなっている。→ 家主…

  • 東京体育館と国立競技場から見える景色

    2025年3月20日、時間や季節のあるタイミングでないと撮れないものが撮れた。 撮ろうとして訪れたわけではなく、たまたま訪れ、その時間帯でないと撮れないものに出会えた。 東京体育館 国立競技場が切れていて、何となく違和感を感じる写真。 こういうのを何と言うのかわからないが、鏡面仕上げの東京体育館と書かれているものに国立競技場の一部が写っているのだ。 拡大すると、UFOではない、ヘリコプターが写っていた。 作品名「風のように、光のように」 太陽が反射している。このように光が反射する時間帯は、今の季節では短いかもしれない。自動で動いているのかと思ったが、風が吹くと動くようになっているそうなので、無…

  • 東武鉄道千住線跡がある岡田商事に「解体工事のお知らせ」が貼られていた。

    2025年3月22日、一通りの探索を終えたあと、やっちゃば緑道を歩き、東武鉄道千住線跡があるという岡田商事へと向かう。 千住の青物市場の起源は古く天正の頃にさかのぼるといわれ、江戸中期以降は、神田・駒込とならぶ江戸の三大市場であった。往時、旧日光街道に面した千住河原町かいわいは、 「やっちゃやっちゃ」のセリのかけ声で賑わった。この緑道は、市場が昭和十六年に東京市に移管された後、建設された引込鉄道の跡地を足立区が譲り受け整備したものである。昭和五十七年四月吉日 墨堤通りに出て歩道を歩いていると目的地である岡田商事が見えた。 以前もすぐそばを通ったことがあるが、その時は鉄道遺産に興味がなかった頃で…

  • 電力プレート「コウズ- 」とその仲間たち in 神奈川県小田原市

    2025年3月25日の最初の目的地、小田原市国府津。 目的は下記のふたつ。 一つ目は、「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くこと。 二つ目は、国道一号線沿いの出桁造り商家や看板建築を見に行くこと。 初上陸の東海道線国府津駅を降りて、探索を開始する。 一つ目の「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くことを予定していたのだが、駅を出てすぐにあったものに心を奪われしまい、先に二つ目の目的を果たすことにした。その前に、難読駅名のひとつ「国府津」。 読めるだろうか? 小田原市民やマニアの方ならわかるだろうが、一般の方は「コクフツ」「コクフヅ」「クニフツ」「クニフヅ」くらいしか思い浮かばないだろう。 正解は「コ…

  • 壱岐坂通りで"岐"の文字がある蓋に出会う。in 東京都文京区本郷

    今回の探索範囲はこの辺り。 歴史ある坂の説明から入ろう。 壱岐坂(壱岐殿坂) 江戸時代には、社寺や大名屋敷は、ほとんど移転することもなかったので交通の重要な目印となていました。この坂は昔、この地にあった小笠原壱岐守の下屋敷にちなんで壱岐殿坂と呼ばれていました。当時、小笠原家は、九州佐賀県唐津六万石の大名でした。壱岐坂は、白山通り(本郷1丁目20・22の間)から上り、東洋女子短大の所で通称大横町へ至る細い坂道です。 「壱岐殿坂」ともいう。江戸時代からある占い坂である。近隣に屋敷があった武家の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の地誌に「彦坂壱岐守」の屋敷があったことによって名付けられた…

  • 東京都立小山台高等学校に残る東京府立第八中学校時代の正門

    名前からだと期待してしまう商店街「東天地通り GOLDEN TOWN」だが、 完全に名前負けしていて、どこがという感じだった。その後、品川区と目黒区の区界辺りを歩いていたら、古そうな門柱が見えた。 東京都立小山台高等学校の門柱だった。 小山台100周年WEBに旧校舎の正門の写真が載っていた。 門柱が3つある。校名標がある中央の門柱は撤去されてしまったようだ。この元正門が北側にある理由を知らべてみると、 1924年(大正12年)、現校地に旧校舎の一部が竣工した。府立八中が小山の地に決定した経緯は分かっていないが、当時東急目蒲線(現:東急目黒線)が開設目前であり、東京府が今後この地域が住宅地域の中…

  • 横川橋(復興局)→マンホール蓋(逓信省)→厩橋地域安全センター(元厩橋交番)→御蔵前書房

    北千住から秋葉原へと、結構ハードスケジュールの中、移動中にいくつか気になったものがあったので紹介することにしよう。 何度も通ったことがある横川橋 下に見たいものがあったので下りてみた。(それについては、時間の関係で後日再訪することにした。) 橋の下から東京スカイツリーが見えた。 古そうな橋だ。橋名板があるのに気が付いた。 昭和二年株式会社横河橋梁製作所製作復興局株式会社横河橋梁製作所は現株式会社横河ブリッジ、1907年創業。 復興局と書かれている銘板は初めて見たかもしれない。 1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災後、9月27日に政府機関である帝都復興院が設置された。1924年(…

  • 文京区と台東区の区界にある街区表示板

    以前も撮ったことがあるはずだが、2025年2月15日同じ日に出会ったため、区界シリーズの一環として紹介することにした。①ピッタリ寄り添っているもの ②少し離れているもの 他でも撮ったことがあるはずだが、見つけた時に紹介しないと忘れてしまう。 次からは見つけた時に紹介していくことにしよう。

  • 「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋

    今回の対象は「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋。 目撃情報を確認し、それらが現存しているかどうか確認するため、2025年2月17日調査隊を派遣した。 久しぶりの荒川区編となる。①荒川区立八幡児童遊園 所在地 東京都荒川区西尾久二丁目5-9 公園の脇には「八幡堀」と呼ばれる農業用水路跡の八幡堀プロムナードが整備されていた。 北側から 南側から この途中に尾久町のマンホール蓋が展示されている。 尾久 ヲクこの付近は、昭和2年から7年にかけて下水道が整備されました。(北豊島郡尾久町下水道、昭和7年以降は荒川区尾久町)このマンホールの蓋は、この時造られたもので、ヲが9ケで「ヲク」と読ませたユーモア…

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ― 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 前編 ―

    今年も「超体験NHKフェス」を見学してきた。(2025年3月20日) 開催日時:2025年3月20日(木)〜23日(日) 会 場:NHKホール(東京都渋谷区神南2丁目2-1) 紅白歌合戦出場者のサインはコンテンツ一覧に掲載されていなかったので、今年はないのかと思っていたが、入口を入って少し行った所の両側にあった。 出場者一覧 まず右側から 右から左へ、上から下に紹介していこうと思ったのだが、めんどうくさいので、出場者、ゲスト審査員、司会者に分けただけにしておく。出場者 ゲスト審査員 司会者 後編へ続く。

  • たばこ住所看板「江東区東陽一丁目19-10」

    これは目撃情報があったものだ。 ストビューでは確認できたが、果たしてまだ残っているだろうか?発見日 2025年2月27日 まだ残っていてよかった。 表側 裏側 まだ、他にも残っているだろうか?

  • 琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」と電力プレート「コトブキ-19」

    琺瑯町名看板を最初に発見したのは、かなり前のことになるが、記事を書いていなかったのと再会を果たしてきた(2025年3月6日)ので、琺瑯町名看板と電力プレートの同町内のダブル痕跡を紹介することにしよう。①琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」 発見日 2020年2月3日 ②電力プレート「コトブキ-19」 自分のスマホの記録によると初見のものとなるようだ。 発見日 2025年3月6日 歴史 1932年(昭和7年)10月1日千住町が西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。千住町大字寿町から足立区千住寿町に変更される。

  • 「市電灯 NO」の文字がある東京市電氣局のものと思われる角蓋

    東京市電氣局のマンホール蓋は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京市電氣局のものは「市電燈」の文字があるものだけと思っていたが、「市電灯」の文字があるものを発見した。 発見日 2024年3月16日(再訪日2025年3月15日) 東京都千代田区神田美倉町 「市電燈」のものより新しいものと思われるが、自分で調べた限り「市電灯」と書かれたのものはこれしかないようだ。 さあ、ここで気になるのは"燈"と"灯"の字だ。 「燈」と「灯」はもともと成り立ちも意味も違うそう。 灯の右側の「丁」はクギを描いた象形文字で、ぶつかることをあらわし、灯は固定された…

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