2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
横浜市の境界石のことを調べていたら、「居留地境界石」「道路境界石」「敷地境界石 」という3種類の馴染みがない境界石が存在していることを知った。 まず横浜の居留地のことを少し調べてみた。 1858(安政 5)年にアメリカなど列強との間で締結された通商条約に基づく開港場のひとつとして幕府によって横浜は開港され、外国人が住んで商売をする場所として居留地を設けることになった。 1862(文久 2)年 、神奈川奉行所は居留地(バンド)全体の図面を作成し、これに地番をつけた。1867(慶応 3)年には、山手地区(ブラフ)が居留地に加えられ、やはり同様に地番がつけられた。山手居留地はBLUFF「〇」番地と表…
創業が1879年(明治12年)で、2022年8月25日に閉店した老舗飲食店に付いていた。 発見日 2024年7月29日 風俗営業の看板は特に珍しいものではないが、このような大判タイプのものは珍しいかも。 風俗営業というと性風俗をイメージしてしまうが、調べてみると様々な種類があった。接待飲食等営業 1号営業 料理店、社交飲食店定義キャバレー、待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食させる営業 2号営業 低照度飲食店定義喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、客席における照度を10ルクス以下として営むもの(前号に該当する営業を徐く。) 3号営業 区画席飲…
武蔵野の森公園に展示されている「旧陸軍100式輸送機2型プロペラ」
以前下記の記事で武蔵野の森公園に展示されている掩体壕を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com ネットで調べ事をしていたら、武蔵野の森公園に旧陸軍輸送機のプロペラが展示されていることを知った。 以前訪問した時には、既に展示されていたと思われるのだが、その時はまたその存在を知らなかった。 訪問日 2024年9月19日 武蔵野の森公園正門 武蔵野の森公園案内図 武蔵野の森公園管理所 受付で見学票に記入する。まず、展示されていたパネルから見ていこう。旧陸軍 100式 輸送機 2 型プロペラについて このプロペラは、太平洋戦争中に旧日本陸軍の主力輸送機として使用され…
2024年9月24日、馬車道十番館を探すために馬車道通りを歩いていたのだが、見つからず。 一応調べたはずだなのだが・・・。 どこにあるんだ? この日はあまり探す時間もなく、時間切れとなり、翌日再訪することにした。 家に帰って調べ直したところ、隣の六道の辻通りにあることがわかった。 その前に調べた時もわかっていたはずだが、先入観で馬車道通りにあると思ってしまったのだ。 きっと。2024年9月25日、六道の辻通りにある馬車道十番館に到着。 この写真を見ただけで、見所満載だと思うが、が、人の出入りが多く、写真を撮るタイミングが難しかった。 入口付近で写真を撮る夫婦。 早くどいてくれないかなあ。 ふと…
ブラック・ジャックとピノコのモュメントとマンホール蓋 in 東京都東久留米市
東久留米市のことを調べていたら、「ブラック・ジャック」関連のものがあることが分かった。 2024年6月30日にテレビ朝日系で放送された高橋一生主演のドラマが記憶に新しいところだ。 東久留米市と東久留米市商工会では、令和2年の市制施行50周年記念事業として、「ブラック・ジャック」に登場するキャラクターをモチーフとしたデザインマンホール蓋5枚とモニュメント(銅像)を製作、設置した。それらに出会うため、2024年8月19日、20日の2日かけて、東久留米駅西口から探索を開始する。 1日でもこれらだけをターゲットにすれば回れたのだが、いつものように寄り道をしながらだったので、2日がかりになってしまった。…
所沢市には、何回か訪問しているのだが、今まで、電力プレートを発見することが出来ていなかった。 今回ようやく発見することが出来た。 発見した場所も探索したことがある場所なのだが、気が付かなかったみたい。 どこに目を付けていたんだろう。発見日 2024年9月17日 発見場所 埼玉県所沢市下新井 「シモアライ」でもよかったと思うけれど。 所沢市には「新井」が付くものが他に「上新井」「中新井」「東新井町」「西新井町」があるのだけれど、それぞれどうなっているのだろう? 「カミアラ」、「ナカアラ」、「ヒガシアラ」or「ヒガアラ」、「ニシアラ」かな?
今更であるが、港区三田に東京市電氣局のマンホール蓋が存在しているとの情報を知り、探しに行くことにした。 しかし、情報が古いため、現地で確認するまで現存しているのかわからない。 ストビューで確認したので、大体の位置は分かっていた。 2024年9月16日、田町駅東口を三田警察署方面に向かって歩いていく。 あった! 横断歩道そばにあるのだが、交差点の中なので、信号が変わらないと近づけない。 撮るタイミングが難しい。結構摩耗しているね。 紋章をアップで撮るも、摩耗しているからかうまく撮れない。 満足した写真は撮れなかったが、現存を確認できたので良しとすることにした。辻の札橋の左側の歩道を上っていく。 …
高崎芸術劇場の楽器デザインマンホール蓋 &『高崎芸術劇場 × 布袋寅泰』ギタリズム柄マンホール蓋
2024年8月26日、お隣の前橋市の最高気温だが35.9℃の猛暑日。 高崎市最初の探索目的は布袋寅泰コラボのマンホール蓋にしていた。 高崎駅東口から高崎芸術劇場までペデストリアンデッキを歩かず、歩道を歩く。 歩道には高崎芸術劇場の楽器デザインマンホール蓋が設置されていた。 トロンボーン バイオリン ホルン ピアノ あれ、チェロがない。 どこにあったんだ? 見落としてしまった。高崎芸術劇場近くまで来た。 布袋寅泰コラボのマンホール蓋はこの歩道の先にあるようだ。 あった! 設置されたのは2019年10月11日。 上半分は、布袋のトレードマークとして知られる白黒の幾何学模様『ギタリズム柄』。中ほどは…
2024年9月17日、ちょうど1年ぶりくらいに所沢市を再訪する。 暑い、最高気温34℃だった。 久しぶりにばてた気がする。 この日の総歩数23,700歩、距離15.879mなので、それほど歩いていないのだが、ここにきて猛夏バテかも。 なので、この日は少し早めに切り上げて、帰途に着いたのだった。 そんなへとへとになりながら、収穫したもの。所沢市警察署管内防犯協力會々員之章 「所」や「之」の異体字が見つけられない。防犯協力会々員之章 これは新しいもの右 愛国婦人会 佩有功章特別會員 左 埼玉縣衛生協會員 「佩」は音読みだと「ハイ」。 意味は、 ①おびだま。腰に下げるかざりの玉。「佩玉」 ②おびる。…
多磨霊園前の通りには老舗の石材店が立ち並んでいる。culture house148ゆめたま(玉川石材旧本館) 創業年:1897年(明治30年) 建築年:1928年(昭和3年)木造2階建入母屋造、桟瓦葺 2023年には、『カフェ』『レンタルスペース』『自主学び場』『フリースクールTAMAユースセンター』『民間学童保育TAMAキッズセンター』という5つの機能が一体となった場所となった。太田家 右書きで「御案内休憩所」とある。 二色のモルタルで飾った間口の広いファサードが特徴的。大きな霊園付近では歴史がありそうな石材店もある。近代建築の分類としてはカテゴライズされていないようだが、独特の建築様式で、…
2024年9月14日、探索を終えて、帰宅途中に港区芝にある日本電気本社ビルに立ち寄る。 土曜日だったので、社員の姿もなく、人が入ることなく正面から写真を撮ることができた。 NECスーパータワーとひかり門 NECスーパータワーは、上に行くに従って段階的に細くなる3段ロケット型で、ビルの中ほどに大きな風穴があるのだが、下から見上げても、風穴は見えないね。 愛称「NECスーパータワー」の由来は、「超高層ビルで初めてスーパーフレーム構造を採用し、次世代のインテリジェントビルという意味でのスーパーであり、隣接する東京タワーのように上に行くほど細くなるタワーのイメージの組み合わせ」とのこと。 高さ180メ…
武蔵野鉄道引き込み線跡(たての緑地)で「旧中島航空金属田無製造所」の境界石を探す
2024年8月19、20日、ブログ開設3周年を迎える前の日と迎えた記念の日、東京の最高気温34℃台とほぼ猛暑日の中、東久留米駅から探索を開始した。 実は18日時点ではここの存在はあまり知らず、19日はほぼ逆走しただけで、家に帰ってから、ネットで事前調査し、20日、現場にて実施調査に臨んだのだった。 ここのことは多くの方が詳細に書かれているようだ。なので、自分はほとんど触れられていないと思われる「旧中島航空金属田無製造所」の境界石の探索をメインにすることにした。引き込み線の築堤と送電線。 当時の引き込み線の場所を、今は送電線が走っている 築堤は西武鉄道の所有となっている。橋の先の左側に築堤が続い…
新町八坂神社にある滑り台を占拠していた巨大なコモドドラゴンとヤモリ
2024年9月9日、高崎線の新町駅を降り、旧中山道付近を探索していた。 旧中山道沿いに土蔵造りの社殿がある新町八坂神社に立ち寄った。 最初目についたのが柳茶屋の芭蕉句碑 しかし、今回のメインは神社や芭蕉句碑ではない。 上の写真でも見え隠れしているものがメインなのだ。滑り台の上に何かが見えた。 ギョギョギョ!正面 なんと、巨大なトカゲが、滑り台の階段を上っていた。 これは大変だ。 子どもが来たら襲われる~。 通報レベルだ ! なんてね。 それにしてもよく出来ている。 大きさは2mくらいあるだろうか。後ろ姿 真上 爬虫類嫌いの人は近寄れないかもしれない。何故ここにいるのだろうとネットで調べてみたが…
以前も何回か訪れたことあるところだ。 本光寺脇の道を進んでいく。 擁壁を抜けると 元麻布二丁目のスリバチ地形にある住宅地が広がっている。 下の地図だと宮村児童遊園付近 以前来た時より新しい住宅が増えたような気もする。 地図に載っていない川跡の路地からも行けるようなのだが、入口付近にいつも警察官がいてまだ入れていない。住宅地の入口にレトロ電柱が佇んでいた。 まだ現役だ。 後付けされた照明が日中なのに付いていた。上部の装飾1 上部の装飾2 下部の装飾 鈍い銀色の塗料が結構残っていた。少し先に行くと町会の掲示板があった。 その裏を見ると、約50cmほどの長さに切断されたレトロ電柱らしきものがあった。…
2024年9月10日、14日 まだまだ暑い日が続く中、久しぶりに六本木付近を探索する。 たまに通る道なのだが、今まで気が付かないものに出会った。 以前通った時は、まだ興味がなかったのかもしれない。 そういうものが段々増えていき、ブログのカテゴリーも増える一方だ。ここは麻布警察署交差点付近の名も無き坂。 建物もいい味出しているのだけれど、今回のターゲットは擁壁なのだ。 下の写真は上の写真と同じように見えるかもしれないけれど、違う日に撮ったので、日の当たり方が違うのよ。 微妙な違いに気が付いてくれると嬉しいわ。 これは、ガンタ積みと呼ばれ、自然石、レンガ、コンクリートがら、モルタルなどの廃材が組み…
現町名「高崎市あら町」の旧町名は「高崎市新町」 はて?・・・なるほど!
高崎市の町名を調べていたら、平仮名混じりの「あら町」という町名があり、その町名に旧町名があることがわかった。 それは「新町」。 な~に~。 ということで、湘南新宿ライン特別快速に揺られ、調査に向かった。発見日 2024年8月27日 発見場所 群馬県高崎市あら町旧町名の痕跡達 表札 町名表示板 ビル名 まず「あら町」の歴史を辿ってみることにしよう。 現高崎市あら町(旧高崎市新町) 江戸時代頃からの地名で、高崎城の城下町の1町だった。中山道が町内を通過していたため、慶応年間から伝馬宿、寛永9年から問屋を勤め、本町・田町と並んで高崎城下三伝馬町の1つとなる。地名の由来 町名は、和田氏が城主であった時…
旧町名「船橋市小栗原」の痕跡を探していたら、隠れラスボス「千葉縣船𫞏市小栗原」に遭遇する。
船橋市立小栗原小学校。 この小学校の校門付近に「旧町名保存銘板 小栗原の地名」があった。 夏休み中なので、写真を撮るのも気が楽だ。 ここ「本中山」の地は、もと「小栗原町」といった。遠く平安時代の「下総国葛飾郡栗原郷」に由来する由緒ある地名だったが、時移り昭和四十二年及び四十九年の住居表示の実施によりその町名は消えた。改変の理由は、中山法華経寺の門前町に由来する「中山」が広く一般に通用していると共に、中山の地は元来は船橋市域に存していたとの意見があって、「本中山」という町名になった。小栗原村、又は栗原郷の名が歴史上、特に有名になったのは、江戸時代の始め、徳川家康の側近で、のち尾張の犬山城主となっ…
2024年9月3日、京成津田沼駅の南口側の探索を済ませ、特に目的のものがあったわけではないが、北口方面へ行ってみようと思った。京成津田沼駅北口周辺の地図 今回の紹介するものは、この地図の一番下にある道沿いにあるものだ。京成津田沼駅の踏切を渡ると踏切脇に「御大典記念道」と刻まれた石碑が建っていた。正面 右側面 昭和四年二月右側面下部 三代川甚右○と刻まれているように見えるが、全部は読めない。 そういえば市内のあちこちで「三代川」の表札を見かけたような気がする。左側面 悪い癖だ。 刻まれている文字を書き起こしてみよう。 昭和三年十一月十日御即位大礼行〇津田沼町民為記念之新設工費四千六百八十二円〇担…
總持寺方面から「やすらぎのこみち」を歩いていく。 発見日 2024年8月23日 発見場所 東京都西東京市田無町三丁目右側の路地の先を見ると、レトロ電柱が立っているが見えた。 1本目の路地 ① これは役目を終えていた。上部の装飾 ここのは下部の土台がどっしりしている。 ② ちょっと右に傾いている。 これは現役。プレートが取り外された跡 上下に穴が残っている。電力プレート付き 下部 2本目の路地 ③ 写真を撮ろうとしたら、「何しているんですか?」と窓から顔を出したおじさんに声をかけられた。 「電柱の写真を撮っているんです。」 「電柱の写真?家の中を撮っているんじゃないの?」 「違います。」 「そう…
今回は、久しぶり~の東京23区内の旧町名の話題となる。旧町名「芝白金三光町」については、2年以上前のことになるが、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 久しぶり~に白金商店街を歩いていたら、店先の表札が目に入った。 旧町名「港区芝白金三光町」のものだった。 以前見たことがあるものか、その時は分からなかった。 家に帰ってから調べたところ、上の記事で紹介していない初見のものであることがわかった。発見日 2024年9月10日 発見場所 東京都港区白金一丁目 今までで一番若い番号だった。1969年(昭和44年)1月1日「住居表示」の実施により、麻布新…
JR津田沼駅付近は開発されていて見るべきものがほとんど見当たらないが、京成津田沼駅付近は、自分が興味を持てるものがいくつか点在するところだった。 2024年9月3日、そんな京成津田沼駅付近を探索していると、大好物のひとつであるレトロ電柱を発見することができたので、紹介することにしよう。 ① ワイがや通り沿いを歩いていると、アーケードがなくなった辺りで1本目のレトロ電柱を発見した。 発見場所 千葉県習志野市津田沼七丁目 大通りに面しているのにもかかわらず、よくぞ残っていてくれた。 裏側を見ていたところ、何か動くものがいた。 ヤモリだった。 写真を撮ろうと思ったが、逃げられてしまった。 このレトロ…
訪問日 2024年8月29日、9月2日北小金駅南口にある本土寺参道 平賀 本土寺道 是ヨリ八丁右側面 文化五戌辰三月吉祥日 文化五年は1808年左側面 小金町講中日蓮宗三長三本の一つ長谷山本土寺の参道は現在では常磐線で切断されていますが、本来この地点より始まり、右に水戸街道左に本土寺参道となります。北小金駅方面 北口の本土寺参道 参道を歩いていると木製電柱らしきものが見えた。 日蓮宗三長三本の一つ長谷山本土寺の参道です。長さ約四五〇mあり、両側に植えられた松、杉の古木は、水戸光圀が寄進したものといわれています。よく見ると木ではなかった。 表面は杉の木肌模様。 製品名は「擬木ポール」と言うらしい…
2024年9月3日、習志野市津田沼付近を探索していたところ、気になる名称の公園があった。 久々田公園 「久々田」は旧町名かもしれない、とその時は思った。探索を継続していると、「津田沼町」時代の旧町名を発見! 先ほどの公園と同じ「久々田」だった。 事前に調査した限りでは、町が取れた町名しか確認できていなかったので、これはうれしい発見だった。 「沼」の字が変。 番地が書かれていない。 と、ツッコミどころのあるこの表札。 でも、歴史を感じさせる文字だ。 「久々田」は「くぐた」と読む。歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行にともなう明治の大合併により、千葉郡北西部の谷津村・久々田村・鷺沼村・…
西東京市にあるフラワー通り商店街で個人的西東京市遺産を発掘する。
2024年8月24日、西東京市を探索途中していたところ、商店街にぶつかった。 何でこんなところに商店街が、というようなところにある。 西武池袋線のひばりヶ丘駅と西武新宿線の田無駅の間あたりにあるのだ。 シャッターが閉じられた店が多い、どこの商店街でよく見かける風景。商工案内図 フラワー通りが載っている。 上の手書き感たっぷりの商工案内図が好きなので、見かけると大体写真を撮っている。フラワー通り案内図 ここに書かれている商店はいくつ現存しているのだろう?「本物です」と書かれている郵便ポスト 右側に商品が野積みで並べられ、左側はたばこの自動販売機。 中々「本物です」なんて書かれている郵便ポストにお…
探索している時によく見かけるものもあったが、初めて見るものもいくつかあった。発見日 2024年8月26、27日電話番号プレート あまり見かけたことのない3桁のもの 上の4桁の方が古そうだが、3桁だから、こちらの方が古いのかな。左側は「醫藥品販賣登録店」と書かれているように読める。 旧字体と右書きなので、戦前のものかもしれない。右側は健康保険?、左側は右書きで「高崎市」と書かれていると思われる。 どちらも古そう。右側は「在郷軍人○○○○」、左側は8角星のマーク。 あかぎ国体歓迎 1983年に群馬県で開催された第38回国民体育大会右側は高崎市の下水マーク マンホールでもよく見かけたマーク。配線需用…
2024年9月3日 この日の最高気温は27.9℃、最低気温は23.0℃(船橋市)。 久しぶりに暑くない日だった。 JR津田沼駅に着き、外に出ると雨が少し降っていた。 傘をさすほどではないが、強くなるかもしれない。 いつも折りたたみ傘を持っているのだが、先日骨が折れ、その骨が、生地を貫き、穴が開いてしまっていた。 一応、セロテープで補強したが、買い替えの時期だ。 駅前にイオンがあったので、晴雨兼用傘を購入。 UNISEX WIND RESISTANCE FOLDING Wpc. 今まで買った中で一番高い傘。 と言っても3千円台だけど。千葉県津田沼市、 ではない、 ありそうだが、そんなのはなかった…
2024年9月2日、風が強い中、馬橋駅西口から探索を開始する。 日傘が風にあおられ、すぐひっくり返る。 だめだ。 日傘を差すのを諦めた。 直射日光が熱い。 暑くもあるが、刺すように熱い。 できるだけ日影を歩くようにする。探索していると、字名が書かれている表札を発見した。 しかし、駐車場の前で、ちょうど車の出入があったので、見るだけで、先を探索してから戻ることにした。 戻ると、人気が無くなっていたので、無事撮ることができた。 松戸市は住居表示制度を行っていないが、上のようなプレートが設置されている。 「馬橋」は馬橋駅の東口側に現存している町名だが、西口側は1990~1991年に町名地番整備等によ…
2024年8月31日、ワイがや通り(京成津田沼駅南口から国道14号線まで、まっすぐに伸びる約500mの歩道)の左側を歩いていると、右側の歩道に説明板らしきものが見えた。 こういうものが見えると確認せずにいられなくなる。なんだこれは? 随分いろいろなところを探索しているが、初めて見るものだ。 正面 左右注意と刻まれている左側面 徐行と刻まれている。 右側面も同じだが、木が邪魔で撮らなかった。裏面 次のように刻まれているように読める。 津田沼町交通事故防止會 昭和十年十二月十六日建真上 右上と右下が少し欠けている。説明板 昭和10年、まだ信号機もない時代に、千葉街道(国道14号)と県道(ワイがや通…
かなり前、紫陽花の季節に来たことがあるが、季節外れの今、特に当てがあった訳ではないが、2024年8月29日、折角近くに来たので、お参りすることにした。 足元もあまりよくないので、本堂まで行って引き返す。五重塔 以前来た時はなかったような気がするが、趣のある建物なので、外から見学してみることにした。実相閣 実相閣縁起 平成十八年(二〇〇六年)は戦後六十年となる年で、先代・山田日永貫首に招かれて現六十世河上順光がお手伝いに参ったのは今より五十五年前であります。明治以来神の国は亡びないと謂う日本国の考えは原爆投下と同時に消え去ったが、山河は残り、田畑は毎日作物を生産できたのであります。当時戦争中より…
海神西広場(旧:海神西児童遊園)にある芸術的なコンクリート遊具
龍神社に併設されている公園にアート作品のような遊具が設置されていた。訪問日 2024年8月5日 訪問場所 千葉県船橋市6丁目19-31964年(昭和39年)に設置された船橋市で一番古いとされるコンクリート滑り台 正面 右側 左側 裏側 ジャングルジム? 2021年11月現在だが、船橋市内にこのようなコンクリート遊具は26箇所あるそうだ。 他にはどのようなものがあるのだろうか? 探してみたくなる。
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2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
現町名のものばかりだが、成田山へ向かう参道などでいくつか出会うことが出来た。 ①カミマチ-5 下のような町名プレートが電柱に貼られていた。 電力プレートには「カミマチ」となっているが、町名プレートのように「カミチョウ」が正しい読み。②サイワイ-1 ③ハナサキ-2 「ハナサキチョウ」だと思っていたが「ハナザキチョウ」と濁るんだね。 歴史 成田山新勝寺の日記には、台町・仲町・本町・田町の4町の地名が見られる。 江戸時代末期には台町から横町(幸町)が分かれ、台町は上町になる。 明治時代になって本町から砂田(東町)が分離した。明治22(1889)年、成田町ができた当時はほとんどが山林だった場所に、明治…
現在もネタ探しに日々奔走中だが、最近、過去撮った写真からもネタ探しを始めた。 そうしたところ、下記の記事で紹介した仲間が川崎市にいることが分かった。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 緑のおばさん?婦人警察官?の頭がなくなっていた。 どうして取れてしまったのだろう これはこれで恐怖だ。 上の記事の頭がある状態の写真 頭がある方が怖いかもしれない。発見日2020年10月23日
横浜市電保存館 2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。 入館しようと思ったら、現金のみだった。 あまり現金を持っていることはないので、入館できず。 常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。 少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。 入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。 横浜市電最後のポールだった。 このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大…
2025年6月7日、探索を終え、大泉学園駅に向かう途中、玄関付近に付けられている青いプレートが目に入った。 近寄って撮りたかったのだが、びびってしまい、道路からしか撮れなかったこの日。 小さい文字だが、"中村町"と読める。 上に書かれている文字が確認したい、再訪を決意する。 2025年6月9日再訪して、近くに寄って撮影する。 上に右書きで"東大泉町"、はっきり"中村町"と書かれているの確認できた。 上にあるプレートは何のプレートかわからないが、右書きで"大泉"と書かれていた。 右書きなので、戦前の板橋区時代ものかもしれない。 ここは東大泉だ。 中村町は現在中村1~3丁目になっていて、ここから随…
牧野記念庭園の常設展示室に展示されていた年賀状。 中央下に顔写真、その周りに似顔絵、植物図、歌が書かれている。 ここに書かれている内容を書き起こししてみた。 恭賀新禧 昭和十一年丙子元旦 元日口占 あんた芽出たい わたしもさうよ ともに迎へる御代の春 あちの本こちの草の根 齧らんと 歯を研ぎすます ひのえ子の年 結網子 ねずみのを鼠の尾 長いものには巻かれろカ、イヤ反対に巻いてやればよいワ ねずみもち鼠もち ハハア鼠が持つというのカ、鼠矢(クソ)などと言うなヨ〇〇が〇りいヤ ※ 丙子:ひのえね 口占:その場で口ずさんで作った詩 結網子(けつもうし):牧野博士の号住所が「東京市板橋區東大泉町」 …
2025年6月14日、探索途中に、公園が見えた。 日暮里公園だった。 初めてではないかと思うのだが、今回、何か書かれているものに気が付いた。 こうような旧町名関連のことが書かれていると、記事を書きたくなってしまう。 日暮里公園の記 その昔、現在の日暮里の大部分は「新堀」と言う地名で呼ばれていました。15〜16世紀の古文書にもこの地名がみられ一説には地元の土豪が屋敷にはりめぐらした掘りを人々がニイホリと呼び、この地の代名詞となったと言われます。江戸時代、高台の道灌山・諏訪台からの眺望が「春秋の景色、日の暮るを忘れる」景勝の地として知られるようになり、“ひぐらしの里(日暮の里)”とも呼ばれるように…
ネットて調べていたら、面白いものを見かけた。 番地が書かれていたので、板橋區時代の古地図で拡大鏡を使って番地を探し出す。そして、グーグルマップとその場所を照らし合わせたところ、おおよその場所がわかった。 次はストリートビューのお出ましだ。 この道沿いにあるだろうというところを探してみる。 すぐには分からなかったが、見つけることが出来た。(左下) しかし、問題はストリートビューの日付だ。 最新が、2022年6月となっていた。 ちょうど3年前だ。 残っているだろうか?2025年6月12日、武蔵関駅から探索を開始する。 現場付近に到着。 ない! ストリートビューで確認したところに、ない! 周辺をキョ…
2025年6月23日、この日は群馬県館林市を再訪する予定にしていた。また、大宮で、快速が10分程度遅れていた。なので、定刻通りに来た普通に乗ることにした。途中、蓮田で快速と待ち合わせするとのアナウンスがあり、快速の方が早く東武線の乗換駅の久喜に着くというので、東大宮で快速に乗り換えることにした。これが失敗だった。座れたので、寝てしまい、気が付いたら、次は古河とのアナウンスがあった。どうする? 調べてみると、館林に行くより、宇都宮に行く方が少し早く着くことが分かった。しかし、交通費は約倍。どうする?でも、近いうち、宇都宮に行こうと思っていたので、下調べの意味もあり、宇都宮に決定!とはいえ、何の情…
「高幡」は現存している町名だが、「大字高幡」は現存していないようなので、旧町名でもいいのかなと思ったが、小字町名扱いにしている。 発見日 2025年6月5日 発見場所 東京都日野市高幡 "別旅"、何となくいい感じの表現なので、単語があるのかなと思って調べてみたが、なかった。小字"別旅"の痕跡が残るのは、この公園だけだった。 別旅公園 別旅は若宮神社のあたりの小字名です。その昔、高幡不動尊の脇侍(わきじ)、矜羯羅(こんがら)・制吐迦二童子像(せいたかにどうし)を作った旅の僧がいました。村の人々はたいへん喜んで、僧が村を去る時皆で見送ったのですが、この地まで来て忽然と姿を消してしまいました。村の人…
以前下記の記事で蓮田市にあったゴミ捨て注意ポスターを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com お隣の県「群馬県館林市」にその姉妹がいた。 顔全体ではなく目の部分だけだが、すぐピンときた。 あの子だ! 群馬県にも越境していたのだ。 びっくりぽん!撮影日 2025年6月19日
当ブログでは小字町名も収集アイテムのひとつとなっている。 その理由は、現存している町名でも小字付きのものは圧倒的に少なく、レア感があるためである。発見日 2025年4月28日 ①川越市藤間西裏下 "大字"と"字"が省略されている。②川越市大字藤間字西裏下 文字以外は錆びだらけ。 文字まで錆ていて読めないものが多いが、これは状態がいい。 もしかしたら、錆の上に書いたのかな?"西裏下"の由来を調べてみたが、分からなかった。
2025年5月29日、「第2回横須賀市琺瑯町名看板探索プロジェクト」を実施することにした。ストリートビューで事前調査を実施したので、所在地はバッチシだ。しかし、現存しているのだろうか? 自分が持っている地図には載っていない場所だったので、Mapionの地図を印刷していった。 京急線「汐入駅」から探索を開始する。 現地に着くまでスマホの地図アプリを多用した。 ストリートビューでは坂道があまり実感できない。実際に行くと、えっ?ここ上るということも少なくない。車が通れなさそうな上り下りの道も指示され、やっとの思いでたどり着いた。 それにしても、よくこんなところに住宅地を作ったもんだ。横浜市も川崎市も…
前日のこと、明日はどこへ行こうかと悩んでいたところ、群馬県館林市が浮上した。1時間くらいで行けるし、交通費も片道847円とそれほどかからない。館林市のことを調べてみると元城下町、見所もありそうだ。ということで、6月の猛暑の中、出動することにした。 大宮駅で乗ろうとしていた11時40分発の快速が20分遅れとのこと。次の11時45分発は定刻通りに来たので、それに乗る。当初予定より15位遅れて着いたが、問題ない。 駅を降り、日傘を差して、さあ、探索開始。旧町名の発見は期待していなかったが、いくつか見つけることが出来た。発見日 2025年6月19日 発見場所 群馬県館林市仲町 旧町名標示板 大手門に縦…
したみち通りを歩いていると建物にナンバーくんのプレートがあるのに気が付いた。 こんなところに、と驚きを隠せない。 近くに寄ると、牧場らしい強烈な臭いが漂ってきた。 しかし、そんな臭いくらいではひるまない。 珍しいタイプのものだった。 このタイプのものは、以前紹介した下記に続いて2例目だ。(たぶん) citywalk2020.hatenablog.com 上部 この地域の郵便番号は177。 下部は広告主。 丸井林。今はなく、その後、「ファッションパーク ベベ」になったそうだが、それも2025年2月20日に閉店してしまったそう。 本当に牧場だった。 奥の方に牛さんが見えた。 帰ってから調べてみると…
2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…
紫陽花の季節はもう終わりだが、当ブログではまだ続いている。撮影日 2024年6月8、10、11日 紫陽花の季節なので、人出が多い日もあったので、他の探索と組み合わせて、3日間も通ってしまった。 他の紫陽花の名所に行けばよかったかもしれない。 でも、このような橋と紫陽花が一緒に撮れる場所はここだけなので、結果こうなってしまった。飛鳥の小径 飛鳥山下こ線人道橋王子駅ホームから 橋の上の構造 アーチが美しい。 東京都北区王子1丁目でJR東日本東北本線および東北貨物線を跨ぐ人道橋である。京浜東北線王子駅南口と隣接する飛鳥山公園を結ぶ。1925年(大正14年)竣工で、日本国内に現存する数少ない古レールを…
初訪問日 2020年3月23日(再訪日2024年5月2、9、14日)槐戸橋から 対岸から 藤助河岸跡 蒲生の一里塚 綾瀬川右岸 舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 俳人 高浜虚子 この句は高浜虚子が綾瀬川を舟で下った時の作品と言われている。虚子の句が掲げられている反対側のプレート そうかふるさと歩道 川が培ったふるさとのまち 綾瀬川コース(5.5km) 左岸 蒲生大橋「日光道中分間延絵図(文化三年一八〇六年完成)」によると、この橋は、大橋土橋と記されており、長さ一二間四尺、幅二間一尺、綾瀬川に架けられた土橋で、御普請場。足立郡と埼玉郡の境と解説されている。昭和五一年八月に永久橋に架替された時の橋歴書…
都電荒川線の架線柱の中に、柱が緑色に塗られ、先端にタマネギ型の装飾が付いたものがあるらしい。 知ったからには探してみたくなるというのは当たり前のことだろう。訪問日 2024年6月13日それらは荒川二丁目駅周辺にあるらしい。 ①荒川区役所東交差点付近の踏切 架線柱 荒区30号 あっ、これね。 確かにタマネギ型になっている。 カワ(・∀・)イイ!!~、かも。②荒川二丁目駅の先 2本並んでいる。 荒川自然公園の坂の上からちょうどよく見える。 荒二 8号 荒二 6号 荒川七丁目駅から荒川区役所前駅までの間を探してみた。 緑色の柱は何本かあるのだが、先端があるものは紹介した3本しか見つからなかった。荒川…
2024年6月15日、浅草四丁目の路地を歩いていたところ、役目を終えたレトロ電柱を発見した。 下から見ていこう。特に装飾もなく、シンプル.。 裏側に製造メーカーが書かれているのだが、塀と電柱の隙間がほとんどなく、確認できなかった。 正面のプレートには「浅草三業地(象潟二)」と書かれていた。 「象潟二」は「象潟二丁目」のことだと思う。「浅草象潟二」となっていないということは、もしかしたらこのレトロ電柱は戦前から存在していたもの? この辺りは戦災を受けているので、戦前の建物は残っていないが、コンクリート製なので残ったのかもしれない。上部には球形の装飾が残っていた。 周辺を探してみたが、これ1本しか…
以前もこの辺りは探索したことがあるのだが、探索したことをすっかり忘れていた。 この出桁造りの古い商家も記憶がなかった。訪問日 2024年6月22日 訪問場所 東京都墨田区東向島萬屋糸店 かつては婦人用品や糸類を扱っていたそう。レトロ感満載のたばこ売り場が併設されている。 この曲線のフォルムが素晴らしい。書かれている文字のフォントもいい味出しているじゃあーりませんか。 “Cigarettes”は筆記体。 平成からは筆記体が必修でなくなったそう。 ということは、今の子は書けない?斜め書きの「たばこ」がシャレオツ(死語かな?)。 2020年1月6日はまだ営業中だった。 山田屋酒店 酒屋にあれの自動販…
2024年6月22日、四ツ目通りを歩いていたところ、駐車場の奥に何か気になるものが見えた。 近寄ってみると、これだった。 見たことがあるものだと思ったのだが、過去の写真を調べてみると、撮っていなかったことがわかった。 なので当然記事にもしていなかった。 と言うことは初見のもの? こう言い切れるかわからないが、そういうことにしておこう。「吾嬬町西」の痕跡が他にもないかと探していたところ、下記の看板の存在を知り、ストリートビューで確認してみる。 あった。 ここからは2024年6月24日のことになる。 現地に確認しに行くが、あるはずの場所がなかなか見つからない。 たどり着いていたのだが、ストリートビ…
旧町名「台東区入谷町」の痕跡については、過去2回下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 探すつもりもなく、歩いていると、「台東区入谷町」の表札と電力プレートを見かけた。 もうさすがに新たなものは見つからないだろうと思っていたのだが、撮ったか撮っていないか覚えていないので、念のため撮っておいた。 家に帰って調べてみたところ、すべて初見のものであることが分かった。 これらは、路地とかではなく、普通の通り沿いにあった。 この辺りも探索したことがあるはずなのだが、見落としていたということになる。 …
さいたま市浦和区前地にある鉄塔の下にあじさいが咲いているところがあった。 芝川線というらしい。 鉄塔を見上げる。 アジサイショートロードには、 色とりどりの紫陽花が咲いていた。
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 最近、新たな発見が続いていて、このパターンが続いている。 探し尽くしたと思っていた台東区にもまだ旧町名の痕跡がいくつか残っていた。①台東区浅草田中町一丁目十番地 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区東浅草二丁目 ②台東区浅草田中町二丁目二番地 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区日本堤一丁目 このパターンの住所プレートは2例目。 今回のものは、劣化していて読みにくくなっているが、何とか読めるだろう。地名の由来 この辺りは古くから水田が広がる土地で、町域は田の中だったことから俗に「…
「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH島乗っかり企画として、NTT技術史料館に訪問して、下記の記事を書いた。 citywalk2020.hatenablog.com 2024年6月16日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!」~ 激闘111日DASH島に電話完成700m先と通話なるか ~ の番組の内容の一部は、 ロープウエーの終着駅から舟屋までの全長700メートルをつなぐ「DASH島 電話計画」もいよいよクライマックス。その完成を目前に控え、国分太一(TOKIO)は、屋根のない終着駅でも雨風をしのげる電話ボックスを製作。島でかき集めた材料で、使い勝手と見晴らし抜群の電話ボックスを作り上げた。…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①下谷區上根岸一七番地 発見日 2021年3月27日 発見場所 東京都台東区根岸三丁目 文字が薄くなっていて、町が抜けているが、下谷區時代の貴重なものだ。上野桜木から橋を渡ってきたのだが、この辺りを訪れたのは初めてかもしれない。②上根岸町99 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区根岸二丁目 区名が書かれていないので、下谷區時代のものか台東区になってからのものかわからないが、見た目には台東区になってからのもののような気がする。旧町名由来案内 呉竹の根岸の里は、上野山を閉経にした田園風景と清流音無川…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①台東区浅草象潟町三丁目 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区浅草五丁目 この表札は2015年6月13日放送に放送された「タモリ倶楽部 ~旧地名ハンター・ツアー浅草編」で紹介されたことがあるそうだ。②台東区浅草象潟一丁目 次に紹介するのは初めて見るタイプの住所プレート。(この時は初めてだったが、後で同じタイプの住所プレートを発見することになる。)発見日 2024年6月15日 発見場所 東京都台東区浅草四丁目 琺瑯製ではないようだ。 「台東區」はマジックで書いたような感じで、「合東區」に見える。 「…
2024年6月17日17時頃、当ブログの累計アクセス数が、10万アクセスを達成しました。 月10万でも年10万でもありません。 2021年8月20日にブログを公開してからなので、約3年です。 予定では7月に達成できるかなと思っていたのですが、1ヶ月前倒しで達成することができました。 自分的には、公開当初は考えてもいなかったことなので、とても感慨深いです。 ということで、また調子に乗って記事を書いてしまっています。 まあ、このようなことで記事を書くのは最後だと思いますので、大台に乗ったということで大目に見ていただくことにしましょう。ここからは10万アクセスまでのトピックス的なことを書いていきたい…
もともと訪れる予定をしていなかったが、探索していたところ、短い距離の間だったが、いくつかの見所がある場所があった。 訪問日 2024年6月8、13日東京都北区指定有形民俗文化財赤紙仁王(石造金剛力士立像)北区田端2-7-3 東覚寺 参詣客が赤色の紙を貼るため赤紙仁王の名で呼ばれるようになった東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641) 8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…