2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
「高崎市立東小学校」に残されていた「髙崎東青年學校」のプレート。
2024年8月26日、高崎市内を探索していると、学校の門柱に見慣れぬ学校名が書かれているプレートを発見した。 右側の門柱に設置されている学校名プレート。 「髙崎東青年學校」とある。 金属製のプレート。 古そうだ。 歴史を感じる。 しかし、ここは高崎市立東小学校のはず。 併設されているのか? こちらもはしごだかの"髙"で、学は旧字体の"學"となっており、これも古いのかもしれない。「髙崎東青年學校」とはどういう学校なのだろう? 「髙崎東青年學校」や「高崎東青年学校」で検索してもヒットしない。 「高崎」「東青年学校」と分けて検索すると、ようやくヒットした。 wikiの高崎市立東小学校の沿革に「193…
ひばりが丘団地は、1959年(昭和34年)に日本住宅公団(都市再生機構=URの前身)が中島航空金属田無製造所の跡地に造成した。 1999年(平成11年)から2012年(平成24年)にかけ、大規模な再生事業が行われ、中層マンション、戸建て住宅、公共施設が複合した住宅地区へと建て替えられた。ひばりが丘パークヒルズの案内図 この中に旧ひばりが丘団地のレガシーが残されているらしい。 東久留米市と西東京市を探索する予定を立てていたので、探してみることにした。探索日 2024年8月20、22日公園たんぽぽ広場入口付近にある「ひばりヶ丘こうえん」と刻まれたモニュメント。 ちょうど雨が降り始め、雨があたったと…
高崎市中心地は江戸時代からある地名が多く残っており、今回紹介するものは現存している町名だが、他の都市と同様古い建物が少なくなってきているので、電力プレートの存在は貴重だ。①クゾウ-1 発見日 2024年8月26日 発見場所 群馬県高崎市九蔵町 地名の由来 享保10年の大火で諸記録を焼失したため、詳細は定かではないが、慶長6年北爪九蔵が居を定め、のちに人家が増えていき、領主から名主を命じられたことに由来すると考えられている。②ユミ-4 発見日 2024年8月26日 発見場所 群馬県高崎市弓町 地名の由来 江戸時代には藩の弓組の屋敷が置かれていたので「弓組」の名がつけられた。『高崎志』によると、古…
群馬県の初めての記事となる。 以前から行こうと思っていたのだが、遠方で交通費もかさむので、中々踏み出せないでいた。 調べてみると鎌倉とそれほど時間も交通費も変わらない。 行ってみよう! 大学時代4年間過ごした街へ、約40年振りに訪れた。 新幹線も通っているし、変わったなあ。 と言ってもほとんど記憶がない。 大学は駅から離れていて、下宿はその近くだったので、あまり駅付近は行かなかったのかなあ。 あの頃から趣味にしていれば、すでに消滅してしまった貴重なものも撮れていただろうなあと思うが、若いうちは今していることに全然興味がなかった。 感傷に浸っていても仕方ない。 仕事、仕事。事前調査したところ、高…
「いもむしせんたい キャタピラー」と公園を彩る花 in 亀戸中央公園
2024年6月29日、特に立ち寄る予定はなかったのだが、階段を降りると公園があった。 公園内でちょうど絵本展示イベントが開催されていた。 こういうのを見つけてしまうとただ通り過ぎることはできない自分であった。 時間もあったしね。実際には⑪を最初に発見したのだが、①から順番に見ていこう。① ひこさか ちほ・栃木県生まれ・第8回 ポストカードイラストコンペ (2013年)「ポストカード賞」(半年間販売)・講談社フェーマススクール (2014年) 第8回 絵本グランプリ「絵本部門」奨励賞・2015年・2016年 講談社イラストック会員 小学校で読み聞かせをしながら絵本作家・イラストレーターになるべく…
駅近ベスト1かもしれない道路元標「市川町道路元標」、しかし、非常に近寄りがたし
以前、市川市から探索を開始したことが何回もあるのだが、その頃は、まだ、道路元標が探索対象外だったため、その存在に気が付いていなかった。2024年8月12日、市川大野駅から探索をしながら、外環を越え、千葉街道の歩道を歩く。 中央分離帯を見ながら歩いていると、途中で植栽が途切れた。 行き過ぎたか? 市川駅から歩いてくればすぐわかったかもしれないのだが、気が付かず、見落としてしまったようだ。 仕方ない、戻ろう。ここの中央分離帯にあった。 何の目印もない。 三本松の標柱はあったのに。 市川駅北口からだと市川駅北口交差点を右に曲がるとすぐだ。 もしかしたら、電車の駅から最も近いところにある道路元標なのか…
蜂の巣の形をした校舎と「ぴょんちゃん」がいる西東京市立保谷第一小学校
ネットで西東京市のことを調べていたら、西東京市遺産発掘隊 FacebookというFacebookで西東京市の隠れた「遺産」を発掘されている団体があることを知った。 その中で校庭にちょっと変わった遊具がある小学校を紹介していた。自分は公園の遊具の写真も結構撮っていて、一部は当ブログで紹介しているが、このようなものがあることを知ると行きたくなってしまう。2024年8月23日、この日は保谷駅から帰ることにしていたので、最終目的地として、この小学校を訪れることにした。 学校周辺を探索するには休み期間中がベストだ。 休みでない時に訪れて、学校の周りをウロチョロしていると怪しまれそうだし、特にそれが下…
田無町(現西東京市)時代の旧町名は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 今回は田無町役場によって発行されたプレートを2種類紹介することにしよう。①塵芥処理家屋票 発見日 2024年8月23日 塵芥処理のフレートは初めて見たかもしれない。 記憶をたどってみるが、覚えているはずがない。 "無"と"町"の文字がいい味を出している。 塵芥はゴミのことだが、ゴミ処理をしてもらうにはこのプレートを道路から見えるところに貼るというルールがあったのだろうか?②水道専用 発見日 2024年8月23日 こち…
2024年8月10日、探索を終えたあと、下総中山駅北口にあるこみち通り商店街を再訪する。 暑かったなあ。 夏なので、当たり前。 暑くない日はあるはずないが、言いたくなる。 今日も暑かったなあ。 全身汗まみれになりながら、今日も頑張った。こみち通り商店街 キャラクターの旗が何種類かたなびいている。 キャラクターの名前は「中山こみち」というらしい。 それより網目のような電線と街灯に目を奪われる。商店街入口の路地 『鰻の成瀬』に貼られたポスター 全国展開しているようで、地元さいたま市にも店舗があった。 キャンペーンが気になり、調べてみると、会計時に合言葉「鰻の成瀬」を言うとオリジナルステッカーをもら…
2024年8月3日、真夏の小栗原中央公園 誰も遊んでいない。 オジサンの独り占め状態。雲梯 最後まで渡れる自信がない。ジャングルジム 線が複雑。コーヒーカップ あまり見かけなくなったね。滑り台 階段は年季が入っている。普段は子供が主役の公園。 今日は遊具が主役だった。
2024年8月20日、ブログ開設3周年そして前期高齢者の仲間入りとなる
石の上にも3年と言うが、2021年8月20日にブログの投稿を開始して、昨日、無事3周年を迎えることができた。 自分の努力の賜もあるが、モチベーションとなる皆様のアクセスがあってのことだ。 感謝、感激、☔、嵐。そして、8月20日は自分の誕生日でもあり、とうとう前期高齢者の仲間入りだ。 今日(2024年8月21日)の羽鳥慎一モーニングショーで「70代超のリアル生活・・・年金+仕事の“本音"」をやっていた。 もらっている年金の額を聞くと、年金だけではどう考えても暮らしていけそうもない。 その中で、働く高齢者の割合の資料が出ていた。 男性 女性 65~70 61.0% 41.3% 70~75 41.8…
奇跡の出会いというほどのものではないが、サラリーマン時代にスモールワールド的なことを実感したことがいくつもある。まず、娘と息子のことになる。 娘が昨年転職した会社に違う部署だが、小学校時代の同級生がいたらしい。 更に最近同じ部署に転職してきた女性が息子の大学時代のサークルで一緒だった同級生だったらしい。 息子はサークルの後輩と一緒になったため、その女性と息子の嫁は知り合い。 そして、その女性と息子は今も共通の友人と飲み友達らしい。そのようなことを聞き、自分もサラリーマン時代、在職中にいろいろな知り合いに出会ったことを思い出した。 それほど回数は多くないと思うが、諸事情で転職を繰り返すことになる…
ストビューで見つけた我孫子町時代と思われる表札を見つけるために、2024年8月1日、湖北駅北口から探索を開始する。昭和10年3月に建てられた道路改修記念。 裏面の文字は解読できず。湖北郷土資料室はちょっと前に閉室していた。 残念。田舎道というのだろうか、舗装はされているが、昔からありそうな細い道を歩いていると、興味深いものが道沿いにいくつか建っていた。道祖神 道祖神の石の説明板があるのは珍しい。 道祖神について道祖神・岐神・来名戸祖神。 道俣神・衢神・障神などが古名。「道饗祭祝詞」の八衢比古・八衢比売も同神であろう。近世民間では道祖神・道陵神・サイノ カミなどといった。猿田彦と同一視されるのは…
埼玉県内の街道筋の商家は、街道に面する店舗間口が狭く、奥行きが長い土地が多い。江戸時代は間口の広さで年貢が計算されたため、間口を狭くして奥行きを伸ばした「ウナギの寝床」状の店が多かった。明治時代になって、この細長い土地で、裏手の蔵から店舗に荷物を運ぶための運搬用に「トロッコ」を走らせる「横丁鉄道」が作られ、現在も活用されている。 鉄道の定義はレールの上を車両を走らせ、人・荷物を運ぶ運輸機関の総称。また、その設備。 なので、趣味人が「横丁鉄道」と名付けたのだろう。 「横丁トロッコ」「横丁軌道」とも呼ばれている。 幸手市内にはそのような線路が残る商家が3軒現存している。 今回はそれらをレポートして…
草加駅前一番通りを歩いているとスピーカーから商店街の紹介が聞こえた。 その中にたぬきのモニュメントがあるというセンテンスを聞き逃さなかった。 以前も歩いたことがある道だが、そういうものがあるとは知らなかった。 どこにあるのだろう? モニュメント、オブジェ的なもの、特に生き物のものがあると、撮らずにはいられなくなる習性がある。 駅前まで戻り探し始める。 少しして、想像していたところと違うところにあったが、無事発見することができた。 途中、その後、他のたぬきたちにも出会うことができたので、合わせて紹介することにしよう。発見日 2024年4月29日 ふれあい小路にいた。 これがモニュメントだった。 …
2024年8月からMicrosoft Rewardsの画面の一部が外国語になっていた。
以前、下記の記事を書いたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com こういうのが気になるのだよね。今回は別な現象。2024年8月1日、何もしていないはずなのにMicrosoft Rewardsの日々のセットが英語になっていた。 週半ばのクイズを解いた後の画面 これは英語ではなかった。 日本語で表示されていた時 万丈? おめでとうございますの中国語か?「あなたはそれを段階的に やった」 日本版だと「5回でできちゃった」と訳の分からない表現だが、これも日本語的にはおかしい表現。2024年8月14日 ようやく日本語に戻った。 もちろん何もしていない。 何かの不具合だったのだ…
パリオリンピック開催前後、Googleの検索画面を開くとロゴが変わっていたので、気が付いた時に、コピーしておいた。 7月30日以降は、毎日確認したつもりだが、無い日もあったのかもしれない。 なので、ところどころ飛んでしまっている。 パリオリンピックが閉会して、少し時間が経ってしまったが、まだ、記憶が残っているだろう。2024年7月12日 白谷雲水峡を称えて 2024年7月30日 体操 2024年8月1日 サーフィン 2024年8月2日 セーリング 2024年8月4日 つり輪 2024年8月5日 アーティスティックスイミング 2024年8月7日 クライミング 2024年8月9日 ブレイキン 20…
将門神社のすぐ前に咲いていた花に蝶が舞っていた。 チョウが花の蜜を吸う。 別に珍しい光景ではない。 しかし、将門神社とアゲハ蝶には関係があったのだ。撮影日 2024年8月1日 撮影場所 千葉県我孫子市日秀 この時は花も蝶も正式な名前は知らなかった。 今までアジサイの一種だと思っていたが、ボタンクサギという名の花だった。 漢字では「牡丹臭木」と書くそうで、葉っぱをもんだりすると臭いニオイがするらしい。 花を見る限りそんな感じはしない。 どんな匂いなのか気になる。 鼻は悪いのだが、今度見た時は嗅いでみよう。 かわいそうな名前が付けられた「ボタンクサギ」、英名では「カシミア・ブーケ(Cashmere…
海がない内陸地にあった旧海軍大和田通信隊の跡地を訪ねる ― 東京都清瀬市・埼玉県新座市編 ―
清瀬町時代の下清戸を探すため、Googleマップを見ていたら、気になるピンを発見した。 ストリートビューで確認しようとしたが、行けないところにあった。 以前、志木街道沿いのその道に近いところには来たことがあるので、土地勘はあった。 2024年7月18日、実際に行ってみる。 (写真を撮るのを忘れてしまったので、想像してね。) この先も行けるのね。 農道は舗装されており、歩きやすい。 地図に道が書かれているので、 公道? 私道? 誰もいないことをいいことに農地の間を歩いていく。 天気が続いていて、風が強かったら、砂埃が凄そう。途中、境界石を発見。 防衛施設と刻まれていた。これは違う。こんなところに…
号のみ変更されていた住所「港区六本木3-14-19」とビルに描かれていた日本の名所等
たまに「号」だけ違うものを見かけることがあるが、表札だったこともあり、今まで取り上げたことはなかった。 町名は現存しているし、住居表示前の「〇丁目〇番地」ものでもない。 これを旧町名と言えるのか? しかし、これはこれで、そうあるわけではなく、結構レアだと思われるので、当ブログでは、「旧町名」の中のひとつのカテゴリー「旧号」ということにする。 個人の表札だったら紹介することはないが、ビルに書かれていたものだったので、今回、紹介することにした。 まあ、全然面白みがないので、今後紹介することはないかもしれない。発見日 2024年8月13日 六本木三丁目14番19号は現存していないので、「旧号」扱いと…
若宮二丁目付近で目撃情報があったレトロ電柱を探しにやってきた。 ストリートビューでもちゃんと存在していることを確認してきた。 しか~し、である。 ない。 このお宅のはずなのだが。 何回も行ったり来たりしたしまった。あったあたりの場所を確認すると下のコンクリートの土台だけ残っていた。 なんと鉢置場になっていた。 どかして痕跡を確認したかったが、そんなことはできない。 仕方ない。 少し周辺を探索してみることにしよう。若宮2~3丁目付近にある若栄会 2連の街灯だけがいい感じ廃業している店が多く、若くもなく栄えてもいなくなってしまっていた。 ここだけではなく、老枯化してしまっているシャッター商店街が多…
下総中山駅北口周辺を探索していたところ、レトロ電柱と木製電柱それぞれ2本を発見した。 こんな駅前にもあるんだと大感激!発見日 2024年8月6、8日 発見場所 千葉県船橋市本中山二丁目手前に木製電柱、奥にレトロ電柱。 6日に訪れた時は、こんな近くにあるにもかかわらず、気が付かなかった。 まず、木製電柱①から 曲がり角に立っていた。 プレート 加圧式A日産農林工業株式会社越中島工場(32)63 加圧式は加圧して防腐処理したということを意味するらしい。 所々黒く見えるものがあるが、それは防腐処理に使われる石炭クレオソート(コールタールから作られる)というものらしい。 日産農林工業株式会社は兼松サス…
2024年8月10日の最高気温34.7℃、猛暑日直前、周りの花は色落ちしていたが、まだきれいな色を保っているアジサイが咲いていた。 ど根性アジサイと名付けることにしよう。 少しボケているじゃないの? えっ? そうかなあ? 老眼のおじさんには、良くわからないけど。 老眼鏡をかけてみよう。 ・・・ まっ、いいか。
我孫子市にある平將門ゆかりの地を訪れる ~將門の井戸・將門神社編~
まだ、記事にはできていないが、以前、手賀沼の反対側にある柏市の『平將門ゆかりの地』に訪れたことがある。 我孫子市側にも『平將門ゆかりの地』があることを知り、いつか訪問しなければと思っていたが、すっかり忘れていた。 2024年8月1日、ようやく、我孫子市にある『平將門ゆかりの地』を訪れることができた。湖北駅にあった観光案内板。 目的地が載っていた。 上の地図には載っていないが、事前調査をしたところ線路沿いの道を歩いていくのが近そうだったので、狭い道を歩いていく。 まだ着かないのかなあ。と真夏の日差しの中で思う、 思ったより時間がかかった。 少し遠回りをしてしまったようだ。 ようやく目的地の案内板…
2024年8月8日、市川市内を探索していたところ、他自治体ではあまり見かけたことがない市川市青少年補導センターの啓蒙看板を発見した。 ネットで調べみたが、この看板について書いているものはないようだ。 そんな誰も関心ないものだが、突っ込みどころがあるこの看板に注目しないわけにはいかない。 それぞれ意図があって書かれたものだろうけれど、自分なりの勝手な解釈を付けてみた。 だから、いい加減だ。①非行の芽 早くつみとる 思いやり 赤目のウサギの男の子とリスの女の子がサングラスをかけたモグラの男の子を指さしている絵。 絵からするとモグラが非行少年の役なのだろう。 そして、ウサギの男の子とリスの女の子がモ…
市川市は何度も探索に訪れたことがあるのだが、千葉県道179号船橋行徳線沿いは初めて探索した。 この通りには古き良き時代のものがいくつか残っていた。 それらは別な記事で紹介することになるかもしれない。今昔マップで船橋行徳線沿いに古くからある集落がないかと調べていたところ、江戸川近くに「高谷(コウヤ)」と書かれているところがあったので、探索してみることにした。探索していると、運よく旧町名の痕跡「行德町髙谷」を発見することができた。 今回はそれを紹介することにしよう。発見日 2024年8月3日 発見場所 千葉県市川市高谷二丁目 "縣""德""髙"の字が使われているのがス・テ・キ! 暑さでボーっとして…
探索していたら、公園に変わった形をしたモニュメントを発見した。 発見日 2023年10月10日 発見場所 東京都東大和市南街5丁目77 ただのモニュメントだと思っていたが、説明板を読んで、そんなものがあったんだと驚く。 「へびのステッキ」 第二次世界大戦の頃のことです。現在の玉川上水駅付近は、雑木林が続く少年たちの遊び場で、そこには、縞蛇や青大将、地もぐりが沢山いたそうです。当時、地方から日立航空機に動員された青年の中に、へび取り器を使ってへびを捕まえるのが上手な人がいました。 へび取り器は、先を割った木の枝と紐のついた棒で作ったものでしたが、先を割ったところにへびの首をはさんで、棒についた紐…
逆さま五輪似マークとサインポールのモルタル造形が映えている看板建築に出会う in 千葉県市川市
下総中山駅を降り、京成中山駅周辺を探索していたところ、上下逆の五輪似マークがとても特徴的な元床屋らしい看板建築を発見した。 パリオリンピック真っ最中なので、ナイスタイミング!発見日 2024年8月6日 発見場所 千葉県市川市中山四丁目 地元の方はもちろん、京成本線の線路沿いにあるので、電車を利用している人にはおなじみの建物だろう。中央に五輪似マーク、両側はサインポール モルタル造形だろうか、職人技がピカっと光る素晴らしい作品だ。 サインポールは赤・緑(青?)・白の三色で、回転しているように見せている。五輪似マーク ぱっと見、五輪マークに見えるが、五輪が逆さまで、色も違う。 輪と輪のつながり部分…
今回紹介するのは、現存している町名だが、発見した場所が別町名のところなので、旧町名扱いとしている。①柏市豊町 発見日 2023年12月11日 発見場所 千葉県柏市豊四季 豊町は単独町名はなく、豊町1、2丁目と丁目があるものが現存している。 1972年(昭和47年)に起立。②柏市豊四季 発見日 2023年12月11日 発見場所 千葉県柏市泉町 地名の由来 豊四季駅周辺一帯は、明治時代に政府の命を受けた三井財閥系の開墾会社によって開拓された13の入植地のうちの一つで4番目の入植地となったため、「豊四季」の地名が付けられた。 1982年(明治5年)に起立。泉町は1967年(昭和42年)に起立。柏市・…
2024年6月25日、逗子市を探索していたところ、飲食店で時代を感じる琺瑯製と思われるプレートを発見した。 五業? 三業なら聞いたことがあるけど。 三業は貸座敷、引手茶屋、娼妓。 五業はそれに芸妓、小方を追加したものとのこと。 「貸座敷、屋形、小方、娼妓、紹介業」や「料理屋、旅館、芸者屋、待合、検番」や「料理屋、鳥料理、鰻屋、待合及び遊船宿」と書かれているものもあるが、地域によって呼び方が異なっていたのかもしれない。逗子五業組合は2024年5月30日に開催された第67回逗子海岸花火大会のスポンサーになっていた。 ということは現存しているようだが、ホームページがないので、詳細は不明。 逗子五業組…
この日は湖北駅から探索を開始する。 我孫子町時代、湖北村のものは見つからなかったよぉ。 その代わりと言っては何だが、元上司と思われるお宅を発見した。 我孫子市に住んでいると言っていたので、同姓同名とは考えづらい。 びっくりぽん。我孫子市には難読地名がいくつかあるが、そのうちのひとつ「中峠」。 「なかとうげ」ではなく、「なかびょう」と読む。「中峠」は現存している町名だったわ。 だけど、町名地番変更しているので旧町名扱いとしているのさ。発見日 2024年8月1日 発見場所 千葉県我孫子市中峠台(なかびょうだい)①我孫子市中峠字塚之越 「峠」の字が読めないですって。 現地では読めたのよ。 たぶんだけ…
今まで何度か写真を撮ろうとして訪れたことがあるのだが、いつも人がいて撮ることができなかった 2024年7月22日、こんな暑い日、流石に誰もいないだろうと思い、新宿中央公園を訪れた。 目的のものは富士見台にあるのだ。 見上げると、人がいた。 こんな時間にベンチでストレッチなんかしてやがる。 してやがる、なんて下品な言い方。 何をしていようと自由でしょうよ。 学生かな? 彼が写らないように下から写真を撮る。 早くどいてくれないかなあ。 上まで行って、飛び石を撮って、全体を撮りたいんだよなあの無言アピールをして、下りる。 仕方ない。 周辺で少し時間をつぶそう。しばらくして、富士見台の方を見ると彼が階…
ストリートビューで気になる場所を見ていたら、旧町名らしき表札を発見。文字が小さく「町」と思われる文字だけが確認できた。 現地で確認するしかない。 2024年7月29日、猛暑の中、坂道を下り、そして上り、随分遠回りしてしまい、ようやく到着。発見場所 千葉県我孫子市船戸二丁目 ストビューで確認できなかった旧町名は「ときわ台」だった。1975~1978年の今昔マップ 「常盤」とあるが「ときわ台」はない。グーグルマップ 「船戸ときわ台公園」と「ときわ台集会所」がある。船戸は1970年代に第一生命グループが開発した住宅地らしい。 その住宅地が「ときわ台」だったのかもしれないが、ネットで調べた限り、詳しい…
「押切いこいの家」に設置されていた叙述碑の旧町名と旧番地「市川市押切」
2024年7月23日、探索中に通りかかった「押切いこいの家」に気になるものがあった。 "叙述碑"というものだった。 "叙述碑"と書かれているものは初めて見たかもしれない。 何が書かれているんだ? このような石碑には文字が小さく古い字で書かれていることが多いが、この碑は読めない字はほとんどない。明治九年丙子五月地租改正時(筆限) 千葉県第拾壱大區十九小區 下總國東葛飾郡押切村 第百十一番 字村下 一.木 立 四畝0歩 地主 及川太郎左衛門 他八拾人 第百十弐番 字村下 一.斃馬葬場 廿五步 地主 右仝人 昭和四拾九年拾式月二日土地區画 整理事業施行後 押切村下 一.山 林 参百九拾六平方米 地主…
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2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
現町名のものばかりだが、成田山へ向かう参道などでいくつか出会うことが出来た。 ①カミマチ-5 下のような町名プレートが電柱に貼られていた。 電力プレートには「カミマチ」となっているが、町名プレートのように「カミチョウ」が正しい読み。②サイワイ-1 ③ハナサキ-2 「ハナサキチョウ」だと思っていたが「ハナザキチョウ」と濁るんだね。 歴史 成田山新勝寺の日記には、台町・仲町・本町・田町の4町の地名が見られる。 江戸時代末期には台町から横町(幸町)が分かれ、台町は上町になる。 明治時代になって本町から砂田(東町)が分離した。明治22(1889)年、成田町ができた当時はほとんどが山林だった場所に、明治…
現在もネタ探しに日々奔走中だが、最近、過去撮った写真からもネタ探しを始めた。 そうしたところ、下記の記事で紹介した仲間が川崎市にいることが分かった。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 緑のおばさん?婦人警察官?の頭がなくなっていた。 どうして取れてしまったのだろう これはこれで恐怖だ。 上の記事の頭がある状態の写真 頭がある方が怖いかもしれない。発見日2020年10月23日
横浜市電保存館 2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。 入館しようと思ったら、現金のみだった。 あまり現金を持っていることはないので、入館できず。 常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。 少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。 入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。 横浜市電最後のポールだった。 このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大…
2025年6月7日、探索を終え、大泉学園駅に向かう途中、玄関付近に付けられている青いプレートが目に入った。 近寄って撮りたかったのだが、びびってしまい、道路からしか撮れなかったこの日。 小さい文字だが、"中村町"と読める。 上に書かれている文字が確認したい、再訪を決意する。 2025年6月9日再訪して、近くに寄って撮影する。 上に右書きで"東大泉町"、はっきり"中村町"と書かれているの確認できた。 上にあるプレートは何のプレートかわからないが、右書きで"大泉"と書かれていた。 右書きなので、戦前の板橋区時代ものかもしれない。 ここは東大泉だ。 中村町は現在中村1~3丁目になっていて、ここから随…
牧野記念庭園の常設展示室に展示されていた年賀状。 中央下に顔写真、その周りに似顔絵、植物図、歌が書かれている。 ここに書かれている内容を書き起こししてみた。 恭賀新禧 昭和十一年丙子元旦 元日口占 あんた芽出たい わたしもさうよ ともに迎へる御代の春 あちの本こちの草の根 齧らんと 歯を研ぎすます ひのえ子の年 結網子 ねずみのを鼠の尾 長いものには巻かれろカ、イヤ反対に巻いてやればよいワ ねずみもち鼠もち ハハア鼠が持つというのカ、鼠矢(クソ)などと言うなヨ〇〇が〇りいヤ ※ 丙子:ひのえね 口占:その場で口ずさんで作った詩 結網子(けつもうし):牧野博士の号住所が「東京市板橋區東大泉町」 …
2025年6月14日、探索途中に、公園が見えた。 日暮里公園だった。 初めてではないかと思うのだが、今回、何か書かれているものに気が付いた。 こうような旧町名関連のことが書かれていると、記事を書きたくなってしまう。 日暮里公園の記 その昔、現在の日暮里の大部分は「新堀」と言う地名で呼ばれていました。15〜16世紀の古文書にもこの地名がみられ一説には地元の土豪が屋敷にはりめぐらした掘りを人々がニイホリと呼び、この地の代名詞となったと言われます。江戸時代、高台の道灌山・諏訪台からの眺望が「春秋の景色、日の暮るを忘れる」景勝の地として知られるようになり、“ひぐらしの里(日暮の里)”とも呼ばれるように…
ネットて調べていたら、面白いものを見かけた。 番地が書かれていたので、板橋區時代の古地図で拡大鏡を使って番地を探し出す。そして、グーグルマップとその場所を照らし合わせたところ、おおよその場所がわかった。 次はストリートビューのお出ましだ。 この道沿いにあるだろうというところを探してみる。 すぐには分からなかったが、見つけることが出来た。(左下) しかし、問題はストリートビューの日付だ。 最新が、2022年6月となっていた。 ちょうど3年前だ。 残っているだろうか?2025年6月12日、武蔵関駅から探索を開始する。 現場付近に到着。 ない! ストリートビューで確認したところに、ない! 周辺をキョ…
2025年6月23日、この日は群馬県館林市を再訪する予定にしていた。また、大宮で、快速が10分程度遅れていた。なので、定刻通りに来た普通に乗ることにした。途中、蓮田で快速と待ち合わせするとのアナウンスがあり、快速の方が早く東武線の乗換駅の久喜に着くというので、東大宮で快速に乗り換えることにした。これが失敗だった。座れたので、寝てしまい、気が付いたら、次は古河とのアナウンスがあった。どうする? 調べてみると、館林に行くより、宇都宮に行く方が少し早く着くことが分かった。しかし、交通費は約倍。どうする?でも、近いうち、宇都宮に行こうと思っていたので、下調べの意味もあり、宇都宮に決定!とはいえ、何の情…
「高幡」は現存している町名だが、「大字高幡」は現存していないようなので、旧町名でもいいのかなと思ったが、小字町名扱いにしている。 発見日 2025年6月5日 発見場所 東京都日野市高幡 "別旅"、何となくいい感じの表現なので、単語があるのかなと思って調べてみたが、なかった。小字"別旅"の痕跡が残るのは、この公園だけだった。 別旅公園 別旅は若宮神社のあたりの小字名です。その昔、高幡不動尊の脇侍(わきじ)、矜羯羅(こんがら)・制吐迦二童子像(せいたかにどうし)を作った旅の僧がいました。村の人々はたいへん喜んで、僧が村を去る時皆で見送ったのですが、この地まで来て忽然と姿を消してしまいました。村の人…
以前下記の記事で蓮田市にあったゴミ捨て注意ポスターを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com お隣の県「群馬県館林市」にその姉妹がいた。 顔全体ではなく目の部分だけだが、すぐピンときた。 あの子だ! 群馬県にも越境していたのだ。 びっくりぽん!撮影日 2025年6月19日
当ブログでは小字町名も収集アイテムのひとつとなっている。 その理由は、現存している町名でも小字付きのものは圧倒的に少なく、レア感があるためである。発見日 2025年4月28日 ①川越市藤間西裏下 "大字"と"字"が省略されている。②川越市大字藤間字西裏下 文字以外は錆びだらけ。 文字まで錆ていて読めないものが多いが、これは状態がいい。 もしかしたら、錆の上に書いたのかな?"西裏下"の由来を調べてみたが、分からなかった。
2025年5月29日、「第2回横須賀市琺瑯町名看板探索プロジェクト」を実施することにした。ストリートビューで事前調査を実施したので、所在地はバッチシだ。しかし、現存しているのだろうか? 自分が持っている地図には載っていない場所だったので、Mapionの地図を印刷していった。 京急線「汐入駅」から探索を開始する。 現地に着くまでスマホの地図アプリを多用した。 ストリートビューでは坂道があまり実感できない。実際に行くと、えっ?ここ上るということも少なくない。車が通れなさそうな上り下りの道も指示され、やっとの思いでたどり着いた。 それにしても、よくこんなところに住宅地を作ったもんだ。横浜市も川崎市も…
前日のこと、明日はどこへ行こうかと悩んでいたところ、群馬県館林市が浮上した。1時間くらいで行けるし、交通費も片道847円とそれほどかからない。館林市のことを調べてみると元城下町、見所もありそうだ。ということで、6月の猛暑の中、出動することにした。 大宮駅で乗ろうとしていた11時40分発の快速が20分遅れとのこと。次の11時45分発は定刻通りに来たので、それに乗る。当初予定より15位遅れて着いたが、問題ない。 駅を降り、日傘を差して、さあ、探索開始。旧町名の発見は期待していなかったが、いくつか見つけることが出来た。発見日 2025年6月19日 発見場所 群馬県館林市仲町 旧町名標示板 大手門に縦…
したみち通りを歩いていると建物にナンバーくんのプレートがあるのに気が付いた。 こんなところに、と驚きを隠せない。 近くに寄ると、牧場らしい強烈な臭いが漂ってきた。 しかし、そんな臭いくらいではひるまない。 珍しいタイプのものだった。 このタイプのものは、以前紹介した下記に続いて2例目だ。(たぶん) citywalk2020.hatenablog.com 上部 この地域の郵便番号は177。 下部は広告主。 丸井林。今はなく、その後、「ファッションパーク ベベ」になったそうだが、それも2025年2月20日に閉店してしまったそう。 本当に牧場だった。 奥の方に牛さんが見えた。 帰ってから調べてみると…
2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…
紫陽花の季節はもう終わりだが、当ブログではまだ続いている。撮影日 2024年6月8、10、11日 紫陽花の季節なので、人出が多い日もあったので、他の探索と組み合わせて、3日間も通ってしまった。 他の紫陽花の名所に行けばよかったかもしれない。 でも、このような橋と紫陽花が一緒に撮れる場所はここだけなので、結果こうなってしまった。飛鳥の小径 飛鳥山下こ線人道橋王子駅ホームから 橋の上の構造 アーチが美しい。 東京都北区王子1丁目でJR東日本東北本線および東北貨物線を跨ぐ人道橋である。京浜東北線王子駅南口と隣接する飛鳥山公園を結ぶ。1925年(大正14年)竣工で、日本国内に現存する数少ない古レールを…
初訪問日 2020年3月23日(再訪日2024年5月2、9、14日)槐戸橋から 対岸から 藤助河岸跡 蒲生の一里塚 綾瀬川右岸 舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 俳人 高浜虚子 この句は高浜虚子が綾瀬川を舟で下った時の作品と言われている。虚子の句が掲げられている反対側のプレート そうかふるさと歩道 川が培ったふるさとのまち 綾瀬川コース(5.5km) 左岸 蒲生大橋「日光道中分間延絵図(文化三年一八〇六年完成)」によると、この橋は、大橋土橋と記されており、長さ一二間四尺、幅二間一尺、綾瀬川に架けられた土橋で、御普請場。足立郡と埼玉郡の境と解説されている。昭和五一年八月に永久橋に架替された時の橋歴書…
都電荒川線の架線柱の中に、柱が緑色に塗られ、先端にタマネギ型の装飾が付いたものがあるらしい。 知ったからには探してみたくなるというのは当たり前のことだろう。訪問日 2024年6月13日それらは荒川二丁目駅周辺にあるらしい。 ①荒川区役所東交差点付近の踏切 架線柱 荒区30号 あっ、これね。 確かにタマネギ型になっている。 カワ(・∀・)イイ!!~、かも。②荒川二丁目駅の先 2本並んでいる。 荒川自然公園の坂の上からちょうどよく見える。 荒二 8号 荒二 6号 荒川七丁目駅から荒川区役所前駅までの間を探してみた。 緑色の柱は何本かあるのだが、先端があるものは紹介した3本しか見つからなかった。荒川…
2024年6月15日、浅草四丁目の路地を歩いていたところ、役目を終えたレトロ電柱を発見した。 下から見ていこう。特に装飾もなく、シンプル.。 裏側に製造メーカーが書かれているのだが、塀と電柱の隙間がほとんどなく、確認できなかった。 正面のプレートには「浅草三業地(象潟二)」と書かれていた。 「象潟二」は「象潟二丁目」のことだと思う。「浅草象潟二」となっていないということは、もしかしたらこのレトロ電柱は戦前から存在していたもの? この辺りは戦災を受けているので、戦前の建物は残っていないが、コンクリート製なので残ったのかもしれない。上部には球形の装飾が残っていた。 周辺を探してみたが、これ1本しか…
以前もこの辺りは探索したことがあるのだが、探索したことをすっかり忘れていた。 この出桁造りの古い商家も記憶がなかった。訪問日 2024年6月22日 訪問場所 東京都墨田区東向島萬屋糸店 かつては婦人用品や糸類を扱っていたそう。レトロ感満載のたばこ売り場が併設されている。 この曲線のフォルムが素晴らしい。書かれている文字のフォントもいい味出しているじゃあーりませんか。 “Cigarettes”は筆記体。 平成からは筆記体が必修でなくなったそう。 ということは、今の子は書けない?斜め書きの「たばこ」がシャレオツ(死語かな?)。 2020年1月6日はまだ営業中だった。 山田屋酒店 酒屋にあれの自動販…
2024年6月22日、四ツ目通りを歩いていたところ、駐車場の奥に何か気になるものが見えた。 近寄ってみると、これだった。 見たことがあるものだと思ったのだが、過去の写真を調べてみると、撮っていなかったことがわかった。 なので当然記事にもしていなかった。 と言うことは初見のもの? こう言い切れるかわからないが、そういうことにしておこう。「吾嬬町西」の痕跡が他にもないかと探していたところ、下記の看板の存在を知り、ストリートビューで確認してみる。 あった。 ここからは2024年6月24日のことになる。 現地に確認しに行くが、あるはずの場所がなかなか見つからない。 たどり着いていたのだが、ストリートビ…
旧町名「台東区入谷町」の痕跡については、過去2回下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 探すつもりもなく、歩いていると、「台東区入谷町」の表札と電力プレートを見かけた。 もうさすがに新たなものは見つからないだろうと思っていたのだが、撮ったか撮っていないか覚えていないので、念のため撮っておいた。 家に帰って調べてみたところ、すべて初見のものであることが分かった。 これらは、路地とかではなく、普通の通り沿いにあった。 この辺りも探索したことがあるはずなのだが、見落としていたということになる。 …
さいたま市浦和区前地にある鉄塔の下にあじさいが咲いているところがあった。 芝川線というらしい。 鉄塔を見上げる。 アジサイショートロードには、 色とりどりの紫陽花が咲いていた。
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 最近、新たな発見が続いていて、このパターンが続いている。 探し尽くしたと思っていた台東区にもまだ旧町名の痕跡がいくつか残っていた。①台東区浅草田中町一丁目十番地 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区東浅草二丁目 ②台東区浅草田中町二丁目二番地 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区日本堤一丁目 このパターンの住所プレートは2例目。 今回のものは、劣化していて読みにくくなっているが、何とか読めるだろう。地名の由来 この辺りは古くから水田が広がる土地で、町域は田の中だったことから俗に「…
「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH島乗っかり企画として、NTT技術史料館に訪問して、下記の記事を書いた。 citywalk2020.hatenablog.com 2024年6月16日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!」~ 激闘111日DASH島に電話完成700m先と通話なるか ~ の番組の内容の一部は、 ロープウエーの終着駅から舟屋までの全長700メートルをつなぐ「DASH島 電話計画」もいよいよクライマックス。その完成を目前に控え、国分太一(TOKIO)は、屋根のない終着駅でも雨風をしのげる電話ボックスを製作。島でかき集めた材料で、使い勝手と見晴らし抜群の電話ボックスを作り上げた。…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①下谷區上根岸一七番地 発見日 2021年3月27日 発見場所 東京都台東区根岸三丁目 文字が薄くなっていて、町が抜けているが、下谷區時代の貴重なものだ。上野桜木から橋を渡ってきたのだが、この辺りを訪れたのは初めてかもしれない。②上根岸町99 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区根岸二丁目 区名が書かれていないので、下谷區時代のものか台東区になってからのものかわからないが、見た目には台東区になってからのもののような気がする。旧町名由来案内 呉竹の根岸の里は、上野山を閉経にした田園風景と清流音無川…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①台東区浅草象潟町三丁目 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区浅草五丁目 この表札は2015年6月13日放送に放送された「タモリ倶楽部 ~旧地名ハンター・ツアー浅草編」で紹介されたことがあるそうだ。②台東区浅草象潟一丁目 次に紹介するのは初めて見るタイプの住所プレート。(この時は初めてだったが、後で同じタイプの住所プレートを発見することになる。)発見日 2024年6月15日 発見場所 東京都台東区浅草四丁目 琺瑯製ではないようだ。 「台東區」はマジックで書いたような感じで、「合東區」に見える。 「…
2024年6月17日17時頃、当ブログの累計アクセス数が、10万アクセスを達成しました。 月10万でも年10万でもありません。 2021年8月20日にブログを公開してからなので、約3年です。 予定では7月に達成できるかなと思っていたのですが、1ヶ月前倒しで達成することができました。 自分的には、公開当初は考えてもいなかったことなので、とても感慨深いです。 ということで、また調子に乗って記事を書いてしまっています。 まあ、このようなことで記事を書くのは最後だと思いますので、大台に乗ったということで大目に見ていただくことにしましょう。ここからは10万アクセスまでのトピックス的なことを書いていきたい…
もともと訪れる予定をしていなかったが、探索していたところ、短い距離の間だったが、いくつかの見所がある場所があった。 訪問日 2024年6月8、13日東京都北区指定有形民俗文化財赤紙仁王(石造金剛力士立像)北区田端2-7-3 東覚寺 参詣客が赤色の紙を貼るため赤紙仁王の名で呼ばれるようになった東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641) 8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…