2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
現町名のものばかりだが、成田山へ向かう参道などでいくつか出会うことが出来た。 ①カミマチ-5 下のような町名プレートが電柱に貼られていた。 電力プレートには「カミマチ」となっているが、町名プレートのように「カミチョウ」が正しい読み。②サイワイ-1 ③ハナサキ-2 「ハナサキチョウ」だと思っていたが「ハナザキチョウ」と濁るんだね。 歴史 成田山新勝寺の日記には、台町・仲町・本町・田町の4町の地名が見られる。 江戸時代末期には台町から横町(幸町)が分かれ、台町は上町になる。 明治時代になって本町から砂田(東町)が分離した。明治22(1889)年、成田町ができた当時はほとんどが山林だった場所に、明治…
現在もネタ探しに日々奔走中だが、最近、過去撮った写真からもネタ探しを始めた。 そうしたところ、下記の記事で紹介した仲間が川崎市にいることが分かった。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 緑のおばさん?婦人警察官?の頭がなくなっていた。 どうして取れてしまったのだろう これはこれで恐怖だ。 上の記事の頭がある状態の写真 頭がある方が怖いかもしれない。発見日2020年10月23日
横浜市電保存館 2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。 入館しようと思ったら、現金のみだった。 あまり現金を持っていることはないので、入館できず。 常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。 少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。 入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。 横浜市電最後のポールだった。 このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大…
「板橋區」時代のものと思われる町会会員プレート『東大泉町中村町』
2025年6月7日、探索を終え、大泉学園駅に向かう途中、玄関付近に付けられている青いプレートが目に入った。 近寄って撮りたかったのだが、びびってしまい、道路からしか撮れなかったこの日。 小さい文字だが、"中村町"と読める。 上に書かれている文字が確認したい、再訪を決意する。 2025年6月9日再訪して、近くに寄って撮影する。 上に右書きで"東大泉町"、はっきり"中村町"と書かれているの確認できた。 上にあるプレートは何のプレートかわからないが、右書きで"大泉"と書かれていた。 右書きなので、戦前の板橋区時代ものかもしれない。 ここは東大泉だ。 中村町は現在中村1~3丁目になっていて、ここから随…
牧野富太郎博士の年賀状に書かれていた旧町名「東京市板橋區東大泉町」
牧野記念庭園の常設展示室に展示されていた年賀状。 中央下に顔写真、その周りに似顔絵、植物図、歌が書かれている。 ここに書かれている内容を書き起こししてみた。 恭賀新禧 昭和十一年丙子元旦 元日口占 あんた芽出たい わたしもさうよ ともに迎へる御代の春 あちの本こちの草の根 齧らんと 歯を研ぎすます ひのえ子の年 結網子 ねずみのを鼠の尾 長いものには巻かれろカ、イヤ反対に巻いてやればよいワ ねずみもち鼠もち ハハア鼠が持つというのカ、鼠矢(クソ)などと言うなヨ〇〇が〇りいヤ ※ 丙子:ひのえね 口占:その場で口ずさんで作った詩 結網子(けつもうし):牧野博士の号住所が「東京市板橋區東大泉町」 …
2025年6月14日、探索途中に、公園が見えた。 日暮里公園だった。 初めてではないかと思うのだが、今回、何か書かれているものに気が付いた。 こうような旧町名関連のことが書かれていると、記事を書きたくなってしまう。 日暮里公園の記 その昔、現在の日暮里の大部分は「新堀」と言う地名で呼ばれていました。15〜16世紀の古文書にもこの地名がみられ一説には地元の土豪が屋敷にはりめぐらした掘りを人々がニイホリと呼び、この地の代名詞となったと言われます。江戸時代、高台の道灌山・諏訪台からの眺望が「春秋の景色、日の暮るを忘れる」景勝の地として知られるようになり、“ひぐらしの里(日暮の里)”とも呼ばれるように…
ネットて調べていたら、面白いものを見かけた。 番地が書かれていたので、板橋區時代の古地図で拡大鏡を使って番地を探し出す。そして、グーグルマップとその場所を照らし合わせたところ、おおよその場所がわかった。 次はストリートビューのお出ましだ。 この道沿いにあるだろうというところを探してみる。 すぐには分からなかったが、見つけることが出来た。(左下) しかし、問題はストリートビューの日付だ。 最新が、2022年6月となっていた。 ちょうど3年前だ。 残っているだろうか?2025年6月12日、武蔵関駅から探索を開始する。 現場付近に到着。 ない! ストリートビューで確認したところに、ない! 周辺をキョ…
2025年6月23日、この日は群馬県館林市を再訪する予定にしていた。また、大宮で、快速が10分程度遅れていた。なので、定刻通りに来た普通に乗ることにした。途中、蓮田で快速と待ち合わせするとのアナウンスがあり、快速の方が早く東武線の乗換駅の久喜に着くというので、東大宮で快速に乗り換えることにした。これが失敗だった。座れたので、寝てしまい、気が付いたら、次は古河とのアナウンスがあった。どうする? 調べてみると、館林に行くより、宇都宮に行く方が少し早く着くことが分かった。しかし、交通費は約倍。どうする?でも、近いうち、宇都宮に行こうと思っていたので、下調べの意味もあり、宇都宮に決定!とはいえ、何の情…
小字町名「日野市大字高幡字別旅」の由来が別旅公園に書かれていた。
「高幡」は現存している町名だが、「大字高幡」は現存していないようなので、旧町名でもいいのかなと思ったが、小字町名扱いにしている。 発見日 2025年6月5日 発見場所 東京都日野市高幡 "別旅"、何となくいい感じの表現なので、単語があるのかなと思って調べてみたが、なかった。小字"別旅"の痕跡が残るのは、この公園だけだった。 別旅公園 別旅は若宮神社のあたりの小字名です。その昔、高幡不動尊の脇侍(わきじ)、矜羯羅(こんがら)・制吐迦二童子像(せいたかにどうし)を作った旅の僧がいました。村の人々はたいへん喜んで、僧が村を去る時皆で見送ったのですが、この地まで来て忽然と姿を消してしまいました。村の人…
埼玉県蓮田市にいたゴミ捨て注意ポスターの少女が群馬県館林市では「ねぇ、私は見ているよ」と呟いていた。
以前下記の記事で蓮田市にあったゴミ捨て注意ポスターを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com お隣の県「群馬県館林市」にその姉妹がいた。 顔全体ではなく目の部分だけだが、すぐピンときた。 あの子だ! 群馬県にも越境していたのだ。 びっくりぽん!撮影日 2025年6月19日
当ブログでは小字町名も収集アイテムのひとつとなっている。 その理由は、現存している町名でも小字付きのものは圧倒的に少なく、レア感があるためである。発見日 2025年4月28日 ①川越市藤間西裏下 "大字"と"字"が省略されている。②川越市大字藤間字西裏下 文字以外は錆びだらけ。 文字まで錆ていて読めないものが多いが、これは状態がいい。 もしかしたら、錆の上に書いたのかな?"西裏下"の由来を調べてみたが、分からなかった。
2025年5月29日、「第2回横須賀市琺瑯町名看板探索プロジェクト」を実施することにした。ストリートビューで事前調査を実施したので、所在地はバッチシだ。しかし、現存しているのだろうか? 自分が持っている地図には載っていない場所だったので、Mapionの地図を印刷していった。 京急線「汐入駅」から探索を開始する。 現地に着くまでスマホの地図アプリを多用した。 ストリートビューでは坂道があまり実感できない。実際に行くと、えっ?ここ上るということも少なくない。車が通れなさそうな上り下りの道も指示され、やっとの思いでたどり着いた。 それにしても、よくこんなところに住宅地を作ったもんだ。横浜市も川崎市も…
前日のこと、明日はどこへ行こうかと悩んでいたところ、群馬県館林市が浮上した。1時間くらいで行けるし、交通費も片道847円とそれほどかからない。館林市のことを調べてみると元城下町、見所もありそうだ。ということで、6月の猛暑の中、出動することにした。 大宮駅で乗ろうとしていた11時40分発の快速が20分遅れとのこと。次の11時45分発は定刻通りに来たので、それに乗る。当初予定より15位遅れて着いたが、問題ない。 駅を降り、日傘を差して、さあ、探索開始。旧町名の発見は期待していなかったが、いくつか見つけることが出来た。発見日 2025年6月19日 発見場所 群馬県館林市仲町 旧町名標示板 大手門に縦…
東京23区唯一の牧場「小泉牧場」でナンバーくん住所プレートに出会う。
したみち通りを歩いていると建物にナンバーくんのプレートがあるのに気が付いた。 こんなところに、と驚きを隠せない。 近くに寄ると、牧場らしい強烈な臭いが漂ってきた。 しかし、そんな臭いくらいではひるまない。 珍しいタイプのものだった。 このタイプのものは、以前紹介した下記に続いて2例目だ。(たぶん) citywalk2020.hatenablog.com 上部 この地域の郵便番号は177。 下部は広告主。 丸井林。今はなく、その後、「ファッションパーク ベベ」になったそうだが、それも2025年2月20日に閉店してしまったそう。 本当に牧場だった。 奥の方に牛さんが見えた。 帰ってから調べてみると…
2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
木製電柱と電力プレート「タドダイ-13」 in 神奈川県横須賀市
汗をかきかきしながら、一山超える勢いの急坂の路地を上り下りしていると、木製電柱が立っていた。 こんなところにも木製電柱があるんだと、感心ながら観察していると、電力プレートの存在に気が付いた。 いや、実際は、木製電柱を見た瞬間に気が付いていたのだが、こう書いてしまった。 横須賀市で初めて発見した電力プレートは、やはり木製電柱に付いていた。 カンドー!! 期待も全然していないのに突然出会ってしまったら、この言葉が出るのは当然のことだ。 目撃情報もない。 たぶん。 こんな道は、迷い込まないとたどり着けないだろう。 そんなところにあったのだ。 俺は今、猛烈に感動している。 誰の言葉だったっけ? 電柱の…
ネットで「吉片」の名がある旗竿ボックスの存在を知り、探してみることにした。 所在地は書かれていないので、自分で探すしかない。 「吉片」だから、"駒込吉祥寺町"と"駒込片町"があったあたりだろうと当たりを付ける。 下記の地図に町会の範囲が書かれていた。 ここのどこにあるのだろう? でも、全域を探してもそれほど時間がかからないだろう。 問題は現存しているかどうかだ。2025年5月26日、現地調査を開始する。 すぐ見つかると思っていなかったが、本郷通りの歩道を歩いていると、ちょうど下記の地図の現在地付近にあるのに気が付いた。 下の写真だと下の方。 本駒込地域センターの真ん前。 良く残っていた! 現物…
2025年5月23日たまたま通りがかったら、「2k540 11のヒミツ」が開催されていたので、このイベントの様子をレポートすることにしよう。 その1と2 高架下も、職人のまちかつて御徒町周辺は、伝統工芸職人のまちでした。工房が多く、クリエイターが増えている地域柄を反映しものづくりの街に。見えないところに実は工房が併設されているショップも多数! 周辺の街並みとの調和昔は東西を分断する壁がたちはだかっていた。開発後は、周辺の建物となじむように小さなスケールの棟が並んでいる。 秋葉原駅本屋 その3と4 二つの高架橋が一つになって、2k540になっている山手線・京浜東北線が走る鉄骨鉄筋コンクリート高架…
神辺土建コレクション この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。発見日 2025年4月22日 発見場所 埼玉県入間郡越生町 消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?発見日 2025年5月5日 発見場所 埼玉県入間郡越生町小杉 "梅園"が入っているので、旧町名扱い。ここからは2025年5月5日のこと。 予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。越…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区杉田 ① ② 歴史 1868年(明治元年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。 1889年(明治22年)4月1日杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。 1964年(昭和39年)3月24日新杉田町を埋立編入。 1978年(昭和53年…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の材質が違うのが面白い。京都市と法務局 「京都市」の"都"のフォントがユニーク。それぞれの近くにある円形の「法第14条地図」って何だ? 不動産登記法第14条第1項に基づいて作成された地図のことで、法的には「地図」と呼ばれる。これは、正確な測量に基づいて作成されており、土地の筆界(法的な境界)を示す公式なもの。 とのこと。
樹齢420年以上の「蘇武橋のエノキ」の下にある『今井町道路元標』 in 奈良県橿原市
今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…
大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…
朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…
たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。
平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…
2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…
国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…
一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…
北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。
東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…
2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…
通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市
2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…
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2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
現町名のものばかりだが、成田山へ向かう参道などでいくつか出会うことが出来た。 ①カミマチ-5 下のような町名プレートが電柱に貼られていた。 電力プレートには「カミマチ」となっているが、町名プレートのように「カミチョウ」が正しい読み。②サイワイ-1 ③ハナサキ-2 「ハナサキチョウ」だと思っていたが「ハナザキチョウ」と濁るんだね。 歴史 成田山新勝寺の日記には、台町・仲町・本町・田町の4町の地名が見られる。 江戸時代末期には台町から横町(幸町)が分かれ、台町は上町になる。 明治時代になって本町から砂田(東町)が分離した。明治22(1889)年、成田町ができた当時はほとんどが山林だった場所に、明治…
現在もネタ探しに日々奔走中だが、最近、過去撮った写真からもネタ探しを始めた。 そうしたところ、下記の記事で紹介した仲間が川崎市にいることが分かった。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 緑のおばさん?婦人警察官?の頭がなくなっていた。 どうして取れてしまったのだろう これはこれで恐怖だ。 上の記事の頭がある状態の写真 頭がある方が怖いかもしれない。発見日2020年10月23日
横浜市電保存館 2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。 入館しようと思ったら、現金のみだった。 あまり現金を持っていることはないので、入館できず。 常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。 少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。 入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。 横浜市電最後のポールだった。 このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大…
2025年6月7日、探索を終え、大泉学園駅に向かう途中、玄関付近に付けられている青いプレートが目に入った。 近寄って撮りたかったのだが、びびってしまい、道路からしか撮れなかったこの日。 小さい文字だが、"中村町"と読める。 上に書かれている文字が確認したい、再訪を決意する。 2025年6月9日再訪して、近くに寄って撮影する。 上に右書きで"東大泉町"、はっきり"中村町"と書かれているの確認できた。 上にあるプレートは何のプレートかわからないが、右書きで"大泉"と書かれていた。 右書きなので、戦前の板橋区時代ものかもしれない。 ここは東大泉だ。 中村町は現在中村1~3丁目になっていて、ここから随…
牧野記念庭園の常設展示室に展示されていた年賀状。 中央下に顔写真、その周りに似顔絵、植物図、歌が書かれている。 ここに書かれている内容を書き起こししてみた。 恭賀新禧 昭和十一年丙子元旦 元日口占 あんた芽出たい わたしもさうよ ともに迎へる御代の春 あちの本こちの草の根 齧らんと 歯を研ぎすます ひのえ子の年 結網子 ねずみのを鼠の尾 長いものには巻かれろカ、イヤ反対に巻いてやればよいワ ねずみもち鼠もち ハハア鼠が持つというのカ、鼠矢(クソ)などと言うなヨ〇〇が〇りいヤ ※ 丙子:ひのえね 口占:その場で口ずさんで作った詩 結網子(けつもうし):牧野博士の号住所が「東京市板橋區東大泉町」 …
2025年6月14日、探索途中に、公園が見えた。 日暮里公園だった。 初めてではないかと思うのだが、今回、何か書かれているものに気が付いた。 こうような旧町名関連のことが書かれていると、記事を書きたくなってしまう。 日暮里公園の記 その昔、現在の日暮里の大部分は「新堀」と言う地名で呼ばれていました。15〜16世紀の古文書にもこの地名がみられ一説には地元の土豪が屋敷にはりめぐらした掘りを人々がニイホリと呼び、この地の代名詞となったと言われます。江戸時代、高台の道灌山・諏訪台からの眺望が「春秋の景色、日の暮るを忘れる」景勝の地として知られるようになり、“ひぐらしの里(日暮の里)”とも呼ばれるように…
ネットて調べていたら、面白いものを見かけた。 番地が書かれていたので、板橋區時代の古地図で拡大鏡を使って番地を探し出す。そして、グーグルマップとその場所を照らし合わせたところ、おおよその場所がわかった。 次はストリートビューのお出ましだ。 この道沿いにあるだろうというところを探してみる。 すぐには分からなかったが、見つけることが出来た。(左下) しかし、問題はストリートビューの日付だ。 最新が、2022年6月となっていた。 ちょうど3年前だ。 残っているだろうか?2025年6月12日、武蔵関駅から探索を開始する。 現場付近に到着。 ない! ストリートビューで確認したところに、ない! 周辺をキョ…
2025年6月23日、この日は群馬県館林市を再訪する予定にしていた。また、大宮で、快速が10分程度遅れていた。なので、定刻通りに来た普通に乗ることにした。途中、蓮田で快速と待ち合わせするとのアナウンスがあり、快速の方が早く東武線の乗換駅の久喜に着くというので、東大宮で快速に乗り換えることにした。これが失敗だった。座れたので、寝てしまい、気が付いたら、次は古河とのアナウンスがあった。どうする? 調べてみると、館林に行くより、宇都宮に行く方が少し早く着くことが分かった。しかし、交通費は約倍。どうする?でも、近いうち、宇都宮に行こうと思っていたので、下調べの意味もあり、宇都宮に決定!とはいえ、何の情…
「高幡」は現存している町名だが、「大字高幡」は現存していないようなので、旧町名でもいいのかなと思ったが、小字町名扱いにしている。 発見日 2025年6月5日 発見場所 東京都日野市高幡 "別旅"、何となくいい感じの表現なので、単語があるのかなと思って調べてみたが、なかった。小字"別旅"の痕跡が残るのは、この公園だけだった。 別旅公園 別旅は若宮神社のあたりの小字名です。その昔、高幡不動尊の脇侍(わきじ)、矜羯羅(こんがら)・制吐迦二童子像(せいたかにどうし)を作った旅の僧がいました。村の人々はたいへん喜んで、僧が村を去る時皆で見送ったのですが、この地まで来て忽然と姿を消してしまいました。村の人…
以前下記の記事で蓮田市にあったゴミ捨て注意ポスターを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com お隣の県「群馬県館林市」にその姉妹がいた。 顔全体ではなく目の部分だけだが、すぐピンときた。 あの子だ! 群馬県にも越境していたのだ。 びっくりぽん!撮影日 2025年6月19日
当ブログでは小字町名も収集アイテムのひとつとなっている。 その理由は、現存している町名でも小字付きのものは圧倒的に少なく、レア感があるためである。発見日 2025年4月28日 ①川越市藤間西裏下 "大字"と"字"が省略されている。②川越市大字藤間字西裏下 文字以外は錆びだらけ。 文字まで錆ていて読めないものが多いが、これは状態がいい。 もしかしたら、錆の上に書いたのかな?"西裏下"の由来を調べてみたが、分からなかった。
2025年5月29日、「第2回横須賀市琺瑯町名看板探索プロジェクト」を実施することにした。ストリートビューで事前調査を実施したので、所在地はバッチシだ。しかし、現存しているのだろうか? 自分が持っている地図には載っていない場所だったので、Mapionの地図を印刷していった。 京急線「汐入駅」から探索を開始する。 現地に着くまでスマホの地図アプリを多用した。 ストリートビューでは坂道があまり実感できない。実際に行くと、えっ?ここ上るということも少なくない。車が通れなさそうな上り下りの道も指示され、やっとの思いでたどり着いた。 それにしても、よくこんなところに住宅地を作ったもんだ。横浜市も川崎市も…
前日のこと、明日はどこへ行こうかと悩んでいたところ、群馬県館林市が浮上した。1時間くらいで行けるし、交通費も片道847円とそれほどかからない。館林市のことを調べてみると元城下町、見所もありそうだ。ということで、6月の猛暑の中、出動することにした。 大宮駅で乗ろうとしていた11時40分発の快速が20分遅れとのこと。次の11時45分発は定刻通りに来たので、それに乗る。当初予定より15位遅れて着いたが、問題ない。 駅を降り、日傘を差して、さあ、探索開始。旧町名の発見は期待していなかったが、いくつか見つけることが出来た。発見日 2025年6月19日 発見場所 群馬県館林市仲町 旧町名標示板 大手門に縦…
したみち通りを歩いていると建物にナンバーくんのプレートがあるのに気が付いた。 こんなところに、と驚きを隠せない。 近くに寄ると、牧場らしい強烈な臭いが漂ってきた。 しかし、そんな臭いくらいではひるまない。 珍しいタイプのものだった。 このタイプのものは、以前紹介した下記に続いて2例目だ。(たぶん) citywalk2020.hatenablog.com 上部 この地域の郵便番号は177。 下部は広告主。 丸井林。今はなく、その後、「ファッションパーク ベベ」になったそうだが、それも2025年2月20日に閉店してしまったそう。 本当に牧場だった。 奥の方に牛さんが見えた。 帰ってから調べてみると…
2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…
紫陽花の季節はもう終わりだが、当ブログではまだ続いている。撮影日 2024年6月8、10、11日 紫陽花の季節なので、人出が多い日もあったので、他の探索と組み合わせて、3日間も通ってしまった。 他の紫陽花の名所に行けばよかったかもしれない。 でも、このような橋と紫陽花が一緒に撮れる場所はここだけなので、結果こうなってしまった。飛鳥の小径 飛鳥山下こ線人道橋王子駅ホームから 橋の上の構造 アーチが美しい。 東京都北区王子1丁目でJR東日本東北本線および東北貨物線を跨ぐ人道橋である。京浜東北線王子駅南口と隣接する飛鳥山公園を結ぶ。1925年(大正14年)竣工で、日本国内に現存する数少ない古レールを…
初訪問日 2020年3月23日(再訪日2024年5月2、9、14日)槐戸橋から 対岸から 藤助河岸跡 蒲生の一里塚 綾瀬川右岸 舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 俳人 高浜虚子 この句は高浜虚子が綾瀬川を舟で下った時の作品と言われている。虚子の句が掲げられている反対側のプレート そうかふるさと歩道 川が培ったふるさとのまち 綾瀬川コース(5.5km) 左岸 蒲生大橋「日光道中分間延絵図(文化三年一八〇六年完成)」によると、この橋は、大橋土橋と記されており、長さ一二間四尺、幅二間一尺、綾瀬川に架けられた土橋で、御普請場。足立郡と埼玉郡の境と解説されている。昭和五一年八月に永久橋に架替された時の橋歴書…
都電荒川線の架線柱の中に、柱が緑色に塗られ、先端にタマネギ型の装飾が付いたものがあるらしい。 知ったからには探してみたくなるというのは当たり前のことだろう。訪問日 2024年6月13日それらは荒川二丁目駅周辺にあるらしい。 ①荒川区役所東交差点付近の踏切 架線柱 荒区30号 あっ、これね。 確かにタマネギ型になっている。 カワ(・∀・)イイ!!~、かも。②荒川二丁目駅の先 2本並んでいる。 荒川自然公園の坂の上からちょうどよく見える。 荒二 8号 荒二 6号 荒川七丁目駅から荒川区役所前駅までの間を探してみた。 緑色の柱は何本かあるのだが、先端があるものは紹介した3本しか見つからなかった。荒川…
2024年6月15日、浅草四丁目の路地を歩いていたところ、役目を終えたレトロ電柱を発見した。 下から見ていこう。特に装飾もなく、シンプル.。 裏側に製造メーカーが書かれているのだが、塀と電柱の隙間がほとんどなく、確認できなかった。 正面のプレートには「浅草三業地(象潟二)」と書かれていた。 「象潟二」は「象潟二丁目」のことだと思う。「浅草象潟二」となっていないということは、もしかしたらこのレトロ電柱は戦前から存在していたもの? この辺りは戦災を受けているので、戦前の建物は残っていないが、コンクリート製なので残ったのかもしれない。上部には球形の装飾が残っていた。 周辺を探してみたが、これ1本しか…
以前もこの辺りは探索したことがあるのだが、探索したことをすっかり忘れていた。 この出桁造りの古い商家も記憶がなかった。訪問日 2024年6月22日 訪問場所 東京都墨田区東向島萬屋糸店 かつては婦人用品や糸類を扱っていたそう。レトロ感満載のたばこ売り場が併設されている。 この曲線のフォルムが素晴らしい。書かれている文字のフォントもいい味出しているじゃあーりませんか。 “Cigarettes”は筆記体。 平成からは筆記体が必修でなくなったそう。 ということは、今の子は書けない?斜め書きの「たばこ」がシャレオツ(死語かな?)。 2020年1月6日はまだ営業中だった。 山田屋酒店 酒屋にあれの自動販…
2024年6月22日、四ツ目通りを歩いていたところ、駐車場の奥に何か気になるものが見えた。 近寄ってみると、これだった。 見たことがあるものだと思ったのだが、過去の写真を調べてみると、撮っていなかったことがわかった。 なので当然記事にもしていなかった。 と言うことは初見のもの? こう言い切れるかわからないが、そういうことにしておこう。「吾嬬町西」の痕跡が他にもないかと探していたところ、下記の看板の存在を知り、ストリートビューで確認してみる。 あった。 ここからは2024年6月24日のことになる。 現地に確認しに行くが、あるはずの場所がなかなか見つからない。 たどり着いていたのだが、ストリートビ…
旧町名「台東区入谷町」の痕跡については、過去2回下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 探すつもりもなく、歩いていると、「台東区入谷町」の表札と電力プレートを見かけた。 もうさすがに新たなものは見つからないだろうと思っていたのだが、撮ったか撮っていないか覚えていないので、念のため撮っておいた。 家に帰って調べてみたところ、すべて初見のものであることが分かった。 これらは、路地とかではなく、普通の通り沿いにあった。 この辺りも探索したことがあるはずなのだが、見落としていたということになる。 …
さいたま市浦和区前地にある鉄塔の下にあじさいが咲いているところがあった。 芝川線というらしい。 鉄塔を見上げる。 アジサイショートロードには、 色とりどりの紫陽花が咲いていた。
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 最近、新たな発見が続いていて、このパターンが続いている。 探し尽くしたと思っていた台東区にもまだ旧町名の痕跡がいくつか残っていた。①台東区浅草田中町一丁目十番地 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区東浅草二丁目 ②台東区浅草田中町二丁目二番地 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区日本堤一丁目 このパターンの住所プレートは2例目。 今回のものは、劣化していて読みにくくなっているが、何とか読めるだろう。地名の由来 この辺りは古くから水田が広がる土地で、町域は田の中だったことから俗に「…
「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH島乗っかり企画として、NTT技術史料館に訪問して、下記の記事を書いた。 citywalk2020.hatenablog.com 2024年6月16日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!」~ 激闘111日DASH島に電話完成700m先と通話なるか ~ の番組の内容の一部は、 ロープウエーの終着駅から舟屋までの全長700メートルをつなぐ「DASH島 電話計画」もいよいよクライマックス。その完成を目前に控え、国分太一(TOKIO)は、屋根のない終着駅でも雨風をしのげる電話ボックスを製作。島でかき集めた材料で、使い勝手と見晴らし抜群の電話ボックスを作り上げた。…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①下谷區上根岸一七番地 発見日 2021年3月27日 発見場所 東京都台東区根岸三丁目 文字が薄くなっていて、町が抜けているが、下谷區時代の貴重なものだ。上野桜木から橋を渡ってきたのだが、この辺りを訪れたのは初めてかもしれない。②上根岸町99 発見日 2024年6月20日 発見場所 東京都台東区根岸二丁目 区名が書かれていないので、下谷區時代のものか台東区になってからのものかわからないが、見た目には台東区になってからのもののような気がする。旧町名由来案内 呉竹の根岸の里は、上野山を閉経にした田園風景と清流音無川…
今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。①台東区浅草象潟町三丁目 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区浅草五丁目 この表札は2015年6月13日放送に放送された「タモリ倶楽部 ~旧地名ハンター・ツアー浅草編」で紹介されたことがあるそうだ。②台東区浅草象潟一丁目 次に紹介するのは初めて見るタイプの住所プレート。(この時は初めてだったが、後で同じタイプの住所プレートを発見することになる。)発見日 2024年6月15日 発見場所 東京都台東区浅草四丁目 琺瑯製ではないようだ。 「台東區」はマジックで書いたような感じで、「合東區」に見える。 「…
2024年6月17日17時頃、当ブログの累計アクセス数が、10万アクセスを達成しました。 月10万でも年10万でもありません。 2021年8月20日にブログを公開してからなので、約3年です。 予定では7月に達成できるかなと思っていたのですが、1ヶ月前倒しで達成することができました。 自分的には、公開当初は考えてもいなかったことなので、とても感慨深いです。 ということで、また調子に乗って記事を書いてしまっています。 まあ、このようなことで記事を書くのは最後だと思いますので、大台に乗ったということで大目に見ていただくことにしましょう。ここからは10万アクセスまでのトピックス的なことを書いていきたい…
もともと訪れる予定をしていなかったが、探索していたところ、短い距離の間だったが、いくつかの見所がある場所があった。 訪問日 2024年6月8、13日東京都北区指定有形民俗文化財赤紙仁王(石造金剛力士立像)北区田端2-7-3 東覚寺 参詣客が赤色の紙を貼るため赤紙仁王の名で呼ばれるようになった東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641) 8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…