chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

citywalk2020
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/12/12

arrow_drop_down
  • 川越鉄道開業130周年記念写真展 in 狭山市駅

    西武新宿線「狭山市駅」階段を上っていくと、窓に写真が貼られていた。 こんな催しが開催されているなんて知らなかった。 ほぼ独占状態だったので、写真を撮りまくってしまった。 川越鉄道開業130周年記念写真展について 川越鉄道は、1895年(明治28年)3月21日に国分寺駅から川越駅(現・本川区)を結ぶ路線として開業しました。現在の西武鉄道の路線の中で初に開業した区間であり、 1894年12月21日に国分寺~久米川駅(現・東村山駅)間が開通、翌1895年3月21日に川越駅(現・本川越駅)まで全線開通しました。創業当初の目的は、地域の物資輸送と人々の移動を支えることで、農産物の輸送や観光用業の活性化を…

  • かつて入間市に存在していた「西武町」の痕跡を探す。

    調べていたら、仏子駅付近にかつて「西武町」があったらしいことを知る。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、小谷田村、新久村が合併し入間郡東金子村(ひがしかねこむら)が成立する。 1954年(昭和29年)4月1日前年施行された町村合併促進法により、飯能市の一部(野田、仏子、新光の一部)を編入、町制施行、即日改称し西武町となる。 町役場を大字仏子に設置。町名は旧・武蔵国の西部にあたることによる。 1956年(昭和31年)9月30日町の一部(旧・東金子村)が豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村と合併し武蔵町を新設する。 1967年(昭和42年)4月1日入間市へ編入する。入間市になったの…

  • 電力プレート「ハラ-11」 in 神奈川県横浜市磯子区

    横浜市は随分探索しているが、中々電力プレートが見つからない。 これでやっと2枚目だ。 たぶん。 発見日 2025年5月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区原町 下部の"中"は横浜市中区のことだろう。剥がれかかっているシールの街区表示板 シールでも街区表示板というらしい。 横浜市では、令和元年度から、シール製街区表示板への貼り換え作業を進めているとのこと。 貼り換え前のものも残っている。 歴史 1933年(昭和8年)4月1日磯子区滝頭町から原町が分割される。 1965年(昭和40年)7月1日住居表示実施。

  • 旧町名「東京市小石川區駕籠町」が併記されているマンション名プレート

    以前下記の記事でビル名プレートに「駕籠町」が書かれているものを紹介したことがあるが、2025年5月26日探索中に新たなものを発見した。 citywalk2020.hatenablog.com 書かれているアルファベットは何と読むのかなと近づいてみると、旧町名が書かれているのに気が付いた。 ただの「駕籠町」ではなく、「東京市小石川區」となっていて、右書きなんて、かなりこだわりを感じる。 ホームページがあるのかなと調べていたところ、ここに由来が書かれていた。 https://femtioett.com/what_is.html フェムティエット(femtioett)はスウェーデン語で「51」とのこ…

  • 琺瑯町名看板を探して ~ 横須賀市編1 ~

    2025年5月22日、横須賀市初上陸。横須賀中央駅から探索を開始することにした。①横須賀市深田台41 ストリートビューで見つからなかったので、消滅してしまったと思っていたが、念のため付近を探してみた。そうしたら、かなり無残な姿になっていたが、店の軒先にぶら下がっていた。 ②富士見町3丁目50 番地が50か58か59かわからず、これもストリートビューで見つけられなかった。 しかし、現地調査で無事発見することが出来た。 50だった。 帰ってからストリートビューを確認してみたら、すぐわかった。わかりやすいところにあったのに、最初見た時、なぜ分からなかったんだろうと、自問自答。③横須賀市公郷町4丁目1…

  • 琺瑯住所プレート「川越市藤間」PartⅢ

    以前、「川越市藤間」の琺瑯住所プレートは下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 2025年4月28日、久しぶりに「川越市藤間」を探索したところ、見落としていたものが3枚あったので、紹介することにしよう。 この地域は短いが、路地は坂道と階段だらけだ。それを登ったり下ったりするので結構足に堪えた。①川越市藤間八七七 ②川越市藤間八九二 ③川越市藤間八九六 まだあると思っていなかったので、本来これが目的ではなく、町名看板を探しに来ていたのだが、その探索中に発見できたのは、ラッキーなことで…

  • 神辺土建コレクション in 埼玉県入間郡越生町 ~ 郵便関連編 ~

    ここは「旧武蔵国越生郵便局」の跡地だったということもあり、貴重な郵便関連のものが展示されていた。 一角にカラフルな郵便ポストが並んでいた。 元の赤色のままにして置いていたら、お上から「間違えて投函する人がいるので撤去するように。」と言われたそうで、それでこのようにレインボーカラーに塗ったそうだ。ピンクに塗られた明治時代の郵便ポスト 昭29昭和製 昭37年吉村製? 富岡製糸場の庭にあった郵便ポスト 越生郵便取扱所の通用門 越生郵便局小史明治元年(一八六八年)から明治四年にかけて、明治政府は郵政の前身、駅逓司、駅逓寮等の役所を設置、職制を制定、郵便事業の基礎を作った。しかし、当時の逓送は飛脚業者に…

  • 旧町名「横浜市港北区南綱島町」「横浜市港北区北綱島町」

    「綱島西」で発見した旧町名「南綱島町」と「北綱島町」。 なぜ、"南"と"北"が"西"になった? 理由は下に書いてある歴史の中に書かれていた。発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区綱島西①横浜市港北区南綱島町 ②横浜市港北区北綱島町 歴史 1872年(明治5年)10月10日大区小区制に伴い、橘樹郡南綱島村と北綱島村は樽村・大曽根村・太尾村・箕輪村と共に神奈川県第3大区7小区となる。 1878年(明治11年)7月22日郡区町村編制法に伴い、元の橘樹郡南綱島村と北綱島村に戻る。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、南綱島村および北綱島村の2村は樽村・大曽根村・太…

  • 埼玉県川越市で発見した"司法省の境界石"と"個人名の刻字がある境界石"

    2025年4月14日、川越市を探索中にさいたま地方検察庁川越支部の角に境界石があるのに気が付いた。 昭和十一年 司法省と刻まれていた。 左隣は裁判所 その端にも草に囲まれている境界石があった。 司法省(しほうしょう)は、1871年(明治4年)から1948年(昭和23年)まで設置されていた日本の行政官庁。司法行政や、登記や戸籍といった民事行政、監獄、検察等を所管していた。廃止後、法務庁(後に法務府、法務省へと改称)に事務が引き継がれた。更に探索していると、特別養護老人ホームの角に個人名が刻字されている境界石があった。 上には北と南の文字が刻字されている。 このようなフルネームが刻字されている境界…

  • 旧町名「埼玉縣入間郡飯能町」

    下記の記事で、「飯能町時代の痕跡も発見したかったのだが、今回は発見することができなかった。」と書いていたのだが、 citywalk2020.hatenablog.com かなり前に発見していたことをすっかり忘れていた。 過去に撮った写真を見ていたところ、お宝が眠っていることに気が付いたのだ。 どこかに書いたかもしれないが、当ブログ開始(2021年8月20日)以前に撮った写真は、記事にできていないものがほとんどなので、過去に撮った写真の発掘もしくことにしよう。 発見日 2020年4月21日 発見場所 埼玉県飯能市 歴史1889年町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村…

  • 童謡「赤とんぼ」作曲の地と木製電柱と電力プレート in 神奈川県茅ケ崎市

    2025年4月24日、茅ケ崎市を探索中に「赤とんぼ作曲の地」と書かれた看板があるのに気が付いた。 行ってみることにした。 まず木製電柱発見。 茅ヶ崎市で何本目だろう。電柱に付いていた電力プレート。 形は同じなのだが、上部が東京電力のマークではなく、防犯灯と書かれており、中央が町名ではなく数字。ようやく見つけたと思ったのに、つまんな~い。童謡「赤とんぼ」作曲の地 作曲家山田耕筰は1926年(大正15年)40才の時東京より家族と共にこの地に移り住みました。トラック3台分の楽器はこの奥の大工さんの特設小屋に保管されました。晴朗な湘南茅ヶ崎の大気その晴朗な大気と愛児らの素純、それこそは私の胸底に徒らな…

  • 通称町名「奈良市三條町三綱田町」

    2022年4月8日の探索中、早朝6時頃に発見した表札。 「三條町三綱田町」? 「三條町」と「三綱田町」と町が続いている。 「三條町」が町名で、「三綱田町」は通称町名だった。 「三綱田町」はなんと読むんだ? 難読町名だと思うが、通称町名になってしまったためか、この通称町名についてあまり書かれているものはなかった。 回答は次の交差点名にもあるが「さんごでちょう」だった。交差点「三綱田」 由来 当地がかつて興福寺三綱の領田であったのに由来すると言われている。 ※三綱(さんごう)仏教寺院において寺院を管理・運営し、僧尼を統括する上座(じょうざ)・寺主(じしゅ)・都維那(ついな・維那とも)の3つ僧職の総…

  • 旧町名「神奈川県横浜市港北区日吉町」&旧番地「神奈川県横浜市港北区日吉本町」

    日吉(ひよし)は、神奈川県横浜市港北区の町名。住所表記上の「日吉」以外に、日吉本町・箕輪町・下田町も一般に「日吉」と呼ばれる。旧町名 日吉町 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区日吉 ① ② 旧番地 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区日吉本町 ③ ④ ⑤ ⑥箕輪町 発見日 2020年11月19日 発見場所 神奈川県横浜市港北区箕輪町 歴史 1889年(明治22年)市町村制施行に伴う町村合併で、神奈川県橘樹郡のうち、駒林村・駒ケ橋村・箕輪村・矢上村・南加瀬村・小倉村・鹿島田村が合併して、日吉村が成立。 1937年分村合併が実施される。矢上・駒…

  • 阿佐谷アートフォレストウォールの絵に見入る。

    探索中に出会った動物が描かれているアートウォール こちらの壁画は阿佐谷アートフォレスト2015の企画のアート作品です。阿佐谷を文化と福祉、緑の街として彩ることを目的として、杉並区のアーティ しました。森の持つ多様性や神秘性を町に還元できるように「森」をテーマとしています。 まちづくりの一環として助成金を受け、壁面の所有者に許可を受けて地域に住んでいとに製作いたしました。 平成28年12月をもって完成いた読めないところが多いが、肝心なところは残っている。近くの壁に描かれていた絵。 このような街に埋もれているアートの掘り起こしもしていきたい。撮影日 2025年1月11日

  • 中野の犬屋敷跡 中野区役所と一緒にお引越していたワン

    2025年3月20日、杉並区内探索後、高円寺駅から帰ろうと思ったが、中野駅も近かったので、中野の犬屋敷跡が移転したという情報を思い出し、再開発中の所なんか見たくもなかったが、久しぶりに中野駅方面へ向かうことにした。駅付近にあった案内図を見ると、その一部にシールが貼られていたワン。 犬のブロンズ彫像と書かれているワン。 そこに行くんだワン。 中野区役所が随分前に移転していたワン。 知らなかったワン 旧中野区役所 新中野区役所 立派になっていたワン中野の犬屋敷跡 移転前 移転後 少し狭くなった気がするワン 区役所のガラスに映る夕焼けを見るワン。 犬屋敷は、五代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設…

  • 月岡温泉にあった「暴力追放宣言」の看板

    2020年11月17日早朝、温泉街を探索している時に発見。 暴力追放宣言 犯罪のない明るく住みよい社会を作ることは、 われわれ国民の願望であるのにかかわらず、今なお法律を無視した無軌道な行為を敢えてし、善良な市民に不安と苦痛を与えているもののあることは、まことに残念であり、われわれは暴力に対し、 心から強い憎しみと憤りを覚える。今回、ここに業界の会同開催にあたり、われわれは、今後一層関係機関と連けいを密にし、暴力追放運動を推し進めるとともに本組合の名のもとに、つぎのことを宣言する。 一.われわれは、順法精神の高揚をはかる。 一.われわれは、暴力を徹底的に排除するため、 暴力被害等の届け出を積極…

  • 『磯子に花街があった頃からあるらしい2本のレトロ電柱』と『八幡神社にある謎の球体』

    2025年5月12日、根岸駅周辺を探索後、磯子駅方面へ向かう。 その途中、16号線沿いでレトロ電柱を発見! いかにも自分が発見したように書いてしまったが、目撃情報があったものだ。 既に現役ではないようだ。上部の装飾 サビサビだ。プレートは取り外されていた。 何と書いてあったのだろう? 花街関係のものだろうか?下部 いいよねぇ、この特徴的な形。この部分は空洞になっているものが多いが、まだ部品が残っていた。 付いていた電力プレート "街"のよく見かける奴。次に紹介するのは、目撃情報がなかったもの。 周辺に他にもないかなと探していたら、モジャハウスにあった。 先に見つけたものと同じ装飾。 こちらの方…

  • 数字とひらがなが混ざる漢字「憩」

    店の扉にだったと思うが、書かれていた「憩」の文字に💮 数字「151」と色が付いたひらがな「いこい」が混在していた。発見日 2025年4月29日 発見場所 埼玉県所沢市狭山ヶ丘

  • 旧町名「新潟市沼垂」

    新潟市の難読町名「沼垂」の表札。 過去に撮った写真を見ていたら、その存在に気が付いた。 「沼垂」は「ぬったり」と読む。 発見日 2020年11月17日 発見場所 新潟県新潟市中央区沼垂西 歴史 1889年(明治22年) 町村制施行に伴い中蒲原郡沼垂町、蒲原村、流作場新田、長嶺新田が合併し、町制施行して沼垂町が発足。 1914年(大正3年)4月1日沼垂町は、新潟市に編入され消滅。新潟市の大字となる。 1968年(昭和43年)沼垂の一部から沼垂東、沼垂西、竜ヶ島、日の出、鏡が岡が分立した。 2007年(平成19年)4月1日新潟市の政令指定都市移行に伴い中央区が設置される。 大字としての沼垂は新潟市…

  • 旧町名「入間市森坂町」と小字町名「入間市大字仏子字○○」

    今回は入間市西部地区で発見した旧町名と小字町名を紹介することにしよう。旧町名 目的のものを探していたのだが、その標識があるのに気が付かず、そのまま進んでしまい、上らなくてもいい急坂を上ってしまった。そこに住宅街があり、これがあった。苦労して上った甲斐があったというものだ。 発見日 2025年5月8日 発見場所 埼玉県入間市森坂 現町名は"町"が取れただけだが、旧町名は旧町名だ。小字町名 発見日 2025年5月8日 発見場所 埼玉県入間市大字仏子 ①入間市仏子字霞沢 ②入間市仏子広町 「仏子」 読めるだろうか? 自分は埼玉県民なので、わかるが、難読地名のひとつだ。 答えは「ぶし」歴史明治19年(…

  • 琺瑯町名看板「川越市藤間896」

    「悠久の思い出」さんから情報をいただき、探しに行くことにした。 ストリートビューの事前調査では、これがあると思われる路地は入れなかったので、現地で確認するしかなかった。路地を往復するが、見つからない。 消滅してしまったのか? 路地を出てふと振り返ると、生垣の下に青いものが見えた。 あった。 こんなところにあったのか。 発見日 2025年4月28日 これは気が付きにくい。 帰ってからストリートビューを確認してみると、ストリートビューでも確認することが出来た。古い方が、生垣が成長していないので、わかりやすかった。

  • 昭和通りと交差する江戸-平成-------明治

    昭和通りを歩いていたところ、江戸通りと交差する交差点に気が付いた。 調べてみると、昭和通りが平成通りと明治通りと交差する交差点もあることが分かったので、2025年4月19日、明治通りと交差する交差点まで歩いてみることにした。 本当の時代は、江戸→明治→昭和→平成なので、時代通りではないが、実際にそうなっているので仕方ない。 タイトルの"-"はそれぞれの距離感を表している。①昭和通りと交差する江戸通り。 昭和通り 国道4号線と都道316号線江戸通り 国道4号線と国道6号線②昭和通りと神田平成通りが交差する東松下町交差点 ③昭和通りと交差する明治通り 昭和通り 国道4号線 明治通り 都道306号線…

  • 東日暮里の路地にあるレトロ電柱

    2025年3月29日、東日暮里四丁目の路地を歩いていたら、レトロ電柱に類すると思われるものを発見した。 形はストレートであれだが、銀色に塗られているので、レトロ電柱扱いとすることにした。 多分「東日暮里四丁目町会防犯灯」と書かれている。 日街 日本街路灯製造株式会社の略か? www.gairoto.co.jp 下部

  • 旧町名「神奈川県横浜市港北区太尾町」

    以前撮っていた横浜市の写真を見返していたところ、旧町名の写真が結構あることが分かった。 この頃は、琺瑯町名看板の探索がメインで、その探索で横浜市の各区をうろついていた。 その時にたまたま見つけた旧町名を撮っていたようだ。 "撮っていたようだ"というのは変な表現だが、覚えていないからだ。撮っていた時期が、ブログ開始(2021年8月20日)前だったので、まだ、記事にしていないものがいくつもあった。 それらは旧町名は「町」が付いていて、現町名は「町」が付いていないものが多いが、消滅してしまった町名なので、旧町名であることには変わりない。 その中には完全に町名が変わってしまっているものもあった。 旧町…

  • 電力プレート「ハナザワ-32」 in 東京都国分寺市

    国分寺駅ロータリー付近の柵に「計画道路」の看板が貼られていた。 この裏側は更地になっていた。 ということは、これは消滅してしまったことになる。 citywalk2020.hatenablog.com この道沿いの角の元居酒屋に、電力プレートがあった。 発見日 2025年4月12日 発見場所 東京都国分寺市本町三丁目 以前探したことがあったような気がするが、その時は、南口側を探していたので気が付かなかった。 でも、この道は通ったことがあるはずなのに、その時は気が付かなかった。 その頃は、まだ探索レベルが低かったのかもしれない。 道路が計画されているので、いずれ消滅してしまうだろう。 その前に出会…

  • 彦根市に設置されている旧町名関連のプレート・石標・説明板

    2025年4月10日、市内を探索していたところ、旧町名関連のものにいくつか出会った。 彦根史談会が設置した町名プレート ①元川町 ②京橋通 ③鍛冶屋町 藩政時代町名が刻字された石標 ①連着町 桶屋町 ②紺屋町 彦根商工会議所 女性会が設置した旧町名説明板 白壁町は、彦根城下町の中央付近に位置した町で、町名の由来は、富裕な町人が多く、白壁造りの屋敷が多かったことによるという説があります。元禄8年(1695)の「大洞弁財天祠堂金寄進帳」によると、当時、町内の総軒数は53軒で306人が住んでいました。職種は、鍛冶屋が5軒と最も多く、そのほか小間物屋4軒、米屋・煙草屋・搗米屋・薬屋各3軒などとなってい…

  • 新宿区市谷台町に残る郵政省の境界石

    市谷台町宿舎の両側に境界石が設置してあった。 白いシールの下は旧番地が隠れているのだろう。右端のもの 正面 左面 「郵政省」の文字が見える。 真上 中央に青い点、下に黄色の点がある。左端のもの 右側に「郵政省」の文字が見える。 真上 中央に青い点がある。「〒」のものはたまに見かけるけれど、「郵政省」と刻まれているものは、見たことがないかも。覚えていないだけかもしれないが・・・。その可能性が大なんだよね。記憶力に自信があると言えない年になってしまった。発見日 2025年1月28日

  • 大津駅に北緯35°線モニュメントがあるが、北緯35°線は移動していた。

    大津駅を降りると北口近くの通路に北緯35°と書かれている大きなポスターが貼られていた。(東側) 何だ? ホテルのバスの時間が近づいているので、写真だけ撮って、後ろ髪を引かれる思いだったが、バス停へ急ぐ。 翌朝、電車が来る間に確認してみることにした。 1・2番線ホームに上がる階段に矢印があった。 どこにあるんだ? ホームの一番端にモニュメントが設置されていた。 赤に塗られたレールが北緯35度線を表わしている。 裏側 左側面 地球儀をアップ 北緯35度線が描かれている。 北緯35度線と大津駅 大津駅は、北緯35度線上に位置しています。線上を東の方向に進むと千葉県千倉町で太平洋に出、 アメリカ大際で…

  • 電力プレート「タナカ-2」 in 埼玉県狭山市

    何か旧町名の痕跡が見つかるかもしれないと思い、自治会名が書かれたプレートの写真を撮っておいた。 そうしたら、運よく電力プレートを発見することが出来た。 発見日 2025年5月1日 発見場所 埼玉県狭山市狭山 町名としては面白みのないものだが、電力プレートが現存していることに意味がある。今昔マップ(1944年~1954年)を見てみると「田中」が載っていた。 歴史 旧武蔵国入間郡入間川村之内田中村。 1891年(明治24年)8月14日入間川村が町制施行し入間川町となる。埼玉県入間郡入間川町田中。 1954年(昭和29年)7月1日入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が新設合併し市制…

  • 木製の枠で囲まれた「財団法人結核予防会」の古そうな看板

    2022年11月14日、京都市内を探索中に発見。 今まで訪問した市区町村で初めて見たもの。 結核予防標語 結核の撲滅へ早期発見 財団法人結核予防会 京都府支部結核は過去の病気だと思っていた。しかし、実態は違っていた。近年でも、毎年約10,000人が新たに結核を発症し、1,500人以上が結核で亡くなっているそうだ。最近の日本の結核患者の傾向をみると、70歳以上の高齢者が約6割を占めているそうだ。その年齢に近くなってきているので、気を付けなければ。

  • 旧町名「埼玉県入間郡武蔵町下藤沢」

    入間市のことを調べていたら、次の情報が見つかった。 「埼玉県入間市において、区画整理事業により町名が新設され住所変更がおこなわれました。 実施日は2021年5月1日です。 新設される町名は、下藤沢1丁目 下藤沢2丁目 下藤沢3丁目 下藤沢4丁目 下藤沢5丁目です。 従来の住所は、「大字下藤沢」 他 です。 入間都市計画事業武蔵藤沢駅周辺土地区画整理事業(市施行)は、土地区画整理法第103条第4項の規定により、令和3年4月30日付で、換地処分の公告が行なわれました。 施行地区の区域入間市大字下藤沢字下前原、同字中前原、同字水押、同字筑地、同字山ノ神、同字三方原、同字水入、同字本山、同字明ノ沢およ…

  • 空き地前に残る三室商店会の街路灯 in 埼玉県さいたま市見沼区

    以前は工場みたいのが建っていた。 いつの間にか更地になっており、そこに1本の街路灯だけが残されていた。 上部がイエローとグリーンになっている。 真下から見たところ 周りを探して見たが、この形のものは、他にはなかった。 ここに何かの施設ができる時に撤去されてしまうかもしれない。撮影日 2027年1月27日

  • 神辺土建コレクション in 埼玉県入間郡越生町 ~ オブジェ編 ~

    以前板橋区にある昭和レトロ満載の展示会場?を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は、敷地が広い分、板橋区のものを上回ると思われる「神辺土建コレクション」と言われているところを3回に分けて紹介することにしよう。 ※神辺土建コレクション「旧武蔵国越生郵便局」の跡地で、また2011年に廃業した越生酒造の酒蔵があった場所に、土木・建築・解体業等を営む(有)神辺土建の社長が収集した骨董品や昭和レトログッズを展示している。県道の西側 トリケラトプス 美ヶ原美術館作品原作とある。 沢山あるが全部そうなのか? ハート目のピンクカエル ピンクの鳥居も見える。 彫刻家…

  • 群馬県高崎市で発見した『東京電燈』時代のものと思われる3枚のプレート

    以前、下記の記事で東京電燈のプレートを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 この形を覚えていてほしい。高崎市で以前撮った写真(2024年8月26、27日)を調べていたところ、撮った時は気が付かなかったが、『東京電燈』時代のものと思われるプレートが3枚あった。 3枚も現存していることがわかったので、記事を書いている今、独りでコーフン!状態。 今のところ、この高崎市に現存する『東京電燈』時代のものと思われるプレートについて書かれたものはない(自分調べ)ので、これが初出になるのかもしれない。①まず1枚目、左側の八角形をしたプレートがそれ。 劣化し…

  • 電力プレート「イナカミ-17」 in 栃木県小山市

    栃木県小山市で発見した電力プレート。 調べても、分からなかったので、調べることを放置していたら、記事にすることを忘れていた。発見日 2024年11月12日 発見場所 栃木県小山市本郷町 発見した場所は「本郷町」だ。 「イナカミ」? どういう漢字を書くのだろう? 「稲神」や「稲上」で調べてみたが、分からない。 現存している町名を調べていたら、「稲葉郷(イナバゴウ)」と「神鳥谷(ヒトトノヤ)」があった。 「稲葉郷」の"稲"と「神鳥谷」の"神"で、「稲神」? 通称町名か?難読町名「神鳥谷」について その昔、近くに鷺城という出城が有り、鷺は神鳥とされ「しとと」と呼ばれていたので、谷の様な地形とあわせ、…

  • 琺瑯町名看板 in 埼玉県越谷市 PartⅡ

    埼玉県越谷市で発見した琺瑯町名看板は、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 「悠久の思い出」さんに越谷市と草加市と川越市に琺瑯町名看板あるとの情報をいただいた。ストリートビューの日付を見ると越谷市のものは2024年6月、草加市のものは2022年6月となっていた。ストリービューの情報が少し古い。現存しているのだろうか?越谷市と草加市は東武鉄道の同じ路線上にあるので、まとめて確認することにした。 情報を戴いた当日の2025年4月21日、越谷市を再訪した。まず、今回は、約5年ぶりに新たに越谷市で発見した2枚の琺瑯町名看板を紹介することにしよう。①越…

  • 旧町名「東京都北多摩郡清瀬町中清戸」

    最初の投稿時は、「上清戸」と同じ記事の中で紹介していたのだが、「上清戸」「中清戸」とも新たに発見したものがあったので、記事を分けることにした。 citywalk2020.hatenablog.com ①清瀨町中清戸 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「瀬」の旧字体「瀨」、よろし。②北多广郡清瀬町中清戸 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「北多广郡」よろし。③清瀬町中清戸 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 ④東京都北多摩郡清瀬町中清戸 発見日 2025年4月17日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 これは目撃情報があったも…

  • 旧町名「埼玉県入間郡越生町西和田」

    埼玉県でまた探索したことがない自治体を探していると、どういう経緯か忘れてしまった(つい2、3日の前のことなのに・・・)が、越生町が面白そうだということになった。 越生梅林くらいしか思いつかなかったが、段々調べていくように、どうしても見てみたいものあった。 それについては、後で書くことにしよう。 その前に、「越生町」を何と読むかご存じだろうか? "ねとらば"が2024年に「【難読地名】地元民しか読めないと思う「埼玉県の市町村名」ランキングTOP30!」のアンケートを実施し、第1位にランクインしたのがこの「越生町」。 正解は「おごせまち」。 その語源については諸説があるが、平野と山地の接点にあたる…

  • ビルの隙間に設置されていた住所入りのキリンレモンの看板

    住所入りのキリンレモンの看板 キリンレモン単独の看板は見かけることがあるような気がするが、「ここは」の後に住所が書かれているのは珍しい気がする。 この珍しいとの言うのは自分基準なので、知っている方にとっては、全然珍しいものではないだろう。 でも、調べ方が悪いのかもしれないが、これと同じようなものは見つからなかった。更に上の方にあった看板 Drink Coca-Colaと書いてあるように見える。発見日 2025年1月7日

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、citywalk2020さんをフォローしませんか?

ハンドル名
citywalk2020さん
ブログタイトル
歩・探・見・感
フォロー
歩・探・見・感

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用