ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
滋賀県大津市に市内の一部だけにしか存在していない思われる大津びわこライオンズクラブのコピー付き街区表示板があった。琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①京町一丁目3 あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう ②御幸町3 時代にふさわしい風習をそだてましょう非琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①昭和町4 郷土を愛し琵琶湖の美しさを生かしましょう ②木下町12 豊かな文化財をまもりましょう大津びわこライオンズクラブだけ 元は上に街区表示板があったと思われるが、無くなっていた。非琺瑯と琺瑯のペア ①丸の内町1 ②本丸町4 ③逢坂一丁目11 設置されていた建物が解体され、街区表示板だけが残っていた。 再…
今日(2025年2月17日)は暖かいはずじゃなかったのか? 途中から冷たい風が吹き始め、真冬に逆戻り。 路地に入るとレトロ電柱に出会った。 上部 街灯が付いていた。銘板は取り外されていた。 下部 よく見かけるタイプのもの。裏側 中身は外されていた。周辺を探してみたが、これ1本しか見つけられなかった。
目黒区立不動公園に残る「目黒不動公園沿革碑」と「国旗掲揚台」
2025年3月18日、目黒不動尊の横を道を登っていくと説明板があった。 目黒区緑の散歩道 不動コース 古代遺跡も眠る不動公園昭和9年にオープンしたこの公園は、碑文谷、清水池の両公園と並び、区内で最も古い公園の一つ。地下には古代遺跡が眠る。昭和55年の発掘調査では、目黒区で初めて弥生後期の竪穴式住居跡が出土。縄文期の土器、石器類も多数見つかっている。公園裏の共同墓地には、サツマイモ栽培を奨励し、【甘藷先生】と呼ばれた江戸の儒学者・ 青木昆陽の墓がある。この昆陽の道徳を偲び、 毎年10月28日に開かれる「甘藷まつり」は、大勢の人で賑わう。不動公園の入口の大きな木の下に石碑があるのに気が付いた。 東…
路地を歩いていると、おっ、電力プレートがある。 少し離れていても形だけで分かる。 近づいて見てみると、町名が書かれているはずのところが、数字になっていた。 円形のもので中央に数字があるものはよく見かけるが、この形のもので、数字だけのものを見たのは初めてかもしれない。 色も赤だ。黄色のものもあるが、赤のものは初かもしれない。 このお宅の正面に付けられていたものが下記の記事でも紹介済だが、 citywalk2020.hatenablog.com これ。 これが一般的で、中央には「ナカマチ」と町名が書かれており、色も青だ。 "33 161"という数字は何を意味しているのだろう?発見日 2025年3月…
探索している時、道路にある標識や公園の注意書きにも注目している。 2025年2月27日、探索中、気になったもの。劣化していて「ふな」としか読めなくなっている標識 正解は、「あぶない! とびだし」だった。こちらは別バージョン「あぶない とび出し その ?」 ?に入るのは一歩か? ツッコミがいのある絵だ。 ・靴の裏がやけに誇張されている。 ・上の子と同じ子だと思ったが、前髪が違っていた。 ・虫歯だらけに見える口。枝川三丁目公園にあった注意書き 左上にいる犬は他の自治体でもよく見かけるので、同じ会社が製作しているのかも。 左下の花火をしている少年の頭にボールが直撃するという衝撃の絵。
3社のバス停「新玉新道」が並んでいた。 この通りは新玉新道というのか。 "新玉"って何でつけられたのだろう?と思いながら、新玉新道を歩いていると、青い塩小売店の看板を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市栄町① 付近を探索していると、続いて「新玉」の表札も発見。 ② "新玉"は旧町名であった。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄…
「石原町」は現存している町名だが、表札が木製でかつ市名が右書きになっているので、戦前のものかもしれないということで、旧番地扱いではなく、旧町名扱いしたいのだが、旧町名級旧番地としておこう。発見日 2025年4月14日 発見場所 埼玉県川越市石原町 川越市中心部の旧町名「十ヶ町四門前」「郷分町」のものは、電力プレートや家屋調査済証でいくつか発見しており、紹介している。※十ヶ町四門前 上五ヶ町:本町、高沢町、喜多町、江戸町、南町下五ヶ町:多賀町、鍛冶町、志義町、上松江町、志多町四門前:養寿院門前、行伝寺門前、妙養寺門前、蓮馨寺門前 ※郷分町 清水町、竪久保町、北久保町、南久保町、坂下町、坂上町、通…
仁丹の町名看板を探していると、非仁丹の旧町名看板を見かけた。 見かけたものしか撮っていないが、2010年(平成22年)中央学区内の旧町を対象に112箇所の看板の取付けが実施されたそう。 町名の由来は、昭和12年大津市が発行した『伝説の大津』に載せられていた「町名の起源」から引用したもの。①上京町 ②中京町 ③葛原町 ④寺町 ⑤上西八町 西上栄町 ⑥中関寺町 下関寺町 関寺町 関寺町=昔、関寺のあった所である。 ⑦上小唐崎町 松幡町 ⑧丸屋町 ➈大工町 大工町=昔は両替町とも云い、舟大工が住んでいたので、つけた名であると云う。 ⑩塩屋町 白玉町 江戸時代、この付近は、湖岸沿いの浜通には米商人が、…
長浜市観光のついでに見つけることができた旧町名の痕跡はひとつだけだった。 発見日 2025年4月8日 発見場所 滋賀県長浜市朝日町 下船町(現朝日町) 天正年間~明治12年までの町名。豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 船持ちや船乗りが多く住んでいた事に由来する。江戸期は瀬田村領年貢地。元禄8年の家数34人口190。明治12年大安寺町と合併し南船町となる 船運で栄えた町 下船町 江戸時代の長浜を構成した五十二町の一つ。北国街道に沿いの両側町て、北は大安寺町を介して北船町と接し、南は稲荷町へ続く。西の小船町へ出る道を「六軒町」という。町の西側を流れる米川には船が入り、川岸は荷揚げ場となり蔵が並ん…
佐竹商店街の入口 アーケードが続く商店街 土曜日だが、雨の日だったからか、それほど人出はない。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 台東区台東二・三・四丁目付近 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。 佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風…
彦根城周辺の観光を終え、彦根駅に向かう途中、古そうな建物に付いていた関電のプレートに旧町名である「彦根町」を発見した。 発見日 2025年4月10日 発見場所 滋賀県彦根市元町 彦根市には、このような町名が書かれているプレートが存在していた。 現現町名は変わっているのだが、現町名は書かれていなかった。 調べてみたところ、1981年(昭和56年)頃、彦根史談会のメンバーだった細江敏氏が設置したものとのこと。 このプレートについては、観光中(探索中ではない)に何枚か見つけたので、別の記事で紹介することにしたい。石材店に石製の立派な旧町名の説明板が設置されていた。 旧彦根町 彦根町は、彦根城下の親町…
滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 膳所本町駅周辺 ~
1日で、と言っても早朝の2時間だけだが、大津駅周辺に存在する仁丹町名表示板を見つけられたので、2日目の早朝探索は、範囲を広げることが出来た。 膳所で目撃情報ががあったものは3枚あり、一応、事前にストリートビューで所在地を確認してきてはいた。 だが、設置されている場所の建物の記憶はすっかり忘れていて、ない。 スマホのストリートビューはあまり使えるものではないので、前日再確認をしなかった。 付箋を貼った地図だけが頼りだ。 最寄りの駅を調べてみると、京阪膳所駅ではなく、膳所本町駅が一番近いようだ。2025年4月9日、目が覚めたのは、4時頃だったろうか? 5時頃まで布団の中にいた。 着替えて、出発する…
別所三丁目交差点標示板が一丁と二丁目に見える in 埼玉県さいたま市南区
探索中に見つけた交差点。 以前も通ったことがあるが、気が付かなかった。 ネタ探しの意味もあり、街中の色々なものに目が行く年頃になってきたのだ。文字がほとんど消えかかっている北側の交差点標示板 遠くからだと「一丁」としかわからないだろう。南向きなので、日光が当たり、劣化が早いのだろう。一方、南側の交差点標示板は消えかかっているのは一部だけになっている。 こちらは遠くから見たら、「別所二丁目」に見えてしまうだろう。 支障はないのだろうけれど、いじってみたくなる事象であった。撮影日 2025年3月31日、4月5日
まだ未見の仁丹もかなりあるのだが、事前調査をしてこなかったこともあり、以前調べていた時に、清水寺に基準点標石があることを知ったので、訪ねてみることにした。 わざわざ京都に来てまで、と思うかもしれないが、花見を兼ねてということで。2025年4月10日6時頃のホテルグランヴィア京都のロビー。 早朝なので人影もまばらだ。京都駅前でバス停を探す。 乗るバスも調べてこなかった。 人が並んでいるバス停があり、行き先を見ると清水寺行のバス停だった。 でも、どこで降りればいいんだ? 清水道で降りる外人さんが何人かいたので、後をついていくことにした。 600mか。 清水坂を登っていく。 早朝なので、人通りも少な…
2025年4月7日、宿泊地は大津市なのだが、観光の初日に大津市にある三井寺の予約が取れなかったため(予約するのが遅すぎた)、当初の予定を変更して初日は近江八幡観光することにし、京都駅から近江八幡駅へ直行する。 近江八幡駅から目的地の八幡堀まではバスで八幡堀八幡山ロープウェイ入口まで行く。 平日は本数が少ないね。 11時15分発に乗る。 ほぼ満席になるが、立っている人はいない。 乗客は日本人より中国系の観光客が多い感じ。近江八幡の町並みについて 近江八幡市は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の…
2025年4月17日、探索していると、2025年4月1日にオープンしたばかりの公園があった。 この日は誰も遊んでいなかった。 まだ、学校が終わっていなかったからかな。 芝生にはしばらく入れないそう。 花の里公園と言いつつも、花はまだ何も植えられていない。花はオープンしてから、て少しずつ植えていく予定になっているらしい。 花の植え付けイベント5月10日(土)雨天の場合は11日(日) 午前の部 11時~12時 午後の部 14時~16時気になったはトイレ 男女ともトイレの入口は暖簾が掛けられていた。 風が吹くと中が見えてしまう。 男性用はいいかもしれないが、女性用はどうなのかなあ。 入りにくそう。 …
「幸町」ではなく「幸」と一文字だけの町名を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市本町二丁目 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄町、大窪村、早川村および酒匂村の一部(大字網一色、山王原)と合併して小田原市が発足。同日小田原町廃止。2町3大字はそれぞれ幸一 - 四丁目、緑一 - 四丁目、万年一 - 四丁目、新玉一 - 四丁目、十字一…
ネットで調べていたら、港区西新橋に「琴佐」の文字がある骨董蓋があるらしいことが分かった。 ただ、10年以上前の目撃情報だ。 今もあるのだろうか? 頼りになるのは、サンドラッグが写っている写真のみ。 調べてみると、西新橋には、サンドラッグがなくなっていた。 ストビューでいろいろ探して見るが、場所が特定できない。 西新橋にサンドラッグがあったという情報がないかと探していると、ありがたいことにある大学の事務所の道案内にサンドラッグが載っていた。 これで場所をほぼ特定できたが、問題は現存しているかだ。 ストビューでは確認できなかったので、2025年3月24日、現地に飛ぶ。 あったよ、あった!知っていな…
創業1892年の三原屋があったビル 調べてみたが、もう営業はしていないようだ。このビルに明治大学商学部と神奈川県三浦市がコラボしたと思われるシャッターアートが描かれていた。 犬?が船の上からマグロを釣っている絵 マグロは「マグオ君」と言うマスコットキャラクターらしい。柱にも絵が描かれていた。 調べてみると、ここには、明治大学商学部の学生が企画・運営していた神奈川県三浦市のアンテナショップ「なごみま鮮果(せんか)」があったらしい。 2006年6月27日オープン、2019年11月に閉店したとのこと。 もしかしたら、営業中の店舗を見たことがあるかもしれないが、記憶にはない。この辺り一帯が再開発される…
久しぶりに川越市の記事。 あるものを探しに来たのだが、結局見つからず、意気消沈していたのだが、いくつかの新発見があったので、帳消しにはならないけれど、いいことにしよう。 前向きに考えることが大事だ。それにしてもすごい人出だ。 前回はコロナの真っ最中に来たので、それほど観光客がいなかったように記憶している。 目的にしていたものは、古い建物にありそうだったので、メインの通りを歩くしかなく、探索しにくいと言ったらありゃしない。 まっ、それでも、新たに発見したものがあったんだから、自分はすごい、かもしれない。 ただ、今まで見落としていただけの話だが・・・。川越市で発見した電力プレートは下記の記事で紹介…
旧町名だと思ったが、現存している町名だったので、旧番地扱いとした。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市南町①塩小売店 住所付きの塩小売店の看板は久しぶりに見た気がする。 小田原市の後ろの文字が見えないのと"字"と書いてあるので、"字○○"と思ったが、②の住所プレートを発見し、"十字"という町名であることが分かった。②住所プレート 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940…
今回の旅は琵琶湖周辺に咲く桜の花見がメインだが、タイトルに書いたように大津市に現存している「仁丹町名表示板」に出会うことも大きな目的の一つになっている。 大津市には消滅してしまったものを除くと、19枚(琺瑯製18枚、木製1枚)の目撃情報がある。 ただ、時間の関係上、念入りに調査したのは、大津駅周辺だけだった。 大津駅周辺には8枚の目撃情報があった。 「東上栄町」は、ストリートビューで確認できなかったので、京都仁丹樂會さんに確認したところ、2019年頃に消滅してしまったとのことだった。 ということは、7枚現存しているはずということになる。 無駄足にならないように目撃情報を元にストリートビューで事…
キリンの滑り台が目に入った加賀塚公園 説明板 加賀塚公園公園内にある塚は加賀塚という。広さ3m四方、高さ50cmで、塚上に高さ50cmくらいの自然石の墓があり、榎が1本自生している。塚の主は戦国時代の武将竹間加賀入道で、小田原北条氏に仕え、日野本宿に住し、日野に知行地を有していた。竹間加賀入道は、豊臣秀吉が関東に兵を進め北条氏と交戦、八王子城も落城した天正18年(1590年)6月の前、2月にこの地で自害したとつたえられる。昭和15年(1940年)子孫の竹間弥惣次氏により供養墓碑が建てられている。 日野市このような公園に墓があるのは珍しいのではないか。市指定史跡 加賀塚(竹間加賀入道の墓) 昭和…
2025年2月15日、上野公園を歩いていたら、路上に絵が描かれていた。 今まで上野公園は何度も歩いているが、今回初めて出会うことが出来た。 コナン そっくりだ。近くにスマホを見ながら水で絵を描いているおじさんがいた。 調べてみると、東京都美術館ニュースNo457にも掲載される程有名な方だった。 もともとは福島県で中学校の美術教師をしていたそうで、2008(平成20)年、54歳の時に早期退職をしたとのこと。第二の人生を考えるうちに、路上に水で絵を描いてみようと、チャレンジすることにしたそうだ。それでは描かれていた作品の一部を見ていくことにしよう。バイキンマン バンギラス クレヨンしんちゃん ドラ…
まだサラリーマンだった頃、平日だが、ある理由で、小田原市を探索したことがある。その時の記憶は、小田原城と報徳二宮神社を訪れたことくらいしかない。その頃は、今ブログで書いていることには全く関心がなかった。時が経つと変わるものだ。国府津駅に着いた時には、電車が来ていて、乗り遅れた。次の電車まで、少し時間があった。仕方ないので、ホームで待つことにする。そうしたら、なんと電車が遅れてきた上に普段は快速が止まらない次の駅鴨宮にも止まり(自動放送では止まらないと言っていたのだが、駅員の放送では止まると訂正していた)、少し予定より遅く着くことになる。数分の違いなので全然問題ないが。駅に着いた。 さてどうする…
青梅街道沿いの西荻地域区民センターにある彫刻を撮りに訪れたのだが、その隣のビルの屋上に乗っかっている三連の輪がとても気になってしまった。 ビル名かわからないが、上の方に"Le VERT 1"と書かれているようだ。1F 心の居酒屋 道草 2F コーヒー&スナック たんぽぽ 3F カラオケひろば ピンクモンキー ビューティーサロン フォルム 給水塔ではないよね? ネットで調べてみたが、情報は見つからず。撮影日 2025年1月7日 撮影場所 東京都杉並区桃井4-3-1
中目黒の電力プレートは下記の記事で2枚紹介しているが、新たに1枚発見したので、紹介することにしよう。 citywalk2020.hatenablog.com急坂の途中にある路地を入った突き当りにあった。発見日 2025年3月17日 発見場所 東京都目黒区中目黒四丁目 まだ出会えていない電力プレートを探し求めて、探索は続く。
琺瑯住所プレート&たばこ住所プレート&電力プレートのトリプル痕跡「千住柳町」
この建物はタイトルに書かれているように3つの痕跡達を一ヶ所で見ることが出来るレアな場所。 上の建物が描かれた絵 2025年3月6日、現存を確認してきたので、記事を書くことにした。①琺瑯住所プレート ②たばこ住所プレート ③電力プレート
Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 受賞作品
工事現場の仮囲いにアート等があると立ち止まらずにいられなくなる。おぼえておきたい 町火消の記憶 ― 中央区を守った纏と半纏 ― 町火消は、江戸を40組に分け、「い」「ろ」「は」 146文字を組の名前とし、 組の目印として、それぞれ纏と半纏を作りました。配置図 Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 『東銀座』のまちと2024年の干支である『龍』をテーマにアートコンテストを開催!コンテストにて見事受賞を果たした計8作品が 『東銀座』のまちを彩ります!新進気鋭の次世代アーティストによって自由に表現された 《まちの魅力》!地図を見てぜひ訪れてみてください! 主催:一般社…
2025年1月14日、武蔵小金井駅北口に出ると説明板があった。 日付を見ると令和6年12月とある。 設置ホヤホヤだ。 折角のめぐりあわせなので、記事を書くことにした。 桜の名所から名勝へ武蔵小金井駅から北方へ15分ほど歩くと玉川上水の小金井橋にたどり着き、この橋を中心に東西6kmにわたる桜並木が広がります。この桜並木は1737(元文2)年頃、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の命令により川崎平右衛門定孝等が、桜川(茨城県)や吉野山(奈良県)等の名所から集めたヤマザクラを植樹したものと伝わります。江戸時代後期、立派に成長した桜並木は'小金井桜'や'御上水桜'と呼ばれるようになり、歌川広重をはじめ文人墨客…
あきる野市を探索中にタイトルのように読めてしまった石の標柱があったので、立ち止まる。 よく見ると、 「ごみ」に見える? 「じゃ」に見える? 見えない。 「じや」に見える。 ということで正解は「一寸まてごみの捨場は川じやない。」 じゃないよね。 「一寸まてごみの捨場は川じゃない。」古い手書きの看板 新しい看板 ちょっと書き方が変わっていた。他にも気になることが書いてある看板もいくつか発見した。STOP 冷水病って何? 「フラボバクテリウム・サイクロフィラム」という病原菌が原因で引き起こされる細菌性の感染症のことらしい。お知らせ "魚族"っていう言葉初めて見た。「遊漁証」について 鮎だけ漢字という…
日本橋タカシマヤセミナーをアップデートする(3)プラスアルファ
2011年に実施された髙島屋友の会主催の日本橋タカシマヤセミナーで紹介されたマンホール蓋の現存状況は下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 気が付けば、あれからずいぶん経っていた。 色々調べていたら、新しい資料を見つけた。と言っても2012年6月実施された日本橋タカシマヤセミナーの資料なので、今頃ようやく見つけたのかという感じ。なぜ今までの検索に引っかからなかったのだろう?見つけたということは、自分が少しは成長して、そういう時期になったということなのかもしれない。その資料とは、「復…
2025年1月27日、さいたま市見沼区染谷付近を探索していたところ、電柱を見上げると「高間間」の文字が書かれていた。 旧町名か? 民家が少なく、探してみたが、表札の痕跡は見つからず。 仕方ない。 電柱だけにフォーカスして探していると、いくつかのバージョンがあった。①高間間バージョン ②「高間間」略字バージョン ③高間々バージョン 書き方は統一はされていないようだ。 手書きのものは書いた人の個性が出るのだろう。 書いた人のサインらしきものも書かれてものもある。 これはこれで面白いものだ。
放送100年「超体験NHKフェス2025」 ~ 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 後編 ~
後編は左側に展示されていたもの。 出場者サイン
一般的によく見かける模様(JIS規格模様とのこと)のマンホールのふただが、このマンホールのふたの中央には、「E」の文字が輝いていた。 発見日 2025年2月17日 発見場所 東京都荒川区西尾久 マニアの方には珍しいものではないと思うが、初見のものだったので、お披露目することにした。 「E」は電気の英語のelectricityの頭文字か?
もしかしたら小田原市で最後の1枚の琺瑯町名看板「国府津町1815」
「悠久の思い出」さんの神奈川県小田原市の町名看板https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/tyoumei-Kanto.html#Kanagawa の一覧には、浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24、曽我別所808、国府津町1815が現存していることになっている。 現地調査をする前に、無駄足にならないよう、それぞれストビューで確認してみた。 浜町1-2、浜町1-9、浜町4-242019年3月まであり、2022年12月なし → 新しい家又は更地になっていた。 曽我別所8082023年1月まであり、2024年3月なし建物は残っているが、町名看板だけ無くなっている。→ 家主…
2025年3月20日、時間や季節のあるタイミングでないと撮れないものが撮れた。 撮ろうとして訪れたわけではなく、たまたま訪れ、その時間帯でないと撮れないものに出会えた。 東京体育館 国立競技場が切れていて、何となく違和感を感じる写真。 こういうのを何と言うのかわからないが、鏡面仕上げの東京体育館と書かれているものに国立競技場の一部が写っているのだ。 拡大すると、UFOではない、ヘリコプターが写っていた。 作品名「風のように、光のように」 太陽が反射している。このように光が反射する時間帯は、今の季節では短いかもしれない。自動で動いているのかと思ったが、風が吹くと動くようになっているそうなので、無…
東武鉄道千住線跡がある岡田商事に「解体工事のお知らせ」が貼られていた。
2025年3月22日、一通りの探索を終えたあと、やっちゃば緑道を歩き、東武鉄道千住線跡があるという岡田商事へと向かう。 千住の青物市場の起源は古く天正の頃にさかのぼるといわれ、江戸中期以降は、神田・駒込とならぶ江戸の三大市場であった。往時、旧日光街道に面した千住河原町かいわいは、 「やっちゃやっちゃ」のセリのかけ声で賑わった。この緑道は、市場が昭和十六年に東京市に移管された後、建設された引込鉄道の跡地を足立区が譲り受け整備したものである。昭和五十七年四月吉日 墨堤通りに出て歩道を歩いていると目的地である岡田商事が見えた。 以前もすぐそばを通ったことがあるが、その時は鉄道遺産に興味がなかった頃で…
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ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
2025年7月18日、Google マップを見ていたら、右下の人型のアイコンが女の子?になっているのに気が付いた。 今までは黄色い人形だったのに。 この人形のことを「ペグマン」という名前ということを初めて知った。 正面 後ろ姿 横向き 動かしている時 右手に持っているのは何? 調べてみると、BLACKPINKとのコラボらしい。 Googleマップを動かしてみると、東京23区以外では、普通の形になる様だ。3月8日の国際婦人デーにあわせて女性のアイコン、「Pegwoman」(ペグウーマン) に変更されたことがあったそうだ。 イギリスのネス湖に行ってみたら、ネッシーらしいアイコンが出てきた。
JR宇都宮線自治医大駅を降り、徒歩で下野薬師寺へ向かう。 寺院の跡だけと思っていたが、寺院が建てられていた。国指定史跡 日本三大東戒壇 下野薬師寺 下野薬師寺は天武天皇白鳳八(六八〇)年に皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して建立されました。天平宝字五(七六一)年に戒壇院が置かれると、奈良東大寺、筑紫観世音寺とともに日本三戒壇といわれ、坂東十か国の僧侶となる人は下野薬師寺で修業を積み受戒しなければならない定めになっていました。暦応二(一三三九)年、足利尊氏は国ごとに安国寺を建てましたが、下野国では新たに寺院を設けることなく下野薬師寺の寺名を安国寺に改称しました。元亀元(一五七〇)年、小田原の…
2025年5月12日、根岸駅を降り、大通りを越え、細い道を歩いていると、木製電柱に出会った。 色々なものがくっついている電柱もあった。 これは、支柱に支えられている。 マンションの前にもあった。 子育地蔵尊の横にもあった。 横の道にもあったので、合わせると10本近くあったかもしれない。 細い木製のものだが、この短い距離の間にこれだけ集中しているのを見たのは、初めてかもしれない。
旧番地「大田区羽田」関連の痕跡は、下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 今回は別目的で、羽田を再訪したのだが、町内を改めて探索したところ、新たに旧番地時代の痕跡(現在と丁目が異なる)を発見することが出来た。 ① 発見日 2025年7月12日 町名の後が消されているが、文字が薄く残っている。 ② 発見日 2025年7月14日 歴史 1907年(明治40年)町制を施行し、羽田町となった。 1932年(昭和7年)蒲田區が成立する。羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。 1958…
2025年6月5日、最高気温29度の中、坂道を上って、日野市郷土資料館(日野市程久保550)を訪問する。 常設展示物の中で今まで見たことのないものを発見した。 獅子印ライオン歯磨と右書きで書かれている。 小林商店? あのライオンと関係あるのか? その時はまだわからなかった。 住所らしきものも書いてあったのだが、老眼の自分の目では確認できなかったので、写真だけ撮って、家に帰ってから調べることにした。家に帰って、調べてみたところ、やはりあのライオンと関係があることが分かった。 ライオンの年表を見てみると、 1891年(明治24年)初代小林富次郎、東京神田柳原河岸に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次…
2025年6月19日、群馬県館林市を探索していたところ、電力プレートを発見した。東京電燈? マークも何もないが、形状から判断。 東京電燈が館林に進出していた歴史を調べてみた。 1908年(明治41年)12月利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り東京市京橋区で創立された。 1910年(明治43年)前橋市への供給を開始した。 1911年(明治44年)10月群馬県佐波郡伊勢崎町、太田町、館林町へ翌11月に渋川町に供給を開始。 1921年(大正10年)4月1日利根発電株式会社は東京電燈に合併し消滅した。関東配電 1942年(昭和17年)国家総動員法に基づく配電統制令により、東京電燈、…
今回ターゲットとした自治体は、千葉県の地図を見ていて、行ったことがないし、それほど遠くもないし、旧町名の未開拓地ということで決定した千葉県鎌ケ谷市。 旧町名については何の情報もなかったので、探索しながら探すしかない。 でも、探索していれば何かしら見つかるだろう。 きっと。 諦めないことが大事。2025年7月5日、新鎌ヶ谷駅から探索開始。 駅前の観光案内を見ていたら、駅から近いところに、行ってみたいところが見つかる。 それらを見学していたら、道を間違えてしまい、とんでもないところまで来てしまった。 軌道修正をしなけれならない。 そんな途中で、旧町名を無事発見することが出来た。鎌ヶ谷町時代の表札 …
今回の横須賀市訪問は、琺瑯町名看板探索がメインだったので、そのほかのものについては、ほとんど事前調査してこなかった。 なので、偶然出会ったものには新鮮味を感じする。 逆に事前調査をしてこなかったため、見つけたものに対して家に帰って調べていると再訪問の必要を感じることも多々あり、悩ましい。 タイトルを「路上文化遺産」としたのは、複数紹介したいものがあったので、ひとくくりにするためである。と、わざわざ断りを入れる必要もないのだろうけれど、使ってみたかったこ・と・ば。 発見日 2025年5月22日 「市」の文字だけの境界石と道界 自治体名が入っているものが多いので、"市"だけというのは珍しいかも。自…
滝坂道という名称は後で知ることになるのだが、この日(2025年3月18日)は道玄坂から裏渋谷通りを進む。 この通りに表面が摩耗していてマニア以外は誰も気が付かないと思われる蓋があった。 渋谷町水道時代のものとのこと。 歴史1889年(明治22年)町村制施行により南豊島郡渋谷村が誕生。 1909年(明治42年)町制施行、渋谷町となる。 1923年(大正12年)渋谷町水道、給水開始。 1932年(昭和7年)東京市へ編入され、渋谷区の一部となる。 続いて、"新榮會"と書かれている旗竿ボックスの存在をネットで知る。 大体の場所は書かれていたので、ストリートビューで確認してみると、最新が2022年10月…
JR成田線滑河駅前の道を進んでいくと、下総郵便局があり、そこに金色に光るポストがあった。 誰のだろうと思ったら、体操の橋本大輝選手だった。 何でこんな片田舎(失礼)にあるんだろう? 調べてみると、成田市立高岡小学校出身とのこと。 1995年(昭和30年)2月11日下総町が誕生し、校名を「下総町立高岡小学校」と改称。 2006年(平成18年)3月27日下総町・大栄町・成田市の市町合併に伴い、校名を「成田市立高岡小学校」と改称。 とあった。 彼の生年月日は2001年8月7日、まだ千葉県香取郡下総町だった頃だ。 それでここにあるんだ。 合点承知の助。撮影日 2025年6月24日
探索を終え、石橋駅で電車を待っていたところ、下り線ホームの向こうにイノシシの形に見える植木を発見。 自然とこうなったのか、刈り込んで形を似せたのかわからないが、イノシシが立たずんでいるような姿に見える木だった。撮影日 2025年7月3日
発見日 2026年6月19日 発見場所 群馬県館林市西本町 ① ② 旧町名標示板 古墳や一里塚のことを塚と呼び、塚が多く存在したことか塚場町と呼ばれたと考えられている。歴史 1969年(昭和44年)11月1日第二次住居表示が実施され、大字館林字鞘町・塚場町・木挽町と、代官町の一部が合併し西本町となった。
2025年6月7日、石神井公園ふるさと文化館を訪れると、尾張殿鷹場碑が展示してあった。 尾張徳川家の鷹場の範囲を示すために設置されたもの。41か村にわたり83本の杭が建てられていました。 これは、大正2年ごろまで南大泉に建っていたものらしい。これをきっかけに練馬区の鷹場碑のことを調べていたら、大泉第一小学校にもあることが分かった。この日の東京の最高気温は34.8℃、風があるが、熱風だ。 日傘は風に翻弄され、すぐひっくり返る。 暑い上に、日傘のコントロールに疲れ、探索意欲をそぐ一因となる。 そんな中、大泉公園駅から、歩いて来て、ヘロヘロ、ヨロヨロになりながら、ようやくたどり着いた。 下校時間前に…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区森 ①表札 ②琺瑯町名看板 歴史 1868年(慶応4年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡森村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡森村となる。 1889年(明治22年)4月1日森中原村、杉田村、磯子村、岡村、滝頭村と合併し、久良岐郡屏風浦村大字森となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市森町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行で磯子区誕生。横浜市磯子区森町となる。同時に鶴見区・神奈川区・中区・保土ケ谷区が発足し、市内5区となる…
2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
この日の最高気温は34℃、雲が多くカンカン照りではないが、蒸し暑い。 熱中症、日焼け対策として、必須アイテムは日傘。晴雨兼用だが、長時間歩くので、これがなくての探索はあり得ない。 しかし、正直言うと邪魔だ。 風がない日はほとんどないので、傘の制御が必要となり、無駄な体力が必要となる。 写真を撮る時、風にあおられ、スマホをうまく構えられなくなる。 そういう時は、日傘をたたんで下に置いて撮るのだが、何回もそんな場面があるので、面倒。 でも、熱中症、日焼け対策と視線対策にも必要なので、日傘オジサンとなって、探索するのだ。 週3~4日、余程の雨でなければ、探索をしている。 暑いので今日はやめようなんて…
今回が清瀬市の旧町名初投稿となる。 「上清戸」「中清戸」とも現存している町名なのだが、「清瀬町」時代のものなので、旧町名扱いとしている、という断りは不要だと思うが、一応断っておこう。①東京都清瀬町上清戸 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市元町二丁目 ②清瀨町中清戸六三六番地 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「瀬」の旧字体「瀨」、よろし。③北多广郡清瀬町中清戸875番地 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「北多广郡」よろし。④清瀬町中清戸五三八 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 日枝神社に柊の木が植…
今回は、現在位置に書かれている栄から西ヶ原二丁目に向かう人道橋からの眺めを紹介する。 以前も撮ったことがあるのだが、橋の名称が分からなかったので、再訪することにした。 記事を書くにあたって、撮った場所で写真を検索したのだが、以前撮った写真が見当たらない。 位置情報の設定を解除してしまった時に撮ったのかもしれない。 前回撮った写真と今回撮った写真を組み合わせて紹介する予定だったのだが、仕方ない、今回撮ったものだけで紹介することにしよう。撮影日 2024年6月10日橋名は上る途中に設置されていたプレートで確認することができた。 分かりやすい場所にあったのに、前回は気が付かなかったなあ。 栄側の上り…
今日(2024年7月16日)は、所用で月一回代官山へ出かける日。 赤羽で降りるつもりが、寝過ごし、王子で起き、赤羽まで戻る。 赤羽で埼京線に乗るつもりでいたが、2本続けて新宿止まり。掲示板を見るとちょうど湘南新宿ラインが5分遅れになっていた。 ラッキー! と思ったのもつかの間。 更に遅れるということと新宿までの折返し運転になるとの放送あり。 仕方ない。 埼京線で新宿まで行き、山手線に乗り換え、恵比寿まで。 恵比寿駅を出たところで雨。 いつも傘を持ってきているのだが、ついていないことが重なる。 この日に限って忘れてしまった。 結構降ってきたが、コンビニもない。(セ○○イ○○○は無視。) 濡れなが…
鎌倉町時代のマンホール蓋について、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そのマンホール蓋にある鎌倉町の町章「星月」の由来は鎌倉十井の一つの星月夜の井からと言われている。 星月夜は秋の季語で、星が月のように明るい夜をいうそうだが、鎌倉の枕言葉でもある。 制定されたのは1901年(明治34年)1月1日、立案者は鎌倉小学校の職員とのこと。 2024年5月24日、その由来地を訪ねた。 星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井…
『ぎょうだいさま』については下記の記事で簡単に触れた。 citywalk2020.hatenablog.com この時は、何も知らなかったので、ほとんど写真を撮らなかった。 2024年5月20日、再訪し、いろいろな角度から撮らせていただいた。蒲生茶屋通り この通りの途中に木の祠がある。後ろの建物はテレビ番組や舞台の小道具などを扱っている会社の倉庫らしい。 窓からのぞく。 お顔は見えない。足元の両側に鬼が二匹いた。 右は前鬼(ぜんき。斧をもった夫、赤鬼)、左は後鬼(ごき。水瓶を持ち笈〔おい〕を 背負っている妻、青鬼)という鬼らしい。見えないがさらにその下には「砂利道供養」と刻まれているらしい。右…
以前下記の記事で紹介したが、現状どのようになっているのかが気になり、訪問してきた。 citywalk2020.hatenablog.com 撤去工事のお知らせが貼られていた。 堀合通り側 入口は閉ざされていたが、まだ解体は始まっていなかった。橋の下 電車庫通り側 解体が始まっていた。 三鷹市が設置した太宰治の案内板はまだ残っていた。 橋脚の古レールに刻印があるのに初めて気が付いた。 DICK.KERR SANDBERG. D.K 1911 100年以上前のものだ。残念ながらここは解体されてしまうが、このような古レールを利用したものが都内の駅や橋にまだ結構残っている。 探しに行くことにしよう!
2024年6月27日、板橋区へ向かうため、池袋駅を降り、豊島区池袋を歩いていた。 この辺りは以前歩いたことはあるはずだが、以前歩いた時と探索眼が変わっているはず、以前とは別視点になっているはずの自分。 経由地をただ歩くだけではつまらないので、細い道、つまり路地を探し求め探索することにした。 池袋に路地などないと思っていたが、結構あるのである。 探索していると、行き止まりの路地があり、その一番奥に気になるものが見えた。 石のアプローチを進んでいく。 えっ? 何と木製電柱だった。 ペンシル型だが。 ここは豊島区なんだけれど。 まあ、他の都心のブランド区でもこんなところにこんなものがと思うものがある…
浦安市当代島は現存しているので、厳密に言うと旧町名ではなく旧自治体名と言うことになるのだろうけれど、現存していない小字も紹介しているので、旧町名扱いにしてもいいだろう。 シンプルなもの、フルバージョンに近いもの、小字付のもの、"区"と"組"が付いているものといろいろバリエーション豊かなものが発見できた。発見日 2024年7月6日①浦安町当代島 ②千葉県東葛飾郡浦安町当代島 ③浦安町当代島北境 現「北栄(きたざかえ)」 北部土地改良事業前は、耕地で29の字があったが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になった。字名(地区名)「北栄」は、旧字名…
以前、池袋駅に止まっていた清瀬駅100周年記念のラッピング電車を見かけたことがある。写真を撮っていたところ、ほとんど撮れないまま、発車してしまった。もう一度見て、撮りたいなと思い、ネットで清瀬駅を検索窓に入れて検索しようとしたところ、候補に「中森明菜」が出てきた。 何でと思って、調べていると、西武池袋線清瀬駅(東京都清瀬市)の開業100周年を記念し、清瀬市が市出身の歌手中森明菜のメッセージパネルを駅構内に設置したとのこと。 パネルは開業100年の2024年6月11日、市が改札近くに設置。大きさは縦2メートル、横3メートルで、中森明菜直筆の「清瀬駅100周年 おめでとうございます」のメッセージと…
2024年7月4日、練馬駅から探索しながら、中村橋駅近くにある練馬区立美術館に向っていた。 中村橋駅北口。 ここを通るのは初めてかもしれない。 街灯が並んでいた。 何だろう? 賞状があった。 佳作 モニュメント「軌条燈(レールランプ)」 西武鉄道株式会社殿 あなたは「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」において優秀な成績を収められましたので これを賞します 平成十五年十月十四日 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」運営委員会委員長 清家 清 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」審査委員会委員長 澄川 喜一 財団法人日本交通文化協会理事長 瀧 久雄「パブリックアート大賞」は、「地域の顔」である駅や…
愛用している「東京23区便利情報地図」の145ページの地図を見ると、練馬区に「仲町」の付箋が貼ってあった。 いつ貼ったのかは覚えていないが、チェックしていなかったので、まだ未発見なものに違いない。 「仲町」、地味な町名であるが、現存していない。 同じように地味だが、消滅してしまった旧町名「練馬区南町」は下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 地味であるが旧町名であることには変わりない。 どこに痕跡が残っているのだろう。 2024年7月2日、探しに行った。 そして、無事いくつかの痕跡を発見することができた。① 発見場所 東京都練馬区錦一丁目 ② 発見場所 …
探索中に住居表示街区案内図を見つけると確認したくなる。 今回は結構レアかなと思われるものを発見した。 鎌倉市では珍しくないものかもしれないが、他の自治体では見たことがなかった。 発見日 2024年5月24日 「田楽辻子の道」も気になるよね? えっ! 気にならない? 嘘でしょ! 当ブログにたどり着いた方なら、気にならないはずはない。 しかし、それは別な記事にするつもり。 いつになったら、書けるかわからないが・・・。案内図をアップしてみよう。 そこにはワンダーランドが広がっていた。 痣、じゃない、字だらけ。 丁目ごとに調べてみよう。 浄明寺一丁目・字釈迦堂 浄明寺二丁目・字宅間・字犬懸 浄明寺三丁…
今日はどこを探索しようかなと東京都江戸川区付近の地図を見ていたら、地図に浦安市の一部が載っていた。東京ディズニーリゾートには行ったことはあるが、今まで探索したことはなかった。地図で見ると江戸川区のすぐ隣、市川市の下だった。両方共探索したことがあるし、思ったほどに遠くないし、探索してみることにした。 浦安市、そういえば、以前勤めていた会社で浦安市に住んでいる人がいて、地震の時、液状化で大変だったと言っていたことを電車の中で思い出した。どの辺だったのだろう? 浦安駅を降りる。 どこから探索を開始するかも決めていなく、まず駅前からテキトーに探索を開始するが、駅から近いところだからかアパートやマンショ…
イベントによって変わるロゴ、気が付くこともあるし、気が付かないこともある。 今回は気が付いた!
紫陽花狩りで鎌倉市内を探索していたのだが、宿泊先は市内のホテルではなく、葉山にあるホテル(2024年6月29日放送の旅サラダを見ていると、何と自分達が泊まる何日か前に牧瀬里穂が泊まっていた。)にしていた。 鎌倉駅から逗子駅に向かう。 夕食の時間が早かったので、ホテルへ急いでいた。 向かうにはバス、次の日の帰りの日は大雨だったので、タクシーで逗子駅まで向かう。 そのため、逗子駅付近をゆっくり探索する時間は取れなかった。 ということで、逗子市は東口駅前だけしか立ち寄ることはなかった。 鎌倉市内は何回か探索したことがあるので、隣の市だし、ひとつ先の一駅だし、折角だから、探索してみようという気になった…
2024年7月1日、練馬小学校付近を探索していると、路地の奥に石柱が見えた。 何だろう? 水たまりに気を付けながら歩く。 曲がり角近くにくると、前から自転車が2台続けてきた。 ヒヤッとしたが、幸いなことに、正面衝突することはなかった。 それぞれに「ごめんなさい。」と言われる。 こんなところから人が出てくるとは思っていなかったのだろう。 自分もまさか自転車が来るとは思ってもいなかった。 路地、路地裏が大好きな自分への忠告。 見えない曲がり角は気を付けよう。 気を取り直して、通りに出る。見えた石柱は、小学校の校門だった。 大理石、御影石? 大きくて立派、歴史ありそうな門だ。右側の門をよく見ると「北…
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…