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歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

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2022/12/12

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  • 滋賀県大津市の街区表示板(琺瑯、非琺瑯)

    滋賀県大津市に市内の一部だけにしか存在していない思われる大津びわこライオンズクラブのコピー付き街区表示板があった。琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①京町一丁目3 あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう ②御幸町3 時代にふさわしい風習をそだてましょう非琺瑯+大津びわこライオンズクラブ ①昭和町4 郷土を愛し琵琶湖の美しさを生かしましょう ②木下町12 豊かな文化財をまもりましょう大津びわこライオンズクラブだけ 元は上に街区表示板があったと思われるが、無くなっていた。非琺瑯と琺瑯のペア ①丸の内町1 ②本丸町4 ③逢坂一丁目11 設置されていた建物が解体され、街区表示板だけが残っていた。 再…

  • 東京都荒川区荒川一丁目の路地に佇むレトロ電柱

    今日(2025年2月17日)は暖かいはずじゃなかったのか? 途中から冷たい風が吹き始め、真冬に逆戻り。 路地に入るとレトロ電柱に出会った。 上部 街灯が付いていた。銘板は取り外されていた。 下部 よく見かけるタイプのもの。裏側 中身は外されていた。周辺を探してみたが、これ1本しか見つけられなかった。

  • 目黒区立不動公園に残る「目黒不動公園沿革碑」と「国旗掲揚台」

    2025年3月18日、目黒不動尊の横を道を登っていくと説明板があった。 目黒区緑の散歩道 不動コース 古代遺跡も眠る不動公園昭和9年にオープンしたこの公園は、碑文谷、清水池の両公園と並び、区内で最も古い公園の一つ。地下には古代遺跡が眠る。昭和55年の発掘調査では、目黒区で初めて弥生後期の竪穴式住居跡が出土。縄文期の土器、石器類も多数見つかっている。公園裏の共同墓地には、サツマイモ栽培を奨励し、【甘藷先生】と呼ばれた江戸の儒学者・ 青木昆陽の墓がある。この昆陽の道徳を偲び、 毎年10月28日に開かれる「甘藷まつり」は、大勢の人で賑わう。不動公園の入口の大きな木の下に石碑があるのに気が付いた。 東…

  • 町名が書かれていない電力プレート in 東京足立区千住仲町

    路地を歩いていると、おっ、電力プレートがある。 少し離れていても形だけで分かる。 近づいて見てみると、町名が書かれているはずのところが、数字になっていた。 円形のもので中央に数字があるものはよく見かけるが、この形のもので、数字だけのものを見たのは初めてかもしれない。 色も赤だ。黄色のものもあるが、赤のものは初かもしれない。 このお宅の正面に付けられていたものが下記の記事でも紹介済だが、 citywalk2020.hatenablog.com これ。 これが一般的で、中央には「ナカマチ」と町名が書かれており、色も青だ。 "33 161"という数字は何を意味しているのだろう?発見日 2025年3月…

  • レトロ感ある江東区独自の標識と公園の注意書き

    探索している時、道路にある標識や公園の注意書きにも注目している。 2025年2月27日、探索中、気になったもの。劣化していて「ふな」としか読めなくなっている標識 正解は、「あぶない! とびだし」だった。こちらは別バージョン「あぶない とび出し その ?」 ?に入るのは一歩か? ツッコミがいのある絵だ。 ・靴の裏がやけに誇張されている。 ・上の子と同じ子だと思ったが、前髪が違っていた。 ・虫歯だらけに見える口。枝川三丁目公園にあった注意書き 左上にいる犬は他の自治体でもよく見かけるので、同じ会社が製作しているのかも。 左下の花火をしている少年の頭にボールが直撃するという衝撃の絵。

  • 旧町名「小田原市新玉」

    3社のバス停「新玉新道」が並んでいた。 この通りは新玉新道というのか。 "新玉"って何でつけられたのだろう?と思いながら、新玉新道を歩いていると、青い塩小売店の看板を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市栄町① 付近を探索していると、続いて「新玉」の表札も発見。 ② "新玉"は旧町名であった。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄…

  • 旧町名級旧番地「川越市石原町」

    「石原町」は現存している町名だが、表札が木製でかつ市名が右書きになっているので、戦前のものかもしれないということで、旧番地扱いではなく、旧町名扱いしたいのだが、旧町名級旧番地としておこう。発見日 2025年4月14日 発見場所 埼玉県川越市石原町 川越市中心部の旧町名「十ヶ町四門前」「郷分町」のものは、電力プレートや家屋調査済証でいくつか発見しており、紹介している。※十ヶ町四門前 上五ヶ町:本町、高沢町、喜多町、江戸町、南町下五ヶ町:多賀町、鍛冶町、志義町、上松江町、志多町四門前:養寿院門前、行伝寺門前、妙養寺門前、蓮馨寺門前 ※郷分町 清水町、竪久保町、北久保町、南久保町、坂下町、坂上町、通…

  • 滋賀県大津市に設置されている旧町名看板

    仁丹の町名看板を探していると、非仁丹の旧町名看板を見かけた。 見かけたものしか撮っていないが、2010年(平成22年)中央学区内の旧町を対象に112箇所の看板の取付けが実施されたそう。 町名の由来は、昭和12年大津市が発行した『伝説の大津』に載せられていた「町名の起源」から引用したもの。①上京町 ②中京町 ③葛原町 ④寺町 ⑤上西八町 西上栄町 ⑥中関寺町 下関寺町 関寺町 関寺町=昔、関寺のあった所である。 ⑦上小唐崎町 松幡町 ⑧丸屋町 ➈大工町 大工町=昔は両替町とも云い、舟大工が住んでいたので、つけた名であると云う。 ⑩塩屋町 白玉町 江戸時代、この付近は、湖岸沿いの浜通には米商人が、…

  • 旧町名「長浜市南船町」

    長浜市観光のついでに見つけることができた旧町名の痕跡はひとつだけだった。 発見日 2025年4月8日 発見場所 滋賀県長浜市朝日町 下船町(現朝日町) 天正年間~明治12年までの町名。豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 船持ちや船乗りが多く住んでいた事に由来する。江戸期は瀬田村領年貢地。元禄8年の家数34人口190。明治12年大安寺町と合併し南船町となる 船運で栄えた町 下船町 江戸時代の長浜を構成した五十二町の一つ。北国街道に沿いの両側町て、北は大安寺町を介して北船町と接し、南は稲荷町へ続く。西の小船町へ出る道を「六軒町」という。町の西側を流れる米川には船が入り、川岸は荷揚げ場となり蔵が並ん…

  • 「佐竹商店街 お休み処・事務所」に展示されていたサイン類

    佐竹商店街の入口 アーケードが続く商店街 土曜日だが、雨の日だったからか、それほど人出はない。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 台東区台東二・三・四丁目付近 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。 佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風…

  • 旧町名「彦根市彦根町」

    彦根城周辺の観光を終え、彦根駅に向かう途中、古そうな建物に付いていた関電のプレートに旧町名である「彦根町」を発見した。 発見日 2025年4月10日 発見場所 滋賀県彦根市元町 彦根市には、このような町名が書かれているプレートが存在していた。 現現町名は変わっているのだが、現町名は書かれていなかった。 調べてみたところ、1981年(昭和56年)頃、彦根史談会のメンバーだった細江敏氏が設置したものとのこと。 このプレートについては、観光中(探索中ではない)に何枚か見つけたので、別の記事で紹介することにしたい。石材店に石製の立派な旧町名の説明板が設置されていた。 旧彦根町 彦根町は、彦根城下の親町…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 膳所本町駅周辺 ~

    1日で、と言っても早朝の2時間だけだが、大津駅周辺に存在する仁丹町名表示板を見つけられたので、2日目の早朝探索は、範囲を広げることが出来た。 膳所で目撃情報ががあったものは3枚あり、一応、事前にストリートビューで所在地を確認してきてはいた。 だが、設置されている場所の建物の記憶はすっかり忘れていて、ない。 スマホのストリートビューはあまり使えるものではないので、前日再確認をしなかった。 付箋を貼った地図だけが頼りだ。 最寄りの駅を調べてみると、京阪膳所駅ではなく、膳所本町駅が一番近いようだ。2025年4月9日、目が覚めたのは、4時頃だったろうか? 5時頃まで布団の中にいた。 着替えて、出発する…

  • 別所三丁目交差点標示板が一丁と二丁目に見える in 埼玉県さいたま市南区

    探索中に見つけた交差点。 以前も通ったことがあるが、気が付かなかった。 ネタ探しの意味もあり、街中の色々なものに目が行く年頃になってきたのだ。文字がほとんど消えかかっている北側の交差点標示板 遠くからだと「一丁」としかわからないだろう。南向きなので、日光が当たり、劣化が早いのだろう。一方、南側の交差点標示板は消えかかっているのは一部だけになっている。 こちらは遠くから見たら、「別所二丁目」に見えてしまうだろう。 支障はないのだろうけれど、いじってみたくなる事象であった。撮影日 2025年3月31日、4月5日

  • 『清水寺の仁王門』と『明治初期の基準点標石』

    まだ未見の仁丹もかなりあるのだが、事前調査をしてこなかったこともあり、以前調べていた時に、清水寺に基準点標石があることを知ったので、訪ねてみることにした。 わざわざ京都に来てまで、と思うかもしれないが、花見を兼ねてということで。2025年4月10日6時頃のホテルグランヴィア京都のロビー。 早朝なので人影もまばらだ。京都駅前でバス停を探す。 乗るバスも調べてこなかった。 人が並んでいるバス停があり、行き先を見ると清水寺行のバス停だった。 でも、どこで降りればいいんだ? 清水道で降りる外人さんが何人かいたので、後をついていくことにした。 600mか。 清水坂を登っていく。 早朝なので、人通りも少な…

  • 滋賀県近江八幡市の町名説明板と町名表示板

    2025年4月7日、宿泊地は大津市なのだが、観光の初日に大津市にある三井寺の予約が取れなかったため(予約するのが遅すぎた)、当初の予定を変更して初日は近江八幡観光することにし、京都駅から近江八幡駅へ直行する。 近江八幡駅から目的地の八幡堀まではバスで八幡堀八幡山ロープウェイ入口まで行く。 平日は本数が少ないね。 11時15分発に乗る。 ほぼ満席になるが、立っている人はいない。 乗客は日本人より中国系の観光客が多い感じ。近江八幡の町並みについて 近江八幡市は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の…

  • 清瀬花の里公園のトイレ

    2025年4月17日、探索していると、2025年4月1日にオープンしたばかりの公園があった。 この日は誰も遊んでいなかった。 まだ、学校が終わっていなかったからかな。 芝生にはしばらく入れないそう。 花の里公園と言いつつも、花はまだ何も植えられていない。花はオープンしてから、て少しずつ植えていく予定になっているらしい。 花の植え付けイベント5月10日(土)雨天の場合は11日(日) 午前の部 11時~12時 午後の部 14時~16時気になったはトイレ 男女ともトイレの入口は暖簾が掛けられていた。 風が吹くと中が見えてしまう。 男性用はいいかもしれないが、女性用はどうなのかなあ。 入りにくそう。 …

  • 旧町名「小田原市幸」

    「幸町」ではなく「幸」と一文字だけの町名を発見。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市本町二丁目 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940年(昭和15年)12月20日足柄町、大窪村、早川村および酒匂村の一部(大字網一色、山王原)と合併して小田原市が発足。同日小田原町廃止。2町3大字はそれぞれ幸一 - 四丁目、緑一 - 四丁目、万年一 - 四丁目、新玉一 - 四丁目、十字一…

  • 「琴佐」の文字がある旗竿ボックスから旧町名を辿る。

    ネットで調べていたら、港区西新橋に「琴佐」の文字がある骨董蓋があるらしいことが分かった。 ただ、10年以上前の目撃情報だ。 今もあるのだろうか? 頼りになるのは、サンドラッグが写っている写真のみ。 調べてみると、西新橋には、サンドラッグがなくなっていた。 ストビューでいろいろ探して見るが、場所が特定できない。 西新橋にサンドラッグがあったという情報がないかと探していると、ありがたいことにある大学の事務所の道案内にサンドラッグが載っていた。 これで場所をほぼ特定できたが、問題は現存しているかだ。 ストビューでは確認できなかったので、2025年3月24日、現地に飛ぶ。 あったよ、あった!知っていな…

  • 解体予定のビルに書かれているシャッターアート

    創業1892年の三原屋があったビル 調べてみたが、もう営業はしていないようだ。このビルに明治大学商学部と神奈川県三浦市がコラボしたと思われるシャッターアートが描かれていた。 犬?が船の上からマグロを釣っている絵 マグロは「マグオ君」と言うマスコットキャラクターらしい。柱にも絵が描かれていた。 調べてみると、ここには、明治大学商学部の学生が企画・運営していた神奈川県三浦市のアンテナショップ「なごみま鮮果(せんか)」があったらしい。 2006年6月27日オープン、2019年11月に閉店したとのこと。 もしかしたら、営業中の店舗を見たことがあるかもしれないが、記憶にはない。この辺り一帯が再開発される…

  • 電力プレート「ミナミ-2」 in 埼玉県川越市

    久しぶりに川越市の記事。 あるものを探しに来たのだが、結局見つからず、意気消沈していたのだが、いくつかの新発見があったので、帳消しにはならないけれど、いいことにしよう。 前向きに考えることが大事だ。それにしてもすごい人出だ。 前回はコロナの真っ最中に来たので、それほど観光客がいなかったように記憶している。 目的にしていたものは、古い建物にありそうだったので、メインの通りを歩くしかなく、探索しにくいと言ったらありゃしない。 まっ、それでも、新たに発見したものがあったんだから、自分はすごい、かもしれない。 ただ、今まで見落としていただけの話だが・・・。川越市で発見した電力プレートは下記の記事で紹介…

  • 旧番地「小田原市十字」

    旧町名だと思ったが、現存している町名だったので、旧番地扱いとした。 発見日 2025年3月25日 発見場所 神奈川県小田原市南町①塩小売店 住所付きの塩小売店の看板は久しぶりに見た気がする。 小田原市の後ろの文字が見えないのと"字"と書いてあるので、"字○○"と思ったが、②の住所プレートを発見し、"十字"という町名であることが分かった。②住所プレート 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町の区域をもって小田原町が成立。旧町はそれぞれ幸町、緑町、大字万年、大字新玉、大字十字の2町3大字となる。 1940…

  • 滋賀県大津市に現存する仁丹町名表示板 ~ 大津駅周辺 ~

    今回の旅は琵琶湖周辺に咲く桜の花見がメインだが、タイトルに書いたように大津市に現存している「仁丹町名表示板」に出会うことも大きな目的の一つになっている。 大津市には消滅してしまったものを除くと、19枚(琺瑯製18枚、木製1枚)の目撃情報がある。 ただ、時間の関係上、念入りに調査したのは、大津駅周辺だけだった。 大津駅周辺には8枚の目撃情報があった。 「東上栄町」は、ストリートビューで確認できなかったので、京都仁丹樂會さんに確認したところ、2019年頃に消滅してしまったとのことだった。 ということは、7枚現存しているはずということになる。 無駄足にならないように目撃情報を元にストリートビューで事…

  • 加賀塚公園にある加賀塚 in 東京都日野市

    キリンの滑り台が目に入った加賀塚公園 説明板 加賀塚公園公園内にある塚は加賀塚という。広さ3m四方、高さ50cmで、塚上に高さ50cmくらいの自然石の墓があり、榎が1本自生している。塚の主は戦国時代の武将竹間加賀入道で、小田原北条氏に仕え、日野本宿に住し、日野に知行地を有していた。竹間加賀入道は、豊臣秀吉が関東に兵を進め北条氏と交戦、八王子城も落城した天正18年(1590年)6月の前、2月にこの地で自害したとつたえられる。昭和15年(1940年)子孫の竹間弥惣次氏により供養墓碑が建てられている。 日野市このような公園に墓があるのは珍しいのではないか。市指定史跡 加賀塚(竹間加賀入道の墓) 昭和…

  • 上野公園の路上に書かれていたウォーターアート

    2025年2月15日、上野公園を歩いていたら、路上に絵が描かれていた。 今まで上野公園は何度も歩いているが、今回初めて出会うことが出来た。 コナン そっくりだ。近くにスマホを見ながら水で絵を描いているおじさんがいた。 調べてみると、東京都美術館ニュースNo457にも掲載される程有名な方だった。 もともとは福島県で中学校の美術教師をしていたそうで、2008(平成20)年、54歳の時に早期退職をしたとのこと。第二の人生を考えるうちに、路上に水で絵を描いてみようと、チャレンジすることにしたそうだ。それでは描かれていた作品の一部を見ていくことにしよう。バイキンマン バンギラス クレヨンしんちゃん ドラ…

  • 旧町名「小田原市緑町」

    まだサラリーマンだった頃、平日だが、ある理由で、小田原市を探索したことがある。その時の記憶は、小田原城と報徳二宮神社を訪れたことくらいしかない。その頃は、今ブログで書いていることには全く関心がなかった。時が経つと変わるものだ。国府津駅に着いた時には、電車が来ていて、乗り遅れた。次の電車まで、少し時間があった。仕方ないので、ホームで待つことにする。そうしたら、なんと電車が遅れてきた上に普段は快速が止まらない次の駅鴨宮にも止まり(自動放送では止まらないと言っていたのだが、駅員の放送では止まると訂正していた)、少し予定より遅く着くことになる。数分の違いなので全然問題ないが。駅に着いた。 さてどうする…

  • 屋上に三連の輪がある廃墟?ビル

    青梅街道沿いの西荻地域区民センターにある彫刻を撮りに訪れたのだが、その隣のビルの屋上に乗っかっている三連の輪がとても気になってしまった。 ビル名かわからないが、上の方に"Le VERT 1"と書かれているようだ。1F 心の居酒屋 道草 2F コーヒー&スナック たんぽぽ 3F カラオケひろば ピンクモンキー ビューティーサロン フォルム 給水塔ではないよね? ネットで調べてみたが、情報は見つからず。撮影日 2025年1月7日 撮影場所 東京都杉並区桃井4-3-1

  • 電力プレート「ナカメ1-30」 in 東京都目黒区中目黒

    中目黒の電力プレートは下記の記事で2枚紹介しているが、新たに1枚発見したので、紹介することにしよう。 citywalk2020.hatenablog.com急坂の途中にある路地を入った突き当りにあった。発見日 2025年3月17日 発見場所 東京都目黒区中目黒四丁目 まだ出会えていない電力プレートを探し求めて、探索は続く。

  • 琺瑯住所プレート&たばこ住所プレート&電力プレートのトリプル痕跡「千住柳町」

    この建物はタイトルに書かれているように3つの痕跡達を一ヶ所で見ることが出来るレアな場所。 上の建物が描かれた絵 2025年3月6日、現存を確認してきたので、記事を書くことにした。①琺瑯住所プレート ②たばこ住所プレート ③電力プレート

  • Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 受賞作品

    工事現場の仮囲いにアート等があると立ち止まらずにいられなくなる。おぼえておきたい 町火消の記憶 ― 中央区を守った纏と半纏 ― 町火消は、江戸を40組に分け、「い」「ろ」「は」 146文字を組の名前とし、 組の目印として、それぞれ纏と半纏を作りました。配置図 Welcome to 東銀座 2024!「仮囲いイラストコンテスト」 『東銀座』のまちと2024年の干支である『龍』をテーマにアートコンテストを開催!コンテストにて見事受賞を果たした計8作品が 『東銀座』のまちを彩ります!新進気鋭の次世代アーティストによって自由に表現された 《まちの魅力》!地図を見てぜひ訪れてみてください! 主催:一般社…

  • まちの発展は名勝小金井(サクラ)とともに

    2025年1月14日、武蔵小金井駅北口に出ると説明板があった。 日付を見ると令和6年12月とある。 設置ホヤホヤだ。 折角のめぐりあわせなので、記事を書くことにした。 桜の名所から名勝へ武蔵小金井駅から北方へ15分ほど歩くと玉川上水の小金井橋にたどり着き、この橋を中心に東西6kmにわたる桜並木が広がります。この桜並木は1737(元文2)年頃、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の命令により川崎平右衛門定孝等が、桜川(茨城県)や吉野山(奈良県)等の名所から集めたヤマザクラを植樹したものと伝わります。江戸時代後期、立派に成長した桜並木は'小金井桜'や'御上水桜'と呼ばれるようになり、歌川広重をはじめ文人墨客…

  • 「一寸まてこみの捨場は川しやない」って何?+看板など

    あきる野市を探索中にタイトルのように読めてしまった石の標柱があったので、立ち止まる。 よく見ると、 「ごみ」に見える? 「じゃ」に見える? 見えない。 「じや」に見える。 ということで正解は「一寸まてごみの捨場は川じやない。」 じゃないよね。 「一寸まてごみの捨場は川じゃない。」古い手書きの看板 新しい看板 ちょっと書き方が変わっていた。他にも気になることが書いてある看板もいくつか発見した。STOP 冷水病って何? 「フラボバクテリウム・サイクロフィラム」という病原菌が原因で引き起こされる細菌性の感染症のことらしい。お知らせ "魚族"っていう言葉初めて見た。「遊漁証」について 鮎だけ漢字という…

  • 日本橋タカシマヤセミナーをアップデートする(3)プラスアルファ

    2011年に実施された髙島屋友の会主催の日本橋タカシマヤセミナーで紹介されたマンホール蓋の現存状況は下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 気が付けば、あれからずいぶん経っていた。 色々調べていたら、新しい資料を見つけた。と言っても2012年6月実施された日本橋タカシマヤセミナーの資料なので、今頃ようやく見つけたのかという感じ。なぜ今までの検索に引っかからなかったのだろう?見つけたということは、自分が少しは成長して、そういう時期になったということなのかもしれない。その資料とは、「復…

  • 旧大宮市の旧小字「高間間」の痕跡を電柱に見つける。

    2025年1月27日、さいたま市見沼区染谷付近を探索していたところ、電柱を見上げると「高間間」の文字が書かれていた。 旧町名か? 民家が少なく、探してみたが、表札の痕跡は見つからず。 仕方ない。 電柱だけにフォーカスして探していると、いくつかのバージョンがあった。①高間間バージョン ②「高間間」略字バージョン ③高間々バージョン 書き方は統一はされていないようだ。 手書きのものは書いた人の個性が出るのだろう。 書いた人のサインらしきものも書かれてものもある。 これはこれで面白いものだ。

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ~ 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 後編 ~

    後編は左側に展示されていたもの。 出場者サイン

  • 中央に「E」の文字があるマンホールのふた

    一般的によく見かける模様(JIS規格模様とのこと)のマンホールのふただが、このマンホールのふたの中央には、「E」の文字が輝いていた。 発見日 2025年2月17日 発見場所 東京都荒川区西尾久 マニアの方には珍しいものではないと思うが、初見のものだったので、お披露目することにした。 「E」は電気の英語のelectricityの頭文字か?

  • もしかしたら小田原市で最後の1枚の琺瑯町名看板「国府津町1815」

    「悠久の思い出」さんの神奈川県小田原市の町名看板https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/tyoumei-Kanto.html#Kanagawa の一覧には、浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24、曽我別所808、国府津町1815が現存していることになっている。 現地調査をする前に、無駄足にならないよう、それぞれストビューで確認してみた。 浜町1-2、浜町1-9、浜町4-242019年3月まであり、2022年12月なし → 新しい家又は更地になっていた。 曽我別所8082023年1月まであり、2024年3月なし建物は残っているが、町名看板だけ無くなっている。→ 家主…

  • 東京体育館と国立競技場から見える景色

    2025年3月20日、時間や季節のあるタイミングでないと撮れないものが撮れた。 撮ろうとして訪れたわけではなく、たまたま訪れ、その時間帯でないと撮れないものに出会えた。 東京体育館 国立競技場が切れていて、何となく違和感を感じる写真。 こういうのを何と言うのかわからないが、鏡面仕上げの東京体育館と書かれているものに国立競技場の一部が写っているのだ。 拡大すると、UFOではない、ヘリコプターが写っていた。 作品名「風のように、光のように」 太陽が反射している。このように光が反射する時間帯は、今の季節では短いかもしれない。自動で動いているのかと思ったが、風が吹くと動くようになっているそうなので、無…

  • 東武鉄道千住線跡がある岡田商事に「解体工事のお知らせ」が貼られていた。

    2025年3月22日、一通りの探索を終えたあと、やっちゃば緑道を歩き、東武鉄道千住線跡があるという岡田商事へと向かう。 千住の青物市場の起源は古く天正の頃にさかのぼるといわれ、江戸中期以降は、神田・駒込とならぶ江戸の三大市場であった。往時、旧日光街道に面した千住河原町かいわいは、 「やっちゃやっちゃ」のセリのかけ声で賑わった。この緑道は、市場が昭和十六年に東京市に移管された後、建設された引込鉄道の跡地を足立区が譲り受け整備したものである。昭和五十七年四月吉日 墨堤通りに出て歩道を歩いていると目的地である岡田商事が見えた。 以前もすぐそばを通ったことがあるが、その時は鉄道遺産に興味がなかった頃で…

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