所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
全国の寺社と御朱印を紹介。 参拝記と御朱印情報を中心に、寺社の歴史や仏像・日本神話のことなどを書いています。
龍蔵寺の御朱印|ポップな空気が漂う山口市最古の名刹|(山口県山口市)
所在地山口県山口市吉敷1750宗 派真言宗御室派札 所・中国三十三観音霊場 第17番・山陽花の寺二十四か寺 第5番・周防国三十三観音霊場 第33番・十八不動三十六童子霊場 第12番・ぼけ封じ観音霊場 第22番・百八観音霊場 第22番由 緒6
山口県護国神社の御朱印|幕末の志士を含む山口県関係の英霊を祀る|(山口県山口市)
所在地山口県山口市平野2丁目2−1祭 神山口県関係の国難に殉じた英霊52128柱社 格・内務大臣指定護国神社・別表神社由 緒1941年創建。明治維新以降、国難に殉じた山口県出身の英霊を祀る神社です。その他、幕末に殉じた、吉田松陰・久坂玄瑞・
山口大神宮の御朱印|西のお伊勢さま|伊勢神宮から直接御神霊を勧請した神社(山口県山口市)
所在地山口県山口市滝町4−4祭 神・外宮 豊受大御神・内宮 天照大御神由 緒1520年、大内氏15代当主・大内義興が伊勢神宮の御神霊を勧請して創建したのが始まりといいます。創建当初は高嶺神明と称していましたが、後柏原天皇から高嶺太神宮、後陽
所在地山口県山口市古熊1丁目10−3祭 神主祭神 菅原道真配祀神 菅原福部童子由 緒1373年、大内氏9代当主・大内弘世が、京都・北野天満宮より御分霊を勧請し、山口北野小路に祀ったのが始まりといいます。その後、1618年に長州藩初代藩主・毛
豊栄神社・野田神社の御朱印|毛利元就と毛利敬親を祀る|(山口県山口市)
所在地・豊栄神社 山口県山口市天花1丁目1−1・野田神社 山口県山口市天花1丁目1−2祭 神・豊栄神社 毛利元就・野田神社 毛利敬親 毛利元徳社 格旧別格官幣社・別表神社由 緒●豊栄神社江戸時代初期、防長二州に移封した毛利輝元が広
築山神社の御朱印|大内氏の別邸・築山館跡に鎮座|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上竪小路101祭 神・大内義隆・徳川家康・大内義尊・大内氏諸公卿諸士28人由 緒1605年、毛利輝元が上宇野令村(現・山口市)の多賀社に大内義隆などを祀る宝現霊社を創建したのが始まりといいます。その後、龍福寺の境内に移転。
八坂神社の御朱印|大内氏の別邸・築山館跡に鎮座|山口の三大祭りの1つ・山口祇園祭|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上竪小路100祭 神素盞嗚尊・稲田姫命・手名槌命・足名槌命由 緒1369年、大内氏9代当主・大内弘世が京都・祇園社から神霊を勧請して創建したのが始まりといいます。創建当初は竪小路に鎮座していましたが、後に水の上に移し、そし
今八幡宮の御朱印|山口総鎮守|国重文の楼拝殿造|八幡隊屯所跡|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上宇野令828−1祭 神・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・玉依姫命・宇治皇子由 緒創建年は不詳。しかし1278~1287年、大内氏4代当主・大内弘成の娘に『今八幡殿』という名が見えることから、これ以前には存在していた神社とい
龍福寺の御朱印|大内義隆の菩提寺|大内氏館跡にあります|(山口県山口市)
所在地山口県山口市大殿大路119宗 派曹洞宗由 緒1206年、現・山口市白石に創建した瑞雲寺がこのお寺の始まりといいます。創建当初は臨済宗でしたが、1454年に曹洞宗に改宗し、寺号を龍福寺に改めたそうです。1551年、大内義隆の家臣・陶晴賢
洞春寺の御朱印|毛利元就の菩提寺|毛利氏と共に歴史を歩んだお寺|(山口県山口市)
所在地山口県山口市水の上町5−27宗 派臨済宗建仁寺派札 所・中国三十三観音霊場 第16番・百八観音霊場 第21番・周防国三十三観音霊場 第30番由 緒1572年、安芸国・吉田郡山城の城内に、毛利元就の菩提寺として創建したのが始まりといいま
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所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
所在地兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8−43祭 神●主祭神・健御名方大神●配祀神・若一王子神・大市比売大神・稲荷大神・八幡大神・大国主大神・事代主大神・祇園大神・猿田彦大神・須佐男大神由 緒鎌倉時代初期、松本忠一が信州諏訪から一族を連れてこの
所在地東京都千代田区九段北3丁目1−1祭 神護国の英霊246万6千余柱由 緒1869年、明治天皇の命により創建した東京招魂社が始まり。1879年、社号を靖国神社に改称。国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること
所在地東京都千代田区外神田2丁目16−2祭 神・大己貴命・少彦名命・平将門命由 緒730年、出雲系の氏族が現・東京都千代田区大手町・将門塚周辺に大己貴命を祖神として祀ったのが始まり。935年、平将門の乱で敗死した平将門の首を神社の近くに葬っ
所在地東京都港区台場1丁目7−1 アクアシティお台場7階祭 神・天照皇大御神・豊受大神由 緒2004年、芝大神宮の御分霊を勧請し、お台場地域の人達、また遠方から訪れる観光客の人達の心のやすらぎの場所として建立された神社です。HPアクアシティ
所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
所在地東京都港区芝公園4丁目7−35宗 派浄土宗寺 格大本山札 所江戸三十三ヶ所 第21番由 緒1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州
所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
所在地兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8−43祭 神●主祭神・健御名方大神●配祀神・若一王子神・大市比売大神・稲荷大神・八幡大神・大国主大神・事代主大神・祇園大神・猿田彦大神・須佐男大神由 緒鎌倉時代初期、松本忠一が信州諏訪から一族を連れてこの
所在地東京都千代田区九段北3丁目1−1祭 神護国の英霊246万6千余柱由 緒1869年、明治天皇の命により創建した東京招魂社が始まり。1879年、社号を靖国神社に改称。国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること
所在地東京都千代田区外神田2丁目16−2祭 神・大己貴命・少彦名命・平将門命由 緒730年、出雲系の氏族が現・東京都千代田区大手町・将門塚周辺に大己貴命を祖神として祀ったのが始まり。935年、平将門の乱で敗死した平将門の首を神社の近くに葬っ
所在地東京都港区台場1丁目7−1 アクアシティお台場7階祭 神・天照皇大御神・豊受大神由 緒2004年、芝大神宮の御分霊を勧請し、お台場地域の人達、また遠方から訪れる観光客の人達の心のやすらぎの場所として建立された神社です。HPアクアシティ
所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
所在地東京都港区芝公園4丁目7−35宗 派浄土宗寺 格大本山札 所江戸三十三ヶ所 第21番由 緒1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州