オールガイナーレYAJINスタジアムは、2012年開場、鳥取県米子市にあるサッカー専用球技場。 主にJリーグに所属するガイナーレ鳥取の練習拠点として使用されている。 このスタジアムができた経緯を理解するには、ガイナーレ鳥取の歴史を追っていかねばならない。 ガイナーレ鳥取は1983年に創部した「SC鳥取」を前身とするサッカークラブである。
野球、サッカー、バスケが開催される全国のスタジアムやアリーナを観戦客目線から紹介します。毎週金曜日18時更新予定。
スポーツを見るためだけに全国を毎週のように飛び回り、スポーツで盛り上がる人たちを見ては満足しているアラサー会社員。「郷に入りては郷に従え」がモットー。
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品川区立戸越体育館は、1987年開場、東京都品川区にあるSHINAGAWA CITY BASKETBALL CLUBのホームの一つ。 SHINAGAWA CITY BASKETBALL CLUBは現在23区内の小さな体育館を転々としながら試合をしている状態であり、この戸越体育館はその中でも唯一名前の通り品川にある体育館である。 いわば実質的なホームアリーナだ。
札幌グルメ+小観光旅~セイコーマート探訪記~【遠征記その73】
今回は北海道コンサドーレ札幌、北海道日本ハムファイターズの試合観戦のために札幌ドーム、エスコンフィールドHOKKAIDOを訪れた時の遠征記を紹介します。 今回の旅では真夏の暑さ、そしてスケジュール的にも忙しかったこともあり、コンビニのセイコーマートに頼りきりの旅となりました。 それでも十分ご飯を楽しむことができました。さすが北海道はコンビニもレベルが高い…。
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)改訂版第2版+ACL決勝ver.~PRIDE OF TRICOLORE~
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)は、1998年開場、神奈川県横浜市にある横浜F・マリノスのホームスタジアム。 横浜在住の筆者にとって、日産スタジアムはホームスタジアム。 子供の頃からお世話になっている、人生で横浜スタジアムの次に通い慣れたスタジアムだ。
茨城・千葉グルメ+小観光旅~関東パワースポット巡り~【遠征記その72】
今回は鹿島アントラーズの試合観戦のために鹿島サッカースタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。 当方関東住みなのであまり関東を観光する、という風にはならないのですが、鹿島アントラーズのおかげでじっくり旅行することができました。
エスコンフィールドHOKKAIDO~Dream Ball Park from HOKKAIDO~
エスコンフィールドHOKKAIDOは、2023年開場、北海道北広島市にある北海道日本ハムファイターズのホームスタジアム。 夢のボールパーク、北海道に誕生。 ファイターズファン、そしてすべての野球ファンにとって衝撃が走ったこのニュースは、2023年我々の目の前に現実となって表れた。
今回は阪神タイガースの試合観戦のために安芸市営球場(安芸タイガース球場)を訪れた時の遠征記を紹介します。 人生ほとんど初めて訪れた高知、そのエッセンスを少しずつ感じながら充実した一泊二日の旅となりました。
三重県営鈴鹿スポーツガーデンサッカー・ラグビー場(三重交通G スポーツの杜 鈴鹿サッカー・ラグビー場)~ホンダの企業城下町・鈴鹿~
三重県営鈴鹿スポーツガーデンサッカー・ラグビー場(三重交通G スポーツの杜 鈴鹿サッカー・ラグビー場)は、1992年開業、三重県鈴鹿市にある三重ホンダヒートの本拠地。 スポーツガーデンというだけあって他にもプール、テニスコート、体育館を備えている。 その中でサッカー・ラグビー場は計5面あるほど充実しているが、試合が行われるのはメイングラウンド。
京都グルメ+小観光旅~京都のスポーツを制覇する~【遠征記その70】
今回は京都サンガ、FC大阪および京都ハンナリーズの試合観戦のためにサンガスタジアム、西京極総合運動公園競技場、島津アリーナ京都を訪れた時の遠征記を紹介します。 京都と言えば定番中の定番の観光地、それなのに観光そっちのけでスポーツ観戦しました。 我ながらさすがにどうなのかと思いつつ、京都はスポーツでも十分楽しめることが分かりました。
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オールガイナーレYAJINスタジアムは、2012年開場、鳥取県米子市にあるサッカー専用球技場。 主にJリーグに所属するガイナーレ鳥取の練習拠点として使用されている。 このスタジアムができた経緯を理解するには、ガイナーレ鳥取の歴史を追っていかねばならない。 ガイナーレ鳥取は1983年に創部した「SC鳥取」を前身とするサッカークラブである。
今回はベルテックス静岡、三遠ネオフェニックスの試合観戦のために静岡市中央体育館、豊橋市総合体育館を訪れた時の遠征記を紹介します。 意外と静岡市内をがっつり歩くのは初めて、豊橋市内をぶらぶらするのも初めて。 限られた時間ではありましたが、知らない街を歩くというのはとても刺激的で楽しいものです。
北九州市民球場は、1958年開場、福岡県北九州市にある野球場。 現在は福岡ソフトバンクホークスの実質的な準本拠地として使われている(福岡県内ですから…)。 市内には1950年代には小倉豊楽園球場があり、西鉄ライオンズなどの試合が年に10試合ほど行われていた。 しかし小倉駅の移転に伴う用地収用のため豊楽園は解体、その代わりに1958年完成したのが小倉市営球場である。 1963年には北九州市の誕生に伴い、北九州市営小倉野球場に改称された。
人馬のスポーツといえば、やっぱり競馬でしょう。 日本人の99%が競馬を思い浮かべることと思います。 しかし競馬並み、いやもしくは競馬以上に歴史ある人馬のスポーツがあります。 それは馬術です。 そんな馬術、知名度は決して高くありません。 馬術とは一体どんな競技なのでしょうか? 1.馬術の歴史 2.オリンピックの馬術競技 3.世界の馬術 4.まとめ 1.馬術の歴史 馬を自在に操る馬術は、当初騎馬戦を行うための技術として発展してきました。 その中でハミや鞍といった馬具も発達しました。 最古の馬術に関する記述は紀元前1400年ごろヒッタイトで書かれたもので、戦闘用の馬を調教し飼育管理する方法に関するも…
千葉県立柏の葉公園総合競技場は、1999年開業、千葉県柏市にあるNECグリーンロケッツ東葛のホームスタジアム。 もともとこのスタジアムは、Jリーグ柏レイソルのホームスタジアムとして使うことを目的として建てられたもの。 柏レイソルのJリーグ参入当初のホームである日立柏サッカー場は設備的に不十分で、もともと暫定的なホームという扱いだった。 そのため柏市は柏レイソルの本拠地として恒久的に使えるスタジアムを探していたのだが、そこで白羽の矢が立ったのがこの柏の葉公園でのスタジアム建設計画であった。
前回、日本競馬ができるまでを紹介しました。戦後にできた日本競馬の歴史は現在まで継承されています。 しかし競馬のシステムができてめでたしめでたし…では終わりません。 そこで今回は、激動の戦後を生き抜いてきた地方競馬の歴史を紹介します。 1.戦後の躍進と忍び寄る反社会勢力 2.オグリキャップブーム、そしてバブル崩壊 3.地方競馬を救うIT技術 4.まとめ 1.戦後の躍進と忍び寄る反社会勢力 戦後、全国には地方競馬場が61ヶ所もありました。 それらは1948年に公営化が行われましたが馬不足が深刻で、馬籍登録を偽って走らせるところもあるなどめちゃくちゃでした。 更に競輪、オートレース、競艇が相次いで始…
青山学院記念館は、1964年完成、東京都渋谷区にあるサンロッカーズ渋谷のホームアリーナ。 前回観戦したときからの大きな変化点と言えば、セガサミーがサンロッカーズ渋谷の経営権を日立製作所から買い取ったこと。 サンロッカーズ渋谷は1935年創部の日立製作所バスケットボール部を源流にしており、80年以上の時を経て次のステージへと移ることになった。
世界で唯一人間と人間以外の生物が共闘するスポーツ、それが競馬です。 特に日本の競馬は世界最大規模であり、また馬術でもオリンピックメダルを獲得するなど大きな存在感をして示しています。 今回はそんな競馬の歴史、特に日本競馬の成り立ちについて調べていきます。 1.古来より存在した古式競馬 2.ヨーロッパ競馬の歴史 3.日本競馬の歴史 4.まとめ 1.古来より存在した古式競馬 日本における競馬の起源をたどると日本書紀において馬の走りくらべをしたと記されており、飛鳥時代に競馬の原型があったことが分かっています。 この頃の競馬は神事としての側面が強く宮中行事として行われていましたが、同時に軍事にも応用でき…
福島県営あづま陸上競技場(とうほう・みんなのスタジアム)は、1994年開場、福島県福島市にある福島ユナイテッドFCのホームスタジアム。 こちらも例にもれず1995年の福島国体に向けて作られたスタジアム。 幸か不幸か国体スタジアムのおかげで、日本全国にJリーグクラブがあるのだ…。
注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています 今回はAC長野パルセイロと松本山雅FCの試合観戦のために長野Uスタジアムとサンプロアルウィンを訪れた時の遠征記を紹介します。 信州と言えばそば! ということで、長野と松本でひたすらそばを食べまくる旅となりました。やっぱりそばは良いものを食べたいですね…。 簡単な旅程は下記のとおりです。 1日目・長野で試合観戦+長野グルメ 2日目・松本で試合観戦+松本グルメ 3日目・松本観光 まとめ それではごゆっくりどうぞ! 1日目・長野で試合観戦+長野グルメ 北陸新幹線は、かつて長野新幹線と呼ばれていました。 というわけで長野行きのあさまに乗車…
注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています 【概要】 土浦市営球場(J:COMスタジアム土浦)は、1950年開場、茨城県土浦市にある野球場。 1952年にはプロ野球の公式戦が開催されたこともあるが、1954年を最後に行われていない。 一方で2019年には北海道日本ハムファイターズのファームの試合が行われるなど、決して茨城県内での球場としての地位が失われたわけではないようだ。 そんな土浦市営球場では、2019年よりベースボールチャレンジリーグに参戦した茨城アストロプラネッツも試合を行っている。 茨城県には実は1947年にプロ野球チームがあったのだが、それ以来となる茨城のプロ野…
今回は仙台89ERSおよび秋田ノーザンハピネッツの試合観戦のためにカメイアリーナ仙台および秋田市立体育館(CNAアリーナ★あきた)を訪れた時の遠征記を紹介します。 秋の東北旅ということもあり、とにかく新米を求めてさまよいました。 おまけに観光もなかなかに充実させることができ、かなり満足できる旅になりました。東北はやっぱりいいですね。
山下公園は、1930年開園、神奈川県横浜市にある公園。 1923年の関東大震災における瓦礫捨て場を埋めたててできた公園であり、現在では横浜を象徴する観光地となっている。
世の中には、2種類のスポーツがあるとされています。 それは、メジャースポーツとマイナースポーツです。 しかし、何をもってメジャースポーツとするのか、マイナースポーツとするのかはまったくもってわかりません。 世の中の人たちは言葉の定義もあいまいなまま、スポーツを2種類に分けているのです。 そこで今回はなにがメジャーとマイナーを分けるのか、「スポーツの人気」を様々な角度で考えてみたいと思います。 1.競技人口の多さで考える 2.競技が行われている国の数で考える 3.競技の市場規模で考える 4.まとめ 1.競技人口の多さで考える まず最初に思いつくのが競技人口の多さ。 では早速、世界の競技人口ランキ…
平塚総合体育館(トッケイセキュリティ平塚総合体育館)は、1982年完成、神奈川県平塚市にある体育館。 前回訪れた時と比べても、アリーナ自体に大きな変化はない。 ただスラムダンクも映画の影響で大きく注目を集めたのに加え、何より横浜ビー・コルセアーズにバスケットボールワールドカップでも大活躍した河村勇輝が加入したことはあまりにもビッグなニュース。
野球だろうと、サッカーだろうと、プレーをするうえでスタジアムに欠かせないのが「芝」です。 (さすがにバスケを芝のコートにしているところは見たことありませんが…) なんとなくみんな芝が大事だということは知っていますが、芝って何なのか、いまいちよく知らないことでしょう。 誰も芝について教えてくれる人なんかいないですからね…。 そこで今回は、スタジアムに欠かせないのに誰も知らない「芝」について調べてみたいと思います。 1.「芝」って何? 2.人工芝って何? 3.芝の手入れはどれくらい大変? 4.まとめ 1.「芝」って何? そもそも、「芝」ってなんなのでしょうか? wikipediaによれば、 「1種…
長居球技場(ヨドコウ桜スタジアム)は、1987年開場、大阪府大阪市にあるセレッソ大阪のホームスタジアム。 開場当初は野球場以外で初の全面人工芝を張った球技専用スタジアムであった。
今回は島根スサノオマジックおよびガイナーレ鳥取の試合観戦のために松江市総合体育館およびオールガイナーレYAJINスタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。 日本の中でもかなり地味な山陰地方。 アクセスも非常によろしくないのですが、いざ行ってみると魅力がたっぷりあることに気付きます。
横須賀スタジアムは、1949年開場、神奈川県横須賀市にある横浜DeNAベイスターズの2軍本拠地。 前回訪れたのがコロナ禍前であったので、数年たった今改めて訪れるのとともに、今まで食べてみなかった「スカスタグルメ」を食べてみるのが今回の目標。 二軍球場でもおいしいグルメが少しずつ増えている今、スカスタのグルメはどんなものか見てみることとした。
今回は島根スサノオマジックおよびガイナーレ鳥取の試合観戦のために松江市総合体育館およびオールガイナーレYAJINスタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。
Honda都田サッカー場は、1996年拡張、静岡県浜松市にある本田技研工業フットボールクラブのホームスタジアム。 本田技研工業フットボールクラブ、いわゆるHondaFCと言えば、 ・時にはJリーグ参入ヘの最後の関門、JFLの番人として、 ・時には天皇杯でJリーグクラブ相手に時折ジャイアントキリングを起こす下剋上クラブとして、 ・そしてアマチュアサッカー界最強クラブとして今なお君臨し続ける特殊なクラブである。 今回はそんなHondaFCの歴史を紐解いていきたい。
日本において、賭博は犯罪です。 時折、高校野球なんかを対象に仲間内でお金を集めてしまいニュースになったりすることがありますね。 2015年には巨人の選手が賭博をして逮捕されたりもしました。アレは暴力団とも関わってるという大問題もありましたが…。 その一方、日本では堂々とギャンブルができる場所がありますよね。 それが公営ギャンブル、いわゆる競馬、競輪、競艇、オートレースです。 どれもばっちりテレビで宣伝をやっているし、特に警察が取り締まっている様子はありません。 果たしてその線引きはどこにあるのでしょうか?調べてみます。 今回は以下の法律事務所のホームページを参考にさせていただきました。 wak…
ナゴヤ球場は、1948年開業、愛知県名古屋市にある中日ドラゴンズファームの本拠地。 ナゴヤがカタカナなのは画数が八画となり、末広がりの八をモチーフにした名古屋市章とリンクさせるためらしい。
広島ドラゴンフライズが2023‐24シーズンBリーグ優勝を果たしました!おめでとうございます。 広島ドラゴンフライズは西地区3位、全体では7位の成績で、ワイルドカードからプレーオフに進出。 しかし中地区優勝の三遠ネオフェニックス、西地区優勝の名古屋ダイヤモンドドルフィンズをアウェイで続けざまに撃破。 迎えたファイナルでは西地区のライバル琉球ゴールデンキングスに対し、先勝を許すも二連勝で大逆転。 Bリーグ史上最大の下克上をここに完成させました。 そして広島ドラゴンフライズの歴史自体も、下剋上と言える苦難の連続でした。 今回はそんな歴史を振り返っていきたいと思います。 広島ドラゴンフライズ観戦記は…
注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています 【概要】 東伏見アイスアリーナ(ダイドードリンコアイスアリーナ)は、1984年開業、東京都西東京市にあるアイススケートリンク。 開業以来アイスホッケー、フィギュアスケートの大会でしばしば使用されている。 西武グループが所有するレジャー施設の一つであるが、かつてアジアリーグアイスホッケーに所属していたSEIBUプリンスラビッツが本拠地としていた。 ラビッツは日本リーグ、アジアリーグ、日本選手権合わせて26のタイトルを保持した強豪チームであったが、プリンスホテルの業績不振を理由に廃部となってしまった。 ある意味、バブル期を象徴するチー…
最近「Suno」というサイトが流行っています。 これはどういうサイトかというと、歌詞を入れるとAIが勝手に曲とアートワークを作ってくれるというシロモノです。 suno.com しかしこのブログには残念ながらそんなアーティスティックな文章はありません。 そこで適当に、最近の記事から冒頭を切り出して曲を作ってもらうことにしました。 まずはこちら。 「愛知県体育館 (ドルフィンズアリーナ)は、1964年竣工、愛知県名古屋市にある名古屋ダイヤモンドドルフィンズのホームアリーナ。 このアリーナで行われる最も有名なイベントと言えば、なんといっても大相撲名古屋場所。 開場直後の1965年から行われてきた名古…
セパ交流戦が始まってから、今年で20年目を迎えます。 そのきっかけは、2004年の球界再編でした。 オリックスブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの突然の球団合併、ナベツネの「たかが選手が」発言、古田選手会長の涙、運命のストライキ…。 球界が揺れ続けたあの一年のことは、今でも忘れられません。 そんな球界再編ももう20年も前。私にとっては昨日のような出来事ですが、多くの野球ファンにとってはもはや歴史上の出来事です。 とはいえ球界再編は悪いことばかりでもなく、これをきっかけに生まれたのが東北楽天ゴールデンイーグルス、そしてセパ交流戦です。 今回はそんなセパ交流戦の歴史を振り返っていきましょう。 こ…
愛知県体育館 (ドルフィンズアリーナ)は、1964年竣工、愛知県名古屋市にある名古屋ダイヤモンドドルフィンズのホームアリーナ。 このアリーナで行われる最も有名なイベントと言えば、なんといっても大相撲名古屋場所。 開場直後の1965年から行われてきた名古屋場所は、大相撲の夏の風物詩としてすっかり定着している。 そんな愛知県体育館は、Bリーグの名古屋ダイヤモンドドルフィンズが命名権を取得したことにより、2018年からドルフィンズアリーナという名称で親しまれている。 大相撲の本場所がカタカナの名前がついた施設で行われているというのは何とも面白い現象だ。
プロ野球を初めてみた人がおそらく感じるであろう疑問。 それは、「2リーグあるのになんで東西で分けていないの?」でしょう。 東にあるのは北海道日本ハム、東北楽天、埼玉西武、千葉ロッテ、読売、東京ヤクルト、横浜DeNA。 西にあるのは中日、阪神、オリックス、広島、福岡ソフトバンク。 二軍がイースタン、ウエスタンで分かれているように、東西の2リーグで分ければ移動も楽になるし大変効率的です。 しかし日本のプロ野球は読売、東京ヤクルト、横浜DeNA、中日、阪神、広島のセリーグ、 そして北海道日本ハム、東北楽天、埼玉西武、千葉ロッテ、オリックス、福岡ソフトバンクのパリーグに別れています。 セリーグはともか…
平塚競技場(レモンガススタジアム平塚)は、1987年開場、神奈川県平塚市にある湘南ベルマーレのホームスタジアム。 前回からの変化と言えば、ネーミングライツ企業が変わったことにより名前がレモンガススタジアム平塚となったことである。 以前のShonan BMWスタジアム平塚はカッコよかったのに対し、レモンガススタジアムはだいぶカワイイ感じになった。企業名とはいえ、あまりにネーミングの方向性が変わりすぎである。
今回はバンビシャス奈良および神戸ストークスの試合観戦のためにロートアリーナ奈良、ワールド記念ホールを訪れた時の遠征記を紹介します。 今回は時間の関係でシカにも会わなかったし、港にも行きませんでした。 その分ディープな奈良と神戸を味わうことができたと思います。
ナゴヤドーム(バンテリンドームナゴヤ)は、1997年開場、愛知県名古屋市にある中日ドラゴンズの本拠地。 落合監督の退任以降、低迷が続く中日ドラゴンズ。 高木監督初年度の2012年に2位になった後はBクラスが続き、Aクラスは2020年に3位に入っただけ。 しかもこの年はコロナの影響でクライマックスシリーズが行われないという不運であった。
読売ジャイアンツ創立者にして初代オーナー、プロ野球の父ともたたえられる大人物、それが正力松太郎。 プロ野球界に遺した功績はあまりにも大きいものですが、では果たして全くの善人だったのかというと疑問符の付く人物でもあります。 今回は今日に至るプロ野球の基礎を作り上げたと言っても過言ではない正力松太郎を、功罪の両面から紐解いてみたいと思います。 1.功の部分 2.罪の部分 3.まとめ 1.功の部分 正力松太郎は1885年富山県に生まれ、1969年に84歳で亡くなるまで常に日本の中心にいた人物でした。 1924年日本では朝日新聞、毎日新聞の二強体制でしたが、その当時不振だった読売新聞を東日本最大の新聞…
KOSE新横浜スケートセンターは、1990年開場、神奈川県横浜市にあるスケートリンク。 今回は、新しく誕生した横浜グリッツの試合を観戦した。 横浜グリッツは2019年、慶応義塾大学アイスホッケー部OBによって創設されたクラブチーム。慶應義塾の日吉キャンパスがすぐ近くにあるから、その関係で横浜を本拠にしているのだろうか。
今回は佐賀バルーナーズおよびギラヴァンツ北九州の試合観戦のためにSAGAアリーナ、北九州スタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。 後編ではひたすら北九州の魅力を探ります。 モノレール無料というとんでもない施策の恩恵を受け、いろいろと市内をめぐることができました。 非常に満足度の高い北九州の旅となりました。
横浜BUNTAIは、2024年竣工、神奈川県横浜市にあるアリーナ。 かつてこの場所には、1962年に完成した横浜文化体育館、通称文体があった。 横浜市の成人式も行われるなど横浜を代表するアリーナであったが、老朽化のため2020年に閉館となった。
今回は佐賀バルーナーズおよびギラヴァンツ北九州の試合観戦のためにSAGAアリーナ、北九州スタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。 佐賀を訪れるのはほとんど初めて(鳥栖だけ)だったので、前泊して佐賀を歩き回ってみました。 佐賀と言えばとにかく地味というイメージはありましたが、いざ行ってみると確かに地味ながらとても魅力が多く大変楽しめました。
東京スタジアム(味の素スタジアム)は、2001年開場、東京都調布市にある東京ヴェルディのホームスタジアム。 ヴェルディの歴史は、1969年に創部された読売サッカークラブにさかのぼる。 将来のプロ化を視野に入れた当時のサッカー協会会長が、読売ジャイアンツ創始者であり読売新聞会長でもあった正力松太郎に話を持ち掛けたのがその始まり。 当時より国立競技場をホームとする、れっきとした東京のクラブであった。
日本において野球と言えば、NPB(日本野球機構)、いわゆるセントラルリーグ、パシフィックリーグのことを思い浮かべる人が大多数でしょう。 しかし黎明期には、もう一つのプロ野球リーグがあったことをご存じでしょうか。 その名を国民野球連盟、通称国民リーグと言います。ただ残念ながら、今ではその存在はほとんど知られていません。 今回は、そんな日本に存在した幻のプロ野球をご紹介します。 1.プロ野球2リーグ化構想 2.国民野球連盟・国民リーグ設立へ 3.わずか1年での解散、そしてプロ野球2リーグ制へ 4.まとめ 1.プロ野球2リーグ化構想 第二次大戦後の日本プロ野球(日本野球連盟)は1リーグ8球団制でした…
宇部市野球場(ユーピーアールスタジアム)は、1941年開場、山口県宇部市にある野球場。 ユーピーアールは物流機器のレンタルを主な業務としている企業で一般客向けの商売は行っていないが、宇部市市政90年を記念して命名権に応募したとのことである。 せっかくなのでここで宣伝させていただきました。