chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
orion12
フォロー
住所
岡山県
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/22

arrow_drop_down
  • バランス感覚と『分かる』ということ

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。 快楽もあれば苦痛もあります。 そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。 そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向へ突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という違和感や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。 生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察…

  • 根性論と鈍感力

    このブログではこれまで『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると…

  • 時の波動と波瀾万丈な年の瀬

    時間の流れは単に物理的な気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 同じ8月でも去年と今年は当然気候は違うし、眼に見えないエネルギーの流れも違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間に常に有形無形の影を与えています。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けています。 まあ、それは人間だけではなく『自然』そのものが影響を受けているわけですがね。 で、以前にも申し上げだことがありますが、エネルギー的に見た『お盆』ってのは普通に言われる年中行事のお盆とは時期がズレています。 ズレてるというか厳密にいえば別モノです。 そ…

  • 供養とお祓いと霊能力

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 本当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多くの場合それは難しいんじゃないかと個人的に思っています。 どうしてそう思うのかといえば、ヒーリングすることを通して、所謂成仏していない状態が決して珍しいモノではないと知ったからです。 成仏していないヒトというのは、この世界のあちこちに存在します。その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではありません。それに、たとえ無縁仏でも一応は寺には納められてたりしますしね。 無縁仏の供養もあるでしょうし、読…

  • ブレる人間と善悪という概念

    善悪というのは、人間が仲間内で勝手に作りあげた概念です。 「概念」とは、思考において把握される、物事の「何たるか」という部分のことである。 上記の『思考』とは当然ながら「人間が考えること」を指します。 なので、善だの悪だのといったところで、『普遍不動のモノ』として人間とは関係ないところに独立して存在しているわけではありません。 「善悪は『絶対的真理』などでは決してない」ということです。 善悪とは、古今東西その場その時の人間たちによって用意された『物事を計るための物差し』の一つに過ぎません。 どこまで行っても相対的なモノなのです。 人間は元々主観的な存在です。 主観というものには大なり小なり常に…

  • 蟲の増減と時の波動

    最近また街のあちこちでウネウネと黒い蟲のようなモノが蠢いていたりします。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシのようなエネルギー体のことです。 それは生きてる人の想念エネルギーともオニとも少し違います。 強いて言えば呪詛のエネルギーに近いものです。 そういったモノたちが増えているというのは世の中の波動自体ドヨヨ〜ンとして重くなっているのでしょうね… 残念ながらそんな気がするのです。 蟲たちは道行く人々に纏わりつきます。隙あらばその人たちの中に入り込もうとするのです。 入り込まれた人はイモムシにやられたキャベツみたいになっていきます。 食い散らかされて心の中がスカスカになるのです。 怖いの…

  • 明確な根拠とやらを追いかけすぎるとかえって『答え』を見失う

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。 逆にいえば、物事に完璧な調和と整合性を常に求めようとするってことでもあります。 また求められるものだと信じているのです。ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、『世界』は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収…

  • いわゆる『応援団のヒト』と『人で無し』のモンスター

    スピリチュアル界隈で『指導霊』と呼ばれているような存在がについて以前に語ったことがあります。 まあ、指導霊って言葉には正直ピンときませんけどね…ただ、任意で個人を応援してくれている亡くなられたヒトはいらっしゃいます。成仏してるのにわざわざこの世の人間に好意で手を貸してくださる奇特な方々です。だから、個人的にはその人たちのことを『応援団のヒト』と呼んでいます。文字通り目に見えない後ろで人知れず応援してくださる人々だからです。 アチラの方から「この人間なら応援してやろうかな」と見定めてやって来るのです。こちらの勝手な都合で来てもらえるものではありません。来るか来ないかはあくまでも応援団のヒトの方の…

  • 盲信という振り切れたココロ

    「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。 大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。 少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか?でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たち…

  • 不条理な世界と効率主義

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて不可能だからです。 ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、本質的な『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。 それを個人的にはインスタントって呼んでいます。 私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という心の在り方のことです。…

  • 人間の無知と万能感というバベルの塔

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。 アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいるでしょうからねぇ。人類の知らない生き物がそこら中に居るのが当たり前なんだと思います。 我々のいるのはそういう世界だってことです。 「そういう」っていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れた世界だ」って意味です。 「新発見に溢れている」というのは、逆からいえば「知らないことだらけだ」ってことです。 言葉を変えれば「生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れている」ということです。 種としての人間が…

  • 「読めよ!察せよ!理解せよ!」って人には要注意です

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」 「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずに『そういう雰囲気』を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにもしいたら気を付けた方がいいでしょう。日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることは正論である、真実である」という前提で話を始めようとしてる可能性が高いからです。 ある種のマウンティングなんでしょうけどね… 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わし…

  • 自分の「正しい!」が太りすぎないように気をつける

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃあ、『…

  • 物事を俯瞰的に観るポイントは共鳴性

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 この波動のレベルというのは客観的には特に『他』との付き合いにおいて顕著に現れます。ここでいう『他』とはその人が共感共鳴する人や場所や物のことです。今この瞬間無理なく馴染む人や場所や物の波動のレベルと今のその人の波動のレベルは似た者同士だということです。 似た者同士だから当然親近感を抱きやすいのです。波動的に見た「類は友を呼ぶ」とは、こういうことです。 その人が親近感や好感を持…

  • 世界には人間に『分かること』と『分からないこと』がある

    「物事に過剰に意味を見出そう」とする人というのが特にスピリチュアルな世界には多い気がします。 「物事に過剰に意味を見出そう」というのは何にでも誰もが納得するようなオチを付けたがるということです。 怪談でいえば「由来はよく分からないけど単に幽霊が出ました」なんて話より「ああ、だから出るのね!」みたいな分かりやすい因縁話がくっ付いてたほうが誰もが納得します。 まぁ、そういうのは別に怪談とは限りませんがね… 眼に見えない世界の事柄なんてのは人間ごときが何時もオチを付けられるほど分かりやすくは出来てません。むしろ掴み所の無いような感じだったりする方が普通な気がします。 一部の方々はオカルティックな叡智…

  • 生きることのハードルは自分で上げ下げすればいい

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。人間というモノに対する期待度があまりにも高すぎるだろうと… 人間に対する期待度を上げるってことは、自分という個人に対しての期待度を上げてるということでもあります。市井の一個人に純度100%の完璧さみたいなモノを求めれば、生き…

  • 心の風通しの良さと不安定さ

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 逆にいえばずっと動き続けることで活性を保っています。 当然ながら動きが鈍くなればなるほど活性は落ち波動的に澱みます。 波動的に澱めば波動のレベルも下がります。 波動のレベルが下がれば色々良からぬモノが寄ってきやすくもなるのです。 もし心がドヨヨ~ンと重くなったり、ジトッと暗くなったりしたら、個人的には先ず「心の風通しを良くしよう!」と考えます。 澱んでる時は心の内側に向かって引きこもりになりがちだからです。 ここでいう引きこもりとは外界との接触を極力少なくしようとする心の動きのことです。 多分傷…

  • コダワリは荒々しさを呼び覚ます

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 前に波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話を書いたことがあります。 ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対する強い執着が弱まって「まっ、いいかぁ」と思えるような心の状態に近付いていくことです。逆に『まっ、いっかぁ度』が下がるというのはコダワリが増すということです。 コダワリの中心には『自分』が居ます。コダワリってのは結局『自分』にこだわ…

  • いわゆる引き寄せの法則と「賢い人だけが見える糸」みたいな話

    所謂一つの『引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと…でもね、古今東西どんな人間でもたった一人でこの世に存在したわけではないでしょう。「他者との関わり合いによって自分の世界も成り立っている」というのが現実だと思います。何より人間の世界では争いが絶えたことがありません。 個人は個人で、国家は国家で遥か昔から現在に至るまでず〜っと争い続けてきたのです。それが人間の世界…

  • 根性論とノスタルジーは相性がいい

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここでいう『自己責任論』というのは「やると心…

  • 振り切れた心とぶっ飛んだ『世界』

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないかと思っています。 逆に言えば、生きている限り「心のバランスを常に取り続けること」が必要になるということです。 人間はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと心が迷います。 でも、バランスを取る作業っていうのはやっぱり地味でしんどいんですよね〜。 達成感や充実感が少ないことの方がほとんどですから… なので、「あいつは (一方に) 突き抜けてて…

  • 陰謀論とハカリゴトが明るみに出る世界

    『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別モノです。 ただ、この2つのことをごちゃごちゃにして「実際に有るんだから、『本来あるべき真実』として素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が少なくありません。或いは目の前の事実にやみくもに迎合して「キレイゴトを言うなよ」とか鼻で笑ったりする人もいらっしゃいます。 「事実を事実として認識すること」と「事実をあるべき真実として容認すること」をごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分か容認したモノが『あ…

  • 波動的にみて神社仏閣も良いこと尽くめではない

    そもそも神社仏閣にはカミサマが居るから悪いモノは近付かないと思ってる人もいらっしゃるかも知れません。 ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じてる人の方が多いような気がします。 でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。 簡単にいえば、清らかなモノもいれば穢れたモノもいます。 特に大きな神社とかは本殿のものとは違う社を敷地の中にいくつも祀ってたりしてますしね。 鬼が出るか蛇が出るか、何が出てくるかなんて分からない状態です。 それに、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることも少なくありません。 時にその勢力範囲が神社…

  • 「現実に在ること」と「人間の本性」

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると『現実にネガティブな感情が自分を含めて人間には存在していることを単に認識すること』と『実際ネガティブな感情があるのだから怒りやら妬みやらが存在するほうが当然なんだよ!と思うこと』は全然違う話だということです。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そう…

  • ジキルとハイドの物語を現実のモノにしたがる人々

    コインには裏と表があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に一歩近付くしかありません。闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになるでしょう。闇は何時もおぞましいばかりの存在ではないのです。退廃的な甘美さみたいなモノも強烈に持ち合わせています。そして、その退廃的な…

  • いわゆる悪霊の正体についての推察

    人は亡くなってもヒトです。 亡くなった途端に人間ではない別の種類のモノになるわけではありません。 じゃあ、なけりゃ先祖供養をする意味など1ミリもないということになります。 当たり前ですよね。 亡くなったら『人間ではないモノ』になるなら先祖として敬う必要などありませんから。 完全ノータッチでいいはずです。 いやいや、それでも先祖供養は必要だというなら生きてる人間の都合で敬ったり見捨てたり取捨選択をしているということになります。 それってあまりに身勝手な理屈ではないでしょうか? 生きている人間だけがこの世界の住人ではないのです。 生きている人間がこの世の支配者でもありません。 ある程度霊能力などと…

  • 正しいの比べっこと自分の機嫌を取れない人

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的には『何らかのチカラ』を行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃ…

  • 想像力と心の共感性

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がればどうなるかというと、一言でいえば人としての『心』がアホになるのです。 人が本来持っているはずの『心の共感性』みたいなモノがドンと下がるという意味です。 心がアホになるっていうのを別の言葉でいえば想像力を失うということです。 想像力を失うというのは自らの無知を補うチカラを失うということです。 人間というのは本質的に無知な生き物です。人間ごときが何でも分かる…

  • モノノケの眷属の減少

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 このブログで言うところの『眷属』というのも、そういった物の怪の一種です。神社仏閣など主に宗教施設に居る軍隊のような物の怪の群れまたはその中の個体を指しています。軍隊という…

  • 仮定盛りと自説を断言しすぎる人

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 心が孤立するほど人は操られやすくなる

    マインドコントロールというのは、大抵心の弱い人をターゲットになります。 心が弱っていると判断能力が鈍るので、自己決定に自信を失って、誰かに決定を委ねたい気持ちが出てきやすくなるからです。 だから、心の弱っている人をより不安にさせ、さらに弱らせてから、依存させようとします。 その上で自分の都合のいい考えをガンガン植え付けて相手をコントロールするのです。 一言でいえば「マトモに考えられない状態にして、支配する」方法です。 そうするためのキモは『孤立』と『依存』です。 支配される方の人間を周りの友人や家族などから引き離し独りぼっちにさせるのが、ここでいう『孤立』です。 そして、支配する方の人間が、心…

  • 宿命論と精神の安定

    世の中には宿命論というモノがあります。 「この世界で起こることは予めどうなるか全て決められている」という考え方です。要するに個人の範疇を遥かに超えてこの世の物事が何処までも1ミリの違いもなく決まっているという世界観です。 世界の全て、時間なら過去から未来までの時間全て、大きさなら原子から宇宙まで全て、遍く一切がすでに決定されているという説です。誰が決定しているかといえば、「万能の唯一絶対神みたいなモノが」ってことのようです。だから、宿命論は『全知全能の神』みたいなモノが存在するというのが大前提なのです。最初にそういう存在を設定しない限り、「世界の細々としたところまで全ての事象が寸分違わずプロデ…

  • 生きてても亡くなっても人は人

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが低いために所謂『成仏』が出来ないということはあるでしょう。 でも、所謂『成仏』出来ないからといって『ヒトデナシ』のように扱われる謂れはないのです。 人は亡くなってもヒトであるということです。じゃあ、なけりゃ先祖供養など何の意味もないということになるでしょう。当たり前ですよね。 亡くなってたら『ヒトデナシ』になるなら敬う必要はありませんので。ノータッチでいいのです。…

  • 物の怪の誘いに乗ってしまった人たちの行き着くところ

    例えばスピリチュアル〜な世界では全く相容れない立場を取っているように見えるAさんとBさんが『人外のモノに頼る危険性』に関してはよく似たようなユル〜い態度を示されるなんてことは少なくないのです。 ここでいうユル〜い態度とは人外のモノに頼る危険性についてほぼ無視するか、無視しないまでも「そんなに危険なことでもありませんよ〜」ってニュアンスを醸し出している状態のことです。 AさんとBさんの意見がその件について一致するのは何も偶然ではありません。 現実社会では幾ら対立しているように見えても「人外のモノにチカラを借りている」という立脚点においては同根だからです。 つまり、見えない世界ではどちらもいわば『…

  • 心の視野の広さと人を観る時のポイント

    以前に所謂『霊能者』の簡単な目利きというタイトルで記事を書いたことがあります。 ここでいう「簡単な目利き」とは「初歩的な目利きのやり方」という意味です。またこれは霊能者以外の人を観る時にも使えるやり方であることを、最初にお断りしておきます。目利きのポイントとして2つのポイントがあります。先ず一つ目のポイントとして「その人の共感するモノを観る」ということが挙げられます。その人が好んで周りに置いている人間関係や物事を観察して仕分けしていく方法です。その人の読んでる本や尊敬する人物、趣味嗜好などを知るだけでも結構「見えてくるモノ」はあるでしょう。 これは逆に自分自身の波動のレベルを客観的に知る目安の…

  • 心のバランスと「柔よく剛を制す」の波動的な意味

    人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。毀したり治したりしながら生きているのである。『整体』という言葉を作った男 野口晴哉 健康を絶対不変の『真理』であるかのように思い込み、がむしゃらに突き進めば、遅かれ早かれ「不健康を徹底的に排除し、世界を自分たちの考える美しい『健康』だけにしたい!」という衝動に突き動かされるようになるでしょう。 でも、「不健康な要素を機械的にガリガリ削り取って、健康になるための純粋な要素だけを抽出しよう」みたいなやり方には、どうしたって無理があるのです。 それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話そっくりです…

  • 『無知』と『万能感』は相性がいい

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場です。 『もっともらしさ』を演出するアイテムの一つが「オレは何でも知ってるんだぜ!」っていう雰囲気です。それは、知らないことでも如何にも全部知ってるようなフリをするっていうことでもあります。つまり、マヤカシとは「無知から目を逸らし万能感に浸ること」とも言えます。 マヤカシに絶対にヤラレずに済む保証はこの世界の何処にもありません。というか一寸たりともマヤカシにヤラレない人間なんてこの世の何処にもいないのです。 そんな海千山千のこの世で、出来るだけマヤカシにヤラレずに生きるための一番簡単な…

  • 自分がやられたように他人を支配したがる心

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを『自縛のエネルギー』と呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、…

  • 根性論と健康

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると…

  • 仮定盛りとスカッとした答えを求めたがる心

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 結局『効率主義』ほどムダを生む

    人間万事塞翁が馬って故事があります。 幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。その変転が結局どういう結末を迎えるかは誰にも分からないのです。 効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個…

  • 乱世になるほど勘は大切になります

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知…

  • 不安と恐怖と過度な依存

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 不確実性の世界というのは、どこまで行ってもハッキリしない状況の中で、「大体こうだろうな」という『答え』を暗中模索で探っていくしかない世界ということです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、流動性は自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がなくなるからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニ…

  • 操れる系って色んな意味で危険です

    「この世の可成りの部分はやり方次第でテクニカルに操れるんじゃないか」と信じている人が世の中には結構いらっしゃるような気がしています。 そういう人々の心の奥底には「人間なんて案外簡単に操作出来るものだ!」っていう想いが横たわっているのでしょう。 じゃあなけりゃ、そんな考え方になりませんからねぇ。 その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。 で、『操れる系』の思考をされる方は「心の全てを今現在の自分の顕在意識でコントロール出来るはずだ」と無邪気に信じてるような気がします。 だからこそ今現在の顕在意識で過去から今に至る潜在意識の深奥まで操れるなんてことを本気で考えてし…

  • マヤカシといわゆる一つの『ブーメランを投げる人』

    「オレって何でも分かってるんだぜ」って感じを常に漂わせてる人が世の中には結構いらっしゃいます。 そういう人をお見受けするたびに、一人心の中で「ドヤ顔仮面参上〜!」とか思ってしまうのです。 まぁ、ドヤ顔仮面っていうのはごくごく個人的にそういう人に付けたアダ名ですけどね…ドヤ顔仮面に成る人の心の視野は狭いです。逆にいえば心の視野が狭いから何の気兼ねもなくドヤ顔になれるのでしょう。心の視野の狭さとは「人間に本来備わった五感によって感じられるはずの感覚を十分感じられなくなった状態」のことです。 簡単にいえば、心がヒドく鈍感な状態になっているのです。心が鈍感になればなるほど「自分が鈍感であること」さえ分…

  • 無知と知識と万能感

    何かを知るということは、その分『己れの無知』を知ることでもあります。 知識を得れば得るほど、それ以上に知らないことの多さにも気付かされるからです。 なので、得てして知るということには苦しさが伴ったりします。 その苦しさがイヤで、知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。ただ、一方で「物事は知れば知るほど上手くいくはずだ!」と単純に信じている人も世の中には一定数いらっしゃいます。 そういう人たちは『知ることの闇』を舐めているのでしょう。「知れば知るほどこんがらがって、訳が分からなくなる」なんて事例は、古今東西ゴロゴロ転がっているからです。ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。「絶望を友…

  • 人となりを知りたければその人の『周りにいる人』を見ればいい

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単に言えば「見方が歪めばその分その人に見えている世界も歪む」ってことです。そして、見方が歪んでいない人間は、この世界には誰一人いません。 それは『純粋な客観性』というのが言葉の上にしか存在していないということを意味します。 その人に見えている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出します。ここでいう「歪みが恒常化する」っ…

  • 想像力を失うほど人は攻撃的になりやすい

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に何でも知ってるつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』はそういう全知全能感みたいなモノの対極にあるからです。 簡単にいえば、分からないと思うから人は『想像力』を働かせようとするのです。 「想像力が弱い」というの…

  • 仮定盛りと自信満々な言説に取り込まれる人々

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 勘は最後に自分の身を助けるモノである

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知…

  • 大人になったからといって子どもの頃の心の傷がなくなるわけじゃない

    世の中の人の多くは「自分の心の自由度」についてあまり認識していません。 それについて考えてる人自体それほど多くないように感じます。多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?実際何処までコントロール出来てるかどうかは置いといて『構造』としてね…しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る心の部分っていうのは全体の半分もあればいい方でしょう。残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているってことです。 影響を受けているというのはやんわりとした表現で、実態として…

  • 引き寄せの法則と人間に都合よく出来ていない世界

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければ物でも、人でも、出来事でも、無制限に自分の元へ引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと… しかしながら、現実はそんなに思い通りには行くもんじゃありません。 なので、「思い通りに引き寄せが出来ないのにはやり方が悪いのだ」みたいなことをおっしゃるのです。 でも、本当はそんなテクニカルな問題ではなく、そもそも自分の思ったことが世界を作るというベースになる理屈が間違っているんじゃない…

  • 唯物論的な思考は必然的に人を傲慢にする

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分がちゃんと見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことのみなのです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど、その人に見える世界はその人サイズの時空間に収縮していきます。 そして、その人自身は大抵『世界』が収縮していることに気付いていません。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を…

  • 他人の正しいを意識するとその分心の視野が広がる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • フラッシュバックと記憶の変容

    精神的なモノであれエネルギー的なモノであれ人間は自分にダメージとなるモノがやって来ると無意識にそれを小分けにして耐えようとします。 例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょうからね…そのため分割して隠してしまうのです。隠してしまうとは自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにするという意味です。心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。何らかの体感を伴ってね…人間の心にはそういう機能が標準装備されてるんだと思います。ダ…

  • 楽園伝説と『終末』を本気で待ち望む人々

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、「この世には一度楽園があった」ってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元…

  • 正義(仮)を手に入れた荒々しさは危険である

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、人が自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。 波動のレベルを見る時に一番分かりやすいバロメーターは『荒々しさ』です。 その荒々しさを見る一番分かりやすい目安が『言葉』なのです。 人は自分の使ってる言葉の波動に大なり小なり共…

  • 守護霊は密やかに人を護っている

    「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖なのでしょうが、それも絶対ではありません。 どちらにしろ守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもいつもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉な親のように、日常生活の細かいことまで一々指図してくるなんてことはないのです。 経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘ロクでもない人外のモノの仕業だろうと考え…

  • 『辻褄が合うこと』と因果応報

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方をする方々がいらっしゃいます。 たとえ今分からなくても、いつかは必ず分かるモノだという『理解』です。 この「最終的には何であれ人間に分からないはずがない!」という『理解』は、「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味しています。 ここでいう『予定調和の世界』とは、「人間にとって何時でも何処でも分かりやすく辻褄が合うように出来ている世界」ということです。 別の言葉でいうと「この世の物事全てには人間が理解可能な整合性を常に求めることができるはずだ」と素直に信じているってことです。 ただ、それ…

  • 思い込みの激しさと「信じられない!」という言葉

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 人間、心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドを『世界』そのものだと勘違いし…

  • ワクワク感と自己洗脳

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思われる方もいらっし…

  • 人間が勝手に考えたいわゆる一つの『競争原理』

    例えば「うす汚れた『現実』に跪け!」みたいなことを叫ぶオトナが世間には大勢いらっしゃいます。 そういう人は、会社とかでの出世競争を例にすると「足の引っ張り合いはあって当たり前なんだからその状況に抗うな! むしろそういう『現実』を積極的に受け入れて参加しろ!」とか訳知り顔で宣うのです。『目の前にあること』を単純に事実として無理なく認識することはそりゃもちろん大切です。ただ、『目の前にあること』が『本来あるべきカタチ』なのかどうかはまた別の話です。うす汚れた『現在の状況』をあるべき姿としてしたり顔で肯定するのは成熟した『大人の態度』などではないでしょう。それって単に「社会なり組織なりにマインドコン…

  • 眼に見えない存在に過度に依存しすぎるのは危険です

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 もっと簡単に言えば、元々この世に生きていて、死によって肉体を失くした人間を『幽霊』とするならば、端から肉体を持っていない人外の存在が『物の怪』ってことです。 ただ、元々肉…

  • 「心が強けりゃ何でもできる!」とかいう根性論

    このブログではこれまで『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。 「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは…

  • 悪魔の契約を為した者のサダメ

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどが悪魔の契約の相手です。 ここでいう人外のモノというのは…

  • 不安と恐怖はマインドコントロールの重要なツールである

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不安は恐怖を生みます。 人は本能的にその不安と恐怖から逃れたいと思うものです。 だから、『絶対に確実で安定した状態』を求めたがるのでしょう。意識的であれ半ば無意識であれね… 絶対に確実で安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がな…

  • 生まれながらの自信と経験値に対する過信

    自信についてこれまでこのブログでは以上のように説明してきました。 改めて要約すると以下の①と②になります。① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には知識と訓練が必須とされる。 ② このブログでいうところの自信は知識と経験値の集積には基づかない。生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無は決定している。 世の中には『本当の自信』というのを①のようなモノだと考えている人が圧倒的に多いです。ていうか世間的には自信ってのは大抵①みたいなモノだと定義されているように思われます。 でも、そんな風に考えて…

  • 蟲の減少と物の怪の減少

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 もっと簡単に言えば、元々この世に生きていて、死によって肉体を失くした者を幽霊とするならば、端から肉体を持っていない人外の存在が物の怪というモノです。最近ヒーリングしていて…

  • 曖昧模糊とした世界の不自然で振り切れた爽快感

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。逆に言えば、生きている限り「心のバランスを常に取り続けること」が必要だということです。 人間はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと心が迷います。でも、バランスを取る作業っていうのはやっぱり地味でしんどいんですよね〜。達成感や充実感が少ないことの方が圧倒的に多いですから…なので、「あいつは (一方に) 突き抜けててカッチ…

  • カミサマに幻想を抱きすぎると痛い目にあいかねない

    世の中には「神社仏閣にはカミサマが居るから悪いモノは近付かないだろう」と思っている人も結構いらっしゃるのかも知れません。 ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じている人の方が多いような気がします。でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。簡単にいえば清らかなモノもいれば穢れたモノもいます。特に大きな神社とかは本殿のものとは違う社を敷地の中にいくつも祀ってたりしますしね。鬼が出るか蛇が出るか、色んなモノかそこにはいます。それでも、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることが少なくありません。その勢力範囲が神社仏閣の外…

  • 生きることのハードルは上げすぎると人は『選別』を始める

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも『純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎているってことを示しているんじゃないでしょうか?だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。「最初からそんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と感じるのです。人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと… 人間に対する期待値を上げるってことは、結局自分に対する期待値を上げてるということでもあります。自分に『純度100%の完璧さ』を求め続け…

  • 人形供養と霊障のロシアンルーレット

    生物と無生物ではエネルギーの強さも量も全く違います。 一言にいえば無生物のエネルギーは生物に比べて圧倒的に微弱なのです。 例えば人間の『想念エネルギー』に仮に100という値を与えた場合、所謂パワーストーンと呼ばれるような『鉱物のエネルギー』の値は1.0~2.0くらいです。生き物と生き物でない物の『エネルギーの強弱』の差とはかくの如きものです。 もちろん無生物には無生物でそれぞれ固有の波動エネルギーは存在します。ただ、生きている者のエネルギーとはエネルギーの強さ・大きさにおいて比較対象にはならないってことなのです。 なので、もし石だのお札だのといった所謂スピリチュアルな品物から何らかの強烈なエネ…

  • 「競争の中で評価に取り憑かれる」ということ

    評価とは他人がするものです。 どこまで行っても他者によって為される行為であって、自己評価って言葉自体は矛盾を孕んだモノだと個人的には感じます。自分がしなくちゃならないのは評価ではなく『認識』です。『真っ当な自己認識』ってヤツが必要なのではないでしょうか? 評価とはある一定の基準のもとに『物ごとに優劣を付けること』です。もっと下世話な言い方をすれば『人や物に値札を貼ってまわること』です。 自分で自分に値札を貼る者は、必ず自己肯定感が低下していきます。自分で貼った値札と他人が貼った値札には落差が生じるからです。 大抵自分の貼った値札の方が他人の値札より安くなります。だから、自分の評価を気にする人ほ…

  • いわゆるカルマと『今生の宿題』の違い

    『この世』という場所は、言ってみれば学校の夏休みのような世界だと思うのです。 それは「人生という限られた時空間の中に、自分がやるべき宿題を抱えて敢えてやって来ている世界である」という意味です。 その宿題に対して、どういう取り組み方をしようとそれぞれのまったくの自由です。 ただ、亡くなった後に例外なく提出が求められます。 そして、提出してもちゃんと出来てなければ『繰り越し』になります。 リセットされて無かったことになるなんてことはないのです。 なので、この「夏休みの宿題」が出来なかった人が繰り越しの課題に挑戦し直すのが所謂一つの生まれ変わりだと思われます。もしそうだとしたら、どんな偉人聖人でもこ…

  • 言葉遣いと波動のレベル

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、人が自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。 波動のレベルを見る時に一番分かりやすいバロメーターは『荒々しさ』です。 その荒々しさを見る一番分かりやすい目安が使っている『言葉』です。 人は日頃から頻繁に使っている言葉の波動…

  • 行き過ぎた予防と心の地雷

    「病原菌の抗生物質に対する抵抗力がどんどん強くなっているせいで、抗生物質で治すことができない病気(軽い病気も含めて)が増加中である」といような話について以前ちょこっと触れたことがあります。 元々は雑誌か何かの記事だったと思いますが…結局抗生物質を使えば使うほどそれに耐性を持つ強い細菌をやがては生み出されてしまうらしいです。強く抑えれば抑えるほどかえってより強いものが現れるということです。 例えば何かに触ればバイ菌やウイルスが手に付きます。手を洗ってもまた何かに触ればたくさん付くのです。出来るだけ手を清潔にするのは可能ですが、それには自ずから限界があります。要するにキリがないのです。キリがないっ…

  • 時の波動と『2024』という年

    人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風にハッキリと分かれ続けているように見えます。 その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました。 昔ならあったはずのグレーゾーンが無くなったために波動的な『緩衝地帯』もまたなくなったのです。 アナログ放送が地上デジタルになったように残酷なまでに『素の生地』がハッキリ見えてしまうようになりました。 その傾向が一気に強まったのは直近では東日本大震災の起こった2011年からです。 ただ、そのそもそもの発端は1989年にあったと思っています。 そう、ベルリンの壁が崩れ、所謂『東側』の世界が崩壊を始めた…

  • 心のバランスを取り続けることは自分の頭で考え続けること

    人間は誰しも主観的な存在です。 純粋に客観的な人間など一人も存在しません。なので、大なり小なり心には偏りが存在しています。偏りのない人間など何処にもいないのです。元々偏っているんだからその偏りを小まめに修正する必要が出てきます。そうしないとそのうち心は振り切れてしまうからです。心が振り切れれば振り切れるほど物事を単純化してで捉えるようになっていきます。偏りが大きくなった分、心の中身が詰まってないスカスカになってる箇所が増えていくからだと思います。 そうなるとスカスカになった部分には何とか中身をみっちり詰めたくなるのでしょう。 まあ、半ば無意識にですが… で、大抵は現実とズレたファンタジーな内容…

  • 競争は生き物世界のスタンダードではない

    今ここにある人間の世界は競争社会です。 ここでいう競争社会ってのは、競争すること自体が『良いこと』として奨励されている世界を指します。一般社会の常識で解釈するならば、「競争を勝ち抜くより強いチカラを持つ」ってのが生きていく上での正しい『答え』なんでしょう。今ある競争社会を生き抜くための前提としてはね… 人間の世界が競争社会であることを単純に『今目の前にある事実』として認識することはもちろん大切でしょう。 ただ、『目の前にある事実』が『本来あるべき姿』なのかどうかはまた別の話です。 ひょっとしてそれは、社会なり組織なりにマインドコントロールされ『飼い慣らされた状態』に過ぎないのかも知れないからで…

  • 物の怪のヘビと縁切りというご利益

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 この世には途轍もない数の妬み、恨み、怒りなどの暗くねっとりとした情念があります。そういった情念が一つの集合体となり、ある種発酵というか化学変化のようなものを起こして、一つ…

  • ブレない軸とやらは煩悩の素である

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 だから、私は自分のことをいつでも必ず正しいなどとは思わないようにしています。 「そこそこイケてることもちょっとは言ってんじゃないの〜」くらいのことはたまには思ってますがね(^_^;)人間誰しも間違うことはあるし、勘違いしてしまうこともあります。「それがあって当たり前!」ってくらいの前提に立っててはじめて、バランスを取りやすくなるんじゃないで…

  • そもそも魂のない物には大したチカラはない

    この世において肉体のある者のエネルギーは肉体のないモノに比べて圧倒的に強いということを以前述べたことがあります。 それが生身の人間の強みであるとね。 生き物の生は肉体と魂と心が結びついているが故に成り立っています。 肉体という器に魂というエネルギーの塊が入った状態で年月を経ると心が育まれていきます。 無生物のエネルギーは生物のエネルギーに比べて圧倒的に微弱です。 それは肉体も魂も心も持ち合わせてないことに由来しています。 スピリチュアルな人々の多くがお好きなモノに所謂『パワーストーン』ってのがあります。 所謂『パワーストーン』ってのにスピリチュアルな価値を見出すのは「特定の鉱物には他の物質には…

  • 正しいに囚われるほど他人の話を受け付けなくなる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『…

  • 「誰よりも何よりも生きている人間が一番!」という『信仰』

    菜食主義の人の頭の中では、人間>哺乳類>魚類>植物という風な構図がピシッと頭の中に入ってるんだろうなと思うのです。人間を頂点とした生物のピラミッドを描き、人間に近いものほど霊的に偉いんだという生物観をお持ちってことです。そういった生物観を持った人ははスピリチュアルな世界に少なくないように感じます。 そういう人たちが、例えば「亡くなった動物の多くが動物霊という低級な存在になって、人間に悪さをする」みたいなことをおっしゃったりわけです。もちろんどのような思想信条をお持ちになろうとそれぞれの全くの自由です。 「人間は万物の霊長で地球の王様なんだぞ!」と考えたってその人の自由です。 ただ、個人的にはそ…

  • 悪口・陰口は不平不満の解き放ちである

    他人の悪口・陰口を日課のようにしている人が世の中には大勢いらっしゃいます。 悪口・陰口をしょっちゅう発信するということは、その元となる『心の状態』をずっと維持し続けているということを表しています。 そして、そういう『心の状態』を維持するためには、悪口・陰口の元となる想念エネルギーを日々量産して貯め込んでいるということです。人間無い袖は振れないというか、自分の中に無いモノは出てきませんから。当然悪口・陰口の素になるエネルギー^_^まは波動のレベルの低いモノです。波動のレベルの低いドロドロとしたモノをわざわざ製造してコツコツと自分の中に貯め込んでいるわけです。 ハッキリ言ってそれは心の毒です。だか…

  • 生きることのハードルをあげすぎると息が詰まります

    ぶっちゃけた話いまの世の中、生きることのハードルが上がりすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも『純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかやたらと言いたがるのです。「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じます。人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるんじゃないだろうかと… 人間に対する期待値を上げるってことは、結局自分に対する期待値を上げているということと同義です。自分に『純度100%の完璧さ』を求め続ければ、そりゃ生き…

  • 幽霊が見えるとやたら言う人は深淵を覗く危険が分かってない

    怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 哲学者フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉です。 眼に見えない世界に関わろうとする者なら特に上記の言葉は肝に銘じられた方が良ろしかろうと存じます。 比喩ではなく、『そのモノずばり』の意味としてね! 霊的な話でいえば、こちらから眼に見えない世界を探ろうと思えば、眼に見えない世界からのこちらへの干渉も強くなるってことです。 それもまた「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」って話の一つです。 世の中には霊能者と呼ばれるような人々がいらっしゃいます…

  • 想像力を失えばその分人間らしさを失う

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 「慮るチカラが弱い」というのは「心の視野が狭い」ということです。ここでいう心の視野の狭さとは「人間に本来備わっているバランス感覚によって感じられるはずの感情や感覚が十分感…

  • 注釈のない引き寄せの法則はない

    以前「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」って話をしたことがあります。 先ず「近いうちに未曾有の天変地異が日本に襲いかかります!」とか予言めいたことを語ります。「ただし、大きな祈りが実践され成就すればその天変地異は回避されます」と続けるのです。ここにすでにリバーシブルな伏線が張ってあります。表: まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起これば「言っていた通りになってしまいました!」と深刻な顔でいう裏 : まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起こらなければ「大いなる祈りのチカラで最悪の事態は回避されました!」とキメ顔でいうつまり、言ったことが起…

  • 守護霊と憑きモノ

    所謂『憑かれる』といってもオカルト映画かなにかみたいにド派手な怪奇現象が起こるなんてことはそうそうはありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した段階でのことです。それも誰にでも分かることってのは少ないでしょう…憑きモノってのは最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食していきます。浸食した部分はその人じゃないモノにアハ体験のように差し替えられていくのです。ここでいうアハ体験というのは、「差し替えられた部分がご本人からは分かりづらくジワジワと変容する」という意味です。強く意識して見れば分かるかもしれませんが、そうじゃなければ認識しにくいでしょう。差し替えられた部分が大きくなればなるほど…

  • 慣れることと精神力

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。 人間は何にでも慣れるものです。良くも悪…

  • 啓蒙とは支配欲の表れである

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い』が心の底…

  • 仮定盛りと「マヤカシに呑み込まれる」ということ

    ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。日々発見と言っても過言ではないでしょう。いわば不可思議の連続です。全てが分かるようになることなど一生ないと思います。誰でも、眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるでしょう。発見がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですよね。多分いまだ人類の知らない生き物たちがそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れている世界だ」ということです…

  • 「病は気から」と『全ては気持ちの持ちよう論』

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』…

  • 人は誰しも『過去』に縛られている

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを『自縛のエネルギー』と呼んでいます。 『自縛のエネルギー』の始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に『自縛のエネルギー』が生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も当然大きいで…

  • 人の恨みで為されるモノだけが『呪い』ではない

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 それは単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し…

  • 「正しい!」に取り憑かれる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃあ、『…

  • 仮定盛りをやめる方法

    私の造語に仮定盛りってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にしてその上に「ならばこうなるはずだ!」という仮定の話を盛り付けるのです。 で、その仮説は盛り付けた時点で「こうに違いない!」という『確信』に変わります。 そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… この仮定盛りにおいて一番問題なのは、盛りつけること自体より自分が盛ってることに気付かなくなることです。 「盛ってなんかいない! ただ、ありのままに真実を述べているだけだ!」っていう風にバイアスがかかるので…

  • 特別と平凡

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているのです。 ここでいう『特別』とは、例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことを指します。そういう状態になりたいとギラギラした眼で渇望する人々が後を絶ちません。優越感を渇望する人は同時に劣等感に苛まれている人です。 強いコンプレックスこそが『スペシャルな自分』を夢見させるのです。波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨ…

  • 「自信を持つ」ってことの『意味』

    自信についてこれまでこのブログではおおよそ以下のように説明してきました↓ ① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には経験値の多寡が大きく関わっている。② このブログでいうところの自信は基本的に経験値の多寡とは無関係である。ここでいう自信は、「生まれてきた時のその人の魂の状態」によって決定する。世の中には、自信を全部①のようなモノとして認識している人が圧倒的に多い気がします。ていうか世間的には自信っていうのは、大体①のようなモノとして規定されてますからねぇ。でも、自信を全部①のようなモノとして認識して…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、orion12さんをフォローしませんか?

ハンドル名
orion12さん
ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
フォロー
『クリアー整体ヒーリング』です

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用