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2020/05/22

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  • 所謂カルマとこの世の役目

    人にはおおよそ『2つの役目』があると思っています。 一つは社会から与えられる役目です。 例えば高校生なら高校生、会社員なら会社員、或いは人の親なら人の親、町内会長なら町内会長としての役目があります。 一言でいえばそれは現実の社会で立場によって割り振られる役割のことです。 もう一つはこの世に生まれるより前に引き継いできた役目です。 生まれる時に持ってきた『この世でやるべきこと』みたいな感じのモノです。 今回はこれについて語っていきます。 そう聞いてカルマって言葉を思い浮かべる人も多いかも知れません。 ただ、一般的にカルマっていう言葉で言い表されるところのモノとは少し趣きが違うように個人的には感じ…

  • この世は「持ちつ・持たれつ」であり、「やって・やられて」でもあります

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければ、ブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 『生きる』ということは生が終わる地点まで己が命を運ぶということです。 命を運ぶのが運命なら、運命を形作るチカラの素は『常に動いているエネルギーの波』と言えます。別の言い方をするなら、動くことではじめて運命は生まれるのです。自ら運命を紡がなければ、人は生きてはいけません。だから、生きてる限り常に動いているエネルギーの波に乗り続けるしかないのです…

  • 所謂『世間の常識』の流行り廃れ

    いわゆる『世間の常識』ってヤツはいとも簡単に変わるものです。 昔はごく普通だったことが今の感覚だと「絶対あり得ない!」なんてことは、少なからずあります。 例えばタバコに関してです。 1980年前半くらいまではサラリーマンの多くは会社の自分のデスクで当たり前にタバコを吸ってたと思います。 少なくとも事務所内の禁煙は主流ではなかったと記憶しています。 会社だけではなく、「公共の場所でタバコを吸ってはいけない」というような社会通念は長らくなかったんじゃないでしょうか? 当時は大人の男は仕事中でも普通に人前でタバコを吸っていました。 実際に喫煙するかしないかはともかくとして、一般的な感覚としてそうだっ…

  • 「畏れを持つ」ということの意味

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を与えたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『設定』を考えたのが人間だってことです。 この世には多分、眼に見えないモノたちが数えきれないくらいの種類、存在しています。 その存在のあれこれに神だの悪魔だの妖怪だのと勝手にレッテルを貼っているのが人間です。 一方この世界には人間が今まで神とも悪魔とも妖怪とも一度も名前をつけたこ…

  • 『エネルギーの交差する場所』について

    それぞれの土地には長年かけて出来上がった場の波動というのがあります。 場の波動はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。その要素の一つとして道というのもあります。道というのは現実にある道路のことであるとともにエネルギーの通る道のことです。っていうかその2つはリンクしていることが結構多いのです。道を通るのは人や自動車だけではありません。眼に見えないモノも通ってる場合が少なくないのです。幹線道路のように交通量が多いのなら尚更です。そこを流れていく人や自動車などが多いほど基本エネルギーも増えていきます。人…

  • 呪をかけることと言葉のチカラ

    森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。今まで何度か申し上げてきた「呪(しゅ)をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。ここでいう「呪(しゅ)をかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで、人の心を縛ることです。 『言葉』のチカラを使って人の心をコントロールするために為される呪術的行為のことです。それは『他者』の心を支配し、時に『場の空気』まで支配しようとする呪術です。 なので、「呪をかける」という行為は基本特定の個人なり集団によって行われるものです。ただ、繰り返しかけれた…

  • 人は『ありのまま』では前へ進めない

    世の中には「ありのままの自分を大切にしよう!」みたいなことを盛んにおっしゃる方々がいらっしゃいます。 「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。どんな人の心もブリリアントカットのダイヤモンドのように様々な側面があり、それぞれの側面は見る人によってもそれぞれ違って見えるはずですから。ていうか『ありのままの自分』ってのはそんな単純なモノでしょうか?人にとっての『幸せ』ってのが曖昧模糊として遠い存在であるように、『ありのままの自分』ってのも山の彼方のなお遠い『憧憬』に…

  • 人の寿命と人類の黄昏

    「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように思います。 「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」てな発想がです。 むやみに死に急ぐ必要はもちろんありません。 でも、そういう世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノを至上の価値だと信じる気にはどうしてもなれないのです。 ここでいう世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。 ある意味それが唯物論の極北です。 コロナ禍以前は、…

  • この世は端から『パラダイス』ではない

    所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定期間 (人生) の中で自分がやるべき『宿題』を抱えて敢えてやって来ている世界」ということです。 その『宿題』は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。 ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃなりません。 簡単に言えばこの世は何らかの課題を果たすための勉強部屋みたいなものじゃないでしょうか。 なので、この「夏休みの宿題」が出来なかった人がまた一から次の課題に挑戦し直すのが所謂一つの生まれ変わりだと思います。 もしそうだとしたら、どんな偉人聖…

  • 生きてる人間も色々なら、ご先祖も色々

    以前に「誰かが亡くなったら自分の親族に悪いことをやろうと思うでしょうか? 当然、そんな人間などいないはずです!」という意味のことをおっしゃる方のことを述べました。 「ご先祖さまは子孫に対して良いことしか考えるわけないじゃないか! 『悪いご先祖』など一人もいないんだよ!」てな感じのお話です。 でも、その考え方って『死後のココロの変質』を前提にしないと成り立ちません。 例えば「生きてる時のAさんがいくら偏屈で子どもや孫に恐ろしく冷淡でも、亡くなった途端に子孫の繁栄をひたすら願う温厚篤実なココロに変質する」と信じているってことです。 つまり、死ぬことによって生きてる時のその人の生き方や人格が一度完全…

  • ㊙️

    ブログを更新しました! ヒーリングのことや不思議な話などを書いておりますので、興味がおありでしたらご覧くださいm(_ _)m 呪をかけることと言葉のチカラ

  • 『チカラ尽く』から咲く修羅の花

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラについての話ですがね…よって、除霊を続ける限り相手をねじ伏せられるだけの『より強く、より大きなチカラ』を常に求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手にねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつでも一方的な攻撃が成立するとは限りません。『返り討ちに遭う可能性』ってのはいつも存在するってことです。返り討ちに会わないまでも時には逆襲にあうかも…

  • スピリチュアルと特別な存在になりたがる人々

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう万能感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 よく魔法とか出てくるファンタジー系の物語には、「最初無力だった主人公が実は秘めたる凄いチカラを持っていて、話が進んでいく過程でそのチカラに目覚める!」みたい…

  • ジブンガーZと論破という言葉

    ハッキリ言ってスピリチュアルゥ~な人ほど我の強い人が多い気がします。 「どうだ! オレって凄いだろぉ~‼」みたいな感じが透けて見えるのです。 我というのはコダワリです。 人間こだわればこだわるほど波動は荒く重くなっていきます。 個人的にはそういう人のことを『ジブンガーZ』と呼んでおります。 簡単に言えば、自我の肥大化したオラついた人のことです。 最初にスピリチュアル〜な人って書きましたが、『ジブンガーZ』はなにもスピリチュアルな世界限定ってわけではありません。 その手の人ってのは古今東西どこにでも存在しています。 『ジブンガーZ』の特徴の一つに「自分語りの激しさ」があります。 ここでいう「自分…

  • いわゆる蟲と『モノを見る眼』

    以前から蟲というモノについて何度か述べてきました。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。 蟲は人が直接発する想念エネルギーとは別モノです。かといって物の怪やオニなどの類いともまた異なっています。 大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモノのような気がします。 オニや物の怪ほどガッチリと出来上がったモノではないのは確かです。 この蟲は個人的には大抵クネクネした細長いミミズのようなモノとしてイメージされます。例えていえば、映画もののけ姫でアシタカの腕に蛇のように絡みついたタタリガミってヤツに似ています。 「黒くて…

  • 想像力の大切さと『絶対的な正しさ』という迷妄

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。 じゃ…

  • 所謂ひとつの『人生100年時代』の終焉

    「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているみたいです。 人生を勝ち負けで判断しようとする人たちの心の根っこにはそういう認識はあるんじゃないでしょうか? 世にいう健康というモノにも勝ち負けをつけたがる人はいらっしゃいます。むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。 でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。 世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。 ある意味それは唯物…

  • 『召喚』というのは良いモノだけが来るわけではない

    このブログでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことを指します。 昔の陰陽道で言わていたような狭義のモノとは違うとお考えください。他に適当な言葉が見つからないので『人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべて』を式神という言葉で表現しています。言葉としてはどちらかというと『使い魔』と言った方が近いのかも知れません。実際何らかの呪術的な方法によってエネルギー体を使役しようと試みる人々は古今東西後を絶ちません。 後を絶たないどころかソフトな装いに変わって増えている気がします。エネルギー体を使いたがる人って…

  • 唯物論的思考を続けていると必然的に欲望に取り憑かれる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりして、確かめられるモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人は「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 その人にとって幽霊がいない根拠は「自分が直に確認できない」ってことなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』がその人サイズの時空間に収縮していきます。 「自分に見えたり聞こえたり触れたりするモノこそが世界である」という発想ですので。時間的には、大体自分の人生という時間のサイズ以下でしか物事を考えられなくな…

  • 人が『ありのまま』でいてはいけない理由

    世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方がいらっしゃいます。 「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです!」みたいな感じでね。 でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。 「自分の魂のことなのか? 」「自分の肉体のことなのか?」「 自分の心のことなのか?」 どれなんでしょうねぇ… もし「ありのまま」ってのが無作為のことだとしたら、それは『ぐうたら』を意味します。無作為 作為がないこと。偶然にまかせること。また、そのさま。ぐうたら のんびりしていて、だらだらと過ごしている状態、働く気がない状態。『ぐうたら』が良いこ…

  • 天罰と因果応報

    地球上において人間ってのは特別なonly oneなどではなく、あくまでもone of themってヤツだと思います。 一匹の蟻と一人の人間の価値が違うってのは、人間目線でなら正解ですが、地球目線なら不正解だってことです。 でも、現実に地球上の多くの人間が「自分たちは特別な存在である!」と信じています。 「じゃあ、なぜそんな風に信じるのか?」というと、人間社会にはベーシックに『選民思想』があるためだと思われます。ここでいう『選民思想』というのは、「人間だけが『特別に選ばれた種族』だっていう根拠のない思い込み」のことです。 その『選民思想』を現代社会では教育という形で大多数の人々が刷り込まれていま…

  • 波動のレベルの数値化

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのはスピリチュアルな序列を付けるためのバロメーターではありません。 また目に見えないエネルギーの強さを計るための物差しでもないのです。 ただ、自然で無理なく生きるための目印には十分なると思います。っていうかここでいう波動のレベルというのは出来るだけ自然で無理なくあるための目印のことです。波動のレベルをまるでそれが評価対象である人間や事物の絶対的な価値であるか…

  • 競争しなくても生き物は生きています

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね… そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ? 実は適者生存なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟なんてモノではないよね!」ってことです。 少なくとも個人的にはそう感じています。 そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。 例えば…

  • 人は慣れたモノに対して「当たり前だ!」と感じやすい

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』の社会です。つまり、『現実に存在することを単に事実として認識すること』と『その事実を肯定的に受け入れ、本来あるべき姿として容認すること』は別モノだってことです。 でも、世の中にはこの『認識』と『容認』の2つを一緒くたにしてしまう人が案外多いです。そして「実際にあるんだからそれを『あるべき現実』として素直に認めろよ!」的なことをドヤ顔でおっしゃったりします。或いは…

  • こちらの時間軸とアチラの時間軸は同じではない

    スピリチュアルな世界には「宗教的に言われるところの時間的な節目=見えないチカラの変化」みたいに捉えてる方がいらっしゃいます。 それは例えば「お彼岸やお盆にピッタリ合わせて必ず亡くなられたご先祖様が自宅に戻ってくるのだ」みたいな話を信じているってことです。宗教的しきたりや土俗的な年中行事に対してそれぞれの立場に応じて信じたい方は信じればいいと思います。それを否定する気はありません。社会的な潤滑油として、また生ている人間の心の安らぎとして機能していたりしますからね。しかし、あくまでそれは、『生きてる人間のためにあるモノ』です。「眼に見えないアチラ側の現実がそういった儀式や慣習にきっちり縛られている…

  • 成仏したければ生きてるうちにできるだけコダワリを少なくすることです

    一般的に「ほとんどの霊は成仏しているだろうけど、もしかしたら一部分は無念などで成仏できていないかもしれない」って感じに捉えてる人の方が多数派じゃないかと思うのです。 唯物論者ではなく、「死後の世界を何となく信じてる人たちの中では」ですが… でも、霊能者と呼ばれる人の中には「ほとんどの人は死んでも当分のあいだ成仏出来ない」みたいなことをおっしゃる方が時々いらっしゃいます。 一人じゃなく、別の人がそういうニュアンスのことを別の立場で語られていたりするのです。 ざっというと「死後の世界は存在するけど、亡くなった人のほとんどは成仏していない」というのがそういう方々の見解らしいです。 ただ、個人的には亡…

  • 心のドーピングと心のバランス

    ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為全般を指します。 その一つに「わくわくすれば何でも実現するぜ!」といういわゆるポジティブシンキングに頼る方法があります。 それを麻薬で例えれるなら、覚醒剤のようなアッパー系のモノってことになるでしょう。 不自然で無理のあるカタチでココロを高揚させたり、万能感を持たせたりするのが覚醒剤に似ているってことです。 まあ、クスリと同じで、効果は一時的なものに過ぎませんがね… 一時的なだけならまだしもくり返せば無理が祟って心に変調をきたすこともあるでしょう。 その変調が大きくなるとそのうち心がぶっ飛んだ状態に…

  • 人の運命と『袖すり合うも他生の縁』という話

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との『出会い』とその際における『選択』から生まれるってことです。 そうやって生まれた個人の『運』は、巨大なジグソーパズルのピースのようにもっと大きな『運命』の数々へと繋がっているのです。 運命のパズルは一人の人間だけで完結するものではないってことです。 個人の一生というジグソーパズルは、もっとずっと巨大な『世界』というパズルのワンピースとして存在しています。 もっと言えば、古今東西世界で起…

  • 引き寄せの法則とご都合主義

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは、「私なら私が考えたことがこの世界すべてを創っている」って理屈みたいです。 でもね、どんな人間でもたった一人でこの世に存在しているわけではありません。 「他の人間や出来事などとの関わりあうことによって、はじめて人の人生は紡がれていくのだろう」と思います。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 ならば、有史以来この世に溢れている戦争も飢餓も貧困も『人間が自ら引き寄せた結果』ということになりま…

  • 俯瞰的な視点とほっとくといくらでも育つ先入観と偏見

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 親近感を持つということは、つまりウエルカムな心の状態になっているということです。何が怖いってその心の状態が一番怖いわけです。なぜなら、他人からドン引きされるような事柄を何気にドヤ顔でひけらかす『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。つまり、『人としてのマトモな感覚』が働かなくなる…

  • 人の一生は良くも悪くも欲望とともに在る

    この世というのは『物』がある世界です。 「生きている」というのは、肉体という『物』とともにこの世に存在し続けるということを意味します。 で、肉体があるということはこの世にある限り自分の肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。 生命を維持するために本能があり、その本能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」…

  • 勘を磨くことは己が身を助けるための一つの方法である

    波動的な変化を知るための一つのサインとしては『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 時には単なる肉体の不調のサインだったりするでしょう。 ただ、いつもと違う現象は、それが何であろうと「変化の兆し」かも知れないので、気には掛けたほうがいいと思います。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に留めるようにしておくのか」は長い目で見れば結構大きな差になるでしょう。 その「大きな差」というのが何かといえば、勘の発動しやすさみたいなモノの差です。 勘というのは、それまでのその人の人生における経験値が大きく作用します。簡単にいえ…

  • 『癒し』と『競争』は相反する

    赤ちゃんの時は、誰でも『癒しの波動』を持っています。 つまり、人間は癒しを為すことのできるエネルギーを持って生まれてくるということです。 それはこの世にやって来る人間全員に標準装備されたエネルギーです。 その『癒しの波動』は人にもよりますが、2〜3歳くらいまでは出ています。 一般的によく言われる特殊な能力や特別な方法で伝授されるエネルギーなどは別にヒーリングの絶対条件ではありません。 誰もが生まれながらにして癒しのエネルギーを持っているからです。 しかしながら、実際には幼児以外の大半のオトナは『癒しの波動』を持っていません。 現実社会で育っていく過程で知らぬ間にソレを失くしていきます。 失くし…

  • 不確実性の世界とナニカの『信者』になるということ

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 ここでいう不確実性とは、「人間の認識を超えたモノがたくさん存在する」という意味です。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、その流動性は自由の源でもあります。 固定されたモノに自由など無いからです。 一方物事は固定されるほど安定します。 安定と自由は相反するモノだってことです。 なので、安定を突き詰めると固定された状態を目指すことになります。 グラグラ動くこと(流動性)を嫌うようになるのです。 心を固定させるとその分精神的に安定します。 ここでいう心を固定させるは「深く考えない」ってことです。 深く考えないと心は安定しますが、その代わりそれ…

  • 再開2回目!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年8月)

    今年5月末に東京でのヒーリングの講習会を再開したしました。 無事1回目を開催できましたので、欲を出して2回目も開催する運びとなりました(^_^;) これまでも電話でのマンツーマンの講習はやってまいりましたが、参加者の方々と直接会ってお話するのはまた違った『気付き』があるものだと改めて気づいた次第です。 講習会についての参考資料 ヒーリング講習会のご感想をいただきました! : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その2) : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その3) 相変わらずの三歩進んで二歩下がるような状態では…

  • 中途半端にお祓いみたいなことに手を出さないほうがいい

    例えば「何かに憑かれた人がいたとして、気力の充実した人がその人の背中をドンと叩いて「出ていけ!」と気合いを込めればその何かは出て行くんだよ」みたいな話があります。 気合い一発でなくてもセルフでお手軽に出来るお祓い?みたいなことを勧める人は時々いらっしゃいます。それを全くのフェイクとまでは申しませんが、何時でも誰でも雑作なく出来る方法ではないでしょう。少なくとも誰彼なくお気軽に勧めて良い類いのものではありません。なぜなら、それがちゃんと出来る保証なんて何処にもないからです。もし出来なくても誰も助けてはくれません。それにもし出来たとしても『良い事尽くめ』とは限らないです。何らかの副作用が起こらない…

  • 光と闇と「すべてはバランスで出来ている」という話

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。 夜が明けたら朝になる 雨が上がって晴れになる 光があれば闇がある 片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。 光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。 光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。 闇の何たるか知ろうとすれば闇にそれだけ近付かなくちゃなりません。 闇に近付けば近付くほど、その分闇に深く関わることになるでしょう。 闇とは何時も人に恐怖や嫌悪を与えるだけの存在ではありません。 人の心を蕩けさせる怪しい甘美…

  • 合体化したオニと百鬼夜行の世界

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 オニの大きな特徴は一旦暴走モードになると手当たり次第に何でもかん…

  • 心のバランスを取ることと「所謂一つの『悟り』はない」って話

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、「全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ている」ということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。 主観というものには大なり小なり偏りが存在します。 その偏った主観 (偏見) がここでいう色眼鏡です。 一人一人が見ている『世界』…

  • いわゆるひとつの『健康的な世界』と正しいの比べっこ

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。 人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。 そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。 そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。 何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い』…

  • 輪廻転生と「今生は一度限り」って話

    所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定期間 (人生) 、自分がやるべき宿題を抱えて敢えてやって来ている世界」ということです。 この『敢えて』っていうのがミソで、「何とな〜く薄ぼんやりと生まれてくる」って人はいないんだろうと推測します。 本人がその『敢えて』の部分を認識しようと認識しまいとです。 その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。 やらなくても別にバチは当たりません。 ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃならないモノです。 実際どこに提出するのかは分かりません…

  • インスタントと2つの世界観

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。 ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。 それを個人的にはインスタントって呼んでいます。 私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という心の在り方のことです。 テレビ…

  • 復活!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年5月)

    2010年5月末の東京での懇親会からクリアー整体ヒーリングの講習会の歴史は、始まりました 。それから、なんやかやで16年が経ちました。 東京、名古屋、大阪、神戸、仙台、福島などで講習会を行なってきたのです。 色んな人々と出会い、様々なことを経験しました。 山あり谷ありで、順風満帆とは呼べないような日々ではありましたが 、何とかヒーリングを続けることが出来たのも、ひとえにヒーリングに関わっていただけた皆さまのお陰であると心から信じておりますm(_ _)m コロナ禍以来対面での講習会は基本自粛してまいりました。 いつかは再開したいと考えながら、とうとう2019年より6年ほど経ってしまったのです。 …

  • カミサマと人の決めた呼び名

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノは神さまという名前で呼ぼう!」という風に決めたのは人間です。 だから、何かの拍子で同じモノを「悪魔と呼ぼう!」って決まれば悪魔って名前になります。 ただ、名前をどう呼ぶかは「神だ悪…

  • 不安と自由と不安定

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には不自由な心が手に入ります。 別の言い方をするなら、安定した状態の作成には、意識的であれ半ば無意識であれ心の自由を削る工程が必ず入ってくるということです。 心の自由を削る工程とは、心の一部をルーティンワーク化することです。 一般にいうルーチンワークとは、決まった…

  • 物の怪の龍と『眼に見えない世界の主』としての龍

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって、新たな別のエネルギー体を生み出すということが、実際に起こっています。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わるのです。あたかもポイントカーくドにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 物の怪のひとつに龍がいます。龍を一言で表すなら『支配』です。具体的には「(自分の意見を)押し通したい」「(全ての者を) 服従させたい」「(全ての上に) 君臨したい」…

  • 悟りとは『まっ、いっかぁ度』が爆上がりした状態である

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 人の心において波動のレベルの低い状態の大きな特徴の一つは「コダワリが強いこと」です。 波動のレベルが低ければ低いほどコダワリは深く濃くなります。 ここでいうコダワリを仏教用語で例えるなら『煩悩』ということになるでしょう。『煩悩』とは仏教上の言葉で、「人を苦しめ、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心」のことを指します。 結局「コダワリの強さが怒りや恨みや悲しみ、欲望などの素になる…

  • 人外のモノのチカラを借りた者の行く末

    『特別』な自分を達成するために眼に見えないチカラを手に入れようとされる方が世の中には結構いらっしゃるようです。 いわゆる霊能力みたいなモノのことです。そういうモノを手に入れれば自分が変わるように思われるのでしょうかね…でも、そういうチカラって十中八九人外のモノから与えられたチカラです。ぶっちゃけた話『モノノケ力』ってことです。この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイン…

  • 健康と不健康と陰と陽

    最近巷ではますます健康をテクニカルに扱おうとする考え方が流行っています。 ただ、研究所で実験用ラットを扱うようなモノの見方をしても、本来的な健やかさには行きつかない気がするのです。所謂『不健康』な要素を機械的に削り取って、医学的に言われる健康になるための要素だけを選別して残そうとしても無理があるとしか思えません。 生と死が切り離せないように健康と不健康もまた切り離すことは無理なのです。 陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。 これを健康に当てはめて私流に言い換えれば「健康ガー!健康ガー!と年がら年中やってればそのうち振り切れてとんでもなく不健康になる」ってことです。 それじゃあ、まるで健…

  • 3割引きの真実と曖昧な現実

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 想像力こそが人間らしさの根っこです。 知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する『敏感さ』を生みます。 その『敏感さ』が人間らしさに繋がっていると思います。 「想像力が弱い」というのは「心の視野が狭い」ということです。 人は心の視野が狭くなるほど周りのことが見えなくなります。 見えてるのは…

  • 悪魔の契約と『ヒトデナシ』になること

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明します。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。 ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。 とはいえ人間に対して様々な悪しき影響をもたらす眼に見えない存在はわんさか居ます。 それは、亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー…

  • 無駄を省くという行為に大した汎用性はない

    「無駄を省くこと」は、確かに悪いことではありません。 ただ、「無条件に良いこととも言えない」と思います。俯瞰的に眼で見れば見るほど「そもそも無駄って何?」っていう出発点からして曖昧模糊としたモノにならざるを得ませんからねぇ。無駄だと思ってたモノが無駄ではなくなったり、有効だと思ってたモノが時代遅れの過去の遺産になったりってことはよくあることです。人間万事塞翁が馬って故事があります。幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。最終的に「何が無駄で、何が無駄じゃないか」が、最初から分かっている人などどこにもいないのです。効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、『今…

  • 波動的な圧と場の波動の変化

    波動的な圧というものについて書いてみます。 ここでいうところの『波動的な圧』とは眼に見えないチカラが何らかの影響を与えようとする時現れる圧力のようなもののことです。 現実社会でいえばこれは同調圧力というものに少し似ています。 同調圧力無言の圧力によって、抵抗する事がなんだか憚られ、みんなの輪から飛び出して違う意見を言えないような状況。時として当たり前の様に、受け入れてしまったり「変だなぁ」と納得はいかないけど同意させられてしまったりする 「組織なり集団が個人に与える無言の影響力」というのを同調圧力とするならば、波動的な圧というのは「その場の波動エネルギーが人間に与える影響」という感じです。 も…

  • 悪想念と引き換えに与えられる人外のモノの所謂『御利益』

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 この世には途轍もない数の妬み、恨み、怒りなどの暗くねっとりとした情念があります。そういった情念が一つの集合体となり、ある種発酵というか化学変化のようなものを起こして、一つ…

  • 「不老不死は見果てぬ夢である」ということ

    この世において肉体のある者のエネルギーは肉体のないモノに比べて圧倒的に強いということを以前に述べました。 それが生身の人間の強みであるとね。 しかし、一方肉体は無くなるものであること、時間の経過とともに必ず劣化するものであることも述べました。 それが生ある者の弱みであると… 実を言えばこの強みと弱みはコインでいえば表と裏です。 光と闇と言ってもいいでしょう。 要は二つで一つってことです。 生き物ってのは生きる時間に限りがあります。 それも地球の時間からすれば本当にほんの一瞬です。 でも、だからこそエネルギー的な強さを持っているのだと思います。 桜の花がすぐに散ることを最初から運命づけられている…

  • 不条理で理不尽な世界と明快な理由

    ヒーリングなどしておりますと実に様々なエネルギーと出会います。 その中にはすでに知ってるモノもたくさんあります。ただ、知らないモノも決して少なくはありません。「えー?!こんなモノもあるのか!」てな感じのことは珍しくないのです。自分が知らないモノでもそれほど危険ではないモノもあります。まぁ、それも結果として分かるわけで、初見ではただ「得体の知れないナニカ」ってだけなんですがね…当然最初は耳をそばだて、眼を見開いて、それらと対峙します。まぁ、眼や耳を物理的に使うわけではありませんけどね…で、すぐに「ああ、そういうことか!」と自分が納得するような因果関係に辿り着けるなら、それは多分大したモノではない…

  • 波動のレベルと『人としての感受性』

    南町奉行大岡越前守の裁判の話を集めた形を取ったフィクション『大岡政談』というものがあります。 時代劇の題材にも何度もなったお話です。 その中に、2人の「母」が1人の子を巡って争う裁判の話が出てきます。 その話の中において大岡は「子の腕を、両方の親が引っ張って、勝った方が実の親だ」と2人の「母」に言い渡します。 「当事者を試練を課すことで真実を探る」という策を図るのです。 その結果引っ張り合いこに勝ったほうではなく、子どもの痛がる声に思わず手を放してしまったほうの女性を母親と認定します。 有名なお話なのでご存知の方も多いでしょう。 で、これって波動のレベルについてのスゴく良い例えになると思うので…

  • 癒しと大和魂

    癒しとは楽になることです。 ここでいう「楽になる」とはダラダラと安直に怠惰に過ごすという意味ではなく、「それぞれが元々持っている自然で無理のない状態に戻る」ことです。 謂わばニュートラルに戻るということです。 このブログにおける『ヒーリング』とはその「楽になること」をお手伝いすることです。 主体は何時もヒーリングを受ける側のほうにあります。 例えて言えば、歩きにくい人のための杖や見えにくい人のための眼鏡みたいなものなんじゃないかな~と思うのです。 今まで何度も書いてまいりましたが以上が私の行なっているヒーリングのキモの肝です。 このブログ内で使われる『癒し』『ヒーリング』『楽になる』といった言…

  • 啓蒙したがる人と「正しい答えは一つだけ!」というファンタジー

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を強く濃く持っている人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が率先して教え導かねばならない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と深く信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じ…

  • 不確実性の世界と「グレートリセットは失敗する」という話

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 永久不変なモノはこの世にはないってことです。 だから、この世はどう転んだところで不確実性の世界であり続けます。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 心が安定した状態を突き詰めると結局『思考停止』になります。 なにも考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 逆に言えばまともに考えれば考えるほど、心は不安定になるってことです。 自由な心ほど流動的で色んなモノからの影…

  • 五感が狂ってしまうと心はサイコパス化しやすくなる

    ランナーズハイとは長い時間走るなどの激しい運動をしている時に分泌される脳内物質によって、苦痛が軽減されること。またその状態。 人間は肉体的苦しさがある限界を超えると無意識にそれを逆に快感として自分に感じさせるスイッチが入るみたいです。 同じように、心が苦しくなると無意識に一般に『気』と呼ばれる類いの生体エネルギーの流れを逆転させることで、その苦しみを感じなくさせようとする装置が人間には内蔵されています。 その装置は、苦しいことを苦しくないように自分の心に感じさせることによって、苦しいことから解放させようとする作用を起こすのです。 そういったモノが、元々人間の内側には自然に備わっているのです。 …

  • 邪魔と万能感

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』とは、「生きていく上で現れるマイナス要素全般のこと」を指します。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わり合いながら存在しています。心と身体が互いに関係しているようにね…例えば会社や学校では虐めや嫌がらせをされるってことがあります。それと関連して、ネガティブな想念エネルギーをガンガン送られるってこともあるかも知れません。それら二つは別々の事柄ではなくコインの裏表のように繋がっているのです。そうい…

  • 正しい!の比べっこの最果てにある魔女狩りの時代

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少します。 単…

  • 「いつどこに生まれるか?」という人の運命

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 『生きる』ということは生が終わる地点まで自分の命を運ぶということでしょう。 命を運ぶのが運命なら、運ぶためのチカラが常に動いているエネルギーの波なのです。逆にいえば常に動くことでエネルギーは生まれています。そのエネルギーがなければ、生き物は生きてはいけません。だから、生きてる限りエネルギーの波に乗り続けるしかないのです。 上手いこと波に乗れ…

  • 何事も『アクセル』と『ブレーキ』のバランスが大切です

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。大抵のことにはポジティブな要素があればネガティヴな要素もあるものです。なのに、世の中にはネガティヴをことさら忌み嫌い、まともに見ることさえ拒否しようとする人たちが居ます。でも、「ネガティヴな要素なんて本当はないんだ」とか思えば思うほど心は無防備になってしまいます。そうすれば否応なく危険性は増すでしょう。交通事故の危険性を知らずにクルマを運転しているようなものだから…

  • 絶対外れないリバーシブルな予言と世に溢れるそれと似たような詭弁

    以前「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」って話をしたことがあります。 それはこんな感じ。 先ず「近いうちに未曾有の天変地異が日本に襲いかかります!」とか予言めいたことを語ります。「ただし、大きな祈りが実践され、神にその祈りがしっかりと届けば、その天変地異は回避されるでしょう!」と但し書きをつけるのです。ここにすでにリバーシブルな伏線が張ってあります。表: まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起これば「残念ながら言っていた通りになってしまいました!」と深刻ぶったドヤ顔でいう裏 : まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起こらなければ「たくさん…

  • 縁とは出会いと選択の結果生まれるモノ

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも人生の何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんじゃないでしょうか。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な『世界』というパズルのささやかな…

  • 健康も極端になりすぎると不健康になる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『想像力』こそが『人間らしさ』の根っこです。ここでいう『人間らしさ』とは他者に対する思慮を持っているということです。 で、ここでいう思慮とは、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する感受性のことを指します。他者に対する感受性が低いというのは、心の視野が狭いということを意味します。人間心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなるものです。見えてるの…

  • 肉体と欲望と大和魂

    生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。 そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。 魂→肉体→心という順番に人間という者は出来上がっていきます。 所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されていくのです。 肉体と心と魂の繋がりってのは、結局「最初に魂ありき」であり、最後もまた魂ありきです。 でも、この「魂から始まり、魂で終わる」ってことについて、本当に分かっている人というのは多くありません。 それはなぜかというと、ひとつには魂ってモノを虚構あるいは寓話のようなモノとして捉える唯物論的思考が世の中の主流になってい…

  • 場の波動と人間の生きる環境への影響

    例えば大地震や火山の大噴火みたいな天変地異があれば人々は色めき立ちます。 しかし、そういう天変地異も実は場のエネルギーの日々の小さな変化の積み重ねの果てに起こっていたりもするものです。場のエネルギーの変化が、人間が生きていくための環境にも少なからぬ影響を与えているってことです。その土地にはそれぞれ長年かけて出来上がった『場の波動』というモノがあります。『場の波動』はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。だから、街なら街で各々雰囲気が違っているのです。古い街ほどその街独特の雰囲気が強く濃く出来上がっ…

  • この世では肉体があるから波動のレベルは上下しやすくなっている

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは、あらゆるモノが常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そして、動き続けることでそのブレやらズレやらユガミやらは大きくなっていくのです。 だから、毎日コツコツとブレやらズレやらユガミを修正する必要が出てきます。 その修正する作業を、ここでは「心のバランスを取る」と表現します。人間は生きている限りこの「心のバランスを取る」という行為を継続しなくちゃなりません。 「バランスを取ること」をやめれば、拡大するブレやらズレやらユガミによって、心は必ずバランスを失うからです。 バランスを失えば、心…

  • 役目とは選び取るモノである

    例によって例のごとく独断と妄想ではありますが、人にはおおよそ2つの役目ってモノがあると思っています。 一つは社会的に与えられた役目です。 例えば高校生なら高校生、会社員なら会社員、或いは人の親なら人の親、町内会長なら町内会長としての役目がそれぞれに割り振られています。 一言でいえばそれは現実の世界で割り振られた役割です。 もう一つはいわゆる輪廻転生の際に今生の自分が引き継いだ役目です。 生まれる時に持ってきた『この世でやるべきこと』みたいな感じのモノです。 人には以上のように現実社会で与えられる役目と眼に見えない世界から与えられた役目の二つがあるってことです。 現実社会における役目については、…

  • マインドコントロールと「間を取る」ということ

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不安は恐怖を生みます。 心の弱っている人ほど不安と恐怖に対する耐性は低いのです。 だから、マインドコントロールというのは、心の弱い人をターゲットにします。 心の弱っていると判断能力が鈍るので、自己決定に自信を失って、誰かに決定を委ねたい気持ちが出てきやすくなるからです。 手口とし…

  • 心のバランスと「光だけの世界はない!」って話

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に近付くしかありません。ただ、闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになります。その闇は退廃的な甘美さみたいなモノも持ち合わせています。何時もおぞましいばかりではないのです。闇に近づきすぎて、その退廃的な甘…

  • 不確実性の世界と分離する人間社会

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『不自由』になります。 すべてが決められている(という設定の)世界には自由はありません。 ただ、あれこれ迷う必要がないので、不安もありません。 すべてが決められている(という設定の)世界というのは、宿命論の世界です。 例えばそれは「聖書には過去・現実・未来…

  • 自由と平等と競争社会の最果て

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 実際「競争原理こそがこの世界の『絶対的な基準』だ!」的な考え方が、今の人間たちの心に深く強く叩き込まれていて、疑う人の方が圧倒的に少ない気がします。 それくらい競争というモノが『当たり前の真実』のように世間的に扱われているのです。 競争を成立させるため…

  • 人生の落とし穴と『運命を選ぶ』ということ

    過ぎ去りし日の一時期、スピリチュアルな世界の暗黒面の一端に予期せず触れてしまい、見境なくノボセ上がって暴走してしまったことがあります。 とあるヒーリングの『セクシャルハラスメント』や『マインドコントロール』といったものに否応なくガッツリ関わってしまったことが切っ掛けでした。 当時他者からのマインドコントロールによる煽りや物の怪からの波動的な干渉の影響がバンバンあったのも事実です。 ただ、結局自分自身の心が無防備で、あまりに隙があり過ぎたのだと思います。 激しいショックを受けていましたし… 妄想が妄想を呼び、膨れ上がった末に「自分は世界すべてを相手に戦っているサイキックな戦士だ」くらいの精神的に…

  • 親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればこそ自ずから禍福が糾える縄の如く現れてくるのです。 それが一般にいう『運』と呼ばれるモノです。 つまり、『運』とは「人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるモノ」を指します。 そうやって生まれた『運』は巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの途轍もなく大きな絵となるのです。 その途轍もなく大きな絵が、この世界の『運命』っていうヤツなのでしょう。 日々刻々様々な場面で『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。…

  • 独断と偏見による憑きモノの傾向

    人外のモノが人間に憑く場所というものには一定の傾向が存在します。 すべてのケースに必ず適合する法則みたいなものがあるかどうかは分かりませんが、経験からいって推測出来る傾向みたいなものはあったりします。物の怪であるヘビは人の身体でいえば大半は上半身より下半身に付いています。生殖器や泌尿器関連などお臍より下にいることが圧倒的に多いです。なので、ヘビがいると腹痛を起こす場合が少なくありません。 クモは頭の付近に乗っかっていることが多いです。 頭でなくても首や背中の上の方にいたりします。 どうも人の髪を使って仕掛けを作るのが得意みたいです。で、ヘビならヘビ、クモならクモといった種類別の傾向とは別に特定…

  • 「世界には物より大切なモノがある!」という考え方

    今のご時世「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように見えます。 「どんな手を使ってでも社会的にのし上がり、地位や名声や権力などを手に入れた者の勝ち!」って発想がそこにはあるんじゃないでしょうか? そういう世俗的な成功哲学みたいなモノが全面的に良くないとは思いません。 人間霞を食って生きてはいけませんのでね。ただ、そういう世俗的な成功を求めるようとする欲望が肥大化して行き着いた果てが、「今だけ・金だけ・自分だけ」ってヤツなんだろうとは感じるのです。 ある意味それって唯物論の極北じゃないでしょうか? 人間…

  • 波動エネルギーの集まりやすいところ

    心霊スポットなどどこかの場所で目に見えない霊的なモノに憑かれてお持ち帰りするという話があります。 その手の怪談というのは古くから散々語られてきたので「特定の場所には何か居て憑いてくる」という話には割合みんな拒否感は少ない気がします。 それは「場所から人へエネルギー体が乗り移る」という事柄に関して違和感があまりないということです。ただ、ここで語られる場所というのは大体が如何にも曰くありげな特別な場所です。ありふれた日常でそういうことがあるとはあまり思われてません。それに近い話があるとしたら「住居の引っ越し先が所謂出る所だった」というようなものですが、それも結局は「曰く付きの特別な場所に引っ越して…

  • 時の波動の変化のポイントとこれから起こる時代の変化

    時間の流れは単に気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 一瞬一瞬すべて違うってことです。 同じ4月でも去年と今年では当然気候の移ろいは違うし、眼に見えないエネルギーの流れもまた違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間にも有形無形の影響を与えていきます。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けているってことです。まあ、それは人間だけではなく、この世界全体が影響を受けているって意味ですけどね。 春分と秋分は、時の波動の大きな変化のポイントになっています。そのあたりの時点が、時の波動の分岐点になることが多いです。…

  • 離間の罠と人を支配したがるモノたち

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』というのは生きていく上で現れるあらゆる負荷のことです。場合によってはマイナス要素や生きづらさと言い換えることも可能かも知れません。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わりあって存在します。心と身体と魂が繋がっているようにね…邪魔の中には人と人を離間させるためのモノがあります。 仲違いさせるための罠と疑心暗鬼の種を仕掛けるのです。所謂縁切りってヤツです。詳しくはシェークスピアの『オセロ』でも読ん…

  • 出会いと選択をちゃんとしないと運がすり減っていく

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…

  • 「絶対揺らぐことのない安定と安心」を求めると心が『魔境』に囚われる

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 「魔境に入った人」というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感や万能感に支配された状態のことです。 「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感や万能感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。 万能…

  • この世界は良くも悪くもあっという間に変わるモノ

    昔ある人に付いて整体を習いました。 その人が新たに立ち上げたお店で働かせていただく前提で習ったのです。 その時は生まれて初めて『師匠』と呼べる人が出来たと喜びました。 でもねぇ、そこにある『世界』はあまりにドロドロぐちょぐちょし過ぎていて、その人を『師匠』とは呼べなくなるまではあっという間のことでした。 別に相手に聖人君子のようなメンタルを求めていたわけではないのですがね… (ー ー;)次に習いに行くことになったヒーリングには足掛け6年余り関わっておりました。 「本当に良いものに出会った!」とその時は感じたものです。 当時そのヒーリングの主宰者の方を自分の『師匠』だと本気で考えておりました。 …

  • 想像力が乏しいほど心のバランスが取れなくなる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『人間らしさ』の根っこには『想像力』があります。 ここでいう『人間らしさ』とは簡単に言えば「ゴリゴリの自己中ではない」ということです。 分からないなら分からないなりに察したり慮ったりしようとする心の働きが、『人間らしさ』の素となります。 『人間らしさ』は、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する敏感さに裏打ちされているからです。 慮るチカラが弱いという…

  • いわゆる式神の話と現実世界の光と影

    今まで式神というモノについて何度も述べてまいりました。 ただ、このブログの所謂『式神』というのは本来の意味とは大分ズレたものになっております。 他に適当な言葉もなかったものですからね… なので、以下に改めてその内容を定義しておきます。 「ここでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことである」 当然「そんなバカバカしいことあるもんか!」と考える人もいらっしゃるでしょう。目に見える世界ばかりに囚われているとそうとしか思えないのも理解できます。それでも、この現代においても呪術的な方法によって何らかのエネルギー体を使役しよう…

  • 競争社会と「スタートラインは揃っている」という虚構

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? そもそも生き物を種という『単位』で見たら…

  • 心と身体と魂のバランスと人類の黄昏の時代

    世の中のすべてのモノは原子レベルから動き続けています。 そして、動くことで必ず劣化します。それでも、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。心も身体も魂もこの世に存在する限りバランスを取ることは必須です。では、人がバランスを取らなくても大丈夫という価値観に支配されるとどうなるでしょう?例えば「コレさえあれば大丈夫! 一々バランスなど取らなくても楽して生きていける!」という『魔法の道具』がどこかに有って、それを手に入れることは十分可能だという価値観にね…そういう価値観に心が染まると当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感…

  • 最近上から目線の高圧的な態度の人が増えている気がします

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしそのの中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『正しいの…

  • 不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日のようにコツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか? なので、生あるものにとって『不変』とはすなわち『劣化』を意味します。 時空のある一点に踏みとどまろうとする行為はブレやズレやユガミを助長する行為に他なりません。 生きている限り止まらずに進んでいくしか道はないのです。 けれど、進めばやっぱりブレやらズレやらユガミやらは出てきます。 そして、ブレやらズレやらユガミやらが大きくなれば…

  • 所謂式神と眼に見えない危険が増えた世界

    式神(しきがみ、しきじん、識神)とは、陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの。式の神ともいい、文献によっては式鬼(しき)、式鬼神ともいう。 一般に式神を使っていたと言われているのは中世の陰陽師です。 ただ、現代でも魔術的な方法によって出来る何らかのエネルギー体を使役出来るという方は存在します。 少なくともそういうモノを使おうとする意志のある人々は実際にいるのです。 それは何も日本だけとは限りません。洋の東西を問わずそういったことをしたがる人間は昔から存在してきました。アラビアンナイトにも「所有者となった者がランプを擦ると魔神が現れ、様々な願いを叶えてくれ…

  • 不確実性の世界に付きまとう不安と思考停止による安定の甘い誘い

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷う必要もないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とか…

  • 眼に見えない大きな存在と『この世のコトワリ』の変わり目

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を与えたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『設定』を考えたのが人間だってことで…

  • 呪詛と予言と祈り

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されているんじゃないでしょうか?丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。ていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。呪詛を行う場合、技術や方法論が何より一番大事と考えられているのです。でも、実際は呪いの方法が古…

  • 心の視野の広さと感情の起伏の激しさの関係性

    世の中には自分の機嫌を自分で取れない人ってのが結構いらっしゃいます。 そういう人は自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているようです。 自分の機嫌を他人に取らせるのってのは、自分のためのサンドバッグなる人間を作り、八つ当たり等をして憂さを晴らすみたいなことです。 会社のような上下関係がハッキリした関係性の中で、下の者に当たり散らす人とかがその典型です。 いわゆるパワハラってヤツです。 また家庭でそれと同じようなことを行えば肉体的または言語的なDVとなるでしょう。 どちらにしても他人に機嫌を取らせる場合の他人はその人から見て格下の人間ということになります。 例えば最近よくお見受けする、SN…

  • 『今だけ・金だけ・自分だけ』の世界観と大和魂の復活

    現在この国には、世界中のあちこちから様々な波動エネルギーがリアルタイムでやって来ています。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど多種多様なモノがいます。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に憑いてくるモノもいれば、人外のモノが関わっているモノもあります。どちらにしろその多くは意図的かつ計画的に仕掛けられたモノです。 何が言いたいかというと、「眼に見えないアチラ側の出来事は、半…

  • 空気を読むことと『距離感を測る』ということ

    最近また耳鳴りがひどくなってきました。 キーンって音がBGMみたいなモノです。 そうなると「また何かあるのかなぁ(~_~;)」と思ってしまいます。 単なる気のせいならその方が良いのですが… 波動的な変化を知るための一つのサインとして『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 また誰にでも同じように感じるモノでもないでしょう。 単なる身体的不調のサインであるかも知れないですしね… ただ、「いつもと違う」ってことはそれが何であろうと「変化の兆し」として気に掛けていた方がいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に…

  • バランス感覚と乱世に心が惑う人々

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた…

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