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2020/05/22

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  • マヤカシだらけの世界で展開される『裸の王様』の物語

    この世は元よりマヤカシだらけの世界です。 ここでいうマヤカシってのは裸の王様に出てくる『賢い人だけが見える糸』みたいなモノのことです。 マヤカシが実しやかに扱われている世界では、不思議なことに存在しないモノが在るモノとして設定されていて、まるでそれが有るかようにみんなが振る舞っているのです。そして、「ウソも100回言えば本当になる」みたいな話で、無いモノでも「在るんだ!在るんだ!」と言い続けられていると信じる人が1人2人と増えていきます。人間は小さなウソよりも大声で繰り返し唱えられる大きなウソに騙されやすいのです。ただ、端から有るはずのないモノを有るかような前提で話を進めていけば遅かれ早かれ辻…

  • 生きることは変化を受け入れること

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。生きてきた時空間のある一ヶ所に踏みとどまろうとすれば必ず劣化していきます。 例えば美しく穏やかに歳を取ろうとするのは悪くないですが、若いままでいようとして過度なアンチエイジングを仕掛けるとキリがなくなります。 しょっちゅうプチ整形を繰り返す人みたいになりかねません。 変わることで未来へ向…

  • 風通しの良さとバランスの良さ

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 「ずっと動き続けている」ということは、「絶えずバランスを取り続けている」ということを意味します。 何であれ動けば動くほどあちこちにブレが生じますので、それをほっとけばバランスを失っていきます。 世の中のすべてのモノは遅かれ早かれ劣化していきます。しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。 逆にバランスを失えば失うほど劣化のスピードは速まるのです。 では、バランスを失わないためには具体的に何をやればいいのでしょうか? 一番は「風通しを良くすること」です。 物理的にも、…

  • 己れの無知を知ることが心の視野を広げます

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 他の動物より少し脳みそが大きいからといって当然何でも分かるわけがありません。 人間己れの無知に真摯に向き合えば向き合うほど、アマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。それは、無知ゆえに『発見』がそこら中に転がっている世界だって分かるということです。我々のいる世界は、元々そういう場所だってことです。そういう場所ってのは「人間の無知に基づく新発見に溢れている世界」って意味です。 発見に溢れているというのを、逆にいえば知らないことだらけだってことになります。生身の人間ってのは古今東西一人残らず無知に溢れているということです。 ただ、分から…

  • 一般的に言われる『生き霊』と『想念エネルギー』の違い

    生霊(いきりょう)とは、生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回るといわれているもの。 以上が一般的に言われる生き霊についての説明書きです。 この説明通りなら、人間の一つしかない魂が身体から抜け出して何処かに行っている状態が生き霊ってことになるのでしょう。 逆に言えば心で何を思おうとエネルギー的には何も影響が起こらないってことになります。 所謂『生き霊』現象が引き起こされるのは、前提として特定個人・組織などに対して相当強烈な怒りなり恨みなりの感情が存在する特殊な状況にあると捉えられているようです。 ただ、現実には人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 なので、ここでいう想念エネ…

  • マヤカシだらけの世界で絶対的真実を求めるのは虚しい

    この世はマヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場でもあります。 出来のいいマヤカシは八分くらいの『本当』の中に二分の大きな『偽り』が上手い具合に混ぜられているモノです。 釣りで例えるなら、最初『本当』を撒き餌にして警戒心を緩ませてから、毒バリを仕込んだ『偽り』を食わすのです。 これもホント! それもホント! あれもホント! と来て最後に信じさせたいウソをドーンと喰らわすわけです。 というかドーンと喰らわされてることにさえ下手すりゃ一生気が付かないまま終わります。 だから、この世のマヤカシにどっぷり浸かりながら己れの「正しい!」を存分に味わうこ…

  • 『畏れ』があってこそ人の見ることのできる『世界』は広がる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは、簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりして認識できるモノ以外はすべてマヤカシだ!」という思考のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことも触れたこともないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 そういう人たちの幽霊がいない根拠は、結局「自分がそれを直に確認したことがない」ってだけなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』はその人サイズの時空間に収縮していきます。 その人個人が認識できるサイズ以下でしか、その人の中での『世界』は存在できなくなるからです。具体的にいうと先ほども…

  • 「人間はスゴい!」という根拠なき選民思想

    世の中には「昔は人間はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃる方が結構いらっしゃいます。 そういうお話を拝見すると心の中で「一体いつ人間がそんなに出来杉くんだったのだろう?」とどうしても感じてしまうのです。 ぶっちゃけた話みんな人間って種族に期待しすぎのような気がしています。 元々人間というモノに対する期待値が私自身そんなに高くないせいかもしれませんが… もちろん何にどれだけ期待してもそれぞれの方々の自由です。 ただ、「あまり期待しすぎると後でどっと疲れるだろうな」と思ってしまいます。 この地球上において人間ってのは、特別なonly oneなど…

  • 波動的に見て、これからは闇堕ちする人が増えるでしょう

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。 夜が明けたら朝になる雨が上がれば晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。 光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけを見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に呑み込まれる人です。闇の何たるか知ろうとするなら、闇に近付くしか知る術はありません。ただ、闇に近付けば近付くほど否応なく闇を深く覗きこむことになります。 闇にはおぞましさもある一方で、人を惹きつける退廃的な甘美さもあるのです。で、世の中にはその退廃的…

  • 波動的な観点から見た眠気の意味

    突然やって来る異常なカタチの眠気というものがあります。 とにかく前触れもなくむちゃくちゃ眠くてしょうがなかったりする現象です。 ヒーリングを始めて以来そういった尋常ではない眠気とは結構体験してきています。ヒーリングさせていただいた方々からその手のお話をお聞きすることも度々あります。もちろん眠気なんてものは肉体的な或いは精神的な原因から来るモノも少なくありません。というかそういった原因に起因するモノの方が多いんじゃないかと思います。 単純な話マッサージされれば血行が良くなって、気持ち良く眠くなることもあるでしょう。 また、特定の病気などによって生理的におこる極端な眠気というものも十分考えられます…

  • 教祖になりたい人と教祖にすがりたい人はセットです

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことを指します。 そういう状態になりたいと渇望し、「そういう状態に必ずなれるはずだ!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 何を求めようとその人の自由ですが、『特別』を求めれば求めるほどありふれた日常から心はズレやすくなります。 ありふれた日常から心がズレればズレるほど地に足がつかないファンタジーな世界に嵌まりやすくなるモノで…

  • 今ここにある『魔境』

    スピリチュアル好きな人の多くが、『神秘的な覚醒経験』みたいなモノを待ち望んでいるんじゃないでしょうか? 「神秘体験を通して万能感みたいなモノを得たい」って気持ちが強いということです。 でもね、神秘体験って一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれるキッカケになる得るんですよね… 古くから『魔境』って呼ばれている『心の迷い家』の入り口になってるのは確かです。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その…

  • 分かったつもり満々な人にはできるだけ近づかない

    ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。 日々発見の連続と言っても過言ではありません。 この世とは不可思議の連続です。一個人がこの世にある全ての事象を分かるようになる可能性はゼロです。 人は目の前の『世界』に、真摯に向き合えば向き合うほど、アマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。知っても知ってもどこまでもキリがない『発見の無限大』を体感するってことです。 「これは何だろう?」っていう疑問に、恐れとトキメキを感じない人間はそこに近付かない方が無難ではないかと考えます。それ以外には不安と不安定しかないからです。 ヒーリングの世界は目隠しをして鳥取砂…

  • ずっと無理をさせ続ければ、いつか心はパンクする

    ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為全般を指します。 スポーツのドーピングもそうですが、一時的に無理やり心や身体の機能を活性化するようなことを繰り返せば、そのツケはいつか何処かで払わなくちゃならなくなります。 身体でいえば人より早く機能がボロボロになるでしょうし、心にもそれと似たようなことは起こるでしょう…似たようなことというのは一つには『電池切れ』みたいになるということです。 ドーピングで得られていたギラギラしたエネルギッシュさはそれをしなくなると急激に失われてしまいます。その「誰にでも分かるほど心も身体も動かなくなった状態」をここ…

  • 競争は構造的に『蠱毒の壺』を作りやすい

    人間の想いのチカラというのは良い意味でも悪い意味でも決して弱いものではありません。 弱いどころか、生きている人間の想いのチカラというのは、この世界の中では屈指の強さを持っています。だから、想念エネルギーが与える影響というのも決して小さくありません。トータルでみれば、それもまた途轍もなく深く大きなモノなのです。そうした想念エネルギーの中に、嫉妬のエネルギーというのがあります。嫉妬といえば男女関係のあれやこれやを連想される方も多いかも知れませんが、この世界ではそれ以外にも妬み・嫉みなどの感情が至る所に溢れかえっています。 単純に感情としてだけ存在するだけでも様々な問題を起こしたりしますが、それらは…

  • マインドコントロールと上手くダマしてほしいと思う人の心理

    コロナ禍以前はまだ「マインドコントロールってのは、社会的には相当イレギュラーな出来事なのかなぁ」と感じていました。 特殊なカルト教団等の中でだけ行われていて、一般社会では中々見られない事象であると… でも、コロナ禍後に起こったことを見ていると、「マインドコントロールというのは、我々のすぐ側にある『ごくありふれた出来事』なんだ」と改めて深く感じるようになったのです。 昨今は現実社会そのモノが、映画マトリックスの『AIに眠らされるている世界』とあまり変わらないようにお見受けします。 これまで『掛け値なしのリアル』だと信じていた世界が「実はマインドコントロールによって作られた仮想の精神世界なんじゃな…

  • この世は『魂ありきの世界』である

    人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂ある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 魂は「やるべきこと」があるからわざわざこの世界にやって来ます。それが所謂『輪廻転生』することの大きな理由です。 所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏、、、」みたいな世界だと思うのです。どういうことかというと「ある一定時間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界」ということです。 その宿題に対して、夏休み(生きている)の間どういうやり方をするかはそれぞれの自由に任されています。ただ、休みが終わった (亡くなった) 後に必ず提出しなくちゃなりません。 この世は…

  • チカラ比べはできるだけしない方がいい

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても、何処まで行っても、上には上がいるからです。よって、いつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』をひたすら求め続けるしか手はありません。チカラ比べを続ける限り、自分をねじ伏せられるほど強大な存在と出会う可能性が常に存在しているからです。一方的にねじ伏せられないにしろ、相手がいる限りはいつも一方的な『やりたい放題』が出来るとは限りません。『逆襲に遭ってダメージ負う可能性』もまた常に存在しているのです。 なので、チカラ比べを長く続ければ続…

  • 自己洗脳もほどほどにしないと心のバランスが分からなくなる

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね? 「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。 でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている!」という順番で捉えているということになります。 貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思…

  • いくら唯物論的思考をしても『因果のツケ』からは逃れられない

    別に若年層の人々が老年層の人間を批判すること自体に問題があるとは思いません。 今の世の中を作ったのは、良くも悪くも「長く生きてる側の人間」なのですから。 ただ、その批判の多くが老年層の『やり逃げ』を糾弾するっていう『カタチ』であるところには引っかかるのです。 「自分らは好き放題やって良い目を見たまま、この世とオサラバ出来て良いよな💢」的な想いを吐露する人も少なくありません。 「死んだら全部お終い! どんな狡いことをやっても逃げ切れる」っていう唯物論的思考が老年層・若年層問わず心の根底に染み込んでいるような気がします。 それが老年層の「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って在り方に対する若年層の強…

  • 神社仏閣だからといってカミサマだけが居るわけではない

    世の中には「神社仏閣にはカミサマが居るのだから悪いモノなど近付かない!」とか思っている人もいらっしゃるかも知れません。 ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じてる人が多数派のような気がします。 でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。 玉石混淆ってのは、清らかなモノもいれば穢れたモノもいるということです。 特に大きな神社とかは本殿とは別に、小さな社を敷地の中にいくつも祀ってたりします。 それらのすべてが良いモノかどうかの保証はハッキリ言ってありません。 それに、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることもあったり…

  • チカラってのは『使いようによっては役に立つ劇薬みたいなモノ』です

    スピリチュアルな世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが大勢いらっしゃいます。 本当かどうかはともかくとして、神だ天使だ宇宙人だってモノにね… ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎません。しかも、取り込まれたらやがて『自分』って存在が溶けて無くなっていくのです。借りているチカラが強いほど取り込まれる可能性は高くなります。 それは、眼に見えないチカラとは限りません。権力とか金の力とか、『現実的なチカラ』であっても同じことです。チカラが強ければ強いほどそれに取り込まれて同化してしまうことは少なくありません。 例えば下っ端の時はみんなの顔色を窺っていつも愛想を振りまい…

  • 無知な者ほど辻褄を安易に合わせたがる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩になります。 逆に、何でも知ってるつもりになればなるほど想像力は失われていきます。 想像力は無知の知によって養われるからです。 慮るチカラが弱いというのは、心の視野が狭いということを意味します。 心の視野の狭さとは人間に本来備わった五感によって感じられ…

  • 再開3回目!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年10月)

    今年5月末に東京でのヒーリングの講習会を再開したしました。 1回目を5月末に開催し、2回目を8月はじめに無事開催することが出来ました。 これまでも電話でのマンツーマンの講習はやってまいりましたが、参加者の方々と直接会ってお話するのはまた違った『気付き』があるものだと改めて多くのことに気づかされたのです。 講習会についての参考資料 ヒーリング講習会のご感想をいただきました! : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その2) : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その3) 相変わらずの三歩進んで二歩下がるような状態で…

  • この世ではすべてなるようになるし、なるべくしてなる

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば相応の結果が無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、『因果応報』というものはこの世の全てに遍く存在します。 ここでいう『因果応報』とは、原因と結果は常に相応するという意味です。 だから、『因果応報』というのは宗教やスピリチュアルの専売特許ではないのです。 どこにでも当たり前にある自然の法則です。それでも、『因果応報』というものは誰にでも分かりやすく納得出来るようなカタチで何時もやって来るとは限りません。 原因と結果の関係性が一人の人間の理解出来る範疇をはみ出さないとは限らな…

  • マインドコントロールされている世界とされていない世界

    世間一般の感覚では、「自分の外側から権威ある知識をたくさん吸収し、自分の頭で取捨選択して、その上で物事を判断するのがベターだ」と思われています。 ただ、今の世界に溢れているマヤカシの数々を見破るためにはその方法だけでは正直難しくなっています。 逆に出来合いの知識に頼りすぎれば、マヤカシの迷路にハマり込んで出られなくなってしまう可能性が高いのではないでしょうか? いまの世の中、自分の外側から来る知識や権威に過度に囚われることは危険です。 「自分の身は自分で守るしかない」という言葉の意味が、改めて強く万人に問われる時代となっています。 『自分』を守るためには、むやみに理論武装するよりも、ごく普通の…

  • 根性論と「病気は『なるモノ』である」って話

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力さえ充実さえしていれば、よっぽどのことがない限り大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 この根性論の仲間に「問題ってのはみ〜んな自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これは「いつでもどこでも『自分』さえしっかりコントロール出来れば、大抵の物事は解決するのだ!」という前提に立った考え方です。 私の言葉でいうところの『操れる系』ってヤツです。 操れる系ってのが何かというと「世の中の大部分は個人が実践で培った知識や能力によって…

  • 『世のため人のため』は「情けは人の為ならず」に繋がっている

    『世のため人のため』なんてことをいうと脊椎反射的に拒絶反応を起こす方々も少なからずいらっしゃるかもしれません。 「汚れて腐り切ったこの世界で、上っ面のキレイゴトばかり言うな!」とお怒りになる方もいらっしゃいそうです。 でもね、本当にそうでしょうか? 中原中也じゃないけれど「汚れっちまった悲しみ」をガッツリ心に背負っていたら、それをキレイゴトだと簡単に嘲笑うことは出来ないだろうと思うのです。 人間にとって『世のため人のため』ってのは、ポイと捨てていいような事柄ではないのです。 生きとし生けるものはすべて、他のモノの生命を日々喰らうという業を背負って生きているのです。 その業からは何人も逃れること…

  • 特別を手に入れても心の飢えは無くならない

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことを指します。そういう状態になりたいと渇望し、「そういう状態に必ずなれるはずだ!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 何を求めようとその人の自由ですが、『特別』を求めれば求めるほどありふれた日常から心はズレやすくなります。 ありふれた日常から心がズレればズレるほど地に足がつかないファンタジーな世界に嵌まりやすくなるモノです…

  • 「人間は神に選ばれた!」という歪んだ選民思想

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されてきました。「何か身近な得になることを自分にくれるのが神さまだ」という解釈です。人間の欲望と極めて近しい存在として神さまという概…

  • 波動のレベルを上げる方法 (対人篇)

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ、今の自分から見て明るく、軽く、穏やかで温かく感じられる人・物・場所と可能な限り交流を深められるようにと心がけていくといいでしょう。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避ければいいのです。 或いは何時も穏やかで温かくあろうと心掛けて、荒々しく冷たい態度は極力取ら…

  • 乱世では『無知の知』がより一層大切になる

    この世は、色んな意味でマヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは、裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場でもあります。 ある程度もっともらしくなければ、誰もマヤカシに騙されないからです。 世界に溢れるマヤカシにヤラレずに済む保証は誰にもありません。ていうか1ミリたりともマヤカシにヤラレない人間なんて古今東西1人も存在しないのです。 そんな海千山千のこの世で、出来るだけマヤカシにヤラレずに生きるために一番簡単な方法はこれです↓「知らないことは知らない」って当たり前に言える『素直さ』をずっと忘れないことです。一言でいえば無知の知を失わないことです。ただ、それって「言うは易し行うは難し」…

  • 日常に潜むマインドコントロールの手口

    マインドコントロールとは、強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導または強制する技術、またその行為のこと 手順としてはまず相手の心を揺さぶって、不安や恐怖を増幅させていきます。 不安や恐怖が増大すれば増大するほど、心は不安定になり、まともな判断力を失います。 そうやって判断力を失った状態を作り出した後、心を自分たちの望む形に強力に誘導していくのがマインドコントロールの手口です。 だから、マインドコントロールってのは常に心の弱い者をターゲットにしようとします。 心強い人間をわざわざ弱らすよりその方が手っ取り早いからです。 元から弱っている者の心をより弱く…

  • 盛者必衰と生者必滅はこの世のコトワリである

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 逆にいえばずっと動き続けることで活性を保っています。 マグロなどの回遊魚が速く泳ぐことで新鮮な空気を常に取り込んでいるようにね。 ただ、動き続ければそれに伴って劣化していきます。 その劣化を人間に当てはめれば、老化という言葉になります。 当然ながら生き物には命に限りがあります。 生まれたものには遅かれ早かれ必ず死がやって来るのです。 死が逃れられないものなら、劣化することからも逃れられないということです。 生きていく限りどこかで劣化と折り合いをつけることが必要になります。 どんなエネルギーも何ら…

  • 「ムダを省いいたつもりで必要なモノまで無くす」という話

    ムダを省くってことは、当然悪いことじゃありません。 ただ、「何がムダで、何がムダじゃないか」ってことを俯瞰的に捉えるのは、人間にとっては相当に難易度の高い問題です。 ほとんどの人はムダを局所的な存在としてしか理解していないし、理解しようともしていないからです。 人間万事塞翁が馬って故事があります。幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。 その諺をムダに置き換えると、ムダだと思ってたモノがやがて見直されたり、有用だと思ってたモノが時代遅れのガラクタに成り果てたりもするってことです。 次に効率主義に置き換えると、短期的に見れば『合理的』かも知れないですが、それがいつ…

  • 基本石にスピリチュアルなチカラは無い

    スピリチュアルな人々の多くがお好きなモノに所謂『パワーストーン』ってのがあります。 所謂『パワーストーン』に価値を見出すのは「特定の鉱物には他の物質にはない特別で強力な眼に見えないチカラが宿っているに違いない」という考え方が根底にあるのでしょう。 ただ、生物と無生物ではエネルギーの強さも量も全然違うのです。無生物のエネルギーは生物のエネルギーに比べて圧倒的に微弱です。良いとか悪いとか以前にエネルギーの強さが圧倒的に違うのです。 例えば人間の想念エネルギーの値を仮に100とした場合所謂パワーストーンと呼ばれる鉱物の値は1.0~2.0くらいです。生き物と生き物でない物の『エネルギーの強さ』にはそれ…

  • 正しい!の比べっこと善悪に陶酔する心

    100人の人間がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 誰しも自分の思考を通して「正しい!」を認識するからです。 すなわち純粋に客観的な「正しい!」なんて何処にも存在し得ないのです。 少なくとも人間の世界においてはね… 人間は誰しも『自分』というフィルターを通さなければ「正しい!」を判断出来ません。 そして、その『自分』っていうモノは条件次第でコロコロ移り変わります。 人間の「正しい!」ってのは秋の日の夕陽のように儚いモノなのです。 そんな儚いモノを絶対的だと勘違いしてしまえば、人の心は迷妄の闇に沈みます。 そして、時にその迷妄を『善』と名付けたりもするのです。 そもそも善悪という概念は…

  • 唯物論的思考とルール至上主義

    生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。 そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。 魂→肉体→心という順番に人間という者は出来上がっていきます。 所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されていくのです。 肉体と心と魂の繋がりってのは、結局「最初に魂ありき」であり、最後もまた魂ありきです。 でも、この「魂から始まり、魂で終わる」ってことについて、本当に分かっている人というのは多くありません。 それはなぜかというと、魂ってモノを虚構あるいは寓話のようなモノとして捉える唯物論的思考が世の中の主流になっているからです…

  • 『ありのまま』という名の楽園はない

    世の中には「ありのままの自分がベスト!」みたいなことをおっしゃる方々がちょくちょくいらっしゃいます。 「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。 でも、『ありのままの自分』の自分って結局何なんでしょうかね? 個人的には、『ありのままの自分』ってのは中身のない良さげなニュアンスだけをほんのり与えられた言葉に過ぎないと感じます。 どんな人の心にもブリリアントカットのダイヤモンドのように様々な側面があり、それぞれの側面が、時には和合し時には離反しながら、複雑な心模様を見せるモノです。 ならば、ありのままってのも一つや二つではなく、すぐ…

  • 理屈としての正しさと人としての在り方

    世の中には知識をたくさん持っているという人がいます。 確かに知らないより知ってた方が良いことは多いだろうとは思います。 ただ、知識量ばかりを追い求めていくと落とし穴にハマることがあります。心の暗黒面に通じる落とし穴です。 その落とし穴は「自分は何でもよく知っているぜ!」という驕りが作り出すブラックホールのようなモノです。 言い換えればそれは 「理はあるけど情がない」状態になっていくということです。 そうなってしまったなら「私の言ってる事は(論理的に)正しいでしょう?! それの何が悪いの?」 という感覚になります。 いわば(理屈としての)『 正しいこと』至上主義になるのです。 現実には、理があっ…

  • 世界はタダシ書きの『フィクション』で溢れています

    眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。 なので、言いたい放題になりがちです。 だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。 私にとっては但し書きってのがその一つのバロメーターになります。 『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。 タダシ書きってのは往々にしてダブルスタンダードの隠れ蓑として使われます。 ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」みたいな矛盾した考え方のことです。 このダブルスタンダードの大きな問題としては…

  • 競争という蠱毒の壺

    個人的には「何事にも競争原理が付いて回る」という進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね… そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」って在り方は異端ではないかと思うのです。 ここでいう異端ってのは、この世界の在り方としては当たり前ではないってことです。 そもそも競争って概念は人間が人間のために作った考え方に過ぎません。例えばナマケモノみたいな生き物が地球に生息しているのは、人間が勝手に考える競争原理とはまた違うそれ相応の『大きな理由』があってこの地球上に存在しているのでしょう。 ナマケモノが生物的進化の競争における勝者であるとか言われても、ピンとこないで…

  • マインドコントロールだらけの時代に「自分が自分で在り続けること」

    コロナ禍以前はまだ「マインドコントロールってのは、社会的には相当イレギュラーな出来事なのかなぁ」と感じていました。 特殊なカルト教団等の中でだけ行われていて、一般社会では中々見られない事象であると…でも、コロナ禍後に起こったことを見ていると、「マインドコントロールというのは、我々のすぐ側にある『ごくありふれた出来事』なんだ」と改めて深く感じるようになったのです。 世間一般の感覚では、「自分の外側から権威ある知識をたくさん吸収し、自分の頭で取捨選択して、その上で物事を判断するのがベターだ」と思われています。 ただ、今の世界に溢れているマヤカシの数々を見破るためにはその方法だけでは正直難しくなって…

  • 世界は『未知』と『不思議』で溢れている

    ヒーリングなどしておりますと様々な『不思議』と出会います。 ただ、不思議なことに出会っても「まぁ、そんなこともあるかもな」くらいに出来るだけ緩く捉えるようにしています。 その「そんなこと」の中には、一般常識からたら相当ぶっ飛んだ出来事もあったりもします。 ガチガチの唯物論者であれば、ちょっと聞いただけで「バカバカしい💢」とすぐに否定しそうな内容です。 その内容については、このブログにもあまり濃くならないようにサラッと書いてきました。 まぁ、何処までが自然に起こったことで何処までが超自然的なナニカなのかは分かりません。 そういうことについての科学的証明などにはあまり興味がないのです。 でも、そう…

  • 根性論とメンタルヘルス

    このブログではこれまで『根性論』というものについてたびたび述べてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていれば、よっぽどのことがない限り大抵のことは気力と意志で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは『自分』で作っているだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。『全ては気持ちの持ちよう論』とは「自分の心さえちゃんとコントロールできていれば、大体のことは解決出来て当たり前!」みたいな考え方のことです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「自分の心さえちゃんと…

  • 進歩とは試行錯誤の結果である

    『完璧な叡智』なんてモノはこの世にはありません。 この世というか、人間の世界にはね! 「思いつく→実験する→多分そうだろうな」って感じで何となく物事を知る以外、人間には手はないのです。そうやって少しずつ少しずつ進んでいくのが所謂進歩ってモノでしょう。 進歩ってのは、あっちでぶつかり、こっちで躓きながら、その結果何かを少しずつ掴むが出来るようになることだと思います。簡単にいえば、「試行錯誤のその先に進歩はある」ってことです。そもそも人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるよう…

  • 人は波動のレベルが下がるほど暴力的になる

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動的に人を見る場合その人の『荒々しさ』を主に観ることが多いです。経験上それが一番波動のレベルが現れやすい部分だと感じているからです。 以前スピリチュアルなブログで「(悪霊を)跡形もなく消し去る!」みたいなことをおっしゃっている方をお見かけしました。正直「非常に荒々しいな」と感じたのです。 「霊的に存在そのものを消し去る」なんてことがそんなに簡単に出来るのかどうかは分かりませ…

  • 不安と恐怖にむやみに煽られないようにすることが大切です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 生あるものにとって不変とは澱むことに他なりません。 ある一ヶ所に踏みとどまることは劣化を意味します。 つまりは止まらずに進んでいくしか手はないわけです。 生き続けるにはそれしか道はありません。 けれど、進めば進むほどブレやらズレやらユガミやらは次から次へと出てきます。 それはどうにも避けては通れない道なのです。 で、ブレやらズレやら…

  • 時の波動と白黒がハッキリする時代

    時間の流れは単に気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 同じ9月でも去年と今年は当然気候は違うし、眼に見えないエネルギーの流れも違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間に常に有形無形の影を与えています。 人間は常に『時の波動』というエネルギーの影響を受けています。 まあ、それは人間だけではなく『自然』そのものも影響を受けているんでしょうがね… その現象を言い換えるなら、時の流れとともに起こるエネルギー的な『場の変化』ということになるでしょう。 このエネルギー的な『場の変化』は繰り返し起こっていますが、どういう変化と…

  • 憑かれている人に現れやすい特徴

    古今東西この世には眼に見えない存在に繋がりたいって願望のある人が少なくありません。 その結果、随分良からぬモノと縁を結んでしまう人も少なからずいらっしゃいます。 そういう良からぬモノに憑かれている人の見分け方についてご参考になりそうなことを述べてみようと思います。 まあ、経験に基づく人間観察の一つの意見程度に捉えていただければ幸いです。 ここでいう見分け方ってのは、例えていえば魚の目利きみたいなモノです。 目利きというモノには、判断の礎となる『経験値』と体験に基づく『勘』が必要です。 まず『経験値』の積み重ねが知見を生み出します。 知見とは、物事を実際に見て知ることで得られた知識や情報、または…

  • 新時代と今ここにあるマインドコントロール

    1995年3月オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、その後マインドコントロールというモノが盛んにメディアを賑わすことにありました。 ただ、その当時はもちろん、その後も長きに渡って、マインドコントロールなんてモノはずっと遠い世界の物語であると思っていたのです。しかし、実際はマインドコントロールという手段は別に洗脳カルトみたいな特殊な集団が信者獲得のために使用するモノではありません。 気付いてないだけで、それに近いような手段は、誰でも普通に会社や地域社会の中で遭遇していたりします。 コロナ禍以前はまだ「マインドコントロールってのは、社会的には相当イレギュラーな出来事なのかなぁ」と感じていまし…

  • 他人のエネルギーをいくら奪ってもこの世のコトワリからは逃れられない

    「エナジーバンパイアとは、意識するしないに関わらず、他者からエネルギーを吸い取り盗んでいく人の事を指す」ということらしいです。 この場合吸い取られるモノは、他人の生命エネルギーのことなのでしょう。 しかし、大抵は意図的にではなく、無意識にそういう状態になっているのではないかと推測します。 仮にそういうことができるとして、しょっちゅう誰からかエネルギーを吸い取ることはかり考えているとしたら、大分精神を病んでいるとしか思えないからです。 生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。 分かりやすい例で言えば呼吸です。 吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。 でも、…

  • 人の作った神という設定と大きなエネルギー的な調和

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 人間と極めて近しい超自然的な存在に神さまという名前を与えられています。神という名前を与えてきたのは古今東西の人間たちです。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノには神さまという名前を付けよう!」って概念を作ったのも人間です。もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」…

  • 良い縁を得たければ波動のレベルを高めることです

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを高くするためには『今の自分』から観て、出来るだけ「フワッと軽くてスカッと明るく穏やかで温かい」と感じる人・物・場所を選んで親しむようにしけばいいのです。 なぜなら、波動のレベルの変化には、その人の周りの『波動的な環境』が、重要な役割を果たすからです。 とはいえ波動のレベルの高い人・物・場所がどこにでも転がっているわけではありません。 なので次善の策としては、波動…

  • ジブンガーZと波動のレベル

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 親近感を持つというのは「ウエルカムな心の状態になっていく」ということです。何が怖いって、そのウェルカムな心の状態が一番怖いわけです。何故なら他人からしたら苦痛に感じるような状態でも平気になってしまうからです。 それはつまり、波動のレベルの低いモノに鈍感になるってことです。逆にい…

  • 瞑想と霊能力開発は「混ぜるな!危険」である

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になること。 魔境に入った状態の人は、浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは、地に足がつかず、フワフワした高揚感に心が占拠された状態のことです。 また「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→万能感に支配される」という道筋を辿る人が多い気がします。 例えば瞑想好きな人…

  • チカラに魅入られる人間と素直な心

    この世界には、眼に見えない存在からチカラを借りようとする人々が少なからずいらっしゃいます。 ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないのです。 借りたモノはいつか返さないといけません。 しかも借りたモノには『利子』が憑き物です。 ここでいう『利子』というのは、もちろん人間社会の金利みたいなモノではありません。 「そういうモノからチカラを借りたなら、借りた分以上のナニカを持っていかれる」という意味です。 そうじゃなくても、借りたチカラが強ければ強いほどそれに取り憑かれ、取り込まれるってことはよくあることです。 そういうことは、眼に見えない世界だけではなく、現実社会でも珍しくありませ…

  • 「因果のツケはいつか必ず回収される」ってこと

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 『原因』という種があってこそ『結果』という花が咲くのです。 ただ、因果応報というと多くの人は、「壁に投げたボールがそのまんま真っ直ぐ同じ強さと速さで返ってくる」というようなイメージを持っているんじゃないでしょうか? 「ぎゃー!昨日のバチが今日当たった!」みたいな感じで分かりやすくね! ただ、因果応報というものは誰にでもそんなに分かりやすく納得出来るようなカタチでやって来るとは限りま…

  • 自信の有無を見分ける方法

    いわゆる『自信』について、このブログでは以下のように説明してきました。 改めて要約すると① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には知識と経験値が必要とされる。 逆にいえば知識と経験値が得られれば「自信はつく」とされる。 ② このブログでいうところの『自信』は、そもそも知識と経験値の集積には基づかないモノである。生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無はある程度決定している。 簡単にいえば、親に100%認められて生まれてきた子は最初から『自信』がある。世間的には大抵、自信ってのはすべて①みた…

  • 唯物論的な思考と『格付け』をしたがる人の心

    私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 逆に「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結論などではなく子供の頃からずっと心の奥にあるものなんですよね。 でも、世の中には「とにかく人間は一番偉いんだ!」という思考を土台にして物事を考えてる人が大勢いらっしゃるみたいです。 そういう人の頭の中では人間>動物>植物みたいなピラミッド的構図が出来上がってるんだろうと思うのです。 もちろんどのような思想信条をお持ちになろうとそれぞれの全くの自由です。 「人間は万物の霊長で地球の王様なんだ…

  • 眼に見えないチカラとはむやみに関わらない方がいい

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 より一般的な言葉で言えば『自然霊』というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを意図的にかつ継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 単に物の怪に憑かれた人ではなく、物の怪の波動…

  • 欲望の肥大化と波動のレベルの低い世界

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 この世は元々荒々しく冷たい世界です。お世辞にも波動のレベルの高い世界とは言えません。世界が『地上の楽園』であったことは一度もないし、この先もずっとそうなることはないでしょう。それでも、みんながわざわざこの世にやって来るのは、「ここでは肉体を持つことが可能」だからです。この世における肉体というのは、波動的にみれば非常に受信範囲の広い上にエネルギーを三次元的に転換出来る『受像機』…

  • 今は陰謀もまた露わになる時代

    『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別モノです。 別モノというのは、「認識の在り方が全然違う」って意味です。 「現実に存在するモノを単に事実として認識すること」と「その事実を『あるべき真実』として容認すること」は認識の在り方が違うということです。 当たり前っちゃ当たり前ですが、「有ること=真実」ではありません。 で、上記を踏まえて、『陰謀の存在』と『陰謀を語ること』について以下に述べていきます。 なぜなら、これからはより一層陰謀がむき出しになる時…

  • まったく転けず、どこにもぶつからない人生はない

    人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンと転けながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。 歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないってことです。 人間子どものうちは道で転けたり、どっかから落ちたりよくします。それで身体の何処かを擦りむいたり、切ったり、打ったり傷を付けるのです。 それは身体だけではなく、心も同じです。あっちでぶつかり、こっちで叩かれながら試行錯誤を繰り返して大人になるのです。 で、大人になった…

  • 『情けは人の為ならず』という言葉の波動的な意味

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当強力なチカラを持っていると言えるでしょう。例えば磁気ネックレスが肩こりに与える影響などより何百倍も強烈です。 とはいえ一つ一つの想念エネルギーは誰にでも分かるようなすごい影響を表すことはほとんどありません。想念エネルギーの影響ってのは…

  • 大和魂と人類の未来

    日本人は大切なモノを随分と長い間置き去りにしてきたと思います。 80年前の敗戦より以前、人々はその大切なモノを『大和魂』と呼んでいました。 今も『大和魂』と言えば、戦前という暗黒時代に存在した日本人の狂気を表現する言葉として扱われることが多い気がします。なので、過去の禍々しい『軍国主義の悪夢』を象徴する言葉としてネガティブに捉えている方も少なくないのではないでしょうか?ただ、本居宣長の歌にも「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」とありますように、元々『大和魂』というのは、血と硝煙の匂いのする『荒事』とは対極にある『たおやかな心』を現した言葉なのです。 そして、大和魂とは波動的に見ればそれ…

  • 「健康にコダワリすぎるとかえって健康を失う」ということ

    「健康にコダワりすぎるとそのうち『健康』を失う」ということを、何度かこのブログに書いてきました。 なぜかといえば、心と肉体と魂がバランス良く在る状態が『健康』だからです。 コダワリは心のバランスを崩します。 健康にコダワリすぎると『心と肉体と魂の調和』が失われるのです。 健康にコダワリすぎると西洋医学的な意味の病気になること、或いは病気にならないことに過度にコダワってしまいます。 その結果、例えば山ほどサプリメントを飲んだり、極端な健康法を盛んに実践しようとしたりするようになるのです。 それこそが『心と肉体と魂の調和が失われた状態』です。 健康にコダワリすぎる人の心の底に「病気という『自然』を…

  • 『裸の王様』の時代と「心には置き所はない」という話

    敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり。我太刀に心を置けば我太刀に心を取らるゝなり。我切らじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるゝなり。兎角心の置き所はないと言ふ。 沢庵宗彭 『不動智神妙録』より 沢庵宗彭とは江戸時代初期、将軍家兵法指南役である柳生宗矩と親交のあった『沢庵漬け』で有名な沢庵和尚のことです。 彼は「剣禅一如」ということを説いていました。 以上の話を独断と偏見でまとめると「元々何処にも置き場の無いモノを何処かに置こうとすれば不自然になります。不自然なことをやり続ければ遅かれ早かれ不自由に…

  • 光を見たければ闇も見よ

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動は自然に存在するモノです。 自然には端から善も悪もありません。 例えば高気圧や低気圧のことを善気圧・悪気圧なんて言う人はいません。 晴れや雨は善でも悪でもないからです。 気圧に高低があるように波動にもレベルの高低はあります。 もちろんそれにも善悪はないのです。 人間にとっての『善悪』は確かにあります。 しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」の基準なのです。 善だ悪だといったって、『普遍的な基準』として存在しているわけではありません。 「どんな善悪も個々の人間の価値観という手垢にまみれている」ってことです。 コ…

  • 今は『エネルギー的な影響を受けやすい時代』である

    まだ整体を習っていた頃「腕の良い整体師ほどあまり長生き出来ない。何故ならそれだけ多くのお客さんからたくさんの『良からぬモノ』を受けてしまうからだ」という風な話を聞いたことがありました。 今から考えればその『良からぬモノ』とは波動のレベルの低いあれやこれやのエネルギーのことだったのでしょう。それを他人と身体的な接触することでもらってしまうのが所謂『受ける』ということです。 ただ、ここでいう『受ける』というのは、「ダメージを受ける」という悪い意味だけではなく、『身体的な接触によるエネルギー的な影響』全般を指します。 身体的な接触が多ければ多いほど、『良くも悪くも』エネルギー的な交流は増幅しやすいっ…

  • 諸行無常のコトワリと不確実性の世界

    この世はどう転んだところで『不確実性の世界』です。 それは、「『絶対的な確実さ』というようなモノは、過去・現在・未来のどこにも無い」という意味です。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定を突き詰めると最終的にはファンタジーな世界に迷い込みます。 本当の世界には絶対的な安定など存在しないからです。 物事は不すべて確実に出来ているので安定はいつも『つかの間の夢』です。 平家物語風に言えば、すべての事象は『諸行無常』ってことです。 諸行無常というコトワリに目をつぶること…

  • マヤカシだらけの世界と化かされる『人の心』

    この世の中はマヤカシだらけの世界です。 マヤカシにやられない保証は、どこの誰にもありません。それどころかやたらとマヤカシに引っかかりまくるのが『人間』という生き物です。 古今東西死ぬまで一度もマヤカシに引っかからない人間はいないでしょう…一生に一度もウソをつかない人の数くらいにはね。マヤカシにやられまくり、痛い想いをして、少しだけ『大人』になるのです。そして、その分『疑り深い賢さ』ってヤツを手に入れたりもします。 で、ここでいうマヤカシというのは個人のつく『ウソ』や社会に仕掛けられている『デマ』もざっくりと含んでいます。あと、眼に見えない世界の『化かし』とかも。それもこれも全部引っくるめてのマ…

  • 心のアクセルとブレーキはどこまで行っても二つで一つです

    自動車には必ずアクセルとブレーキが付いています。 だからこそ自由に動いたり止まったり出来るのです。 ブレーキとアクセルは、二つで一つのセットです。 どちらか一つだけだとクルマはちゃんと動けません。 二つを切り離したら、用を為さなくなるということです。 人の心でいえばアクセルはポジティブ、ブレーキはネガティヴに例えられるでしょう。 もっと砕いていえば、アクセルは前に向かって行く心、ブレーキは現状維持したい気持ちみたいな感じです。 そもそも心は無意識にブレーキがかかるような仕組みがついています。 それは、危険を回避するためです。 人の心は前向きに進もうとすればするほど防御が薄くなります。 ブレーキ…

  • 『マトリックス』みたいな世界とすぐそばにあるマインドコントロール

    コロナ禍以前はまだ「マインドコントロールってのは、社会的には相当イレギュラーな出来事なのかなぁ」と感じていました。 特殊なカルト教団等の中でだけ行われていて、一般社会では中々見られない事象であると…でも、コロナ禍後に起こったことを見ていると、「マインドコントロールというのは、我々のすぐ側にある『ごくありふれた出来事』なんだ」と改めて深く感じるようになったのです。 世間一般の感覚では、「自分の外側から権威ある知識をたくさん吸収し、自分の頭で取捨選択して、その上で物事を判断するのがベターだ」と思われています。 基本それは間違っていません。ただ、今の世界に溢れているマヤカシの数々を見破るためにはその…

  • 自然における人間の大きさと選民思想

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体、傲岸不遜であろうと感じます。 それって、不自然で『無理』があるのです。 その『無理』も一過性のモノではなく、元々『無理』だって話です。 人間は自然という大きな容れ物の中に入っているゾウリムシみたいなモノです。 大きな自然の中に植物がいて、動物がいて、動物のほんの一部が人間です。 自然にとっては人間が『特別』な存在であったことはないし、これからも『特別』な存在になることはないでしょう。 自然を支配したがる人ってのは根っこの部分に「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観があるからだと思うのです。 先立ってそういう…

  • ダブルスタンダードと理不尽で不条理なこの世界

    誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。 私にとっては但し書きってのが一つのバロメーターになります。 『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。 タダシ書きってのは往々にしてダブルスタンダードの隠れ蓑として使われます。 ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。 このダブルスタンダードの大きな問題としてはそれにハマっている人の多くが自分がダブルスタンダードだとは思ってないというところです。 「自分は何時も真…

  • 『言霊』私観

    例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。 しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば、それによって何らかのチカラが生まれるのです。そういう『仕組み』を昔の人は言霊と言ったのかもしれません。 言霊(ことだま)とは、古代日本において言葉に宿ると信じられていた霊的な力のこと。言葉には霊力があり、発した言葉通りの結果が表れると考えられていた。良い言葉を発すれば良いことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起こると。 発するとは、声にするにしても、文字にするにしても、意志がカタチになることだろうと思います。で、もう少し突…

  • 場の波動が人に与える影響について

    世の中にはエネルギー的なことに敏感な人は案外少なくないと思います。 とはいえ全体的に見ればそういうことに鈍感というか、感じようとしない人の方が大多数でしょう。ただ、そういう鈍感な人であっても眼に見えないエネルギーの影響をまったく受けていないわけではありません。影響を受ける時は誰でも受けるのです。病気のもとになるウイルスとかを知らぬ間にどこかから『お持ち帰り』してしまうようにね。で、眼に見えないエネルギーを『お持ち帰り』しやすい場所として一番ポピュラーなのが、人が多い場所です。そういう場所には様々なエネルギーが集まってきているからです。例えば大きな街にあるターミナル駅だとか、巨大なショッピングモ…

  • 競争社会と人類のガラパゴス化

    「この世界は競争社会である」と多くの人々が信じているようにお見受けします。 人類はもちろんすべての生き物は進化と呼ばれる競争の中にあると考えられているのです。でもね、本質的な核心の部分って本当にそうなっているんですかねぇ?現今の人間社会の常識で考えるならば、「競争を勝ち抜く強さを持つべきだ』ってのが正しい『答え』なのかもしれません。しかし、個人的にはそこに「拭いがたい違和感」ってのがあるんですよねぇ…進化論的な価値観に基づく競争原理ってヤツに馴染めないココロが自分の中にあるのです。そもそも「競争から進化が生まれる」って考えは本当なんですかね?何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのがこの世…

  • 理不尽で不条理な世界に『絶対的正解』はない

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて何度も書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば、すべては解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「や…

  • 所謂マインドコントロールとことさら不安を煽ってくる時代

    1995年3月オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、その後マインドコントロールというモノが盛んにメディアを賑わすことにありました。 ただ、その当時はもちろん、その後も長きに渡って、マインドコントロールなんてモノは個人的には遠い世界の物語だったのです。しかし、実際はマインドコントロールという手段は別に洗脳カルトみたいな特殊な集団が信者獲得のために使用するモノではありません。 気付いてないだけで、それに近いような手段は、誰でも普通に会社や地域社会の中で遭遇していたりします。それでも、コロナ禍以前はまだ「マインドコントロールってのは、社会的には割りとイレギュラーな出来事なのかなぁ」と感じていま…

  • 今という乱世と人を人たらしめる大和魂

    今の世は乱世です。 それは目に見えている現実社会はもちろんのこと眼に見えない世界においても同じかと思います。 なので、現在世界中には、とてつもない数の波動エネルギーが飛び交っています。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど、その種類も多種多様です。 また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。 ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 それらのエネルギーは人に直接憑いているモノもいれば、特定の場所や物に地縛霊のように憑いているモノもあります。 …

  • 心の円満度と荒々しい言葉が持て囃される時代

    どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさがあります。 それを神道的な言葉で言えば、『荒御魂』と『和御魂』になるでしょう。荒々しさの火を灯せば、とりあえずすぐに『負けん気』を得られます。例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことで、へこたれずに済んだみたいな話は結構あります。 だから、荒々しさが与えてくれる『負けん気』に魅せられる人は数多くいるのです。荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促します。 でも、荒々しさを生きるための推進力としてずっと使い続けていれば、心は歪んでいきます。元々あった穏やかさがすり減って、その分荒々しさが心を支配する…

  • 正しいの比べっこはなりふり構わぬ自己正当化を促進する

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やって…

  • 植物を単なる物のように扱うといつかそのしっぺ返しをくらう

    当たり前ですが、植物も生き物です。 石ころではないんですよね。 心もあれば魂もあります。 人間の持っている心や魂とは大分趣が違うものですけどね。 「心がある」というのは植物が石ころみたいに何にも感じないわけではないということです。 「魂がある」というのは、無生物のようにエネルギー的に中身がガランドウではないということです。 なので、植物にも個性があります。 それぞれに気性の違いもあります。 同じ種類だからといってコピーされた文書みたいに瓜二つではないのです。 この「植物には個性がある」ってことを認識してる人は随分少数派なような気がします。 多くの人々にとっては植物はどれも『似たような物』にしか…

  • 因果応報は世界に遍く存在する

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば相応の結果が無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、『因果応報』というものはこの世の全てに遍く存在します。 ここでいう『因果応報』とは、原因と結果は常に相応するという意味です。だから、『因果応報』というのは宗教やスピリチュアルの専売特許ではないのです。どこにでも当たり前にある自然の法則です。それでも、「神さま絡みのことは普通の因果応報に縛られない」みたいなことをおっしゃる方がたまにいらっしゃいます。 「因果律を超越する出来事だってきっとあるのだ!」てな理屈です。 確かに『因…

  • チカラに魅入られると波動のレベルは落ちる

    スピリチュアルな世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが大勢いらっしゃいます。 本当かどうかはともかくとして、神だ天使だ宇宙人だってモノにね…ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないんですよね。しかも、取り込まれたら最後『自分』って存在が溶けて無くなるかもしれません…強いチカラほど取り込まれる可能性は高くなります。それは何も眼に見えないチカラとは限りませんけどね…権力とか金の力とか、『現実的なチカラ』であってもそれは同じことです。そのチカラが強ければ強いほど取り憑かれ、取り込まれやすくなります。下っ端の時は卑屈なほどぺこぺこして人の顔色を窺ってたのに、役職が付い…

  • 心の視野の狭さとダブルスタンダード

    ここでいう『心の視野の狭さ』とは「自分を相対化して見られなくなった状態の事」です。 じゃあ、なぜ自分を相対化出来なくなるのかというと『自分だけを別枠にして考えるクセ』が付いてしまってるからです。 太っている人が「デザートを別枠!」とかしたがるようにね… 「自分はいつも正しい!」というコダワリが心の視野の狭さを助長しているのだと思います。 「自分がいつも正しい!」というコダワリに取り憑かれると思考が必ずダブルスタンダードになるからです。 ここでいうダブルスタンダードとは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な精神的矛盾のことです。 このダブルスタンダードの…

  • 世間の常識とコペルニクス的転回

    世間の常識ってヤツは、変わる時は簡単に変わるものです。 昔はごく普通だったことが今の感覚だと「あり得ない」なんてことは少なからずあります。例えばタバコに関してです。1980年前半くらいまでサラリーマンの多くは会社の自分のデスクで当たり前にタバコを吸っていたと記憶しています。当時事務所内での禁煙は今のように当然ではなかったのです。これは会社だけの話ではなく、「喫煙所以外ではタバコを吸ってはいけない!」という風な概念は世間一般になかったと思います。当時は大人の男の大半がタバコを吸ってるのが普通でした。例え自分が吸わなくても、日常生活にタバコのある風景が当たり前だったってことです。 今はタバコを吸う…

  • 「何と繋がるか?」or「何と繋がらないか?」で運命が大きく変わる時代

    森羅万象すべてのものには波動エネルギーがあります。 そして、生きるということは数限りない『出会い』と『選択』の連続で成り立っています。 なので、生まれてから死ぬまで様々な波動エネルギーとの出会いと交流は続いていくのです。 出会いと交流ってのは、一方通行ではなく相互に影響を与え合うことを意味します。この影響を与え合う関係になることを波動的に『繋がる』というのです。波動的に『繋がる』ことは、善でも悪でもありません。ただ、ナニカとあるいは誰かと『繋がる』ことで、ご本人にとって良いことや悪いことが起こるキッカケとなることは少なくありません。スピリチュアルや自己啓発界隈には、繋がることを『いつもポジティ…

  • 世間一般の流れより波動的な感じ方を大事にする意味

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。例えば用事などで行かなくちゃいけない場所があったとします。その場所に行くことによって身体や心に何らかのダメージを受けるなら波動のレベルは当然低いのです。逆に身体や心が楽になるような影響を受けるのなら波動のレベルは高いのです。ダメージを受ける前兆として背中がゾクゾクしたり、急に何かがのしかかってきたみたいに身体が重くなったりってことがあります。或いは心がドヨヨ〜ンとして考えが巡ら…

  • 楽園伝説と『これまでの時代』の終焉

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、この楽園の話には「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という設定がベーシックに組み込まれているのです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末も同時に用意されています。「自業自得で人間は楽園を失ったんだよ」というバッドエンドがです。このお話が事実なら「この世は一度楽園だった」…

  • いわゆるお盆と『時の波動』の大変動

    エネルギー的に見たお盆というのは年中行事としてのお盆とは時期が同じじゃありません。 時期だけじゃなく、別種の存在として捉えた方がいいでしょう。 そういう意味ではそもそもエネルギー的に見たお盆っていう言い方もおかしいのかもしれませんが… その現象を正確にいうとすれば、毎年8月あたりに起こるエネルギー的な変化の総称と言えるでしょう。 このエネルギー的な変化は毎年のように起こりますが、その時期や長さなどはその年によってそれぞれ違います。 というか一度たりとも同じことであったことはないのです。 自然には似たようなことは起こってもまったく同じことが起こらないように… ただ、一つ言えるのはその時期の空気感…

  • 魂が腐ると本性がむき出しになる

    「魂が腐る」ということについてこれまでこのブログで何度か言及してきました。 ここでいう「魂が腐る」というのは何らかの理由で元々みっちり詰まっているはずの魂の中身がスカスカになることです。 心のスキマが広がってガバガバになり、そのうち魂そのものがスカスカになるのてす。 魂が腐ると人間らしい心が段々と溶けていくわうにお見受けします。 分かりやすく言えばサイコパスみたいな感じになるのです。(注 サイコパスの人がみんな魂が腐ってるという意味ではありません) 「良くない意味で心が『人間離れ』していく」って意味です。 で、その状態をエネルギー的な角度から見るならば色んなモノに憑かれやすい状態であると言える…

  • 御利益と祟りと所謂カミサマ

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているのです。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。 では、神…

  • 魔女狩りという正義の執行

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。 じゃあ…

  • すべてが露骨になった世界とそのことが分からない人々

    世の中のすべてのモノは動き続けることで必然的に劣化していきます。 しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。では、バランスを取るのをやめてしまったらどうなるでしょう?当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感覚が狂ってしまいます。そうなると当然『バランスのとれた心の位置』というものが分からなくなっていくのです。それどころか心の位置が極端に偏ってしまっても「自分はど真ん中にいる!」と感じるようになったりします。そういう心の状態が長く続けば続くほど波動的な意味で魂は腐っていくでしょう。 ここでいう『腐る』とは何らかの理…

  • 唯物論的なモノの見方に染まるとその人に見える世界は収縮する

    ここでいう唯物論的なモノの見方ってのは、「自分が見たり聞いたり触れたりして実在を納得できたモノ以外はマヤカシだ!」って考え方のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないし、世間一般の常識でも否定されているからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「経験値と知識に基づくその人独自の見識」ってことになります。 それを簡単に言えば独断と偏見です。 個人的には独断と偏見がすべて悪いとは思っていません。 人の意見なんてモノは突き詰めればすべて独断と偏見だからです。 じゃ、何が問題か?といえば、独断と偏見を唯一無二の真理のよ…

  • いわゆる効率主義と「人間というムダ」

    ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを、個人的に『インスタント』と呼んでいます。ここでいう『インスタント』とは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という在り方のことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな考え方のことです。何よりも『手っ取り早くて分かりやすいこと』を優先させるので…

  • 想念エネルギーは長く残存し続けるモノである

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続ける装置のようなモノです。 なので、一人分のエネルギーだけでも膨大な量になります。 発生した想念エネルギーは相当長い時間この世に残り続けるからです。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 先ほども申し上げたように発生した想念エネルギーというのは中々無くなりません。 なので、日々量産される自分自身に向けたネガティブなエネルギ…

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