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ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
ブログURL
https://orion12.hatenablog.com/
ブログ紹介文
クリアー整体ヒーリングという名のヒーリングを行っおります。
更新頻度(1年)

274回 / 245日(平均7.8回/週)

ブログ村参加:2020/05/22

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ハンドル名
orion12さん
ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
更新頻度
274回 / 245日(平均7.8回/週)
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『クリアー整体ヒーリング』です

orion12さんの新着記事

1件〜30件

  • 心のリミッターと火事場のバカヂカラ

    苦しいことを苦しくない、嫌なことを嫌じゃないと自分自身に感じさせることでネガティヴな状況を緩和しようとする自律的な機能が人間には標準装備されています。 いわば『火事場のバカヂカラ』的な機能です。 この機能は何かとんでもない緊急事態に心が遭遇した時などにはリミッターを一時的に外します。 人生にはノーマルな心の反応だけではとても乗り切れない場面も少なからずありますので。 そうすると普通では出せないようなチカラが出せるようになります。 リミッターによって制限されてた以上のチカラが身体にも心にも出るってことです。 それで、苦境を脱することが出来たりもします。 しかし、非常時には有難いリミッターを外す機…

  • 霊能力開発と宗教的儀式

    世の中には「宗教的な風俗習慣を行うこと≒見えないチカラの発現」みたいに捉えてる方がいらっしゃいます。 特にスピリチュアルな世界にはそういう視点の方々が少なくないようです。 実際にそういった儀式のあれやこれやを眼に見えないチカラを発揮し得るスピリチュアルな手立ての一つとして語られるわけです。 宗教的しきたりや呪術的な儀式に対してそれぞれの立場に応じて信じたい方は信じればいいでしょうし、否定する気はありません。 社会的な潤滑油として、また生ている人間の心の安らぎとして存在しているモノもあるでしょうからね。 しかし、あくまでそれは宗教的な儀式や世俗的な慣習の範囲内でです。 眼に見えないアチラ側の現実…

  • 知るとは何かの荷物を背負うこと (スピリチュアル篇)

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ この前こんなようなことを書きました。 時折ふと「世の中の『表側』だけ見て波動的な意味での『裏側』なんて一生見ず…

  • 先入観がすべて不必要ってわけではありません

    人間は誰しも見たいように世界を見ています。 それは「全ての人には主観がある」ってことです。 主観があるってことは先入観があるということでもあります。 すべての主観はその人の経験値に支えられているからです。 人は誰しも個人的な経験を経てその人独自の考え方を持つに至ります。 しかし、主観があまりに先鋭化すればコダワリになって心に固定されます。 主観が固定されればされるほど心は先入観によって縛られ雁字搦めになってしまうのです。 じゃあ、先入観が全くない方がいいのかといえばそんなこともありません。 なけりゃないで色んな判断がやたらと遅くなって物事が中々進まなくなってしまうからです。 思考の途中を端折れ…

  • チカラ比べばかりしていると他者の『値踏み』が習い性となる

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。 いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。 眼に見えないチカラの話ですがね… よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。 そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。 そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。 常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。 返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血…

  • 親から与えられる波動的な影響について

    世の中の多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか? 現実になって何処までコントロール出来てるかどうかは別に、『構造』としてね… しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る部分っていうのは心全体の半分もあればいい方でしょう。 残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているのです。 影響を受けているというのはやんわりとした表現で実態としては振り回されていると言った方が近い気がします。 何に振り回されているかといえば一番は過去の自分です。 過去の自分とは私の言…

  • 所謂一つの『魔女狩り』の時代

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 ただ、読み返してみると中には今読んでほしいなって思う記事もあるんですよねぇ。 で、2018年4月11日の記事を再掲↓ 目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に…

  • 体験至上主義と「井の中の蛙大海を知らず」ってヤツ

    古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。 もっと簡単に言えば、「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が持っている」ということです。 つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。 別の言い方をすれば人間は元々主観的…

  • 世界の『ウラとオモテ」と時代の流れ

    ここ10年あまり人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風に波動がハッキリと分かれ続けてきました。 その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきたのです。昔ならあったはずのグレーゾーンがまったく無くなってしまいました… 「信じるか信じないかは貴方次第!」という言葉がありましたが、今は信じようと信じまいと様々なことがアラレもなく表側に現れるようになっています。 簡単にいえば本性が隠せない時代になってきたってことです。 以上のようなことをこれまで繰り返し述べてきました。 ピンと来ない方もいらっしゃったかとは思いますが、『百聞は一見に如かず』…

  • 波動的にみる色の話

    ライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 生まれてこの方ファッションなるものに興味を持ったことはほぼ無いと言っても過言ではないでしょう。 「服は着れればいい」って感じで…

  • コダワリは創造力を生み出すが、波動のレベルは低くする

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるといいです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。 ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上…

  • 「操れる系は『兎と亀」のウサギじゃないのか」って話

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 この根性論の仲間に「問題ってのはみ〜んな自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先走ってる感じです。 「自分さえしっかりコントロール出来れば何でも解決するのだ!」という前提が最初にあるのです。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」って感じでしょうか? まあ、私の言葉でいうと所謂…

  • 見えないチカラにすがりつくと大抵ロクなことにならない

    いわゆる現世利益を求めての神頼みをするってことがあります。 眼に見えないモノのチカラを借りて願望実現をしたいってことなのでしょう。 ここでいう『現世利益』を求めることとは眼に見えない存在に「どうかお金が儲かりますように!」とか「良い彼氏が見つかりますように!」とか生々しい欲望の成就をお願いすることを指します。 そういうことに違和感を感じないのは危ない状態です。 ご本人は「神頼みなんだから悪いことなんてあるわけないでしょ!」ってな感じなのかも知れませんが… そもそもの話『現世利益』を成就させるような存在ってのは物の怪の類いがほとんどです。 一言でいうなら神頼みは物の怪頼みってことです。 この世界…

  • 競争社会は必然的に自己肯定感の低い人を量産する

    結局評価とは他人がするものです。 どこまで行っても他者によって為される行為であって、自己を評価するって行為はそもそも必要ないんじゃないかと個人的には思っています。 自分がしなくちゃならないのは『認識』です。 『真っ当な自己認識』ってヤツが必要なのではないでしょうか? 評価とはある一定の基準のもとに『物ごとに優劣を付けること』です。 もっと下世話な言い方をすれば『人や物に値札を貼ってまわること』です。 自分で自分に値札を貼る者は、必ず自己肯定感が低下していきます。 自分で貼った値札と他人が貼った値札には常に落差が生じるからです。 十中八九自分の貼った値札の方が他人の値札より安いのです。 それも呆…

  • 誰もが命の重さの『意味』を問われる時代がやって来る

    例えば「寿命100歳時代の到来!」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。 「超高齢社会の到来は必然!」みたいな話です。 それは「医療技術は際限なく進歩し、それとともに社会保障も際限なく進歩するはずだ!」という前提があってのお話だと思います。 残念ながら多分そんな世界はやって来ないでしょう… 医療技術の発展はともかく社会保障の際限のない発展はないからです。 世界人工が75億人から100億人へ向かって爆発している状況においては社会保障は必然的に世界的規模で劣化の一途を辿るでしょう。 「誰もが近代的な医療が受けられる体制が完全に崩壊する社会的な『退化』が逃れようもなく起こるだろう」ってことで…

  • ず〜っと昔の想念エネルギーが残ってることもあります

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 言わば人間は想念エネルギー発生装置なのです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 発生した想念エネルギーってのは基本ドンドン貯まっていくものです。 勝手に溶けて無くなったりはしないということです。 なので、この世の中にはそこら中に残留思念が溢れて…

  • 上からモノを教えたがるスピリチュアル

    一昔前占い師の方が出演するテレビ番組があれやこれや流行っていた時期がありました。 色んな占い師さんがいらっしゃいましたが、その中に『強面怒る』系の占い師たちをお見かけすることがありました。 まあ、『強面怒る』系というのは私が勝手に付けたネーミングですが… 世の中には親身になって相談に乗ってくれる近しい人間がいない方も大勢いらっしゃるわけです。 そういう人にとってみればビジネスとはいえシッカリ話を聞いてくれて、しかも『親身になって怒ってまでくれる』というのは嬉しいことなのでしょう。 しかし、その怒っている人の中にはもしかしたら相手の心理を操るためにテクニカルにそうしてる人がいるのかも知れません。…

  • エネルギー的にみた水の話

    ライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 水というのは本当に大切なものです。 水があるから人を含めこの世界の生物は生きていけます。 ただ、そんな水でも流れを失えばそのう…

  • 想像力の欠如は時に人の命も左右する

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。 「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は幾ら博識であっても『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありませ…

  • 人間の頭の中の大半は思い込みと空想で出来ているのかも知れない…

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。 ここのところは非常に重要な部分だと思います。 簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界も歪む」のです。 ていうか誰しも大なり小なり見方は歪んでいます。 そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほどそれを正当なモノだと信じだすのです。 歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣…

  • 「カミサマをあげるね〜」みたいなスピリチュアル

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれ…

  • 新年のご挨拶とまたまた長いであろう『この一年』の始まり

    新年あけましておめでとうございます! 今年が皆さまにとって『より良い年』になりますように心から願っておりますm(_ _)m 昨年、目に見える社会の方は新型肺炎で大きく揺れ動きました。 それに連動してというか、逆にこちらがメインかもしれませんが眼に見えない世界の方にも大きな変化が現れてきました。 さて、本年がどんな年になるかと言えば今年は今年で去年とはまた違った激動が待っている気がしています。 昨年の冬至より始まった波動の流れは八月くらいまで続くことになるでしょう。 単に何かが起こるだけではなく、人々の心や生活の在り方が去年からもう一段ギアが変わるように変化していくでしょう。 そんな一年になりそ…

  • 大晦日に今年の波動を振り返る (再掲)

    ライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 去年の大晦日の記事はこんな感じで始まります。 まあ、引用の記事自体はそれよりまだ2年前になります。 やっとこさ大晦日まで辿り着…

  • 単純明快なオチを付けたがる陰謀論

    世の中には「原因をちゃんと知ることさえ出来れば物事にはいつでも単純明快なオチが付くのだ」って信じている人々が結構大勢いらっしゃるようです。 ここでいうオチというのは「その人々が納得出来るような結末のこと」ですがね… で、物事に直ぐにオチを付けたがる人の行き着く果てが所謂『陰謀論』だと思います。 ここでいう陰謀論的なモノの見方とは「人類の歴史の全てはごく少数だが超強力な闇の勢力みたいな者たちによって連綿と精密に作り上げられてきたのだ!」というような考え方のことです。 そういう考え方に少なからぬ人々が何故ハマってしまうかというと上手くいかない出来事を自分以外のモノのせいに出来るからです。 例えば「…

  • 憑かれやすさと根性論

    このブログではこれまで『根性論』というものについて度々言及してきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 で、この根性論の仲間に『自己責任論』というのがあります。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ!」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 この「何でも出来て当たり前」という発想は「こ…

  • 所謂一つの『修羅場』と心のブレーキとアクセル

    自動車にはアクセルとブレーキが付いています。 だからこそ自由に動いたり止まったり出来るのです。 ブレーキとアクセルは二つで一つです。 どちらか一つだけならクルマはちゃんと動けません。 その二つを切り離すことには無理があります。 まぁ、普通そんな人はいないでしょうがね… 人の心でいえばアクセルはポジティブ、ブレーキはネガティヴです。 もっと砕いていえばアクセルは前に向かって行きたい心、ブレーキは現状維持したい気持ちみたいな感じです。 さて、「何故心にブレーキがかかるようになってるか?」ですが、それは前向きに進むことに対して不安や恐怖を感じるからです。 じゃあ、そのブレーキは不要であり悪なのかとい…

  • 「何一つ後悔しない」ってのは「進歩してない」のと同じです

    人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。 歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。 試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないってことです。 人間子どものうちは道で転けたり、どっかから落ちたりよくします。 それで身体の何処かを擦りむいたり、切ったり、打ったり傷を付けるのです。 それは身体だけではなく、心も同じです。 あっちでぶつかり、こっちで叩かれながら試行錯誤を繰り返して大人になるのです。 で、大人に…

  • アチラの世界と「知らぬが仏」って話

    心霊スポットとして有名な場所とかになると色んな方々が物見遊山でやって来ます。 若者やカップルなら肝試しって意味もあるでしょう。 仲間や女の子に自分の勇気を見せてやるぞってんで、人によっては結構向こう見ずな行動を取ったりもされるみたいです。 「止めときゃいいのになぁ」と個人的には思うんですけどね。 『幽霊否定派』の人の中には無鉄砲なことをする人も少なくないのかなと思うのです。 「幽霊なんているわけない! だから、心霊スポットだと言ったって何か起こるはずもないのだ!」って信じてるんじゃないでしょうか? もちろん何を信じようと信じまいとそれぞれの全くの自由です。 ただ、あまり無茶なことをやってしまう…

  • とにかく「制限解除は良いことだ」って風潮と欲望の暴走

    今のご時世とかく「何でも制限を外すのが良い」というような風潮があるように思います。 何故か「制限があるのは悪いことで、それを取ればハッピーになれるんだ」って雰囲気が流れています。 本当にそうでしょうか? 普通に考えれば制限を加えるということは何か制御しなくちゃいけない理由がそこにあるからそうしているのです。 例えば道路にスピード制限があるのは自動車による交通事故が起こりにくいように制御しているわけです。 なのにもしスピード制限を解除したらみんながハッピーになれたりしますかね? 事故によって不幸になる人が増えるだけでしょうねえ… 別にそれは交通規制に限りません。 新自由主義っていうんですかねぇ、…

  • 想像力を失うと人は無意識に『危険』を振り撒くようになる

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力し続けるのが『現実』です。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、賛同すること』は別だってことです。 でも、世の中にはその2つのことをごちゃごちゃにして「あるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がします。 或いは目の前の…

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