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2020/05/22

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  • 根性論と鈍感力

    このブログではこれまで『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると…

  • 時の波動と波瀾万丈な年の瀬

    時間の流れは単に物理的な気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 同じ8月でも去年と今年は当然気候は違うし、眼に見えないエネルギーの流れも違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間に常に有形無形の影を与えています。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けています。 まあ、それは人間だけではなく『自然』そのものが影響を受けているわけですがね。 で、以前にも申し上げだことがありますが、エネルギー的に見た『お盆』ってのは普通に言われる年中行事のお盆とは時期がズレています。 ズレてるというか厳密にいえば別モノです。 そ…

  • 供養とお祓いと霊能力

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 本当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多くの場合それは難しいんじゃないかと個人的に思っています。 どうしてそう思うのかといえば、ヒーリングすることを通して、所謂成仏していない状態が決して珍しいモノではないと知ったからです。 成仏していないヒトというのは、この世界のあちこちに存在します。その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではありません。それに、たとえ無縁仏でも一応は寺には納められてたりしますしね。 無縁仏の供養もあるでしょうし、読…

  • ブレる人間と善悪という概念

    善悪というのは、人間が仲間内で勝手に作りあげた概念です。 「概念」とは、思考において把握される、物事の「何たるか」という部分のことである。 上記の『思考』とは当然ながら「人間が考えること」を指します。 なので、善だの悪だのといったところで、『普遍不動のモノ』として人間とは関係ないところに独立して存在しているわけではありません。 「善悪は『絶対的真理』などでは決してない」ということです。 善悪とは、古今東西その場その時の人間たちによって用意された『物事を計るための物差し』の一つに過ぎません。 どこまで行っても相対的なモノなのです。 人間は元々主観的な存在です。 主観というものには大なり小なり常に…

  • 蟲の増減と時の波動

    最近また街のあちこちでウネウネと黒い蟲のようなモノが蠢いていたりします。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシのようなエネルギー体のことです。 それは生きてる人の想念エネルギーともオニとも少し違います。 強いて言えば呪詛のエネルギーに近いものです。 そういったモノたちが増えているというのは世の中の波動自体ドヨヨ〜ンとして重くなっているのでしょうね… 残念ながらそんな気がするのです。 蟲たちは道行く人々に纏わりつきます。隙あらばその人たちの中に入り込もうとするのです。 入り込まれた人はイモムシにやられたキャベツみたいになっていきます。 食い散らかされて心の中がスカスカになるのです。 怖いの…

  • 明確な根拠とやらを追いかけすぎるとかえって『答え』を見失う

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。 逆にいえば、物事に完璧な調和と整合性を常に求めようとするってことでもあります。 また求められるものだと信じているのです。ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、『世界』は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収…

  • いわゆる『応援団のヒト』と『人で無し』のモンスター

    スピリチュアル界隈で『指導霊』と呼ばれているような存在がについて以前に語ったことがあります。 まあ、指導霊って言葉には正直ピンときませんけどね…ただ、任意で個人を応援してくれている亡くなられたヒトはいらっしゃいます。成仏してるのにわざわざこの世の人間に好意で手を貸してくださる奇特な方々です。だから、個人的にはその人たちのことを『応援団のヒト』と呼んでいます。文字通り目に見えない後ろで人知れず応援してくださる人々だからです。 アチラの方から「この人間なら応援してやろうかな」と見定めてやって来るのです。こちらの勝手な都合で来てもらえるものではありません。来るか来ないかはあくまでも応援団のヒトの方の…

  • 盲信という振り切れたココロ

    「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。 大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。 少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか?でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たち…

  • 不条理な世界と効率主義

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて不可能だからです。 ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、本質的な『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。 それを個人的にはインスタントって呼んでいます。 私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という心の在り方のことです。…

  • 人間の無知と万能感というバベルの塔

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。 アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいるでしょうからねぇ。人類の知らない生き物がそこら中に居るのが当たり前なんだと思います。 我々のいるのはそういう世界だってことです。 「そういう」っていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れた世界だ」って意味です。 「新発見に溢れている」というのは、逆からいえば「知らないことだらけだ」ってことです。 言葉を変えれば「生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れている」ということです。 種としての人間が…

  • 「読めよ!察せよ!理解せよ!」って人には要注意です

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」 「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずに『そういう雰囲気』を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにもしいたら気を付けた方がいいでしょう。日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることは正論である、真実である」という前提で話を始めようとしてる可能性が高いからです。 ある種のマウンティングなんでしょうけどね… 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わし…

  • 自分の「正しい!」が太りすぎないように気をつける

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃあ、『…

  • 物事を俯瞰的に観るポイントは共鳴性

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 この波動のレベルというのは客観的には特に『他』との付き合いにおいて顕著に現れます。ここでいう『他』とはその人が共感共鳴する人や場所や物のことです。今この瞬間無理なく馴染む人や場所や物の波動のレベルと今のその人の波動のレベルは似た者同士だということです。 似た者同士だから当然親近感を抱きやすいのです。波動的に見た「類は友を呼ぶ」とは、こういうことです。 その人が親近感や好感を持…

  • 世界には人間に『分かること』と『分からないこと』がある

    「物事に過剰に意味を見出そう」とする人というのが特にスピリチュアルな世界には多い気がします。 「物事に過剰に意味を見出そう」というのは何にでも誰もが納得するようなオチを付けたがるということです。 怪談でいえば「由来はよく分からないけど単に幽霊が出ました」なんて話より「ああ、だから出るのね!」みたいな分かりやすい因縁話がくっ付いてたほうが誰もが納得します。 まぁ、そういうのは別に怪談とは限りませんがね… 眼に見えない世界の事柄なんてのは人間ごときが何時もオチを付けられるほど分かりやすくは出来てません。むしろ掴み所の無いような感じだったりする方が普通な気がします。 一部の方々はオカルティックな叡智…

  • 生きることのハードルは自分で上げ下げすればいい

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。人間というモノに対する期待度があまりにも高すぎるだろうと… 人間に対する期待度を上げるってことは、自分という個人に対しての期待度を上げてるということでもあります。市井の一個人に純度100%の完璧さみたいなモノを求めれば、生き…

  • 心の風通しの良さと不安定さ

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 逆にいえばずっと動き続けることで活性を保っています。 当然ながら動きが鈍くなればなるほど活性は落ち波動的に澱みます。 波動的に澱めば波動のレベルも下がります。 波動のレベルが下がれば色々良からぬモノが寄ってきやすくもなるのです。 もし心がドヨヨ~ンと重くなったり、ジトッと暗くなったりしたら、個人的には先ず「心の風通しを良くしよう!」と考えます。 澱んでる時は心の内側に向かって引きこもりになりがちだからです。 ここでいう引きこもりとは外界との接触を極力少なくしようとする心の動きのことです。 多分傷…

  • コダワリは荒々しさを呼び覚ます

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 前に波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話を書いたことがあります。 ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対する強い執着が弱まって「まっ、いいかぁ」と思えるような心の状態に近付いていくことです。逆に『まっ、いっかぁ度』が下がるというのはコダワリが増すということです。 コダワリの中心には『自分』が居ます。コダワリってのは結局『自分』にこだわ…

  • いわゆる引き寄せの法則と「賢い人だけが見える糸」みたいな話

    所謂一つの『引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと…でもね、古今東西どんな人間でもたった一人でこの世に存在したわけではないでしょう。「他者との関わり合いによって自分の世界も成り立っている」というのが現実だと思います。何より人間の世界では争いが絶えたことがありません。 個人は個人で、国家は国家で遥か昔から現在に至るまでず〜っと争い続けてきたのです。それが人間の世界…

  • 根性論とノスタルジーは相性がいい

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここでいう『自己責任論』というのは「やると心…

  • 振り切れた心とぶっ飛んだ『世界』

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないかと思っています。 逆に言えば、生きている限り「心のバランスを常に取り続けること」が必要になるということです。 人間はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと心が迷います。 でも、バランスを取る作業っていうのはやっぱり地味でしんどいんですよね〜。 達成感や充実感が少ないことの方がほとんどですから… なので、「あいつは (一方に) 突き抜けてて…

  • 陰謀論とハカリゴトが明るみに出る世界

    『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別モノです。 ただ、この2つのことをごちゃごちゃにして「実際に有るんだから、『本来あるべき真実』として素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が少なくありません。或いは目の前の事実にやみくもに迎合して「キレイゴトを言うなよ」とか鼻で笑ったりする人もいらっしゃいます。 「事実を事実として認識すること」と「事実をあるべき真実として容認すること」をごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分か容認したモノが『あ…

  • 波動的にみて神社仏閣も良いこと尽くめではない

    そもそも神社仏閣にはカミサマが居るから悪いモノは近付かないと思ってる人もいらっしゃるかも知れません。 ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じてる人の方が多いような気がします。 でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。 簡単にいえば、清らかなモノもいれば穢れたモノもいます。 特に大きな神社とかは本殿のものとは違う社を敷地の中にいくつも祀ってたりしてますしね。 鬼が出るか蛇が出るか、何が出てくるかなんて分からない状態です。 それに、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることも少なくありません。 時にその勢力範囲が神社…

  • 「現実に在ること」と「人間の本性」

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると『現実にネガティブな感情が自分を含めて人間には存在していることを単に認識すること』と『実際ネガティブな感情があるのだから怒りやら妬みやらが存在するほうが当然なんだよ!と思うこと』は全然違う話だということです。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そう…

  • ジキルとハイドの物語を現実のモノにしたがる人々

    コインには裏と表があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に一歩近付くしかありません。闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになるでしょう。闇は何時もおぞましいばかりの存在ではないのです。退廃的な甘美さみたいなモノも強烈に持ち合わせています。そして、その退廃的な…

  • いわゆる悪霊の正体についての推察

    人は亡くなってもヒトです。 亡くなった途端に人間ではない別の種類のモノになるわけではありません。 じゃあ、なけりゃ先祖供養をする意味など1ミリもないということになります。 当たり前ですよね。 亡くなったら『人間ではないモノ』になるなら先祖として敬う必要などありませんから。 完全ノータッチでいいはずです。 いやいや、それでも先祖供養は必要だというなら生きてる人間の都合で敬ったり見捨てたり取捨選択をしているということになります。 それってあまりに身勝手な理屈ではないでしょうか? 生きている人間だけがこの世界の住人ではないのです。 生きている人間がこの世の支配者でもありません。 ある程度霊能力などと…

  • 正しいの比べっこと自分の機嫌を取れない人

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的には『何らかのチカラ』を行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃ…

  • 想像力と心の共感性

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がればどうなるかというと、一言でいえば人としての『心』がアホになるのです。 人が本来持っているはずの『心の共感性』みたいなモノがドンと下がるという意味です。 心がアホになるっていうのを別の言葉でいえば想像力を失うということです。 想像力を失うというのは自らの無知を補うチカラを失うということです。 人間というのは本質的に無知な生き物です。人間ごときが何でも分かる…

  • モノノケの眷属の減少

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 このブログで言うところの『眷属』というのも、そういった物の怪の一種です。神社仏閣など主に宗教施設に居る軍隊のような物の怪の群れまたはその中の個体を指しています。軍隊という…

  • 仮定盛りと自説を断言しすぎる人

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 心が孤立するほど人は操られやすくなる

    マインドコントロールというのは、大抵心の弱い人をターゲットになります。 心が弱っていると判断能力が鈍るので、自己決定に自信を失って、誰かに決定を委ねたい気持ちが出てきやすくなるからです。 だから、心の弱っている人をより不安にさせ、さらに弱らせてから、依存させようとします。 その上で自分の都合のいい考えをガンガン植え付けて相手をコントロールするのです。 一言でいえば「マトモに考えられない状態にして、支配する」方法です。 そうするためのキモは『孤立』と『依存』です。 支配される方の人間を周りの友人や家族などから引き離し独りぼっちにさせるのが、ここでいう『孤立』です。 そして、支配する方の人間が、心…

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