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2020/05/22

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  • 宿命論と精神の安定

    世の中には宿命論というモノがあります。 「この世界で起こることは予めどうなるか全て決められている」という考え方です。要するに個人の範疇を遥かに超えてこの世の物事が何処までも1ミリの違いもなく決まっているという世界観です。 世界の全て、時間なら過去から未来までの時間全て、大きさなら原子から宇宙まで全て、遍く一切がすでに決定されているという説です。誰が決定しているかといえば、「万能の唯一絶対神みたいなモノが」ってことのようです。だから、宿命論は『全知全能の神』みたいなモノが存在するというのが大前提なのです。最初にそういう存在を設定しない限り、「世界の細々としたところまで全ての事象が寸分違わずプロデ…

  • 生きてても亡くなっても人は人

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが低いために所謂『成仏』が出来ないということはあるでしょう。 でも、所謂『成仏』出来ないからといって『ヒトデナシ』のように扱われる謂れはないのです。 人は亡くなってもヒトであるということです。じゃあ、なけりゃ先祖供養など何の意味もないということになるでしょう。当たり前ですよね。 亡くなってたら『ヒトデナシ』になるなら敬う必要はありませんので。ノータッチでいいのです。…

  • 物の怪の誘いに乗ってしまった人たちの行き着くところ

    例えばスピリチュアル〜な世界では全く相容れない立場を取っているように見えるAさんとBさんが『人外のモノに頼る危険性』に関してはよく似たようなユル〜い態度を示されるなんてことは少なくないのです。 ここでいうユル〜い態度とは人外のモノに頼る危険性についてほぼ無視するか、無視しないまでも「そんなに危険なことでもありませんよ〜」ってニュアンスを醸し出している状態のことです。 AさんとBさんの意見がその件について一致するのは何も偶然ではありません。 現実社会では幾ら対立しているように見えても「人外のモノにチカラを借りている」という立脚点においては同根だからです。 つまり、見えない世界ではどちらもいわば『…

  • 心の視野の広さと人を観る時のポイント

    以前に所謂『霊能者』の簡単な目利きというタイトルで記事を書いたことがあります。 ここでいう「簡単な目利き」とは「初歩的な目利きのやり方」という意味です。またこれは霊能者以外の人を観る時にも使えるやり方であることを、最初にお断りしておきます。目利きのポイントとして2つのポイントがあります。先ず一つ目のポイントとして「その人の共感するモノを観る」ということが挙げられます。その人が好んで周りに置いている人間関係や物事を観察して仕分けしていく方法です。その人の読んでる本や尊敬する人物、趣味嗜好などを知るだけでも結構「見えてくるモノ」はあるでしょう。 これは逆に自分自身の波動のレベルを客観的に知る目安の…

  • 心のバランスと「柔よく剛を制す」の波動的な意味

    人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。毀したり治したりしながら生きているのである。『整体』という言葉を作った男 野口晴哉 健康を絶対不変の『真理』であるかのように思い込み、がむしゃらに突き進めば、遅かれ早かれ「不健康を徹底的に排除し、世界を自分たちの考える美しい『健康』だけにしたい!」という衝動に突き動かされるようになるでしょう。 でも、「不健康な要素を機械的にガリガリ削り取って、健康になるための純粋な要素だけを抽出しよう」みたいなやり方には、どうしたって無理があるのです。 それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話そっくりです…

  • 『無知』と『万能感』は相性がいい

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場です。 『もっともらしさ』を演出するアイテムの一つが「オレは何でも知ってるんだぜ!」っていう雰囲気です。それは、知らないことでも如何にも全部知ってるようなフリをするっていうことでもあります。つまり、マヤカシとは「無知から目を逸らし万能感に浸ること」とも言えます。 マヤカシに絶対にヤラレずに済む保証はこの世界の何処にもありません。というか一寸たりともマヤカシにヤラレない人間なんてこの世の何処にもいないのです。 そんな海千山千のこの世で、出来るだけマヤカシにヤラレずに生きるための一番簡単な…

  • 自分がやられたように他人を支配したがる心

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを『自縛のエネルギー』と呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、…

  • 根性論と健康

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると…

  • 仮定盛りとスカッとした答えを求めたがる心

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 結局『効率主義』ほどムダを生む

    人間万事塞翁が馬って故事があります。 幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。その変転が結局どういう結末を迎えるかは誰にも分からないのです。 効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個…

  • 乱世になるほど勘は大切になります

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知…

  • 不安と恐怖と過度な依存

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 不確実性の世界というのは、どこまで行ってもハッキリしない状況の中で、「大体こうだろうな」という『答え』を暗中模索で探っていくしかない世界ということです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、流動性は自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がなくなるからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニ…

  • 操れる系って色んな意味で危険です

    「この世の可成りの部分はやり方次第でテクニカルに操れるんじゃないか」と信じている人が世の中には結構いらっしゃるような気がしています。 そういう人々の心の奥底には「人間なんて案外簡単に操作出来るものだ!」っていう想いが横たわっているのでしょう。 じゃあなけりゃ、そんな考え方になりませんからねぇ。 その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。 で、『操れる系』の思考をされる方は「心の全てを今現在の自分の顕在意識でコントロール出来るはずだ」と無邪気に信じてるような気がします。 だからこそ今現在の顕在意識で過去から今に至る潜在意識の深奥まで操れるなんてことを本気で考えてし…

  • マヤカシといわゆる一つの『ブーメランを投げる人』

    「オレって何でも分かってるんだぜ」って感じを常に漂わせてる人が世の中には結構いらっしゃいます。 そういう人をお見受けするたびに、一人心の中で「ドヤ顔仮面参上〜!」とか思ってしまうのです。 まぁ、ドヤ顔仮面っていうのはごくごく個人的にそういう人に付けたアダ名ですけどね…ドヤ顔仮面に成る人の心の視野は狭いです。逆にいえば心の視野が狭いから何の気兼ねもなくドヤ顔になれるのでしょう。心の視野の狭さとは「人間に本来備わった五感によって感じられるはずの感覚を十分感じられなくなった状態」のことです。 簡単にいえば、心がヒドく鈍感な状態になっているのです。心が鈍感になればなるほど「自分が鈍感であること」さえ分…

  • 無知と知識と万能感

    何かを知るということは、その分『己れの無知』を知ることでもあります。 知識を得れば得るほど、それ以上に知らないことの多さにも気付かされるからです。 なので、得てして知るということには苦しさが伴ったりします。 その苦しさがイヤで、知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。ただ、一方で「物事は知れば知るほど上手くいくはずだ!」と単純に信じている人も世の中には一定数いらっしゃいます。 そういう人たちは『知ることの闇』を舐めているのでしょう。「知れば知るほどこんがらがって、訳が分からなくなる」なんて事例は、古今東西ゴロゴロ転がっているからです。ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。「絶望を友…

  • 人となりを知りたければその人の『周りにいる人』を見ればいい

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単に言えば「見方が歪めばその分その人に見えている世界も歪む」ってことです。そして、見方が歪んでいない人間は、この世界には誰一人いません。 それは『純粋な客観性』というのが言葉の上にしか存在していないということを意味します。 その人に見えている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出します。ここでいう「歪みが恒常化する」っ…

  • 想像力を失うほど人は攻撃的になりやすい

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に何でも知ってるつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』はそういう全知全能感みたいなモノの対極にあるからです。 簡単にいえば、分からないと思うから人は『想像力』を働かせようとするのです。 「想像力が弱い」というの…

  • 仮定盛りと自信満々な言説に取り込まれる人々

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 勘は最後に自分の身を助けるモノである

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知…

  • 大人になったからといって子どもの頃の心の傷がなくなるわけじゃない

    世の中の人の多くは「自分の心の自由度」についてあまり認識していません。 それについて考えてる人自体それほど多くないように感じます。多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?実際何処までコントロール出来てるかどうかは置いといて『構造』としてね…しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る心の部分っていうのは全体の半分もあればいい方でしょう。残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているってことです。 影響を受けているというのはやんわりとした表現で、実態として…

  • 引き寄せの法則と人間に都合よく出来ていない世界

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければ物でも、人でも、出来事でも、無制限に自分の元へ引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと… しかしながら、現実はそんなに思い通りには行くもんじゃありません。 なので、「思い通りに引き寄せが出来ないのにはやり方が悪いのだ」みたいなことをおっしゃるのです。 でも、本当はそんなテクニカルな問題ではなく、そもそも自分の思ったことが世界を作るというベースになる理屈が間違っているんじゃない…

  • 唯物論的な思考は必然的に人を傲慢にする

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分がちゃんと見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことのみなのです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど、その人に見える世界はその人サイズの時空間に収縮していきます。 そして、その人自身は大抵『世界』が収縮していることに気付いていません。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を…

  • 他人の正しいを意識するとその分心の視野が広がる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • フラッシュバックと記憶の変容

    精神的なモノであれエネルギー的なモノであれ人間は自分にダメージとなるモノがやって来ると無意識にそれを小分けにして耐えようとします。 例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょうからね…そのため分割して隠してしまうのです。隠してしまうとは自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにするという意味です。心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。何らかの体感を伴ってね…人間の心にはそういう機能が標準装備されてるんだと思います。ダ…

  • 楽園伝説と『終末』を本気で待ち望む人々

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、「この世には一度楽園があった」ってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元…

  • 正義(仮)を手に入れた荒々しさは危険である

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、人が自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。 波動のレベルを見る時に一番分かりやすいバロメーターは『荒々しさ』です。 その荒々しさを見る一番分かりやすい目安が『言葉』なのです。 人は自分の使ってる言葉の波動に大なり小なり共…

  • 守護霊は密やかに人を護っている

    「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖なのでしょうが、それも絶対ではありません。 どちらにしろ守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもいつもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉な親のように、日常生活の細かいことまで一々指図してくるなんてことはないのです。 経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘ロクでもない人外のモノの仕業だろうと考え…

  • 『辻褄が合うこと』と因果応報

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方をする方々がいらっしゃいます。 たとえ今分からなくても、いつかは必ず分かるモノだという『理解』です。 この「最終的には何であれ人間に分からないはずがない!」という『理解』は、「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味しています。 ここでいう『予定調和の世界』とは、「人間にとって何時でも何処でも分かりやすく辻褄が合うように出来ている世界」ということです。 別の言葉でいうと「この世の物事全てには人間が理解可能な整合性を常に求めることができるはずだ」と素直に信じているってことです。 ただ、それ…

  • 思い込みの激しさと「信じられない!」という言葉

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 人間、心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドを『世界』そのものだと勘違いし…

  • ワクワク感と自己洗脳

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思われる方もいらっし…

  • 人間が勝手に考えたいわゆる一つの『競争原理』

    例えば「うす汚れた『現実』に跪け!」みたいなことを叫ぶオトナが世間には大勢いらっしゃいます。 そういう人は、会社とかでの出世競争を例にすると「足の引っ張り合いはあって当たり前なんだからその状況に抗うな! むしろそういう『現実』を積極的に受け入れて参加しろ!」とか訳知り顔で宣うのです。『目の前にあること』を単純に事実として無理なく認識することはそりゃもちろん大切です。ただ、『目の前にあること』が『本来あるべきカタチ』なのかどうかはまた別の話です。うす汚れた『現在の状況』をあるべき姿としてしたり顔で肯定するのは成熟した『大人の態度』などではないでしょう。それって単に「社会なり組織なりにマインドコン…

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