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2020/05/22

  • 人外のモノに触れすぎると魂が根腐れすることもあります

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを意図的にかつ継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んでいます。 単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に…

  • 人はあちこちぶつかりながら進歩するモノです

    人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。 歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないってことです。 人間子どものうちは道で転けたり、どっかから落ちたりよくします。それで身体の何処かを擦りむいたり、切ったり、打ったり傷を付けるのです。 それは身体だけではなく、心も同じです。あっちでぶつかり、こっちで叩かれながら試行錯誤を繰り返して大人になるのです。 で、大人になった…

  • 人から恨まれるとその分、じわじわと確実に呪われていく

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 言わば人間は想念エネルギー発生装置なのです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 例えばパワーストーンと呼ばれる魂のない無生物よりは何百倍も強烈です。 とはいえ一つ一つの想念エネルギーが何か誰にでも分かるようなすごい影響をいつも必ず表すわけではあ…

  • 「悪ではないけど善でもない」という話 (光と闇篇)

    森羅万象すべてのモノには波動があります。そして、波動は自然にあるものです。元から自然の一部なのです。自然には端から善も悪もありません。 例えば高気圧や低気圧のことを善気圧・悪気圧なんて言う人はいません。 晴れや雨は善でも悪でもないからです。 気圧に高低があるように波動にもレベルの高低はあります。 ただ、もちろんそれにも善悪はないのです。 人間にとっての『善悪』は確かにあります。しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」なのです。善だの悪だのといったってどこかに普遍不動なモノとして存在しているわけではありません。どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」…

  • 『受けること』とバランスを取ること

    まだ整体を習っていた頃「腕の良い整体師ほどあまり長生き出来ない。何故ならそれだけ多くのお客さんからたくさんの『良からぬモノ』を受けてしまうからだ」という話を聞いたことがあります。今から考えればその『良からぬモノ』とは波動のレベルの低いあれやこれやのエネルギーのことだと思います。 それを他人と身体的な接触することでもらってしまうのが所謂『受ける』ということです。 『受ける』という言葉からはそれこそ『良からぬモノ』というイメージを受けるかもしれませんが、『身体的な接触によるエネルギー的な影響』全般のことです。 身体的な接触が多ければ多いほど良くも悪くもエネルギー的な『交流』を増幅しやすいということ…

  • 不確実なこの世界には『絶対的な心の安定』はない

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば盲信することです。 精神的にナニカに「負んぶに抱っこ」の状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかのことです。…

  • 絶対的な正義を得たと信じる者の最終形としての魔女狩り

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれそれを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少しま…

  • 所謂『式神』と人を『物』と見る呪術

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年9月の記事 この前「人間が亡くなったら脳みそが使えなくなるので思考能力も無くなる」っておっしゃる方の話を書きました。 その人によると「人が死ぬと生きている時の…

  • 乱世と『人を人たらしめる波動』

    今の世は乱世です。それは目に見えている現実社会はもちろんのこと眼に見えない世界においても同じかと思います。なので、現在世界中のあちこちには、とてつもない数の波動エネルギーが飛び交っています。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど、その種類も多種多様です。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に直接憑いているモノもいれば、特定の場所や物に地縛霊のように憑いているモノもあります。そし…

  • この世とは『マヤカシだらけの世界』である

    この世の中はマヤカシだらけの世界です。眼に見えない事柄なら尚のこと、そうです。 マヤカシにやられない保証なんてどこにも誰にもありません。それどころかやたらとマヤカシに引っかかりまくるのが『人間』という生き物です。 古今東西死ぬまで一度もマヤカシに引っかからなかった人間はいないのです。 それが人間が作ったマヤカシであれ人外のモノが作ったマヤカシであれね。 マヤカシにやられまくって痛い想いをして段々と大人になるわけです。そして、その分少しだけ『疑り深い賢さ』を手に入れたりします。 マヤカシというと言葉として少し分かりにくいかも知れません。なので、例えば『ウソ』という言葉に置き換えたらどうでしょうか…

  • ブレーキの大切さを忘れがちなポジティブ志向

    自動車にはアクセルとブレーキが付いています。 だからこそ自由に動いたり止まったり出来るのです。 ブレーキとアクセルは二つで一つです。 どちらか一つだけならクルマはちゃんと動けません。 その二つを切り離すことには無理があるってことです。 人の心でいえばアクセルはポジティブ、ブレーキはネガティヴです。 もっと砕いていえばアクセルは前に向かって行きたい心、ブレーキは現状維持したい気持ちみたいな感じです。 さて、「何故心にブレーキがかかるようになってるか?」ですが、それは前向きに進むことに対して不安や恐怖を感じるからです。 じゃあ、そのブレーキは不要であり悪なのかといえばそんなことはないのです。 人間…

  • 操れる系と『万物の霊長』とやら

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 不自然で、『無理』があるのです。 その『無理』もたまたまではなく根本的に『無理』だって話です。何故なら、人間は自然という大きなモノの中のほんのごく一部だからです。 大きな自然の中に植物がいて、動物がいて、その動物の中に人間がいるのです。自然にとっては人間が『特別』な存在であったことはないし、これからも『特別』な存在になることはないでしょう。 自然を支配したがる人ってのは根っこの部分に「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観があると思うのです。というかそういう世界観でなければ「自然を…

  • いわゆる言霊と「言葉はそれを言う人を選ぶ」って話

    例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。 しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば何らかのチカラが生まれるのです。そういう『仕組み』を昔の人は言霊と言ったのかも知れません… 言葉というのは人がそれを発することによって何らかのチカラを発揮します。別の言い方をすれば、人間の中にある想念エネルギーがそこに乗っかることによって初めて言葉にチカラが与えられるということです。 で、もう少し突き詰めて発するとはどういうことかと言えば音を出すということです。人が音を出すことにチカラの源があるのです。 言霊という言葉の元々の定…

  • 荒々しさと心の暗黒面

    どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。それはコインの表と裏みたいなものです。荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければそのうち『無理』が出てきます。荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです…

  • 植物は『生き物』であって『道具』ではない

    当たり前ですが、植物も生き物です。石ころではないんですよね。心もあれば魂もあります。人間の持っている心や魂とは大分違うものですけどね。 「心がある」というのは植物が石ころみたいに何にも感じないわけではないということです。「魂がある」というのは無生物のようにエネルギー的に中身がガランドウではないということです。なので、植物にも個性があります。気性の違いもあります。同じ種類だからといってコピーされたみたいに同質ではないのです。この「植物には個性がある」ってことを認識してる人は随分少数派なような気がします。多くの人々にとっては植物はどれも同じような物にしか見えていないのかも知れません。動物好きな人な…

  • 場の波動は様々な要素で出来上がっている

    世の中にはエネルギー的なことに敏感な人は案外少なくないと思います。とはいえ全体的に見ればそういうことに鈍感というか、感じようとしない人の方が大多数でしょう。ただ、そういう鈍感な人であっても眼に見えないエネルギーの影響をまったく受けないわけではありません。受ける時は誰でも受けるのです。病気のもとになるウイルスとかを知らぬ間にどこかから『お持ち帰り』してしまうようにね。で、眼に見えないエネルギーを『お持ち帰り』しやすい場所として一番ポピュラーなのが、人が多い場所です。そういう場所には様々なエネルギーが集まりやすいからです。例えば大きな街にあるターミナル駅だとか、巨大なショッピングモールなどです。ま…

  • 競争も行きすぎるとやがてガラパゴス化する

    この世界は一般的に「競争社会である」と言われています。人間社会はもちろんすべての生き物は弱肉強食と適者生存という競争の中にあると…でもね、本質的な核心の部分って本当にそうなんですかねぇ?一般社会の常識で解釈するならば当然競争を勝ち抜く強さを持つべきってのが正しい『答え』なんでしょう。しかし、個人的にはそこに「拭いがたい違和感」ってのがずっとあるんですよね。競争原理と自然淘汰という進化論的な価値観に馴染まないココロってのがあるのです。そもそも競争から進化が生まれるって本当なんですかね?何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのがこの世界なんでしょうか?そこんところが引っかかるんですよね…それっ…

  • 理不尽で不条理な世界で明確な答えばかり求めると心が迷います

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自…

  • コペルニクス的転回と心の柔らかさ

    世間の常識ってヤツはいとも簡単に変わるものです。昔はごく普通だったことが今の感覚だと「あり得ない」なんてことは少なからずあります。例えばタバコに関してです。1980年前半くらいまではサラリーマンの多くは会社の自分のデスクで当たり前にタバコを吸ってたと思います。少なくとも事務所の禁煙は主流ではなかった気がします。これは会社だけではなく、社会通念として「タバコを吸ってはいけない」というのは長らくなかったんじゃないでしょうか?今ならタバコを吸うことに対しては社会的に非常にネガティブなイメージがありますが、当時は大人の男がタバコを吸ってるのは普通でした。善い悪いではなく、みんなの感覚としてそうだったっ…

  • 正しいの比べっこに負けた方は大抵『嘘つき』になる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 分かりにくくても原因と結果は必ず繋がっているモノです

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。原因という種があって結果という花が咲くのです。原因に見合わない結果があると考えるのは不自然です。それは何か現象が起こるなら、その現象相応分の原因が必ず何処かにあるってことでもあります。だから、因果応報というのは宗教やスピリチュアルの専売特許でもないのです。少なくともこのブログにおいてそれは『原因と結果の関係性を単純に表した言葉』です。それでも、「神さま絡みのことは普通の因果応報に縛られな…

  • 「チカラに魅せられる」ってことの危険性

    スピリチュアルな世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが大勢いらっしゃいます。本当かどうかはともかくとして、神だ天使だ宇宙人だってモノにね…ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないんですよね。しかも、取り込まれたら最後『自分』って存在が溶けて無くなるかもしれません…強いチカラほど取り込まれる可能性は高くなります。あっ、これは何も眼に見えないチカラとは限りません。権力とか金の力とか、『現実的なチカラ』であってもそれは同じことです。それが強ければ強いほどそれに取り憑かれ、取り込まれるってことはよくあることです。 下っ端の時は卑屈なほどぺこぺこして人の顔色を窺ってたの…

  • 霊能者と占い師とダブルスタンダード

    ここでいう心の視野の狭さとは自分を相対化して見られなくなった状態の事です。じゃあ、何故自分を相対化出来なくなってるかというと自分だけを別枠にして考えるクセを付けてしまってるからです。簡単な話「自分はいつも正しい!」っていうのを心の拠り所にしているからです。 「自分がいつも正しい!」に取り憑かれるとダブルスタンダードになります。ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。このダブルスタンダードの大きな問題点は、それにハマっている人の多くが「自分がダブルスタンダードだとはちっとも思ってない」というと…

  • これからは今まで以上に『選ぶこと』を求められる時代になるでしょう

    森羅万象すべてのものには波動エネルギーがあります。 そして、生きるということは数限りない出会いと選択の連続で成り立っています。 ということはこの世界にいる限り様々な波動エネルギーとの出会いと交流を余儀なくされるということです。 ただ、出会いと交流っていうのは一方通行ではなく相互に影響を与え合うことです。この影響を与え合う関係になるということが『繋がる』ということです。『繋がる』ということは善でも悪でもありません。ただ、ナニカとあるいは誰かと『繋がる』ことでご本人にとって良いことや悪いことが起こるキッカケとなることは少なくありません。スピリチュアルや自己啓発界隈には、繋がることをなんとなくいつも…

  • 波動的な判断と理屈による判断

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。例えば用事などで行かなくちゃいけない場所があったとします。その場所に行くことによって身体や心に何らかのダメージを受けるなら波動のレベルは当然低いのです。逆に身体や心が楽になるような影響を受けるのなら波動のレベルは高いのです。ダメージを受ける前兆として背中がゾクゾクしたり、急に何かがのしかかってきたみたいに身体が重くなったりってことがあります。或いは心がドヨヨ〜ンとして考えが巡ら…

  • いわゆる楽園伝説と魂が試される時代

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラ…

  • 魂がスカスカだとナニカに憑かれて奇妙なチカラを得たりします

    以前から何度か「魂が腐る」ということについて書いてきました。ここでいう「魂が腐る」というのは何らかの理由で元々みっちり詰まっているはずの魂の中身がスカスカになることです。 心のスキマが広がってガバガバになり、そのうち魂そのものがスカスカになるのてす。魂が腐ると人間らしい心が段々と溶けていきます。分かりやすく言えばサイコパスみたいな感じになるのです。(注 サイコパスの人がみんな魂が腐ってるという意味ではありません)良くない意味で心が『人間離れ』していくってことです。 で、その状態をエネルギー的な角度から見るならば色んなモノに憑かれやすいということが言えるでしょう…傾向として憑かれやすい方向へズル…

  • 『正義』の最果てにある魔女狩りの時代

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 所謂カミサマってのは得も与えれば損も与える

    このブログにおけるカミサマという言葉が何を表しているかということについて改めて書いておきます。ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているのです。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。「神というのはあれでそれ…

  • 『死ぬまでちゃんと生きること』と『生きながら魂が腐ること』

    世の中のすべてのモノは動き続けることで必然的に劣化していきます。しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。では、バランスを取るのをやめてしまったらどうなるでしょう?当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感覚が狂ってしまいます。そうなると当然『平衡のとれた心の位置』というものが分からなくなっていくのです。それどころか心の位置が極端に偏ってしまっても「自分はど真ん中にいる!」と感じるようになります。そういう心の状態が長く続けば続くほど波動的な意味で魂は腐っていきます。 ここでいう『腐る』とは何らかの理由で元々みっちり…

  • 唯物論的な考え方と因果のツケ

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってだけのことです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられなく…

  • ムダを省き続ければそのうち人を間引く優生思想にたどり着く

    ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個人的にはインスタントって呼んでいます。私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という在り方のことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね…何よりも『手っ取り早くて分かりやすいこと』を優先させる発想です。 でも…

  • 人の想いのチカラを侮るべからず

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 言わば人間は想念エネルギー発生装置なのです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主…

  • 操れる系と「井の中の蛙大海を知らず」って話

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。でも、実際はどうかといえばいまの世の中、少な…

  • 「ブレない!」が良くないのは心のクセが酷くなるからです

    人には誰しもクセってモノがあります。そのクセっていうのはその人の持っている行動様式や思考形態によって形作られます。その人の持っている行動様式や思考形態に由来する特定の行動や思考が何度も何度も繰り返しなされることによってクセとして定着します。つまり、クセとは意識的であれ、半ば無意識であれその人自身が作り上げたモノであるということです。であるならまたその人自身が変えうるモノでもあるということです。とはいえクセというのは一朝一夕に出来上がるモノでもありません。随分長い時間をかけて徐々に出来上がったモノです。そうやって出来た心や身体のズレやネジれがクセなのです。で、心や身体がズレた状態が長引けば長引く…

  • 人の心の光と闇は糾える縄の如し

    怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 哲学者フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉です。眼に見えない世界に関わろうとする者なら特に上記の言葉は肝に銘じられた方が良ろしかろうと存じます。比喩ではなく、『そのモノずばり』の意味としてね!コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がれば晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光…

  • 「眼に見えないモノを召喚する」とかいう危険

    このブログでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことを指します。 昔の陰陽道で言わていたような狭義のモノとは違うとお考えください。他に適当な言葉が見つからないので『人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべて』を式神という言葉で表現しています。言葉としてはどちらかというと使い魔と言った方が近いのかも知れません。実際何らかの呪術的な方法によってエネルギー体を使役しようと試みる人々は古今東西後を絶ちません。 後を絶たないどころかソフトな装いに変わって増えている気がします。エネルギー体を使いたがる人ってのは…

  • 波動のレベルを上げるには肉体が必要です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 例えばそこに眼に見えないエネルギーがあるとします。そのエネルギーによって身体や心に何らかのダメージを受けるなら波動のレベルは当然低いのです。逆に身体や心が楽になるような影響を受けるのなら波動のレベルは高いのです。ここでいう波動のレベルの高低とはそこにいる人の波動のレベルを基準としたモノです。そことはそのエネルギーが影響を与えている場のことです。なので、波動的にダメージを受ける…

  • いわゆる物の怪使いと魂がスカスカな人

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 それは単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し…

  • コダワリとストレスと『まっ、いっかぁ度』

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対する強い執着が弱まって「まっ、いいかぁ」と思えるような心の状態に近付いていくことです。言い方を変えればコダワリからの自由度が上がるということです。 「これしかない!」って『鎖で繋がれた場所』から心が解放されるのです。コダワリは心に…

  • 場の波動と人のエネルギーの関係

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるといいです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『直感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避け…

  • 「人口削減をする神は実在する!」とかいうスピリチュアル

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが…

  • 親からの波動的な影響について

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを高くするためには『今の自分』より波動の高いと感じる人・物・場所を出来るだけ選んで親しむように心掛けることが一番の近道です。当然『今の自分』というのは時とともに変わっていきますが…ここでいう『人・物・場所』というのは自分の周りのトータルな環境のことです。その中でも自分の居る『場所』を変えると効果が出やすいです。 波動のレベルの高い『場所』に居続ければそれが波動の高…

  • 日ごろ何気なく発している言葉にその人の本質は現れる

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが分かりやすいのは『言葉』というモノサシです。自分の使ってる言葉であれ、他人の使ってる言葉であれ、言葉の選択と使い方をある程度継続して観察すれば、その人の波動のレベルはほぼほぼ推察することが出来ます。言葉が荒々しいというのは波動が荒々しいということです。波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。逆に言葉が穏やかということは波動も穏やかだということ…

  • 人や場所が黒く見えたりボンヤリ見えたりする理由 (波動のレベル篇)

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 すべてのモノには波動エネルギーがあります。 当然場所にも波動のレベルの高いところと低いところがあるのです。 ヒーリングなどしておりますと実に様々な場所と出会うことになります。 出会うといっても実際に足を運んでその場に行くということはほとんどなくて、遠隔で波動を確認させてもらうことが大部分ですが… そして、やってることの性質上波動の低い場所に接するほうが圧倒的に多いのです。 そ…

  • 自由を語る者ほど束縛したがり、平和を語る者ほど争いの渦中にいるのは偶然ではない

    世の中にはいわゆる一つの『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い…

  • 眼に見えないモノには「恐れすぎず、でも決して侮らず」が大切

    世の中には本当に色~んなエネルギーが存在しています。 街に出れば携帯電話から出る電磁波だけでも物凄い数が飛び交って人の体もグサグサと突き抜けているのです。 細菌やウイルスは空気中を浮遊しそこら中に付着しています。 もちろん人間の皮膚や体の中にもそれは入ってくるのです。 でも、ほとんどの人は平気で外出し電車や自動車に乗り、人と触れ合います。 ウイルスや電波が怖いから外出しませんなんて人がいたら「おいおい、大丈夫か?」となるはずです。(あっ、今はそうでもないか(^_^;))所謂霊的なエネルギーだって状況は似たり寄ったりです。 人間の身体の中には外部から様々な波動エネルギーが日々入って来ます。直ぐに…

  • 違和感に反応する心のクセをつけておく

    遅かれ早かれその人の中に有るものは出てくるし、無いものは出てきません。「今まで一度も出てきてないけど、実は昔からずっと持ってるんだよ」みたいなことは、ほぼほぼ無いんじゃないでしょうか?「才能みたいな眼に見えないモノは、出てきても分からない」なんていう人かいたら眉に唾つけて見た方がいいです。細かいことは分からなくても出てきてたら、その片鱗くらいは真っ当な感覚の持ち主なら分かるはずだからです。それは幾ら最もらしいことを言っていても、心がこもってなければ「心がこもってないこと」を見破られてしまうのと同じです。まぁ、どっちにしても上辺だけ見て騙される人は騙されるんでしょうけどね…例えば映画とか小説の中…

  • 時の波動と時代の変わり目

    人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風にハッキリと分かれ続けているように見えます。その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました 昔ならあったはずのグレーゾーンが無くなったために波動的な『緩衝地帯』もまたなくなったのです。アナログ放送が地上デジタルになったように残酷なまでに『素の生地』がハッキリ見えてしまうようになりました。その傾向が一気に強まったのは直近では東日本大震災の起こった2011年からです。ただ、そのそもそもの発端は1989年にあったと思っています。そう、ベルリンの壁が崩れ、所謂『東側』の世界が崩壊を始めたあの年です。…

  • いわゆる霊媒体質と受けやすくなる状態

    ここでいうところの霊媒体質というのは波動エネルギーに対して敏感であり、その影響を如実に受けやすい状態という意味です。もっと言えば影響を受けてしんどくなりやすい状態のことです。所謂霊的な何かが見えたり聞こえたりしやすいという『霊感』的な能力の有無とは分けて捉えています。だから、エネルギー的な感度が少し高めの方であっても、日常的に顕著な負の影響を受けない状態であればここでいう霊媒体質ではありません。霊媒体質の人はごく普通に日常生活を送っていても、あれやこれやとエネルギー的な影響を受けてしまうということが少なくありません。所謂『受けやすい』人なので…以前整体をしていた時に聞いた『受ける』ってことにつ…

  • 「世界を支配するぞ!」という傲慢に対するツケ

    「エネルギーを上手くコントロールする」なんてことをおっしゃる方がスピリチュアル界隈には少なくありません。自分で出し入れ出来る範囲のエネルギーならそれも可能かも知れません。 っていってもそれも中々難しいとは思いますが… ここでいうエネルギーというのは眼に見えないチカラ全般のことです。 スピリチュアルなチカラがあればそういったモノを自由に出来ると考える方が何故か多い気がします。 所謂スピリチュアルっていうものは西洋的なものの見方を元にしているんだろうと感じます。 そして、西洋的なものの見方には「自然を人間が征服することが出来る」という考え方がベースにあるんじゃないでしょうか。 だから、色んなモノを…

  • 化かされたい人といわゆる一つのチャネリング

    所謂『化かされた』状態の人というのは自分が化かされていることに気付いていません。化かされている人は化かされていることに気付かないから化かされているのです。 そこが(学校の勉強なら絶対100%試験に出るほど)非常に重要な点です。 ここでいう『化かされた』状態というのはマヤカシに取り込まれて思考停止になった状態のことです。神秘現象とか見せられて舞い上がった末にね…逆に言えば化かされているという状況は「待てよ! これってオカシクないか?」と『気付くこと』によって変えることが可能です。本人がちゃんと気付いて、思考停止から抜ければ化かされた状態から脱することが出来るでしょう。 だから、人外のモノは人間に…

  • 「昔は良かった」というノスタルジーと因果応報

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね…そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思っています。最初のボタンから掛け違えてると強く感じるのです。昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。「時代を…

  • 言葉の荒々しさは波動のレベルのバロメーター

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが分かりやすいのは『言葉』というモノサシです。自分の使ってる言葉であれ、他人の使ってる言葉であれ、言葉の選択と使い方をある程度継続して観察すれば、その人の波動のレベルはほぼほぼ推察することが出来ます。言葉が荒々しいというのは波動が荒々しいということです。波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。逆に言葉が穏やかということは波動も穏やかだということ…

  • 競争という『チカラ比べ』の行き着く果て

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね…そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ?実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか。もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟なんてモノではないよね」ってことです。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。例えばナマケモノみたい…

  • 「人は死後に裁判を受ける」という選民思想

    以前に閻魔大王実在説を唱える方がいらっしゃいました。閻魔大王がいるっていうことは即ち地獄が存在して、地獄で裁判官してる閻魔大王がいるっていうことになります。もう一つ言えば「極楽もあるでよ〜」ってとこまでが一セットです。そこまでが切り離せない『一続きの物語』なのです。バラバラに切り離したら途端に整合性がなくなりますからね。つまり、閻魔大王が存在するって話は、良くも悪くも『ある一つの世界観』に繋がっているということです。逆にいえば、「あの世、この世ひっくるめて世界ってのはこんな風に出来上がってますよ」って世界観から導き出された存在が閻魔大王ってことです。そして、それが『一続きの物語』って言葉の意味…

  • マヤカシと人生という綱渡り

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場です。 もっともらしく見えなければ誰もマヤカシに引っかかりませんからね。 もっともらしく見せるためにウソの中にホントを混ぜるのです。出来のいいマヤカシはウソの中にちょうどいい感じでホントが混ざっています。これもホント! それもホント! あれもホント! と来て最後に肝心なウソでドーンと堕とされるのです。そして、ガッツリ堕とされた人はマヤカシの世界に『絶対の真理』とやらを見付けたりする…そうなると己れの「正しい!」にどっぷり浸かってそんな『真理ワールド』から出られなくなります。マヤカシの持つ…

  • 心の風通しと『過剰な防御』の毒

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 逆にいえばずっと動き続けることで活性を保っています。当然ながら動きが鈍くなればなるほど活性は落ち波動的に澱みます。波動的に澱めば波動のレベルも下がります。波動のレベルが下がれば色々良からぬモノが寄ってきやすくもなるのです。波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 例えば長い間人間が出入りしてないような閉鎖された建物など…

  • 本当の『お役目』とキラキラしたいわゆる『使命』

    人にはおおよそ2つの役目ってモノがあると思っています。一つは社会的に与えられた役目です。例えば高校生なら高校生、会社員なら会社員、或いは人の親なら人の親、町内会長なら町内会長としての役目があります。一言でいえばそれは現実の世界で割り振られた役割です。これについては今回は特に語りません。もう一つは目に見えない世界から引き継いできた役目です。生まれる時に持ってきた『この世でやるべきこと』みたいな感じのモノです。今回はこれについて語っていきます。そう聞いてカルマって言葉を思い浮かべる人も多いかも知れません。ただ、一般的にカルマっていう言葉で言い表されるところのモノとは少し趣きが違うように感じます。 …

  • 運命は「持ちつ・持たれつ」であり「やって・やられて」でもある

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 『生きる』ということは生が終わる地点まで己が命を運ぶということでしょう。 命を運ぶのが運命なら、運ぶためのチカラが常に動いているエネルギーの波なのです。逆にいえば常に動くことでエネルギーは生まれます。エネルギーがなければ生きてはいけません。だから、生きてる限りその波に乗り続けるしかないのです。 上手いこと波に乗れるか乗り損なうかが運命の分か…

  • 世間の常識と流行り廃れ

    いわゆる『世間の常識』ってヤツはいとも簡単に変わるものです。昔はごく普通だったことが今の感覚だと「あり得ない」なんてことは少なからずあります。例えばタバコに関してです。1980年前半くらいまではサラリーマンの多くは会社の自分のデスクで当たり前にタバコを吸ってたと思います。少なくとも事務所の禁煙は主流ではなかった気がします。これは会社だけではなく、社会通念として「タバコを吸ってはいけない」というのは長らくなかったんじゃないでしょうか?今ならタバコを吸うことに対しては社会的に非常にネガティブなイメージがありますが、当時は大人の男がタバコを吸ってるのは普通でした。善い悪いではなく、みんなの感覚として…

  • 交差点や橋のエネルギー的な意味

    それぞれの土地には長年かけて出来上がった場の波動というのがあります。場の波動はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。その要素の一つとして道というのもあります。道というのは現実にある道路のことであるとともにエネルギーの通る道のことです。っていうかその2つはリンクしていることが結構多いのです。道を通るのは人や自動車だけではありません。眼に見えないモノも通ってる場合が少なくないと思います。幹線道路のように交通量が多いのなら尚更です。そこを流れていく人や自動車などが多いほど基本エネルギーも増えていきます。…

  • 呪をかけることと暗黒面に堕ちること

    森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。今まで何度か申し上げてきた「呪をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。ここでいう「しゅをかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで縛ることです。 『言葉』のチカラを使って人の心をコントロールするために為されるモノです。それは『他者』の心を支配し、時に『場の空気』まで支配しようとする呪術です。 なので、「呪をかける」という行為は最初は特定の個人なり集団によって行われるものです。ただ、繰り返しかけれた呪はいつしかそれ自体が独り歩きし出…

  • いわゆる一つの『ありのまま』と黒い自分

    世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方々がいらっしゃいます。「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。どんな人の心もブリリアントカットのダイヤモンドのように様々な側面があり、それぞれの側面は見る人によってもそれぞれ違って見えるはずですから。ていうか『ありのままの自分』ってのはそんな単純なモノでしょうか?人にとっての『幸せ』ってのが曖昧模糊として遠い存在であるように、『ありのままの自分』ってのも山の彼方のなお遠い『憧憬』に過ぎないって言っ…

  • 『人生100年時代』とかいうパラレルワールド

    「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように思います。 「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」ってな発想がです。 むやみに死に急ぐ必要はもちろんありません。 でも、そういう世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノを至上の価値だと信じる気にはどうしてもなれないのです。 ここでいう世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。 ある意味唯物論の極北です。 例えば平均寿命とまで…

  • 輪廻転生と「ご褒美としての今生」とかいう話

    所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定期間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界」ということです。その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃなりません。簡単に言えばこの世は何らかの課題を果たすための勉強部屋みたいなものじゃないでしょうか。 なので、この「夏休みの宿題」が出来なかった人がまた一から次の課題に挑戦し直すのが所謂一つの生まれ変わりだと思います。もしそうだとしたら、どんな偉人聖人でもこの世…

  • 「先祖って理由だけで集団にはならない」って話

    以前に「誰かが亡くなったら自分の親族に悪いことをやろうと思うでしょうか? 当然、そんな人間などいないはずです!」という意味のことをおっしゃる方のことを述べたことがあります。 「ご先祖さまは子孫に対して良いことしか考えるわけないじゃないか! 『悪いご先祖』など一人もいないんだよ!」てな感じの話です。 ても、その考え方って『死後のココロの変質』を前提にしないと成り立ちません。 例えば「生きてる時のAさんがいくら偏屈で子どもや孫に恐ろしく冷淡でも、亡くなった途端に子孫の繁栄をひたすら願う温厚篤実なココロに変質する」と信じているってことです。 つまり、死ぬことによって生きてる時のその人の生き方や人格が…

  • チカラでねじ伏せれば遺恨の種は撒かれます

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラの話ですがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴び…

  • 自己顕示欲とスピリチュアル

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 よく魔法とか出てくるファンタジー系の物語には、「最初無力だった主人公が実は秘めたる凄いチカラを持っていて、話が進んでいく過程でそのチカラに目…

  • ジブンガーZと「論破してやったぜ!」という自慢

    ハッキリ言ってスピリチュアルゥ~な人ほど我の強い人が多い気がします。「どうだ! オレって凄いだろぉ~‼」みたいな感じが透けて見えるのです。我というのはコダワリです。人間こだわればこだわるほど波動は荒く重くなっていきます。 個人的にはそういう人のことを『ジブンガーZ』と呼んでおります。 簡単に言えば、自我の肥大化したオラついた人のことです。以前何度か以上のようなことを書いたことがあります。上ではスピリチュアル〜な人って書いてますが、『ジブンガーZ』はスピリチュアルな世界限定ってわけではありません。その手の人ってのは古今東西どこにでも存在しています。『ジブンガーZ』の特徴の一つに「自分語りの激しさ…

  • 眼に見えない蟲と勘を磨くこと

    以前から蟲というモノについて何度か述べてきました。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。 蟲は人が直接発するエネルギーではありません。 物の怪やオニなどの類いともまた異なっています。 大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモノのような気がします。 オニや物の怪ほどガッチリと出来上がったモノではないのは確かです。この蟲というのは大抵クネクネした細長いミミズか何かのようにイメージされます。例えていえばもののけ姫でアシタカの腕に蛇のように絡みつくタタリガミってヤツに似ています。それがミミズなのか青虫なのか蛆虫なのか…

  • これからは貧富の差と同じように『寿命格差』も広がるでしょう

    「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているみたいです。ある種の健康法の根っこにもそういう認識はあるんじゃないでしょうか?「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」ってな発想がです。むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。ある意味唯物論の極…

  • 「波動のレベルを数値化する」って話

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのはスピリチュアルな序列を付けるためのバロメーターではありません。 また目に見えないエネルギーの強さを計るための物差しでもないのです。 ただ、自然で無理なく生きるための目印には十分なると思います。っていうかここでいう波動のレベルというのは出来るだけ自然で無理なくあるための目印です。波動のレベルをまるでそれが評価対象である人間や事物の絶対的な価値であるかのよう…

  • 所謂『召喚』と眼に見えないモノと繋がることの危険性

    このブログでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことを指します。 昔の陰陽道で言わていたような狭義のモノとは違うとお考えください。他に適当な言葉が見つからないので『人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべて』を式神という言葉で表現しています。言葉としてはどちらかというと使い魔と言った方が近いのかも知れません。実際何らかの呪術的な方法によってエネルギー体を使役しようと試みる人々は古今東西後を絶ちません。 後を絶たないどころかソフトな装いに変わって増えている気がします。エネルギー体を使いたがる人ってのは…

  • 唯物論的な思考を繰り返すといつか『欲望』に呑み込まれる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことだけなのです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられな…

  • 『ありのままの自分』でいちゃいけない理由

    世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方々がいらっしゃいます。「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。自分の魂のことなのか? 自分の肉体のことなのか? 自分の心のことなのか? どれなんでしょうねぇ…あと、「ありのまま」ってのはいわゆる「現状」ってことですよねぇ?一応「ありのままでいい」ってのは「現状維持するぞ!」って意味だと仮定した上で以下の話を進めたいと思います。もしそれが心なら「ありのまま」じゃあ、ダメでしょう!そもそも「心は磨いて…

  • いわゆる天罰と因果応報

    この地球上において人間ってのは特別なonly oneなどではなく、あくまでもone of themってヤツです。 一匹の蟻と一人の人間の価値が違うってのは人間目線なら正解ですが、地球目線なら不正解だってことです。でも、実際は地球上の多くの人間が「自分らのことを特別な存在である」と信じています。じゃあ、なぜそんな風に信じてるかというとその根底には拭い難い『選民思想』があるのです。 ここでいう『選民思想』というのは、「自分ら (人間) だけが『特別に選ばれた種族』だっていう根拠のない思い込み」のことです。その『選民思想』を現代社会に生きる大多数の人々がオブラートに包んだカタチで刷り込まれています。…

  • 「常に自分と戦い、勝利を目指せ!」という競争主義

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね…そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ?実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか。もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟なんてモノではないよね」ってことです。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。例えばナマケモノみたい…

  • 『慣れ』とはある一定方向への心の歪みです

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』の社会です。つまり、『現実に存在することを単に事実として認識すること』と『その事実を肯定的に受け入れ、本来あるべき姿として容認すること』は別モノだってことです。 でも、世の中には認識と容認、この2つを一緒くたにしてしまう人が実に多いです。そして「実際にあるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃいます。或いは目の前のうす汚い事実に調子を合わせて「キレイゴトを…

  • 人間の時間と眼に見えない世界の時間

    スピリチュアルな世界には「宗教的に言われるところの時間的な節目=見えないチカラの変化」みたいに捉えてる方がいらっしゃいます。それは例えば「お彼岸やお盆にピッタリ合わせて必ず亡くなられたご先祖様が自宅に戻ってくるのだ」みたいな話を信じているってことです。宗教的しきたりや土俗的な年中行事に対してそれぞれの立場に応じて信じたい方は信じればいいでしょう。それを否定する気はありません。社会的な潤滑油として、また生ている人間の心の安らぎとして機能していたりしますからね。しかし、あくまでそれは生きてる人間のための宗教的な儀式や世俗的な慣習の範疇でです。眼に見えないアチラ側の現実がそういった儀式や慣習に縛られ…

  • 自縛霊といわゆる成仏すること

    一般的には「ほとんどの霊は成仏しているだろうけど、もしかしたら一部分は無念などで成仏できていないかもしれない」って感じに捉えてる人の方が多数派でしょう。唯物論者ではなく、死後の世界を信じてる人の中ではですが…でも、霊能者と呼ばれる人の中には「ほとんどの人は死んでも当分のあいだ成仏出来ないんだよ」みたいなことをおっしゃる方が時々いらっしゃいます。一人じゃなく、別々の人がそういうニュアンスのことを別の立場で語られているのです。ざっというと「死後の世界は存在するけど、亡くなった人のほとんどは成仏していない」というのがそういう方々の見解らしいです。ただ、色々考えても亡くなった人のほとんどが成仏出来てな…

  • 心のドーピングもほどほどに!

    ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為全般を指します。 その一つに「わくわくすれば何でも実現するぜ!」といういわゆるポジティブシンキングに頼る方法があります。 それを麻薬で例えれるなら、覚醒剤のようなアッパー系のモノってことになるでしょう。不自然で無理のあるカタチでココロを高揚させたり、万能感を持たせたりするのが覚醒剤に似ているってことです。 まあ、クスリと同じで効果は一時的なものに過ぎませんがね… 一時的なだけならまだしもくり返せば無理が祟って心に変調をきたすことも少なくないでしょう。 その変調が大きくなるとそのうち心がぶっ飛んだ状態…

  • 出会いと選択と『人の縁』

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも人生の何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な『世界』というパズルのささやかなワン…

  • ご都合主義と引き寄せの法則

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。でもね、古今東西どんな人間でもたった一人でこの世に存在したわけではないでしょう。「他者との関わり合いによって自分の世界も成り立っている」というのが現実だと思います。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 ならば、有史以来この世に溢れている戦争も飢餓も貧困も『人間が自ら引き寄せた結果』ということになります。つまり、目の前にある『歴…

  • 心の歪みをほっとくとやがて『偏屈』になる

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 親近感を持つということはつまりウエルカムな心の状態になっているということです。何が怖いってその心の状態が一番怖いわけです。何故なら他人からすればドン引きするようなモノを自慢して見せるような『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。つまり、波動のレベルを感じる素の感覚が鈍るということ…

  • 悟りを目指してもコダワリは無くならないと思いますよ

    この世というのは『物』がある世界です。 「生きている」というのは、肉体という『物』とともにこの世に存在し続けるということです。 で、肉体があるということはこの世にある限り自分の肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。生命を維持するために本能があり、その本能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出…

  • 耳鳴りと『勘を磨くこと』の大切さ

    波動的な変化を知るための一つのサインとしては『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 時には単なる肉体の不調のサインだったりするかもしれません。 ただ、「いつもと違う」ってことはそれが何であろうと「変化の兆し」かも知れないので気には掛けています。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に留めるようにしておくのか」は長い目で見れば結構大きな差になる気がします。 その「大きな差」というのが何かといえば、勘の発動しやすさの差みたいなモノのことです。 勘というのはそれまでの経験値に基づく感覚的なシグナルであろうと考えます。もっ…

  • 癒しの波動と人間のいうところの『競争』

    赤ん坊というのは『癒しの波動』を出しています。 赤ん坊の側にいれば心も身体も穏やかになるのはその為です。 つまり、人間は癒しを為すことのできるエネルギーを生まれる時に既に持っているのです。 それはこの世にやって来る全員に標準装備されたエネルギーです。一般的によく言われる特殊な能力や特別な方法で伝授されるエネルギーなどは別にヒーリングの絶対条件ではありません。誰もが生まれながらにして癒しのエネルギーを持っているからです。しかしながら、実際には赤ん坊以外の大半のオトナは『癒しの波動』を持っていません。 現実社会で育っていく過程で知らぬ間にソレを失くしていきます。失くしたことにさえ気付かないままね……

  • 依存する心といわゆる『信者』への道

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。 不確…

  • 『純粋』も過ぎれば『不純』を生む

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に一歩近付くしかありません。闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになるでしょう。闇は何時もおぞましいばかりの存在ではないのです。退廃的な甘美さみたいなモノも強烈に持ち合わせています。そして、その退廃的な甘…

  • 生兵法は大怪我のもと (除霊篇)

    例えば「何かに憑かれた人がいたとして、気力の充実した人がその人の背中をドンと叩いて「出ていけ!」と気合いを込めればその何かは出て行くんだよ」みたいな話があります。気合い一発でなくてもセルフでお手軽に出来るお祓い?みたいなことを勧める人は時々いらっしゃいます。それを全くのフェイクとまでは申しませんが、何時でも誰でも雑作なく出来る方法とは思われません少なくとも誰彼なくお気軽に勧めて良い類いのものではないでしょう。なぜなら、コンスタントに出来る保証なんて何処にもないからです。むしろ出来ないことの方が多い気がします。それにもし出来たとしても『良い事尽くめ』とは限らないですしね…お気軽にやらない方がいい…

  • 「オニに呑み込まれる人」の話

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 オニの大きな特徴は一旦暴走モードになると手当たり次第に何でもかん…

  • 顕在意識は自分の潜在意識から自由にはならない

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。その偏った主観がここでいう色眼鏡です。一人一人が見ている『世界』というモノはそれぞれに…

  • 「世界を一つにできれば戦争はなくなる」というファンタジー

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。 人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い』が心の底…

  • 輪廻転生と「人生は一発勝負」って話

    所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定期間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界」ということです。 その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃなりません。 なら、その宿題は誰が与えているかというと結局生まれてくる前の自分自身が作成している気がします。所謂神様とか他人じゃなくてね。 簡単に言えばこの世は何らかの課題を果たすための勉強部屋みたいなものじゃないでしょうか。 そう捉えると何だかしっくりくる…

  • 不条理な世界と「正解は必ずある!」という幻想

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個人的にはインスタントって呼んでいます。私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という心の在り方のことです。 テレビのお笑い…

  • 思考停止と『シアワセもどきの世界』

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。安定と自由は反比例するってことです。或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 不安定は不安を生み、不確実は恐怖を生みます。 往々にして人はその不安…

  • ナニをさして神と呼ぶかは『人間の側の問題』である

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノには神さまという名前を付けよう!」って概念を作ったのも人間です。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話なのです。 だ…

  • 物の怪の龍と眼に見えない大きな存在の龍

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 物の怪のひとつに龍がいます。龍を一言で表すならそれは『支配』です。具体的には「(自分の意見を)押し通したい」「(全ての者を) 服従させたい」「(全ての上に) 君臨したい…

  • 健康と不健康は二つで一つのセットです

    最近巷ではますます健康をテクニカルに得ようとする考え方が流行っています。ただ、研究所で実験用ラットを扱うようなやり方をしても中々健康という『答え』にはいき当たらない気がします。ていうかそもそも「目指している健康って何なのか?」ってところからしてボヤけているというか… 医学的に言われる所謂『不健康』な要素を機械的に削り取って、健康になるための要素だけを選別して残そうとしても無理があるとしか思えません。生と死が切り離せないように健康と不健康もまた切り離すことは無理なのです。 陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。 これを健康に当てはめて私流に言い換えれば「健康ガー!健康ガー!と年がら年中やっ…

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