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2020/05/22

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  • 啓蒙したがる人は「正しいことは一つだけ!」と信じている

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「物事の筋が分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い…

  • 運命は『選択』と『出会い』と『タイミング』によって決まる

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは、人・モノ・場所との『出会い』とその際における『選択』の数々から生まれるということです。 そうやって生まれたたくさんの『運』が、巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見何とも繋がっていないように見える一つのピースも何処かで何かと繋がって最後は大きなパズルの絵となるのです。それが『運命の大きな流れ』なんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人…

  • 何でもむやみに繋がらない方がいい

    生き物というものは、エネルギーの出し入れを行うことで『生きるチカラ』を得ています。 分かりやすい例は『呼吸』です。「吸って吐いて」の繰り返しを絶え間なく行わなければ生きていけません。でも、『呼吸』というモノは、自分の周りにある空気を分別せずに吸い込むことしか出来ないのです。身体に良い成分のみを先に選別して吸い込むなんてことは到底無理です。眼に見えないエネルギーに関しても最初から自分に都合の良いとこだけ分別してから取り入れるなんてことは出来ません。 取り入れるか取り入れないかの選択権は持っていますがね。「良からぬエネルギーだけ選り分けてから取り入れる」なんて芸当は不可能です。 何か眼に見えないモ…

  • 「どうやったら成仏できるか?」本当の答えを知る者はいない

    ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 『線香の煙』や『読経の声』にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。そういうモノによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。そ…

  • 勘を大切にすることが最後には自分を助ける

    波動的な変化を知るためのサインの一つとして『耳鳴り』があります。 いつでもどこでも誰にとってもサインになるとは限りませんけどね。 単に体の不調のサインである場合もありますし。 ただ、何かいつもと違うことが起こり、それに引っかかるモノを感じる時は、何であれ「変化の兆し」として気を付けておいたほうがいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」が運命の分かれ目になるなんてことも十分あり得ることですので。 「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」どちらを自分の心のクセにするかで五感の鋭…

  • 想像力を失った人間は色んな意味で操られやすい

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩になります。逆に知ったつもりになればなるほど察したり慮ったりするチカラは失われていきます。 なので、「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。 でも、現実には「自分は世界の全てを知り尽くし…

  • いわゆる『大和魂』と『人間らしさ』を問われる時代

    もう随分前から人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風に波動がハッキリと分かれ続けているように見えます。その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました。昔ならあったはずのグレーゾーンが完全に近いほど消滅しています。今までは目先にあることを見て、ちょこちょこといじくるだけで一生を過ごせた人々も多かったかも知れません。そういう人々は、眼に見えない世界への畏れもなく、唯物論的な視点で人生を謳歌することも出来たでしょう。でも、『今現在』は様々なことの『素性』が抗いようもなく露見する時代です。 これまでは眉唾のオカルトと一笑にふされていた眼…

  • 人間に嫉妬するカミサマと眼に見えない大きな存在

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノには神さまという名前を付けよう!」ってことを決めたのは人間です。 別の言い方をするなら、眼に見えないナニカに対して神さまって概念をどこかの誰かが勝手に押しつけただけの話なのです。 だから、社会的な影響力の強い別の誰かが同じモノに対して「これは悪魔だよ〜」って言えば悪魔って名前になり得ます。ただ、それは「その人たちが神だ悪魔だと呼んでる…

  • 所謂一つの『ライン』と「人を支配したい」という欲望

    ここでいうところの『ライン』というのは何らかのエネルギーの送受信を可能にするために仕掛けられた隠された装置のようなモノのことです。 例えて言えば蟻の分泌するフェロモンみたいにA地点とB地点を眼に見えない道で結ぶようなモノです。 その眼に見えない道が一度結ばれるとそれを通じて色んなエネルギーがやって来るようになります。 そして、知らず知らずのうちに様々な影響を受けるのです。この『ライン』というのはこの世界の至る所に当たり前のように仕掛けられています。 実に多種多様なカタチの『ライン』が世の中にはあるのです。コードのようなモノもあれば、無線LANのようなモノもあれば、盗聴機のようなモノもあります。…

  • 蟲に侵食されるのは心が弱っている証拠である

    ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。 あくまでも私が個人的にそう呼んでいるだけの名称ですがね… 蟲は生きている人間から直接発せられているエネルギーではないように感じます。 ただ、物の怪やオニの類いのような『荒々しい強さ』は持っていません。 大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモノのような気がします。 オニや物の怪ほどガッチリと出来上がったモノではないのは確かです。 この蟲というのは大抵クネクネした細長いミミズか何かのようにイメージされます。 例えていえばもののけ姫でアシタカの腕に蛇のように絡みつくタタリガミ…

  • 「この地球で人間が一番偉い!」って考え方は危険である

    私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 逆に「人間ってなんでこんなに出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと頭を離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結論などではなく子供の頃からずっと心の奥にあるものなんですよね。 以下の話の前提は『そんなところ』から始まっていることを申し上げておきます。 菜食主義の人ってのは「人間>哺乳類>魚類>植物」みたいなピラミッド構造が頭の中に貼り付いているんだろうなと思うのです。 人間を問答無用で頂点に置き、「人間に近いものほど霊的に偉いんだ」という『生物観』を基礎としているようにお見受けします。そ…

  • 『ご先祖丸ごと性善説』は不自然で無理がある

    以前に「誰かが亡くなったら自分の親族に悪いことをしてやろうと思うでしょうか? 当然、そんな人間などどこにもいないはずです!」みたいな意味の言説について述べたことがあります。「ご先祖さまは子孫に対して良いことしかするわけないじゃないか!『悪いご先祖』なんて一人もいないんだよ!」って感じのお話です。で、個人的にそのタイプな考え方を『ご先祖丸ごと性善説』と名付けました。ただ、ご先祖丸ごと性善説というのは、死後のココロの変質というモノを前提にしないと成り立ちません。だって、生きている時にみんながみんな、そんなにも善良で思いやりのある人間であったわけはないからです。今の世の中でも見渡せば「今だけ欲だけ自…

  • 家系の因縁と土地の因縁と因果のツケ

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、『因果応報』というものは世界に遍く存在しています。 何であれ『原因』という種があってはじめて『結果』という花が咲くのです。 ただ、『因果応報』というものは誰にでも分かりやすく納得出来るようなカタチで何時もやって来るという保証はありません。 原因と結果の関係性が、人間一人分の時間と空間の範疇をはみ出さないとは限らないからです。 それ(原因と結果の関係性)が、一人の人間の時空間からはみ出していればいるほど分かりやすさからは遠ざかります…

  • 神社仏閣だからといって変なモノと繋がらないとは限らない

    ヒーリングなどしておりますと波動のレベルの低いエネルギーが人間の心や身体の中に入っているのに出くわすことはありふれた日常的な出来事になります。そういったエネルギーが何処から来るかというと大雑把に分けて「人から来るか・場所から来るか」のどちらかです。つまり、その人の中に入ってるエネルギーはその人が出会った人か、行ったりした場所か、どちらかからやって来るということです。もっと言えば物ってのもありますが、物のエネルギーってのは大抵人か場所に付随するモノです。エネルギーをもらった場所のなかには神社仏閣ってのも当然あるでしょう。別に信心深くなんてなくても、旅行に行けば観光がてら寺社を巡ったり、自宅や勤務…

  • 中二病と落ち着いた心

    つくづく中二病とスピリチュアルってのは親和性が高いんだなって感じる今日この頃です。ていうかスピリチュアルに流れつくような人ってのは、そもそも中二病の傾向が強いってことかもしれません。 中二病とは要するに「自分が世界の主人公で、この世界は自分を中心に回っていて、自分の世界観を強く反映した行動や言動をとってしまう状態」の事。 要は「私はお前ら一般人とは違う『特別』な人間なのだ!」というニオイをプンプンさせてる状態が中二病って事です。 「如何にも自称霊能者の人とかが信じてそうなこと」ですよねぇ。まぁ、自称霊能者の人が全員中二病だとは思ってませんし、そう申し上げる気もありませんけどね…ただ、その界隈に…

  • 想像力とは人間らしさを測る一つのモノサシである

    このブログでは何度も想像力の大切さについて述べてきました。 「想像力こそが人間らしさの根っこにある」ということについてね! ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 逆に何でも知ったつもりになればなるほど想像力は失われます。 一生懸命察したり慮ったりしようとする心(想像力)が正常に働いていれば、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対して否応なく敏感になります。 その敏感さこそが『人間らしさ』を生み出す源となるのです。 人間というのは本質的に無知な生き物です。人間ごときが何でも分かるわけがないのですからそれは当たり前です。 先ず自分…

  • 眼に見えないモノも繋がることは良いこと尽くめではない

    森羅万象すべてのものには『波動エネルギー』があります。 そして、生きるということは数限りない『出会い』と『選択』の連続で成り立っています。 ということはこの世界にいれば様々な波動エネルギーとの出会いと選択も避け難くやって来るということです。 で、その出会いと選択はこちらにだけではなく相手サイドにも影響を与え得るモノです。 その影響は本人にとって良い影響もあれば、良くない影響もあります。 この影響を与え合う関係が成立するのが『繋がる』ということです。眼に見えない世界的に『繋がる』とは、エネルギー的な回路が成立したことを指します。 エネルギー的な回路が成立すれば様々なエネルギーが出て行ったり、やっ…

  • 俯瞰的な視点と間を取ること

    古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、実は潜在意識やら先入観やらによって恣意的に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 一言でいえば「すべての人間は主観的な世界観の中で生きている」ということです。だから、『純粋に客観的な視点を持つ人間』などというモノはどこにも存在しません。当然ながら、個人の主観というモノには、『偏り』が存在します。一人一人が見ている『世界』というモノには、それぞれに常に個別の『偏り』が存在しているということです。 でも、世の中には「自分の主観と離れたところ…

  • 百鬼夜行の世界と心を試される時代

    前回「物の怪が減って、オニが激増している」という話をさせていただきました。なので、今回改めてオニについて語らせていただこうと思っております。「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない! 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中…

  • 物の怪の減少とゾンビ映画の中のような『世界』

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 もっと簡単に言えば、元々この世に生きていて、死によって肉体を失くした者を幽霊とするならば、端から肉体を持っていない人外の存在が物の怪というモノです。物の怪にはキツネ・ヘビ…

  • この世は『不思議』に満ちています

    ヒーリングなんてことをしておりますと正直不思議だなって思うようなことには日常的に見聞きしたりします。 ここでいう不思議だなって思うようなこというのは、いわゆるオカルト的な事柄のことです。 とはいえ起こった出来事をあまりに生々しく語ると「コイツ頭大丈夫か?」って感じになるかも知れません。なので、このブログではそんな出来事の数々を3割か4割は薄めて、そんでもって事実関係も結構ボカして書いていたりします。まぁ、それでも人によっては「ナニそれ?!」っていう感じの話かも知れませんけどね…(^_^;)体験した本人自身が「これってホントかよ?!」みたいに感じることも多々あります。だから、「他人様がマユツバに…

  • 不自然で無理があるモノは人を幸せにしません

    癒しとは楽になることです。 ここでいう「楽になる」とはダラダラと安直に怠惰に過ごすという意味ではなく、「それぞれが元々持っている自然で無理のない状態に戻る」ことです。 謂わばニュートラルに戻るということです。 このブログにおける『ヒーリング』とはその「楽になること」をお手伝いすることです。 主体は何時もヒーリングを受ける側のほうにあります。 例えて言えば、歩きにくい人のための杖や見えにくい人のための眼鏡みたいなものなんじゃないかな~と思うのです。 今まで何度も書いてまいりましたが以上が私の行なっているヒーリングのキモの肝です。 このブログ内で使われる『癒し』『ヒーリング』『楽になる』といった言…

  • 日本と終末論

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラ…

  • 『認識には偏りがあるということ』ととチャネリング

    古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、実は潜在意識やら先入観やらによって恣意的に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されずコーディネートもされない純粋に客観的な『事実』など何処にも存在しないのです。別の言い方をすれば「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が標準装備している」ということです。つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。以上を一言でいえば「…

  • 情報過多な時代ほど『無知の知』を見失わないことが大切になる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。人間ごときが何でも分かるわけがないのですからそれは当たり前です。 でも、知らない部分は知識ではない他の何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働き全般のことを指します。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることから『想像力』は始まるのです。逆に何でも知っているつもりになればなるほど『想像力』は失われていきます。その人が使わなくなるので、察したり慮ったりするチカラが加速度的に弱まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野がその分狭いというこ…

  • マヤカシの世界とぶっ飛んだお話

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場ということです。 出来のいいマヤカシは八分くらいの『本当』の中に二分の大きな『偽り』がさりげなく混ぜ込まれているのです。 そうすれば、その『本当』に目が眩んで『偽り』がもっともらしく見えるからです。 これもホント! それもホント! あれもホント! と小さな本当を積み上げていって、最後に大きなウソでドーンとぶち込むわけです。 あの手この手で信用させてから、肝心要のウソ話に持っていくのです。だから、この世のマヤカシにどっぷり浸かりながら、同時に己れの「正しい!」にべろんべろんに酔いしれるこ…

  • 血縁絡みは亡くなっててもややこしいことが少なくない

    「成仏してない先祖は子孫が責任持って成仏させなくてはならない」みたいなことをおっしゃる霊能者が世の中にはいらっしゃるそうです。 それって私には全然ピンと来ない話なんですよねぇ。 良くも悪くもそんなに先祖が子孫にガッツリ関わるのが常態化してるのなら、所謂浮遊霊みたいなモノは何で存在するのでしょうねぇ? 所謂地縛霊は何故あちこちに立っているのですかね? そういう浮遊霊や地縛霊だって誰かのご先祖さまのはずですが… そもそも、じゃあ何故とんでもなく多くの亡くなったヒトたちが子孫とは縁もゆかりもない場所で地縛霊やら浮遊霊やらをしてるんでしょうか? はっきり申し上げていわゆる未成仏霊のヒトの多くは子孫と関…

  • 因果応報というモノは『人間サイズ』に収まらない

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 原因という種があって結果という花が咲くのです。 ただ、因果応報というものは誰にでも分かりやすく納得出来るようなカタチで何時でもやって来るとは限りません。 原因と結果の関係性が一人の人間の理解出来る範疇をはみ出さないとは限らないからです。 それでも、はみ出していようといまいと『来るモノ』はいつか必ずやって来るのです。それを私は『因果のツケ』って呼んできました。 『因果のツケ』が何故起…

  • 劣等感の裏返しの優越感への渇望

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われている人々です。 ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことを指します。そういう状態になりたいと渇望し、あるいは「既に自分はそうなっているに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 よく魔法とか出てくるファンタジー系の物語には、「最初無力だった主人公が実は秘めたる凄いチカラを持っていて、話が進んでいく過程でそのチカラに目覚め…

  • 行きずりの出会いと選択の意志が運命を決める

    ヒーリングをしていると様々な波動エネルギーをヒーリングしている相手の方の中に見出します。人間というのは誰しもそれだけ雑多なエネルギーを抱えているということです。ただ、その雑多なエネルギーの一つ一つに誰しもが頷くような曰く因縁があるわけではありません。ここでいう誰しもが頷くような曰く因縁というのは、例えば「先祖から続く怨霊があなたに憑いています!」みたいな話のことです。それでご本人が納得するかどうかはともかくとして「なるほど! だから、憑いたのか!」と感じるような理由のことです。そういったなるほど感のある曰く因縁がある場合ももちろん中にはありますが、全体的に見れば随分少ないです。それよりも例えば…

  • 波動的な流れを良くするための簡単な方法

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 すべての生き物はずっと動き続けることで『活性』を保っています。当然ながら動きが鈍くなればなるほど『活性』は落ち波動的に澱みます。波動的に澱めば波動のレベルも下がります。波動のレベルが下がれば色々良からぬモノが憑きやすくなるものです。例えば長い間人間が出入りしてないような閉鎖され…

  • 予言とは未来に対して「呪をかけること』である

    所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なんじゃないかと感じています。 少なくともそういう願望にとっては都合の良いモノが少なくないのは確かです。それはこの世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をするというような内容です。ちゃぶ台返しと申しますか、兎に角古いモノは全部ぶっ壊されるわけです。話のスジとしては「それをカミサマみたいな善いモノがずっと昔から望んでいるのだ!」みたいな構造です。終末とか建替え立て直しとかアセンションとか色んな言葉はありますが、スジは大体同じかなと…一言でいえば所謂『予言』とい…

  • 因果のツケと運命の支配者になりたがる人々

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。 でも、因果応報って言っても悪いことばかりを指すわけじゃありません。その人の積み上げてきたことは吉凶禍福どちらにでも転がります。その人の選び取ってきたことの『報い』としてね。 何が言いたいかというと今まで生きてきた分はどうしたってチャラには出…

  • 『操れる系』と『操られたい系』の共依存

    「全部とはいかないけど、このよのかなりの部分はテクニカルに操れるんじゃないか!」と考えている人って世の中には少なからずいらっしゃるようにお見受けします。 そういう人々の心の奥底には「やり方さえ間違わなければ人間なんて簡単に操作出来る! チョロいもんだ!」っていう想いがあるのでしょう。その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。 何故「チョロいもんだ!」と思ってるかというと、過去に人を操ることが出来た成功体験を『経験値』として持っているからです。簡単にいえば、操ることに一度ならず何度も成功したので、人間なり世界なりをナメ切ってるんですよね… 例えば目端の利く女の子な…

  • 中二病と『一発逆転のビッグチャンス』を狙う人

    中二病とは要するに「自分が世界の主人公で、この世界は自分を中心に回っていて、自分の世界観を強く反映した行動や言動をとってしまう状態」のこと 要は「私はお前ら一般人とは違う『特別』な人間なのだ!」というニオイをプンプンさせてる状態が中二病って事です。 「如何にも霊能者(仮)の人とかが信じてそうなこと」ですよねぇ。まぁ、霊能者(仮)の人が全員中二病だとは思ってませんし、そう申し上げる気もありませんけどね…ただ、その界隈には「自分の能力はチートだぜ!」みたいな雰囲気を振りまいている人が少なくない感じはするのです。スピリチュアルとは、歳をとった中二病の人々が少なくとも仲間内では奇異な眼に晒されず生きて…

  • 引き寄せの法則と『邪魔』と無縁な人生

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』というのは生きていく上で現れるあらゆる負荷のことです。場合によってはマイナス要素や生きづらさと言い換えることも可能かも知れません。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わりあって存在しています。心と身体が連動して存在しているようにね…例えば会社や学校では虐めや嫌がらせをされるってことがあります。それと関連して、ネガティブな想念エネルギーをガンガン送られるってこともあるかも知れません。それら二つは…

  • 「人間は死んだら終わり」という迷妄

    「幽霊なんているわけない!何故なら自分は見たことがないからだ!」っていう人の話を以前に書きました。 所謂『幽霊否定派』についてです。 もちろん何を信じようとそれぞれの自由です。 「個人的な思想信条の範囲に収まってる限りは」ね。 ただ、現実にはそういう考え方は弊害をもたらしています。 「幽霊なんているわけない!」って考え方の延長線上には「死んだらお終い」っ 考えが横たわっているからです。 「肉体が無くなれば人間としての存在も跡形も無く無くなってしまう」って考えに行き着くのです。 それって「目に見えるモノ」だけを信じる唯物論の考え方です。 唯物論の考え方を続ければ、人は遅かれ早かれ「やり逃げ上等!…

  • インスタントといわゆる一つの『基礎工事』の大切さ

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 大きく変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個人的には『インスタント』って呼んでいます。私のいう『インスタント』というのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という在り方のことです。 テレ…

  • 悪魔の契約と御利益の代償

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどが悪魔の契約の相手です。 ここでいう人外のモノというのは…

  • 「自分は絶対正しい!」と思いたがる人たち

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。 発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。でも、実際はどうかといえば所謂スピリチュ…

  • 物の怪6種類についての説明

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあります。例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 これまで物の怪にはキツネ・ヘビ・龍・カラス・クモ・狼の6種類がいることを確認してきました。 個人的に確認しただけなので、他にいないとは限りませんけどね。大雑把にいうと全体の6割くらいがキツネ、3割がヘビ、残りの1割が後の4種類って感じです。物の怪の種類の違いというのはいわば自称みたいなモノです。国や地域が異なればまた別の名前で存…

  • 『呪い』は世界に溢れている

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう…

  • 操れる系の思考では運命を操れない

    今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。『インスタント』大好きと申しますか… ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。単純明快さが第一なんですよね…

  • 魔境と高揚感・万能感への渇望

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、本人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 魔境に入った人というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感・万能感に支配された状態のことです。「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感に支配…

  • 散歩における日常的な感覚とオカルト的な感覚

    まあ、たまにはダラダラと雑談めいたことを語っていこうと思います。とりあえず何にもオチを考えずに書いていきますので、話がとっ散らかると思いますが、どうかご容赦くださいm(_ _)mよく街をブラブラしながら、なんとなくあちこち眺めていたりします。子どもの頃から特に用事がなくても街歩きするのが嫌いじゃありません。ヒーリングするようになってからは、波動的な街の変化とか人の変化とかを感じることも多くなりました。特に最近は波動の変化は著しい感じがします。その変化にアテラれている人々も少なくないか気がします。ここでいう「アテラれている」というのは波動的な変化の影響を比較的多く受けているという意味です。「アテ…

  • 所謂『真理の探求』は人から想像力を失わさせる

    このブログでは何度も想像力の大切さについて述べてきました。「想像力こそが人間らしさの根っこである」ということについてね!人間というモノは本質的に無知な生き物です。人間ごときか何でも分かるはずもないのですから当たり前のことです。でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるモノだか…

  • ヒーリングと危険な万能感

    世の中には時々何の注釈も無しで独自の用語とか考え方を語られる方がいらっしゃいます。 特にスピリチュアル〜な世界には多い気がします。まぁ、スピリチュアルに限ったことではありませんがね。「みなさんご存知のように」みたいな前置きをおっしゃるならまだマシで、ご自分の頭で考えた通りをいきなり文章にしてドヤ顔をされたりされるのです。つまり、『認識の共有』を非常に軽視するわけです。例えば『ヒーリング』だの『波動』だのと書いてあってもそれぞれの語っている意味は相当違ってたりします。だから、私の場合は「ここでいう〇〇はこういうことを表しています」みたいに前提を付けて語ります。そうしないと最低限の『認識の共有』も…

  • 先祖と子孫が必ずしも霊的に繋がるとは限らない

    スピリチュアル界隈には「先祖というモノは子孫の人生に漏れなく関わっていくものだ!」という風に考える人たちがいらっしゃいます。 同じ血脈のなかで延々と『生きている人間』の面倒を霊的に見ていくという発想です。 良くも悪くもそんなに先祖が子孫にべったり関わるのが常態化しているのなら、浮遊霊みたいなヒトは何で存在するのでしょう? 或いは地縛霊みたいなヒトはなぜあちこちに立っていたりするのでしょう? 浮遊霊や地縛霊だって今生きている誰かのご先祖さまには違いないわけですが… ヒーリングなんてことをしておりますと人の身体に亡くなったヒトが憑いているなんて場面にはたびたび遭遇します、 そういうヒトたちだっても…

  • 悪口・陰口は結局『自分』を苦しめます

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 他人の悪口・陰口を日課のようにしている人が世の中には大勢いらっしゃいます。悪口・陰口をしょっちゅう発信するということは、その元となる『心の状態』をずっと維持し続けているということを表しています。 そして、そういう『心の状態』を維持するためには、悪口・陰口の元となる想念エネルギーを日々量産して貯め込まなくちゃなりません。人間無い袖は振れないというか、自分の中に無いモノは出てこな…

  • 『啓蒙したがる人』と「知識は双方向である」という話

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。個人的には余計なお世話って風に思えますが、ご本人たちは至って真剣です。まあ、その真剣さは大抵疎まれる類いのモノなのですけどね…人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られやすくなります。 そして、それこそが「善を為すことだ!」と深く信じていたりするのです。そして、そういう人たちは他人に…

  • 憑かれた人を見分ける1番のポイントは『眼』である

    「身も心も支配されて完全に操られている状態」を所謂『憑依』とするならそういった人はごく少数でしょう。 ただ、様々な波動エネルギーの影響を受けて、心や身体に大きく変調を来たしてしまう人というのが世の中には少なからずいらっしゃいます。 ヒーリングなどしておりますとそういう現場に日常的に出会うのです。そういった状況をここでは一応「憑かれた状態」としておきます。 『憑かれた状態』といってもオカルト映画みたいな誰でも分かるド派手な怪奇現象が起こるなんてことは滅多にありません。もし起こったとしても随分状況が進行した後のことでしょう。最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていきます。浸食された部分…

  • マヤカシの確信としての魔境

    眼に見えない世界の情報というのは現実に裏付けが取れないことがほとんどです。 だから、いくら本物っぽく感じたとしても眉に唾をつけて3割引きくらいで捉えたぐらいでちょうどいいのです。 この『3割引きの視点』というのは物事を俯瞰的に観るためには結構役に立ちます。 物事にのめり込んでしまわないようにする一つの目安となるからです。 世の中白黒ハッキリした所謂『正解』が、いつでもどこでも用意されているなんてことはないのです。 薄ぼんやりとした曖昧さの中を「これが多分答えかな?」というモノを探しながら進んでいくしかないのがこの世界です。 元からそういうモノなのです。 ただ、スピリチュアル系や自己啓発系の主な…

  • 人と人との適度な間が平和の素です

    何かを知るということはその分『己れの無知』を知ることでもあります。 一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを否応なく思い知らされるのです。なので、得てして知るということにはある一定の苦しさを伴うものです。その苦しさがイヤでイヤで知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。 「話せば分かる!」という人は『知ることの闇』を舐めています。 「互いを知れば必ず分かり合える」なんておっしゃるのは知りたくない人の苦しさを理解してない方の言い分です。人間は何処まで行っても分かり合えないかも知れないけど、それでも分かり合おうとするしか術がない生き物です。 アレヤコレヤを呑み込んでそれでも前に進もうとするし…

  • 呪いの言葉を常用すると『呪い人』になる

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう…

  • ヒーリングと癒しと好転反応

    私はヒーリングに関して所謂一つの伝授っていうものを受けたことはありません。 伝授という専門用語を使う場所にも行ったことがないのです。 だから、それがどういったモノか伝聞でしか知らないのですが、ある方によると伝授というのはものすごく苦しい場合があるということらしいのです。 「 あるヒーリング伝授を受けた時は涙が止まらなくなるほど頭が痛くなり1週間寝込むほどだった。また別のヒーリングの伝授を受けた時はシンボルとか覚えようとするだけで激しい腹痛が起きた。」 こんな感じらしいです。 もし私がその人の立場ならどちらのヒーリングもさっさと止めてしまったでしょうけどね… だって、ヒーリング習ったら無茶苦茶身…

  • 自然に触れるほど勘は磨かれる

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。怒ったりも羨んだりもするものです。 快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能…

  • ヒーリングに対する心の在り方と癒し

    例によって例のごとくですが、今回改めてヒーリングについてあれこれ述べてみたいと思います。 ここで語るのは、あくまでも私の行なっているヒーリングについてであることを先に申し上げておきます。 他のヒーリングにはまた別の考え方ややり方があるでしょうからね。 癒しとは楽になることです。 楽になるとはダラダラと安直に怠惰に過ごすという意味ではなく、「それぞれが元々持っている自然で無理のない状態に戻る」ことです。 謂わばニュートラルに戻るということです。 ヒーリングとはその「楽になること」をお手伝いすることです。 主体は何時もヒーリングを受ける側のほうにあります。 例えて言えば、歩きにくい人のための杖や見…

  • チカラでねじ伏せる者は自分もチカラでねじ伏せられる

    チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラであれ、目に見える現実的な力であれね… なので、チカラ比べを続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。 そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴びるかも知れないです。そういうことを長く続ければ続けるほど所謂…

  • マインドコントロールと日頃から心を柔らかくすることの大切さ

    私は自分のことをいつでも必ず正しいなどとは思わないようにしています。 「そこそこイケてることは言ってんじゃないの〜」くらいには密かに思ってますがね(笑)人間誰しも間違うこともあるし、勘違いしてしまうこともあります。「それがあって当然だろう」という前提に立ってるくらいでちょうどバランスが取れるんじゃないでしょうか。最近はよく「自分に『ブレない軸』だの『中心』だのを持ちなさい」って方がいらっしゃいます。でもね、そういう軸やら中心やらにもコペルニクス的な転回っていうのが容赦なく起こるかも知れません。少なくとも起こる可能性はどんな時もゼロじゃないのです。ゼロじゃないって前提で考えていかないとかえって心…

  • 無知の知を失えば、人は悪い意味で『無敵』になる

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。 発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば「知らないことだらけ」ってことです。もっと簡単に言えば「生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れている」ということです。でも、実際はどうかといえば所謂スピ…

  • ムダを省くことと塞翁が馬

    ムダを省くってことはそりゃ悪いことじゃないでしょう。 ただ、「何がムダで何がムダじゃないか」ってことを長期的に正確に捉えることは、人間にとって相当な難題であると言えます。 俯瞰的な眼で見れば見るほど「ムダって何?」っていう『そもそもの出発点』自体ドンドン曖昧模糊としたモノになっていくものです。ムダだと思ってたモノが有用であると見直されたり、有用だと思ってたモノが時代遅れのガラクタに成り果てたりすることは歴史を紐解けば幾らでもあることです。 『人間万事塞翁が馬』って故事があります。幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。 人間はこの世界に生まれた時から変わりゆく者…

  • 欲望とパワハラとセクハラ

    欲望というモノは元々善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出世して権力が持ちたい!」 この「もっと! もっと!」という意味での『プラス方向』へです。 ただし、この「もっと! もっと!」機能が最初から通常装備されている欲望ってやつは、それ故に暴走しやすいのです。 たまたまではなく向いてる方向が常に暴走しやすい向きになっているということです。 そのことに対する認識が緩いほど欲望の暴走に…

  • ノスタルジー濃度と『今』を呪うココロ

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方でです。昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、古今東西よくある考え方なのでしょう。私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「現在進行形の『世界』を呪詛してるだけだろう」と感じます。本当は大して良くもなかった過去を持ち上げることで、今ここにある自らの不遇を『世界』のせいにしようとし…

  • 人の作る情報の中にも祈りや呪いがある

    スピリチュアルな世界には「宗教的に言われるところの時間的な節目=見えないチカラの変化」みたいに捉えてる方がいらっしゃいます。具体的にいうと「お彼岸やお盆にピッタリ合わせて必ず亡くなられたご先祖様が自宅に戻ってくるのだ」みたいな話を信じているってことです。宗教的しきたりや土俗的な年中行事に対してそれぞれの立場に応じて信じたい方は信じればいいでしょう。それを否定する気はありません。社会的な潤滑油として、また生ている人間の心の安らぎとして機能していたりしますからね。しかし、あくまでそれは生きてる人間のための宗教的な儀式や世俗的な慣習の範疇でです。眼に見えないアチラ側の現実がそういった儀式や慣習に縛ら…

  • 振り切れたココロと心のバランス

    人間は誰しも主観的な存在です。純粋に客観的な人間など一人も存在しません。なので、大なり小なり心には偏りが存在しています。偏りのない人間など何処にもいないのです。元々偏っているんだからその偏りを小まめに修正する必要が出てきます。そうしないとそのうち心は振り切れてしまうからです。心が振り切れれば振り切れるほど物事を単純化してで捉えるようになっていきます。偏りが大きくなった分、心の中身が詰まってないスカスカになってる箇所が増えていくからだと思います。 そうなるとスカスカになった部分には何とか中身をみっちり詰めたくなるのでしょう。 まあ、半ば無意識にですが… で、大抵はそこに現実とズレたファンタジーな…

  • 血脈ごと『悪魔の契約』をする者たち

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどなどの『人外のモノ』が悪魔の契約の相手です。『悪魔の契…

  • 「万能感・高揚感・使命感」という迷いのトライアル

    拝見しておりますと所謂スピリチュアルや自己啓発の目的は「世界は自分の為にある!」なんて思えてしまうほどの『万能感』や「自分に出来ないことなんてない!」と信じてしまえるほど『高揚感』を手に入れることのような気がします。 それがそういったことの本来の目的であるかどうかは分かりませんが、一般的にはそういうのが今ごろの『流行り』であるのは確かでしょう。 もちろん何を信じようとそれぞれのご自由ではあります。 ただ、そういった類いの『万能感』やら『高揚感』を求めれば求めるほどそれと反比例して心は浮き足立っていくのです。 その『万能感』や『高揚感』自体が既にフワフワしたモノだからです。 地に足が着いてないっ…

  • 勘が冴えてるほど運命の波には乗りやすくなる

    生きるということは波乗りみたいなものです。 巡りゆく運の波に上手く乗れたり、乗り損なったりしながら進んでいきます。また、感情の起伏、身体の好調不調など『自分にまつわる色んな波』が死ぬまで付いて回ります。それらの波を完全に制御することなど、ちっぽけな人間にはどだい無理な話です。 「人には添うてみよ! 波には乗ってみよ!」でございます(笑)大波小波乗り越えて、乗り越えながらなんとか凌いでいくしか生きる道はありません。 「運命を拓く」とは出会いと選択を繰り返しながら、良い波が来るタイミングをスタンバイして待ち続けることです。 それには平衡感覚が必要です。先ほども申し上げたように、人生は波乗りですから…

  • 『啓蒙したがる人』の話し方の特徴

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。個人的には余計なお世話って風に思えますが、ご本人たちは至って真剣です。まあ、その真剣さは大抵疎まれる類いのモノなのですけどね…人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。 そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。しかもそういう人は必然的に他人に対し…

  • 盲信とマインドコントロール

    「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」という選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒロイン的な陶酔感が強いのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくれる人が目の前にいたとします。 大半の人はまず最初は「これって本当のことだろうか?」と疑うことでしょう。 少なくともはじめから「よく教えてくれました! 目から鱗です!」などとはならないものです。 でも、逆に『教えてくれる側』の人は、その疑心暗鬼な人々を見て「世間の常識こそ…

  • 眼に見えない世界でのチカラ比べはホント危険です

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラの話ですがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴び…

  • タトゥーと波動的に感じるニオイ

    この世の中には臭覚で感じるのとは別の波動的な『ニオイ』ってのがあります。一番わかりやすいのが、イレズミをしている人のニオイです。 イレズミをしている人からは、何だか古くなった薬品か絵具か何かみたいな独特のニオイがするのです。もちろん全員がまったく同じニオイってわけではありません。ただ、ケミカルな饐えたようなニオイってのは似たり寄ったりな気がします。まあ、これはあくまでも個人的な経験から来る独断と妄想の話ですけどね… ニオイって言ってもリアルに鼻で嗅いでいるわけではないので、雑誌の写真とかからでもその手のニオイはしてきます。電車に乗っている香水過多のご婦人のように、そのニオイは結構強烈です。別に…

  • 唯物論的な考え方と操れる系の思考

    「肉体という物が、無くなればその人の『存在』すべてがキレイさっぱり無くなる!」という考え方があります。いわゆる「自分の目に見える物」だけを信じる唯物論の考え方です。 唯物論って考え方を続ければ、遅かれ早かれ「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って感じの心の在り方に傾いていくでしょう。 だって、死んだら魂も含めて自分という存在は跡形もなく消えてなるんですよ?(あくまでその人たちのアタマの中ではですが) そりゃ「生きてる間にやりたい放題やればいい! 自分が消滅した後の世界のことなんて知ったことかよ!」って風にもなるでしょうよ。 「唯物論的な考え方を続けてるとそのうち刹那的な考え方に染まっていくよ」っ…

  • 予言は「人を幸せにする物語」を紡がない

    所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なんじゃないかと感じています。 少なくともそういう願望にとって都合の良いモノが少なくないのは確かです。 それはこの世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をするというような内容です。ちゃぶ台返しと申しますか、兎に角古い世界が一度ぶっ壊されるってのがミソです。一言でいえば所謂『予言』というのは破壊と再生を願う者の物語です。噛み砕いていえば「腐りきった今の世の中なんて滅んじまえ! 滅んで更地になった後に理想の楽園を築けばいい!」みたいな想いの結晶なのです。 で、こ…

  • 『ブレない自分』という見果てぬ夢

    人間は元々「動けばブレるように出来ている生き物」です。 生きているというのは、意図しようと意図しまいと心や身体を動くことです。 なので、死ぬまでずっと『心と身体のバランス』を取り続けなくちゃなりません。 バランスを取り続けることでしか生きる道はないからです。 でも、なぜか世の中には「ブレない」ということに憧れ、それを手に入れたいと渇望している人が少なくありません。 多分心や身体のバランスを取るなんていうめんどくさい作業を永久に終わらせることの出来るツールとして「ブレない」を手に入れたいと考えているのです。 じゃあ、なぜブレないにそんなに執着するのかというと『ブレている自分』を受け入れられないか…

  • 仮定盛りとマウンティングは親和性が高い

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュー…

  • 心の飢えがオニを生む

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない💢」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 あと、建物でいえば廃墟のような荒廃した感じが強くなります。 人が…

  • 「自分はなんかスゴい存在と繋がっている!」とかいうスピリチュアル

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 よく魔法とか出てくるファンタジー系の物語には、「最初無力だった主人公が実は秘めたる凄いチカラを持っていて、話が進んでいく過程でそのチカラに目…

  • 火事場のバカ力的な高揚感を意図的に作り出そうとする人々

    ランナーズハイとは長い時間走るなどの激しい運動をしている時に分泌される脳内物質によって、苦痛が軽減されること。またその状態。 例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、これは運動で生じる『苦痛』を脳内麻薬とも呼ばれるエンドルフィンによって『快感』に置き換える装置を内蔵しているということです。 人間はある限界を超えると無意識に苦しいことをむしろ楽しいことのように自分に感じさせるスイッチが入るのです。同じように、心が苦しくなると無意識に一般に気と呼ばれる類いの生体エネルギーの流れを逆転させることでその苦しみを感じなくさせようとする装置が人間には内蔵されています。 苦しいことを寧ろ楽しいことのよ…

  • 健康法にコリすぎると不健康になりやすい

    世の中には身体の事になると直ぐにご自分の信奉されている健康法とかのキモの部分に話を持っていきたがる方が結構いらっしゃいます。 「あの病気の原因もこの不調の原因も全てはコレだ!」みたいな感じにおっしゃるのです。 特徴は「ある特定の食物や運動の過多や不足さえ改善すれば健康は取り戻せる!」みたいな単純明快さです。それを私は『これさえあれば健康法』って呼んでるんですがね… この『これさえあれば健康法』ってのはインスタントの健康版みたいモノです。ここでいう『インスタント』とは、いつでもどこでも何にでも、スッキリはっきり『誰にでも分かる答え』を、あっという間に出そうとする心の持ちようのことです。 『熟慮』…

  • 荒々しさは波動のレベルを下げるのです

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。エネルギー的に見た雰囲気というのは、それぞれの人・物・場所から『それ固有の波動エネルギー』が、そこはかとなく漏れ出している状態のことを指します。 それが人間であれば、漏れ出している雰囲気とその人が元々持っている人間性とが混じり合って感じられる気配が、その人の『佇まい』なんだろうと思うのです。その『佇まい』は日頃の立ち居振る舞いに現れます。言葉の端々、行動の端々に現れるのです。日…

  • 因果応報と『やった者勝ち』という考え方

    何らかの現象があるならば、必ずそれ相応の原因が存在します。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。原因という種があって結果という花が咲くのです。 原因に見合わない結果があると考えるのは不自然です。 それは何か現象が起こるなら、その現象相応分の原因が必ず何処かにあるってことでもあります。 だから、因果応報というのは宗教やスピリチュアルの専売特許ではないのです。少なくともこのブログにおいてそれは『原因と結果の関係性を単純に表した言葉』です。 原因に相当する結果が後に起こり、結果…

  • 借り物のチカラは遅かれ早かれいつかは無くなるモノなのです

    世の中には霊能力と呼ばれる類いのチカラがあります。 個人的にはそういったチカラには大体2通りのパターンがあると思っています。 一つには人間が生まれながらにして持っているいわゆる『第六感』ってヤツです。 一般的にら勘と呼ばれる類のモノです。 個人的には『勘』というのは他の五感と並列的に存在するモノだと思っています。 生きていくために必要な日常的な感覚の延長線上にあるモノだとね。 今も言ったように、ここでいう五感というのは、誰もが毎日ごく普通に感じたいは知覚のすべてを指します。 それぞれに個体差はあってもみんなが生まれたながらにして持っている『感じるチカラ』全般のことです。 もう一つのパターンは眼…

  • 顕在意識で潜在意識を自由に操ったりはできない

    世の中の人の多くは「今の自分」の心の自由度についてあまり認識していません。 それについて考えてる人自体それほど多くないように感じます。多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?現実に何処までコントロール出来てるかどうかは別に、『構造』としてね… 人の心の動きというのは想像以上にその人のその時の顕在意識以外のものに操られていることが多いものです。 ここでいう顕在意識というのは現在なら現在時点でその人がハッキリと自分自身で認識出来て、しかも自由に変更可能な心の部分のことを指します。 …

  • 「世界の統一」というユートピアを夢見る人々

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラ…

  • 天罰と人類至上主義

    昔から宗教界隈には「神さまは悪事を働いた人間に対して天罰を与える」って考え方があります。 また別に「天変地異や疫病は人間がこの世界にやった悪行に対する自然からのしっぺ返しである」みたいなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。 でも、それって「人類という種族は神に選ばれた特別な存在である」という前提から出てくる考え方なのではないでしょうか? その根底には人間至上主義ともいうべき『選民思想』がある気がするのです。 ここでいう『選民思想』というのは、「自分ら (人間) だけが『特別に選ばれた無二の種族』だという根拠のない思い込み」のことです。その『選民思想』を現代社会に生きる大多数の人間はオブラート…

  • 運命は巡る因果のルーレット

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は『運』といいます。つまり、『運』とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な「世界というパズル」のささやかなワン…

  • ありえないことをもっともらしく語るスピリチュアル

    森羅万象すべてのモノには波動があります。波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 つまり、人間は元々『ブレる』ように出来ている生き物ってことです。 それは、生きている限りはずっと『心のバランス』を取り続けなければならないことを示しています。 バランスが悪くなるほど、その人の心は迷路にハマります。 ブレやズレやユガミが大きくなっていき、俯瞰的な視点が持てなくなるからです。 ただ、世の中には「人間はデフォルトでブレない…

  • 呪いの言葉と因果のツケ

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう…

  • 波動のレベルと流行り病

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。っていうかここでいう波動のレベルというのは「人が出来るだけ自然で無理なく在るための目印」です。この波動のレベルを分かりやすくするために波動のレベルの数値化というものを行っています。そ…

  • 不安と盲信と心のバランス

    この世はどう転んだところで不確実性の世界だと思われます。 どこまで行っても曖昧模糊とした状況の中で、何とかかんとかバランスを保ちながら生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性でもあり、自由の源でもあります。 「『不安定』と『自由』は比例する」ということです。 別の言い方をするなら、「『安定』と『不自由』はリンクする」とも言えます。 なので、安定した状態をキープし続けようとすれば、そのうち『思考停止』になります。 試行錯誤をしなくなれば、心は迷わなくて済むようになるからです。 それが、思考が『不自由』になって『安定』を得た状態のひとつのカタチです。 ここでいう『思考停止…

  • 成仏できるかできないかもその人の運

    この日本では殊の外『先祖供養』というものが重要視されてきました。 「自分の先祖を大切にしましょう!」って話なら異議はありません。 一般には「血の繋がった過去にお亡くなりになった方々」というのがザックリした先祖の認識かと思います。 でも、それ以上具体的に述べられているケースは正直少ないのではないでしょうか? 父母が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人 じゃあ、曽祖父母の兄弟姉妹の家系に関してはどう捉えるか? 父系・母系の関係については? 夫婦養子等については? ちょっと考えてみただけでも結構複雑です… ここではあくまでも「先祖の供養が必要な場合どこまでを先祖として捉えるべきなのか?」ということにつ…

  • マインドコントロールとバランス感覚のある疑り深さ

    自己啓発系やスピリチュアル系などで何か新しい価値観を強く推したいって時にこんなやり方をされる場合があります。 例えば「常識に捉われなくていいよ! こんなやり方もあるよ!」って新しい生き方みたいなモノを示す。厳密にいえば新しげに見えるやり方かも知れませんが…そうして「コレってイカしてるよね!」みたいなことを言う。「でも、頭の硬い人は中々分かってもらえないんだけどね…」などと続ける。そうやって「その新しい価値観を否定する人はダサい」ってイメージの下地を作るわけです。先ずはここまでは第一段階。「もちろん色んな価値観があっていいし、新しい価値観に染まらないからといって悪いわけではない。」第二段階はそう…

  • 宇宙人神話という新しいカタチの御伽噺

    所謂一つの『宇宙人神話』って個人的に呼んでるモノがあります。 ここでいう『宇宙人神話』というのは「遠い宇宙の果てからやってきた知性体が高度な技能によって地球を生物の住めるような星に改造し、人類という存在をテクニカルに作りだしたのだ!」という風なお話のことです。元々そういう類いのお話は「地球人と同じように物理的に存在する先進的な宇宙人が、この地球上で人類の歴史に関わるような色んな工作を行ってきたんじゃないか」という話が主流だったように思います。 例えば「宇宙船に連れ込まれて発信機みたいなものを埋め込まれた」とか「ミステリーサークルが一夜にして出来てた」とか五感に訴えるというか奇妙な現実感のある話…

  • 守護霊と願望実現

    「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。ただ、それはボディガードのように密着して守っているわけではなく、少し離れたところから暖かく見守ってる感じなんじゃないでしょうかねぇ。 ましてや子離れしない過干渉の親のように見えないチカラみたいなのを使って何処かに呼んだり、何かをさせたりする者ではない気がします。経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘物の怪など人外のモノの仕業だろうと考えています。 そういったモノは分かりやすい現世利益をもたらす代わりに何らかの見返りを必ず求めます。一方守護霊のような存在はひっそり…

  • 時の波動と荒々しい変化

    以前お盆についてこんなことを申し上げました↓ エネルギー的に見たお盆というのは年中行事としてのお盆とは時期が同じじゃありません。 時期だけじゃなく、別種の存在として捉えた方がいいでしょう。 そういう意味ではそもそもエネルギー的に見たお盆っていう言い方もおかしいのかもしれませんが… その現象を正確にいうとすれば、毎年8月あたりに起こるエネルギー的な変化の総称と言えるでしょう。 このエネルギー的な変化は毎年のように起こりますが、その時期や長さなどはその年によって違います。 というか一度たりとも同じことはないのです。 自然が一刻も同じことがないようにね。 ただ、一つ言えるのはその時期の空気感はねっと…

  • ノスタルジーも過ぎるとファンタジーな過去から戻れなくなる

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね…そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。 儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思っています。最初のボタンから掛け違えてると強く感じるのです。 昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。…

  • 勘と先入観で物事を見るクセ

    例えば所謂霊的なモノに関してよく言われるセリフにこんなのがあります。 「幽霊なんて生まれてこのかた見たことも聞いたこともない。だから、そんなものを信じるわけないじゃないか!」みたいなね… 別に何を信じて何を信じないかはその人の全くの自由です。 憲法にも思想信条の自由ってのが規定されてますからね。 ただ可能な限り先入観を少なくして考えるなら、知識も経験もないことに対しては「分からない」と感じるのがごく普通の反応ではないでしょうか。そもそも『分からないこと』に対して信じるも信じないも無いですからね。 例えばまったく面識もなく、具体的な知識も持たない人物のことを突然好きか嫌いか尋ねられても答えられな…

  • 心の余裕と『化かされ隊』

    所謂『化かされた』状態の人というのは自分が化かされていることに気付いていません。 化かされている人は化かされていることに気付かないから化かされているのです。 そこが(学校の勉強なら絶対100%試験に出るほど)非常に重要な点です。 ここでいう『化かされた』状態というのは何らかの「マヤカシに心が取り込まれて思考停止になった状態」のことです。なにか衝撃的な現象とかを見せられて舞い上がった末にね…逆に言えば化かされているという状況は「待てよ! これってオカシクないか?」と『気付くこと』によって変えることが可能です。本人がちゃんと気付いて、思考停止から抜けて頭が普通に働くようになれば、化かされた状態から…

  • 霊障と根性論の限界

    ここでいうスピリチュアルな『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 霊的なことで言えば「精神力というか気力が充実してさえいれば霊的に悪いモノであってもあんまり強くないエネルギーならそんなに恐れる必要なんてないのだ〜! 」みたいな感じです。で、スピリチュアルな根性論の一つに『全ては気持ちの持ちよう論』ってのがあります。『全ては気持ちの持ちよう論』ってのは「全ての問題は自分で作ってるだけだ! だから、気の持ちようを変えれば何でも解決するんだよ!」という感じのモノです。 「自分さえコントロール出来れば世…

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