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2020/05/22

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  • 悟りとは『まっ、いっかぁ度』が爆上がりした状態である

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 人の心において波動のレベルの低い状態の大きな特徴の一つは「コダワリが強いこと」です。 波動のレベルが低ければ低いほどコダワリは深く濃くなります。 ここでいうコダワリを仏教用語で例えるなら『煩悩』ということになるでしょう。『煩悩』とは仏教上の言葉で、「人を苦しめ、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心」のことを指します。 結局「コダワリの強さが怒りや恨みや悲しみ、欲望などの素になる…

  • 人外のモノのチカラを借りた者の行く末

    『特別』な自分を達成するために眼に見えないチカラを手に入れようとされる方が世の中には結構いらっしゃるようです。 いわゆる霊能力みたいなモノのことです。そういうモノを手に入れれば自分が変わるように思われるのでしょうかね…でも、そういうチカラって十中八九人外のモノから与えられたチカラです。ぶっちゃけた話『モノノケ力』ってことです。この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイン…

  • 健康と不健康と陰と陽

    最近巷ではますます健康をテクニカルに扱おうとする考え方が流行っています。 ただ、研究所で実験用ラットを扱うようなモノの見方をしても、本来的な健やかさには行きつかない気がするのです。所謂『不健康』な要素を機械的に削り取って、医学的に言われる健康になるための要素だけを選別して残そうとしても無理があるとしか思えません。 生と死が切り離せないように健康と不健康もまた切り離すことは無理なのです。 陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。 これを健康に当てはめて私流に言い換えれば「健康ガー!健康ガー!と年がら年中やってればそのうち振り切れてとんでもなく不健康になる」ってことです。 それじゃあ、まるで健…

  • 3割引きの真実と曖昧な現実

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 想像力こそが人間らしさの根っこです。 知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する『敏感さ』を生みます。 その『敏感さ』が人間らしさに繋がっていると思います。 「想像力が弱い」というのは「心の視野が狭い」ということです。 人は心の視野が狭くなるほど周りのことが見えなくなります。 見えてるのは…

  • 悪魔の契約と『ヒトデナシ』になること

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明します。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。 ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。 とはいえ人間に対して様々な悪しき影響をもたらす眼に見えない存在はわんさか居ます。 それは、亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー…

  • 無駄を省くという行為に大した汎用性はない

    「無駄を省くこと」は、確かに悪いことではありません。 ただ、「無条件に良いこととも言えない」と思います。俯瞰的に眼で見れば見るほど「そもそも無駄って何?」っていう出発点からして曖昧模糊としたモノにならざるを得ませんからねぇ。無駄だと思ってたモノが無駄ではなくなったり、有効だと思ってたモノが時代遅れの過去の遺産になったりってことはよくあることです。人間万事塞翁が馬って故事があります。幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。最終的に「何が無駄で、何が無駄じゃないか」が、最初から分かっている人などどこにもいないのです。効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、『今…

  • 波動的な圧と場の波動の変化

    波動的な圧というものについて書いてみます。 ここでいうところの『波動的な圧』とは眼に見えないチカラが何らかの影響を与えようとする時現れる圧力のようなもののことです。 現実社会でいえばこれは同調圧力というものに少し似ています。 同調圧力無言の圧力によって、抵抗する事がなんだか憚られ、みんなの輪から飛び出して違う意見を言えないような状況。時として当たり前の様に、受け入れてしまったり「変だなぁ」と納得はいかないけど同意させられてしまったりする 「組織なり集団が個人に与える無言の影響力」というのを同調圧力とするならば、波動的な圧というのは「その場の波動エネルギーが人間に与える影響」という感じです。 も…

  • 悪想念と引き換えに与えられる人外のモノの所謂『御利益』

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 この世には途轍もない数の妬み、恨み、怒りなどの暗くねっとりとした情念があります。そういった情念が一つの集合体となり、ある種発酵というか化学変化のようなものを起こして、一つ…

  • 「不老不死は見果てぬ夢である」ということ

    この世において肉体のある者のエネルギーは肉体のないモノに比べて圧倒的に強いということを以前に述べました。 それが生身の人間の強みであるとね。 しかし、一方肉体は無くなるものであること、時間の経過とともに必ず劣化するものであることも述べました。 それが生ある者の弱みであると… 実を言えばこの強みと弱みはコインでいえば表と裏です。 光と闇と言ってもいいでしょう。 要は二つで一つってことです。 生き物ってのは生きる時間に限りがあります。 それも地球の時間からすれば本当にほんの一瞬です。 でも、だからこそエネルギー的な強さを持っているのだと思います。 桜の花がすぐに散ることを最初から運命づけられている…

  • 不条理で理不尽な世界と明快な理由

    ヒーリングなどしておりますと実に様々なエネルギーと出会います。 その中にはすでに知ってるモノもたくさんあります。ただ、知らないモノも決して少なくはありません。「えー?!こんなモノもあるのか!」てな感じのことは珍しくないのです。自分が知らないモノでもそれほど危険ではないモノもあります。まぁ、それも結果として分かるわけで、初見ではただ「得体の知れないナニカ」ってだけなんですがね…当然最初は耳をそばだて、眼を見開いて、それらと対峙します。まぁ、眼や耳を物理的に使うわけではありませんけどね…で、すぐに「ああ、そういうことか!」と自分が納得するような因果関係に辿り着けるなら、それは多分大したモノではない…

  • 波動のレベルと『人としての感受性』

    南町奉行大岡越前守の裁判の話を集めた形を取ったフィクション『大岡政談』というものがあります。 時代劇の題材にも何度もなったお話です。 その中に、2人の「母」が1人の子を巡って争う裁判の話が出てきます。 その話の中において大岡は「子の腕を、両方の親が引っ張って、勝った方が実の親だ」と2人の「母」に言い渡します。 「当事者を試練を課すことで真実を探る」という策を図るのです。 その結果引っ張り合いこに勝ったほうではなく、子どもの痛がる声に思わず手を放してしまったほうの女性を母親と認定します。 有名なお話なのでご存知の方も多いでしょう。 で、これって波動のレベルについてのスゴく良い例えになると思うので…

  • 癒しと大和魂

    癒しとは楽になることです。 ここでいう「楽になる」とはダラダラと安直に怠惰に過ごすという意味ではなく、「それぞれが元々持っている自然で無理のない状態に戻る」ことです。 謂わばニュートラルに戻るということです。 このブログにおける『ヒーリング』とはその「楽になること」をお手伝いすることです。 主体は何時もヒーリングを受ける側のほうにあります。 例えて言えば、歩きにくい人のための杖や見えにくい人のための眼鏡みたいなものなんじゃないかな~と思うのです。 今まで何度も書いてまいりましたが以上が私の行なっているヒーリングのキモの肝です。 このブログ内で使われる『癒し』『ヒーリング』『楽になる』といった言…

  • 啓蒙したがる人と「正しい答えは一つだけ!」というファンタジー

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を強く濃く持っている人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が率先して教え導かねばならない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と深く信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じ…

  • 不確実性の世界と「グレートリセットは失敗する」という話

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 永久不変なモノはこの世にはないってことです。 だから、この世はどう転んだところで不確実性の世界であり続けます。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 心が安定した状態を突き詰めると結局『思考停止』になります。 なにも考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 逆に言えばまともに考えれば考えるほど、心は不安定になるってことです。 自由な心ほど流動的で色んなモノからの影…

  • 五感が狂ってしまうと心はサイコパス化しやすくなる

    ランナーズハイとは長い時間走るなどの激しい運動をしている時に分泌される脳内物質によって、苦痛が軽減されること。またその状態。 人間は肉体的苦しさがある限界を超えると無意識にそれを逆に快感として自分に感じさせるスイッチが入るみたいです。 同じように、心が苦しくなると無意識に一般に『気』と呼ばれる類いの生体エネルギーの流れを逆転させることで、その苦しみを感じなくさせようとする装置が人間には内蔵されています。 その装置は、苦しいことを苦しくないように自分の心に感じさせることによって、苦しいことから解放させようとする作用を起こすのです。 そういったモノが、元々人間の内側には自然に備わっているのです。 …

  • 邪魔と万能感

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』とは、「生きていく上で現れるマイナス要素全般のこと」を指します。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わり合いながら存在しています。心と身体が互いに関係しているようにね…例えば会社や学校では虐めや嫌がらせをされるってことがあります。それと関連して、ネガティブな想念エネルギーをガンガン送られるってこともあるかも知れません。それら二つは別々の事柄ではなくコインの裏表のように繋がっているのです。そうい…

  • 正しい!の比べっこの最果てにある魔女狩りの時代

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少します。 単…

  • 「いつどこに生まれるか?」という人の運命

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 『生きる』ということは生が終わる地点まで自分の命を運ぶということでしょう。 命を運ぶのが運命なら、運ぶためのチカラが常に動いているエネルギーの波なのです。逆にいえば常に動くことでエネルギーは生まれています。そのエネルギーがなければ、生き物は生きてはいけません。だから、生きてる限りエネルギーの波に乗り続けるしかないのです。 上手いこと波に乗れ…

  • 何事も『アクセル』と『ブレーキ』のバランスが大切です

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。大抵のことにはポジティブな要素があればネガティヴな要素もあるものです。なのに、世の中にはネガティヴをことさら忌み嫌い、まともに見ることさえ拒否しようとする人たちが居ます。でも、「ネガティヴな要素なんて本当はないんだ」とか思えば思うほど心は無防備になってしまいます。そうすれば否応なく危険性は増すでしょう。交通事故の危険性を知らずにクルマを運転しているようなものだから…

  • 絶対外れないリバーシブルな予言と世に溢れるそれと似たような詭弁

    以前「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」って話をしたことがあります。 それはこんな感じ。 先ず「近いうちに未曾有の天変地異が日本に襲いかかります!」とか予言めいたことを語ります。「ただし、大きな祈りが実践され、神にその祈りがしっかりと届けば、その天変地異は回避されるでしょう!」と但し書きをつけるのです。ここにすでにリバーシブルな伏線が張ってあります。表: まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起これば「残念ながら言っていた通りになってしまいました!」と深刻ぶったドヤ顔でいう裏 : まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起こらなければ「たくさん…

  • 縁とは出会いと選択の結果生まれるモノ

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも人生の何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんじゃないでしょうか。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な『世界』というパズルのささやかな…

  • 健康も極端になりすぎると不健康になる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『想像力』こそが『人間らしさ』の根っこです。ここでいう『人間らしさ』とは他者に対する思慮を持っているということです。 で、ここでいう思慮とは、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する感受性のことを指します。他者に対する感受性が低いというのは、心の視野が狭いということを意味します。人間心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなるものです。見えてるの…

  • 肉体と欲望と大和魂

    生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。 そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。 魂→肉体→心という順番に人間という者は出来上がっていきます。 所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されていくのです。 肉体と心と魂の繋がりってのは、結局「最初に魂ありき」であり、最後もまた魂ありきです。 でも、この「魂から始まり、魂で終わる」ってことについて、本当に分かっている人というのは多くありません。 それはなぜかというと、ひとつには魂ってモノを虚構あるいは寓話のようなモノとして捉える唯物論的思考が世の中の主流になってい…

  • 場の波動と人間の生きる環境への影響

    例えば大地震や火山の大噴火みたいな天変地異があれば人々は色めき立ちます。 しかし、そういう天変地異も実は場のエネルギーの日々の小さな変化の積み重ねの果てに起こっていたりもするものです。場のエネルギーの変化が、人間が生きていくための環境にも少なからぬ影響を与えているってことです。その土地にはそれぞれ長年かけて出来上がった『場の波動』というモノがあります。『場の波動』はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。だから、街なら街で各々雰囲気が違っているのです。古い街ほどその街独特の雰囲気が強く濃く出来上がっ…

  • この世では肉体があるから波動のレベルは上下しやすくなっている

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは、あらゆるモノが常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そして、動き続けることでそのブレやらズレやらユガミやらは大きくなっていくのです。 だから、毎日コツコツとブレやらズレやらユガミを修正する必要が出てきます。 その修正する作業を、ここでは「心のバランスを取る」と表現します。人間は生きている限りこの「心のバランスを取る」という行為を継続しなくちゃなりません。 「バランスを取ること」をやめれば、拡大するブレやらズレやらユガミによって、心は必ずバランスを失うからです。 バランスを失えば、心…

  • 役目とは選び取るモノである

    例によって例のごとく独断と妄想ではありますが、人にはおおよそ2つの役目ってモノがあると思っています。 一つは社会的に与えられた役目です。 例えば高校生なら高校生、会社員なら会社員、或いは人の親なら人の親、町内会長なら町内会長としての役目がそれぞれに割り振られています。 一言でいえばそれは現実の世界で割り振られた役割です。 もう一つはいわゆる輪廻転生の際に今生の自分が引き継いだ役目です。 生まれる時に持ってきた『この世でやるべきこと』みたいな感じのモノです。 人には以上のように現実社会で与えられる役目と眼に見えない世界から与えられた役目の二つがあるってことです。 現実社会における役目については、…

  • マインドコントロールと「間を取る」ということ

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不安は恐怖を生みます。 心の弱っている人ほど不安と恐怖に対する耐性は低いのです。 だから、マインドコントロールというのは、心の弱い人をターゲットにします。 心の弱っていると判断能力が鈍るので、自己決定に自信を失って、誰かに決定を委ねたい気持ちが出てきやすくなるからです。 手口とし…

  • 心のバランスと「光だけの世界はない!」って話

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に近付くしかありません。ただ、闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになります。その闇は退廃的な甘美さみたいなモノも持ち合わせています。何時もおぞましいばかりではないのです。闇に近づきすぎて、その退廃的な甘…

  • 不確実性の世界と分離する人間社会

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『不自由』になります。 すべてが決められている(という設定の)世界には自由はありません。 ただ、あれこれ迷う必要がないので、不安もありません。 すべてが決められている(という設定の)世界というのは、宿命論の世界です。 例えばそれは「聖書には過去・現実・未来…

  • 自由と平等と競争社会の最果て

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 実際「競争原理こそがこの世界の『絶対的な基準』だ!」的な考え方が、今の人間たちの心に深く強く叩き込まれていて、疑う人の方が圧倒的に少ない気がします。 それくらい競争というモノが『当たり前の真実』のように世間的に扱われているのです。 競争を成立させるため…

  • 人生の落とし穴と『運命を選ぶ』ということ

    過ぎ去りし日の一時期、スピリチュアルな世界の暗黒面の一端に予期せず触れてしまい、見境なくノボセ上がって暴走してしまったことがあります。 とあるヒーリングの『セクシャルハラスメント』や『マインドコントロール』といったものに否応なくガッツリ関わってしまったことが切っ掛けでした。 当時他者からのマインドコントロールによる煽りや物の怪からの波動的な干渉の影響がバンバンあったのも事実です。 ただ、結局自分自身の心が無防備で、あまりに隙があり過ぎたのだと思います。 激しいショックを受けていましたし… 妄想が妄想を呼び、膨れ上がった末に「自分は世界すべてを相手に戦っているサイキックな戦士だ」くらいの精神的に…

  • 親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればこそ自ずから禍福が糾える縄の如く現れてくるのです。 それが一般にいう『運』と呼ばれるモノです。 つまり、『運』とは「人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるモノ」を指します。 そうやって生まれた『運』は巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの途轍もなく大きな絵となるのです。 その途轍もなく大きな絵が、この世界の『運命』っていうヤツなのでしょう。 日々刻々様々な場面で『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。…

  • 独断と偏見による憑きモノの傾向

    人外のモノが人間に憑く場所というものには一定の傾向が存在します。 すべてのケースに必ず適合する法則みたいなものがあるかどうかは分かりませんが、経験からいって推測出来る傾向みたいなものはあったりします。物の怪であるヘビは人の身体でいえば大半は上半身より下半身に付いています。生殖器や泌尿器関連などお臍より下にいることが圧倒的に多いです。なので、ヘビがいると腹痛を起こす場合が少なくありません。 クモは頭の付近に乗っかっていることが多いです。 頭でなくても首や背中の上の方にいたりします。 どうも人の髪を使って仕掛けを作るのが得意みたいです。で、ヘビならヘビ、クモならクモといった種類別の傾向とは別に特定…

  • 「世界には物より大切なモノがある!」という考え方

    今のご時世「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように見えます。 「どんな手を使ってでも社会的にのし上がり、地位や名声や権力などを手に入れた者の勝ち!」って発想がそこにはあるんじゃないでしょうか? そういう世俗的な成功哲学みたいなモノが全面的に良くないとは思いません。 人間霞を食って生きてはいけませんのでね。ただ、そういう世俗的な成功を求めるようとする欲望が肥大化して行き着いた果てが、「今だけ・金だけ・自分だけ」ってヤツなんだろうとは感じるのです。 ある意味それって唯物論の極北じゃないでしょうか? 人間…

  • 波動エネルギーの集まりやすいところ

    心霊スポットなどどこかの場所で目に見えない霊的なモノに憑かれてお持ち帰りするという話があります。 その手の怪談というのは古くから散々語られてきたので「特定の場所には何か居て憑いてくる」という話には割合みんな拒否感は少ない気がします。 それは「場所から人へエネルギー体が乗り移る」という事柄に関して違和感があまりないということです。ただ、ここで語られる場所というのは大体が如何にも曰くありげな特別な場所です。ありふれた日常でそういうことがあるとはあまり思われてません。それに近い話があるとしたら「住居の引っ越し先が所謂出る所だった」というようなものですが、それも結局は「曰く付きの特別な場所に引っ越して…

  • 時の波動の変化のポイントとこれから起こる時代の変化

    時間の流れは単に気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 一瞬一瞬すべて違うってことです。 同じ4月でも去年と今年では当然気候の移ろいは違うし、眼に見えないエネルギーの流れもまた違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間にも有形無形の影響を与えていきます。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けているってことです。まあ、それは人間だけではなく、この世界全体が影響を受けているって意味ですけどね。 春分と秋分は、時の波動の大きな変化のポイントになっています。そのあたりの時点が、時の波動の分岐点になることが多いです。…

  • 離間の罠と人を支配したがるモノたち

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』というのは生きていく上で現れるあらゆる負荷のことです。場合によってはマイナス要素や生きづらさと言い換えることも可能かも知れません。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わりあって存在します。心と身体と魂が繋がっているようにね…邪魔の中には人と人を離間させるためのモノがあります。 仲違いさせるための罠と疑心暗鬼の種を仕掛けるのです。所謂縁切りってヤツです。詳しくはシェークスピアの『オセロ』でも読ん…

  • 出会いと選択をちゃんとしないと運がすり減っていく

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…

  • 「絶対揺らぐことのない安定と安心」を求めると心が『魔境』に囚われる

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 「魔境に入った人」というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感や万能感に支配された状態のことです。 「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感や万能感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。 万能…

  • この世界は良くも悪くもあっという間に変わるモノ

    昔ある人に付いて整体を習いました。 その人が新たに立ち上げたお店で働かせていただく前提で習ったのです。 その時は生まれて初めて『師匠』と呼べる人が出来たと喜びました。 でもねぇ、そこにある『世界』はあまりにドロドロぐちょぐちょし過ぎていて、その人を『師匠』とは呼べなくなるまではあっという間のことでした。 別に相手に聖人君子のようなメンタルを求めていたわけではないのですがね… (ー ー;)次に習いに行くことになったヒーリングには足掛け6年余り関わっておりました。 「本当に良いものに出会った!」とその時は感じたものです。 当時そのヒーリングの主宰者の方を自分の『師匠』だと本気で考えておりました。 …

  • 想像力が乏しいほど心のバランスが取れなくなる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『人間らしさ』の根っこには『想像力』があります。 ここでいう『人間らしさ』とは簡単に言えば「ゴリゴリの自己中ではない」ということです。 分からないなら分からないなりに察したり慮ったりしようとする心の働きが、『人間らしさ』の素となります。 『人間らしさ』は、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する敏感さに裏打ちされているからです。 慮るチカラが弱いという…

  • いわゆる式神の話と現実世界の光と影

    今まで式神というモノについて何度も述べてまいりました。 ただ、このブログの所謂『式神』というのは本来の意味とは大分ズレたものになっております。 他に適当な言葉もなかったものですからね… なので、以下に改めてその内容を定義しておきます。 「ここでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことである」 当然「そんなバカバカしいことあるもんか!」と考える人もいらっしゃるでしょう。目に見える世界ばかりに囚われているとそうとしか思えないのも理解できます。それでも、この現代においても呪術的な方法によって何らかのエネルギー体を使役しよう…

  • 競争社会と「スタートラインは揃っている」という虚構

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? そもそも生き物を種という『単位』で見たら…

  • 心と身体と魂のバランスと人類の黄昏の時代

    世の中のすべてのモノは原子レベルから動き続けています。 そして、動くことで必ず劣化します。それでも、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。心も身体も魂もこの世に存在する限りバランスを取ることは必須です。では、人がバランスを取らなくても大丈夫という価値観に支配されるとどうなるでしょう?例えば「コレさえあれば大丈夫! 一々バランスなど取らなくても楽して生きていける!」という『魔法の道具』がどこかに有って、それを手に入れることは十分可能だという価値観にね…そういう価値観に心が染まると当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感…

  • 最近上から目線の高圧的な態度の人が増えている気がします

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしそのの中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『正しいの…

  • 復活!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年5月)

    2010年5月末の東京での懇親会からクリアー整体ヒーリングの講習会の歴史は、始まりました 。それから、ちょうど15年経ちました。 東京、名古屋、大阪、神戸、仙台、福島などで講習会を行なってきたのです。 色んな人々と出会い、様々なことを経験しました。 山あり谷ありで、順風満帆とは呼べないような日々ではありましたが 、何とかヒーリングを続けることが出来たのも、ひとえにヒーリングに関わっていただけた皆さまのお陰であると心から信じておりますm(_ _)m コロナ禍以来対面での講習会は基本自粛してまいりました。 いつかは再開したいと考えながら、とうとう2019年より6年ほど経ってしまったのです。 講習会…

  • 不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日のようにコツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか? なので、生あるものにとって『不変』とはすなわち『劣化』を意味します。 時空のある一点に踏みとどまろうとする行為はブレやズレやユガミを助長する行為に他なりません。 生きている限り止まらずに進んでいくしか道はないのです。 けれど、進めばやっぱりブレやらズレやらユガミやらは出てきます。 そして、ブレやらズレやらユガミやらが大きくなれば…

  • 所謂式神と眼に見えない危険が増えた世界

    式神(しきがみ、しきじん、識神)とは、陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの。式の神ともいい、文献によっては式鬼(しき)、式鬼神ともいう。 一般に式神を使っていたと言われているのは中世の陰陽師です。 ただ、現代でも魔術的な方法によって出来る何らかのエネルギー体を使役出来るという方は存在します。 少なくともそういうモノを使おうとする意志のある人々は実際にいるのです。 それは何も日本だけとは限りません。洋の東西を問わずそういったことをしたがる人間は昔から存在してきました。アラビアンナイトにも「所有者となった者がランプを擦ると魔神が現れ、様々な願いを叶えてくれ…

  • 不確実性の世界に付きまとう不安と思考停止による安定の甘い誘い

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷う必要もないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とか…

  • 眼に見えない大きな存在と『この世のコトワリ』の変わり目

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を与えたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『設定』を考えたのが人間だってことで…

  • 呪詛と予言と祈り

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されているんじゃないでしょうか?丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。ていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。呪詛を行う場合、技術や方法論が何より一番大事と考えられているのです。でも、実際は呪いの方法が古…

  • 心の視野の広さと感情の起伏の激しさの関係性

    世の中には自分の機嫌を自分で取れない人ってのが結構いらっしゃいます。 そういう人は自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているようです。 自分の機嫌を他人に取らせるのってのは、自分のためのサンドバッグなる人間を作り、八つ当たり等をして憂さを晴らすみたいなことです。 会社のような上下関係がハッキリした関係性の中で、下の者に当たり散らす人とかがその典型です。 いわゆるパワハラってヤツです。 また家庭でそれと同じようなことを行えば肉体的または言語的なDVとなるでしょう。 どちらにしても他人に機嫌を取らせる場合の他人はその人から見て格下の人間ということになります。 例えば最近よくお見受けする、SN…

  • 『今だけ・金だけ・自分だけ』の世界観と大和魂の復活

    現在この国には、世界中のあちこちから様々な波動エネルギーがリアルタイムでやって来ています。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど多種多様なモノがいます。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に憑いてくるモノもいれば、人外のモノが関わっているモノもあります。どちらにしろその多くは意図的かつ計画的に仕掛けられたモノです。 何が言いたいかというと、「眼に見えないアチラ側の出来事は、半…

  • 空気を読むことと『距離感を測る』ということ

    最近また耳鳴りがひどくなってきました。 キーンって音がBGMみたいなモノです。 そうなると「また何かあるのかなぁ(~_~;)」と思ってしまいます。 単なる気のせいならその方が良いのですが… 波動的な変化を知るための一つのサインとして『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 また誰にでも同じように感じるモノでもないでしょう。 単なる身体的不調のサインであるかも知れないですしね… ただ、「いつもと違う」ってことはそれが何であろうと「変化の兆し」として気に掛けていた方がいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に…

  • バランス感覚と乱世に心が惑う人々

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた…

  • 不確実性の世界と絶対的な依存

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で、何とかかんとかバランスを取りながら生きていく道しか人には用意されていないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 自由に考えれば考えるほど不確実性の世界を認識せざるを得ないからです。 『思考停止』するためには絶対的な真理のようなモノの設定が前提となります。 簡単にいえば、聖書のような創造主等が語ったという絶対無謬が前提の…

  • ナニカに憑かれにくくする簡単な方法

    所謂『憑かれる』といってもオカルト映画みたいな誰でも分かるド派手な怪奇現象が起こるなんてことは滅多にありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。憑依というモノは、最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていきます。浸食された部分は『本人では無いモノ』にゆるやかに差し替えられていくのです。差し替えられた部分は、一種の保護色みたいな感じになっています。ここでいう保護色とは、「意識して見れば分かるけど、ぼんやり見てると違いが認識しにくい」ってことです。以上が憑依の第一段階です。 じゃあ、「意識して見れば分かる」ってところを説明していきましょう。人外のモノに憑かれ…

  • 心の荒々しさと支配欲と依存症

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』があります。 それはコインの表と裏みたいなモノです。 どちらかが一方的に良くてどちらかが一方的に悪いとかいうモノではありません。 『荒々しさ』の火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことで、へこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、『荒々しさ』の持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、『荒々しさ』を生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出…

  • 生き物は競争するために生まれてきたわけじゃない

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの…

  • エネルギー的に繋がることと運命の分かれ目

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルに影響を与えるものとして大きく分けて3つの要素があります。 「人・物・場所」の3つです。 エネルギー的な影響を受けやすい順番で言えば「場所・人・物」となります。 場所6・人3.5・物0.5くらいの割合です。 場所というのはその人が関わった場のエネルギー全てのことです。 実際に通ったり住んだりしていた所はもちろん、行きずりでふらっと立ち寄った場所も影響を与える場合が…

  • 唯物論的な思考をするほどその人の中の時空間は狭くなる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外は信じない!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられ…

  • 「オニの呑み込まれる」ってこと

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 今の世の中オニがあちこちにいます。 現実社会に現れている『人の心の…

  • 健康に踊らされる人々と自分で考える『自分の生の意味』

    最近巷ではテクニカルに健康だけを手に入れられると信じている人が増えてる気がするのです。 それが全部間違いとは申しません。 ただ、人間はそんなにメカニカルな存在ではないのは確かです。 研究所で実験用ラットを扱うようなやり方をしても中々『答え』にはいき当たらない気がしますねけどね… ていうかそういうやり方が先鋭化するほど『答え』から遠ざかるんじゃないでしょうか? 不健康な要素を機械的に削り取って健康になるための要素だけを選別して残そうとしてもどだい無理があるのです。 それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話と同じです。 陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。 こ…

  • 人類の終わりとまだまだ終わらない世界

    少し前の記事で、今世紀末には人口増加が頭打ちになるという国連の予測について書きました。 その予測が正しいと仮定すると、「22世紀以降『人類の歴史』が確実に右肩下がりになる」って話です。 人類は確実に黄昏の時代を迎えています。 とはいえ滅びるまでの過程には様々な紆余曲折はあるでしょう。 個人の感じる『時間の単位』で言えば、自分たちとは関係ないずっと未来まで人類の歴史は続くのかもしれません。 ただ、これからゆっくりと確実に種としての人類は衰退していくのは確かです。 そして、実際にはもうすでに今の時点で人類の衰退は始まっているのです。 ただ、人類の黄昏を肌感覚で認識している人はまだまだ少ない気がしま…

  • 色んなダマシの表と裏

    例えばそれを買った人が元々持っている身体の痛みや心の辛さを増幅させ、「自分のところ(品物を売っている人・組織)へ来たら楽になれるぞ!」という風な『暗示』を与える仕掛けを忍ばせた品物があります。 実際には徐々に悪くなっているのですが、悪くなった状態から少しだけでも引き上げられると改善しているような気にさせられているのです。 所謂『マッチポンプ』というやつです。セミナーとかワークショップとか呼ばれる集まりに来た方々にある種のエネルギーを仕込んだグッズを販売し常に『持たせること』によって眼に見えないラインを結び付けるのです。 そして、「〇〇さん(ヒーラー・霊能者カウンセラー等)は特別なチカラを持った…

  • 恐れ知らずと思慮深さ

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 「慮るチカラが弱い」というのは「心の視野が狭い」ということです。 心の視野が狭くなるほど当然周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドこそ『世界…

  • 現実離れすることの爽快感と心のバランス

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 逆に言えば、生きている限り「心のバランスを取り続けること」が必須だということです。 人間の心はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと迷走します。 でも、その「バランスを取る作業」ってのは、どこまで行っても地味でしんどいです。 しかも達成感やら充実感やらが感じられないことの方が圧倒的に多いです。 なので、味覚で例えれば激…

  • 悪口・陰口の素である心の毒が呪詛と成る

    例えていえば悪口・陰口ってのはお酒みたいなモノです。 それは妬み・恨み・怒りなどのネガティヴな要素をたっぷり入れて心の中で熟成させたモノって意味です。 熟成させるためには心の中である程度寝かせておかなくちゃなりません。その心の毒が悪口・陰口の原酒ってわけです。 寝かせれば寝かせるほど心の毒は濃く強くなっていきます。心の毒が濃く強くなればなるほど悪口・陰口は出てきやすくなります。 当然その分相手に対して与えるダメージも深くなるでしょう。ただ、心の毒は相手にもダメージを与えられるかも知れませんが、自分にもダメージを与えます。 で、悪口・陰口ってのはお酒みたいなモノって言葉にはもうひとつの意味があり…

  • カミサマと物の怪と新時代

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノには神さまという名前を付けよう!」って『概念』を作ったのは人間です。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話なのです。 だから、別の人が同じモノを「これは悪魔だよ〜」って言えば悪魔って名前になります。 ただ…

  • 人生は台本のないドラマなので、前もって決められた『答え』はない

    自動車にはアクセルとブレーキがセットで付いています。 だからこそ「動いたり止まったり」がスムーズに出来るのです。 アクセルがなければ加速出来ないし、ブレーキがなければ制動出来ません。 動くためにはアクセルとブレーキが2つとも必要だってことです。 人にもアクセルとブレーキに当たるモノは必要です。 何故なら人も絶えず動いているからです。 人は生きている限り動き続けるしかないのです。 不変不動っていう選択肢はどこにもありません。 元々あっちへフラフラこっちへフラフラ動きながら生きてるのが人間ですので、心や身体がきちんと動かなければバランスが取れなくなります。 人間は生きている限り試行錯誤を繰り返し、…

  • 自分の正しい!に固執するほど、人の心は暴力的になる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 「すべては繋がっている」という認識が大切である

    コインには裏と表があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に一歩近付くしかありません。闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになるでしょう。 自分の中にある闇を見ることが出来なければ当然ながら自分の中にある光も真っ当に見ることは出来ません。どちらか一方だけで成り…

  • 所謂ひとつの言霊の正体

    スピリチュアルな世界には言霊について語られる方は少なくありません。 ここでいう言霊というのは「言葉自体に独自に何らかのチカラが存在している」という考え方のことです。 ただ、その言葉を発する人のエネルギーについてまで言及する人は少ないです。 というか発するエネルギーではなく、「言葉そのものにチカラがある」と考えられているのでしょう。 誤解を恐れずに言えば、個人的には言葉というのは基本的に記号のようなものだと思っています。 単なる記号に元から強いチカラが備わっているとは思えないのです。 例えば仏教で使われる梵字ってのがあります。 この梵字は文字自体にチカラが宿っていると考えられているようです。 だ…

  • いわゆる『物の怪使い』と眷属と呼ばれるモノの減少

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 スピリチュアル界隈とかで『眷属』と呼ばれるモノの大半もここでいう物の怪の類いと思ってほぼ間違いないでしょう。まぁ、厳密にいえばオニとかの類いにも眷属はいますがね。 何れに…

  • 人類の終わりの始まりと分裂する人類

    2019年6月に国連が発表した、2100年までの世界人口の予測です。(中略) 最も起こりそうなケースを想定した「中位推計値」で、2050年に97億人、2100年には110億人という数字でした。また、この110億人をピークとして、人口増加は頭打ちになる可能性があるとのことです。 以前に上記のような記事を紹介したことがあります。 2019年6月の時点の記事ですから、コロナ禍が始まる半年あまり前の話です。 当時は『人生100年時代』などという惹句がまことしやかに喧伝されていた時代です。 今から思えばそれは遥か昔のことのように思われます… とにかくコロナ禍によって時代の局面は変わりました。 それととも…

  • 引き寄せの法則と但し書きという詭弁

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは「私なら私が考えたことによってこの世界が創られている」という考え方が土台にあるみたいです。 簡単に言えば「個人の思考→全体の現実」って感じです。 でもね、人間は社会的な生き物です。 古今東西どんな人間でもたった一人で、この世に存在していたわけではありません。 数多の他者(人間以外も含む)との関わり合いによって『その人の世界』ははじめて成り立つのです。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 …

  • 病気のエネルギー的な原因について

    病気には肉体的な原因だけでなく、精神的な原因もあったりします。 身体と心は普通に考えられている以上に深く繋がっていますので。 ストレスなどのメンタルな原因も同時に絡んでいることが多いです。 例えばストレス性胃炎みたいなね。 それだけではなく、波動的な原因が病気に絡んでいることもあります。 つまり、肉体・精神・波動は相互に影響を与え合っているということです。それは不調の原因が複合的に存在するということを意味します。実際には単一の原因がボツンと存在することは先ずあり得ません。今回は波動的な原因について少し語りたいと思います。 波動的な原因には、ざっくり分けて自分の内側から来るモノと外側から来るモノ…

  • 憑き物と運の分かれ目

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思っています。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過…

  • 自由と不自由と生きづらさ

    この世は、どう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取り続けて生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると澱んだ沼のような状態になります。 それって結局『流動性の否定』ってことですから。 ここでいう『流動性の否定』とは、簡単にいえば事なかれ主義のことです。 自由による不安定を回避するために、ひたすら面倒ごとを避け続けるのです。 不安定は不安を生み、不安は恐怖を生みま…

  • オニに憑かれやすい人とオラついた心

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 今世の中にはオニが溢れています。 現実社会に現れている人の心の荒…

  • 「綺麗事を言うな!」と言いがちな人は信じないほうがいい

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると「薄汚れた足の引っ張り合いのような競争が人間社会に実在していることを、『単なる事実』として認識すること」と「競争という名のダーティーな潰し合いが現実にあるのだからと、そういうモノを『ごく普通で当たり前のこと』として受け入れること」は全然違う話だということです。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識する…

  • 正しいの比べっこと所謂ひとつの『謝ったら死ぬ病』

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『…

  • 善悪に囚われるとその分争いが生まれる

    人間にとっての『善悪』というのは、確かにあります。 ただ、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」っていう範囲のお話です。だから、善だの悪だのといったところで、人間とは無関係に独立して世界のどこかに存在しているわけではありません。善悪は普遍の真理などではないってことです。十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』に過ぎません。 要はどこまで行っても相対的で不完全なツールの一つだってことです。じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのでしょうか?簡単にいえば「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だったと思います。社会生活…

  • 無知と無防備と無謀

    心霊スポット巡りってのは、一言でいえばロシアンルーレットみたいなモノです。 一度何も起こらないからといって、別の機会に何かが起こらない保証は何処にもありません。 ロシアンルーレットの『一発の弾丸』が何回目で炸裂するかなんて誰にも分からないのです。 炸裂してから後悔しても遅いんですけどねぇ… そんなことは別に心霊スポット巡りだけではありません。ここでいう「そんなこと」ってのは「無知による思い込みによってわざわざ危険な場所に近付く行為」のことです。 例えば台風が来て、どんどん荒れていく海にわざわざサーフィンしに行ったり、増水中の川の中洲でバーベキューしたりみたいな…でも、自分がやってることが危険だ…

  • コダワリにあるプラスの面とマイナスの面

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるといいです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。 ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上…

  • 勘と違和感といわゆるマスクの話

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そうした日常生活に根ざしたバランス感覚を大切にすることが、心がオカシげな方向へ突っ走らないようにするための羅針盤となるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(第一印象で) この人には何かしっくりこないモノを感じるなぁ(ー ー;)」みたいな『違和感』のことです。そうした勘や違和感はこの世の動物に遍く与えられた生きるための『危機…

  • 依存することで得られる『安定』と自由だからこそ生まれる『不安定』

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で、何とかかんとかバランスを取りながら生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的に『現状維持』を目指すことになります。何も変えなければ今よりは悪くならないだろうと考えるからです。だから、精神的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷わないて済むからです。 ここでいう『思考停止』とは、盲信する対象を見つけるこ…

  • 健康とは身体と心と魂か健やかで穏やかであること

    10年くらい前に、帯状疱疹というものになってしまいました。 ちょうど男はつらいよの寅さんが腹巻をしているくらいの位置の右半分が真っ赤にただれたようになったのです。 激しかった時は就寝時に寝返りが打てないほどの激痛でした。 ちゃんと寝られないのもしんどかったです。 で、良くなってきたら良くなってきたで、むちゃくちゃ痒かったです。 何とか掻かないようにするのが大変でした。 普通の人なら痛いと思うだけなのでしょうが、ヒーリングなんかしておりますと何の因果かその痛みの状況について観察してみようなどと試してみたくなるわけです。 それで、その観察の結果を先に申し上げると「痛いという感覚は波動的にひどく重い…

  • 二極化する世界と大和魂の行方

    もう随分前から人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風に波動がハッキリと分かれ続けてきたように見えます。 その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました。今となっては、昔ならあったはずのグレーゾーンがほとんど無くなってしまったのです。 いま人々は「何やかや言っても自分がよく知っている『昨日までの世界』の延長線上を今も時代は進んでいると信じる人」と「否応なく新しい時間が既に始まってしまったと感じる人」とに大きく2つに別れています。 もうその『分別の新しい流れ』は止まることはないでしょう。 これからはもっと極端に分かれていくと思われま…

  • 憑依を深刻にしないためのひとつの処方箋

    所謂『憑かれる』といっても、オカルト漫画みたいに誰にでも分かるようなド派手な怪奇現象が起こるってことは滅多にありません。 そんなことがもし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。憑依は、最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸食していくカタチで始まります。浸食された部分は『その人では無いモノ』に差し替えられていくのです。差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか…以上が憑依の第一段階です。じゃあ、よく見れば違うってところを説明していきましょう。人外のモノに憑かれる…

  • 怒りのエネルギーと波動の負のスパイラル

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』かあります。 それはコインの表と裏みたいなものです。 荒々しさの火を心に灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、『荒々しさ』の持つある種の『覚醒剤的チカラ』に魅せられる人が後を絶ちません。 『荒々しさ』というものは『誰にでも分かりやすいアグレッシブさ』をかき立てるからです。 ここでいうアグレッシブさというのは『攻撃的な前向きさ』と言いかえることもできます。 でも、『攻撃的な前向きさ』を生きるための推進力と…

  • いわゆる競争原理と霊的修行とか

    そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ? 個人的には何事にも『競争原理』と『自然淘汰』が付いて回るというダーウィンの進化論的な価値観にはずっと違和感があるのです。実は『弱肉強食』って呼ばれるモノは、人間が勝手に決めつけた架空の法則なんじゃないでしょうか?まぁ架空ってのが言いすぎならば、弱肉強食は世界のほんの一部の切り取られた側面を刹那的に表現した状態のことだと言い換えてもいいでしょう。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」…

  • 因果のご縁と物の怪のヘビの縁

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあります。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 これまで物の怪にはキツネ・ヘビ・龍・カラス・クモ・狼の6種類がいることを確認してきました。 個人的に確認しただけなので、他にいないとは限り…

  • いわゆる呪詛と荒っぽくて毒々しい言葉

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 ていうかそういう『儀…

  • 自分が関わる環境を決める時は勘を大切にした方がいい

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーが発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続ける装置のようなモノです。 なので、一人分だけでも蓄積される想念エネルギーは膨大な量になります。 当然人が多ければ多いほどその場所には、たくさんの想念エネルギーが存在することになります。街が大きければ大きいほど必然的に莫大な量の想念エネルギーが集まってくるのです。それらが善くも悪くもその街の『活力』となっていきます。 ガラが良いor悪い、活気が有るor無いなどのその街の『雰囲気』を形作るのです。 そして、人が集まれば集まるほど物の怪やらオニやら亡くなったヒトやら…

  • 予定調和の世界と「思考が現実を作る」というファンタジー

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。(感覚が主・思考が従)でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。(思考が主・感覚が従)貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと …

  • 支配欲の強い人の話し方

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」 「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずにそういう雰囲気を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにいたら気を付けた方がいいでしょうね。 日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることが絶対的な真実である」というような前提で話を始めようとしてる可能性が非常に高いからです。 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わしているわけです。 「オレの言うことだけが…

  • 霊媒体質と霊能力は必ずしもシンクロしません

    ここでいうところの霊媒体質というのは波動エネルギーに対して敏感であり、その影響を如実に受けやすい状態という意味です。 もっと言えば影響を受けてしんどくなりやすい状態のことです。 所謂霊的な何かが見えたり聞こえたりといった現象とは分けて捉えています。 あくまで「ここでいう言葉の意味として」ですがね。 少しエネルギー的な感度が高い方がいらっしゃっても、日常的に顕著にダメージを受けないレベルであれば霊媒体質とまでは考えておりません。 これも例のごとく独断と偏見による判断基準ですけどね。 ただ、そのあたりの基準をあやふやにしておくと何を言ってるのか分からなくなる恐れがあるのかなと思い、改めて書かせてい…

  • 自己洗脳するとマトモな判断ができなくなる

    例えばはじめて人気のラーメン屋に連れて行かれて、美味しくないと感じたとします。 「あっ、ここのラーメンって美味しくないんだ」と自分の中にインプットされます、 大抵は美味しくない理由を深掘りして考えたりはしないでしょう。 でも、その時連れて行ってくれた人から「ここって美味しいよね?」とか同意を求められたらどうでしょう? 「えっ、この人にはこれが美味しいんだ…?」と違和感があるはずです。この場合相手にとってはそのラーメンは美味しい!とあらかじめインプットされているのでしょう。 どちらが良いという話ではなく、感覚ってのは人によってそれぐらい違いがあるということです。 単なる感覚の違いとして互いに認め…

  • 眼に見えないチカラを借りれば大抵それ以上のモノを持っていかれる

    この世の中では意識的であれ無意識であれ願望を叶えるために目に見えないチカラに頼ろうとする人が後を絶ちません。 とはいえ自分が頼ろうとしているモノの正体についてちゃんと認識している人はほとんどいないのではないでしょうか?すでにガッツリ『悪魔の契約』をしてしまってる人でも、それは同じです。ここでいう『悪魔の契約』とは、何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪など目に見えない存在との間にギブアンドテイクの関係を結ぶことです。この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば…

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