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2020/05/22

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  • 親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればこそ自ずから禍福が糾える縄の如く現れてくるのです。 それが一般にいう『運』と呼ばれるモノです。 つまり、『運』とは「人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるモノ」を指します。 そうやって生まれた『運』は巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの途轍もなく大きな絵となるのです。 その途轍もなく大きな絵が、この世界の『運命』っていうヤツなのでしょう。 日々刻々様々な場面で『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。…

  • 独断と偏見による憑きモノの傾向

    人外のモノが人間に憑く場所というものには一定の傾向が存在します。 すべてのケースに必ず適合する法則みたいなものがあるかどうかは分かりませんが、経験からいって推測出来る傾向みたいなものはあったりします。物の怪であるヘビは人の身体でいえば大半は上半身より下半身に付いています。生殖器や泌尿器関連などお臍より下にいることが圧倒的に多いです。なので、ヘビがいると腹痛を起こす場合が少なくありません。 クモは頭の付近に乗っかっていることが多いです。 頭でなくても首や背中の上の方にいたりします。 どうも人の髪を使って仕掛けを作るのが得意みたいです。で、ヘビならヘビ、クモならクモといった種類別の傾向とは別に特定…

  • 「世界には物より大切なモノがある!」という考え方

    今のご時世「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように見えます。 「どんな手を使ってでも社会的にのし上がり、地位や名声や権力などを手に入れた者の勝ち!」って発想がそこにはあるんじゃないでしょうか? そういう世俗的な成功哲学みたいなモノが全面的に良くないとは思いません。 人間霞を食って生きてはいけませんのでね。ただ、そういう世俗的な成功を求めるようとする欲望が肥大化して行き着いた果てが、「今だけ・金だけ・自分だけ」ってヤツなんだろうとは感じるのです。 ある意味それって唯物論の極北じゃないでしょうか? 人間…

  • 波動エネルギーの集まりやすいところ

    心霊スポットなどどこかの場所で目に見えない霊的なモノに憑かれてお持ち帰りするという話があります。 その手の怪談というのは古くから散々語られてきたので「特定の場所には何か居て憑いてくる」という話には割合みんな拒否感は少ない気がします。 それは「場所から人へエネルギー体が乗り移る」という事柄に関して違和感があまりないということです。ただ、ここで語られる場所というのは大体が如何にも曰くありげな特別な場所です。ありふれた日常でそういうことがあるとはあまり思われてません。それに近い話があるとしたら「住居の引っ越し先が所謂出る所だった」というようなものですが、それも結局は「曰く付きの特別な場所に引っ越して…

  • 時の波動の変化のポイントとこれから起こる時代の変化

    時間の流れは単に気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 一瞬一瞬すべて違うってことです。 同じ4月でも去年と今年では当然気候の移ろいは違うし、眼に見えないエネルギーの流れもまた違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間にも有形無形の影響を与えていきます。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けているってことです。まあ、それは人間だけではなく、この世界全体が影響を受けているって意味ですけどね。 春分と秋分は、時の波動の大きな変化のポイントになっています。そのあたりの時点が、時の波動の分岐点になることが多いです。…

  • 離間の罠と人を支配したがるモノたち

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』というのは生きていく上で現れるあらゆる負荷のことです。場合によってはマイナス要素や生きづらさと言い換えることも可能かも知れません。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わりあって存在します。心と身体と魂が繋がっているようにね…邪魔の中には人と人を離間させるためのモノがあります。 仲違いさせるための罠と疑心暗鬼の種を仕掛けるのです。所謂縁切りってヤツです。詳しくはシェークスピアの『オセロ』でも読ん…

  • 出会いと選択をちゃんとしないと運がすり減っていく

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…

  • 「絶対揺らぐことのない安定と安心」を求めると心が『魔境』に囚われる

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 「魔境に入った人」というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感や万能感に支配された状態のことです。 「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感や万能感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。 万能…

  • この世界は良くも悪くもあっという間に変わるモノ

    昔ある人に付いて整体を習いました。 その人が新たに立ち上げたお店で働かせていただく前提で習ったのです。 その時は生まれて初めて『師匠』と呼べる人が出来たと喜びました。 でもねぇ、そこにある『世界』はあまりにドロドロぐちょぐちょし過ぎていて、その人を『師匠』とは呼べなくなるまではあっという間のことでした。 別に相手に聖人君子のようなメンタルを求めていたわけではないのですがね… (ー ー;)次に習いに行くことになったヒーリングには足掛け6年余り関わっておりました。 「本当に良いものに出会った!」とその時は感じたものです。 当時そのヒーリングの主宰者の方を自分の『師匠』だと本気で考えておりました。 …

  • 想像力が乏しいほど心のバランスが取れなくなる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『人間らしさ』の根っこには『想像力』があります。 ここでいう『人間らしさ』とは簡単に言えば「ゴリゴリの自己中ではない」ということです。 分からないなら分からないなりに察したり慮ったりしようとする心の働きが、『人間らしさ』の素となります。 『人間らしさ』は、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する敏感さに裏打ちされているからです。 慮るチカラが弱いという…

  • いわゆる式神の話と現実世界の光と影

    今まで式神というモノについて何度も述べてまいりました。 ただ、このブログの所謂『式神』というのは本来の意味とは大分ズレたものになっております。 他に適当な言葉もなかったものですからね… なので、以下に改めてその内容を定義しておきます。 「ここでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことである」 当然「そんなバカバカしいことあるもんか!」と考える人もいらっしゃるでしょう。目に見える世界ばかりに囚われているとそうとしか思えないのも理解できます。それでも、この現代においても呪術的な方法によって何らかのエネルギー体を使役しよう…

  • 競争社会と「スタートラインは揃っている」という虚構

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? そもそも生き物を種という『単位』で見たら…

  • 心と身体と魂のバランスと人類の黄昏の時代

    世の中のすべてのモノは原子レベルから動き続けています。 そして、動くことで必ず劣化します。それでも、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。心も身体も魂もこの世に存在する限りバランスを取ることは必須です。では、人がバランスを取らなくても大丈夫という価値観に支配されるとどうなるでしょう?例えば「コレさえあれば大丈夫! 一々バランスなど取らなくても楽して生きていける!」という『魔法の道具』がどこかに有って、それを手に入れることは十分可能だという価値観にね…そういう価値観に心が染まると当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感…

  • 最近上から目線の高圧的な態度の人が増えている気がします

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしそのの中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『正しいの…

  • 復活!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年5月)

    2010年5月末の東京での懇親会からクリアー整体ヒーリングの講習会の歴史は、始まりました 。それから、ちょうど15年経ちました。 東京、名古屋、大阪、神戸、仙台、福島などで講習会を行なってきたのです。 色んな人々と出会い、様々なことを経験しました。 山あり谷ありで、順風満帆とは呼べないような日々ではありましたが 、何とかヒーリングを続けることが出来たのも、ひとえにヒーリングに関わっていただけた皆さまのお陰であると心から信じておりますm(_ _)m コロナ禍以来対面での講習会は基本自粛してまいりました。 いつかは再開したいと考えながら、とうとう2019年より6年ほど経ってしまったのです。 講習会…

  • 不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日のようにコツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか? なので、生あるものにとって『不変』とはすなわち『劣化』を意味します。 時空のある一点に踏みとどまろうとする行為はブレやズレやユガミを助長する行為に他なりません。 生きている限り止まらずに進んでいくしか道はないのです。 けれど、進めばやっぱりブレやらズレやらユガミやらは出てきます。 そして、ブレやらズレやらユガミやらが大きくなれば…

  • 所謂式神と眼に見えない危険が増えた世界

    式神(しきがみ、しきじん、識神)とは、陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの。式の神ともいい、文献によっては式鬼(しき)、式鬼神ともいう。 一般に式神を使っていたと言われているのは中世の陰陽師です。 ただ、現代でも魔術的な方法によって出来る何らかのエネルギー体を使役出来るという方は存在します。 少なくともそういうモノを使おうとする意志のある人々は実際にいるのです。 それは何も日本だけとは限りません。洋の東西を問わずそういったことをしたがる人間は昔から存在してきました。アラビアンナイトにも「所有者となった者がランプを擦ると魔神が現れ、様々な願いを叶えてくれ…

  • 不確実性の世界に付きまとう不安と思考停止による安定の甘い誘い

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷う必要もないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とか…

  • 眼に見えない大きな存在と『この世のコトワリ』の変わり目

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を与えたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『設定』を考えたのが人間だってことで…

  • 呪詛と予言と祈り

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されているんじゃないでしょうか?丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。ていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。呪詛を行う場合、技術や方法論が何より一番大事と考えられているのです。でも、実際は呪いの方法が古…

  • 心の視野の広さと感情の起伏の激しさの関係性

    世の中には自分の機嫌を自分で取れない人ってのが結構いらっしゃいます。 そういう人は自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているようです。 自分の機嫌を他人に取らせるのってのは、自分のためのサンドバッグなる人間を作り、八つ当たり等をして憂さを晴らすみたいなことです。 会社のような上下関係がハッキリした関係性の中で、下の者に当たり散らす人とかがその典型です。 いわゆるパワハラってヤツです。 また家庭でそれと同じようなことを行えば肉体的または言語的なDVとなるでしょう。 どちらにしても他人に機嫌を取らせる場合の他人はその人から見て格下の人間ということになります。 例えば最近よくお見受けする、SN…

  • 『今だけ・金だけ・自分だけ』の世界観と大和魂の復活

    現在この国には、世界中のあちこちから様々な波動エネルギーがリアルタイムでやって来ています。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど多種多様なモノがいます。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に憑いてくるモノもいれば、人外のモノが関わっているモノもあります。どちらにしろその多くは意図的かつ計画的に仕掛けられたモノです。 何が言いたいかというと、「眼に見えないアチラ側の出来事は、半…

  • 空気を読むことと『距離感を測る』ということ

    最近また耳鳴りがひどくなってきました。 キーンって音がBGMみたいなモノです。 そうなると「また何かあるのかなぁ(~_~;)」と思ってしまいます。 単なる気のせいならその方が良いのですが… 波動的な変化を知るための一つのサインとして『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 また誰にでも同じように感じるモノでもないでしょう。 単なる身体的不調のサインであるかも知れないですしね… ただ、「いつもと違う」ってことはそれが何であろうと「変化の兆し」として気に掛けていた方がいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に…

  • バランス感覚と乱世に心が惑う人々

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた…

  • 不確実性の世界と絶対的な依存

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で、何とかかんとかバランスを取りながら生きていく道しか人には用意されていないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 自由に考えれば考えるほど不確実性の世界を認識せざるを得ないからです。 『思考停止』するためには絶対的な真理のようなモノの設定が前提となります。 簡単にいえば、聖書のような創造主等が語ったという絶対無謬が前提の…

  • ナニカに憑かれにくくする簡単な方法

    所謂『憑かれる』といってもオカルト映画みたいな誰でも分かるド派手な怪奇現象が起こるなんてことは滅多にありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。憑依というモノは、最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていきます。浸食された部分は『本人では無いモノ』にゆるやかに差し替えられていくのです。差し替えられた部分は、一種の保護色みたいな感じになっています。ここでいう保護色とは、「意識して見れば分かるけど、ぼんやり見てると違いが認識しにくい」ってことです。以上が憑依の第一段階です。 じゃあ、「意識して見れば分かる」ってところを説明していきましょう。人外のモノに憑かれ…

  • 心の荒々しさと支配欲と依存症

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』があります。 それはコインの表と裏みたいなモノです。 どちらかが一方的に良くてどちらかが一方的に悪いとかいうモノではありません。 『荒々しさ』の火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことで、へこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、『荒々しさ』の持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、『荒々しさ』を生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出…

  • 生き物は競争するために生まれてきたわけじゃない

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの…

  • エネルギー的に繋がることと運命の分かれ目

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルに影響を与えるものとして大きく分けて3つの要素があります。 「人・物・場所」の3つです。 エネルギー的な影響を受けやすい順番で言えば「場所・人・物」となります。 場所6・人3.5・物0.5くらいの割合です。 場所というのはその人が関わった場のエネルギー全てのことです。 実際に通ったり住んだりしていた所はもちろん、行きずりでふらっと立ち寄った場所も影響を与える場合が…

  • 唯物論的な思考をするほどその人の中の時空間は狭くなる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外は信じない!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられ…

  • 「オニの呑み込まれる」ってこと

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 今の世の中オニがあちこちにいます。 現実社会に現れている『人の心の…

  • 健康に踊らされる人々と自分で考える『自分の生の意味』

    最近巷ではテクニカルに健康だけを手に入れられると信じている人が増えてる気がするのです。 それが全部間違いとは申しません。 ただ、人間はそんなにメカニカルな存在ではないのは確かです。 研究所で実験用ラットを扱うようなやり方をしても中々『答え』にはいき当たらない気がしますねけどね… ていうかそういうやり方が先鋭化するほど『答え』から遠ざかるんじゃないでしょうか? 不健康な要素を機械的に削り取って健康になるための要素だけを選別して残そうとしてもどだい無理があるのです。 それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話と同じです。 陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。 こ…

  • 人類の終わりとまだまだ終わらない世界

    少し前の記事で、今世紀末には人口増加が頭打ちになるという国連の予測について書きました。 その予測が正しいと仮定すると、「22世紀以降『人類の歴史』が確実に右肩下がりになる」って話です。 人類は確実に黄昏の時代を迎えています。 とはいえ滅びるまでの過程には様々な紆余曲折はあるでしょう。 個人の感じる『時間の単位』で言えば、自分たちとは関係ないずっと未来まで人類の歴史は続くのかもしれません。 ただ、これからゆっくりと確実に種としての人類は衰退していくのは確かです。 そして、実際にはもうすでに今の時点で人類の衰退は始まっているのです。 ただ、人類の黄昏を肌感覚で認識している人はまだまだ少ない気がしま…

  • 色んなダマシの表と裏

    例えばそれを買った人が元々持っている身体の痛みや心の辛さを増幅させ、「自分のところ(品物を売っている人・組織)へ来たら楽になれるぞ!」という風な『暗示』を与える仕掛けを忍ばせた品物があります。 実際には徐々に悪くなっているのですが、悪くなった状態から少しだけでも引き上げられると改善しているような気にさせられているのです。 所謂『マッチポンプ』というやつです。セミナーとかワークショップとか呼ばれる集まりに来た方々にある種のエネルギーを仕込んだグッズを販売し常に『持たせること』によって眼に見えないラインを結び付けるのです。 そして、「〇〇さん(ヒーラー・霊能者カウンセラー等)は特別なチカラを持った…

  • 恐れ知らずと思慮深さ

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 「慮るチカラが弱い」というのは「心の視野が狭い」ということです。 心の視野が狭くなるほど当然周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドこそ『世界…

  • 現実離れすることの爽快感と心のバランス

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 逆に言えば、生きている限り「心のバランスを取り続けること」が必須だということです。 人間の心はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと迷走します。 でも、その「バランスを取る作業」ってのは、どこまで行っても地味でしんどいです。 しかも達成感やら充実感やらが感じられないことの方が圧倒的に多いです。 なので、味覚で例えれば激…

  • 悪口・陰口の素である心の毒が呪詛と成る

    例えていえば悪口・陰口ってのはお酒みたいなモノです。 それは妬み・恨み・怒りなどのネガティヴな要素をたっぷり入れて心の中で熟成させたモノって意味です。 熟成させるためには心の中である程度寝かせておかなくちゃなりません。その心の毒が悪口・陰口の原酒ってわけです。 寝かせれば寝かせるほど心の毒は濃く強くなっていきます。心の毒が濃く強くなればなるほど悪口・陰口は出てきやすくなります。 当然その分相手に対して与えるダメージも深くなるでしょう。ただ、心の毒は相手にもダメージを与えられるかも知れませんが、自分にもダメージを与えます。 で、悪口・陰口ってのはお酒みたいなモノって言葉にはもうひとつの意味があり…

  • カミサマと物の怪と新時代

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 そもそも「あれでそれでこれで、こういうモノには神さまという名前を付けよう!」って『概念』を作ったのは人間です。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話なのです。 だから、別の人が同じモノを「これは悪魔だよ〜」って言えば悪魔って名前になります。 ただ…

  • 人生は台本のないドラマなので、前もって決められた『答え』はない

    自動車にはアクセルとブレーキがセットで付いています。 だからこそ「動いたり止まったり」がスムーズに出来るのです。 アクセルがなければ加速出来ないし、ブレーキがなければ制動出来ません。 動くためにはアクセルとブレーキが2つとも必要だってことです。 人にもアクセルとブレーキに当たるモノは必要です。 何故なら人も絶えず動いているからです。 人は生きている限り動き続けるしかないのです。 不変不動っていう選択肢はどこにもありません。 元々あっちへフラフラこっちへフラフラ動きながら生きてるのが人間ですので、心や身体がきちんと動かなければバランスが取れなくなります。 人間は生きている限り試行錯誤を繰り返し、…

  • 自分の正しい!に固執するほど、人の心は暴力的になる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 「すべては繋がっている」という認識が大切である

    コインには裏と表があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に一歩近付くしかありません。闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになるでしょう。 自分の中にある闇を見ることが出来なければ当然ながら自分の中にある光も真っ当に見ることは出来ません。どちらか一方だけで成り…

  • 所謂ひとつの言霊の正体

    スピリチュアルな世界には言霊について語られる方は少なくありません。 ここでいう言霊というのは「言葉自体に独自に何らかのチカラが存在している」という考え方のことです。 ただ、その言葉を発する人のエネルギーについてまで言及する人は少ないです。 というか発するエネルギーではなく、「言葉そのものにチカラがある」と考えられているのでしょう。 誤解を恐れずに言えば、個人的には言葉というのは基本的に記号のようなものだと思っています。 単なる記号に元から強いチカラが備わっているとは思えないのです。 例えば仏教で使われる梵字ってのがあります。 この梵字は文字自体にチカラが宿っていると考えられているようです。 だ…

  • いわゆる『物の怪使い』と眷属と呼ばれるモノの減少

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 スピリチュアル界隈とかで『眷属』と呼ばれるモノの大半もここでいう物の怪の類いと思ってほぼ間違いないでしょう。まぁ、厳密にいえばオニとかの類いにも眷属はいますがね。 何れに…

  • 人類の終わりの始まりと分裂する人類

    2019年6月に国連が発表した、2100年までの世界人口の予測です。(中略) 最も起こりそうなケースを想定した「中位推計値」で、2050年に97億人、2100年には110億人という数字でした。また、この110億人をピークとして、人口増加は頭打ちになる可能性があるとのことです。 以前に上記のような記事を紹介したことがあります。 2019年6月の時点の記事ですから、コロナ禍が始まる半年あまり前の話です。 当時は『人生100年時代』などという惹句がまことしやかに喧伝されていた時代です。 今から思えばそれは遥か昔のことのように思われます… とにかくコロナ禍によって時代の局面は変わりました。 それととも…

  • 引き寄せの法則と但し書きという詭弁

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは「私なら私が考えたことによってこの世界が創られている」という考え方が土台にあるみたいです。 簡単に言えば「個人の思考→全体の現実」って感じです。 でもね、人間は社会的な生き物です。 古今東西どんな人間でもたった一人で、この世に存在していたわけではありません。 数多の他者(人間以外も含む)との関わり合いによって『その人の世界』ははじめて成り立つのです。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 …

  • 病気のエネルギー的な原因について

    病気には肉体的な原因だけでなく、精神的な原因もあったりします。 身体と心は普通に考えられている以上に深く繋がっていますので。 ストレスなどのメンタルな原因も同時に絡んでいることが多いです。 例えばストレス性胃炎みたいなね。 それだけではなく、波動的な原因が病気に絡んでいることもあります。 つまり、肉体・精神・波動は相互に影響を与え合っているということです。それは不調の原因が複合的に存在するということを意味します。実際には単一の原因がボツンと存在することは先ずあり得ません。今回は波動的な原因について少し語りたいと思います。 波動的な原因には、ざっくり分けて自分の内側から来るモノと外側から来るモノ…

  • 憑き物と運の分かれ目

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思っています。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過…

  • 自由と不自由と生きづらさ

    この世は、どう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取り続けて生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると澱んだ沼のような状態になります。 それって結局『流動性の否定』ってことですから。 ここでいう『流動性の否定』とは、簡単にいえば事なかれ主義のことです。 自由による不安定を回避するために、ひたすら面倒ごとを避け続けるのです。 不安定は不安を生み、不安は恐怖を生みま…

  • オニに憑かれやすい人とオラついた心

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 今世の中にはオニが溢れています。 現実社会に現れている人の心の荒…

  • 「綺麗事を言うな!」と言いがちな人は信じないほうがいい

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると「薄汚れた足の引っ張り合いのような競争が人間社会に実在していることを、『単なる事実』として認識すること」と「競争という名のダーティーな潰し合いが現実にあるのだからと、そういうモノを『ごく普通で当たり前のこと』として受け入れること」は全然違う話だということです。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識する…

  • 正しいの比べっこと所謂ひとつの『謝ったら死ぬ病』

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『…

  • 善悪に囚われるとその分争いが生まれる

    人間にとっての『善悪』というのは、確かにあります。 ただ、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」っていう範囲のお話です。だから、善だの悪だのといったところで、人間とは無関係に独立して世界のどこかに存在しているわけではありません。善悪は普遍の真理などではないってことです。十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』に過ぎません。 要はどこまで行っても相対的で不完全なツールの一つだってことです。じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのでしょうか?簡単にいえば「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だったと思います。社会生活…

  • 無知と無防備と無謀

    心霊スポット巡りってのは、一言でいえばロシアンルーレットみたいなモノです。 一度何も起こらないからといって、別の機会に何かが起こらない保証は何処にもありません。 ロシアンルーレットの『一発の弾丸』が何回目で炸裂するかなんて誰にも分からないのです。 炸裂してから後悔しても遅いんですけどねぇ… そんなことは別に心霊スポット巡りだけではありません。ここでいう「そんなこと」ってのは「無知による思い込みによってわざわざ危険な場所に近付く行為」のことです。 例えば台風が来て、どんどん荒れていく海にわざわざサーフィンしに行ったり、増水中の川の中洲でバーベキューしたりみたいな…でも、自分がやってることが危険だ…

  • コダワリにあるプラスの面とマイナスの面

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるといいです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。 ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上…

  • 勘と違和感といわゆるマスクの話

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そうした日常生活に根ざしたバランス感覚を大切にすることが、心がオカシげな方向へ突っ走らないようにするための羅針盤となるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(第一印象で) この人には何かしっくりこないモノを感じるなぁ(ー ー;)」みたいな『違和感』のことです。そうした勘や違和感はこの世の動物に遍く与えられた生きるための『危機…

  • 依存することで得られる『安定』と自由だからこそ生まれる『不安定』

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で、何とかかんとかバランスを取りながら生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的に『現状維持』を目指すことになります。何も変えなければ今よりは悪くならないだろうと考えるからです。だから、精神的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷わないて済むからです。 ここでいう『思考停止』とは、盲信する対象を見つけるこ…

  • 健康とは身体と心と魂か健やかで穏やかであること

    10年くらい前に、帯状疱疹というものになってしまいました。 ちょうど男はつらいよの寅さんが腹巻をしているくらいの位置の右半分が真っ赤にただれたようになったのです。 激しかった時は就寝時に寝返りが打てないほどの激痛でした。 ちゃんと寝られないのもしんどかったです。 で、良くなってきたら良くなってきたで、むちゃくちゃ痒かったです。 何とか掻かないようにするのが大変でした。 普通の人なら痛いと思うだけなのでしょうが、ヒーリングなんかしておりますと何の因果かその痛みの状況について観察してみようなどと試してみたくなるわけです。 それで、その観察の結果を先に申し上げると「痛いという感覚は波動的にひどく重い…

  • 二極化する世界と大和魂の行方

    もう随分前から人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風に波動がハッキリと分かれ続けてきたように見えます。 その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました。今となっては、昔ならあったはずのグレーゾーンがほとんど無くなってしまったのです。 いま人々は「何やかや言っても自分がよく知っている『昨日までの世界』の延長線上を今も時代は進んでいると信じる人」と「否応なく新しい時間が既に始まってしまったと感じる人」とに大きく2つに別れています。 もうその『分別の新しい流れ』は止まることはないでしょう。 これからはもっと極端に分かれていくと思われま…

  • 憑依を深刻にしないためのひとつの処方箋

    所謂『憑かれる』といっても、オカルト漫画みたいに誰にでも分かるようなド派手な怪奇現象が起こるってことは滅多にありません。 そんなことがもし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。憑依は、最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸食していくカタチで始まります。浸食された部分は『その人では無いモノ』に差し替えられていくのです。差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか…以上が憑依の第一段階です。じゃあ、よく見れば違うってところを説明していきましょう。人外のモノに憑かれる…

  • 怒りのエネルギーと波動の負のスパイラル

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』かあります。 それはコインの表と裏みたいなものです。 荒々しさの火を心に灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、『荒々しさ』の持つある種の『覚醒剤的チカラ』に魅せられる人が後を絶ちません。 『荒々しさ』というものは『誰にでも分かりやすいアグレッシブさ』をかき立てるからです。 ここでいうアグレッシブさというのは『攻撃的な前向きさ』と言いかえることもできます。 でも、『攻撃的な前向きさ』を生きるための推進力と…

  • いわゆる競争原理と霊的修行とか

    そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ? 個人的には何事にも『競争原理』と『自然淘汰』が付いて回るというダーウィンの進化論的な価値観にはずっと違和感があるのです。実は『弱肉強食』って呼ばれるモノは、人間が勝手に決めつけた架空の法則なんじゃないでしょうか?まぁ架空ってのが言いすぎならば、弱肉強食は世界のほんの一部の切り取られた側面を刹那的に表現した状態のことだと言い換えてもいいでしょう。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」…

  • 因果のご縁と物の怪のヘビの縁

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあります。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 これまで物の怪にはキツネ・ヘビ・龍・カラス・クモ・狼の6種類がいることを確認してきました。 個人的に確認しただけなので、他にいないとは限り…

  • いわゆる呪詛と荒っぽくて毒々しい言葉

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 ていうかそういう『儀…

  • 自分が関わる環境を決める時は勘を大切にした方がいい

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーが発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続ける装置のようなモノです。 なので、一人分だけでも蓄積される想念エネルギーは膨大な量になります。 当然人が多ければ多いほどその場所には、たくさんの想念エネルギーが存在することになります。街が大きければ大きいほど必然的に莫大な量の想念エネルギーが集まってくるのです。それらが善くも悪くもその街の『活力』となっていきます。 ガラが良いor悪い、活気が有るor無いなどのその街の『雰囲気』を形作るのです。 そして、人が集まれば集まるほど物の怪やらオニやら亡くなったヒトやら…

  • 予定調和の世界と「思考が現実を作る」というファンタジー

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。(感覚が主・思考が従)でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。(思考が主・感覚が従)貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと …

  • 支配欲の強い人の話し方

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」 「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずにそういう雰囲気を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにいたら気を付けた方がいいでしょうね。 日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることが絶対的な真実である」というような前提で話を始めようとしてる可能性が非常に高いからです。 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わしているわけです。 「オレの言うことだけが…

  • 霊媒体質と霊能力は必ずしもシンクロしません

    ここでいうところの霊媒体質というのは波動エネルギーに対して敏感であり、その影響を如実に受けやすい状態という意味です。 もっと言えば影響を受けてしんどくなりやすい状態のことです。 所謂霊的な何かが見えたり聞こえたりといった現象とは分けて捉えています。 あくまで「ここでいう言葉の意味として」ですがね。 少しエネルギー的な感度が高い方がいらっしゃっても、日常的に顕著にダメージを受けないレベルであれば霊媒体質とまでは考えておりません。 これも例のごとく独断と偏見による判断基準ですけどね。 ただ、そのあたりの基準をあやふやにしておくと何を言ってるのか分からなくなる恐れがあるのかなと思い、改めて書かせてい…

  • 自己洗脳するとマトモな判断ができなくなる

    例えばはじめて人気のラーメン屋に連れて行かれて、美味しくないと感じたとします。 「あっ、ここのラーメンって美味しくないんだ」と自分の中にインプットされます、 大抵は美味しくない理由を深掘りして考えたりはしないでしょう。 でも、その時連れて行ってくれた人から「ここって美味しいよね?」とか同意を求められたらどうでしょう? 「えっ、この人にはこれが美味しいんだ…?」と違和感があるはずです。この場合相手にとってはそのラーメンは美味しい!とあらかじめインプットされているのでしょう。 どちらが良いという話ではなく、感覚ってのは人によってそれぐらい違いがあるということです。 単なる感覚の違いとして互いに認め…

  • 眼に見えないチカラを借りれば大抵それ以上のモノを持っていかれる

    この世の中では意識的であれ無意識であれ願望を叶えるために目に見えないチカラに頼ろうとする人が後を絶ちません。 とはいえ自分が頼ろうとしているモノの正体についてちゃんと認識している人はほとんどいないのではないでしょうか?すでにガッツリ『悪魔の契約』をしてしまってる人でも、それは同じです。ここでいう『悪魔の契約』とは、何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪など目に見えない存在との間にギブアンドテイクの関係を結ぶことです。この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば…

  • 心にも身体にも『風通しの良さ』は大切です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 ずっと動いているというのは絶えずバランスを取り続けているということを意味します。バランスを崩せば劣化のスピードは速まるのです。 世の中のすべてのモノは遅かれ早かれ必然的に劣化していきます。しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。 では、バランスを取るためには具体的に何をやればいいのでしょうか? 一番簡単なのは風通しを良くすることです。 物理的にも、精神的にも、エネルギー的にもね。 波動エネルギーを停滞させないために一番手っ取り早いのが空気を動かすことです。実生活で…

  • すぐそばにあるハカリゴトといわゆる『陰謀論的世界観』

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると『日常的に社会のあちこちで金や権力を手段を選ばずブン取りあってるのを事実として認識すること』と『現実にブン取り合いが日常茶飯事なんだからそれが人として当然の在り方なんだと肯定すること』は全く違う話です。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そ…

  • 生きることのハードルと激動期を生きる道

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 「個人的にも、社会的にも、『純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎてる」って意味でね。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのでしょう。 「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的に感じるのです。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるんじゃないかと… 「人間に対する期待値を上げる」ってことは結局「自分に対する期待値を上げる」ってことに繋がります。 自分に対して『純度100%の完璧さ』を求め続けれ…

  • 悪口・陰口と日常にある呪いの言葉

    他人の悪口・陰口を日課のように話している人が世の中には大勢いらっしゃいます。 悪口・陰口をしょっちゅう発信するということは、その元となる『心の状態』をずっと維持し続けているということを表しています。 そして、そういう『心の状態』を維持するためには、悪口・陰口の素となる想念エネルギーを日々量産して貯め込まなくちゃなりません。 自分の中に無いモノは出てこないからです。 悪口・陰口の素となる想念エネルギーの波動のレベルは低いです。 悪口・陰口を言う人は、波動のレベルの低いモノをわざわざ製造して自分の中に貯め込んでいるわけです。 例えていえば悪口・陰口ってのは「表面に毒をべったり塗った毒針を口に含んで…

  • 言葉は心から生まれ、運は言葉から生まれる

    世間一般で開運っていう言葉は何の気なしに使われているように見えます。 でも、その言葉の『意味』についてはあまり深く考えられてはいないじゃないでしょうか?おおよそ「他力本願で良いことがある」みたいな意味で捉えられてることが多い気がします。別にどう捉えようとそれぞれの自由ですが、「薄ぼんやりとした言葉だな」というのが個人的な印象です。そもそも『運』ってのは開いたり閉じたりするモノなんでしょうかねぇ?私はそうじゃないって感じるんですよね。「『運』ってのは日ごろ言葉と行動の積み重ねなんだ」と思います。良いことも悪いこともすべて含めてね。「先にその人が積み上げた原因となるモノが、後からカタチを変えて結果…

  • サバイバルな時代のマトリックスな世界

    世間一般の感覚では、「自分の外側から権威ある知識をたくさん吸収し、論理的な思考を組み立てて、その上で物事を判断するのがベターだ」と思われています。 基本それは間違っていません。ただ、見えない世界のマヤカシを見破るためにはその方法だけでは正直難しいです。逆に思考と知識に頼れば頼るほどマヤカシの迷路にハマり込んで出られなくなってしまう可能性が高かったりします。所謂スピリチュアルな世界で自分の外から来る知識や権威に囚われることは危険です。 本当はごく普通の社会的の出来事においても十分危険なのですが、まだそこにはリアルな『ストッパー』が付いています。具体的には、一般常識や社会道徳などの『不文律』や成文…

  • ふわふわとしたファンタジーな世界観で語られるオカルトほど怪しいモノはない

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラの話ですがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的な『やりたい放題』が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても返り血くらいは浴びるか…

  • 行きすぎた自己洗脳は心を壊す素になる

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうしてどこが臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で物事を捉えているということになります。多くの人々は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろう…

  • 魔境とキラキラわくわく

    自由というのはありがたいものです。 ただ、自由に色んなことが出来るということは所謂『良いこと』ばかりじゃないのも知っておく必要があります。 自分だけが自由ではないからです。 端的に言って自由であればあるほど外からの働きかけに対して『防御』が薄くなります。 現実にココロの箍が外れて、ユルユルくずぐずの『カードが下がった状態』になっている場面を世の中のあちこちで見かけます。 それは決して偶然の産物ではなく自由のリスクとしての必然なんだと思います。 しかし、なぜかスピリチュアル〜な世界の中にはその「ユルユルくずぐず」を心が解放された素晴らしい状態と勘違いしてしまっている方が大勢いらっしゃるみたいです…

  • 宗教的儀式そのものに霊的チカラは存在してないと思います

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 本当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思っています。 どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは珍しくないからです。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。 無縁仏だとしても、一応寺には納められていたりしますし、「読経も法要も一度たりとも受けてない」って人の方…

  • 運命の良し悪しと人生の修羅場

    以前に『スピリチュアルな鼻づまり』みたいなモノについて書いたことがあります。 ここでいう鼻づまりとは「元々あるはずの感覚がまともに使えなくなった状態のこと」です。 実際に風邪でも引いて鼻が詰まると息がしにくいので分かるのでしょうが、スピリチュアルに鼻が詰まった場合は中々気付きません。それどころか別のオカシげな感覚をマヤカシで信じ込むなんてこともあるでしょう。っていうか本当にあるんですけどね…その実体験について今回は書いてみたいと思います。 私にとっては苦い記憶ではありますが、最近のテレビ絡みのセックススキャンダルを見ていて改めて思い出しました。 過ぎ去りし日の一時期、スピリチュアルな世界の暗黒…

  • 波動のレベルと勘の磨き方

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げる方法自体は簡単です。現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『直感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来…

  • 思考停止すると魂は腐りやすくなる

    以前何度か魂が腐るということを書きました。 ここでいう『腐る』とは何らかの理由で元々みっちり詰まっているはずの魂の中身がなくなってスカスカになることです。 魂がスカスカっなっている人は、エネルギー的な内側と外側の境目が曖昧で滲んだようにハッキリしなくなります。 見える人が見れば、オーラ的なモノもボンヤリとしてハッキリしないでしょう。 一番怖いのは、エネルギー的「ぼんやりぼやけてる人ってのは「自分がぼやけてる」なんて思わなくなるところです。 人間が持って生まれた感覚が麻痺してしまうのでしょう。 普通誰もが感じられるようなマトモな感覚が感じられなくなります。 周りがみんなドン引きするような状態にな…

  • この世界には、原因のない結果はなく、結果のない原因もない

    「本質的な意味で『たまたま』はこの世にはない」と思います。 すべての事柄は『因果応報』で成り立っているからです。何らかの現象があるならば必ずそれに見合うだけの原因があります。逆に言えば結果の現れない原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。なので、『因果応報』というものはこの世の全てに遍くあります。ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。個人のスケールを遥かに飛び越えて『原因』に対する『結果』はやって来ます。それを私は『因果のツケ』って呼んできました。『因…

  • 絶対という価値観と相対的なモノサシ

    人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。 しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための基準のひとつです。だから、善だの悪だのといったってどこかに『普遍不動のモノ』として独立して存在しているわけではありません。どこかっていうのは人間という単位を超えた広い意味での『世界』のことですけどね…善悪は普遍の真理などではないってことです。十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。どこまで行っても相対的な概念です。じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか?それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思います。…

  • 心のバランスを失うほど『頑迷固陋』になる

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。その偏った主観がここでいう色眼鏡です。だから、一人一人が見ている『世界』というモノはそ…

  • 宗教的な伝承と波動的な実際

    神社仏閣には故事来歴というものがあります。 故事来歴とは、いつどうしてそこに建立されて、何という神が祀られているのかという風な話のことです。 まぁ、簡単にいえばその宗教施設の歴史ですね。 そういった故事来歴を元にして、「あっちの神社の神とこっちの神社の神は反目している」とか、「あっちのお寺とこっちのお寺はエネルギー的に繋がってる」とかおっしゃったりする人がいらっしゃいます。 要は文字になって残っている歴史を主な情報源として、その場所の『エネルギー的な事情』を語られてるわけです。 それを「100%見当はずれである」とまでは申しません。 昔の人の言い伝えをむやみに軽視するってのは良いことではないで…

  • 人を観る眼と人生における『出会い』と『選択』

    生きるということは波乗りみたいなものです。 巡りゆく運の波に上手く乗れたり、乗り損なったりしながら進んでいきます。 感情の起伏、身体の好調不調など『自分にまつわる色んな波』が死ぬまで付いて回ります。 大波小波乗り越えて、乗り越えながら凌いでいくしか生きる道はありません。 「運命を拓く」とは出会いと選択を繰り返しながら、良い波が来るタイミングをアンテナを立てて待ち続けることです。 それにはバランス感覚が必要です。 先ほども申し上げたように、人生は波乗りですから。 いざという時の危機察知能力というのはごく普通の日常生活の中にあるバランス感覚に支えられています。 つまり、バランス感覚の良し悪しが危機…

  • 自縛のエネルギーと胃や喉の不調

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。 私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 世の中には日頃から胃の辺りがドヨヨ~ンと重く感じたりキリキリする方も多いんじゃないでしょうか? その原因のひとつには食生活とか生活習慣も当然関係しているでしょう。 言ってみれば物理的な原因です。 ただ、もうひとつそこにはメンタルな原因も存在することは周知の事実です。 いわゆるストレスってヤツです。 つまり、胃の…

  • お手軽な除霊と「生兵法は大怪我のもと」って話

    この世界は生きている人の想念エネルギーだけで成り立っているわけではなく、その他にも数限りないエネルギー体が存在します。 その中にはびっくりするほどエゲツないモノもいたりするのです。だから、ありふれた普通の人が、ちょっとした運命の綾で得体の知れない強烈なエネルギーに遭遇することだって十分あり得ます。少なくとも「そんなことはなあり得ない!」と断言できる保証は何処にもありません。すすんで霊的なことに関わってしまえば尚更のことね… なので、自己流・我流の『お祓い』とか『除霊』の如きものはくれぐれもなさらないでほしいと思います。「自分のところからパパッと追っ払うような方法を」ということをですが… まして…

  • 呪詛ってのは簡単に日常化するモノです

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。っていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから呪詛なのではありません。人を呪う心のカタチが即ち『呪詛…

  • 唯物論的思考と「魂があるから人である」という話

    人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂がある者が肉体を纏ってやって来るのが『誕生』というものです。 『人間の生』は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。 肉体という器に魂というエネルギーのカタマリが入ってきて結びついている状態がこの世では一番安定して強いからです。 生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。 そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。 魂が心を得るまでには大抵生まれてから3〜4年の歳月を要します。 魂>肉体>心という順番に人間という者は出来上がっていくということです。 所謂人間らしい心っての…

  • 霊能力と宗教的な霊験とか

    世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じています。 まず一つは、生き物が生まれながらに持っている五感の延長線にある第六感のようなモノのことです。一般的には『勘』と呼ばれる類いのモノです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という感覚や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という違和感のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか… 勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。それどころかど…

  • 生きることのハードルと出来損ないとしての『人間』

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすくモノゴトの辻褄ってのは合うものだ」という『素朴な信仰』に基づいているのです。 別の言い方をするなら、それは森羅万象すべての物事に対して(ご自分にとっての)完璧な調和と整合性を求め続けている状態を指します。 またその答えを求められるものだと本気で信じている…

  • 万能感から来る選民意識は人を不幸にする

    スピリチュアルやら宗教やらに関係している人々の中には「自分たちが特別な使命を神とか宇宙人とかに与えられてる!」と本気で信じている方々がいらっしゃいます。 人類とか地球とかの運命に関わる特別で壮大な『使命』とやらをです。でもね、その人の『使命』とやらが万が一「地球を救え!」みたいな壮大なものであったと仮定しても、その『使命』を果たすのに見合うだけのチカラが与えられているだけであり、そのチカラを使うのに見合うだけの『役目』を与えられているだけのことです。それ以上何ら特別な使命も権限も与えられはしないのです。 「ある種の選民思想を満足させるような特別感はどこにも無い」ってことです。 例えばの話、ある…

  • いわゆる言霊と人の声のエネルギー

    例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。 しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば何らかのチカラが生まれるのです。 そういう『仕組み』を昔の人は言霊と言ったのかも知れません… 言葉というのは人がそれを発することによって何らかのチカラを発揮します。別の言い方をすれば、人間の中にある想念エネルギーがそこに乗っかることによって初めて言葉にチカラが与えられるということです。 で、もう少し突き詰めて発するとはどういうことかと言えば「音を出す」ということです。 人が音を出すことにチカラの源があるのです。例えば柏手を打つと…

  • 心のバランスと絶対という蜃気楼

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性でもあり、また自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと不安定に迷う必要がなくなるからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想信条やじんぶ・集団などです。 不確…

  • 身体の健康と心の健康と魂の健康

    人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂がある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 『人間の生』は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態がこの世では一番安定して強いからです。 生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。魂が心を得るまでには大抵生まれてから3〜4年の歳月を要します。 魂>肉体>心という順番に人間という者は出来上がっていきます。所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されてい…

  • ツキの素と人の運命

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は『運』といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやか…

  • 親からの想念エネルギーと人の運命

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、目に…

  • 時の波動の変化と人間の二極化

    人間は「何やかや言っても自分がよく知っている『昨日までの世界』の延長線上を今も時代は進んでいると信じる人」と「否応なく新しい時間が既に始まってしまったと感じる人」とに大きく別れていっています。 というかもうその新しい流れは激しく強くなっているのです…これからはもっと極端に分かれていくことでしょう。なぜそんなに二極化していくのかといえば、時の波動の変化とそれに影響を受けた心の在り方の変化に起因しています。 これからは、それぞれの心の在り方の変化によって波動のレベルも自ずから決まるでしょう。そんなわけで、人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けています。まあ、それは人間だけではなく『自然』そ…

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