chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
orion12
フォロー
住所
岡山県
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/22

arrow_drop_down
  • 仮定盛りと「マヤカシに呑み込まれる」ということ

    ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。日々発見と言っても過言ではないでしょう。いわば不可思議の連続です。全てが分かるようになることなど一生ないと思います。誰でも、眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるでしょう。発見がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですよね。多分いまだ人類の知らない生き物たちがそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れている世界だ」ということです…

  • 「病は気から」と『全ては気持ちの持ちよう論』

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』…

  • 人は誰しも『過去』に縛られている

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを『自縛のエネルギー』と呼んでいます。 『自縛のエネルギー』の始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に『自縛のエネルギー』が生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も当然大きいで…

  • 人の恨みで為されるモノだけが『呪い』ではない

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 それは単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し…

  • 「正しい!」に取り憑かれる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないからです。じゃあ、『…

  • 仮定盛りをやめる方法

    私の造語に仮定盛りってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にしてその上に「ならばこうなるはずだ!」という仮定の話を盛り付けるのです。 で、その仮説は盛り付けた時点で「こうに違いない!」という『確信』に変わります。 そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… この仮定盛りにおいて一番問題なのは、盛りつけること自体より自分が盛ってることに気付かなくなることです。 「盛ってなんかいない! ただ、ありのままに真実を述べているだけだ!」っていう風にバイアスがかかるので…

  • 特別と平凡

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているのです。 ここでいう『特別』とは、例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことを指します。そういう状態になりたいとギラギラした眼で渇望する人々が後を絶ちません。優越感を渇望する人は同時に劣等感に苛まれている人です。 強いコンプレックスこそが『スペシャルな自分』を夢見させるのです。波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨ…

  • 「自信を持つ」ってことの『意味』

    自信についてこれまでこのブログではおおよそ以下のように説明してきました↓ ① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には経験値の多寡が大きく関わっている。② このブログでいうところの自信は基本的に経験値の多寡とは無関係である。ここでいう自信は、「生まれてきた時のその人の魂の状態」によって決定する。世の中には、自信を全部①のようなモノとして認識している人が圧倒的に多い気がします。ていうか世間的には自信っていうのは、大体①のようなモノとして規定されてますからねぇ。でも、自信を全部①のようなモノとして認識して…

  • 自分だけが真実を知っているという思い込みとバランス感覚のある疑り深さ

    「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか… でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たちを…

  • 見たいものを見たいように見ている世界と正しい!の比べっこ

    古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、実は潜在意識やら先入観やらによって恣意的に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されずコーディネートもされない純粋に客観的な『事実』など何処にも存在しないのです。別の言い方をすれば「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が標準装備している」ということです。つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。以上を一言でいえば「…

  • 操れる系と操れない世界

    「この世の可成りの部分はやり方次第でテクニカルに操れるんじゃないか」と信じている人が世の中には結構いらっしゃるような気がしています。 そういう人々の心の奥底には「人間なんて案外簡単に操作出来るものだ!」っていう想いが横たわっている気がします。 その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系』と呼んできました。 操れる系の人は「やり方さえ間違わなければ人の心でも世間の仕組みでも何でも思い通りに操れるはずだ! 操れないのはその人間の知識や能力が足りないのだ!」って考えがちです。 操れる系ってのは、「人間という種族や個人の能力に対する万能感のクセ」がものすごく強いんだろうなと感じます。 『人間…

  • 運命は引き寄せるモノではなく、自ら近付いていくモノである

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは「私なら私が考えたことがこの世界のすべてを創っている!」って理屈みたいです。 簡単にいえば「一人の人間の思考=世界」ってことです。でもね、古今東西どんな人間でもたった一人でこの世に存在してきたわけではないでしょう。「他者との関わり合いによって自分の世界も成り立っている」というのが現実だと思います。 何より人間の世界では争いが絶えたことがありません。個人は個人で、国家は国家で遥か昔から現在に至るまでず〜っと争い続けてき…

  • マヤカシだらけの世界と人間の無知

    目の前の『世界』に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物とかがそこら中に当たり前のように居るんだと思います。我々のいるのはそういう『世界』です。「そういう」っていうのは「人間の本質的な無知に溢れている」という意味です。別の言い方をすれば「生身の人間の中には例外なく無知が詰まっている」ということです。 ただ、この世はまた『マヤカシだらけの世界』でもあります。マヤカシだらけの世界とは、裏返して見れば『もっともらしさ…

  • 生き物のランク付けと人間至上主義

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 不自然で、無理があるのです。 その無理もたまたまではなく根本的に無理だって話です。 何故なら、人間は自然というモノのごく一部だからです。 自然の中に人間がいて、動物がいて、植物がいるのです。 自然にとっては人間が『特別』だったことはないし、これからも『特別』であることはないでしょう。 私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 逆に「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結…

  • 「良い欲望と悪い欲望がはじめから別れている」なんてことはない

    『この世』とは、一言でいえば肉体が存在する世界のことです。 そして、肉体が存在するということは、生きている限りその肉体を維持する必要に常に迫られているということを意味します。 生命を維持するために『本能』があり、その本能を継続するために『欲望』が生まれつき与えられています。なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないってことです。欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出世して権力が持ちたい!」 この「もっと! も…

  • 相手との距離感と分かるということ

    骨身に染みるということが、『分かる』ということの本質です。 だから、『分かる』ということは必然として感覚的なモノです。 そこに体感が有るかどうかが分かるってことのバロメータになります。勉強でも分かった時はハッとして「あっ、そうか! なるほど!」ってなるものです。それが分かることの印なのです。分かるってことは『良いこと尽くめ』ではありません。一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを思い知らされるってことも少なからずあります。何でも「話せば分かる!」と思ってる人は『その闇』の深さを舐めています。 「知識さえ蓄えれば必ず分かり合える」なんてのは『人間の愚かさ』をおよそ理解してない方の言い分です。人間は…

  • 不確実性の世界と安定を求めるココロ

    一人の人間にとってのこの世は、生涯『不確実性の世界』であり続けます。 不確実性の世界とは、常に不安定が支配している世界だって意味です。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不安は人の心に恐怖をもたらします。 人はその不安と恐怖からどうにかして恒常的に逃れたいと思うものです。 そのために人は絶対に確実で安定したモノを求めたがるのです。 ただ、その絶対に確実で安定したモノは、結局先入観をベースにした固定観念でガチガチに塗り固められたココロの世界に他なりません。 人間…

  • 「風邪をひくのは精神がたるんでるからだ!」みたいな根性論

    このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』…

  • 守護霊と『おかげさま』の想い

    「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖でしょうが、それも絶対ではありません。 ただ、守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもいつもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉の親のように見えないチカラみたいなのを使って何処かに呼んだり、何かをさせたりする者ではないのです。だから、人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるような存在は、経験上9分9厘物の怪など人外…

  • 想像力と鈍感力

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。自分の無知を皮膚感覚で知ろうとすることが想像力を養う第一歩になります。逆に「何でも知ってるつもり」になればなるほど想像力を失っていきます。自分の無知の範囲を知ろうとしなければ、その人的には何かを慮る必要もなくなるからです。 それを世間では鈍感力と言います。 つまり、鈍感力とは想像力を失うことで、人間的な情緒が…

  • 差別したがるココロと人間至上主義

    私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。逆に「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと頭から離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた高邁な理論などではなく、子供の頃から何となくずっと心の奥にあるものなんですよね。話の前提はそこんところから始まっていることを申し上げておきます。 例えば菜食主義の人の頭の中では、人間>哺乳類>魚類>植物という風な構図が出来ているのだろうと思うのです。 人間至上主義とでも申しましょうか… スピリチュアルな世界でも似たような価値観をお持ちの方を時折お見受けします。 「人間を頂点とした生物のピ…

  • 運の良い悪いは極論すれば『タイミングの良し悪し』である

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間の人生の中だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピー…

  • 常識と非常識とバランス感覚

    「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか… でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たちを見…

  • ジブンガーZの暴走モード

    『ジブンガーZ』というのは個人的な造語です。 簡単に言えば、「自我の肥大化したコダワリの強い人」のことです。『ジブンガーZ』の特徴の一つは自分中心の世界観が強烈だってことです。まあ、大抵は世界観っていうほど理知的なものではなく、その人の好悪や欲望などが剥き出しになっている状態のことを指します。簡単にいえば「自己チュー」ってヤツです。それでもまだ「自分は自己チューだ」って自覚があればいい方で、自覚もない場合がほとんどなんじゃないでしょうか?『自分』というものを固く握りしめ過ぎて返って自分自身が見えなくなってしまうからです。見えてるのはあくまで『自分』から見た半径3メートルくらいのマイワールドです…

  • 神秘体験しやすい人ほど逆に現実的な感覚が大切になる

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 魔境に入る人ってのは、劇的な神秘体験などをすることによって価値観のコペルニクス的転回が起こるってことです。 そして、「スペシャルな自分を手に入れた!」という高揚感に支配されるのです。 高揚感に支配されると心が浮き足立ちます。心が浮き足立つと現実的な感覚を失って突拍子…

  • 世界をコントロールしようと思いすぎると心が不自由になる

    人の心の動きというのは想像以上にその人のその時の顕在意識以外のものに引きずられている部分が大きいものです。ここでいう顕在意識というのは「その時その人が明確に認識出来て、自由になる心の部分のこと」を指します。 引きずられていればいるほどそこの部分は自由にはなりません。その自由にならない部分は心全体の少なくとも3分の2以上にはなるでしょう。なので、感情を思いのままに100%コントロールすることは当然不可能と言わざるを得ないのです。もっと一般的な言葉でいえば「潜在意識を自由自在に顕在意識でコントロール出来る人間は一人もいない」ということなのです。 心に問題を抱えておられる人ほど「アタマ(精神力とか理…

  • スピリチュアルと断言祭り

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…

  • 波動のレベルと人相の良し悪し

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 人の波動のレベルを見る場合の具体的な目印の一つとして顔つきの変化が挙げられます。近年はマスクをしている人も少なくないですが、それでも人間の身体で一番むき出しになりやすいのは顔ですし、目に止まりやすいです。 誰でも「人の顔色をうかがう」って行為を半ば無意識にでもやっています。 人間関係を構築する上で相手の心理を知ることが必要だからです。 中でも眼つきにはその人の深層心理が表われ…

  • 時の波動の変化とエネルギー的に見たお盆

    エネルギー的に見たお盆というのは年中行事としてのお盆とは時期が同じじゃありません。 時期だけじゃなく、別種の存在として捉えた方がいいでしょう。 そういう意味ではそもそもエネルギー的に見たお盆っていう言い方もおかしいのかもしれませんが… その現象を正確にいうとすれば、毎年8月あたりに起こるエネルギー的な変化の総称と言えるでしょう。 このエネルギー的な変化は毎年のように起こりますが、その時期や長さなどはその年によって違います。 というか一度たりとも同じことはないのです。 自然にまったく同じということがないように… ただ、一つ言えるのはその時期の空気感は概して「ねっとりと重い」ということです。 あと…

  • 操れる系はオトナがかかる中二病である

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 不自然で、無理があるのです。 その無理もたまたまではなく根本的に無理だって話です。何故なら、「人間は自然というモノのごく一部」だからです。自然の中に動物がいて、植物がいて、人間がいるのです。 自然にとって人間が『特別』であったことは一度もないし、これから先も『特別』であることはないでしょう。 自然を支配したがる人ってのは根っこの部分に「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観があると思うのです。というかそれがなければ自然を支配しようなんてそもそも考えないはずです。 それを一言で表現す…

  • 慮る心と人間らしさ

    このブログでは何度も想像力の大切さについて述べてきました。 「想像力こそが人間らしさの根っこである」ということについて。ここでいう『人間らしさ』とは他者に対して『慮る心』を持っているということを指します。 知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する敏感さを生むのです。 人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分はナニカで補わなきゃなりません。 そのナニカがここでいう『想像力』なのです。 で、ここでいう『想像力』とは、知らないなら知らないなりに…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、orion12さんをフォローしませんか?

ハンドル名
orion12さん
ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
フォロー
『クリアー整体ヒーリング』です

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用