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2020/05/22

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  • 憑依を深刻にしないためのひとつの処方箋

    所謂『憑かれる』といっても、オカルト漫画みたいに誰にでも分かるようなド派手な怪奇現象が起こるってことは滅多にありません。 そんなことがもし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。憑依は、最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸食していくカタチで始まります。浸食された部分は『その人では無いモノ』に差し替えられていくのです。差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか…以上が憑依の第一段階です。じゃあ、よく見れば違うってところを説明していきましょう。人外のモノに憑かれる…

  • 怒りのエネルギーと波動の負のスパイラル

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』かあります。 それはコインの表と裏みたいなものです。 荒々しさの火を心に灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、『荒々しさ』の持つある種の『覚醒剤的チカラ』に魅せられる人が後を絶ちません。 『荒々しさ』というものは『誰にでも分かりやすいアグレッシブさ』をかき立てるからです。 ここでいうアグレッシブさというのは『攻撃的な前向きさ』と言いかえることもできます。 でも、『攻撃的な前向きさ』を生きるための推進力と…

  • いわゆる競争原理と霊的修行とか

    そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ? 個人的には何事にも『競争原理』と『自然淘汰』が付いて回るというダーウィンの進化論的な価値観にはずっと違和感があるのです。実は『弱肉強食』って呼ばれるモノは、人間が勝手に決めつけた架空の法則なんじゃないでしょうか?まぁ架空ってのが言いすぎならば、弱肉強食は世界のほんの一部の切り取られた側面を刹那的に表現した状態のことだと言い換えてもいいでしょう。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」…

  • 因果のご縁と物の怪のヘビの縁

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあります。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 これまで物の怪にはキツネ・ヘビ・龍・カラス・クモ・狼の6種類がいることを確認してきました。 個人的に確認しただけなので、他にいないとは限り…

  • いわゆる呪詛と荒っぽくて毒々しい言葉

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 ていうかそういう『儀…

  • 自分が関わる環境を決める時は勘を大切にした方がいい

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーが発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続ける装置のようなモノです。 なので、一人分だけでも蓄積される想念エネルギーは膨大な量になります。 当然人が多ければ多いほどその場所には、たくさんの想念エネルギーが存在することになります。街が大きければ大きいほど必然的に莫大な量の想念エネルギーが集まってくるのです。それらが善くも悪くもその街の『活力』となっていきます。 ガラが良いor悪い、活気が有るor無いなどのその街の『雰囲気』を形作るのです。 そして、人が集まれば集まるほど物の怪やらオニやら亡くなったヒトやら…

  • 予定調和の世界と「思考が現実を作る」というファンタジー

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。(感覚が主・思考が従)でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。(思考が主・感覚が従)貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと …

  • 支配欲の強い人の話し方

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」 「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずにそういう雰囲気を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにいたら気を付けた方がいいでしょうね。 日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることが絶対的な真実である」というような前提で話を始めようとしてる可能性が非常に高いからです。 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わしているわけです。 「オレの言うことだけが…

  • 霊媒体質と霊能力は必ずしもシンクロしません

    ここでいうところの霊媒体質というのは波動エネルギーに対して敏感であり、その影響を如実に受けやすい状態という意味です。 もっと言えば影響を受けてしんどくなりやすい状態のことです。 所謂霊的な何かが見えたり聞こえたりといった現象とは分けて捉えています。 あくまで「ここでいう言葉の意味として」ですがね。 少しエネルギー的な感度が高い方がいらっしゃっても、日常的に顕著にダメージを受けないレベルであれば霊媒体質とまでは考えておりません。 これも例のごとく独断と偏見による判断基準ですけどね。 ただ、そのあたりの基準をあやふやにしておくと何を言ってるのか分からなくなる恐れがあるのかなと思い、改めて書かせてい…

  • 自己洗脳するとマトモな判断ができなくなる

    例えばはじめて人気のラーメン屋に連れて行かれて、美味しくないと感じたとします。 「あっ、ここのラーメンって美味しくないんだ」と自分の中にインプットされます、 大抵は美味しくない理由を深掘りして考えたりはしないでしょう。 でも、その時連れて行ってくれた人から「ここって美味しいよね?」とか同意を求められたらどうでしょう? 「えっ、この人にはこれが美味しいんだ…?」と違和感があるはずです。この場合相手にとってはそのラーメンは美味しい!とあらかじめインプットされているのでしょう。 どちらが良いという話ではなく、感覚ってのは人によってそれぐらい違いがあるということです。 単なる感覚の違いとして互いに認め…

  • 眼に見えないチカラを借りれば大抵それ以上のモノを持っていかれる

    この世の中では意識的であれ無意識であれ願望を叶えるために目に見えないチカラに頼ろうとする人が後を絶ちません。 とはいえ自分が頼ろうとしているモノの正体についてちゃんと認識している人はほとんどいないのではないでしょうか?すでにガッツリ『悪魔の契約』をしてしまってる人でも、それは同じです。ここでいう『悪魔の契約』とは、何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪など目に見えない存在との間にギブアンドテイクの関係を結ぶことです。この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば…

  • 心にも身体にも『風通しの良さ』は大切です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 ずっと動いているというのは絶えずバランスを取り続けているということを意味します。バランスを崩せば劣化のスピードは速まるのです。 世の中のすべてのモノは遅かれ早かれ必然的に劣化していきます。しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。 では、バランスを取るためには具体的に何をやればいいのでしょうか? 一番簡単なのは風通しを良くすることです。 物理的にも、精神的にも、エネルギー的にもね。 波動エネルギーを停滞させないために一番手っ取り早いのが空気を動かすことです。実生活で…

  • すぐそばにあるハカリゴトといわゆる『陰謀論的世界観』

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると『日常的に社会のあちこちで金や権力を手段を選ばずブン取りあってるのを事実として認識すること』と『現実にブン取り合いが日常茶飯事なんだからそれが人として当然の在り方なんだと肯定すること』は全く違う話です。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そ…

  • 生きることのハードルと激動期を生きる道

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 「個人的にも、社会的にも、『純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎてる」って意味でね。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのでしょう。 「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的に感じるのです。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるんじゃないかと… 「人間に対する期待値を上げる」ってことは結局「自分に対する期待値を上げる」ってことに繋がります。 自分に対して『純度100%の完璧さ』を求め続けれ…

  • 悪口・陰口と日常にある呪いの言葉

    他人の悪口・陰口を日課のように話している人が世の中には大勢いらっしゃいます。 悪口・陰口をしょっちゅう発信するということは、その元となる『心の状態』をずっと維持し続けているということを表しています。 そして、そういう『心の状態』を維持するためには、悪口・陰口の素となる想念エネルギーを日々量産して貯め込まなくちゃなりません。 自分の中に無いモノは出てこないからです。 悪口・陰口の素となる想念エネルギーの波動のレベルは低いです。 悪口・陰口を言う人は、波動のレベルの低いモノをわざわざ製造して自分の中に貯め込んでいるわけです。 例えていえば悪口・陰口ってのは「表面に毒をべったり塗った毒針を口に含んで…

  • 言葉は心から生まれ、運は言葉から生まれる

    世間一般で開運っていう言葉は何の気なしに使われているように見えます。 でも、その言葉の『意味』についてはあまり深く考えられてはいないじゃないでしょうか?おおよそ「他力本願で良いことがある」みたいな意味で捉えられてることが多い気がします。別にどう捉えようとそれぞれの自由ですが、「薄ぼんやりとした言葉だな」というのが個人的な印象です。そもそも『運』ってのは開いたり閉じたりするモノなんでしょうかねぇ?私はそうじゃないって感じるんですよね。「『運』ってのは日ごろ言葉と行動の積み重ねなんだ」と思います。良いことも悪いこともすべて含めてね。「先にその人が積み上げた原因となるモノが、後からカタチを変えて結果…

  • サバイバルな時代のマトリックスな世界

    世間一般の感覚では、「自分の外側から権威ある知識をたくさん吸収し、論理的な思考を組み立てて、その上で物事を判断するのがベターだ」と思われています。 基本それは間違っていません。ただ、見えない世界のマヤカシを見破るためにはその方法だけでは正直難しいです。逆に思考と知識に頼れば頼るほどマヤカシの迷路にハマり込んで出られなくなってしまう可能性が高かったりします。所謂スピリチュアルな世界で自分の外から来る知識や権威に囚われることは危険です。 本当はごく普通の社会的の出来事においても十分危険なのですが、まだそこにはリアルな『ストッパー』が付いています。具体的には、一般常識や社会道徳などの『不文律』や成文…

  • ふわふわとしたファンタジーな世界観で語られるオカルトほど怪しいモノはない

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラの話ですがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的な『やりたい放題』が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても返り血くらいは浴びるか…

  • 行きすぎた自己洗脳は心を壊す素になる

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうしてどこが臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で物事を捉えているということになります。多くの人々は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろう…

  • 魔境とキラキラわくわく

    自由というのはありがたいものです。 ただ、自由に色んなことが出来るということは所謂『良いこと』ばかりじゃないのも知っておく必要があります。 自分だけが自由ではないからです。 端的に言って自由であればあるほど外からの働きかけに対して『防御』が薄くなります。 現実にココロの箍が外れて、ユルユルくずぐずの『カードが下がった状態』になっている場面を世の中のあちこちで見かけます。 それは決して偶然の産物ではなく自由のリスクとしての必然なんだと思います。 しかし、なぜかスピリチュアル〜な世界の中にはその「ユルユルくずぐず」を心が解放された素晴らしい状態と勘違いしてしまっている方が大勢いらっしゃるみたいです…

  • 宗教的儀式そのものに霊的チカラは存在してないと思います

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 本当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思っています。 どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは珍しくないからです。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。 無縁仏だとしても、一応寺には納められていたりしますし、「読経も法要も一度たりとも受けてない」って人の方…

  • 運命の良し悪しと人生の修羅場

    以前に『スピリチュアルな鼻づまり』みたいなモノについて書いたことがあります。 ここでいう鼻づまりとは「元々あるはずの感覚がまともに使えなくなった状態のこと」です。 実際に風邪でも引いて鼻が詰まると息がしにくいので分かるのでしょうが、スピリチュアルに鼻が詰まった場合は中々気付きません。それどころか別のオカシげな感覚をマヤカシで信じ込むなんてこともあるでしょう。っていうか本当にあるんですけどね…その実体験について今回は書いてみたいと思います。 私にとっては苦い記憶ではありますが、最近のテレビ絡みのセックススキャンダルを見ていて改めて思い出しました。 過ぎ去りし日の一時期、スピリチュアルな世界の暗黒…

  • 波動のレベルと勘の磨き方

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げる方法自体は簡単です。現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『直感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来…

  • 思考停止すると魂は腐りやすくなる

    以前何度か魂が腐るということを書きました。 ここでいう『腐る』とは何らかの理由で元々みっちり詰まっているはずの魂の中身がなくなってスカスカになることです。 魂がスカスカっなっている人は、エネルギー的な内側と外側の境目が曖昧で滲んだようにハッキリしなくなります。 見える人が見れば、オーラ的なモノもボンヤリとしてハッキリしないでしょう。 一番怖いのは、エネルギー的「ぼんやりぼやけてる人ってのは「自分がぼやけてる」なんて思わなくなるところです。 人間が持って生まれた感覚が麻痺してしまうのでしょう。 普通誰もが感じられるようなマトモな感覚が感じられなくなります。 周りがみんなドン引きするような状態にな…

  • この世界には、原因のない結果はなく、結果のない原因もない

    「本質的な意味で『たまたま』はこの世にはない」と思います。 すべての事柄は『因果応報』で成り立っているからです。何らかの現象があるならば必ずそれに見合うだけの原因があります。逆に言えば結果の現れない原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。なので、『因果応報』というものはこの世の全てに遍くあります。ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。個人のスケールを遥かに飛び越えて『原因』に対する『結果』はやって来ます。それを私は『因果のツケ』って呼んできました。『因…

  • 絶対という価値観と相対的なモノサシ

    人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。 しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための基準のひとつです。だから、善だの悪だのといったってどこかに『普遍不動のモノ』として独立して存在しているわけではありません。どこかっていうのは人間という単位を超えた広い意味での『世界』のことですけどね…善悪は普遍の真理などではないってことです。十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。どこまで行っても相対的な概念です。じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか?それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思います。…

  • 心のバランスを失うほど『頑迷固陋』になる

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。その偏った主観がここでいう色眼鏡です。だから、一人一人が見ている『世界』というモノはそ…

  • 宗教的な伝承と波動的な実際

    神社仏閣には故事来歴というものがあります。 故事来歴とは、いつどうしてそこに建立されて、何という神が祀られているのかという風な話のことです。 まぁ、簡単にいえばその宗教施設の歴史ですね。 そういった故事来歴を元にして、「あっちの神社の神とこっちの神社の神は反目している」とか、「あっちのお寺とこっちのお寺はエネルギー的に繋がってる」とかおっしゃったりする人がいらっしゃいます。 要は文字になって残っている歴史を主な情報源として、その場所の『エネルギー的な事情』を語られてるわけです。 それを「100%見当はずれである」とまでは申しません。 昔の人の言い伝えをむやみに軽視するってのは良いことではないで…

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