私は彼らにはっきりと言った「心から改心し、心を尽くして、私たちの神である主に向かいなさい。神にとって不可能なことは何もないのだから、主は今日、あなた方が満足するまで、道中の食料を送られるかもしれない、主はどこにでも豊富におられるのだから」。そして、神の助けによって、それは実現された。見よ。見よ!豚の群れが私たちの目の前の道に現れたのである。聖パトリック神はなんでも取り計らって下さる。見よ!聖パトリック
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私は彼らにはっきりと言った「心から改心し、心を尽くして、私たちの神である主に向かいなさい。神にとって不可能なことは何もないのだから、主は今日、あなた方が満足するまで、道中の食料を送られるかもしれない、主はどこにでも豊富におられるのだから」。そして、神の助けによって、それは実現された。見よ。見よ!豚の群れが私たちの目の前の道に現れたのである。聖パトリック神はなんでも取り計らって下さる。見よ!聖パトリック
『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年5ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰7「大御代(おおみよ)」の終わりルイ十四世の大きな失政の一つは、一六八五年「ナントの勅令」を廃止したことであった。これは十六世紀末(一五九八)に、ときの国王アンリ四世が発して新教徒に信仰の自由をあたえ、多年の宗教内乱を終わらせたものである。ところがルイ十四世はこの勅令の役目を終わったものとみなし、自分が信ずる力トリック教で国民を統一することによって、王権をさらに確立させ、また国際的にもカトリック勢力の中心になろうと考えた。マントノン夫人ら側近の意向もあったらしい。この処置は、カトリック教徒が多い国民からはだいたい好意をもって迎えられた。しかし勅令廃止の結果、新教をすてぬ者に対してはげしい迫害がおこり、一種の新しい宗...9-5-7「大御代」の終わり
ピサの聖ライネリオ証聖者記念日6月17日ライネリオは、若い時イタリアのピサで放埒な生活を送っていたが、ある日伯母が紹介した聖ヴィト修道院の修道士に会ったときから、すっかり回心して今までの生活を改め、両親が心配するほどの変わり方であった。まもなく、イエズスが地上の生活を送られた聖地への巡礼を望んでライネリオは出発した。巡礼の途中で夢を見たが、それは自分の財布が焼けつくように燃えるコールタールでいっぱいになっていて、それを消すことができたのは水だけであったという夢であった。この夢で教えられたことは、肉体的な欲望を消すことのできるものは酒ではなく、ただ水だけであるということであった。その時からライネリオは水だけを飲み、食事は日曜日と木曜日に限って食べることにした。そして、裸足で歩き回った。ピサに帰った時、修道院...ピサの聖ライネリオ証聖者
(挿絵はフェリペ5世)『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年5ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰6スペイン王位をめぐってハブスブルク家のスペイン王カルロス二世(在位一六六五~一七〇〇)は、二度結婚したが、子供がなかった。当時のスペインは十六世紀以来、衰えたりとはいえ、本国のほかにイタリア、ネーデルラント方面に領土をもち、また中南米の植民地、フィリピンなどをも領有していた。このスペインの王位相続はヨーロッパ諸国の関心の的である。そこでフランス、イギリス、オランダのあいだに、スペイン領を分割してそれぞれ統治者をたてることがきめられた。しかしこれを不満とするカルロス二世は、スペインの領土保全を目的として、血統上関係があるルイ十四世の孫、十八歳のアンジュー公フィリップを王位継承者と遺言した。それ...9-6-5スペイン王位をめぐって
世界はあなたの船であって、あなたの家ではありません。リジューの聖テレーズ(仮住まいであり、移動手段であっても、最終目的地ではないということ)世界はあなたの船であって、あなたの家ではありませんリジューの聖テレーズ
聖ルトガルジスおとめSt.LutgardisVirg.記念日6月16日聖女ルトガルジスの一生は、いわば主イエズス・キリストとの完全な一致を目指す努力精進の連続であった。「汝等は死したる者にして、その生命はキリストと共に天主において隠れたるなり。我等の生命にてましますキリストの現れ給う時には、汝等もまた彼と共に光栄の中に現るべし」(コロサイ書3・34)この聖パウロの言葉は、彼女の生涯の説明と見ることも出来よう。ルトガルジスは1182年ベルギーのトングル市の貴族の家に生まれた。母は大層信心深い婦人で彼女をも敬虔に育て上げようと努めたのに、父は全然世俗的な人間でこの世の快楽虚栄社交などに娘の心を向けようとしたから、ルトガルジスはこの相反する教育方針の犠牲となって、善を為しがたく、悪に流れやすい志操定まらぬ少女と...聖ルトガルジスおとめSt.LutgardisVirg.
神の怒りを招くでしょう。米最高裁、妊娠中絶薬の流通認める2024.06.14Fripostedat09:40JST(CNN)(CNN)米連邦最高裁は13日、経口妊娠中絶薬「ミフェプリストン」の流通規制を求める訴えを退け、中絶薬の入手・使用を引き続き認める判断を示した。中絶の権利を擁護するバイデン大統領にとって、秋の大統領選に向けて追い風となる。米国では2022年に、保守派の判事が多数を占める最高裁が人工妊娠中絶の権利を認める「ロー対ウェイド判決」を覆しており、妊娠中絶薬の流通に関する訴訟は最高裁で争われる中絶関係の紛争として最も重要なものだった。最高裁は、中絶に反対する医師やグループで構成される原告には訴えを起こす権利がないとした。米食品医薬品局(FDA)は00年にミフェプリストンを承認したが、原告らはF...米最高裁、妊娠中絶薬の流通認める(CNN)
『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年5ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰5「スカロンの寡婦」一六七九年、モンテスパン候妃が見いだした新しいライバルは、前述のマリー・アンジェリック・ド・フォンタンジュ(一六六一~八一)であった。金髪で十八歳のこの小娘に対して、モンテスパンは嫉妬にかられ、ルイの面前で荒れ狂ったらしい。のちに王は苦笑いしていった。「二人の女性のあいだよりも、ヨーロッパに平和をつくるほうがやさしい。」女の戦いはモンテスパン夫人の勝利であった。フォンタンジュは一人の子供をうんだのち、ポール・ロワイヤル修道院へひきこもった。しかしモンテスパン夫人の勝利は長つづきしなかった。ルイ十四世が年とともに、熱情的な寵妃に飽満の情をいだきはじめたころ、彼女のいかがわしい秘密がはっきりしでしま...9-5-5「スカロンの寡婦」
霊によって歩め。そうすれば、肉の欲を遂げさせることはない。実に肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反する。あなたたちが望みのままに行わぬように、それらは相反している。ガラツィア人への手紙5章16-17節霊と肉の欲求は相反する聖書
聖ヴィト、聖モデスト、聖女クレスチェンチア三殉教者記念日6月15日Sts.Vitus,ModestusetCrescentiaMM.聖ヴィト、その乳母クレスチャンチア及びその夫聖モデストに就いては、歴史に伝えられる所甚だ少ないが、彼等に対する崇敬は中世紀から相当盛んに行われたもので、わけても聖少年聖ヴィトは14人の救難聖人中に数えられ、また聖会の諸殉教者の中でも、最も主要な一人と仰がれている。彼等は4世紀の末、すなわちディオクレチアノ皇帝がキリスト教徒に対しローマ帝国最終の迫害を行った頃の人で、ヴィトの生まれ故郷はシシリー島であった。彼の父はヒラスと呼び、偶像教を奉じていたが、乳母のクレスチェンチアとその夫モデストは熱心なキリスト教信者で、いかにも親切柔和な正しい人々であったから、ヴィトは子供心にも深く感...聖ヴィト、聖モデスト、聖女クレスチェンチア三殉教者Sts.Vitus,ModestusetCrescentiaMM.
まどろっこしい説明を避けるため、答えだけを書きますと、かつては正しかったのですが、今は間違っています。30~40年前までは、定期預金の金利は6-8%ありました。一方で、インフレ率は、非常に低い値に抑えられてきました。預金をしておけば、ひとりでに額は増えていくのに、物価はそんなには変わらないのですから、預金は正しい選択でした。(20世紀末の日本の定期預金の金利推移)今は、その真逆の状態になっています。預金をしても金利は0%です。全く増えません。他方で、物価は上がる一方です。だから、預金をしておくと、自分の財産の実質的な価値は、年々、減ってしまうのです。どうして、そんなことになっているのかを説明すると、長く、まどろっこしくなるので、今回は避けようと思います。これまでに、何度も説明をしてきたと思います。そのメカ...預金をするのは正しいことなのか?
(ローマ神話をイメージした仮装をしたルイ14世と后妃たち)『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年5ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰4誇り高き侯妃宮廷がベルサイユに移るまえのことである。前述のルイ十四世の愛人ルイーズ・ド・ラ・バリエールは口数も少なく、王を喜ばすようなウィットにとんだ言葉を、考えだすことは苦手であった。そこでルイーズは友人たちを側近においておく必要があった。なかでも機知縦横というべきは、モンテスパン侯妃アテナイスであろう。アテナイス・ド・モルトマール(一六四一~一七〇七)はフランスでも屈指の名門の出であり、それだけに遠慮がちなルイーズにくらべて誇り高く、威厳にみち、それらは情熱的な性格とあいまって、生来の美貌をさらに輝かせていた。彼女はルイが王妃を迎えた一六六〇年宮廷に出...9ー5ー4誇り高き侯妃
天の都は、ローマとは比較にならないほど素晴らしい。そこには勝利の代わりに真理が、高い地位の代わりに聖性が、平和の代わりに幸福が、生命の代わりに永遠がある。聖アウグスティヌス天の都聖アウグスティヌス
コンスタンチノープルの聖メトディオ総大司教記念日6月14日メトディオがシラクサで生まれた頃は、東方教会の人々がイエズスや諸聖人の絵画を破棄していた時代であったが、メドティオは美しいイコンを描いて信者達を励まそうと努めた画家達を、力を尽くして支持したのであった。メドティオは若い時に皇帝の廷臣になるつもりでコンスタンチノープルに行ったが、聖人のような一人の修道士に出会って、その感化を受け、現世から退くことを決心したのだった。そして、キオス島に修道院を建てて一生とどまるつもりであった。しかし、コンスタンチノープルの総大司教聖ニセフィロに呼ばれて、二人でイコンを破壊する人々に大反対したが、ニセフィロは退位させられて追放の憂き目にあった。メトディオも逃亡しなければならなかった。821年ニセフィロの復職を命じる教皇の...コンスタンチノープルの聖メトディオ総大司教
1、都知事選の予想都知事選とか、どうなるんでしょうね。今のところ、各地の選挙では、立憲民主党系の候補が圧倒的に優勢です。立憲系の候補者が7連勝しています。その内訳は、衆院選補選の東京15区、島根1区、長崎3区、東京都議選補選の目黒選挙区、港区区長選、静岡県知事選、鹿沼市長選です。蓮舫さんは、今までの野党共闘候補よりも遥かに票を取るでしょう。もしかしたら、当選するかもしれませんし、そうでなくても、小池さんといい勝負をすることでしょう。あくまで、思案の手助けですが、慣れない票読みをしてみると・・・過去の選挙の傾向に高齢化の要素を少しだけ加味すると、投票総数は600万票くらいでしょうか。そして、野党共闘系の候補に投票する人で、他の新人候補に浮気する人は、そう多くないでしょう。ですので、600万票から、蓮舫さんの...都知事選とか
『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年5ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰3廷臣たち新装のベルサイユ宮殿には廷臣の用に供するための多くの部屋があり、ルイ十四世はこれらを貴族たちに適当に与えたわけであるが、それこそ彼らにとって、まず何よりの恩寵であった。それから廷臣たちは何かの役職にありつかなければならない。前にのべた王の一日のスケジュールをとってみても、それらに参加、列席できる資格は厳重に定められ、王もこれを巧みに分配して貴族たちをあやつった。太陽王排便のときにも、それに参列できることは廷臣の大きな特権の一つであったという。豪奢を愛する王は、万事にたいへんな浪費家であったが、廷臣もそうでなければならなかった。これは王の恩寵にあずかる一手段であるとともに、貴族たちの生活を苦ししくて、王権に...8-5-3廷臣たち
真の友人関係は、自分の考えていることを決して隠さない。聖ヒエロニムス真の友人関係聖ヒエロニムス
パドアの聖アントニオ聖会博士St.AntoniusdePaduaC.etE.D.記念日6月13日パドアの聖アントニオといえば、大方の読者はすぐに、縄帯褐衣、フランシスコ会修士の服装で幼きイエズスをお抱きしている聖人の聖絵を思い起こされるであろう。これはある時イエズスがその御姿で、聖人にお現れになったという伝説に基づいたのであるが、その他アントニオは、代祷を願えばしばしば紛失物が発見されたり、奇跡が起こったりすることでも有名である。彼は1195年、ポルトガルの首都リスボン市で生まれ、受洗の際はフェルディナンドと命名された。幼少の時から叡智学才に恵まれていた上に、父マルチノ・デ・プロネスは貴族で羽振りのいい将校であったから、その前途は誠に洋々たるものであったが、生来現世の名誉財宝に恬淡な彼は、15歳ににして既...パドアの聖アントニオ聖会博士St.AntoniusdePaduaC.etE.D.
バラが邪魔をして、今まで切れずにいた雑木二本を伐採しました。一昨年から気付いてはいましたが、バラの間隙に生えてきた雑木でしたので、うっかりすると誤ってバラの枝を切ってしまいそうで、なかなか手を出しかねていました。それにしても、随分と、高く、太くなったものです。チェーンソーは本当に便利ですね。新型コロナの直後にインフレ対策の一環で買いましたが(値上がりしないうちに、なんでも買おうと)、良い買い物をしたと思っています。これからの時代は、サバイバルの能力も求められるかもしれませんし、一戸建てにお住まいの方は、買っておいた方がいいかもしれません。しかし、鬱陶しかった雑木も、こうしてあっけなく切られてしまいました。私たちも、常習的に大罪があったり、大罪の習慣があったりした場合には、時が来れば、このようにいとも簡単に...雑木を伐採!
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。ヨハネの黙示録3章16節生ぬるい人たち
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年3乱世の皇帝4万機の親裁世宗が北方への親征からもどって、しばらくすると、ひとりの役人が言上した。「陛下がすべて、みずから裁決しようとされるのは、無理でございます。公正な人をえらんで宰相に任じ、民を愛し民の訴えをよくきく者を地方官に任じ、また財政や刑獄にあかるい者をえらび、陛下は、ただそれを総覧すればよろしいわけであります。君主たるものが臣下の職を行い、至高の位にいながら、臣下がおこなうべき賤事(せんじ)に親しむべきではありません。」このような意見がだされるほど、世宗は万機親裁(ばんきしんさい)の姿勢で統治にのぞんだのである。もはや馮道のような宰相も死んだ。これまでの二世皇帝のように、建国の元勲に皇帝権を制約されることはなかった。これまでの皇帝につかえてき...6-3-4万機の親裁
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年3乱世の皇帝3世宗の即位後周の太祖(郭威)がもっとも力をそそいだことは、皇帝の権力を拡大することであり、なかでも禁軍(皇帝に直属する軍隊)の強化であった。殿前(でんぜん)軍というものをつくる。これは侍衛軍よりもいっそう皇帝に密着した軍団であった。これからのちは、この殿前軍を中軸にして禁軍はいよいよ強大となってゆく。その仕事を中心となってすすめたのが、趙匡胤(ちょうきょういん)であった。また、これまで禁軍の武器は地方の藩鎖でつくって、年ごとに一定量をおくりとどけていた。それを太祖は廃止した。禁軍の武器は、いっさい中央でつくることにした。同時に、地方の藩鎮に属していた熟練工を、中央にあつめた。地方で武器をつくらせると、領民から必要なもの以上に資材を取りたて、...6-3-2世宗の即位
愛は犠牲によって養われます。自然的な満足を拒絶すればするほど、無私無欲となります。リジューの聖テレーズ愛を養う物リジューの聖テレーズ
頻繁な聖体拝領は、この世を支える極の大きな柱のようなものです。聖母に対する信心は、別の極を支えるもう一本の柱です。聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)頻繁な聖体拝領と聖母に対する信心聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年3乱世の皇帝2後漢の二代契丹の暴政にたいして、中国人はけっしてだまって従っていたわけではなかった。しだいに反契丹運動がめだちはしめた。運動の担い手には、二つあった。まず民衆が立ちあがった。収奪や災害でいためつけられてきた人びとであった。いまや民衆を苦しめる最大の敵は契丹である。民衆の抵抗の方向は、いっせいに契丹にむけられた。ついで、各地に駐屯していた将兵が立った。かっての後晋の禁軍を中心とする将兵であった。節度使クラスの武人は、その地位の安泰をはかって、ほとんど抵抗運動に参加しなかった。抵抗連動は弱まるどころか、契丹の太宗が「中国人がこれほどに制しがたいとは知らなかった」と言わざるをえないほど、ますます高まっていった。さきに太宗は、降伏した後晋の役人たち...6-3-2後漢の二代
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年3乱世の皇帝1契丹の華北支配契丹(きったん)の太宗は、中国の北辺一帯の地、いわゆる燕雲(えんうん)十六州を手にいれたとき、大いによろこんで、その母后にかたったという。「わたしは近ごろ、石郎(せきろう)がかならず使いをよこすことを夢みました。いま、まさにそのとおりになりました。」石郎というのは、後晋(こうしん)の高祖たる石敬塘(せきけいとう)のことである。石敬塘は、みずから皇帝になろうとして、契丹のたすけをもとめ、燕雲十六州をさざげたのであった。おまけに石敬将は、まことに卑屈な態度をとって、契丹の皇帝には「臣」と袮し、父の礼をもって仕えるにいたった。契丹は石敬塘のことを「児皇帝(じこうてい)」とよんでいるが、「石郎」という表現にも、おなじような意味がこめら...6-3-1乱世の皇帝
私は恐れるとたじたじとなってしまう性格ですが、愛によれば進むばかりでなく、飛んでゆきます。リジューの聖テレーズ愛によって進むだけでなく飛んでいくリジューの聖テレーズ
アップル社がゴーグル型の端末を開発したようです。値段はお高いですが、性能や臨場感は圧巻なのでしょう。アップルまで、この業界に参加してきました。未来の世界にある程度、メタバースがウェイトを占めることは確実なようです。司祭不足と相次ぐ教会の閉鎖、そしてメタバースの躍進。やがて、メタバース上でVRミサが行われる時代が来るのでしょうか。さすがに、そのようなものは秘跡として無効でありましょうが。また、ミサだけは実体のミサに与りたいと思いますが、一方で教会が遠すぎたり、体力がなくてミサに行けない人にとっては、霊的聖体拝領になるのでしょうか。今の流れが続けば、いずれ、メタバースがカトリック教会に関わっては来るでしょうね。私自身は、既にメタバース上でカトリック教会の存在を確認しています。教会やカテドラルが、メタバースの中...Appleがゴーグル型端末を開発!メタバースに参入!(共同通信)
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年2武人の天下4明宗と馮道(ふうどう)後唐の荘宗の後宮には、千人あまりの宮女がいた。しかし明宗は、即位するとすぐ、宮女を十分の一にへらしたばかりか、宮中のしきたりにくわしい年配のものだけを残し、若い者は後宮をさがらせた。新皇帝として、きびしい統治の姿勢を群臣に示したのであった。このころから、分権的な五代のなかで、皇帝権を強化しようとする試みがあらわれてくる。支配の強化といえば、それまでは私的な主従の結びつきを軸にしていた。しかし、それまでさかんにみられた仮父子の関係は、この明宗を最後にして姿を消してしまう。明宗はわずか五名ていどという小人数の仮子をおいたにすぎなかった。しかも、そのうち三名は鳳翔(ほうしよう)の独立勢力たる李茂貞(りもてい)の子どもたちであ...6-2-4明宗と馮道
霊魂のために働くには、10キロの知識よりも1グラムの信心に価値があります。聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)10㎏の知識よりも価値のある物聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年2武人の天下3節度使の力皇帝や王を袮した者にしても、一般の節度使にしても、何よりも求めなければならなかったものは、兵力であった。募兵だけでは、まにあわない場合も出てくる。唐代の中期に、民衆の抵抗によって廃止されたはずの徴兵が、ふたたび実施されたりもした。いまの北京にあたる幽(ゆう)州を中心に、勢力をふるったのが、劉仁恭である。そこでは領内の十五歳から七十歳までの男子すべてを徴兵し、そのため村には男子の姿はみられなくなった、と記録ざれている。そのうえ徴兵した二十万人の兵士に強制して、「定覇都(ていはと)」という三字を顔に入墨(いれずみ)した。定覇都とは、羂権を決定づける部隊ということである。入墨したのは、逃亡をふせぎ、たとえ逃亡してもすぐ見つけだせるためで...6-2-3節度使の力
人生は過ぎ去ります。永遠が急ぎ足で近づいてきます。もうすぐイエズス様ご自身の生命を生きることでしょう。リジューの聖テレーズ人生は過ぎ去り、永遠がやってくるリジューの聖テレーズ
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年2武人の天下2梁から唐へ朱全忠の「後梁」にとって、もっとも恐るべき強敵は、やはり李克用(りこくよう)であった。李克用は、晋陽(いまの太原)によって晋王を称している。朱全忠の帝位には、まっこうから反対し、これに同調する節度使もすくなくなかった。ところで朱全忠も、李克用も、ほかの節度使たちも、実子のほかに仮子(かし)というものをつくっていた。かれらにとって、いちばん頼りになるものは、親子の血縁にちがいない。しかし実子となれば、その数は限られてしまう。そこで唐末から五代にかけて、有力な節度使たちは、部下のなかから有能なものをえらんで、父子の関係をむすぶようになった。血のつながりのない父子のむすびつきであるから、一般に仮父子とよばれている。仮子は、一人や二人をお...6-2-2武人の天下
国家も神に由来するものであり、真の宗教を持たなければならない。教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』全ての国はカトリックを国教にすべき教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年2武人の天下1分裂の時代朱合忠が唐の天下をうばって「後梁」を建国したころ、各地にいた節度使のうちで強大なものは、それぞれ自立の道をあゆんでいた。節度使の数はたくさんあったが、強いものは弱いものをほろぼしたり、あるいは服従させたりして、その支配する領域をひろげていたのである。だから節度使のなかには、主君となったものもいれば、その家臣となったものもいた。朱全忠にしてもそうしたものの一つにすぎなかった。さて朱全忠が皇帝を称すると、各地の強大な節度使は、これに臣従しようとはしない。各々独立の政権をつくりあげた。汴(べん)州(開封)に都をおいた朱全忠の支配も、せいぜい黄河の中流から下流域までにしか及ばない。領域をひろげようとして、隣接する独立の政権とたたかっては敗...6-2-1五代十国
私は2020年末に設置しましたが、今のペースですと、10年もしないうちに元が取れそうです。インフレ率と電気代の上昇が顕著ですので、実際にはもっと早くに元が取れるでしょう。こうした分野への批判を、いつも耳にしますが、私は経済的な観点からも、非常時対応の観点からも、お勧めだと思います。山を切り開いてパネルを敷き詰めるのはどうかと思いますが、自宅の屋根に設置するのは、今の時代は、電力安保の意味でも決して悪い選択ではないでしょう。パネルと蓄電池、両方を設置すれば、厳冬期以外は、電気代を最低限の基本料だけに抑えることができるうえ、売電収入もあります。ソーラーパネルや蓄電池の自宅設置は賢明か?
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年1唐の大乱の主役5唐朝の落日朱温は幼くして父に死にわかれ、母や二人の兄といっしょに、ある地主の家に住みこみで働いていた。やがて二十歳をこしたころ、すぐ上の兄とその家をとびだし、黄巣の軍に加わる。兄は広州攻撃のとき戦死したが、朱温はしだいに頭角をあらわし、いつのまにか指導者の一人にのしあがった。朱温は貧民の意識というより、うだつのあがらない生活からぬけだすため、反乱に加わったのである。いわば出世を反乱にかけていたといってよい。この朱温が、中和二年(八八二)、唐朝にくだった。僖宗は大いによろこんで、これに全忠という名をたまわった。よって、これから朱全忠ととなえる。いまや朱全忠は、反乱を打倒するための一方の大将とされ、翌年には汴(べん)州(開封)の節度使に任ぜ...6-1-5唐朝の落日
快活でありなさい。あなたの喜びは、罪から清められた良心のように生き生きとしたものであるように。聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)快活でありなさい聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)
『宋朝とモンゴル世界の歴史6』社会思想社、1974年1唐の大乱の主役4黄巣の栄光反乱はおこったが、彼らは一ヵ所にとどまって拠点をつくることはしなかった。ゆくてに立ちはだかる節度使(せつどし)の軍をうちやぶり、あるいはその間隙(かんげき)をぬって、おどろくほど広い範囲をかけめぐった。北は黄河から、南は広州にまでおよぶ地域で、四川(しせん)を除いて、ほとんど中国の全域にわたっていた。とくに黄河と長江(揚子江)にはさまれた地域では、はげしく流動し、主な地域を一度通過したばかりではない。おなじ都市をいくどか通ったこともあって、その足跡を地図にたどると、まるで蜘蛛(くも)の巣のようになる。この地域は、そのころ経済的にもっとも発達して、農民の階層分化がいちじるしかった。しかも飢饉がつづいたので、それだけ群盗がたくさん...6-1-4黄巣の栄光
もし人々が自由の問題について語り合うとき、今しがた、理性にかなった方法で論理的に解明したように、その真の正当な意味を注意して把握するならば、教会に対して個人と社会の自由の敵だという中傷を投げかけたり決してしないでしょう。しかし、サタンの足跡にしたがい、彼の「私は従わない」という逆らいの叫びを自らのモットーとし、その結果、真の自由をこの上なく浅薄なまったくの放埓に置き代えてしまう人が多くいます。この種の人には、例えば、自由の名を不当にも自らに付し、「自由主義者」を標榜する、広く普及しかつ強力な組織に属する人々が含まれます。教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』自由主義の功罪教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』