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『パリは燃えているか』(66)(1975.8.20-27.水曜ロードショー)第2次大戦末期、ヒトラー率いるナチスドイツの占領下にあったフランスの首都パリを、ノルマンディーに上陸した連合軍とレジスタンスが解放するまでを、実写映像も交えてドキュメンタリータッチで描いた戦争スペクタクル大作。監督はルネ・クレマン、脚本はゴア・ビダルとフランシス・フォード・コッポラ、音楽はモーリス・ジャール。タイトルの「IsParisBurning?」は、ラストのパリ解放のシーンで、ヒトラーが電話で叫んだ言葉から。「BSシネマ」『パリは燃えているか』
2020年公開の映画の紹介です監督は、デヴィッド・フィンチャー。脚本家、ハーマン・J・マンキーウィッツのモノクロの伝記映画です。主演・出演は、ゲイリー・オールドマン、アマンダ・サイフレッド、チャールズ・ダンス、リリー・コリンズ。1940年。ノース・ヴェルデ宿泊用牧場。松葉杖の脚本家マンク(ハーマン・J・マンキーウィッツ)は、理学療養士・フリーダとタイプで清書の為のリタ、2人の女性を紹介されます。更に、オーソン・ウェルズの映画用の脚本を90日間で仕上げるよう、ハウスマンはマンクに告げます。ところが直後連絡を直接受けたマンクは、「60日になった」とぼやくのです。----------------------------------------回想。1930年。パラマウントで仕事をしていたマンクは、ある日脚本の打...「Mank/マンク」
「第三の男」の素晴らしさと、恐ろしさを解説します。これは、映画史に残る傑作。”JOKER”の危険はこの頃から存在したのです。
『第三の男』(49)https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/400dc78056673933ffbed1ad33e93924「テレビ埼玉」『第三の男』
『市民ケーン』(41)(1976.5.5.新宿アートビレッジ)初めて『市民ケーン』を見た新宿アートビレッジは、16ミリ専門の上映館で座席数は40。歌舞伎町のジャズ喫茶「タロー」の3Fにあった。この時、誘ってくれたのが、高校のクラスメートで映画部の仲間でもあり、たくさんの映画を一緒に見たJ・Tだった。今はなき自由ヶ丘武蔵野推理劇場も、大岡山に住んでいた彼が教えてくれたのだった。ところが、彼は2学期から登校拒否になり、その後退学してしまったので、ほんの短い付き合いで終わってしまった。今でも、時折、映画についていろいろと教えてくれた彼のことを思い出す。元気にしているだろうか。『ラストエンペラー』https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7f12934091782e9c5457c3df6a655...「BSシネマ」『市民ケーン』