瞑想は人生を好転させます。今回は、座禅を取り上げています。今まで縁のなかった座禅についてです。
僧侶だった頃の経験も合わせて忘備録として書いています。
僧侶だった頃の経験を交えながら、目に見えない世界を通して見えてきたことを中心に書いていきたいと思っています。
地鎮祭は、その土地でつつがなく暮らしていくための重要な神事です。寺院への依頼の絶対数が少ないため、今回は先輩でもある尼法師の事例から紹介したいと思います。
社会に出て人と接していくと、軋轢が起こりがちです。そんな時、ちょっとした気持ちの切り替えで楽になったりします。人生とは、気持ちの切り替えの繰り返しで、良く生きることもできます。
人生を支配しているかのようにも見える運命論。実は、自分の人生は自分でコントロールするものなのです。運命と宿命について考察しながら、人生をより良く生きる術を見出していきます。
目に見えない世界が見えることにも仕組みが存在します。その仕組みについて記事にしてみました。
日本に仏教が伝来したのは6世紀半ばだと言われています。それ以前に亡くなり、残存している意識存在もあります。また、意識存在は仏教徒ばかりではありません。そんな事例を記事にしてみました。
わたしには二人の兄がいます。相対する兄の人生について考察してみました。皆さんにとって何か得るものがあれば幸いです。
目に見えない世界を入っていくということはどういうことなのか簡潔にまとめてみました。
妻の仕事先の同僚から家祓いの依頼のあった事案です。かなり強い因縁のある場所だったようでした。
出家したての頃、はじめて経験した家祓いでの様子です。これを機に、様々な因縁のある家や場所を体験しました。
施餓鬼供養の準備中は、修行僧が霊感を取る修行を兼ねています。先祖や亡くなった方々に、本当に供養が届いているか卒塔婆を書き込みながら確認していきます。
世間で少し誤解を以て認識されている家祓いについて、その内容と意味について改めて記事にしてみました。
煉獄が餓鬼界ではないかと思った信徒さんの経験談を出来事を記事にしてみました。
転生とは、主に人間界を渡り歩くことです。わたしたちは、こころを成長させて転生を終わらせる道中にあります。そのことに気付くか否かは、今世の人生ばかりか、来世に大きく影響してきます。
輪廻の最後の世界として、餓鬼界を取り上げてみました。施餓鬼供養という最大の供養行事があります。その行事の中で、密かに目に見えない世界で繰り広げられている餓鬼さんたちの様子から、供養の大切さ、こころの持ち方の大切さを記事にしてみました。
人間界以外にも、目に見えない世界には様々な世界が存在します。輪廻とは、それらの世界を行ったり来たりすることです。それは、人にとって苦しみであり、人間界にずっといられるとも限りません。この記事では、輪廻で赴く世界について、わかる範囲でお伝えしようと思います
輪廻と転生とは、目に見えない世界ではとても有名な概念でもあり難しいテーマです。 それは、ほとんどの人には転生の記憶が残されていないからです。 そこで、この難しいテーマについて記事にしていきたいと思います。
最近、神社と寺院の違いがよくわからない人々が増えているようです。 そこで、僧侶の視点から、その違いについて続いて記事にしました。 その1では神社について、そしてその2では寺院について記事にしてみました。
あの世と次の世との狭間で、もう少し補足事項です。 すべては、一生懸命に生きている人々の一助になればという老婆心からです。
7月に盆というところもあり、今回は「あの世」について少しお話ししています。読まれた方が、少し自分の人生について、振り返るきっかけにでもなったら幸甚です。
目に見えない世界を垣間見ることで、人生の見方も変わります。 また、大きな因縁に中に自分が存在していることも感じることができるでしょう。 そんなことが感じられたらいいなと思う出来事を記事にしてみました。
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瞑想は人生を好転させます。今回は、座禅を取り上げています。今まで縁のなかった座禅についてです。
誰にでも訪れる「老い」。現実に直面して、不安や焦りで戸惑う人々が増えています。そこで、「老い」への向き合い方をわたしなりに整理してみました。
死後の世界を何となく思っている人にとって、この世と次の世との狭間で気がかりな、ひとつの疑問があります。それは、生前親しかった人々の再会は望めるのかということです。
煩悩を欲望と混同されることが多いようなですので、今回さらに煩悩についてわたしの解釈を記事にしてみました。
今回は、あの世では、足かせになってしまう、誰でもが持つかもしれない執著について考えてみました。
仏教が宗教化して数千年。わたしたちは、仏教の本質を見通せない現状に気が付いてもいません。如何にこころにお釈迦さまの言葉を認知させることが出来るかで、二世の行く末が左右されます。
漫画・アニメの作品から感じたことを記事にしました。現代の日本は「今」がただ上塗りされていくだけの社会です。そこから見えてくる現状への課題を考えてみました。
タイトルが「元僧侶の独り言」と変更になった経緯とこれからの抱負などを書いています。
現代における日本の仏教は目に見えない世界を肯定していません。その要因をたどるとインド哲学に行き当たります。今回の記事は少し難しくなりますが、お付き合いいただければと思います。
煩悩の滅徐に通じる行としての瞑想について、手順と手法について解説してみました。
はじめに このブログを読み進めていく内に、これから瞑想で行でもはじめてみようかなと思っている方に、前もって知っておいてほしいことがあります。それは、今回取り上げている呼吸についてです。 画像はイメージです。 瞑想と呼吸とは、密接に関係してい
禅定を仏教の修行の観点から考察してみました。修行としての禅定には、そんな意味があるのかをできるだけ簡潔に記事にしてみました。
生老病死は、お釈迦さまも修行の際取り組んだ人の性です。数々の書籍や動画で克服法や思い方の解説がなされています。本当に、その解決法はあるのでしょうか?
「無我」とは、分かり難いこともあってか、お釈迦さまの教えの中でも論考の多い項目です。論述する必要性を感じているわけではありませんが、わたしが感得したことを書いておきたいと思いました。今回で108記事目となり、煩悩の数と掛けているわけではありませんが、当面の終了とさせていただきます。今後も更新などは、行っていこうと思っております。
今年2024年を、ブログの記事と今後の方針と共に振り返ってみました。
縁とは、わたしたちを取り巻いている目に見えない繋がりです。個々からはじまり、さながら血液のように循環しながら人を生かしている不思議な要素です。
はじめに わたしたちは、さながら言葉を発するように文字を書いています。忘れずにメモったり、日々の出来事を日記に残したり、街中を見渡せば装飾された文字で溢れかえっています。 文字に記すという文化は、主流をネットへと移行しつつある今でも、わたし
わたしたちは幸せを求めて生きています。そのカギは、すべてこころを如何に治めていくかにかかっています。
中世日本に発展した日本仏教。中世の時間尺度と合わせて、現代における仏教の問題点を考察していきます。
中高年になると若い頃には思ってもみなかった様々な思いが浮かんできます。中高年が陥りがちな悩みを特集している記事を元に、わたしなりの見解を書いてみました。
意識と時間という言葉から、解脱についてとりとめのないお話しをしてみました。
インドにおけるヒンズー教のように、広がらなかった日本仏教。その衰退の要因と仏教の今後について考えてみました。
不安な日々にある人々にとって、真の幸せとは何なのか考えてみました。
根本分裂から興った仏教の様々な形態。その中でも大乗仏教と南伝仏教を取り上げ、出家者、在家者における修行の在り方を考えてみました。
解脱とはこころと体の癒着を剥がしていくことです。長い時間がかかる気の遠くなりそうなお話しですが、始めなければ何も変わりません。今回は、過去生を知ったことで解脱についてわかってきたことを記事にいたしました。
昨今の政治の腐敗は目に余るものがあります。それは、他人の幸せを自分の幸せと捉え切れない狭い了見が、人々の間に蔓延している証左です。
昨年2023年の3月、今世と深く結びついた決定的な過去生を思い出してしまいました。今回の記事は、過去生から見えてきた仏教の真実についてご紹介したいと思います。
現在インドでは仏教はヒンズー教に取り込まれ、聖地を含めてその管理下にあります。ヒンズー教と日本の曖昧な宗教観はとても近く、鎌倉時代から続く日本における仏教も、実はインドでのヒンズー教下の仏教と似たような状況下にあるのではないかと思っています。
聖地で瞑想を行う西洋人たち。彼らの目的はわかりませんが、聖地で瞑想しても意味がないことを気付かせる瞑想に早く移行して頂きたいですね。
とてもなじみ深い節分の豆まきの掛け声に、仏教的意味を見出してみました。
インドから帰ってきました。簡単な感想とインドでの印象など記事にしました。また印象に残った出来事を短く動画で紹介しています。
しばらくの間、インドに行ってきます。
一時はコンビニよりも多いとされたお寺も減少が急速に進み、生き残る仏教施設は文化財かきれいな庭園くらいだと思われます。その衰退の問題を出家者のあり方を中心に書いてみました。
注意)以下の記事には、生死に関わるセンシティブな内容が含まれています。 特に気の弱い方や神経質な方、霊感の強い方は、 できるだけ読まないようお願いいたします。 はじめに 目に見えない世界の見え方は僧侶によって様々です。霊感の取り方と
出家前に参加した寺院のワークショップ後に経験した出来事を記事にしました。
仏種(ぶっしゅ)とは、誰でもこころの中にある聖人になるための種です。これを育み大きくしていくことが、人として生まれた理由なのです。そんな仏種を今回取り上げてみました。
「ノアの方舟と三界の火宅」に続いて、キリスト教の概念とともに法華経の罪障という言葉に迫ってみました。
ノアの箱舟と三界の火宅、2つのことなる宗教におけるお話しの簡単な説明からその共通点について記事にしてみました。
お釈迦さまの言葉の中に「塔を建てて供養すべし」とあります。他の大切な教えの中では、見落とされがちな言葉ですが、実は人にとってもっとも基本的な教えでなのです。この塔の意味合いとその歴史について記事にしてみました。
わたしは若い頃に、今にしては少し恥ずかしいある種の価値観をもって生きていました。その価値観のとは人の価値についてです。わたしの若き日の迷走と経緯を記事にしてみました。