様々な職業を経て、九州の山奥の寺院にて50歳で出家いたしました。 出家して10年、右往左往しながら、 老後はお釈迦さまの教えを伝えるべく日々奮闘しております。 目に見えない世界の様子を僧侶の経験から書いていきます。
僧侶での経験を交えながら、目に見えない世界を通して見えてくる人のあり方を中心に書いていきたいと思っています。
昨年2023年の3月、今世と深く結びついた決定的な過去生を思い出してしまいました。今回の記事は、過去生から見えてきた今世の事実についてご紹介したいと思います。
現在インドでは仏教はヒンズー教に取り込まれ、聖地を含めてその管理下にあります。ヒンズー教と日本の曖昧な宗教観はとても近く、鎌倉時代から続く日本における仏教も、実はインドでのヒンズー教下の仏教と似たよう
聖地で瞑想を行う西洋人たち。彼らの目的はわかりませんが、聖地で瞑想しても意味がないことを気付かせる瞑想に早く移行して頂きたいですね。
とてもなじみ深い節分の豆まきの掛け声に、仏教的意味を見出してみました。
はじめに インドから帰ってきました。今回、突然インドに行こうとしたわけは、自分の年齢や体力を考えたとき、行けるとすれば今 ...
しばらくの間、インドに行ってきます。
一時はコンビニよりも多いとされたお寺も減少が急速に進み、生き残る仏教施設は文化財かきれいな庭園くらいだと思われます。その衰退の問題を僧侶のあり方を中心に書いてみました。
出家した当初にやらかした失敗談です。
出家前に参加した寺院のワークショップ後に経験した出来事を記事にしました。
仏種(ぶっしゅ)とは、誰でもこころの中にある仏になるための種です。これを育み大きくしていくことが、人として生まれた理由なのです。そんな仏種を今回取り上げてみました。
「ノアの方舟と三界の火宅」に続いて、キリスト教の概念とともに法華経の罪障という言葉に迫ってみました。
ノアの箱舟と三界の火宅、2つのことなる宗教におけるお話しの簡単な説明からその共通点について記事にしてみました。
お釈迦さまの言葉の中に「塔を建てて供養すべし」とあります。他の大切な教えの中では、見落とされがちな言葉ですが、実は人にとってもっとも基本的な教えでなのです。この塔の意味合いとその歴史について記事にして
わたしは若い頃に、今にしては少し恥ずかしいある種の価値観をもって生きていました。その価値観のとは人の価値についてです。そのな経緯を記事にしてみました。
今回は、あの世では、足かせになってしまう、誰でもが持つかもしれない執着について考えてみました。
目次1 はじめに2 宗教における課題3 宗教において大切なこと4 まとめ はじめに 宗教の意味を問い直す歴史が繰り返され ...
どのような成り立ちからかは知れませんが、霊の通り道というのがあります。わたしの家で起こった霊の通り道にまつわる出来事です。
目次1 はじめに2 口業について3 失言を誘う業(ごう)の正体4 お経に書かれた口業5 ネット社会の口業6 まとめ はじ ...
目に見えない世界では、人生のカギを握る大切なキーワードがあります。そんな言葉について、記事にしてみました。
目次1 はじめに2 南無妙法蓮華経という唱題3 変化しない日本の仏教観4 まとめ はじめに 連続して「南無妙法蓮華経」と ...
目次1 はじめに2 止念観とは3 まとめ はじめに 前世より持って生まれた思い癖は自身だけの特性だけではなく、受け継ぐ家 ...
少し遅くはなりましたが、わたしが出家に至った体験談を記事にしてみました。とても信じられないとは思いますが、脚色も何もない偽りのない事実です。
神仏からのお知らせは、どのように受けとることができるのか。その方法を記事にしてみました。
このブログでいくつか紹介してきました目に見えない世界からのメッセージ。それは何なのか、できるだけ分かりやすく記事にしてみました。
邪教も手伝ってか、とかく敬遠される宗教。本来の役割や宗教に欠かせない祈りの意味について、わたしなりにまとめてみました。
20年以上前にマトリックスという映画がありました。ちょっと身は、SF娯楽大作ですが、人の世の仕組みについても少し考えさせられる映画です。そんなことを記事にしてみました。
修行によって培われた目には、表に出さない、表に出ない内面が映る様になります。そんな事情を書いてみました。
このブログを始めて半年近くが経ちました。伝えることの難しさを身をもって知ることもできました。一方で、この説教じみた記事に、お付き合い頂き深く感謝申し上げます。
三連休の初日、行楽地は人でいっぱいなことでしょう。習慣の散歩をしている途中行き当たった古家で、少し思いを巡らせてみました。
煩悩の正体を知ることは、自分を知ることにもなります。一方、煩悩を執着まで拗らせないで、煩悩のまま生きることは生きがいにもつながります。仏教用語である煩悩を再考してみました。
現代は生きづらい世の中です。レールから外れてしまうと、生活維持に振り回されるため、他人に対しても、余裕のない人々に溢れかえっています。そんな時代だからこそ、自分をもう一度見つめ直してほしいと思っていま
世渡りは難しく、人の世を生き抜くのはとても難しいことです。目に見えない世界を信じている利点を生かした思い換えは、生きていくための智慧のひとつです。
祈祷も行う僧侶として、簡単に祈祷について改めて記事にしてみました。神についても少し触れていますので、参考にしてください。
ストレスと人生は切っても切れない苦しみの最大要因です。その対処、考え方を目に見えない世界から考えてみました。
目次1 はじめに2 体について3 こころと体との違い4 まとめ はじめに こんな記事を見つけました。 toyokeiza ...
関東方面からご相談に見えられた女性の特殊な事例をもとに、信じるということの大切さについて記事にしてみました。
末法悪世の世はもう誰にも止められない速さで進んでいます。仏を敬う気持ちも、人を尊重する基本的な意義も見失っていく、何とも居心地の悪い世の中です。
毎日作っている食事について、わたしの修行時代の経験を交えながら記事にしました
いつの世も人は不安と隣り合わせ。様々な発展を遂げた現代においても、人々は昔と変わりなく、不安は増していくばかりです。
週末の午後、このブログで大切なことをまとめてみました。たったひとつでも、この記事の中に琴線に触れる言葉があれば、たったひとりでも自分を見直して頂ければ幸甚です。
わたしはひどい近視です。年を取るにつれ、目で見る人はボケていく一方ですが、人を見る目は修行で養うことができます。
本日は母の月命日で、今年は十七回忌にあたります。いつも笑顔で、わたしを育ててくれた母について書いてみました。
僧侶の独り言でもっとも主張したいことを改めて記事にしてみました。あなたのこころは、人類の未来に繋がっていることを気が付いてほしいと願っています。
昔見た映画を思い出して、つれうれに書いてみました。
菩薩については、聞いたことがある方が多いことでしょう。しかし、菩薩とは一体何なのでしょう。とても簡潔に記事にしてみました。
現代における日本の仏教は目に見えない世界を肯定していません。その要因をたどるとインド哲学に行き当たります。今回の記事は少し難しくなりますが、お付き合いいただければと思います。
因縁・因果は、人と人との間で起こるだけではありません。モノにも宿り、それを解消していく力が働きます。そんな事例を記事にしてみました。
やっと秋っぽくなってきた夜長に。生と死の境界についていっしょに考えてみませんか。
昨日の記事中、四聖という言葉の補足解説です。
今年の秋のお施餓鬼も無事に終えることが出来ました。本日は、少しぼーっとした頭を抱えながら雑談を語りたいと思います。
親ガチャなど悲しい言葉がはやる世相から、家族のあり方を考えてみました。
生活を好転させる方法のひとつに気分のコントロールがあります。これは、お釈迦さまの教えにも通じる人が幸せに生きる知恵なのです。
人には、自分の人生を花咲かせるように、持って生まれた「稟」というものがあります。この難しい漢字に秘められた教えを記事にしてみました。
目に見えない世界では、人生のカギを握る大切なキーワードがあります。そんな言葉について、記事にしてみました。
前回の瞑想シリーズで抜けてしまっていた禅定の学術的な観点を補足してみました。
禅定に関する3回目は、禅定を仏教の修行の観点から考察してみました。修行としての禅定には、そんな意味があるのかをできるだけ簡潔に記事にしてみました。
わたしが信奉しているお釈迦さまについて少し触れてみました。
瞑想について今回は、禅定と瞑想の違いについてです。混同されがちな二つの言葉について、記事にしてみました。
今更ながら、なぜこのような目に見えない世界について公表しているのか。どんな理由でブログを運営しているのか、まとめてみました。
これから数回にわたって、瞑想について書いていきます。瞑想は人生を好転させるプラクティスです。できるだけ、わかりやすく説明していきたいと思います。
障りについて、少しわかりやすく記事にしてみました。結局、障りの根源は因縁であり、それを起こすものは人のこころなのです。
秋のお彼岸の季節になりました。供養について、改めて考えていただきたいと記事にしました。
目に見えない世界を手放しで話せないs社会について、止めどもなく書いてみました。結論はありませんが、手探りで進んでいくしかありません。
わたしは若い頃に、今にしては少し恥ずかしいある種の価値観をもって生きていました。その価値観のとは人の価値についてです。そのな経緯を記事にしてみました。
死を恥と捉え、死を遠ざけていく現代社会。個の時代が進んでいくと、自分の周りには、自分の好みだけを置くように、見る様になっていきます。その行く末が心配される昨今です。
どのような成り立ちからかは知れませんが、霊の通り道というのがあります。わたしの家で起こった霊の通り道にまつわる出来事です。
たまには僧侶らしく法話をしてみたいと思います。人の人生にとって、何を目標とすべきか。それを簡潔に記事にしてみました。参考になれば幸甚です。
前回の記事「ポルターガイスト現象」の補足です。逃げて済む問題でないことは、担当した僧侶も同じなのです。そのことについて、少し補足してみました。
結構多くの方々が、体験しているであろう原因不明の物音。ポルターガイストと呼ばれる現象の一例を、寺院の相談例から記事にしてみました。
戒名の意味の2回目は、わたしの法名を元に戒名を説明してみようと思います。少しでも、みなさんの参考になればと思います。
知らずにいると亡くなってから大変かもしれない。そんな僧侶の老婆心から2回にわたって記事にしてみました。お盆のひと時、目を通して頂ければと思います。
位牌の存在する意味について、あまり考えることはないと思います。実は、目に見えない世界の住人にとっては、重要な意味のあるものなのです。今回は、その位牌について記事にしてみました。
お盆の季節になってまいりました。お盆回向ときに経験した、ちょっとした出来事を記事にしました。
登校拒否の娘にどのように対峙してきたか。経験を交えながら、目に見えない世界の視点から記事にしてみました。
目次1 はじめに2 いじめのはじまり3 父親としてのジレンマ4 前進しようとする娘5 二度目の挫折 はじめに わたしには ...
地鎮祭は、その土地でつつがなく暮らしていくための重要な神事です。寺院への依頼の絶対数が少ないため、今回は師匠でもある尼法師の事例から紹介したいと思います。
目次1 はじめに2 人の世とは3 人に左右されない生き方(住職の法話より)4 おわりに はじめに 今回の記事は住職から頂 ...
人生を支配しているかのようにも見える運命論。実は、自分の人生は自分でコントロールするものなのです。運命と宿命について考察しながら、人生をより良く生きる術を見出していきます。
目に見えない世界が見えることにも仕組みが存在します。その仕組みについて記事にしてみました。
目次1 はじめに2 古墳の障り2.1 古の霊との対面2.2 残存霊が無信仰/他宗教2.3 おわりに はじめに 今日は少し ...
わたしには二人の兄がいます相対する兄の人生について考察してみました皆さんにとって何か得るものがあれば幸いです
目次1 はじめに2 最初の霊感3 知ることの弊害4 おわりに はじめに 人それぞれ霊感には強弱があります。 以前の記事に ...
目次1 はじめに2 妻の同僚からの相談2.1 ことの始まり2.2 物件の問題点2.3 相談を聞きながら3 詮索してはなら ...
目次1 おばあさんからの依頼2 住居の傍の池3 初めての家祓い3.1 家祓い当日3.2 家祓いが終わって3.3 就寝時の ...
目次1 はじめに2 霊感を取る練習3 おわりに はじめに 施餓鬼供養に関して修行時代のことを思い出したことがあります。 ...
目次1 はじめに2 家祓いとは3 家祓いの方法4 おわりに はじめに 先だっての記事の中で、寺院の特徴についてお話ししま ...
目次1 はじめに2 兄への思いやり3 その夜の出来事4 おわりに はじめに この記事を書き進めるにあたってふと思ったこと ...
転生とは、主に人限界を渡り歩くことです。わたしたちは、こころを成長させて転生を終わらせる宿命にあります。そのことに気付くか否かが、来世のみならず、今世の人生のあり方に影響しているのです。
輪廻の最後の世界として、餓鬼界を取り上げてみました。寺院には、施餓鬼供養という最大の供養行事があります。その行事の中で、密かに目に見えない世界で繰り広げられている餓鬼さんたちの様子から、供養の大切さ、
人間界以外にも、目に見えない世界には様々な世界が存在します。輪廻とは、それらの世界を行ったり来たりすることです。それは、人にとって苦しみであり、人間界にいられるとも限りません。この記事では、輪廻で赴く
輪廻と転生とは、目に見えない世界ではとても有名な概念でもあり、わかりにくいことでもあります。それは、ほとんどの人には転生の記憶が残されていないからです。そこで、この難しいテーマについて記事にしていきた
最近、神社と寺院の違いがよくわからない人々が増えているようです。そこで、僧侶の視点から、その違いについて記事にしました。前回のその1からずいぶん時間もたっています。よければ、さかのぼって合わせてお読み
あの世とこの世との狭間で、もう少し補足事項です。結局この表題は3部になってしまいました。すべては、一生懸命に生きている人々の一助になればという老婆心からです。
あの世とこの世との狭間で気がかりな、もうひとつの疑問があります。それは、生前親しかった人々の再会は望めるのかということです。その懸念点について、できるだけ、わかりやすく解説してみたいと思います。
7月に盆というところもあり、今回は「あの世」について少しお話ししています。読まれた方が、少し自分の人生について、振り返るきっかけにでもなったら幸甚です。
目に見えない世界を垣間見ることで、人生の見方も変わります。また、大きな因縁に中に自分が存在していることも感じることができるでしょう。そんなことが感じられたらいいなと思う出来事を記事にしてみました。
最近久しぶりに見たニュースで感じたことから、目に見えない世界を想像するということはどういうことなのか記事にしてみました。
神社と人の違いを、僧侶の視点から少し経験を交えて書いてみました。
一番身近で悩みの深い問題が障りの現象です。目に見えない世界の代表的なお話しをはじめます。
わたしが、目に見えない世界が見えるようになったきっかけともいえる体験です。
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