イギリス東インド会社は、1600年にエリザベス1世からインド以東の貿易独占権を認められて誕生した貿易会社です。これは当時のヨーロッパで「絶対王政」が広まり、重商主義政策のもと国が積極的に海外貿易を進めていた時代の流れと重なります。 そうした
このブログでは、日本史・世界史の簡単な流れから、事柄を掘り下げた記事を書いています。また、歴史と言う科目を好きになってもらえるように、歴史の小ネタなども取り入れて、大河ドラマを追ったネタも書いています。
神聖ローマ帝国が三十年戦争で有名無実化し、領邦がほぼ独立国家のような存在に成長した中で力をつけていたのがプロイセンです。 スペイン継承戦争の講和条約ラシュタット条約で大国化したハプスブルク家が治めるオーストリアに次ぐ第二の強国として、神聖ロ
明治時代に移るにあたり、農民にもかつての武士たちにも新たな負担が増えたことで政府に対して不満を持つようになります。 そうした大きな変化を伴ったうえで、特定の藩が優遇される形の藩閥官僚らによる政治体制も不満の声が上がる一因となっていました。
カール5世(カルロス1世)が息子のフェリペ2世にスペインを、弟フェルナンデスに神聖ローマ帝国の皇帝位を継承させたことでハプスブルク家はスペイン=ハプスブルク家とオーストリア=ハプスブルク家に分裂していました。 カルロス2世 そのうち、スペイ
カール5世(カルロス1世)が息子のフェリペ2世にスペインを、弟フェルナンデスに神聖ローマ帝国の皇帝位を継承させたことでハプスブルク家はスペイン=ハプスブルク家とオーストリア=ハプスブルク家に分裂していました。 カルロス2世 そのうち、スペイ
戦国時代には「越後の龍」や「甲斐の虎」、「槍の又左」など、多くの異名を持つ武将たちがいました。中でも「鬼」の異名を持つ武将たちは、武勇に優れ敵から恐れられる存在でした。今回は、そんな「鬼」の異名を持つ戦国武将たちを10人を紹介します。 この
ルイ14世の治世下で変わった軍の変化とは?【フランス各国史】
フランスの絶対王政全盛期を築いたのがルイ14世(在位:1643-1715年)。国際的にも大きくフランスの存在感は増し、その地位を高めていました。 ル・テリエ、ルーヴォア父子を軍の責任者に据えて傭兵に頼らない膨大な常備軍を持つ陸軍大国になるよ
明治時代の宗教政策とは?神仏分離令と廃仏毀釈の意味や制度の背景などを詳しく!
前回の日本史では文明開化の記事を書いてきました。 西洋文化の真似をすることが多かった日本ですが、今回紹介する宗教においてはだいぶ日本独自の方針を貫いています。 ここでは明治時代に行われた宗教政策について迫っていこうと思います。 https:
英語が話せないイギリス王の誕生と責任内閣制の成立<イギリス/各国史>
以前、ジェームズ2世の代の名誉革命を経て、メアリ2世とウィリアム3世が「議会が優位」とする権利の宣言を受け入れたうえで即位したところまでお話ししました。 今回はメアリ2世の妹、アン女王以降のイギリスについてまとめていきます。 https:/
明治維新とそれに伴う激動は政治面だけでなく、文化面にも大きな影響を与えました。 文明開化は西洋の国々に追いつくため、近代西洋の文明を取り入れたり手本としようという動きのことを指しています。 多くの技術者や学者、教師などの外国人を政府が雇い入
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イギリス東インド会社は、1600年にエリザベス1世からインド以東の貿易独占権を認められて誕生した貿易会社です。これは当時のヨーロッパで「絶対王政」が広まり、重商主義政策のもと国が積極的に海外貿易を進めていた時代の流れと重なります。 そうした
戦国時代という混乱の時代、人々は生き残るためにあらゆる選択を迫られました。中でも「裏切り」は、非難されがちな行動でありながら、戦国武将にとっては珍しいものではありませんでした。 血縁関係であっても、情ではなく利で動く――。 盟約を破棄し、昨
戦国時代の武将たちは数多くの戦場を駆け抜けましたが、その中でも90歳を超えて戦い続けた武将がいました。その名は、大島光義(おおしま みつよし)。彼のように長年にわたり現役で戦い抜いた人物は非常に珍しく、その生涯はまさに伝説です。 大島光義は
古代ローマと聞くと、円形闘技場コロッセオや英雄カエサルが思い浮かびますが、実は当時のローマ人は現代の感覚ではちょっと信じられないような暮らしや技術を持っていました。 今回はそんな思わず二度見してしまう古代ローマの風習やテクノロジーを、筆者の
皇帝ナポレオン・ボナパルトと聞くと、戦争に勝ち続けた天才軍略家という印象が強いかもしれません。でも、そんな偉人にも思わずクスッと笑ってしまうようなエピソードがたくさんあります。 今回は、あまり知られていないナポレオンの素顔に迫るエピソードを
歴史の転換点と聞くと、英雄の活躍や壮大な戦争、大国間の争いが思い浮かびますよね。けれど、実は「たった一つのうっかりミス」が世界の流れを変えてしまったケースもあるんです。 今回はお酒の飲みすぎ、鍵のかけ忘れ、道を間違えたことが引き金となった歴
江戸時代中期、田沼意次は老中として幕政を担い、賄賂政治の象徴として語られてきました。しかし近年、その評価は見直されつつあります。田沼の経済政策は、貨幣経済や商業の発展を重視し、明治以降の近代化に先駆けたものだったとする見方が増えています。
インドではムガル帝国が17世紀後半頃から宗教政策の失敗などで衰退。国内で争いが続く中、イギリスの東インド会社が勢力を拡大していました。 これに反発したインド人傭兵シパーヒーたちが1857年にインド大反乱(シパーヒーの乱)を起こしますが、イギ
インドではムガル帝国が17世紀後半頃から宗教政策の失敗などで衰退。国内で争いが続く中、イギリスの東インド会社が勢力を拡大していました。 これに反発したインド人傭兵シパーヒーたちが1857年にインド大反乱(シパーヒーの乱)を起こしますが、イギ
18世紀半ばに始まった産業革命は新たな技術の導入として始まりましたが、実際のところ工業生産の6割を占めていたのはアジアのままでした。特に東アジアでは農工業の生産性や成長率はヨーロッパに引けをとらない値となっています。その経済成長を支えたのが
前回はヨーロッパ各国の徐々に起こった大航海時代や重商主義などから始まった変化、イギリスで最も経済的に貢献したインドとの貿易摩擦から自国で綿織物を作り始めていたこと、農業革命などで産業革命の土台が出来上がっていったことをお伝えしました。 ここ
1600年に石田三成率いる西軍と徳川家康を中心とした東軍が激突した戦い「関ヶ原の戦い」 結果、徳川家康が勝利し石田三成は処断されます。そして、1603年に家康は江戸幕府を開き、260年以上にわたる政権の礎を築きました。 歴史にif(もしも)
ここでは第一次~第四次(場合によっては第三次)まであった産業革命のうち、今回は世界で最も古い時代にイギリスで起こった第一次産業革命をまとめていきます。 ちなみに第一次~第四次産業革命は 第一次産業革命(18世紀後半)蒸気機関の開発により軽工
孫文 清国を崩壊させ、中華民国を成立させた辛亥革命の精神的支柱となったのが孫文でした。ここでは、そんな孫文がどんな人生を送っていったのかをまとめていきます。 革命以前の孫文 孫文は1866年、同治の中興と呼ばれる国内外の混乱が(清王朝の衰退
戦国時代の大名家に生まれた子供たちには、両親に代わり養育や教育を行う乳母や傅役(もりやく)と呼ばれる人たちがついていました。織田信長も例外ではなく幼い時には乳母や傅役がついています。 その中でも平手政秀は、傅役として信長の幼少期から家督を継
織田信長(1534年~1582年)は、戦国時代期において革新的かつ影響力のある人物でした。信長の行った政治、経済、文化、軍事政策は、後の豊臣秀吉や徳川家康に深い影響を与えます。 信長はこれまでの社会の構造を大きく変え、近代化への道を切り開い
中華民国国軍政府成立(WikimediaCommons)より アヘン戦争(1840~42年)、アロー戦争(1856~60年)、清仏戦争(1884~85年)、日清戦争(1894~95年)の敗北などで清の権威が著しく落ち列強諸国の半植民地のよう
門戸開放通牒とは1899年にアメリカの国務長官・ジョン=ヘイが列強による中国分割をいったん止めることになる通牒のことです。 ここでは、門戸開放通牒にはどんな内容が含まれていたのか、宣言が出された背景、影響などを簡単に紹介していきます。 門戸
1894(明治27)年、朝鮮で甲午農民戦争が起こったのをキッカケとして発生した日清戦争。両国ともに軍などの近代化や強力化を進めていましたが(日本→富国強兵/清→洋務運動)、結果は当初の予想を裏切って日本が勝利しました。 以降、清国の領土は列
西太后 出生:1835年10月10日~死去:1908年11月15日配偶者:咸豊帝(在位1850~1861年) 中国では慈禧太后(じきたいこう)とも呼ばれる西太后。背が高く才色兼備の女性で咸豊帝の寵を受けて以降、長年権力の座についています。
幕末から明治(1867~1885年)にかけて、王政復古の大号令の際に定められた三職制の採用から始まり、七官制、二官六省制、三院制、内閣制度と次々と中央官制は変化していきました。 ここでは、組織がどう変わっていったのか?どんな仕事があるのか?
主権国家とは、国境に囲まれた国土を持ち、自分の国を自分達で決定できる権利を持つ国のことです。 近世以前のヨーロッパでは領土を持つ者として国王以外に領主もいましたし、ローマ教皇の権威も強く国家運営に口出ししてくるような重層的な支配が確立してい
戊辰戦争に勝利した新政府は、その戦いの最中から既に新しい政権発足に向けた動きを活発化させていました。五か条の御誓文の公布や五榜の掲示で今後の基本方針を明らかにし、新たな官制を組織したり東京遷都したりと次々に新たな時代に向けた大変革を実行。そ
イギリスでは絶対王政の全盛期を築いたテューダー朝最後の女王エリザベス1世がスコットランド王のジェームズ6世を次期国王に指名。エリザベス1世が亡くなった後はジェームズ1世(1603-25年)として即位し、新たにステュアート朝が開かれました。
幕末の混乱を経て1867年には徳川慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還が行われた後、天皇の下で新たな政府が出来上がります。 最初は徳川慶喜中心の政府になりかけたのですが、討幕しようと動いていた者達にとっては面白いはずもなく、徳川家を潰そうと動
近世ヨーロッパ各国ではイタリア戦争や17世紀の危機や三十年戦争を経験し、主権国家体制が本格的に始まりました。 ※イタリア戦争については第一次イタリア戦争に触れた記事とカール5世の人物伝に詳しく乗っています。 主権国家とは自分たちの国のことを
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と言われたウェストファリア条約を結んで終結した三十年戦争後に成長したのは、神聖ローマの辺境にあったプロイセンやロシアでした。 今回は、この東ヨーロッパで台頭し始めた両国についてまとめていきます。 https:/
ペリーの来航を機に日本では幕末の動乱期に移行し、尊攘運動が討幕運動にかわったのは時間の問題でした。そんな中で時代の潮流に乗ったのは江戸幕府ではなく討幕を目指した新政府です。 やがて最後の将軍だった徳川慶喜は大政奉還で政権を朝廷に返上していま
ハプスブルク家の家族関係をまとめた記事と幼少期から神聖ローマ皇帝・スペイン国王の即位までの経緯をまとめた記事を前回まで紹介しました。 カール5世と言えばヨーロッパのサラブレットであったのと同時に、生涯戦いに明け暮れた君主だったこともわりと有
17世紀後半に市民革命を達成し、18世紀後半には綿糸紡績業を中心に産業革命が始まっていたイギリスをはじめヨーロッパ諸国では蒸気を動力とする機会の利用によって工業生産力が飛躍的に高まっていました。 この革命により大量生産大量消費の時代に移行す
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代中期を舞台に主人公・まひろ【紫式部】を中心に物語が展開します。この時代には、女流作家たちが活躍し清少納言・和泉式部・など多くの才女たちが登場しました。 その一人として、一条天皇の中宮(藤原)定子も負
これまで日本のお札には18人の偉人たちが採用されました。時代を象徴する人物や偉業成し遂げた人物ばかりです。 今回の記事には兌換券(だかんけん)という言葉が出てきます。 正規の通貨との兌換(引き換え)が保障
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップ美公とスペイン王女フアナの長男としてブルゴーニュ公の居城ガンでカール(カルロス)は誕生し、その宮廷で成長します。ところが、その成長の過程で幼少期に父を亡くし、母が病を発症して...と子ども時代か
ヨーロッパ史でよく名前の出てくるハプスブルク家の最盛期を築いた人物として知られているのが神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。神聖ローマ皇帝だけでなくスペイン国王カルロス1世としても有名です。 カール5世(wikipedia)より 1500年
大航海時代からの好景気が止まり、間の悪いことに地球規模の寒冷化が到来。寒いために作物が育たず飢饉となり、栄養不足がたたって疫病(ペスト)が流行するという負のループに入っていた17世紀のヨーロッパ。 人々の気持ちも荒れ、治安が悪化。反乱等が増
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳の川 この歌は江戸時代に作られ、信長・秀吉・家康をうまく表現していると思います。 信長は桶狭間の戦いで勝利したのち、破竹の勢いで天下統一目前まで勢力を伸ばしました。しかし、1582年に本能
平安時代の女性たちは基本的に外出を避け部屋の奥で生活をしていました。 立ち歩くことも良しとせず、座っていることが多かったといいます。 数少ない外出の際には、牛車などのり扇子や袖を使って顔を隠していました。一般庶民はわかりませんが、光る君へで
フランスで1562年から1598年まで宗教内乱・ユグノー戦争が起こったように、神聖ローマ帝国でも宗教を発端とする争い三十年戦争が1618年から始まりました。 もう少し先にイギリスでも同様の動きが現れることになるのですが、神聖ローマ帝国の危機
フランスで起こった宗教戦争・ユグノー戦争を生き残ったアンリ4世が王位を継承したことで始まったブルボン朝。アンリ4世はかなり柔軟に対応しましたが、強硬派のカトリック教徒に殺害されてしまいます。 今回は、そのアンリ4世が亡くなった後のフランスの
シャルル7世が百年戦争に終止符を打ってからのフランスは、国内のイギリス領を一掃し中央集権国家への道を歩んでいました。 ですが、そのシャルル7世の孫・第7代国王のシャルル8世から始まったイタリア戦争で泥沼にはまります。フランスとハプスブルク家