以前の記事でクロムウェルを中心とした独立派が派閥争いを制し、議会をないがしろにしていたチャールズ1世を処刑した『イギリス革命(ピューリタン革命/清教徒革命)』を起こしたところまでお話ししました。 独立派は
このブログでは、日本史・世界史の簡単な流れから、事柄を掘り下げた記事を書いています。また、歴史と言う科目を好きになってもらえるように、歴史の小ネタなども取り入れて、大河ドラマを追ったネタも書いています。
以前の記事でクロムウェルを中心とした独立派が派閥争いを制し、議会をないがしろにしていたチャールズ1世を処刑した『イギリス革命(ピューリタン革命/清教徒革命)』を起こしたところまでお話ししました。 独立派は
幕末から明治(1867~1885年)にかけて、王政復古の大号令の際に定められた三職制の採用から始まり、七官制、二官六省制、三院制、内閣制度と次々と中央官制は変化していきました。 ここでは、組織がどう変わっていったのか?どんな仕事があるのか?
主権国家体制が出来上がるまでに起こった出来事まとめ<15~17世紀>
主権国家とは、国境に囲まれた国土を持ち、自分の国を自分達で決定できる権利を持つ国のことです。 近世以前のヨーロッパでは領土を持つ者として国王以外に領主もいましたし、ローマ教皇の権威も強く国家運営に口出ししてくるような重層的な支配が確立してい
戊辰戦争に勝利した新政府は、その戦いの最中から既に新しい政権発足に向けた動きを活発化させていました。五か条の御誓文の公布や五榜の掲示で今後の基本方針を明らかにし、新たな官制を組織したり東京遷都したりと次々に新たな時代に向けた大変革を実行。そ
イギリス(ピューリタン/清教徒)革命とは?背景から流れまで解説!
イギリスでは絶対王政の全盛期を築いたテューダー朝最後の女王エリザベス1世がスコットランド王のジェームズ6世を次期国王に指名。エリザベス1世が亡くなった後はジェームズ1世(1603-25年)として即位し、新たにステュアート朝が開かれました。
五か条の御誓文とは?どんな内容が書かれていたのか詳しく解説!
幕末の混乱を経て1867年には徳川慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還が行われた後、天皇の下で新たな政府が出来上がります。 最初は徳川慶喜中心の政府になりかけたのですが、討幕しようと動いていた者達にとっては面白いはずもなく、徳川家を潰そうと動
近世ヨーロッパ各国ではイタリア戦争や17世紀の危機や三十年戦争を経験し、主権国家体制が本格的に始まりました。 ※イタリア戦争については第一次イタリア戦争に触れた記事とカール5世の人物伝に詳しく乗っています。 主権国家とは自分たちの国のことを
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と言われたウェストファリア条約を結んで終結した三十年戦争後に成長したのは、神聖ローマの辺境にあったプロイセンやロシアでした。 今回は、この東ヨーロッパで台頭し始めた両国についてまとめていきます。 https:/
明治維新とは?戊辰戦争と新政府の発足までをわかりやすく解説!
ペリーの来航を機に日本では幕末の動乱期に移行し、尊攘運動が討幕運動にかわったのは時間の問題でした。そんな中で時代の潮流に乗ったのは江戸幕府ではなく討幕を目指した新政府です。 やがて最後の将軍だった徳川慶喜は大政奉還で政権を朝廷に返上していま
ハプスブルク家の最盛期を作ったカール5世の華麗なる戦歴/フランソワ1世編<人物伝③>
ハプスブルク家の家族関係をまとめた記事と幼少期から神聖ローマ皇帝・スペイン国王の即位までの経緯をまとめた記事を前回まで紹介しました。 カール5世と言えばヨーロッパのサラブレットであったのと同時に、生涯戦いに明け暮れた君主だったこともわりと有
17世紀後半に市民革命を達成し、18世紀後半には綿糸紡績業を中心に産業革命が始まっていたイギリスをはじめヨーロッパ諸国では蒸気を動力とする機会の利用によって工業生産力が飛躍的に高まっていました。 この革命により大量生産大量消費の時代に移行す
清少納言が枕草子で推しまくっていた、中宮(藤原)定子様の才女っぷりと二人の親密な関係とは?
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代中期を舞台に主人公・まひろ【紫式部】を中心に物語が展開します。この時代には、女流作家たちが活躍し清少納言・和泉式部・など多くの才女たちが登場しました。 その一人として、一条天皇の中宮(藤原)定子も負
これまで日本のお札には18人の偉人たちが採用されました。時代を象徴する人物や偉業成し遂げた人物ばかりです。 今回の記事には兌換券(だかんけん)という言葉が出てきます。 正規の通貨との兌換(引き換え)が保障
ハプスブルク家の最盛期を作ったカール5世(カルロス1世)の華麗なる経歴<人物伝②>
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップ美公とスペイン王女フアナの長男としてブルゴーニュ公の居城ガンでカール(カルロス)は誕生し、その宮廷で成長します。ところが、その成長の過程で幼少期に父を亡くし、母が病を発症して...と子ども時代か
ハプスブルク家の最盛期を作ったカール5世(カルロス1世)の華麗なる経歴<人物伝①>
ヨーロッパ史でよく名前の出てくるハプスブルク家の最盛期を築いた人物として知られているのが神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。神聖ローマ皇帝だけでなくスペイン国王カルロス1世としても有名です。 カール5世(wikipedia)より 1500年
ヨーロッパの転換期!三十年戦争とは?結末まで詳しく解説<1618-1648年>
大航海時代からの好景気が止まり、間の悪いことに地球規模の寒冷化が到来。寒いために作物が育たず飢饉となり、栄養不足がたたって疫病(ペスト)が流行するという負のループに入っていた17世紀のヨーロッパ。 人々の気持ちも荒れ、治安が悪化。反乱等が増
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり織田信長と豊臣秀吉から何を学んで活かしたのか?
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳の川 この歌は江戸時代に作られ、信長・秀吉・家康をうまく表現していると思います。 信長は桶狭間の戦いで勝利したのち、破竹の勢いで天下統一目前まで勢力を伸ばしました。しかし、1582年に本能
平安時代の女性たちは基本的に外出を避け部屋の奥で生活をしていました。 立ち歩くことも良しとせず、座っていることが多かったといいます。 数少ない外出の際には、牛車などのり扇子や袖を使って顔を隠していました。一般庶民はわかりませんが、光る君へで
フランスで1562年から1598年まで宗教内乱・ユグノー戦争が起こったように、神聖ローマ帝国でも宗教を発端とする争い三十年戦争が1618年から始まりました。 もう少し先にイギリスでも同様の動きが現れることになるのですが、神聖ローマ帝国の危機
フランス絶対王政の時代へ【ブルボン朝】<16世紀後半~18世紀>
フランスで起こった宗教戦争・ユグノー戦争を生き残ったアンリ4世が王位を継承したことで始まったブルボン朝。アンリ4世はかなり柔軟に対応しましたが、強硬派のカトリック教徒に殺害されてしまいます。 今回は、そのアンリ4世が亡くなった後のフランスの
フランスの宗教内乱・ユグノー戦争とブルボン朝の始まり<16世紀後半>
シャルル7世が百年戦争に終止符を打ってからのフランスは、国内のイギリス領を一掃し中央集権国家への道を歩んでいました。 ですが、そのシャルル7世の孫・第7代国王のシャルル8世から始まったイタリア戦争で泥沼にはまります。フランスとハプスブルク家
戦国大名たちと宗教勢力の関係を見てみよう<15~17世紀初め>
戦国時代と言えば、全国各地で騒乱が何度も発生していた時代。医療技術も今と比べ物にもなるわけもなく、現在の私たちが考えるよりも『死』がずっと近くにありました。 その『死』と切っても切り離せないのが宗教です。 戦国時代には民衆にも大名にも宗教.
イギリスの海外進出と重商主義政策の開始<16世紀後半~17世紀>
16世紀後半、ヨーロッパではスペインがフェリペ2世の下で全盛期を迎えていました。 この時代は既に宗教改革により新旧対立が起こっていた時期。旧教カトリックを信仰していた彼の治世下でプロテスタントが弾圧され、プロテスタントの多いオランダがスペイ
オランダのスペインからの独立<オランダ独立戦争/八十年戦争>
1517年にドイツで始まったルターによる宗教改革以降、ほかの国や地域でも宗教改革が始まっていたわけですが、今回の主役、オランダでも新たな宗教が広まり始めていました。 オランダでは商業が発達したため、蓄財も良しとするカルヴァン派が多数を占める
簡単で分かりやすいオランダ独立戦争以前までのネーデルラントの歴史
オランダ独立戦争以前の『オランダ』という地域がどんな歴史をたどっていたのかを簡単にまとめていきます。 オランダの地理・特徴を簡単に 下の地図は現在のものですが、日本でいうオランダは地図でいう緑の部分にあたります。ライン川の下流に位置する九州
大河ドラマ『光る君へ』では、平安貴族たちが食事をするシーンが度々あります。 第一回の放送では、三郎(道長)がまひろ(紫式部)にお菓子を渡している描写があります。あの丸いお菓子は【粉熟(ふづく)】と言われるもので、源氏物語では【女二の宮から御
大河ドラマ『光る君へ』では、平安貴族たちが食事をするシーンが度々あります。 第一回の放送では、三郎(道長)がまひろ(紫式部)にお菓子を渡している描写があります。あの丸いお菓子は【粉熟(ふづく)】と言われるもので、源氏物語では【女二の宮から御
ドイツ以外で誕生した新たな宗派とカトリック教会の反撃【1523年以降】
ドイツで起こったルターによる宗教改革は他のヨーロッパ諸国にも伝わっていました。当時のドイツにあった神聖ローマ帝国を治めるハプスブルク家の支配下にあったスイスや海を隔てたイギリス(イングランド)も同様です。 今回は、その二か国で起こった宗教改
近世ヨーロッパは、度重なる戦争で増大する兵員と軍事費の調達に迫られたことから
平安時代の代表的な人物と言えば藤原道長。歴史の教科書に必ず載っている偉人として知らない人は少ないと思います。藤原鎌足を祖
宗教改革とは?ルターとドイツの宗教改革について詳しく解説!【1517年~】
イタリアを中心にルネサンスが始まると、様々な分野で新たに便利な道具が生まれました。実用的な羅針盤や本格的な地図は大航海時
鎖国政策で引きこもり国家のイメージが強い江戸幕府の外交策ですが、徳川家康は幕府開設当初は積極的に諸外国との交易を進める政
戦国三英傑の身長と【どうする家康】で登場した人物も史実と比較!!
歴史上では様々な人物が登場しますが、肖像画だけではその人の体格はイメージできません。特に戦国時代などの戦いが多かった時代
豊臣秀頼は秀吉との親子否定説や生存説など何かと逸話が多い人物だった!?
豊臣秀頼は秀吉と側室の淀殿との子として生まれます。 家康が江戸幕府を開くと、次第に対立し2回の大阪の陣で対決することにな
20世紀後半から世界各国で、地球規模での環境問題が注目されるようになりました。 現在、地球環境問題の代表的なものとして
京を追放された足利義昭は、鞆の浦に逃れ臨時幕府を作っていた!?
一般的に室町幕府は、1573年に足利義昭が織田信長によって追放されたことによって滅亡とされています。そして、信長が本能寺
『現代史の学び直し』冷戦開始からの国際政治の動向と第三世界の台頭
1970年代からヨーロッパを舞台にアメリカが資本主義をソ連が共産主義を提唱して対立しました。この対立は戦争をしたわけでな
【関ヶ原の戦い】本戦の裏で東北と九州で違う東西陣営の戦いがあった!?
徳川家康と石田三成の対立が深まり、政権の主導権をめぐり全国の大名が東軍VS西軍に分かれ戦ったのが1600年に起こった関ヶ
世界各国の産業革命によって、工業が発展したその裏で経営者たちによる労働者たちの過酷労働が明るみになり社会問題となりました
豊臣政権で決められた五大老・五奉行のこの後の人生はどういうものだったのか??
秀吉の死後、豊臣秀頼を補佐する形で政権を維持するために作られたのが、五大老・五奉行制度。この10人の合議制によって政務を
古代ローマ人は都市型高層集合集宅に住んでいたって知ってる??
古代ローマの最盛期には、100万人以上の人が暮らしていました。 限られた土地に100万人もの人口があったローマでは慢性的
【どうする家康】の第39話では、ムロ秀吉の最後のシーンが描写されました。 元関白である太閤殿下が退場し、すでに2代目関白
わが国での鉄砲の伝来は、1543年に種子島に火縄銃が伝わったのが始まりでした。 ポルトガル商人が中国船に乗船して東シナ海
日本独自の鍛冶製法で作られた刀を『日本刀』と呼ばれています。 その歴史は平安時代末期に登場し、その寸法によって太刀・脇差
明治政府発足のよって江戸が東京と名を変えて天皇のおひざ元に生まれ変わりましたが、政府機能が移されたばかりの東京は荒れ野原
近世築城で重要な役割を果たした穴太衆ってどんな人たちなのか??
戦国時代に自然にある石を無加工のまま積み上げて、堅牢な石垣を作る職人たちの集団がいました。その集団が【穴太衆(あのうしゅ
宗教改革が神聖ローマで始まった背景を探っていこう<ドイツ史>
宗教改革第二弾です。 前回は、ルターによる宗教改革が起こる前の背景や実際に宗教改革に繋がるローマ・カトリック教会に関係す
三宗教の共通点と違いとは?<ユダヤ教/キリスト教/イスラーム教>
動画のまとめです。 ここでは三宗教の共通点と違いを簡単に表にまとめつつ、当時の時代背景と共に解説していくことにします。
石田三成は有能で豊臣政権(秀吉)に対して実直で忠義に厚い人物だった。
以前、豊臣政権が短命だったのは、弟・秀長が早くに死んだからと記事にしたことがありましたが、秀長亡き後の政権を作り上げたの
歴史の転換期!宗教改革に至るまでの背景を詳しいけど簡単に解説
1000年以上、西ヨーロッパ世界で力を持ち続けていたのがローマ=カトリック教会。長く続く中で教会の腐敗や堕落が目に余るよ
エンリケ航海王子とは?何をした人か詳しく解説<ポルトガル史>【人物伝】
エンリケ航海王子(wikipedia)より あだ名が【航海王子】とあることから想像できるかもしれません。大航海時代が始ま
人類が火を扱うようになったのは、おおよそ180万年から80万年前と言われています。 火の発見は、火山の噴火や雷によって火
戦国大名たちは、自分の死後に家を残すために『ご世継ぎ』を作ります。 子どもは授かりもので理由は様々ありますが、どんな名家
大航海時代とは?ルネサンスとの関係などを簡単だけど詳しく解説!
これまでも大航海時代については時折触れてきましたが、スペイン・ポルトガルの歴史を書くにあたって触れていたり地政学的な視点
1989年に米ソは『冷戦の終結』を宣言します。 約40年続いた東西冷戦時代はこうして終わりを告げました。 冷戦終結により
戦国常勝軍団の武田・井伊・真田赤備えと他にもあった○○備え軍団
鎧兜などの武具を同じ色で統一した部隊を【備え】と呼ばれていました。 特に、赤色や朱色を基調とした武具を纏う【赤備え】は有
マラーター王国について簡単に<1674~1849年>【インド各国史】
マラーター王国とは、インドのデカン地方(中南部)を支配したヒンドゥー教を信仰する王朝です。 当時はイスラム王朝のムガル帝
【地政学の基礎知識】用語解説と地政学上で必要な要点を覚えておこう!!
地政学第一回目の記事では、『地政学となにか?』や【ランドパワー】と【シーパワー】について説明をしました。その後、シリーズ
【地政学的近代史】西側諸国(自由主義)と東側諸国(社会主義)の対立『東西冷戦時代』
第二次世界大戦の終結により、世界平和が到来すると期待されました。しかし、世界はアメリカ主導の自由主義陣営とソ連が主導する
ムガル帝国の成立や全盛期、世界との関りについて解説【インド各国史】
前回はムガル帝国を建国したバーブルについて書いていきましたが、いよいよインド史上最大を誇るムガル帝国です。 ムガル帝国が
【地政学的近代史】第二次世界大戦の勃発とシーパワー国家同士の衝突!!
前回の記事では、第一次世界大戦でドイツが敗戦するところまでを書いて行きました。 今回は、1919年~1945年までの地政
【地政学的近代史】第一次世界大戦の勃発とヨーロッパ諸国の衰退
日本がイギリスの支援を受けて日露戦争でロシアの南進政策を打ち破り、これにより長らく続いていたグレートゲームが終息しました
ムガル帝国を成立させたバーブルとはどんな人だったの?【人物伝】
ムガル帝国とは、1526年に建国された南アジア(インドの辺り)の近世帝国です。インドのイスラーム王朝としては最も強大な帝
【世界の地政学】帝国主義の始まりとランドパワー国家の巻き返し
19世紀後半~20世紀にかけては第二次産業革命が起きて、欧米では製品に必要な資源や製品を販売する国を求めて海外進出を加速
秀吉の元へ保護された三姉妹のその後はどのような人生を歩んだのか??
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サファヴィー朝の興隆【トルコ・イラン世界の展開】<1501~1736年>
サファヴィー朝とは、1501年にイスラームの神秘主義教団の一つ、サファヴィー教団の教主イスマーイール1世が建国した王朝で
【世界の地政学】19世紀初頭のナポレオンの台頭と大英帝国の拡大
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【清州会議】で織田家の後継者は三法師に選ばれたが、その後はどうなったのか??
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ティムール朝の興亡とサファヴィー朝の始まり【トルコ・イラン世界の展開】
ティムール朝は1370年に中央アジア~イランの辺りで起こり、トルコ・モンゴル系のイスラーム教国家として成立した国です。そ
【世界の地政学】17世紀~18世紀のシーパワー国家オランダとイギリスの対立
これまでは、地政学の基礎知識と大航海時代の始まりを地政学的に書いて見ました。 16世紀の大航海時代の幕開け時に海の覇権を
本能寺の変で織田信長が討たれた時にガッツポーズで喜んだのは誰??
1582年6月2日、織田信長が明智光秀によって討たれた。 誰もが知っている本能寺の変ですが、時を同じくして信長の嫡男・信
狂女フアナの半生とヨーロッパの一大帝国の誕生【スペイン・オーストリア史】
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大航海時代が始まる前のヨーロッパ経済は地中海が中心でした。 しかし、15世紀になるとポルトガルとスペインが海へと繰り出し
【地政学とは?】国際関係を解読する鍵となる重要な学問について基礎知識
ロシアのウクライナ侵攻や中国の南シナ海に人工島を作り海上の主権を主張したり、台湾有事の可能性が高いのではないかとも言われ
最盛期を築いたスレイマン1世とは?【オスマン帝国】<人物伝>
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江戸無血開城とは?戊辰戦争の裏で恭順派がどう動いたのか簡単に解説!
以前書いた戊辰戦争の記事では、旧幕臣たちの間で「新政府軍と徹底的に戦おう」とする主戦論と「国内の内戦は外国に付け入る隙を
【徳川家康の女性遍歴】家康を取り巻く女性たちとうわさの御落胤と言われる人物
争いが絶えなかった戦国時代は自分も家族もいつ死ぬかわかりません。 無事に子供が生まれても、生存率が非常に低く江戸時代中期
征服王ってどんな人?メフメト2世の治世【オスマン帝国史】<人物伝>
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徳川家康は、側室も多く子宝にも恵まれた人物でした。 長男・信康は、わがままに育ってしまい後に信康事件で切腹をします。 次
徳川四天王の筆頭・酒井忠次は信康切腹のきっかけを作ってしまった!?
徳川家康の父の代から仕える最古参で、徳川四天王筆頭だったのが酒井忠次。 いくつもの合戦で知勇を奮っただけではなく、徳川家
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埋蔵金を見つけたら誰のもの?日本の三大埋蔵金伝説と実際に見つかった埋蔵金
埋蔵金と言えば、糸井重里さんが赤城山を発掘していた映像がテレビで放送されていたのをうっすらと覚えています。この時探してい
フェルナンド2世がフランスと対立した理由とは?【スペイン史】
先日書いた記事の補足記事です。 カスティーリャ=アラゴン連合王国(以後、スペインと呼ぶ)が、レコンキスタ終了後すぐにフラ
戊辰戦争とは?背景~経過、結果までを分かりやすく解説!【幕末~明治】
戊辰戦争とは1868年~1869年にかけて起こった日本最大と言われる内戦です。 この戦争の直接のきっかけとなった三つの事
徳川家康にも酒井忠次・榊原康政・本多忠勝・井伊直政と言った四天王が居ましたが、甲斐国・武田信玄にも有能な四人の重臣がいま
カトリック両王の治世<フェルナンド2世とイサベル1世>【スペイン史】
カトリック両王とは、スペイン王国の基礎を築いたフェルナンド2世とイサベル1世の国王夫妻のこと。 以前、イサベル1世がカス
簡単にわかる!王政復古の大号令とは?<1867年12月9日>【幕末史】
今回、解説していく王政復古の大号令は、討幕派にとって非常に厄介な一手である『徳川慶喜による大政奉還(1867年10月14
大河ドラマ・どうする家康でもタイミング的に前半のメインとなるであろう信康事件は、徳川家の嫡男と家康の正室が切腹・処刑され
スペインの偉大な女王、イサベル1世が即位するまでの半生【人物伝】
wikipedia『イサベル1世』より イサベル1世は、夫でアラゴン王フェルナンド2世との共同統治によりレコンキスタを完
ニート皇帝・万暦帝の治世と明の衰退<1449~1644年>【中国史】
前回はクーデターにより即位した永楽帝とその系譜の皇帝たちが黄金時代を築くも、そのクーデターの間に北方でモンゴル勢力が再拡
徳川家康を支えた徳川四天王はどんな人でどんな活躍をしたのか??
徳川家康の天下取りの過程で、常にそばで助けていたのが後の徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と井伊直政でした
明・靖難の役と永楽帝以降の治世<1398~土木の変まで>【中国史】
明の初代皇帝・洪武帝は新たに明を建国し、皇帝に権力を集中させる形の国家を樹立。光武帝の26人の男子が生まれていますが、彼
大政奉還とは?分かりやすく簡単に解説!<1867年10月14日>【幕末】
大政奉還とは、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜(在位1867年1月~1868年1月)が政権を朝廷へ返還した出来事を指してい
1726年の江戸では人口が100万人を超え、ロンドンの63万人を超え世界一の町として栄えました。内訳は、職人や商人などの
明の初代皇帝・洪武帝の統治はどんなもの?<1368~1398年>【中国史】
元の政治が乱れて紅巾の乱が発生、群雄割拠になるパターンかと思われた中で紅巾軍の武将の一人・朱元璋が明を成立させたのは以前
戦国時代の内閣官房参与【御伽衆】とは一体どんな人たちなのか??
現在の内閣には【内閣官房参与※】と言う役職があります。※以下参与 メンバーも、元大物秘書や元外交官、その道に精通した教授
伊東甲子太郎の入隊~油小路の変までを簡単に解説【幕末・新選組の歴史】
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紅巾の乱とは?背景から経過までを簡単に<1351-1366年>【中国史】
13世紀のユーラシア大陸はモンゴル帝国がその存在感を放っていた時代でしたが、14世紀に入ると天災が続き、各地で政治的に大
戦国時代の武士の収入、同じ武士でも大名と武将・雑兵では大違いだった
戦国時代の武士たちの働く場は主に戦場。 武士を大雑把に分ければ、雑兵と武将がいます。武士が支配する領地には、主君からのル
鉄の結束であった徳川家の三河武士は、本当に忠義者たちだったのか??
徳川家康の天下統一の偉業を陰ながら支えたのが、三河武士と呼ばれる譜代の家臣達。 忠義に厚く主君のために命を張る、戦闘民族
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以前の記事でクロムウェルを中心とした独立派が派閥争いを制し、議会をないがしろにしていたチャールズ1世を処刑した『イギリス革命(ピューリタン革命/清教徒革命)』を起こしたところまでお話ししました。 独立派は
幕末から明治(1867~1885年)にかけて、王政復古の大号令の際に定められた三職制の採用から始まり、七官制、二官六省制、三院制、内閣制度と次々と中央官制は変化していきました。 ここでは、組織がどう変わっていったのか?どんな仕事があるのか?
主権国家とは、国境に囲まれた国土を持ち、自分の国を自分達で決定できる権利を持つ国のことです。 近世以前のヨーロッパでは領土を持つ者として国王以外に領主もいましたし、ローマ教皇の権威も強く国家運営に口出ししてくるような重層的な支配が確立してい
戊辰戦争に勝利した新政府は、その戦いの最中から既に新しい政権発足に向けた動きを活発化させていました。五か条の御誓文の公布や五榜の掲示で今後の基本方針を明らかにし、新たな官制を組織したり東京遷都したりと次々に新たな時代に向けた大変革を実行。そ
イギリスでは絶対王政の全盛期を築いたテューダー朝最後の女王エリザベス1世がスコットランド王のジェームズ6世を次期国王に指名。エリザベス1世が亡くなった後はジェームズ1世(1603-25年)として即位し、新たにステュアート朝が開かれました。
幕末の混乱を経て1867年には徳川慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還が行われた後、天皇の下で新たな政府が出来上がります。 最初は徳川慶喜中心の政府になりかけたのですが、討幕しようと動いていた者達にとっては面白いはずもなく、徳川家を潰そうと動
近世ヨーロッパ各国ではイタリア戦争や17世紀の危機や三十年戦争を経験し、主権国家体制が本格的に始まりました。 ※イタリア戦争については第一次イタリア戦争に触れた記事とカール5世の人物伝に詳しく乗っています。 主権国家とは自分たちの国のことを
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と言われたウェストファリア条約を結んで終結した三十年戦争後に成長したのは、神聖ローマの辺境にあったプロイセンやロシアでした。 今回は、この東ヨーロッパで台頭し始めた両国についてまとめていきます。 https:/
ペリーの来航を機に日本では幕末の動乱期に移行し、尊攘運動が討幕運動にかわったのは時間の問題でした。そんな中で時代の潮流に乗ったのは江戸幕府ではなく討幕を目指した新政府です。 やがて最後の将軍だった徳川慶喜は大政奉還で政権を朝廷に返上していま
ハプスブルク家の家族関係をまとめた記事と幼少期から神聖ローマ皇帝・スペイン国王の即位までの経緯をまとめた記事を前回まで紹介しました。 カール5世と言えばヨーロッパのサラブレットであったのと同時に、生涯戦いに明け暮れた君主だったこともわりと有
17世紀後半に市民革命を達成し、18世紀後半には綿糸紡績業を中心に産業革命が始まっていたイギリスをはじめヨーロッパ諸国では蒸気を動力とする機会の利用によって工業生産力が飛躍的に高まっていました。 この革命により大量生産大量消費の時代に移行す
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代中期を舞台に主人公・まひろ【紫式部】を中心に物語が展開します。この時代には、女流作家たちが活躍し清少納言・和泉式部・など多くの才女たちが登場しました。 その一人として、一条天皇の中宮(藤原)定子も負
これまで日本のお札には18人の偉人たちが採用されました。時代を象徴する人物や偉業成し遂げた人物ばかりです。 今回の記事には兌換券(だかんけん)という言葉が出てきます。 正規の通貨との兌換(引き換え)が保障
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップ美公とスペイン王女フアナの長男としてブルゴーニュ公の居城ガンでカール(カルロス)は誕生し、その宮廷で成長します。ところが、その成長の過程で幼少期に父を亡くし、母が病を発症して...と子ども時代か
ヨーロッパ史でよく名前の出てくるハプスブルク家の最盛期を築いた人物として知られているのが神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。神聖ローマ皇帝だけでなくスペイン国王カルロス1世としても有名です。 カール5世(wikipedia)より 1500年
大航海時代からの好景気が止まり、間の悪いことに地球規模の寒冷化が到来。寒いために作物が育たず飢饉となり、栄養不足がたたって疫病(ペスト)が流行するという負のループに入っていた17世紀のヨーロッパ。 人々の気持ちも荒れ、治安が悪化。反乱等が増
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳の川 この歌は江戸時代に作られ、信長・秀吉・家康をうまく表現していると思います。 信長は桶狭間の戦いで勝利したのち、破竹の勢いで天下統一目前まで勢力を伸ばしました。しかし、1582年に本能
平安時代の女性たちは基本的に外出を避け部屋の奥で生活をしていました。 立ち歩くことも良しとせず、座っていることが多かったといいます。 数少ない外出の際には、牛車などのり扇子や袖を使って顔を隠していました。一般庶民はわかりませんが、光る君へで
フランスで1562年から1598年まで宗教内乱・ユグノー戦争が起こったように、神聖ローマ帝国でも宗教を発端とする争い三十年戦争が1618年から始まりました。 もう少し先にイギリスでも同様の動きが現れることになるのですが、神聖ローマ帝国の危機
フランスで起こった宗教戦争・ユグノー戦争を生き残ったアンリ4世が王位を継承したことで始まったブルボン朝。アンリ4世はかなり柔軟に対応しましたが、強硬派のカトリック教徒に殺害されてしまいます。 今回は、そのアンリ4世が亡くなった後のフランスの
wikipedia『イサベル1世』より イサベル1世は、夫でアラゴン王フェルナンド2世との共同統治によりレコンキスタを完
前回はクーデターにより即位した永楽帝とその系譜の皇帝たちが黄金時代を築くも、そのクーデターの間に北方でモンゴル勢力が再拡
徳川家康の天下取りの過程で、常にそばで助けていたのが後の徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と井伊直政でした
明の初代皇帝・洪武帝は新たに明を建国し、皇帝に権力を集中させる形の国家を樹立。光武帝の26人の男子が生まれていますが、彼
大政奉還とは、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜(在位1867年1月~1868年1月)が政権を朝廷へ返還した出来事を指してい
1726年の江戸では人口が100万人を超え、ロンドンの63万人を超え世界一の町として栄えました。内訳は、職人や商人などの
元の政治が乱れて紅巾の乱が発生、群雄割拠になるパターンかと思われた中で紅巾軍の武将の一人・朱元璋が明を成立させたのは以前
現在の内閣には【内閣官房参与※】と言う役職があります。※以下参与 メンバーも、元大物秘書や元外交官、その道に精通した教授
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13世紀のユーラシア大陸はモンゴル帝国がその存在感を放っていた時代でしたが、14世紀に入ると天災が続き、各地で政治的に大
戦国時代の武士たちの働く場は主に戦場。 武士を大雑把に分ければ、雑兵と武将がいます。武士が支配する領地には、主君からのル
徳川家康の天下統一の偉業を陰ながら支えたのが、三河武士と呼ばれる譜代の家臣達。 忠義に厚く主君のために命を張る、戦闘民族
前回、オスマン帝国以前のアナトリア半島にあった国々の変遷をまとめてみました。そこでも少し触れていますが、トルコ系民族はず
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安土桃山時代のポルトガル宣教師・ルイス=フロイスは、母国に報告をするために日本の事について書いています。その中に、織田信
2024年の新紙幣の人物画に渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎が選ばれました。 2023年の4月14日には報道陣に向けて新し
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今回はアナトリア(小アジアとも)という地域の歴史に焦点を当てていこうと思います。 アナトリア半島は海に面した地域には平野
『禁門の変』は、またの名を『蛤御門の変』『元治の変』とも呼びます。元治元年7月19日(1864年8月20日)に京都御所付