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  • 大川そして安善

    武蔵白石でのカットに小麦輸送のホキ2200?が写っている。鶴見線内で小麦というと大川にある製粉会社だろうか。 (1983/5/4) 大川駅の突き当りに製粉工場の企業名を記した巨大なサイロが見える。港に陸揚げされた原料の小麦粉や配合飼料を一旦はこのサイロに留め、のちにホキに積み替えて国内の製粉工場へと送り出していたとのこと。(参考:鶴見線貨物回顧 RMLIBRARY 2009/12 刊) (1984/12/23) 大川支線は電化されているものの、この大川駅構内は架線が無い。DD13の牽引で工場内との受け渡しを行っていたようだ。 (1983/5/4) 安善駅構内に休むロクヨン一般形。その仕業は中央…

  • そして武蔵白石あたり

    浜川崎駅の南武線側の頭上を高架線が横切っている。その姿は特に歴史的構造物という趣のものではないが、各所に錆が浮くなど長年放置されていることが判る。 その高架線は鶴見線に沿うように進み、右カーブを切って武蔵白石の手前で地上に降りる。その高架線がまだ稼働していた頃、そのあたりで偶々スナップしていたことがある。 699レ それは塩浜操から尻手支線へと向かうルートから分岐し、鶴見線安善へと向かうものだった。(いつの間にか出来、いつのまにか休止?廃線?となった印象。※) 左側2線は鶴見線の上下線。 武蔵白石を発車し浜川崎へ向かう鶴見線下り。左端の線路が武蔵白石駅をかすめて安善駅構内に進入する貨物線。中ほ…

  • あの頃の浜川崎界隈

    過日訪れた渡田踏切、初めて出かけたのは尻手支線(南武線浜川崎支線)にまだ17m国電が居た頃だった。 踏切を渡った先から浜川崎駅を望むことが出来たが、線路を跨ぐ産業道路の道路橋が重くのしかかって見えた。 尻手へと発車して行く列車を見送る。撮影場所を探すも線路に近づけるのは踏切しかなく、工場地帯を走る区間故に殺伐とした沿線風景だった。 (2枚とも1975/6/9) 5186レ 浜川崎駅をかすめ構内へと入って行くED161牽引の奥多摩発石灰石輸送列車。青梅線、南武線、尻手支線を直通して来たところだ。(上部に架かるのは産業道路と首都高) (1977/4/3) 一度だけ浜川崎構内を見渡す道路橋に立ったこ…

  • HYBARI

    渡田踏切を撤収し、昼下がりの鶴見線浜川崎駅ホームへ。 次の列車までまだ暫く時間があるので、のんびり過ごしていると鶴見方から不意に列車の接近する音が聞こえて来た。 ホームの到着案内放送も無い中、そこに顔を出したのは青一色のHYBARIだった。驚いた。そう、昨年2月にお披露目の水素ハイブリッド車両だ。1年経ってようやく逢えた。電車はほんの一瞬停車した後、スーっと発車して行った。 さていつごろ戻って来るだろうかと気を揉んでいると、程なくして現れた。どうやら扇町までは行かずにこの先の構内で折り返して来たようだった。こちらも静かに停車して静かに発車して行った。 後続の列車で鶴見に着くと3番線に停まってお…

  • 尻手支線渡田踏切

    40余年ぶりに訪れた小倉跨線橋でスナップした「PF」と「サメ」、3月のダイヤ改正を間近に控え最後にもう一度目にしておこうと2月末に出かけた。 その「PF」と「サメ」牽引のスジはそれぞれ新鶴見から尻手短絡線、尻手支線を通って「PF」は川崎貨物へ「サメ」は東京ターミナルへ向かうので、浜川崎の渡田踏切でスナップすることにした。 72レ 遊び半分で側面を追ってみた。シチ・サン角度とは一味違うスマートさが見えた。 8460レ ここに立つのは何年ぶりだろうか。古い写真を探してみた。 (1978/10/22) この年の夏にブルトレ牽引をPFに譲ったPが、貨物を牽く姿に哀れさを感じたことを覚えている。当時とは…

  • ぶらり新鶴見散歩 -2-

    数日前の撮影フィルムを早く現像に出したい、でもまだコマが残っている。そんな時「ならば近場で、何でもいいから撮ってフィルムを消化しよう」と、そんな穴埋めの目的で新鶴見に出掛けたこともある。 前袋にふらりと出かけると、急にロクロクが迫ってきた。レンズを変える間も無くテキトーに望遠のままでスナップ。そんな「ボツ」カットのこの写真、改めて見返すと奥の建物は前袋信号扱所と読めた、また背後に写り込むのは国鉄の変電所だろうか。ということで今回採用。(笑) EF12というと高二区にあって、両毛線や吾妻線での活躍を思い浮かべるが、灯台元暗し新鶴見にもいたようだ。 (ともに1974/9/23) 暫く後の学生時代に…

  • ぶらり新鶴見散歩 -1-

    「新鶴見に行けばたくさんの機関車を見ることが出来る」そう思って、中学生の頃自宅から自転車で何度か出かけたことがある。しかし行ってはみたものの、写真を撮れる場所を見つけられずにいて、ほぼサイクリングしただけに終ることがほとんどだった。 前袋の先の第二京浜国道ガード下でPFに出会った。後方には高島貨物線のD51重連が居る。 そのD51重連が発車してきた。タイミングが早すぎるカットだが、当時の前袋踏切の様子が判る。のちの横須賀線工事はまだ始まっていなかった。 (ともに1970/5/31) 東京駅発最後の蒸気機関車が発車するイベントの日、横浜港発の復路は新鶴見経由だった。そんな貨物線を行く姿をなんとか…

  • 新鶴見機関区見学 -2-

    当日は弁当持参で、顧問の先生がどこかの駅弁を持参していたのを妙に覚えている。ということで、当日は午前から午後まで長時間お邪魔していたようだ。 「あっ、ロクロクだ!」と誰かが(知ったかぶりして)言った。「ロクロクの中、見ますか?」と先導役の職員さんから、なんとも嬉しいご提案を頂く。その時の、部内用語としての正調「ロクロク」で応えてくれたことが嬉しかったのを覚えている。 運転台に上がると、「前面窓ガラスは曇り止めのため、熱線入りのガラスになっています。ほら。」と、波型のニクロム線を示しながら教えてくれた。 コート姿が顧問の先生、学生服が自分たち、白い上着の二人連れは同時刻に見学に来ていた方とのこと…

  • 新鶴見機関区見学 -1-

    さらに遠く遡って中学生のころ(1970年)の話、学校では文系クラブに所属していた。そのクラブ活動の一環として新鶴見機関区を見学させていただいたことがある。「クラブ活動として、どこか会社などの見学したいところは無いか」との顧問の先生の問いに、当時から既に線路端に繰り出し横浜機関区にも出かけていたテツな悪ガキ仲間で、調子に乗って「新鶴見に行きたい!」と申し出たことで決まってしまったのだった。 その日は広い会議室のような部屋で説明を受けた。多分業務概要のような話だったと思う。ほとんど記憶にないものの、機関車と乗務員の運用範囲は一致しなく、機関車は広範囲に動き遠く〇〇まで行くが乗務員は東海道では〇〇ま…

  • 新鶴見操車場 -前袋-

    江ヶ崎跨線橋で見た荷物列車のその後が気になり、前袋に行ってみた。 入換え作業中のEF65Pがいた。かつてブルトレ牽引という花形の座を務めていたP形が地味な貨物仕業に居るとは、人生の悲哀にも似たものと映る。 短い編成の荷物列車が発車して来た。先ほど見たものと同一の編成に思える。機関車番号は同じく見送った重単2033レの次位機の番号だ。これで流れが読めた。 日を改めて出向く。 ここまで牽引してきたカマが切り離されて江ヶ崎方向へと帰って行く。後方には残されたパレット車が見える。 後方に次位機を残し単2033レの本務機(宮)が単機となって発車。前面窓がキラリと光る。画面右奥にパレット車。 単2033レ…

  • 新鶴見操車場 -江ヶ崎跨線橋(2)-

    横須賀線に沿う線路をスニやマニで組成された僅か4両ほどの荷物列車が来た。 このカマは機番からみて宇都宮のカマだ。 やけに短いな、どこから来てどこに行くのだろうと、訝りながら後ろ姿を追う。 荷物列車に続行するようにゴハチの重単が来た。これは品川の昼下がりの主役、重単2033レと推定出来る。 操車場という貨物輸送の拠点に姿を見せた旅客機。場違いのようでもあり、貨物機に無い流麗な姿がより際立つようにも見えた。 暫くすると、あの荷物列車の牽引機が戻って来た。4両の編成はどうしたのだろうか。 旅客機の向こうに連なるのは客車群ならぬ貨車群、という面白い絵になった。 (1983/11/26、1983/12/…

  • 新鶴見操車場 -江ヶ崎跨線橋(1)-

    小倉跨線橋から江ヶ崎跨線橋へと移動する。 操車場に沿った道を行くと注意書き。 「よいこ」だけでなく「お兄さん」も「オジサン」もね。(笑) 小倉跨線橋から遠目にした特徴あるトラスの傍らに辿り着いた。 向こうに望むコンクリート橋は、先ほど立っていた小倉跨線橋。小休止なのだろうかDE11の1号機が佇んでいた。 立ち位置を変えてみた。左の白い建物は事務室(詰め所)なのだろうか。 跨線橋の目の前にポイント操作の詰め所があった。事故防止のための標準作業の励行を謳っているのだろうか、「モデル入換〇〇〇列車」の掲示が現場作業の空気を醸し出す。 南側に目をやると、広大な線路敷に貨車の姿が全く見えない。もう既に機…

  • 新鶴見操車場 -小倉跨線橋-

    この2月に立った小倉跨線橋は40余年ぶりのことだった。59.2ダイヤ改正で新鶴見操車場がその役割を終えると聞き、最後の姿を目に焼き付けようと通って以来のことだ。あの頃の面影がすっかり消え失せた跨線橋からの眺めを見ながら、遠い日の情景に思いを馳せた。 小倉跨線橋から北側の鹿島田方向を望む。 画面中央の建屋の奥にDLが見え、そのDLの手前に僅かばかりの勾配がかかる部分(ハンプ)がある。その傾斜部からこちら側へと巨大なフォーク、巨大な鋤の葉のように広がる線路(ヤード)に貨車を転がし方面別に振り分け組成する、まさに操車場の肝の部分だ。 南側の江ヶ崎跨線橋方向を望む。 あと2か月ほどで役目を終えようとし…

  • チョコバナナ復活

    西武鉄道のイベント告知で2000系による「チョコバナナ編成の復活」を知ったのは1月末。玉川上水車両基地での撮影会ののち、当該編成に乗り込み小川まで往復するとあったので、沿線での撮影が可能だなと期待してこの日を待っていた。 車両基地から駅への移動を見送り、程なく折り返し発車してくるだろうと待つも一向に来ない。どうやら拝島まで行って折返して来たようだった。折角の前パンが頭だったが、背景に埋もれさせてしまったのが失敗。 迫るチョコバナナ色を眼前で捉える。 東大和市駅寄りに移動して小川からの返しを捉えた。 急ぎ車両基地脇に移動すると、そろりそろりと基地内に入庫する姿に立ち会えた。 (2025/2/23…

  • 土産の1枚

    玉川上水から東大和市に移動、そろそろ帰り支度と思いながらも上りホームから下り列車を見送る。 ホームを抜け玉川上水へのカーブを進むその後ろ姿がキラリと光った。どうやら西の空の雲が切れはじめ夕日が差し込んで来たようだ。これは思いがけないプレゼントになりそう、と期待する。 キラキラと光る先から上り2000系が入線して来た。ホーム上屋の連なる照明と点字ブロックそしてレール、これらが放射状に広がってみえた。 次も2000の続行かと思ったら9000の回送だった。右にカーブを切る後ろ姿を追う。前面化粧板がキラリと光ってくれた。その輝きがレールをも照らす。 拝島に戻ると既に夕日は奥多摩の山々に沈んだよう。その…

  • 玉川上水

    西武拝島線内の玉川上水~小平間の往復運用の途中で、玉川上水車両基地に一旦引き上げ休憩、約50分後に再び小平への往復をこなす運用があるのを知った。 その運用の拝島方に2417Fが連結されているのを知った日、上水で待ち受けた。 車両基地に引き上げ休む姿を公道から眺めることが出来た。 (1977/3/6 南入曽) これは48年前の新製直後、鉄道友の会の見学会でのスナップ。同じようなアングルで撮ったことを思い出す。 その時も思った。方向幕の形状や後退する前面窓はEH10や101系103系を思わせ、どことなく国鉄臭が漂うなと。と同時に西武鉄道初の4ツ扉車ということで、この先西武電車の大変革に繋がるのかも…

  • 小倉跨線橋

    先日の小倉跨線橋では頻繁に薄雲の流れがあって、時折陰ってしまう列車があった。 冬型気圧配置バッチリの終日晴天予報を受けて2日後に再訪。同じ時間帯を狙ってみた。 冷たい北風をある程度は予想していたものの、現地では傍らのオフィスビルやマンションのビル風も加わったのか、跨線橋上では強風にさらされた。 ロクロクの前面が鈍く光る。 青空と後方のビル群を撮りこむ。中央線で見慣れた200も違う表情に思えた。 PFは最早風前の灯火と聞く。では「PFが好きか」と問われると、どうしても「P」と比較してそちらに軍配を上げてしまう爺さんの自分だが、自分たちが目にして来た時代の終りを実感する。 先ほどまで御同業さん数人…

  • 西武2419Fに乗る

    ちょっと時間の空いたある日の午前、今や希少な西武の旧2000系2419Fが運用に入っているのを知り、少しだけ乗ってみた。 拝島に出向くと新宿方に連結されて入線して来た。午前の陽射しを満面に浴びて黄色いお顔が青空に映える。 二段窓、シート袖はパイプのみ。国鉄101系103系にも通じる「ザ昭和の通勤電車」だ。 拝島を発車、カブリツキでの前面展望を楽しむ。前面窓は国鉄153系やキハ28にも通じるパノラミックウインドウになっている。 新2000とのすれ違い、黄色い電車同士の離合風景もいずれ過去帳入りとなるだろう。そんなことを考えながら玉川上水で下車。 (2025/2/19)

  • 次々と踏切、踏切、踏切

    小倉跨線橋からの撤収後、近くの尻手短絡線を歩いてみた。その存在は以前から知っていたものの、これまで足を向けたことは無かった。 江ヶ崎踏切 左は本線、新鶴見(信)から分岐した最初の踏切となる。 二ケ領(にかりょう)踏切 「二ケ領」と聞くと「ニケ領用水」を思い浮かべる。帰宅後に調べてみると、踏切を渡るこの道こそが元「二ケ領用水路」とのこと。二ケ領用水と言えば登戸あたりの多摩川取水口周辺を思い浮かべるが、江戸時代初頭には完成をみて川崎市中南部へと引水されていたことを知る。 因みに二ケ領とは「稲毛領」と「川崎領」を差し、稲毛領は南武線の駅で言えば登戸から鹿島田あたりの範囲、川崎領は鹿島田から浜川崎や塩…

  • 顔、顔、顔

    東上線から数日後、「もう見納めだよ」と途中下車さんから囁かれ、跨線橋下を続々と通過する列車(機関車)を追ってカメラを向けた。 まるで子どもの頃の自分に戻ったような感覚だった。勿論、EH10もEF10も、EF60もEF15も来る訳ではなかったけれど、楽しい1時間少々を過ごした。跨線橋下を行く今様のその顔をアップに切り取ってみた。 72レ この場所に「相鉄の電車が!」という時代の流れ。 2088レ 8460レ 94レ (2025/2/17 小倉跨線橋/新鶴見)

  • 荒川橋梁

    越生線の高麗川橋梁を撤収し、東上線玉淀の荒川橋梁に向かった。 小川町に着くと、もうひとつの「アレ(セージクリーム)」が寄居から向かって来るのが判り、入線を待った。ホームや跨線橋がもうちょっとだけ古くささを残しておいてくれていれば、と勝手なことを思う。(笑) 玉淀に着く。お決まりの駅近カットではなく、荒川橋梁をサイドから狙いたく彷徨った。川の流れと手前の岩とのバランス、画角の中の列車の位置をあれこれ考えている中「アレ」が来てしまった。 結果をみると「アレ」とポールのバランスが微妙だ。列車間隔が長く練習電を持てないのが辛い。 日中の寄居ローカルは森林公園まで足を伸ばすため、一度行ってしまうと中々戻…

  • ツートン

    今回、東上線の奥の方へやって来たのは「撮影場所」を求めてというより、「アレ」に出会うのが目的。運用情報サイトさんに「アレ」の状況が載ったのを確認してから当日の行動を決めることにしていた。 ところがこの日、なかなか「アレ」の状況が載って来なかった。不安な気持ちのまま坂戸に着くと、なんと目の前の越生線ホームに期待の「アレ(ツートン)」が次々発で入線しているではないか、急ぎ次発に飛び乗り先行することにした。 野田線の8111Fで出会って以来1年振りのツートンカラー。東武の全車両がこの色だった時代はカッコ良く思えなかったが、今や希少なリバイバルカラーとなると嬉々としてしまう身勝手な自分。(笑) 前面は…

  • 高麗川橋梁

    「天気も良さそうだし、どこかへ行きたいね。」ということで、途中下車さんと東武東上線の奥の方へ行って来た。 坂戸で待ち合せ、予め目星を付けていた越生線の西大家と川角との間にある高麗川橋梁を目指す。 ガーター部に網が張ってあるのは塗装工事でもするのだろうか。ちょっと残念。 川角方の桁ひとつだけ網が張っていない。川の流れはほとんどないものの、水は透き通り川床もきれいに見えた。 少し離れてみる。今は殺風景な色合いだが緑の季節を待ってみたいと思った。 ガーター下にも立つことが出来、接近戦を試みる。網に雑草が絡んでいるのは大雨の際の高い水位の為なのか、単に風で舞っただけなのか。 (2025/2/14)

  • 新顔の入った亀戸線

    錦糸町まで来たついでに東武亀戸線に寄ってみた。この1月から10000系が入線したとのことで、どんなものかと気になっていた。 亀戸駅に赴くとラッシュ対応を終えたオレンジの8000系が休んでいた。未だ全面置き換えではないようだ。 以前の訪問では目の前を通過してしまったこのオレンジ色編成だったので、今回の出会いでリベンジとなった。(ところでこの東武の社紋、なぜか蜘蛛の巣に見えてしまう。(笑)) 次の発車の到着案内とともに新顔10000系が入線して来た。先輩8000系に挨拶するかのよう。ところで、この時のアナウンスが「上り列車が到着・・・」と言っていた。なんとなく亀戸発は下りと思っていたのだが、そうか…

  • E235系の6本並び

    錦糸町の電留線に総武快速線用E235系を並べての撮影会がある、とのポスターを過日見つけた。千葉方と東京方の両方から撮影するとの告知だった。電留線であればホームからでも眺められるので、ちゃっかりとスナップさせていただくことにした。 電留線は手前から0番・1番・2番線と続き5番まであり、6編成が並んだのだが手前から2本目の頭が不揃いだったのが残念。撮る側からすると拘る部分なのだが、主催者側はさほど気にしないのかな。※ 下り千葉方面行きが発車して行く瞬間は7本並びとなった。 頭の揃う奥の4本に着目。まるで全面鏡張りのようにビルの壁面が反射していた。 突起も丸みもない完全平面の前面と縁取りのような輪郭…

  • ギラリ・ギラリ・ギラリ

    東の空のグラデーションを第一幕とすれば第二幕は差し込む朝日の「ギラリ」だ。 今か今と待つこと暫し、建物の間からオレンジ色が差し込んで来た。その強い光線が線路と銀色の車体に降り注ぐ。 ファインダーでサロ2両を追う。2階建てが黄金色に染まった。 朝日の光量が更に増すと、オレンジからシルバーがかった色へと力強さが増してきた。 太陽の位置が更に動いたようだ。舞台に注ぐピンスポットのよう。 (2025/1/30~31 東中神-西立川)

  • グラデーション

    冬型気圧配置が続くこの時期になると、夜明けを迎える東の空のグラデーションを連日拝むことが出来る。 日の出時刻も遅いため、極端な早起きをしなくても良いのも狙い目。凍てつく朝、身支度を整えていつもの線路端へ。 ほのかなオレンジ色の先から下り列車が来た。2階建ての車内がひと際明るく見えた。 今なお残る社線時代の架線柱がグラデーションに映える。 オレンジ色が幾分広がって来た。刻々と日の出が迫っている。 (2025/1/30 東中神-西立川)

  • 西武旧2000系

    最早旧2000系は2417Fと2419Fの2編成となってしまっていた。この2年間のんびり構えていた自分に悔いる次第だ。 本川越からの急行での戻りを待っていると、拝島線と並走して来た。さらには下り列車の顔も揃ったワンカット。 特徴ある前面をしっかり記録。(シングルアームが残念だけど) (2025/1/21 小平) 拝島行きの先頭車でかぶりついていると、西武立川~拝島間で富士山が不意に正面に現れる場所がある。 このあたりかなと見当を付けて立ってみた。視線が低いためか架線柱や高圧鉄塔がうるさくて、車内から見えた美しい姿には程遠いものの、一応富士山バックの西武線と自らに言い聞かせた。(笑) (2025…

  • 夕日を受ける西武2000系 -2-

    もっと別のアングル、別角度の光線を求めて線路端からホーム上に場所を変えてみた。よりオレンジ色に染まるであろう2本目に注目した。 日没時刻よりも幾分早く、奥多摩の山々に沈まんとするギリギリのタイミングで上り急行として入線して来た。 客扱いを終え発車して行く最後部を追う。架線柱にホームの照明柱、さらには近くの高圧線鉄塔の様々な影が次々に前面へと架かる。連写ボタンを押したままのカメラ任せで、影の途切れる瞬間を辛うじて得ることが出来た。 (2025/1/31 西武立川)

  • 夕日を受ける西武2000系 -1-

    夕刻16時台に拝島線に入線する2往復のスジを追う。1月下旬の頃は日没時刻にドンピシャだった。 下り列車の前面窓と化粧板が黄金色に染まる。 拝島からの折返しが来た。2000の車体は本来の黄色からオレンジに染まる。ひと際明るい一点は沈まんとする太陽を受けてのものだろうか。 「急行 西武新宿」行きが夕日に別れを告げて行く。 (2025/1/22、28 西武立川-武蔵砂川) (つづく)

  • 西武2000系に接近戦

    拝島でのスナップ以来、2000系にまた熱くなってしまった。今回は線路端での接近戦を試みた。 勾配を駆け下って来た2000が眼前を圧倒する。 最後部は旧2000。連写機能がピタリと決めてくれた。 2000系の魅力のひとつに2連や4連の短い編成を連結した8連や10連があること。つまり先頭車同士の連結が1編成中に複数見られることがあることだ。それを意識して狙ってみた。 充当される列車はほぼ固定的のようなので、その列車を目的に時間と場所を決めて動く必要がありそうだ。 (2025/1/21 西武立川-武蔵砂川)

  • あの日の添え物も今では

    【1980/3/16】 ネタ列車を追っていたその日、練習や暇潰しという添え物カットに’80年代初頭のシーンを記録出来ていた。 京急600快走 背ずり板が直角のボックスシートという昭和30年代のスタイルだったけれど、座った瞬間に観光気分。快速特急のこれに乗るのが嬉しくて、選んで乗ることも多々あった。 あの頃の東急東横線 渋谷へと向かう東急5000の折返しを待つ1時間ほどの間、普段撮らない東急線なので偶にはいいかとカメラを向けていた。 グリーン塗装の目蒲線3522 さよなら運転編成の渋谷方先頭。当時の駅構内風情はこんな感じだったかと懐かしい。 目蒲線を行く荷物電車デワ3041はグリーン車体に黄色帯…

  • ネタ目白押しだったあの日

    いまから45年前の(ほぼ)きょうの日は、色々とイベントが重なっていた。それぞれのネタを追って3か所ほど巡った様子を振り返りたい。 【1980/3/16】 その1(京急ハコ型400の急行運用の日) 京急のハコ型400の終焉が迫り、有終の美を飾らしてあげようとの思い(?)で、所定800での運用となっている急行7Dのスジを400の2×3の6連に一部振り替るというイベントが行われた。 まずは文庫から新町へ向かう姿を谷津坂(現:能見台)で迎えた。 その編成の新町からの折返しを弘明寺の井土ヶ谷方で迎える。春に桜が舞うこの場所、蕾もあと一息のようだった。 その2(東急5000形東横線さよならイベントの日) …

  • 竜ケ崎の駅と駅前

    車内から見えた検車区は駅のすぐ脇にある。 こじんまりとした広さだが、公道からも十分に見学出来るのは嬉しい。オリジナル塗装のこれはキハ532。 掛員氏が車体洗浄の真っ最中。小さな会社に洗浄機・洗浄線など大袈裟なものは無く、人の手の温もりが伝わって来る。 駅前には通運会社。かつて全国の国鉄駅前で見かけた光景が残っている。 そしてタクシー会社の事務所と車庫。昭和の駅前風景が今もある。(タクシー会社はもう1社ある) 駅舎内には墨痕鮮やかな駅名看板が掲げられた待合室がある。孤を描く仕切り壁をみると、あたかも喫茶室の雰囲気も。 開業120年を祝う大漁旗風のものが飾られている。奥に見える改札口にはICカード…

  • 関鉄竜ケ崎線に乗る

    石岡からの帰り、時間があったので竜ケ崎線に乗ってみた。実は初めての乗車だ。 常磐線の龍ケ崎市駅に隣接した佐貫駅が始発駅だが、その改札口に向かって道案内の矢印や案内板が頻繁に現れる。 ここから左に入れば改札口。銀の斜体文字にはスタイリッシュな路線を予感させるのだが(笑)。 駅の先の踏切で列車の入線を待つ。単行の2001が来た。 2001の車内には??な吊り手が並んでいた。龍ケ崎市がコロッケを売りにしている旨の掲示が出ており納得。 車内前後の貫通扉上部には列車の位置を示す電光板があった。新鋭の通勤電車のドア上でもデジタル表示のものを見かけるが、これはアナログ感たっぷり。旅客サービスの意欲を感ずるも…

  • 石岡の記憶

    街ブラしようと思い常磐線の石岡に降り立った。思えば鹿島鉄道の廃止以来だから18年振りのこと。 駅は橋上駅化されており堂々の佇まい。 駅の東西へは自由通路で結ばれている。改札口から東側に進むと眼下に広大な空間が広がっていた。 北側の様子。ここに鹿島鉄道の構内があったなと遠い記憶を手繰り寄せる。 南側の様子。バスターミナルになっているが、ここもかつての構内であったことは容易に想像できる。 18年前のスナップを探す。 こんなかわいい駅舎だったのか。 この当時既に東西を結ぶ通路(跨線橋)があり、鹿島鉄道の構内を見渡すことが出来た。(ともに 2007/3/21撮影) そもそも石岡駅に初めて降りたのは、さ…

  • 西武拝島線開通のHM?

    西武線の拝島駅事務室内にこんなものがあった。 「祝 開通 拝島線」の文字が凛々しいリースを模したHM(レプリカ?)だ。 43年5月15日とある。勿論昭和だろうから57周年ということか。 傍らには2000系から持ってきたのか運転台もある。子どもさんに遊んでもらいたいような掲示が出ているが、爺さんだって実は座ってみたいところ。(笑) (2枚とも 2025/1/16) 開業から2年後の1970年当時のスナップが手元にあるので添えておく。 (2枚とも 1970/3/26撮影) 八高線のD51撮影に赴いた日の、八高線列車待ちの際の眺め。駅も背後の景観も実にすっきりしている。八高線との間も遮るものが無いこ…

  • 西武線拝島にて

    2年前の今頃、急に思い立って西武2000系にカメラを向けたことがある。その勢力を弱めつつあるとの思いで線路端に立ってみたが、思いのほか出会うことが出来て「まだ大丈夫」とばかりに安心して、その後はご無沙汰してしまった。 ところが今、気が付いてみたら、旧2000系は2両編成が2本だけ新2000系もすっかり所帯数を減らしているではないか。 しかも西武拝島線の様子をみると、平日の日中時間帯では朝・昼・夕にそれぞれ2~3往復が入線するだけとなっていることを知り、急遽夕方の2本を出迎えてみた。 一路西へ西へと向かって来た線形は拝島駅進入の直前で北に向きを変え、側面に夕日を受けるようになる。横顔ギラリを狙っ…

  • 「とでん」の響き

    日比谷線三ノ輪駅前。 そこに三ノ輪橋電停への案内があった。「都電三ノ輪橋」とある。「都電(とでん)」としっかり冠していることになんだか嬉しく思った。 「とでん」「しでん」「ちんちん電車」などは昭和のフレーズと思っていたのが、令和の現役と感じた次第。 その愛称だからと言って、「サクラトラム三ノ輪橋」などという軽~い案内でなくて良かったな。(おっと、SAマークはその意味か?危ない危ない!(笑)) ここへは別の所用で当地に来たのだが、この案内に惹かれて歩を進めてみた。常磐線のガード下には都電のイラスト。 それを抜けたら「ジョイフル・ミノワ」のアーケードが迎えてくれた。 が、アーケードの手前に三ノ輪橋…

  • さて「御徒町」

    「だったら御徒町から乗れば良いよ」と言われても・・・。 新御徒町? 仲御徒町?上野御徒町? それとも(本家)御徒町? で、結局「仲御徒町」から乗った。ホームに立つと、そこはちょっと洒落たデザインの壁面。 ところで「中」じゃなくて「仲」なのね。(目黒の方は「中」だったな。) (2025/1/14)

  • ロハ合造車

    今は昔、正月の線路端と言えば数多くの初詣列車がひしめき合っていたな。普段見かけないような編成が、定期列車の通らないルートを使って成田山、高尾山、鎌倉へと走っていたな。 そんな流れを僅かばかり伝える「開運成田山初詣青梅号」とやらが走るというのでイソイソと線路端へ出向く。 やって来たのは面白くも無いE257。成田方クハの貫通扉付き前面はサラリと受け流し、中間に組み込まれたサロハに目を向ける。車体中央に乗降扉を持ち、その左右で窓の大きさも変わる特異なスタイルだ。 合造車を中途半端と捉えるか異端車と捉えるか意見はあると思うが、車両や運用において「画一的から逸れたもの、特異なもの」に目を向けたくなるのが…

  • ちょこっと東急大井町線

    今回の蛇窪界隈の散策には、久しぶりに東急大井町線を利用した。サラリーマン時代に会議や打ち合わせで時折乗ったことがあるが、それ以来かもしれない。 荏原町に降りた。駅の脇の踏切が鳴ると上下の列車が並んだ。 大井町から一つ目の下神明も何度か降りたことがあるが、カメラを持って降りたことは無かった。 改札口から階段を上がると左右に別れ、それぞれが上り下りのホームへの階段へとつながる。ホームに上がれば、そこにはアーチ状の骨組が見える。この一連の流れは鶴見線の国道駅とよく似ているなと思う。 大井町線の上は東海道新幹線が交差しており、ホームからも見える。一方その下では品鶴線とも交差している訳で、品鶴線、大井町…

  • 旧蛇窪信号所

    かつて「蛇窪」の名前そのものずばりの信号所があった。品鶴線と山手貨物大崎支線の分岐点となるこの場所。1960年に信号所から大崎駅構内の扱いとなった(前回記事列車ダイヤの「大崎(蛇窪)」の標記がそれを示している)が役割は変わっていない。 左は横須賀線のルートとなる品鶴線、右は湘南新宿ラインのルートとなる山手貨物大崎支線。(余談だが、この場所に立つと品川は右の方向にあり大崎は左。あれっ線路の向きが逆?と頭が混乱する。(笑)) ということで大崎へ向かう湘南新宿ラインは一旦右へと進み、大きく左カーブして山手貨物線へと入って行く! この場所は大崎の構内扱いなので、それぞれの第一場内信号機が立っている。 …

  • 蛇窪のこと

    正月のニュース番組では各地の神社仏閣の初詣を報じていた。中でも巳年に因んでの「蛇」の名前と「蛇」を祀る神社として蛇窪神社が各局の番組に登場。 この神社の存在は知らなかったが、「蛇窪」の読みとその名が示すおおよその地域は認識していた。 電気機関車快走(昭和50年5月交友社刊)とじ込みダイヤグラム より 同上 大崎(蛇窪)の標記が品川、大崎、新鶴見に隣接した場所であることが判るし、傍らの「〇」に「×」の印は信号所を示している。そんなことから蛇窪の名称と役割、場所を当時から認識していた。 現在、蛇窪そのものの施設名は残っていないようだが、西大井駅の脇ガードに「下蛇窪ガード」と「上蛇窪ガード・上蛇窪架…

  • 東急砧線跡 -2-

    遊歩道が左にカーブし多摩堤通りと交差したところが吉澤駅の跡。 ここからは一般道となるが、脇に住宅と企業の建つここだけが歩道もある。その歩道にコレがあった。懐かしい見覚えのある東急のシンボルマークを刻んだ境界標だ。 駅跡のすぐ先が吉澤橋。砧線の時代は鉄道専用だったが廃線後に道路橋となったようで、そんな説明のある碑が立っている。 そのすぐ隣の欄干には電車をモチーフにしたブロンズが掲げられている。車号は64と読み取れるリアルな描写だ。 歩く道路は一般道とは言うものの、道幅は狭くいかにも線路跡を偲ばせており一方通行となっている。静かな住宅街と大学のキャンパスを目にしながら歩いて行くと砧本村に着いた。 …

  • 東急砧線跡 -1-

    以前から行ってみたいと思っていた砧線跡、新年早々のお散歩として出かけて来た。ネット上にも散策レポートが載っており参考にさせていただく。 二子玉川駅から細い路地を進むと、かつてそこに線路があったことを思わせる柵を見てテンションが上がる。玉川通りを渡った先の細い道に「花みずき通り(砧線跡)」と標識があり、ここが線路敷かと感慨に耽る。 足元には中耕地駅跡への方向を示す矢印が。 少し進んだ先に中耕地駅を示す石柱。駅跡を偲ばせる遺構は見当たらないが、遊歩道の幅がここだけ幾分広く見えることが駅っぽいかなと想像する。 遊歩道の足元には電車のイラストを埋め込んだ蓋が随所にあるが、イラストはどれも同じだった。 …

  • ’79 山陰・長州の旅 -おまけ-

    【1979/9/17】 前日夜は下関から特急「さくら」の14系寝台に潜り込んでいた。 東京まで一気に帰るのも勿体なく思い大井川鉄道に少し寄ることにしていたのだ。復活蒸機の先輩格の大井川と山口線を比較してみたいと思った。 豊橋で「さくら」を降りて、浜松で乗り継いで金谷に着いたのは9時過ぎ。10時台の千頭行きは元小田急1900と元北陸鉄道6051+6052の編成だった。1900は客扱していなかったが、元北陸鉄道のほうはエンジ色のシートが美しかったのと、貫通路が幅広いこと、連結面に飲料の自販機が設置されているのを初めて見て、観光路線に力をいれているのかなと思った。 福用で下車15分ほど歩き、ポスター…

  • ’79 長州の旅 -山口線-

    【1979/9/15】 この年に復活したSL「やまぐち」を撮ることにした。これの運行が始まったことも、今回の山陰を旅するきっかけとなった訳。 復活に合わせ、チラホラと出始めた撮影地ガイドを参考に下りを宮野-仁保、上りを津和野で撮影することにした。 山口市営バスを利用して宮野の先のSカーブのある踏切に立ってみた。 靄ってしまった天気に意欲は今ひとつ。 小さめのSカーブだったため、引き寄せるとほぼ正面がちというつまらぬカットになってしまった。 練習のコマ。今となっては復活蒸機よりもコレのほうが魅力的か。最後尾はキニ? 撮影後は宮野に戻り後続の普通列車で津和野へ追うつもりだったが、シゴナナの遅れのた…

  • ’79 長州の旅 -宇部線-

    【1979/9/14】 秋芳洞からバスで小郡に出て、旧国の走る宇部線を廻ることにした。乗り込んだ車両(クハ55 320)のニス塗り車内は美しく手入れされていて嬉しかった。 早速カブリツキでロケハンするものの、沿線風景は芳しくない。宇部新川や宇部まで乗ってみるつもりだったが、そんな芳しくないロケハンに気分が上がらず、常盤付近で海が見えたところで我慢仕切れずに降りてしまった。 九州から足を延ばして来た赤い電車 前面の黄色い警戒色にはどうも馴染めない。 宇部方面へ足を伸ばすのは諦めて小郡方へ戻ることにした。 開けた田園地帯をみつけて深溝で下車。腕木信号機がよいアクセントになった。 後追いもう1枚。 …

  • ’79 山陰の旅 -出雲大社-

    【1979/9/12】 宿は一畑電鉄の古江(現 松江イングリッシュガーデン前)にあった。 朝、宿の近くでスナップすると通勤時間帯のためか3両編成がやって来た。 往復乗車券があるというので記念に所望してみた。 8:22の電車に乗り川跡経由で大社駅に向かった。大社線は単行ワンマン運転で整理券方式だった。 偶には観光をと、出雲大社に詣でてみた。俗に言われる願いを叶えてもらうつもりも無かったが、別の意味での縁結びとなった。 境内の松林の向こうに保存蒸気が見えた。ランボードやデフに白の縁取りがされた「いかにも保存機」の出で立ちだ。 ナンバーを見てびっくり。元新鶴見のD51774だった。 当時、シールドビ…

  • ’79 山陰の旅 -一畑電鉄へ-

    【1979/9/11】 宿から浜坂駅への途中、線路を見下ろす場所があったのでスナップしてみた。 朝日を背負って下って来る「出雲3号」を、逆光の眼下に迎える。 順光の朝日を正面に受けるDD51牽引の普通列車は820レだろうか。 浜坂発9:13の急行「美保」で出雲市へ向かう。 出雲市に到着し一畑電鉄に乗り換える。13:07電鉄出雲市発の列車に乗り込み、まずは松江温泉まで乗り通してみることにした。車窓をロケハンするが手頃な撮影地は見つからないまま終点の松江温泉に着いてしまった。 線路と宍道湖を撮れそうな場所を求めて、隣の古江方向に沿線を歩いてみたものの、なかなか見つからない。 加悦と一畑が今回の旅の…

  • ’79 山陰の旅 -加悦鉄道(2)-

    【1979/9/10】 SL広場に続いて駅構内にたむろする気動車にも目を向けてみる。 キハ101(1936年日本車両製ガソリンカー 1968年ディーゼルエンジン化 片ボギー片1軸の変則台車が特徴) キハ51(元芸備鉄道キハユニ18 船木鉄道を経て1962年キハ51として入線) デッキとおでこライト、突き出た排障器がなんとも愛らしい。 ステップのあるドアが客用。無いのが乗務員用?、いや幅広いところから見ると荷物室扉で乗務員用を兼ねているということか。 ひとわたり見回したあと、丹後山田行きの列車を沿線でスナップすることにして、駅に沿う道を丹後三河内方に歩いてみた。さすが丹後ちりめんの産地とあって、…

  • ’79 山陰の旅 -加悦鉄道(1)-

    昨年末のテツ報告はこれまでとし、暫くぶりに大昔の思い出を綴ります。 【1979/9/10】 山陰地方の私鉄巡りとなると2社しかなく、しかも場所も離れていているし山陽方面の私鉄各社と絡めるのもまた難しく効率が悪かったが、やっと思い腰を上げて出かけたのだった。前夜、東京発の「出雲3号」で山陰入りすることとした。 「出雲1号」では豊岡着が早朝となり、7時過ぎの到着となる「出雲3号」が時間的に良かったのだが、2段寝台24系の「1号」に対して3段寝台14系となる「3号」は、いささか格落ち感が否めなかった。 豊岡発7:46の普通列車に乗り込む。この列車は天橋立から急行「丹波6号」となり、西舞鶴、綾部、福知…

  • 浜松町駅南口あたり

    浜松町駅は何度も乗り降りしているが、芝離宮恩賜公園や増上寺方面へということで北口ばかり利用しており、南口はこれまで一度も無かったので初めて降りてみた。 改札を出て案内に従って進むと、隣接のビルへと続く入口手前で見える光景。電車とモノレールを一緒に収められる。 階下の道路に降りて線路に沿う道を少し進むと、曲がり角に人道の通路が口を開けていた。その背の低い通路は高輪の有名なアレを思わせるが、こちらは車の通行は出来ない。 通路内を試しに歩いて折り返す。元に戻った先に立派な構えの釣宿さんがあった。今なお芝浦の情景を残してくれているかのよう。 少し進んで国道に出るとそこは金杉橋(道路交通情報でよく聞く名…

  • 高輪~八ツ山散歩 -2-

    品川駅前から八ツ山橋に歩を進める。 綺麗な銀杏並木が今もなお続いているが、巨大なトラス橋とクレーンが背景に入るようになっていた。これまであの並木の下を何度も歩いたけれど、この角度はこれまで撮っておらず、まさに手遅れの絵となってしまったなと自戒する。 銀杏越しの場内信号機。並木の下から何度か見上げたことのあるアングルだ。 この角度なら巨大なトラスは入らない。地平化工事前の秋の風景と言っても判らないようなアングルを収めておいた。 駅へと帰ろうとすると背後から接近してきたのはイエロー・ハピトレ君だった。 (2024/12/9)

  • 高輪~八ツ山散歩 -1-

    新たに発見された高輪築堤の遺構の一般公開が年末にあり出かけて来た。 城郭の石垣を思わせるような整然と積み上げられた様に、当時の土木技術に目を見張る。レールや車両という上物は英国製だが、土台は我が国の技術で行われたことを実感させられた。石垣下部は当時の波打ち際だろうか、150年前の絵に思いを馳せる。 高輪ゲートウェイ駅南の現場から、第一京浜国道を品川に向かって歩く。京急品川駅周辺の銀杏並木の色づき具合と、地平化工事の進み具合を見ておこうと思う。 品川折り返し列車の引き上げ線も消える光景。この場所、京急の一部社内で「新品川」と呼ばれているとかいないとか。 ひと月前、まだ緑だった銀杏と絡めて撮ったア…

  • カシオペア紀行甲府行きⅢ

    10月、11月に続いて12月にも中央線にカシオペアが姿を見せてくれた。 この日、天候が晴れ予報となれば、前回までの多摩川河川敷では側面が潰れてしまう。午後の光線が側面に差す場所は無いかと思案して、日野~豊田に降り立った。 通過予定の30分前くらいから雲が湧き出して来た。しかも上下線に遅れが発生しており、所定通りに来るだろうか、雲間から太陽が差してくれるかどうかとヤキモキする。 先客の3人様それぞれが列車の位置情報アプリをチェックされ、刻々と現在地を教えて下さる。どうやら立川で後続の中央線を退避しているとのこと、間もなく来る。 雲間は広がり始め暫くは陰る心配はない。下り中央線が通過して行く、この…

  • 旧東浅川仮停車場跡

    中央線の八王子を過ぎ高尾に差し掛かる頃の進行右側の車窓。住宅街が途切れると数本の背の高い木に囲まれた広場が一瞬目に入る。 皇室に由来する旧東浅川駅というものが高尾駅の東側にあったということは、なんとなく知っていたが、それ以上の興味を持つことはこれまで無かった。 高尾駅南口から線路に沿って西八王子方に歩く。小学校の先、線路から緩くカーブする場所に歩道橋を兼ねた跨線橋があるので上がってみる。左側の空間に目をやると、ロータリーの形から如何にも駅があったように思えた。そしてロータリーを見下ろすように大木が立っている。 広場は門扉で囲まれ、綾南会館という施設になっていた。 少し後ろに下がると立派な街路樹…

  • 中央線サロE233

    10月の登場から1ケ月、11月も中旬になるとその組み込編成も徐々に増えて来た。いずれは当たり前の光景になるとは判っているが、コレが目の前に来るとついついカメラを向けてしまう。 (2024/11/19 東中神-西立川) (2024/11/19 日野-立川) (2024/11/24 日野-立川) (2024/11/24 日野-立川) (2024/11/25 東中神-西立川)

  • 冷え込む朝、差し込む朝日

    東方向に進む線路に対し、11月の朝日は南東方向から昇ってくる。高い建物の間から差し込む朝日が徐々に線路を照らし出す頃、233系の銀色車体が黄金に輝く。 駅間の直線を見渡すと所々に陽射しが差し込み始めており、その場所を求めて歩く。 線路脇の木々に赤味がかった光線が降り注いで来た。上り列車の顔が一瞬照らし出された。 建物の間から差し込む朝日。まだら模様のそれもまたドラマチック。 気が付くと線路上の広い範囲に差し込むようになって来た。歴史ある架線柱にも斜光線が降り注ぐ。 建物の間から建物の上へと朝日の高度が上がり、輝度がぐんぐん増して来た。さあ1日の始まりだ。 (2024/11/23、25 東中神-…

  • 夕日ギラリを期待したけれど

    澄み渡る青空を見上げて、「きょうこそ夕日は大丈夫だろう」と勇んで多摩川へ出向く。 ローアン気味のいつものポジションで側面を狙う練習。 ちょっと角度を変えようと場所移動。土手上に御同業が多いのは何故?何か来る?と訝っていると来たのがコレだった。(そういう事か!) 南西方向にあった雲が俄かに広がり、あっと言う間に空一面になってしまった。すっかり気落ちする中、青梅線130周年HMの編成が来た。 夕日を諦め撤収しようかと思ったが、土手上の多くの御同業が帰る気配も無い。貨物でも待っているのか?と思っていると波動用E257の9連が来た。すっかり陰ってしまった陽射しが残念だが「サロハ」の姿を久しぶりに見るこ…

  • 秩父線開業55周年の記念塗装

    この日は「赤電」こと、かつてのE851電機機関車の塗装を模した記念塗装を纏った、4000を主に狙うこととしていた。 当日朝から西武線アプリで運用状況をチェックするも一向に動き出す気配がなく、最後の望みをかけた運用での西武秩父発車が判ったのは10時ころ。飯能へと上って来るのを今かと待った。 赤というより朱に近い色合いだった。 青い空白い雲に映える赤電。 赤いガータープレートと赤い車体が清流に反射する。 白のオリジナル塗装に対して、別形式かと思うような重厚感すら感じる。 きょうの撮影は秩父行きのコレで幕。その秩父からの折返しに乗って帰ることとした。 (2024/11/23 東吾野-武蔵横手) E8…

  • 001系(Laview)

    子供の頃の未来予想図でも見たかのような丸いフォルムの特急ラビュー。鉄道車両としてはかなり異色なスタイルだ。この日1日ずっと目にしていると次第にカッコよく思えて来た。 (東吾野) 直線で構成される昔ながらのスタイルのホーム上屋と、そこを通過する丸いフォルムの新型特急。この対比が面白い。 (武蔵横手) ラビュー同士の交換風景に箱根板橋でのロマンスカー同士のそれを思い出す。 (東吾野) 通過するラビューをファインダーで追っていたら、思わぬ情景が映り込んでくれた。 (2024/11/23)

  • 謹賀新年

    店主/senrobata

  • 東吾野

    武蔵横手から東吾野に移動する。 こちらの駅近にも鉄橋があり、通過する4000系を河原から見上げることが出来る。 足元の川の流れはまさに清流だ、脇の澱みの揺らめきに写り込む4000系。 下流にもうひとつ鉄橋があるよと、ご案内いただく。鬱蒼とした杉林の小径を暫く進むと勢いのある流れのほとりに出た。夏になれば手前まで日が差し込むのだろうなと推察する。 駅近の鉄橋の先にはカーブする築堤がある。午後の光線が4000系の顔を照らしてくれた。 木造のホーム上屋が良い味を出している東吾野。観光路線の色濃い秩父線にあって4000の2扉ボックス席はそれに相応しい存在と思うが、サステナ車導入でその行く末が・・・。 …

  • 武蔵横手

    西武秩父線はこれまで乗ってばかりで沿線を歩いたことは無かった。そんな折り、途中下車さんにご案内いただく機会を得た。 武蔵横手から東吾野方に歩く。冬の陽射しは高度が低く、山間を行く線路は日蔭になってしまっていたが、駅近くの鉄橋には暖かな日が差し込んでいた。 河原にも降りることが出来た。線路脇の木々が黄葉してくれたらなと思う。(笑) 次に来た列車は4+4の8連だった。慌てて連結面にカメラを向ける。 駅の高麗方にある踏切に来てみた。ススキがいい感じだった。 (2024/11/23)

  • ぶらり多摩川

    11月の声を聞き空気が澄んで来たようだ。晴天となった日、澄み渡る青空に誘われて多摩川の河川敷を散歩。 鉄橋のこちら側は、数年前の洪水で河川敷の様相が一変して以来の久しぶり。所々に見えるススキの穂に誘われてカメラを構えてみた。 一面のススキ・・・ではないけれど、四季のアイテムをフレーミングするのは楽しい。 午後の時間帯はEH200牽引のオイルタンカーが続けてやって来る。 フレームのススキを少しでもボリューミーにしたくてアングルを探す。 これまで当たり前に見ていた10両編成。もう間もなく過去の姿となって行く。 3+9のE353系12両。 日が傾きオレンジ色が増して来た。このままギラリとなってくれ・…

  • カシオペア紀行甲府行きⅡ

    10月に続いてこの日もカシオペアが甲府へと中央線を走った。午後の2時過ぎとあって、晴れればサイドが潰れる光線下だが、前回に続いての曇天だった。 手前のススキがほんの少し季節感を出してくれた。 展望車のお客さんはきっと優雅な時を過ごされているのだろう。 JR東では機関車を引退させようとしているし、このカシオペア編成自体もお疲れのご様子。となると近々このような客車列車そのものが消える方向にある。そんな日が例え来ようとも、それまでは目を楽しませて欲しい。 (2024/11/16 立川ー日野)

  • 小さな秋のPF代走

    コロナ禍の頃までの青梅線米タンの牽引機は、65PFが主で210が代走に入るイメージだったが、その後は逆転してしまいカメラを向けることも少なくなっていた。 10月になっても残暑の日々が続いたことしの秋、線路脇に小さな秋がやって来たのに合わせるかのように65PFの代走があり、しかも週の半分以上も走る日が続いた。 (2024/11/15 東中神-西立川) 線路脇のちょっとした茂みが色づいて来た。運行日は不定期と言いながらも概ね曜日が決まっており、その日はこの場所にも多くのギャラリーが集まるのだが、この日はイレギャラーな曜日とあって自分一人。直前にお一人到着しての2人で出迎えた。 (2024/11/2…

  • 宵の多摩モノレール

    立川北駅の先のモノレール高架下、サンサンロードにイルミネーションが行われていると聞いて出かけた。 日没後のブルーモーメントに電球が映える。 アッパーデッキの入口からもモノレールを望むことが出来た。 ロードを散策する人々も暖かな明かりを満喫しているのかな。 (2024/11/8) 日を改めてサイド気味にスナップしてみた。 モノレールに平行して立つ商業施設の外回廊の先には、赤と黄色の木々。 見上げれば「月」。それを頼りにプロムナードに降りてみる。 頻繁にやって来るモノレールだが、走行音は至って静か。不意に走行音が聞こえ出した瞬間に顔を出す。 高架下であればヘッドライトを頼りに接近する様子が判る。 …

  • 青梅線開業130周年

    130周年ということだけれども、駅などに特段の飾り付けなどは見られない。 良く見ると駅名標にクモハ40と201系の顔をあしらったシールが貼られていた。 それと同じ図案のHMを掲げた電車が入って来た。この11月1日からT40編成に取り付けられているとのこと。 よく出来ている。クモハ40に「青梅」などの方向板と、201系に「青特」の種別サインを入れてくれたら、なお良かったのに。(笑) 青梅線の青梅から先の駅名標は以前から凝ったデザインになっているが、そこにも同じシールがあった。 (2024/11/4) 青梅線沿線の福生市や青梅市などの各自治体でも、開業130周年に合わせての企画展を開催し、それぞれ…

  • 品川駅高輪口

    その後、品川駅高輪口の様子はどうなのだろうか、京急の高架工事はどうなのだろうかと、高輪への所用のついでにちょっと様子を見て来た。 品川駅南側の乗換通路から京急線を望む。京急の高架線は既に見えなくなっており、その上部には巨大なトラスが見える。八ツ山踏切のほうに目をやると、僅かにあの緑色のトラスが見えた。 高輪口に出るとJRの駅舎は消えており、「ここが品川駅だよ」と主張する看板があった。 第一京浜国道を跨ぐ歩道橋に上がってみる。工事真っただ中だが、かつてはここにビルがありこんな風景は望めなかった。高架上の引き込み線や泉岳寺への下り坂を見られるのもこの工事期間中のみか。 今、京急品川駅だけが昔の姿を…

  • 中央弘前駅 再び

    ツアー途中で弘前市内に宿泊した。中央弘前駅が近くにあると判ったので夕食後にひとりでテツ散歩する。 ホテルから5分ほど、19時台というのにひっそりとした駅前に辿り着いた。 一文字ずつの行燈式駅名標。オレンジ色に黒文字が引き立つ。 改札口からホームを覗いてみた。こけしさんに明かりが灯っていて美しい。 小川を挟んだ対岸に出る。8月には金魚ねぷたが飾られていた欄干は、照明塔の役割もあるようだ。 発車を待つ電車はまだ乗客を迎え入れていない。近隣の店舗の灯りが社名のロゴを映し出していた。 発車5分前、前照灯が点灯した。お客さんも少しずつ乗り込んで来たようだ。 大鰐行きが発車して静まり返る駅。時代がかった駅…

  • GV-E400のカブリツキ

    8月に東北夏祭りを鑑賞したばかりだけれど、今度は東北の紅葉を鑑賞するツアーに参加した。 行程の途中、五能線に30分ほど区間乗車することになった。一般客との混乗だがツアー客もほぼ座席を確保する中、自分はひとり先頭カブリツキへ行く。 乗車したのは「あきた白神」駅。ここから十二湖駅までの間、GV-E400の前面展望を楽しんだ。発車後間もなく有名な「第二小入川橋梁」を渡った。 夕日をバックに、鉄橋を通過する列車をサイドから狙った観光ポスターでよく見る場所だ。今回のツアーカタログにもそれと同様の構図が載っていて、五能線の旅の旅情を誘っていたのだが、いざ乗車してしまうと、今その鉄橋を渡っていることにほぼ気…

  • カシオペア紀行 甲府行き

    基本的には東北線を北へと向かうことが多いカシオペア紀行だけれど、ごく稀に中央線を下ることがある。今回数年ぶりに多摩川を渡る、しかも日中時間帯ということでイソイソと出かけた。 いつものとおり立川市側の河川敷で待ち受けた。ところがそれまでの薄日が徐々に遠のき、雨雲が近寄ってくる始末となり眠いカットとなってしまったのが残念。 今や貴重な電機機関車が客車を牽く姿に感動すら覚える。極めて近い将来に消滅する情景だ。 対岸へと粛々と進むロクヨンをファインダーで追う。今ごろきっと、土手上に陣取る多くの御同業の皆さんは、シャッターボタンに意識を集中させていることだろう。 長い長い客車編成をしっかりと見送った。 …

  • 下諏訪駅

    ここを通過する度に、古レールの支柱が美しい上屋だなと思っていた下諏訪に初めて降りた。 本屋側上りホームは優雅なカーブを描く「Y字」が整然と並んでいる。 都内では意識しない「中央東線」の名称だが、信州のこの辺りでは「中央西線」との区別が必要なのだろうか。 大きな文字盤のとても見やすい時計があった。都内では撤去が続いている中にあって、ほっとする存在だ。JR東の設備ではなく団体の寄贈品であることも存在理由のひとつだろうか。 下り列車を見送る。 程なくして上り列車の到着だ。 (2024/10/16)

  • えっ!2459列車

    それは昨年夏のこと、塩尻への途中何気なく眺めていた車窓に「2459列車」と書かれた標識が一瞬飛び込んで来たのだった。 2459レと言えば何度かカメラを向けた記憶がある列車だ。以来「あれは何なのか停目なのか。何で今なお残っているのか」と、ずっと気になっていた。 今回の飯田線への途次、それをカメラに収めるべく岡谷までの車窓を注視しながらスタンバイ。「あずさ」の下諏訪通過の際に飛び込んで来たそれを仕留めることが出来た。 出来れば傍に寄ってみたいと思い、所用を済ませたあと時間を作って下諏訪に降り立った。ホーム先端に立つと、その先にあるのが見えた。近くに寄れるかも知れない。 駅を出て踏切を渡り線路に沿っ…

  • ED19 1号機

    飯田線伊那松島駅から徒歩10分ほどの、箕輪町郷土博物館敷地内に保存されているED19の1号機を訪ねて来た。昨年夏に訪れたものの、博物館の改修工事中で見学出来なかった同機である。 道路から敷地への階段を上がると、端正な姿の同機が柔らかな光線に包まれて迎えてくれた。 機関車も再整備されたのだろうか実に美しい姿だ。区名札の差し入れ口の脇には、お召し機関車を示す当日の担当乗務員の氏名札差し入れ口があった。 側面のプレート下には浜松工場での改造を示す銘板がある。 遠くに伊那の山並みを望み、今にも動き出しそうなED19だ。 曇り予報のこの日だったが、薄日が差してくれていた。そんな太陽を仰いでみると、あたか…

  • 岡谷の琺瑯

    中央線から飯田線への乗り換えで岡谷に降り立った。 毎度のことながら岡谷と言えばこの琺瑯だ。 上りホーム中ほどのコレ、上屋が改修工事中にもかかわらず未だ健在なのが嬉しい。 上諏訪発の豊橋行きが入線して来た。その入線するホームにも琺瑯があれば良かったのに・・・と空想する。「塩尻、松本、長野、飯田、豊橋 方面」なんちゃって。 琺瑯のある支柱には寒暖計もある。これも立派な昭和のアイテムだ。 (2024/10/16)

  • 電バス博物館

    孫を連れての二子玉川に所用があり、時間繋ぎに宮崎台の「電車とバスの博物館」にちょこっと寄ってみた。 この博物館がまだ高津駅高架下にあった頃、息子を連れて行って以来の30年ぶり。 ぺこちゃん200形が迎えてくれた。 ぺこちゃん自体に遭遇したことはないが、「連結2人のり」の表示は世田谷線で見た覚えがある。 丸みを帯びたこの車体に乗ってみたかったと思う。青蛙5000同様に車体裾をきゅっと絞ったスタイルは、当時の東急としての時代先取りだったのだろうか。 怪しげなレプリカ車体があり、鉄道雑誌を閲覧できる場所があった。「たばこ御断り」とのこと。 見たことの無い社紋は「目黒蒲田電鉄」とのこと。そしてこのレプ…

  • ’79 高松&下津井 -5-

    【1979/2/18】 朝、散歩がてら鷲羽山展望台に登り、瀬戸内の多島美を眺める。足元にある瀬戸内海を渡る大橋の完成予想図を見ながら、目の前の風景の数年後の変貌を想像。 展望台から鷲羽山駅への途中、山肌を進む下電をスナップ。 隣の琴海駅寄りに行ってみる。後方は競艇場。 少し角度を変えて海をたっぷりと 同じ列車を後追い。 鷲羽山駅から下津井駅へ行き構内をスナップ。 クハ24 モハ103 単行のモハ1001 検車庫にはモハ102他 前回訪問時には木造貨車などを目にしたが、今回は一掃されていたのが残念。駅の佇まいは変わらなかった。 それまでの曇天が晴天に回復したので、Ωカーブに足を延ばしてスナップし…

  • ’79 高松&下津井 -4-

    【1979/2/17】 高松運転所を辞して高松駅に戻る。高松に来たからには琴電にも顔を出さねばと思い、築港駅から瓦町に行ってみた。 120形が到着しホームが賑わう。 すぐさま平木行きで折り返す。 二つ扉の1032は元名鉄3700。いかにもの前面は名鉄時代の事故復旧改造とか。 八栗行きを掲げた300形 色は変われど京急スタイルそのままの33は元230形 八の字おでこの92と93も元京浜。 もっと眺めていたいところだが、琴電を辞して丸亀へと向かう。丸亀からはフェリーで下津井へと渡り、鷲羽山の宿に入った。 (つづく)

  • ’79 高松&下津井 -3-

    【1979/2/17】 高松駅に戻ると急に天気が回復してきたので、高松運転所を訪ねてみることにした。当直助役室を訪ねると、たいそう珍しがってくれてヘルメット着用での見学を許可下さった。 DF50 9 DF50 41 小ぶりのスノウプロウ装備 エアフィルターカバーのヨロイ戸と切り抜き文字が鈍く光る DF50 25 こちらはフィルターカバーが取り付けられていない。それは前配置の亀山区の特徴と後に知る。 DF50 59 これもフィルターカバーが取り付けられていない。 構内入換え作業中25号機と59号機が一瞬並んだ。元亀山区の僚友だ。 DF50 51 前面ナンバープレート周りの帯は前面補強の印。 構内…

  • ’79 高松&下津井 -2-

    【1979/2/17】 朝を迎えれば、通勤通学列車が高松へ向けて続々と上って来る中、特急や急行も動き出すオンパレードタイムの到来だ。それらを狙うべく多度津から折り返し、鬼無で下車したのは7時過ぎ。 1D 「しおかぜ1号」 日の出と共に宇和島行きキハ181が来た。列番はエースナンバーの1D。 170レ 編成の中程にDF50が組み込まれるという、一体これは何?という貨物列車が来た。これについては弊ブログ既出の記事を参照ください。 senrobata.hatenablog.com 122レ 阿波池田発高松行き 客車10両という堂々たる編成だ。 202D 「土佐2号」 急行型DCの最後部には、不釣り合…

  • ’79 高松&下津井 -1-

    【1979/2/17】 3度目の高松、今回も新幹線と新大阪からの急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いでの未明の高松入り。連絡船3便で着くと、4:07発の松山行121レが既に入線していた。 牽引機はDF50572。次位には真新しいマニ50。 121レの発車を見送ると、次の狙いの221レは1時間後。ホームの讃岐うどんで腹ごしらえし、発車を待つ急行「あしずり」の暖かい車内で待った。 高知行き221レは嬉しいことにDF50の1号機牽引で入線して来た。 1号機には前回に続いての再会。昼の順光下でないのが少々残念なところだが、新たな表情と割り切る。 発車のホームに移る。郵袋の積込作業が続いているようだ。機関…

  • 千葉乗り入れ塗装の復刻

    新京成シロートの自分が持つそのイメージは、「京成のお古の電車が走っていた」「前面2枚窓の電車でクリーム色の車体に茶色の帯」というだけ。 今回、そのクリーム色と茶色の帯が復活したというので、是非見てみたいと繰り出したのが線路沿い歩きのそもそもの理由。8808Fに施されたそれは「新京成線車両の京成千葉線乗り入れ編成」を示すものだそうだ。 運用状況を教えていただけるサイトさんを拝見すると、この日は松戸-京成津田沼をひたすら往復し、松戸口では2時間毎にやって来るようだったので追ってみた。 常盤平-八柱 松戸行き 八柱-常盤平 松戸からの折返し。 みのり台-松戸新田 2時間後のヤマの松戸行き 上本郷-松…

  • 新京成をスナップ

    2025年春の京成電鉄への吸収合併で社名消滅という新京成線。地域的に馴染もなくシロートの自分は、先月初めて乗り通したばかり。 走る電車の具体的な形式も未だ知らないので、そこで今回は沿線を歩きながらスナップしてみようと八柱駅に降り、常盤平のほうへ線路に沿う道を歩きながら来る列車にカメラを向けた。(まるで子供のように(笑)) 電車の車体がピンク色というのも斬新と思うが、白とのツートンが意外にいいなと。(先月までこのカラーリングすら知らなかった自分。(笑)) 少し歩を進めると緩いINカーブをN800が来た。このN838Fは登場時のカラーリングで復刻塗装しているそうだが、当然ながらそのことすら知らない…

  • EF57 7号機公開

    宇都宮の駅東公園にて保存会の皆さまの手により静態保存されている、EF57の7号機が一般公開されると聞いて出かけて来た。 普段は柵越しでしか眺めることが出来ないけれど、間近に寄ってのスナップは迫力十分。 敷地内がきれいに整備されたほか、ナンバープレートが磨き出しされていることに感動。 ゴーナナの魅力は「突き出たパンタ」に、前照灯とツララ切りという濠の深い顔だ。 そしてなんと言ってもググっと張り出すデッキだ。9月と言うのに未だ厳しい残暑の日々、雷都の異名を持つ宇都宮だが不意の雷雨は大丈夫だろうか。 八の字に開いたステップが旧型電機の特徴だったなと、F10や15等のあの姿を偲んだ。 (2024/9/…

  • 開業〇〇周年HM

    創業〇周年、開店〇周年等々おめでたい限り。 鉄道の開業〇周年も同様なのだが、110年、135年となると「そんなに刻まなくても」と思ったりもする。だって、イベント自体もそれほど盛り上がっているようでもないし・・・。と。そんなことを思っていたら、90周年というのも出てきた。 (2024/9/2 青梅線内) (2024/9/4 東急線東横線内にて 東上線直通車) 90周年と言いながら電化後の車両だけが載っているポスター。 デザインは社員の発案とか。 90周年は2パターン用意されていた。 (2024/10/3 八高線) なんだかんだと言いながらも、鉄ネタとしては嬉しいから、ついついカメラを向けてしまう…

  • 和田河原駅

    駅舎の入るこのビルは何だろうと降りてみた。 アーチ状に並んだアルファベットと緑色の漢字で書かれた駅名がなんともお洒落。1階は店舗でその上はマンションのように見えるが、薄茶の落ち着いた色合いは病院や介護施設のような佇まいに思えた。 歩を進めて駅前ロータリーに出てみる。壁面一杯に書かれた駅名に圧倒される。一体、このビルは何なのだろうと思う。 ここは島ホーム1本の交換可能駅。小田原方の先端は見通しが良かった。色褪せた看板の美容室が目に止まる。 (2024/8/27) ここは降りたことの無い駅だと思っていたら、そんなことは無かった。 古いネガには、美容室の看板も店名がくっきりと写っていた。 駅舎はこじ…

  • 大雄山駅

    終点の大雄山に来てみると急な雨模様。 三角屋根の駅舎は昔のままだった。駅舎脇には「市登録有形文化財」の碑が立っている。 以前は、この駅舎前から道了尊行きのバスが出ていたと記憶していたが、少し離れた場所にターミナルが出来ていて、そこから発車しているようだった。 改札口は自動化されているものの、木造駅舎の風情そままに色濃く残してくれている。 12時過ぎ、所在なく改札脇のベンチで過ごしていたら時報のようなメロディーが流れて来た。それは列車の発車を知らせるもののようだった。メロディーが終わると同時に、改札口の駅員氏が列車車掌氏に向かって「乗客無しの旨」を合図した。 オリジナルカラーの青のほか、イエロー…

  • 大雄山線五百羅漢駅

    久しぶりに大雄山線に乗り五百羅漢駅に降りた。この駅に降りるのは初めてと思う。というのも「アレ」を見つけたよと、途中下車さんに教えられてのこと。 駅の近くには、その名の通りの五百羅漢寺がある。 これまで何度か乗っている大雄山線だが、未だにコレが残っていることを気付いて来なかった。「小田原方面のりば」とあるが、向こうに見える小田原へと向かう電車への乗場案内では決して無い。(笑) 若干の錆と汚れが、これまで耐えて来た風雪の時を偲ばせる。 かつては17m国電の生き残りが大活躍し、目を楽しませてくれていたが、今はご覧のとおりのカラフルで軽快な銀色電車の舞台となっている。そんな中でのあの時代を伝える生き証…

  • 新京成と北総線の相互乗入れの頃

    自分にとって馴染みの薄い新京成線、今回乗ったのも2度目の話。前回乗ったのは1979年3月のことだ。 1979年3月9日 北総開発鉄道が小室~北初富間で開業し、北初富から新京成線を経て松戸まで乗り入れを開始した。 その様子を見てみようと松戸から新京成車に乗って小室に着いた。「小室」の方向版を纏う新京成車。 反対側には「北初富」を掲げた新京成車。新京成車に依る北総線内折り返しの運用もあったようだ。 次に到着したのは北総車。「ゲンコツ電車」とも呼ばれた7000形だ。到着後直ぐに「松戸」の方向幕となった。これに乗って松戸に戻ることとする。赤茶けた土が露出する一面の造成地と、そこを真っ直ぐに伸びる高規格…

  • 新津田沼駅

    大型スーパー(本年9月末閉店)が駅ビルになっている新津田沼駅。堂々たる構えだ。 松戸方面行きホームに「0キロ」ポストが鎮座していた。ということは、この駅が起点で松戸方、京成津田沼方へと路線が延びているということか。 新津田沼~京成津田沼間は単線になっており、交換待ちで上下の電車が並ぶ。 方向幕の「京成線直通」の文字もいずれ消えるのだろうか。 改札内のホームへ降りる階段の脇にコレが残っていた。(コレってふつう改札外にあるんじゃなかったっけ・・・) ここ新津田沼駅の前後は急カーブとなっており、空から見れば大きなSカーブに見えるはずの線形だ。松戸方からは左カーブでホームに進入し、右カーブで京成津田沼…

  • 陸軍「鉄道連隊」跡

    かつての鉄道連隊の線路跡地の多くの部分が、新京成線となっているのはご存じの通り。 八柱駅の近くに「陸軍」と記された石標があった。鉄道連隊の用地境界を示すものだ。 その2文字が戦後80年の風雪に耐えていた。 鉄道連隊の蒸気機関車が新津田沼駅近くの公園に保存されている。 かつてはユネスコ村にて保存されていたとの説明。 小型ながらも5つの動輪を持つ機関車とは、それなりの力持ちだったのか。 公園の脇は新津田沼駅と一体になった大型スーパー(本年9月末閉店)だけれども、その土地そのものが鉄道連隊の敷地だったとのこと。 (2024/8/21)

  • 「新京成」の名

    京成電鉄の子会社である「新京成電鉄」が、2025年4月1日を以て京成電鉄に吸収合併されるという。電鉄会社名がひとつ消滅するというのも寂しいものがある。 「新京成」の文字を追ってみた。 松戸駅のJRから新京成への乗り換え改札。「新京成線のりば」 新津田沼駅「新京成電車のりば」 北習志野駅「新京成線」 電車のロゴ「shin-kei-sei」 (2024/8/21) これらは会社名の消滅とともに消えるのでしょうね。併せて企業イメージカラーのピンク色も消えるようです。因みに「新京成」を冠するバス事業などのグループ会社でもその名が消えるとのこと。 (2024/9/26) (2024/9/26 常盤平駅前…

  • 夢空間を清瀬市へ移設とか

    先般、武蔵野線新三郷駅前の大型商業施設にて保存展示されている、夢空間の2両を清瀬市が譲受し市内にて保存して行くとのアナウンスがあった。単なる移設ではなく、しっかりと補修の上保存と展示をして行くべく、活用方策を検討しているようなので期待が持てる。 ひとまず現在の状態を知りたく思い、8月の或る日に新三郷へ出かけてみた。 駅からペデストリアンデッキを進むと「ラウンジカー」(オハフ25 901)が見える。 商業施設側はレストランの屋外デッキに接しているが、こちらの道路側は植栽に覆われており、柵への接近は不可能。妻面には「国鉄フォント」が残っているのが嬉しい。 車輛の形式番号はこちらの車端部にあるのだが…

  • 中央線サロE233 初乗り

    10月13日(日)運行初日の朝、ネット情報を拝見すると午前中には早速青梅まで入線するようなので、いそいそと見物することに。 ついにこの日が来たか!12両編成の表示。 ホームにはグリーン車乗車口の案内。2階建て車両が入って来た。 青梅線をダブルデッカーで旅するのは初めて。馴染のホームを初めてのアングルで仰ぎ見る。 運用開始を知らせるチラシが各席に置かれていた。この0番台の特徴の両開き扉がよく判る。運よく空席に座れたのは1階席台車部の近くだったが、乗り心地は極めてなめらか快適だった。 終着駅での折り返しはどうなるかと観ていたが、座席の一斉転換は無く乗客自らの手作業だった。2階席から座席は埋まり1階…

  • 中央線サロE233 公開

    当初の計画発表では既に営業運転しているはずだったが、社会情勢の変化で車両製造が滞ってしまい、今般ようやく出そろったらしい中央線0番台用のサロE233。そのお披露目会が、この夏に立川駅2番線ホームで行われた。 しかしながら、これまで日中の試運転で何度か目にしており、ワクワク感は今ひとつだった。 車内への立ち入り見学には、「モバイルSUICAで〇〇〇円以上の買い物をしろ」とか不可解な条件を示されたので、爺さんは応ずることなく外観のみで済ませた。(笑) 233系グリーン車としては既に3000番台が湘南新宿ラインや東海道線等で活躍しており、基本の0番台が後からデビューするというのもこれまでの流れからす…

  • 大曲駅

    前夜、秋田竿灯まつりを鑑賞しその夜に投宿したのは大曲の駅前だった。翌朝も出発が遅めだったので、駅に出向いてスナップしてみた。 2011年にも法事で訪れている大曲駅だが、その時は列車をスナップする時間は無かった。 東京駅で眺める時は特段なんとも思わない「こまち」だが、ここではロングノーズがカッコ良く見えたし、ホームドアを気にせずにゆったりスナップ出来るのも嬉しい。 秋田新幹線は大曲ではスイッチバックするので、進入時と発車時に2度、この出発信号機脇を通る。そんな在来線然とした光景を見ているとやはり「アナゴ新幹線」だよなと実感する。 「こまち」をスナップしていると院内行き701系の普通列車が到着した…

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