多摩湖線の桜はどうだろうかと訪れたのは八坂。駅前から線路に沿う遊歩道を武蔵大和方向へと歩を進めてみた。 駐輪場脇には見事な枝ぶりの2本。 青と赤と黄色2本の4編成が行ったり来たり、飽きることなくファインダーを楽しませてくれる。 青は色が濃いためか晴天下では色再現が難しい。 築堤上を多摩湖線が行き交うこの場所だが、近くの踏切からは警報音が聞こえてくる。ここは国分寺線と多摩湖線の交差部分でもある。 (2025/4/5)
多摩湖線の桜はどうだろうかと訪れたのは八坂。駅前から線路に沿う遊歩道を武蔵大和方向へと歩を進めてみた。 駐輪場脇には見事な枝ぶりの2本。 青と赤と黄色2本の4編成が行ったり来たり、飽きることなくファインダーを楽しませてくれる。 青は色が濃いためか晴天下では色再現が難しい。 築堤上を多摩湖線が行き交うこの場所だが、近くの踏切からは警報音が聞こえてくる。ここは国分寺線と多摩湖線の交差部分でもある。 (2025/4/5)
同じ日、武蔵砂川でテンションを上げて武蔵関へと転戦。 石神井川を挟んで線路に平行する道を進む。近年、枝打ちさせる古木が多い中、ここでは見事に枝を張っているのが嬉しい。 ここでまた旧2000に出会えた。 特急としての存続が危ぶまれる噂の中、ひときわ盛大なモーター音を奏でながら通過。 線路から少し離れるため見通しの悪い場所だが、2000の接近はそのモーター音の違いで新性能車とは明らかに判別できる。 たわわに実った果実のようなボリュウムの桜の枝の隙間から2000の顔が覗く。 ここでもまたヨコ位置かタテ位置かとアングルに迷ってしまった。 (2025/4/4)
2025年の桜、3月中に開花するも冷え込む日々が続き満開まで時間を要した。その満開状態も冷え込む日々が続いたことや大雨に見舞われることも無く、長く持ちこたえてくれたように思う。その間の好天の日を待ってあちこちに出撃。まずは、西武線へと桜鉄に繰り出し、西武立川~武蔵砂川間の残堀(ざんぼり)川に桜を見つけて下車。 川幅はさほど広くなく、両岸から迫り出した枝も重なり合いそう。通過する電車の顔をほんの一瞬見ることが出来た。桜は若干まだ早めのようだった。 張り出した枝の隙間から2000系が顔をのぞかせてくれる。 桜のボリュウムを少しでも多く取り入れたくアングルを考える。そこに来たのは旧2000だった。 …
3月に入ってすぐの日、中央線にE655系「なごみ」を使用した団臨が走るというので、いつもの多摩川で待ち構えた。 青空の下E353系で練習。 ところどころに浮かぶ雲。春だなぁ、グリーン車の無料開放期間もあと僅かだよなと見上げる。 待つこと暫し、お目当てが姿を現す頃、それまでの青空が薄雲に覆われてしまった。 そのフォルムと色艶が、いわゆるあの「G君」を連想させる被写体をなんとか「らしくない」ように撮ってみたいと思うのだが・・・。 おおっ、正方形の小窓が並んでるじゃないか。これってスハ33,スハフ32の再来か?(笑) さて撤収と腰を上げると上り線側の土手に御同業が結集していた。何か来るのか?でもこの…
武蔵白石でのカットに小麦輸送のホキ2200?が写っている。鶴見線内で小麦というと大川にある製粉会社だろうか。 (1983/5/4) 大川駅の突き当りに製粉工場の企業名を記した巨大なサイロが見える。港に陸揚げされた原料の小麦粉や配合飼料を一旦はこのサイロに留め、のちにホキに積み替えて国内の製粉工場へと送り出していたとのこと。(参考:鶴見線貨物回顧 RMLIBRARY 2009/12 刊) (1984/12/23) 大川支線は電化されているものの、この大川駅構内は架線が無い。DD13の牽引で工場内との受け渡しを行っていたようだ。 (1983/5/4) 安善駅構内に休むロクヨン一般形。その仕業は中央…
浜川崎駅の南武線側の頭上を高架線が横切っている。その姿は特に歴史的構造物という趣のものではないが、各所に錆が浮くなど長年放置されていることが判る。 その高架線は鶴見線に沿うように進み、右カーブを切って武蔵白石の手前で地上に降りる。その高架線がまだ稼働していた頃、そのあたりで偶々スナップしていたことがある。 699レ それは塩浜操から尻手支線へと向かうルートから分岐し、鶴見線安善へと向かうものだった。(いつの間にか出来、いつのまにか休止?廃線?となった印象。※) 左側2線は鶴見線の上下線。 武蔵白石を発車し浜川崎へ向かう鶴見線下り。左端の線路が武蔵白石駅をかすめて安善駅構内に進入する貨物線。中ほ…
過日訪れた渡田踏切、初めて出かけたのは尻手支線(南武線浜川崎支線)にまだ17m国電が居た頃だった。 踏切を渡った先から浜川崎駅を望むことが出来たが、線路を跨ぐ産業道路の道路橋が重くのしかかって見えた。 尻手へと発車して行く列車を見送る。撮影場所を探すも線路に近づけるのは踏切しかなく、工場地帯を走る区間故に殺伐とした沿線風景だった。 (2枚とも1975/6/9) 5186レ 浜川崎駅をかすめ構内へと入って行くED161牽引の奥多摩発石灰石輸送列車。青梅線、南武線、尻手支線を直通して来たところだ。(上部に架かるのは産業道路と首都高) (1977/4/3) 一度だけ浜川崎構内を見渡す道路橋に立ったこ…
渡田踏切を撤収し、昼下がりの鶴見線浜川崎駅ホームへ。 次の列車までまだ暫く時間があるので、のんびり過ごしていると鶴見方から不意に列車の接近する音が聞こえて来た。 ホームの到着案内放送も無い中、そこに顔を出したのは青一色のHYBARIだった。驚いた。そう、昨年2月にお披露目の水素ハイブリッド車両だ。1年経ってようやく逢えた。電車はほんの一瞬停車した後、スーっと発車して行った。 さていつごろ戻って来るだろうかと気を揉んでいると、程なくして現れた。どうやら扇町までは行かずにこの先の構内で折り返して来たようだった。こちらも静かに停車して静かに発車して行った。 後続の列車で鶴見に着くと3番線に停まってお…
40余年ぶりに訪れた小倉跨線橋でスナップした「PF」と「サメ」、3月のダイヤ改正を間近に控え最後にもう一度目にしておこうと2月末に出かけた。 その「PF」と「サメ」牽引のスジはそれぞれ新鶴見から尻手短絡線、尻手支線を通って「PF」は川崎貨物へ「サメ」は東京ターミナルへ向かうので、浜川崎の渡田踏切でスナップすることにした。 72レ 遊び半分で側面を追ってみた。シチ・サン角度とは一味違うスマートさが見えた。 8460レ ここに立つのは何年ぶりだろうか。古い写真を探してみた。 (1978/10/22) この年の夏にブルトレ牽引をPFに譲ったPが、貨物を牽く姿に哀れさを感じたことを覚えている。当時とは…
数日前の撮影フィルムを早く現像に出したい、でもまだコマが残っている。そんな時「ならば近場で、何でもいいから撮ってフィルムを消化しよう」と、そんな穴埋めの目的で新鶴見に出掛けたこともある。 前袋にふらりと出かけると、急にロクロクが迫ってきた。レンズを変える間も無くテキトーに望遠のままでスナップ。そんな「ボツ」カットのこの写真、改めて見返すと奥の建物は前袋信号扱所と読めた、また背後に写り込むのは国鉄の変電所だろうか。ということで今回採用。(笑) EF12というと高二区にあって、両毛線や吾妻線での活躍を思い浮かべるが、灯台元暗し新鶴見にもいたようだ。 (ともに1974/9/23) 暫く後の学生時代に…
「新鶴見に行けばたくさんの機関車を見ることが出来る」そう思って、中学生の頃自宅から自転車で何度か出かけたことがある。しかし行ってはみたものの、写真を撮れる場所を見つけられずにいて、ほぼサイクリングしただけに終ることがほとんどだった。 前袋の先の第二京浜国道ガード下でPFに出会った。後方には高島貨物線のD51重連が居る。 そのD51重連が発車してきた。タイミングが早すぎるカットだが、当時の前袋踏切の様子が判る。のちの横須賀線工事はまだ始まっていなかった。 (ともに1970/5/31) 東京駅発最後の蒸気機関車が発車するイベントの日、横浜港発の復路は新鶴見経由だった。そんな貨物線を行く姿をなんとか…
当日は弁当持参で、顧問の先生がどこかの駅弁を持参していたのを妙に覚えている。ということで、当日は午前から午後まで長時間お邪魔していたようだ。 「あっ、ロクロクだ!」と誰かが(知ったかぶりして)言った。「ロクロクの中、見ますか?」と先導役の職員さんから、なんとも嬉しいご提案を頂く。その時の、部内用語としての正調「ロクロク」で応えてくれたことが嬉しかったのを覚えている。 運転台に上がると、「前面窓ガラスは曇り止めのため、熱線入りのガラスになっています。ほら。」と、波型のニクロム線を示しながら教えてくれた。 コート姿が顧問の先生、学生服が自分たち、白い上着の二人連れは同時刻に見学に来ていた方とのこと…
さらに遠く遡って中学生のころ(1970年)の話、学校では文系クラブに所属していた。そのクラブ活動の一環として新鶴見機関区を見学させていただいたことがある。「クラブ活動として、どこか会社などの見学したいところは無いか」との顧問の先生の問いに、当時から既に線路端に繰り出し横浜機関区にも出かけていたテツな悪ガキ仲間で、調子に乗って「新鶴見に行きたい!」と申し出たことで決まってしまったのだった。 その日は広い会議室のような部屋で説明を受けた。多分業務概要のような話だったと思う。ほとんど記憶にないものの、機関車と乗務員の運用範囲は一致しなく、機関車は広範囲に動き遠く〇〇まで行くが乗務員は東海道では〇〇ま…
江ヶ崎跨線橋で見た荷物列車のその後が気になり、前袋に行ってみた。 入換え作業中のEF65Pがいた。かつてブルトレ牽引という花形の座を務めていたP形が地味な貨物仕業に居るとは、人生の悲哀にも似たものと映る。 短い編成の荷物列車が発車して来た。先ほど見たものと同一の編成に思える。機関車番号は同じく見送った重単2033レの次位機の番号だ。これで流れが読めた。 日を改めて出向く。 ここまで牽引してきたカマが切り離されて江ヶ崎方向へと帰って行く。後方には残されたパレット車が見える。 後方に次位機を残し単2033レの本務機(宮)が単機となって発車。前面窓がキラリと光る。画面右奥にパレット車。 単2033レ…
横須賀線に沿う線路をスニやマニで組成された僅か4両ほどの荷物列車が来た。 このカマは機番からみて宇都宮のカマだ。 やけに短いな、どこから来てどこに行くのだろうと、訝りながら後ろ姿を追う。 荷物列車に続行するようにゴハチの重単が来た。これは品川の昼下がりの主役、重単2033レと推定出来る。 操車場という貨物輸送の拠点に姿を見せた旅客機。場違いのようでもあり、貨物機に無い流麗な姿がより際立つようにも見えた。 暫くすると、あの荷物列車の牽引機が戻って来た。4両の編成はどうしたのだろうか。 旅客機の向こうに連なるのは客車群ならぬ貨車群、という面白い絵になった。 (1983/11/26、1983/12/…
小倉跨線橋から江ヶ崎跨線橋へと移動する。 操車場に沿った道を行くと注意書き。 「よいこ」だけでなく「お兄さん」も「オジサン」もね。(笑) 小倉跨線橋から遠目にした特徴あるトラスの傍らに辿り着いた。 向こうに望むコンクリート橋は、先ほど立っていた小倉跨線橋。小休止なのだろうかDE11の1号機が佇んでいた。 立ち位置を変えてみた。左の白い建物は事務室(詰め所)なのだろうか。 跨線橋の目の前にポイント操作の詰め所があった。事故防止のための標準作業の励行を謳っているのだろうか、「モデル入換〇〇〇列車」の掲示が現場作業の空気を醸し出す。 南側に目をやると、広大な線路敷に貨車の姿が全く見えない。もう既に機…
この2月に立った小倉跨線橋は40余年ぶりのことだった。59.2ダイヤ改正で新鶴見操車場がその役割を終えると聞き、最後の姿を目に焼き付けようと通って以来のことだ。あの頃の面影がすっかり消え失せた跨線橋からの眺めを見ながら、遠い日の情景に思いを馳せた。 小倉跨線橋から北側の鹿島田方向を望む。 画面中央の建屋の奥にDLが見え、そのDLの手前に僅かばかりの勾配がかかる部分(ハンプ)がある。その傾斜部からこちら側へと巨大なフォーク、巨大な鋤の葉のように広がる線路(ヤード)に貨車を転がし方面別に振り分け組成する、まさに操車場の肝の部分だ。 南側の江ヶ崎跨線橋方向を望む。 あと2か月ほどで役目を終えようとし…
西武鉄道のイベント告知で2000系による「チョコバナナ編成の復活」を知ったのは1月末。玉川上水車両基地での撮影会ののち、当該編成に乗り込み小川まで往復するとあったので、沿線での撮影が可能だなと期待してこの日を待っていた。 車両基地から駅への移動を見送り、程なく折り返し発車してくるだろうと待つも一向に来ない。どうやら拝島まで行って折返して来たようだった。折角の前パンが頭だったが、背景に埋もれさせてしまったのが失敗。 迫るチョコバナナ色を眼前で捉える。 東大和市駅寄りに移動して小川からの返しを捉えた。 急ぎ車両基地脇に移動すると、そろりそろりと基地内に入庫する姿に立ち会えた。 (2025/2/23…
玉川上水から東大和市に移動、そろそろ帰り支度と思いながらも上りホームから下り列車を見送る。 ホームを抜け玉川上水へのカーブを進むその後ろ姿がキラリと光った。どうやら西の空の雲が切れはじめ夕日が差し込んで来たようだ。これは思いがけないプレゼントになりそう、と期待する。 キラキラと光る先から上り2000系が入線して来た。ホーム上屋の連なる照明と点字ブロックそしてレール、これらが放射状に広がってみえた。 次も2000の続行かと思ったら9000の回送だった。右にカーブを切る後ろ姿を追う。前面化粧板がキラリと光ってくれた。その輝きがレールをも照らす。 拝島に戻ると既に夕日は奥多摩の山々に沈んだよう。その…
西武拝島線内の玉川上水~小平間の往復運用の途中で、玉川上水車両基地に一旦引き上げ休憩、約50分後に再び小平への往復をこなす運用があるのを知った。 その運用の拝島方に2417Fが連結されているのを知った日、上水で待ち受けた。 車両基地に引き上げ休む姿を公道から眺めることが出来た。 (1977/3/6 南入曽) これは48年前の新製直後、鉄道友の会の見学会でのスナップ。同じようなアングルで撮ったことを思い出す。 その時も思った。方向幕の形状や後退する前面窓はEH10や101系103系を思わせ、どことなく国鉄臭が漂うなと。と同時に西武鉄道初の4ツ扉車ということで、この先西武電車の大変革に繋がるのかも…
今回秩父鉄道に出掛けたのは、この4月に秩父鉄道に旧型客車が戻って来たからだ。25年ぶりとのことだったが、あの頃の思い出に浸ってみようと思った。 (長瀞-上長瀞) 「桜の下を行く旧客」というベタな意図を持って、初日(4/13)は上長瀞へと行ってみたものの、お決まりアングルのポジションは既に満席。こんな天邪鬼カットで結了とした。 (和同黒谷) この日の機関車にはHMが付かず、爺さん好みの「ザ、国鉄」だったが上長瀞では気付かずにいて、午後のこの時に判った(というお粗末)。薄い煙でもたなびいてくれれば最高なのだが(笑)。 (和同黒谷) 上りの最後尾はスハフ42。旧客のデッキ部をこうして拝めるのも貴重だ…
何年振りだろうか、ちょっと思い出せないくらい久しぶりに浦山口に降りてみた。 駅はまさに桜に囲まれている。 ホームの眼下にピンク色の綺麗な木が目に入り、坂を下って行ってみた。 大きな木一本と民家に挟まれたピンクの木、列車をどこに収めるか悩みどころだ。 ホームに戻る。下り電車を終いの桜が出迎えてくれた。 (2024/4/14)
確か駅周辺に桜があったはずと、昔の記憶を頼りに来てみた・・・。 駅舎脇の枝垂れ桜が見事だった。 その先の線路脇は既に手遅れ。踏切脇の一本が辛うじて・・・。 黄色いレンギョウ(?)越しに真新しい駅名標。 ホームから駅舎を振り返れば「線路横断注意!」 (2024/4/13) 1週間後、春の装いの移ろいは目を見張るばかり。 駅名標は赤い額に収まっていた。 ホームを囲む木々が鮮やかな新緑に染まり始めていた。 (2024/4/21)
かつて秩父鉄道の桜撮影の名所と言われた上長瀞。数年前に多くの伐採が行われ寂しくなっていると知りつつ出かけてみた。 駅前ロータリー周辺は見事な満開の桜が出迎えてくれた。 長瀞方の踏切を渡った先、数本の桜が残っているだけと寂しい限りだが、それでも多くの御同業が陣を張られていた。「取り敢えず桜と絡められればいいや!」と、本来取るべき立ち位置から一歩も二歩も下がり、かつ後方からの砲列の邪魔にならぬようなアングルで1枚。 その場所で踵を返すと、完全逆光下だけれど降り注ぐような枝ぶりとなっており、むしろコレのほうが気に入った。 (2024/4/13)
御存知、西武の4000系は秩父鉄道への乗り入れを目的に開発された車両。現在は飯能から長瀞・三峰口間で運用されているが、以前には池袋発着で野上や寄居までの運用もあったように記憶している。 秩父鉄道への渡り線を行く長瀞行き(左)。同時刻の西武秩父駅には飯能行き(中)と三峰口行き(右)が発車待ちしており、3本の4000系が顔を合わせる瞬間だ。なお、三峰口行きの編成は長瀞行きとは横瀬まで編成を組んで来て、横瀬で分割され先発して来たもの。 秩父鉄道線内に入ると「急行」となるが、秩父鉄道線内の急行料金は不要。 (皆野駅踏切より) 長瀞からの折返しは「各停、御花畑」行きとなる。この日、皆野駅では「さくら」の…
前週にここを通過した際に車窓から見えた桜の状況からすると、「来週こそは見頃!」と思われて来てみたのだが、満開までもう一息の状況だった。この一週間の気温が低かったのだろうか。 牛久からの観光急行を定番の位置でスナップするが、相変わらずの小雨の天候故に空も桜も白く一体化してしまった。 折返しの観光急行は角度を変えてのスナップ。菜の花と桜の水鏡がきれいだ。 桜と首都圏色だけを切り取れば、ここがどこだかは判らない。秋田かも。(笑) 桜と菜の花とツートンカラー。この色の取り合わせは絶妙と思う。 (2024/4/6)
菜の花畑で有名な養老渓谷~上総大久保間の通称「石神の菜の花畑」に初めて行ってみた。駅からアップダウンの道を歩くこと10数分。皮肉なことに着いた途端に小雨が降り出して来た。 五井から乗って来た列車の上総中野からの折返しを撮る。 続いてキハ40の観光急行が来た。先週と同じ首都圏色だったが、HMが「かずさ」に代わっていた。 上総中野からの折返し観光急行が来た。直前から雨脚が強くなり、遠くの山々に霞が掛かる。 ところでここの菜の花畑は線路に沿って一面に広がっている様子を写真で見た記憶があるが、今年はこじんまりとしか見えない。近くにいらした方に聞けば、年ごとに様子が異なり昨年は全く無かったとか。いずれに…
先週に続いて再び小湊鉄道五井駅に降り立った。 到着した上り列車は単行だった。先週は2両で到着し五井方に1両増結しての折返しとなったが、きょうは下り3両編成が既に隣ホームに据え付けられており、この単行はこのあと入庫となるようだ。日によって違うとは、随分とフレキシブルな運用だなと感心する。 今まで全く気に留めてなかったのだが、入線して来た車両のコレに目が行ってしまった。 昭和の時代の車両そのものの折り畳み式「尾灯標識灯」だ。入線している同形の車両には折り畳み円盤が付いていないものもあるが、ゴツイ感じがカッコ良くも見える。良く見ると内側の縁取りは白色のようだ。コレを開いた状態を見てみたい。 (202…
月崎からひと駅となりの上総大久保駅に降りた。 先ほど乗って来た下りの折返しとなる上り列車が到着する。春の行楽シーズンということなのか3両編成だ。 月崎寄りの大きくカーブする築堤に移動。まずは下り観光急行を待つ。以前にここを訪れた時は6月で、下草が伸びていて足回りが隠れてしまっていたことを思い出す。 上総中野から観光急行が折り返して来た。小さな切通しの先は萱の群落が築堤を覆っている。 駅近くに戻り下り列車を待つ。半逆光ではあるものの、人工物の映り込まない風景が美しい。 列車が駅に停車。最後部はホームにかからずドアカットだ。程なくして発車した3両編成を辛うじてファインダーに収めることが出来た。 (…
月崎に降りてみた。構内には桜の木が多くあるが未だ蕾の状態。 五井から乗って来た列車が中野から折り返し、上り列車として到着した。最後尾は外板がピカピカのキハ201だ。 上総大久保寄りに少し歩いてみると小さなトンネルがあった。下り観光急行が顔を出す瞬間を待ってみた。 駅に戻ると、折り返しの上り観光急行が菜の花の向こうから顔を出した。 きれいに整備された駅舎と洒落た駅名標。 下り列車が到着。これに乗って先に進むとする。 (2024/3/31)
久しぶりに小湊鉄道に出掛けてみた。 夏の豪雨災害で一部運休が続いていたが、ようやく復旧したものの、目玉のトロッコ列車は車両整備のために運休となっている。しかし、その代わりにキハ40を使った観光急行を走らせているというので、自分としてはむしろこの方が嬉しく思った。 養老渓谷発の列車が到着し、折り返し上総中野行きとなる。乗務して来た車掌さんが方向板を裏返す。 未だにホーローの方向板が生きていることが嬉しいし、車両番号と社名標記が切り抜き文字であることが尚も嬉しい。 ドアステップの段差と足元を照らす小さなライト。昭和の車両そのものだ。 ステップには昭和の時代の見慣れた細工が施されている。 (2024…
駅の脇に踏切があり、その先に商店街が続く。 或る意味で東京の都心から少し離れた下町の風景かも知れぬ。 そんな昭和の風景が再開発で消えようとしているらしい。 京王線下高井戸の駅前にはその名もずばり「下高井戸駅前市場」がある。 アーケードの屋根に囲われた一角に商店がひしめき合い、賑わっていたようだが3月末を以て長い歴史に幕が落とされた。 駅を降りれば買い物客のざわめきと、惣菜店から揚げ物の匂いが漂って来そうな情景も過去のものになってしまった。 (2024/3/29)
2023年は真岡鉄道のC1266が製造90周年ということで、その記念企画として形式入りプレートを期間限定で装着していた。そのうちに行ってみようと思っていたのだが機会が無く、その最終日に辛うじて出かけてきた。 C11325が居た時は控え選手的だったが今は主役。90歳とも思えない元気な姿だ。 中高生の頃、大ぶりな会式入りプレートに憧れたものだったが、身近に見る機会は少なく、佐倉のC5759と小諸で見た糸魚川のC56125くらいだったなぁ。(と、遠い目) プレートは前面だけでなく、側面も背面にも装着されていた。 今回の企画のために新調したという形式入りプレート。細身のボイラのC12では煙室扉からはみ…
その先月に訪れた洗馬駅。ロクヨン重連が2番線に入線するので、駅舎と絡めたカットをもう一度撮りたいと思った。そしてその少し長い停車時間の間に駅の先に回って発車を撮ることも出来るので、そんなスジが3月のダイヤ改正でも残るのか気掛かりなので再訪した。 8084レの入線を駅本屋を意識してスナップ。 20分弱の停車時間となるのでアングルを探してみた。光線は順光なのだが線路端の木の枝が・・・。 午後の8872レも駅舎絡みを午前とは別アングルで目論んでいた。ところが想定の画角内にタッチの差で先客が立ち入ってしまい、代案を考える間もなく入線となってしまった。 8872レの停車は10分程度、特急「しなの」の退避…
2月の訪問からひと月後、3月のダイヤ改正を控えてその去就が気になるロクヨンをもう一度見ておこうと南松本に降りた。 既に8084レが発車を待っていた。その傍らにはEH200。 ロクヨンとEH200が並んで発車を待つ間、松本行きの普電や特急列車が通り抜けて行く。 EH200が一足早く発車。 午前に発車する8024レに続き午後に発車する8872レ。日中時間帯に2本のロクヨンが見られるのも最後かもと、8872レの機関車据え付けの様子を眺める。 (2024/3/14)
久しぶりに銚子電鉄の笠上黒生駅に降りてみた。 駅舎の佇まいは変わらないが、心なしか外観がきれいになってように見えた。駐輪場脇には大きく駅名が記されている。 駅の西側には引込線が今も残っていたが、もはや廃墟の佇まい。確か2009年当時、伊予鉄から来た823+853の編成が、伊予鉄の姿そのままに留置されていたのを思い出す。 ホームの脇には役目を終えた信号梃子が保存展示されている。 通票、通券確認。「ヨンカク!」。ま新しい標識が掲げられていた。そう今なおタブレット授受が現存している。 (2024/3/10)
今年3月、銚子電鉄の2001+2501の編成が引退した。電鉄から最後のお名残運転予定の告知があり、久しぶりに出かけて来た。考えてみると導入時の緑色時代に会って以来であり、これがお別れとなった。 銚子電鉄と言えばやはり君が浜。あの4種踏切でスナップ。 そしてやはりキャベツ畑を行く様子。 2001は湘南顔、国鉄70系や80系を彷彿させるその顔立ちと金太郎塗りだ。笠上黒生の構内踏切からスナップしてみた。 湘南顔の運転席は広々とし視界も良さそうだ。緑のトンネルをくぐるのも、もうオシマイ。 仲ノ町には後輩の元南海2200が美しく整備され、今か今かとデビューを待っていた。 ところで今回の2001編成引退と…
さきの能登半島地震で大きな被害を受けた「のと鉄道」の復興支援ということで、いすみ鉄道のキハ28に急行「能登路」のHMを掲げた撮影会が3月に行われた。 急行「能登路」のHMを下げDMH-17エンジンのアイドリング音を響かせるキハ28と、同じく「能登路」を掲げたキハ52のツーショット。この日のメインイベントだ。 こちらキハ52も疲れが見えているようだが、能登路のHMも凛々しく急行仕業に就いていた。この3月改正では急行列車自体が廃止され、キハ52も臨時運用のみとなってしまったのが寂しい。(「52」を「28」を導入し、様々な施策を展開して行ったあの時の熱量は今いずこ・・・。) 撮影会では様々なHMが取…
しなの鉄道坂城駅に行って来た。 木造駅舎が健在ではあるものの、新建材で改築された様子が窺える。アルミサッシの白さが目立ってしまっている。 駅名標の看板は2つ。 この駅にはオイルターミナルがあり、JR貨物のオイルタンカー列車が乗り入れて来る。構内の入換え作業用のL字型DLが待機していた。 構内側線には169系3連が保存されており、本線を行く列車とのツーショットも可能。 この169系S51編成(クモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27)は2013年に引退し、その年からここに安住の地を得ているとのこと。軽井沢方の先頭車クハ169-1は大型ヘッドライトのままでもあるのが嬉しい。 盆地を囲む山…
3月のダイヤ改正で中央線篠ノ井線経由の高尾発長野行きが消え、大月発に姿を変えた。高尾駅の発車案内から長野の文字が消える前にとスナップしてみた。 中央線下りの発車案内に長野、大月、小淵沢と続く。大月行き10両は233系だ。 オレンジラインの233系が見える駅の発車案内に長野の文字。 4番線長野行きのあとには回送(松本発高尾行きの到着)を挟んで東京行きが発車する。同じホームの発車案内に長野と東京の文字が並ぶのも見納め。 高尾駅の駅名標に送られて長野の幕が去っていく。 (2024/2/27)