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  • 洗馬にて

    南松本発の上り貨物列車(8872レ)を待ち受ける。 本屋から張り出した屋根が気になり、敢えてここで待ち受けた。列車は特急「しなの」の退避のため、2番線に進入して来たのだった。 機関車の停止位置は中津川方のずっと先だった。追いかけて行ってスナップする。 「しなの」が本線を高速で通過した数分後、原色のロクヨン重連が木曽谷に向けて発車して行った。 (2024/2/13)

  • 洗馬駅

    昨年夏、宮ノ越駅の訪問時にここ洗馬駅もと考えたが、普通列車の本数の少ない中央西線では掛け持ち出来なかった。 今や貴重な木造駅舎。玄関扉や窓は残念ながらサッシ化されているものの、無粋なアルミ地色枠でないのが嬉しい。 出札窓口や小荷物受付窓口は壁で塞がれていたが、僅かにカウンターだけが残されており、優雅な支柱が残っていた。 ホーム上屋を複雑に組まれた柱が支えている。良く見ると、寺社でみるような優美な木組みがされていた。 本屋に続いて優美な屋根が張り出している。駐輪場化しているが、そもそもは小荷物置場でもあったのだろうか。 「中央西線」や「洗馬」の字句を高校生の頃の鉄道趣味誌記事で目にしていた。当時…

  • 南松本にて

    ダイヤ改正前の2月、久しぶりに南松本へ行ってみた。いつも通りの公道側駐輪場脇のほか、駅に隣接した駐車場からもスナップ出来るようになっていた。以前はエレベータ設置工事の資材置き場で立ち入り出来なかったと記憶している。 至近からの前面アップ。厳めしいツララ切がカッコイイ。 重連の連結面をアップする。 次位機の前面ガラスに冬の陽射しが差し込む。 (2024/2/13 8084レ)

  • 鶴見線の新型車

    昨年末から走り始めた鶴見線のE131系1000番台。あっと言う間に増殖し、2月上旬のこの日は、もはや205系は朝夕のラッシュにチラリと顔を出す程度だった。 「国鉄臭(笑)」の無い車内は明るい。座布団と背もたれの色が異なるというのも面白い。 鶴見から乗った列車は武蔵白石止まり。下りホームに止まったまま鶴見へと折り返す。ブラックフェイスは精悍だけど、ちょっと重い・・・。 この電車は殊の外車体が光輝く。その様は「太刀魚」のよう。 この3月のダイヤ改正からワンマン運転になり、E131の車掌姿も短期間に終わっている。 暮れなずむ頃、真っ赤なテールライトの光を残して発車して行った。 このあとは、鶴見駅前で…

  • 雪の降った日

    節分を過ぎた途端に東京は雪となった。北からの寒気団が覆う中、冬型気圧配置がくずれて南岸を低気圧が通過・・・。こんな条件下で雪となるとか。 そんな雪が降ると、いい歳をしてソワソワして外の積もり具合が気になって仕方が無い。朝から降り始めた雪が、地面を白くさせ始めたのを見て公園の機関車に会いに行ってみた。 既にボイラが白くなり始めたのは、この機関車が熱い鼓動も吐息も既に失っている証拠。画面を切り取り、デフに纏わり付く雪をメインに、そこだけ見れば現役機を彷彿させるようなアングルを無理矢理探してみた。 でもやはりその姿に冷え切った感はぬぐえず、モノクロ化という小手先で誤魔化した。 (2024/2/5 昭…

  • 競馬場線 -2-

    競馬場線は僅か1km弱のミニ路線、沿線は閑静な住宅地だが、こんもりとした森に大きな鳥居が見えたので寄ってみた。 そこには「武蔵国府八幡宮」とあった。 旧甲州街道から鳥居へと続く参道を競馬場線が横切っている。 踏切を渡った先は鬱蒼とした森が広がり八幡様が鎮座している。この一角だけが周囲の宅地開発の手が及ばず、かつての武蔵野・府中の森が息づいているのかも知れない。 八幡宮と記した石柱と鳥居には「京王帝都電鉄」の文字が読み取れ、昭和三十年寄進と記されていた。 帰宅後調べてみると、競馬場線の開業が昭和三十年四月二十九日とあった。即ち、開業にあたり参道(或いは敷地)を横切ることから、京王電鉄がこれらを寄…

  • 競馬場線 -1-

    京王の競馬場線に行って来た。というか、初めて乗って来た。 東府中を発車すると次は終点、府中競馬正門前。「前」と言えば前だけれど、ほぼ一体化していると言っても良さそうで、改札口からまっすぐに競馬場へと屋根付き通路で進んで行ける。 レースの無い平日は2連の7000形が行ったり来たり。長く幅広いホームに2連がちょこんと停車する。なお、ワンマン運転されているが、正門前駅には自動改札があるので運転士は運賃収受をしない。 「府中競馬正門前」と漢字で7文字、よこ文字ではコレ。いきなりこれを見せられたら英語圏の方々は発音に苦労しそう。 (2024/1/30)

  • 枯野を行く -2-

    冬枯れの野を吹き抜ける北風は一向に衰えることなく吹き付けて来る。そのお蔭か広大な空に雲が湧くことも無く、見事な夕日が期待できそうだ。 日没まではまだ時間がある。太陽の沈む位置、列車との角度を想像しながらその時を待つ。 築堤と電車の側面をオレンジ色が少しばかり染まり始めた頃、上下の普電が離合した。その時が近づいて来た。 夕日が山の端に沈もうとするに従い、築堤に差し込むオレンジ色が刻一刻と増す。上り「X」が想像以上のオレンジ色に染まりながら通過。 すぐさまシルエット側に移動。夕日が地平線に沈まんとするギリギリの時刻、下りスペーシアを見送って撤収。 手応えには大満足とは行かないものの、前回のリベンジ…

  • 枯野を行く -1-

    師走に訪れ広大な田園風景に魅了された栗橋~新古河の風景。好天の天気予報を受け、途中下車さんと共に再訪した。 前回と同じアングルは避けたいと思い場所を探すが、この日は強烈な北西季節風に体を持って行かれそうになるなどの悪戦苦闘。そんな中、冬枯れを象徴するような「葦」だか「萱」だかを見つけた。 利根川橋梁を渡り終えた上り「X」が、浅草を目指して築堤を駆け下って行く。 冬枯れの田園風景の中、民家の庭先に黄色い柚子の実がたわわに実っていた。 大きくカーブする築堤の脇には数軒の民家と雑木林。目を凝らすと日光連山だろうか、雪を頂く山並が見えた。。 (2024/1/26)

  • 神戸電鉄 昭和の電車

    初めて乗った神戸電鉄。車両形式の予備知識は無いけれど、昭和チックな電車にも乗り合わせることが出来た。そこで目にした駅や車内のスナップなど。 オジサンには嬉しい電照式の番線案内。(新開地にて) 2つ扉の超ロングシート。緑色系に配色されたシートと床は関西らしさを感じる。 段々目にしなくなってきたコレ。昭和の電車の必須アイテムが嬉しいし、窓隅に「R」が切られているのも懐かしさを覚える。 連結面に窓があるのも昭和の電車。しかも横桟の無い1枚ガラスなので見通しが良い。 運転席前面には列車種別を示す札。乗務員行路表などとセットになっているのを目にすることがあるが、単独のコレはよく目立つ。 たまたま乗ったの…

  • 神戸電鉄 有馬温泉駅

    三田まで乗ってみる時間的余裕は無かったので、有馬口から有馬温泉駅に来てみた。 有名温泉地の表玄関としての駅だが、思い描いていた風情とは違っていた。駅前も狭隘で送迎のマイクロバスが頻繁に入って来ていた。 駅の上には神戸電鉄のネオンサインがあった。夜にはどんな色が灯るのだろうか。 朝には新開地からの直通もあるが、日中は有馬口と有馬温泉を2本の列車が行ったり来たりで三田線と接続するダイヤのようだった。 (2024/1/18)

  • 神戸電鉄 箕谷駅

    鈴蘭台から三田方面に乗り換え、山懐に抱かれた箕谷駅に降りてみた。 屋根は近年吹き替えられたような様子だが、玄関脇の板壁が侘しさを醸し出す。 駅前には食料品店と洋装品店があった。 改札口には自動改札機がしっかりとゲートを固めている。神戸電鉄では各駅とも自動改札機があり、JRの閑散路線で見るようなタッチのみの簡易機は無いようだ。無賃乗車をしっかり排除している。 下りホームからはこんな長閑な風景も見渡せる。 銀色の鉄仮面のような電車が入って来た。もう少し先に行ってみようと思う。 (2024/1/18)

  • 神戸電鉄 三木上の丸駅

    神戸電鉄に乗るのは今回が初めてだった。途中、珍しく古めかしい駅舎が目についたので降りてみた。 「木造駅舎」と言えば確かに木造だが、所謂「木造駅舎」の趣は無いものの、当線においては貴重なものかも。 改札口の先、数メールの場所に簡素な待合室がある。扉の無いその先に粟生行き電車が坂を下って来る様子が見えた。 昭和の電車とこの待合室、ずっと馴染んで来た情景なのだろう。 程なくして新開地行きが到着。さぁ乗り込もう。 (2024/1/18)

  • 三木鉄道記念公園

    北条鉄道への往復には神戸電鉄を利用した。その神戸電鉄三木駅から徒歩10分ほどの場所にある三木鉄道公園に行ってみた。 旧三木駅舎が堂々とした佇まいで残っている。旧駅舎は地域交流施設として、元国鉄三木線そして旧三木鉄道時代の写真や物品の展示がなされているとの事だったが、あいにくこの日は休館日。 隣接するのは旧貨物ホームの上屋。なお、旧駅舎は十数メートル曳家されて現位置にあるとのことで、旧貨物ホームとの位置関係は実際とは異なるようだ。 旧貨物ホームの先に目をやれば広いグランドと公園になっており、ゲートボールなどで利用されているらしい。出発(?)信号機に思わず喚呼してしまいそう。 さらに歩を進めるとレ…

  • 粟生駅跨線橋

    北条鉄道の粟生駅はJR加古川線との共同使用となっている。というか元々は同じ国鉄線なので当たり前か。駅は無人で中間改札も無いものの、JR側のIC乗車券所持の乗客に対応出来るようタッチのみの簡易機がある。 加古川線加古川方面ホームに立つと、好ましい外観を保つ跨線橋の向こう側に西脇市方面とホームを共用する北条鉄道線がある。 階段を上る。段差が小さく老人や子どもにも優しく登りやすい階段だ。足下も壁も天井も全て木造、ちょっと心が躍る。 骨組みは勿論古レールを使用しているが、手の届く範囲の柱や壁は木材。ペンキ塗りされているとはいえ、木に囲まれている空間は居心地が良い。 突き当りには階下への案内。かつては「…

  • 北条鉄道 キハ40535が行く

    北条鉄道のHPではキハ40の運用予定が掲載されており、この日は日中全ての列車に充当となっていた。そこで、フリーきっぷを手に長→播磨下里→法華口→播磨下里と降りては、駅舎を撮ってキハ・ヨンマルを撮ってと繰り返した。 (播磨下里-長) 電柱を支える電柱。昔はよく見かけたような気がする。そんな懐かしい情景。 (播磨下里-長) 駅の周囲は冬の枯野が広がる中、畝が美しく見えた。夏には緑一杯の景色となるのだろうか。 (法華口) 駅を発車し、スプリングポイントに見送られる下り列車。 (播磨下里-法華口) 午後になると、一気に雲が広がって来てしまった。ならば流し撮りで遊んでみようとしたが、画角を見誤りフレーム…

  • 北条鉄道 網引駅

    翌日、網引駅に降りた。 すっきりした面持ちの駅舎。一見相撲部屋を思わせる大き目の駅名看板があった。駅舎内の待合室にあった資料によると、火災消失による再建とのこと。残念だ。 駅舎脇には戦時中にあった飛行機の不時着と、そこに遭遇した列車転覆事故の模様が記されていた。後世に語り継ぐための資料だ。 駅舎脇には見事な大木が立っており、よいアクセントになっている。この日のヨンマルは、朝の往復のあと入庫してしまう。 門型の駅名標は国鉄スタイルの形状を保つものの、3セク鉄道にありがちな妙にカラフルな色彩を施している。昨年訪れた若桜鉄道のような、黒文字の書体にしてくれたら最高なのだが。 (2024/1/18)

  • 北条鉄道 法華口駅

    日中は1時間に1本のパターンダイヤ。駅に降りてスナップして次の上り列車を待つ間に粟生からの折返し下りをスナップ。そんなことをしていると1時間の待ちは苦痛というより心地よい時間だ。 ということで播磨下里の隣の法華口に降りた。 この駅名標こそが長年気になっていたもの。何かのTV番組でこの駅が紹介され、駅舎内に入居するパン屋さんの女性店長さんが、駅長として列車を見送る風景などがTV画面から流れ、その際一瞬だけ画面にこれが映った。「こんなレアな駅名標が残っているのか、いつか行ってみたい!」そう思ったのだった。 駅舎の隣には三重塔が建つという一風変わった情景。駅舎内のパン屋さんは今も営業中。 わざわざ「…

  • 北条鉄道 播磨下里駅

    長駅の隣、播磨下里駅に降りる。 列車が行ってしまうとホームには午後の長閑な時間が流れる。郵便ポストに電話ボックスがあるということは、そこそこ人の流れがあるということか。駅舎玄関の両脇には自販機が鎮座している。 お尻が沈みこむように優美なカーブを描いたベンチがある。 雲が広がり始めた夕刻。寒々とした空気が漂う。 この駅にも嬉しい駅名標がある。かつては右書きだったものを書き直しているが、痕跡が残っているのも情緒か。 出札窓口に小荷物受付窓口も健在。中の事務室は待合室として活用されている。そろそろ次の列車が来る頃だ。 (2024/1/17)

  • 北条鉄道 長駅

    旧国鉄北条線時代の木造駅舎が残っていると聞き出かけて来た。 こじんまりした佇まい。玄関に扉は無い。一見すると農家の納屋のような雰囲気にも思える。隣にはトイレがあり駅舎と一体のようにも見える。 容赦なく風が吹き抜けて行くであろう開口部。凍てつく冬の日は如何か。 屋根板をしっかり支えるY字の支柱。傍らの鉄電は生きているのであろうか。 「長」の文字一文字で「おさ」と読ませる特徴的な駅名。青地に白文字の駅名標を背にベンチで体を休める至福の時が流れる。 やがて粟生行きの列車が到着した。 (2024/1/17)

  • 腰越にて

    江ノ島の龍口寺前から腰越まで、電車道を散歩がてら歩いてみた。冬の陽射しは高度が低く、沿道の建物の影が伸び車体がまだら模様になってしまうようだった。 藤沢行きが到着し発車。通りがかったスポーツ愛好会?の方々大勢が電車の発車を見送る。 発車直後の神戸橋に差し掛かる。家屋が途切れるこの場所では、たっぷりの太陽光が側面に差し込んでくれた。 少し先の郵便局のガラス扉に辛うじて電車が映り込んでくれた。 (2024/1/14)

  • 構内踏切の廃止 長谷駅

    江ノ島駅から長谷駅に来た。 長谷観音をお参りして帰って来ると、出迎えてくれるのがこの改札口。鎌倉方面のりば、藤沢方面のりばへの案内が実に明快だ。 藤沢方面へと踏切を渡る際の注意書き。 海側への出口もあるが、山側の観音様を目指す方々は踏切が開くのを待つ。 (2024/1/14) ※構内踏切廃止は2月16日

  • 構内踏切の廃止 江ノ島駅

    年明け早々に、江ノ島駅と長谷駅にある構内踏切を廃止するとの会社からのアナウンスがあった。 これまで見て来た当たり前の光景が消えてしまうのかと残念に思い、お名残スナップに出掛けた。まずは江ノ島駅 鎌倉方面行きが到着。慌てることはありません、暫く停車するので遮断機が上がってからゆっくりお渡りください。 藤沢から乗って来てこの駅で降り、海の方へ行こうと改札口を目指す視界。この右手にも出口はあるが、ついついこの構内踏切を渡りたくなる。 遮断機が上がれば、手を伸ばすと車体に触れられそうなこの距離感が嬉しかった。 (2024/1/14) ※構内踏切廃止は2月2日

  • 万世橋の情景

    かつては都電が走り、交通博物館があり少年たちの憧れのスポットだった秋葉原の万世橋。そんな橋の袂と中央線のガードに挟まれた場所に今も建つ「肉の万世」の営業が、この3月末で終わるという。 (1970/4) 交通博物館に遊びに行った日、父親から借りて来たカメラで初めて都電を撮った。と言っても形式も知らず、電車の行先として掲げられた街の名前すらも判らずに、ただ撮っただけの1枚の写真だ。 ガード下に示す交通博物館が、この地から消えて移転してしまうなど思いもしなかった。画面左の「肉の万世」はその後1991年に建て替えられて、現在に至るというがコロナ禍による経営状況の悪化と老朽化の為、このほど移転するという…

  • 春日部スナップ

    8111編成のこの日の運用は、大宮~柏をひたすら往復するものだった。3つの鉄橋で何往復かを撮影できたが、次の折返しでは日も傾く時刻となるので春日部へと移動して到着ホームで待ち受けた。 あの頃の東武と言えば、このツートンカラーだったなと、懐かしさに耽る。ただ東武線自体が馴染の無い線区だったのと、ましてこの野暮ったいカラー故にあの時代にカメラを向けたことは数少ない。 (1971/1/7 牛田) その数少ないスナップを拾ってはみたものの、明暗の差が少ないこの2色はモノクロ写真ではツートンが判別しずらい。僅かに読み取れる「杉戸」の方向幕が、懐かしさを添えてくれている。 さて、オレンジ色の夕日が駅前のビ…

  • 野田線 江戸川橋梁

    こちらの鉄橋は、1930年製だが一部は1955年の河川改修の際に架け替えとの事。(南桜井-川間) 川間方は3連のトラス、南桜井方はプレートガターが連なり、撮りようによっては2度美味しいアングルを得られるのかも知れない。 20m両開き4つドア、戸袋窓無しのアルミサッシ窓。平凡極まりないデザインの「ザ通勤電車側面」だが、令和の今となっては昭和のこのスタイルが少し愛おしくさえ思える。 トラス橋の下に来てみた。枯野の河川敷、抜ける青空を背景に轟音を立てて8000が行く。 そしてツートンカラ-のお出ましだ。 (2024/1/5)

  • 野田線 庄内古川橋梁

    庄内古川とは(現)中川の旧名とのこと。川幅も広くなくワンスパンで渡り切っている。トラス橋であることが少し大袈裟なような、それでいて愛嬌あるような佇まいに思えた。(1930年製 藤の牛島-南桜井) 庄内の文字に庄内平野を連想しつつ、接近戦でのアングルを想像し列車を待つ。 思った以上の大迫力を得ることが出来た。 敢えて逆光側で遊んでみた。(が、もう少しの広角系が欲しいところか。) そして8111編成が来た。(が、ちょっと攻めきれずに大人しく・・・(苦笑)) (2024/1/5)

  • 野田線 古利根川橋梁

    昨年秋から野田線に8111編成が一般運用されはじめ、機会があれば撮ってみようかと考えていた。沿線の様子を掴めないでいる中、途中下車さんから手頃な鉄橋が3つあるよと教えていただき、ご一緒させていただいた。 古利根川橋梁(1930年製 春日部-藤の牛島) 古くは旧粕壁宿の舟運を担っていたり葛西用水への灌漑供給の役割もあったとか、この日は風も無く川の流れも止まっているような静かな川面だった。 まずは間近に寄ってみた。 少し離れて水鏡を楽しむ。 8111はここでと決め、釣りを楽しむオジサンにご挨拶して撮らせていただく。 (2024/1/5)

  • 迎光号

    正月早々に大きな災害と事故に見舞われた三が日は初撮りも地味目に。「京王レールらんど」で「迎光号」のヘッドサインが掲げられているというので出かけて来た。 京王線特急「迎光」。コレを見ただけで、どんな正月飾りよりも”正月らしさ”を感じる。 6000にも掲げられているが、前面アンバランスの顔は未だに馴染めない。しかしながら、展示位置が撮りやすいのかも知れぬが、前面に陣取る若い年代のギャラリーは5000よりも多い。でもね爺さんは、やっぱりこっちだな”5000”。(笑) ヘッドライトに急行灯も点灯し、今にも動き出しそうな気配。 ここに来る若いファミリー世代には5000はおろか緑色の電車が居たことなど、歴…

  • 地平時代の京浜鶴見

    先般、遠来の旧友らと鶴見で逢い、学生時代のテツな昔話に花が咲いた。それは50年に及ぶ互いの空白の時を埋めるに余りある濃密なひと時だった。そんな至福の宴を終えてなお鶴見駅への途中、国鉄鶴見駅東口一帯と京急鶴見駅の高架化前の話となった。 自分の記憶を再確認するべく、地平時代の京浜鶴見駅付近の様子を古い写真から拾ってみた。 (1972/1/3) 右は国鉄鶴見駅ビル左は京浜鶴見駅ビル。国鉄鶴見駅東口から第一京浜国道へと向かう道を京浜急行線が横切っている。その踏切は踏切警手によるワイヤー式の遮断機だった。 列車は三浦海岸発京成成田行き「快特 成田山」。京浜、都、京成の3社直通は当時珍しかった。 (197…

  • 鶴見線 -3-

    浅野から国道に来た。 ここに来たテツな方々の誰もが撮るであろう高架下の暗がりと看板。或る意味で結構有名なアイテムなのかも知れぬ。ここから鶴見まで歩いてみることにした。 高架下の住居の住み心地はどうだろうか。橋脚は隣家との仕切りになっているのかな。 総持寺の門前。かつて鶴見臨港鉄道の時代には本山前という駅がここにあった。因みに今なお残る旧高架ホーム下には、川崎鶴見臨港バスの車庫があるのも面白い。 高架線はトラス橋で東海道線※を跨いでいる。橋脚部には「東海道線こ線線路橋」と記されていた。(※東海道貨物線、旅客線、京浜東北線、横須賀線/湘南新宿ライン) 日中の列車間隔は20分毎。側面ギラリの太陽の角…

  • 鶴見線 -2-

    浅野駅に歩いて来た。 浅野駅と門型鉄塔。その昔には画面右手に「安善町のガスタンク」があったなぁ。 海芝浦支線のホーム。その昔は頭上に工場内へと続く原材料の搬送路があり、絶え間なくガラガラと音がしていた。 海芝浦支線下りホームから本線を望む。トラ塗り警戒色が心落ち着かぬが、あの頃のままの木造上屋が嬉しい。 (2023/12/22) 子どもの頃の浅野駅は自転車で遊びに行ける場所、中学の友達2人と電車見物に。門型鉄塔は今もそのままが判るし、安善町のガスタンクは健在だった。足下の線路脇に雑草が生えていないのが国鉄時代を象徴している。 海芝浦支線のホームからは工場内が見え、貨車が構内専用機関車に牽かれて…

  • 鶴見線 -1-

    昨年末の或る日、ふと思い立ち鶴見線に出掛けた。 (鶴見) 鶴見線の鶴見駅と言えば、やはりこのカット この日の翌週にはコレがデビューするのだとか。これまではいつの時代も都心を走って来た電車の「最後のご奉公の場」のここだったが、ついに新車投入の時代になったか。 (海芝浦) キラキラと輝く海の向こうにベイブリッジを望む。そして205系の車内に燦燦と日が差し込む。 (新芝浦) 確かにその通りだけれど、日中はそれを逃すと次は2時間後なんだよね。 (新芝浦-浅野) 線路に沿って歩いてみた。線路脇のガントリークレーンと船の景色は自分の知っている昔のまま。でも対岸には物流会社の巨大な箱のような倉庫が出来ていた…

  • まきば線まつり

    成田ゆめ牧場のまきば線に行ってみた。この日は羅須地人鉄道協会さんの所有する車両を可能な限り走らせるとのことで、久しぶりに出かけたのだった。師走の北風が冷たかったものの、晴天に恵まれて610mmナローゲージを堪能出来た。 3号機+6号機+立山人車+谷トロ+51号寝台車 1号機+ホハ5 7号機+8号機 9号機+12号機 OSCAR(鉄道模型の「関水金属」からの発注により製作、引渡し予定とのこと) 102号機+103号機+101号機+立山トロ ラキ1+9号機 5号機+なべとろ 以上、この日の千両役者御一同でした。(拍手!) (2023/12/17)

  • 栗橋-新古河 -3-

    東武日光線に来たからには、やはり注目は新型スペーシア「X」。昼前に上り2本、午後1時過ぎにはその浅草からの折返しで下り2本と、丁度良い頃合いで姿を見せてくれる。 利根川橋梁を渡り終え、築堤を下ってくる上り「X」。奥にはその利根川橋梁が遠望できる。 築堤を駆け登り利根川橋梁へと向かう下り「X」。 よく見ると「X」の窓の並びも両端先頭車で微妙に異なるようだ。 6号車(日光方) 1号車(浅草方) この日は夕刻までの撮影を目論んでいたのだが、この後、栃木方面で列車抑止発生とのことで止む無く撤収、再訪を期したのだった。 (2023/12/9)

  • 栗橋-新古河 -2-

    栗橋を発車した下り電車は左にカーブを切ると、住宅地を過ぎ田園地帯を直進。築堤を登りながら大きく右カーブを進み利根川橋梁へと突っ込んでいく。 大昔、日光へと向かう6000形の快速列車の車内から、夏空の車窓の下、緑一面の広大な風景を見て感動した記憶がある。いつかここで撮ってみたいと、その時思ったのがこのあたりだったはずだ。 ビルや高圧線鉄塔は勿論のこと人家もフレームに入らない、そんな気持ちの良い風景が広がる。 利根川橋梁を渡り終え、築堤を降りて来る上りスペーシアをファインダーに捉えた時、下り普電がぁ・・・・。 林立する架線柱はまさに「千本鳥居」の様相。因みに100mで4本くらいとして、1km40本…

  • 栗橋-新古河 -1-

    東武日光線の利根川橋梁にやって来た。 広大な川幅に架かるその姿は実に壮大だ。 河川敷に降りてみる。橋脚の水位計がものものしい。ここから川面は全く見えないが、この水位計が役目を果たすような事態を想像すると怖さが増す。 下流側にくぐってみた。巨大な鉄骨骨組み構造物はまるで城壁か楼閣のようだった。 土手からは間近に寄ることも出来る。かつてのDRCや6000形など数々の車両が、ここを潜り抜けた姿を想像する。 (2023/12/9)

  • 車輛配置の標記が消えている!

    年末から年明けになり、日頃見かける中央線233系の車両配置の標記「八トタ」を消された車両を見かけるようになり、日ごとに増殖しているようだ。先般の山陰旅行でも標記の無い車両を散見したのだが、これは全国的な方向なのだろうか。 (1982/10/16 上野) 自分としてはその標記に旅情を感じて来ただけに、消える方向だとすれば寂しい限りだ。国鉄の時代の例えば上野駅にて、北国から到着した列車の編成には「盛モカ」や「秋アキ」、「仙セン」、「新ニイ」、「長ナノ」、そして「金サワ」などに遠い彼の地に思いを馳せた。東京駅でも「名カキ」や「静シス」も顔を出していた。 (1982/9/20 札幌) 北海道を旅すれば…

  • 上長瀞

    先月にも来たばかりの荒川河川敷に来た。 それは2丁パンタをシルエットで抜きたくてのこと。それまで無かった雲が浮かび始め、ドラマチックな空を背景にすることが出来た。 機関車アップでもう一枚。 陽が沈みその後のマジックアワーも終わる頃、待合室の窓の外にはオレンジ色の空が僅かに残っている。踏切の鳴る音とともにポツンと光ったヘッドライトが次第に大きくなって来る。上り貨物の接近だ! (2023/12/7)

  • 和銅黒谷

    ここは秩父駅近くでありながら鄙びた農村風景もあり好きな駅だ。 ホーム上屋を横目に下り貨物が進入してきた。 和銅黒谷は影森もそうだが、ドアカットが行われる駅。電車のドアガラスに注意書きが貼られているほか、このように看板も掲出されている。 このところ自分のお気に入りとなった感のある元三田線の車両。変なラッピングもされず原型を保っているのが嬉しい。 凛々しくも2丁のパンタを上げた電機機関車に牽かれた貨物列車が通過する。 (2023/12/7)

  • 転轍器小屋

    影森名物と言えば転轍器小屋。 三峰口方の踏切の脇にひっそり佇むソレ。 今なお残ってくれているのが嬉しいが、かなり痛みが進行している雰囲気だった。 中を覗くと時刻表らしきものが貼られていた。 拡大してみる。列車番号と時刻がびっしりと書き込まれていた。 (2023/12/7)

  • 影森

    このところ秩父鉄道に出掛けている。この日は久しぶりに影森に来てみた。 近くの踏切から駅構内を見渡す。いつもたむろしていたはずの黒貨車はおらずガランとした構内だったが、見ている内に駐留する電車が増え、下り電車が到着すると4本並びになった。 程なくしてヤマから貨物が坂を下ってきた。茶色い電機の105号だ。 秩父方から貨物が接近。急勾配を登ってくる様子が見て取れる。(300mmかつ大幅にトリミング) 高々と掲げる2丁パンタ。冬の風物詩のコレを観たくて、きょうやって来た。 (2023/12/7)

  • 荒川河川敷

    カメラアングルとして有名な荒川河川敷だが、なぜか今まで降りたことは無かった。上長瀞駅には何度も来ているのに・・・。 まだ日が高い分、川面の反射が力強い。下り貨物が通過する、そろそろ2丁パンタの季節になるはずだが、まだだった・・・。 かなり日が沈んで来た。列車と重なる位置を求めて場所を変える。 日が少しずつ沈んで行く。鉄橋と太陽の位置が一定するようにと少しづつ後方に立つ場所を変え、また少しでも高い位置を求めて岩に上がる。鉄橋のプレートに沈んでしまうギリギリのタイミングでシュート出来た。 さらに日が沈んで行く夕日を橋脚の陰に隠れるように立ち位置を微調整。すっきりしたシルエットで貨物列車を収めること…

  • 上長瀞駅

    何年かぶり上長瀞に降りてみた。 特徴あるホームの待合室も健在だ。上田電鉄の八木沢駅に似た、この少し不安定な佇まいが愛らしい。 元東急の電車もすっかり田舎の風景に慣れて来た。(かな?) 本屋側の古レールを多用した上屋も健在。幅広いホームの造りは観光客を意識しているのだろうか。 日没後の向いのホームの待合室が、昼間とは違った表情を見せ始める。 (2023/11/14)

  • 皆野駅

    皆野駅に降りてみた。 駅前は料理屋さんとタクシー会社。 駅の構内はずれあたりにも4種踏切があった。秩父鉄道の4種踏切には人感センサーがあり、人が近づくと「危ない!」と音声が流れる。 駅に戻り改札を出ると三峰口方面の乗場。熊谷方面は向こうのホームだ。 秩父鉄道ではよく見かける屋根付きのホームとベンチだ。 (2023/11/14)

  • 秩父散歩

    昨年秋は秩父鉄道詣でが続き、この日も秩父市内の散歩にお出掛け。 お花畑駅から秩父神社とその周辺へとレトロな街並みを散策堪能しつつも、やはり線路が気になるので、ついついそちらへと舵を切ってしまった。 古枕木を見ればここが鉄道施設であることが判る。柵の向こうに洗濯機、そして何やら作業着が干してある。こんな情景をニヤリとしてしまう自分だ。 秩父の街中を線路は進む。途中幾つもの踏切を通過するがこれがまた色々な表情を見せてくれている。 奥に見える重厚な屋根瓦は15番札所の少林寺。踏切は巡礼道でもある。 秩父神社近くの秩父まつり会館裏手には「CAUTION」と書かれた4種踏切があった。 路線バスや大型トラ…

  • エア急の名に別れ

    11月のダイヤ改正で、京急の列車種別「エアポート急行」が消えて元の「急行」に戻ったが、消える前にあのヒコーキマークをカメラに収めた。 乗車位置を知らせるマーク(川崎) 発車案内(川崎) 方向幕(もはや「幕」じゃなく表示器?) 列車到着案内(穴守稲荷) 列車停車駅案内(穴守稲荷にて) これまで全く気付かなかったのが凡例の標記のこと。FUTU、KYUKO、TOKKYUって英語案内する(している)のかな? (2023/11/9)

  • 北品川

    新馬場駅前に戻り旧東海道品川宿を歩きながら北品川駅へやって来た。 駅に隣接する踏切も高架化により、いずれ消えることになる。下り電車が通過して新馬場の高架に駆け上がるころ踏切が空く。 新馬場から駆け下りて来る快特。こんな絵もいずれ過去帳入りとなる。 その踏切は商店街に隣接しており、その踏切警報機が奏でる音色はある意味で下町情緒を醸し出すものかも知れぬ。 品川行き最後部からの眺め。長年親しんだ八ツ山鉄橋もその役目を終えてしまうのか。 (2023/11/9) 新馬場開業間近の頃のカットを紹介する。地平から高架への取り付け口はこんな様子だった。 (1975/8/24) 手前の踏板は当時あった構内踏切と…

  • 東品川公園

    大鳥居から蒲田経由で品川区の東品川公園へ向かう。最寄は「新馬場駅の南口」だが、と言うよりも「旧 南馬場」のほうがしっくりする。ここに降りたのは高架化完成以来のこと、隣接のお寺境内に沿った高架柱の佇まいが昔のままだった。 元西武のピッツバークが佇んでいる。 非公式側のボイラには銘板がある。 公式側のシリンダーには、手彫りで刻んだかのようなピッツバークの文字が見えた。 (2023/11/9)

  • 萩中公園

    新年早々に甚大な災難と事故に見舞われた正月。これを最後に是非とも穏やかな1年になって欲しいと願うばかりです。弊ブログにおきましては、昨年末に続いての振り返りネタとなりますが、よろしければお付き合いくださいませ。(2024/1/4) *************************************** これまでずっと、在るのは知っていても特段そこに行こうとうは思わなかった公園の機関車。大田区萩中の公園もそのひとつ。 ここには元東武のピーコックが保存されている。 運転席も立ち入ることが出来る。右側運転台というのも珍しい。 先輪が2軸ボギーで動輪がB形。 そろそろお暇しようかと考えていると…

  • あけまして おめでとうございます。

    あけまして おめでとうございます。 - 線路端のブログⅡ

  • 持田駅暮色

    前回訪れて気になった行先案内器、それが夕刻に点灯するのか否かを確かめるため、夕日を背に武川から向かった。 それは期待通りに灯っていた。かすれた文字の「うらぶれた感」が愛おしくさえ思えた。 フォントは洒落た現行モノだけれど、昔ながらの立ち姿であり今なお蛍光灯が灯ってくれる駅名標も嬉しい。 熊谷へ帰る人、その熊谷から帰って来た人、そんな人々を乗せた上下の列車が交わることで、ひと時小さなラッシュアワーとなったかのようだ。 あっと言う間に人の波は去り、誰も居ないホームが刻々と夜の帳に浮かび上がって来る。次の電車は30分後、それに乗って帰るとするか。 (2023/11/3) **************…

  • おくればせの武川ギラリ

    2週間ほど前に初めて降りた武川。武川の名は「武川のギラリ」で知ってはいたが、これまでずっとトライすることは無かった。今回、折角熊谷まで来ているので初めてその場所に立ってみた。 16時、西に傾いた陽射しがオレンジ色を徐々に増す頃、その側面をキラリと光らせてシゴハチが粛々と惰行で進んで来る。 先輪がシンリンダーが、そして3個の動輪が軽やかに眼前を通り抜ける。 昔から有名なポシションではあるものの、今更ここを選ぶ方もいないのか、この日は結局自分一人だった。まさに遅ればせながらの武川ギラリだった。 (2023/11/3)

  • 整然と古枕木

    これまで全く気にかけることの無かった景観が、ある時俄然気になってしまった。それは下り上越新幹線が熊谷駅に差し掛かる直前の眼下、高崎線をオーバークロスした秩父鉄道が大きくカーブして熊谷駅へと進入していく場所だ。 見れば築堤の周りには古枕木を使った柵が整然と並んでいるではないか。これぞ自分が探し求めている「線路端の情景」ではないだろうかと思えた。 熊谷駅南口を降りて10分ほど、小さな踏切の脇から線路沿いに枕木が整然と並んでいる。 鼻たれ小僧やおかっぱ頭の女の子が柵に寄りかかって汽車に手を振る光景や、洗濯物が柵に掛けられている光景、そんな古き良き時代の線路端の情景が偲ばれる。 柵に沿って歩いた先に小…

  • 銀色電車

    色々なカラーリングで目を楽しませてくれた元国鉄101系が引退し、銀色電車ばかりになった秩父鉄道。自然と足が遠のいていたが、先般、久しぶりに訪ねると旧三田線の5000形がカッコ良く思え、あらためてカメラを向けてみた。 以前はその強面の面構えに一歩引いていたのだが、昨今幅を利かせている元東急車に比べてそのきめ細かなコルゲートが俄然カッコよく思えるのだった。 2枚とも ひろせ野鳥の森-大麻生間(広瀬川原車両基地) こうしてみるとコルゲートの間隔の違いが判る。元東急車が続々と変なラッピングがされる中、三田線時代そのままを保っていることも好感が持てる。 武川 夕日を受けた銀色電車は黄金色電車に変身! (…

  • 白つばめ

    TEPPAKUの「ロクイチ様」に「つばめ」のHMが取り付けられたと聞き、(迷った挙句に)秩父鉄道からの帰り道に大宮で途中下車したのは10月のこと。 それは白というよりクリーム色がかっていたし、ところどころに傷もあって過去に使用された雰囲気があった。 午後のゆったりとした時間、傍らにより暫し眺める。「もしかしたら、あの時の『白つばめ』かも。」と遠い記憶が蘇る。 (2023/10/22) (1981/7/26) たしか前日に東京から大阪へと下り、翌日は大阪から上って来るというリバイバルトレイン「つばめ」のダイヤだった。ぞの前日分は所用で撮りに行けず上りの撮影に向かったのだが、ご覧の通りの並走となっ…

  • 持田駅

    熊谷の先の羽生方面に向ってふた駅目、イイ感じのホーム上屋が見えたので降りてみた。 大麻生駅と似ているが幅も長さもひと回り小さく、小ぶりな感じで可愛いらしく見える。 方面案内の標識が実に渋い。ガラス製の行燈で、塗料で文字が書かれているのだが、そのかすれ具合が半端ない。夕刻になってから点灯するのであれば是非とも見てみたい。 駅舎の瓦屋根が美しいが建屋は新建材で覆われており残念だった。 パターンダイヤでは無さそうだが、上下の交換風景が見られた。因みに右側通行だ。 (2023/10/22)

  • 武川駅

    武川から三ヶ尻まで貨物線が出ており、電気機関車が駐泊しているようなので行ってみた。 駅舎は2階建て。大きな駅名サインが特徴的だ。 出札窓口の運賃表。山手線内(大昔で言う東京電環)の丸い路線図が懐かしい。 茶や青い電気機関車を眺めながら電車を待つのも嬉しいひと時? 当然、待合室からも眺められる。 そうこうしている内に次の電車が入線してきた。 (2023/10/22)

  • 大麻生駅

    秩父鉄道の熊谷から羽生間はこれまで乗ったことがなく、また熊谷から寄居間は確か過去に1~2回乗っただけというほぼ未知の区間。そんな区間に木造駅舎があると知り大麻生駅に降りてみた。 こじんまりとした佇まい。北向きのため日中は逆光のようだ。 大分かすれているのが残念だが、青地に白文字の駅名標が嬉しい。先だって伯備線の駅で見かけたものが埼玉にもあったことに感動。 待合室には持ち込み禁止品の注意書きがあった。「三辺の和・・・」とは、子どもの頃の算数の授業以来のようなフレーズだ。 改札を出ると直ぐ構内踏切があり、その向こうに雰囲気の良さそうなホームがある。 秩父線と言えばこれ。「緑十字の電車が来ます・・・…

  • 秩父鉄道熊谷駅

    久しぶりに秩父鉄道へ、しかも普段は東飯能から西武線経由で行くことが殆どなので、熊谷駅に立つのは何年ぶりだろうか。 新幹線停車駅のきらびやかなコンコースを降りた先は時が止まったよう。東武熊谷線のキハを訪ねた時以来かも知れない。 筆字で行田市・羽生方面と案内。もしかしたら、あの頃はここに「妻沼」の文字があったのだろうか。帰宅後古い写真と撮影メモを調べてみた。 (1981/8/16) 4番線「大幡 妻沼」と表示されたホームに妻沼線DCが停まっている。メモによると『秩父線(羽生方面)とホームを共用しているものの、線路はホーム中ほどの砂利盛りで分断されている』とあった。 企業広告の付いた木製ベンチ。座り…

  • 平間駅

    南武線に出向いたついでに、折角なので普段降りることの無い平間に寄ってみた。 改札を出た目の前が商店街の通りとなっており、東京城南地域の私鉄っぽい雰囲気。 駅構内の跨線橋も片側のみの階段。雑然とした吊看板も私鉄っぽい。 駅のすぐ脇には踏切があり、停車中の電車をスナップ出来る。 平間駅前踏切。ここは踏切遮断中の強引な通行が頻繁にあって問題になっていると新聞で読んだことがある。 「上り電車が通過後も下り接近の遮断が続く中、その下り電車が駅に停車するのが分かっているので、堂々と渡ってしまう通行人が多い」という記事だった。 川崎寄りには駅を跨ぐように人道の跨線橋があり、武蔵小杉の高層ビルを遠望出来た。 …

  • 浜川崎支線 旧国のころ

    極めて地味な浜川崎支線だが僅かばかりのスナップがある。 (1971/5/5 浜川崎) 気品さえ感じるクモハ11の前面。 (1977/9/28 尻手) ↑と同じ浜川崎方だが、これはクハ16で切妻形前面。 (1980/11/11 浜川崎) あの駅名標を窓越しに。2個づつ仕切られた側窓も思い出。 (1980/11/11) 昼のひとときまばらな乗客で発車を待つ。(あれっ、この時も吊り広告が無かったのか・・・) 旧国が元気だったその時代に発行された面白い乗車券を披露する。 【日時】1976年2月8日 9:20~終電 【事由等】浜川崎駅構内のポイント切替工事のため、尻手~浜川崎間運休となるため 川崎市営バ…

  • 127系デビューってことで

    浜川崎支線に行ってみた。 まずは尻手駅にて。ずっと昔に新潟で会って以来の電車だけれど、「お古」というより「新車」のように見えてしまった。 浜川崎へ。大昔にもこんなカットを撮った気がするが、あの頃は手前の柵は無かった。 車内をスナップ。吊広告が一切無いのも新車披露のよう。 ドア越しに駅名標。それ自体は更新されているものの、立つ場所は昔のまま。 美しいホーム上屋。大昔にも目にしていたはずだが、あの時の小僧にはカメラを向ける視点は無かった。あの頃に戻れたなら、ホーロー看板の駅名標がずらりと並んでいたのだろうな。 (2023/10/13)

  • 矢向駅

    南武線は私鉄南武鉄道を戦時買収した路線故に、私鉄時代の雰囲気がどことなく残っている。ターミナルの川崎から二つ目のここに小規模の電留線があるのもその一端。 ホームの目に前に留置されている電車。 そんな電車を眺めていると、そこはかとなく鉄心が刺激される? なので、ついついカメラを向けてしまう。 ホームには鉄骨架線柱は無造作に立っている。鶴見線の安善でも見たような光景だ。 (2023/10/13) そんな矢向の昔のカットを探してみた。 (1977/9/28) 川崎方の踏切近くを先頭に留置されていた73形。 (1978/7/16) DD13の牽く貨物を目にしたことがある。これは偶然の産物。はてどこから…

  • 浅草から業平橋

    この日は、なんとなく東武線の浅草へ。 浅草駅を発車した下り列車は右急カーブで隅田川に架かる橋へと向かう。 ホーム先端の階下には神田駅あたりを思わせる鉄骨支柱。 この架線柱は鉄骨というより鉄柱。いかにも頑丈そうな橋脚の向こうには「ムサシ」の塔が見える。 大川を渡れば向島へ。(東武線の鉄橋に沿って人道橋が出来ており、向こう岸に徒歩で渡ることが出来る。けれどもビビリの自分には川面の風情を愛でる余裕など無く、真っ直ぐに正面を見据えて橋の中央を歩き進むのみ。一刻も早く向こう岸に着きたかった。(笑)) 「ムサシ」の塔と新特急「X」を、お決まりのアングルで撮り合わせしようと色々考えていたものの、それが不意に…

  • 北恵那鉄道 -2-

    駅構内にはまさに古色蒼然の言葉がふさわしいような電車がたむろしていた。 車庫に佇む560形。転轍器さんのブログで紹介されたカットと同じ場所だ。 デ2 1924年製デ1形4両の内の1両で唯一の生き残り。 ク81 1936年製 三河鉄道と名鉄を経て1963年に入線。 ク551 1936年製 愛知電鉄と名鉄を経て1966年入線。 モ561 1926年製 瀬戸電と名鉄を経て1964年入線 主力560形として活躍。車体と足回りの高さが微妙にアンバランス。ブリル台車を履いているとのこと。 ひととおりスナップを済ませると昼間は何もすることが無く、スーパーでひと時涼んだあと電車とバスを乗り継いで妻籠宿を観光し…

  • 北恵那鉄道 -1-

    先ごろ転轍器さんのブログで北恵那鉄道に触れられていた。(こちらの記事)ワンカットのみのご紹介だったが、その写真を拝見しながら廃止間近の夏の終わりに訪れた日のことが一気に蘇って来た。 あの頃の北恵那鉄道は訪問しずらいことで有名だった。朝と夕方そして夜しか走っておらず、昼間に出掛けても乗れないし走る電車の写真も撮れないのだった。 策を練り信州を旅した帰り道を中央西線から名古屋経由とし、長野からの夜行急行で早朝4時に中津川に着くという方法に行きついた。 朝の列車は上り3本、下り1本という変則。その下りに乗って終点まで行って折り返すとそこで朝の列車は終わりとなるので、乗るのは諦め撮影を主眼とすることに…

  • 松江駅「やくも」離合

    夕刻19時の少し前に上下の「やくも」が離合する。発車時刻にズレがあるものの、出雲市方が単線のために両者が顔を合わせるはずなのだ。 18:53発下り「やくも19号」が18:47頃到着。 18:56発上り「やくも30号」が18:51頃到着。 同じ4両編成だが停車位置がずれており、「やくも19号」が発車しホームを少し進んだところで一瞬、顔が並ぶのだった。 (2023/9/13) この離合を見届けた後「サンライズ出雲」で松江を発つ。翌9/14朝、相模湾から昇る朝日を一身に受け東海道線をラストスパート。小田原、大船、横浜、鶴見、川崎と次々と展開する見慣れた車窓風景の出迎えを受け、7時過ぎの東京着で旅を締…

  • 玉造温泉駅

    出雲坂根や備後落合にも出向きたいが、行ってしまうと帰りに難儀するので止む無く駅巡りを終える。木次、宍道と乗り継いで玉造温泉駅に到着。朝、宍道に向かう際、ホーム上に気になるものを目にしたので降りてみたのだった。 山陰を代表するような有名観光地の玄関口と思うが、意外にひっそりとしたホームそして駅だった。 下り列車が到着。普通列車の多くはDCで運用されているが、日中の何本かは西出雲発着のM電がある。どうやら出雲市方がこの変顔クモハ114のようだ。 ということで米子方が正統派前面の115。そして、朝、気になったのが、この「西」。 確かに西の方角を差しているが、これを掲げる意味は何?かと思う。西があれば…

  • 亀嵩駅

    亀嵩と言えば蕎麦。折角なので食してみたいと思った。 ホームに面した亀嵩の大きな看板をあとに1456Dが発車して行く。 改札口脇には通常の形態の駅名標もあった。 駅に間借りというよりは駅舎そのものが最早蕎麦屋さんと言った感じだった。かつお出汁の香が周囲に漂っている。 旧事務室には小上がり(こあがり)もあり、まさにお店。 割り子を注文し食す。 (2023/9/13)

  • 出雲横田駅

    先のツアーで「この駅には大きな注連縄があります」との観光案内を耳にしたものの、車内からではそれ自体を見ることが出来なかった出雲横田に着いた。 反り返った屋根が堂々とした構えの、神社建築を思わせる駅舎だ。 大きな注連縄、墨痕も鮮やかな駅名看板。 恐らくトイレは改築されたのだろうが、嘗てのホーロー看板が流用されていた。 横田に着いた1449Dは2連だったが、後部1両はここで切り離し。その1両が折り返しの1456Dになるとのことで乗り込み亀嵩に向かった。 (2023/9/13)

  • 下久野駅

    出雲八代から下久野に戻る。少しでも効率よく巡りたいと思い、列車ダイヤ上を単に段落ちせずに上下する行程を考えた。 この駅もまた八代同様に手入れが行き届いていた。事務室内は地域のコミュニティの場になっているようで、中からは明るい話声が聞こえていた。 駅周辺案内と称する額が掲げられていたが、線路と道路、駅名と地域名のほかは一面の緑色だった。 新建材の壁で覆われた事務室だが、出札窓口だけは健在だった。 乗車券は携帯端末発行かPC端末発行だろうとタカを括っていたら、中からオバチャンが「乗るんですか?それとも記念乗車券ですか?」と声を掛けてくれた。 えっ、記念乗車券?と訝っていると、「こんなのがあるんです…

  • 出雲八代駅

    宍道から1445Dで木次に向かう。木次から9445Dに乗り継ぐ訳だが、1445Dがそのまま列番変更となった。この9445Dは、「トロッコおろち号」が運転されない日のみ運転の列車でもある。 出雲八代に着いた。5月のツアーの際に車内からスナップした緑色の駅名標が出迎えてくれた。 赤い屋根瓦も美しく、駅舎自体も整備されているように見える。アルミサッシ枠が残念に思うが、駅業務を委託する上での環境整備と思えば致し方ない。 出札所の看板も凛々しく、かつ花瓶にきれいな花も添えられた窓口には、これまた春の因美線でも見かけたJR西のカレンダー。 次の列車を静かに待つ優美なベンチ。 ホームにもまた年季の入ったベン…

  • 宍道駅

    松江始発の宍道行131Dに乗る。松江発車後直ぐに雄大な宍道湖が車窓に映った。朝日を受けて対岸のホテルも見通せた。先のツアーで泊まったホテルを目で追ってみた。 宍道に着いた。131Dは木次線の車両だったので、このまま木次線内に入るのかと思ったが引き上げてしまった。これから乗る1445Dは出雲横田からの1446Dの折返しだ。 2番が山陰線下り、3番が木次線となっており、木次だけでなくその先の備後落合そして広島の案内が出ていた。今、そのルートで広島まで行こうと思ったら1日に2本だけ、途中2回の乗り換えで6時間ほど要する。 3番線ホームに立つ。左に分岐する線路が木次線だろうか。最早使われなくなったホー…

  • 松江駅にて

    新幹線型の高架駅となっている松江駅。あまりに味気ないホームなのだが旅の記録にスナップした。 上り「サンライズ出雲」到着。 のびのび座席の小窓がズラリと並ぶ。 先頭7号車で最後部が1号車。岡山で待つ「サンライズ瀬戸」の後部に連結し、東京へ向かう。 (2023/9/12)

  • 旧法勝寺線車両

    再び米子に戻り、駅から徒歩10分ほどの場所に保存展示されているという、旧日ノ丸自動車法勝寺線の車両を見てみることにした。 駅前の喧噪を離れ、落ち着いた感じの住宅や元気を失った感のある商店の並ぶ通りの広場にそれはあった。 屋根付きであり保存状態は良好に思えた。説明板もしっかりある。 道路に面した側にステップは取り付けられている。残念ながらこちら側は生垣のために足回りは見えない。 側窓は一段窓、前面は二段窓。一般的にはその逆と思うが面白い。よく見ると側窓の大きさが均一でないようだ。 鉄道会社でありながら社名に「鉄道」を冠しない(かつての「江ノ島鎌倉観光」も同様)どころか、「自動車」を冠する鉄道とい…

  • 御来屋駅

    今年の初めだったか山陰本線御来屋駅が山陰地方最古の駅だということを知った。その後5月に参加した観光ツアーでは、特急列車の車窓からその姿を一瞬目にすることが出来、近いうちの訪問を期したものだった。 石段をトントントンと上がった所にある駅舎。そう言えばNゲージの駅舎模型にこんなのがあったなと思う。駅の真向かいの先には海が見え、微かに潮の香を感じた。御来屋漁港が近いようだ。 出札窓口はカーテンを降ろしたまま。切込みのあるカウンターが面白い。 時刻表か運賃料金表かと目をやると、それは昭和の初め頃と思われる手小荷物料金表だった。食品と小荷物で運賃が違うとか、物品ごとの損害要償額が違うとかが面白い。 国道…

  • 米子駅

    新見から「やくも」で1時間、米子に着いた。 米子駅の山側には車庫のほかに洗浄線や駐機線があり、常に多くの車両がたむろしていているイメージがある。到着と同時にその方向に目をやると、居た!居た!ラッセルヘッドを両端に付けたDE15だ。 駅は最近(本年7月末)になって新築されたようで、南北を結ぶ広く明るい自由通路が出来ていた。嬉しいことに眺望も抜群だった。 駅舎は新築されたものの、ホームは旧来のまま。特に2,3番線ホームの上屋は部分的とは言え味のあるものだった。これは木製の支柱。 こちらは古レールの支柱。 そんな2、3番線に下り「やくも」が到着。 (2023/9/12)

  • 野馳駅

    東城行451Dの終点のひとつ手前の野馳に到着。 「のち」とは難読だ。二文字というのもなかなか覚えにくい語呂。 非常に趣ある駅舎と手入れされた樹木。駅舎は地元タクシー会社の事務室となっていた。 「頑張るぞ芸備線」の文字に応援したくなるが、昨今の報道をみるとJR西としては廃止の意向を自治体に示しているようでもあり、そのJR西によるポスターとはちょっと??に思う。 年季のありそうな柱に「通標仮置場」のような遺構を探したが、見当たらなかった・・・。 事務室内には事務の方やドライバーさんらしき方が待機しており、あたかも有人駅と言っても良いくらいだ。駅前にはタクシーと中型バスも駐車しており街の活気を醸し出…

  • 矢神駅

    芸備線野馳駅を目指して新見から451Dに乗車。 矢神駅では対向の442Dとの交換待ちとなったので、急ぎスナップ開始。落ち着いて駅舎を眺める余裕もなかったが、元事務室や元待合室があったであろう建物の左右が消えているのが判った。 改札口の向こうにはホーロー看板と列車。出札窓口が塞がれているのが残念。 下りホームには「広島」の文字が。でも広島へ行けるのは1日2本の列車のみ、しかも備後落合と三次で乗り継いでの所要4時間だ。 上りホームには「岡山」の文字が。 通学の学生さんが待つ中、新見行き442Dが到着。廃止云々が取り沙汰される昨今の芸備線だが、この路線を必要としている人が居る。 (2023/9/12…

  • 新見駅

    翌朝あらためて駅に出向いた。 芸備線と姫新線が1,2番線を使用しており、地下通路からホームに上がると、そこは津山駅の雰囲気によく似たものだった。 伯備線方面は3,4番線に相当する中線を挟んだ向こう側の5,6番線となっている。 芸備線7:04発東城行が1番線で発車を待つ中、2番線には姫新線中国勝山発の列車が到着。ほんの一瞬だけ乗換通路を急ぐ乗客の騒めきが起こった。 ロクヨンの下り貨物が待機する中、「やくも8号」が到着。昨晩もこんなシーン(ロクヨンの側面を照らす381系のライト・・・)を目論んでいたのだが。(笑) 今の伯備線のカラーが揃った。湘南色は2編成あるとのこと。 (2023/9/12)

  • 新見という名

    夜、新見駅に行ってみた。 「新」と「見」の文字を見ると、自分には慣れ親しんだ「新鶴見」に一瞬見えてしまうという妙な感覚がある。 都会のように運休や遅れを知らせる案内放送は聞こえず、駅員に詰めよる乗客も居なく、駅はひっそりしていた。ただ姫新線の運休案内が掲示されていた。駅員氏に伯備線の様子を訊くと「まだ遅れはある」とだけ淡々と答えてくれた。 入場券を購入しホームに上がらせてもらった。当初は貨物列車や「やくも」の入線風景などをスナップする目論見だったが、そんなことは叶わず。ただ回送の115系が1本だけ中線に停まっていたのをスナップ出来ただけだった。 伯備線ホームの待合室には若者が数人。列車を待って…

  • 石蟹駅

    井倉駅では途方に暮れてしまった。駅員の居る時間は過ぎカーテンが降りているので詳細を訊くことも出来ない。次の列車は2時間弱ののち。それだってまともに来るかどうかは分からない。駅前のバス停は新見方面行では無さそうだし、タクシーを呼ぶ電話番号の掲示も周囲には見当たらない。駅前の商店で聞いてみたが「ここにはタクシーは居ないよ」と無情なお答え。 そんな中、駅に立ち寄られた方が列車の運行案内を気にしておられたので、失礼ながらとお声かけすると、地元の方で新見市内に帰るところとのこと。なんと同乗させていただけることとなった。(助かります!ありがとうございます。) お話を聞くとテツの御同業とのことで、「ならば途…

  • 井倉のD51838

    この日は新見に宿を取ることにしており、時間もあるので井倉洞近くに保存されているというD51838を訪ねることとした。 井倉駅前を左に進み郵便局の先の踏切を越え、左側の駐車場の先に入った所にそれは鎮座していた。 金網で囲まれていて傍に寄ることも出来ず、しかも背の高いそれは有刺鉄線も付いている。防犯上は非常に良いのだがカメラのレンズを向けるのに一苦労だった。しかも傘を差しながらだったから。 デフに燦然と輝くあの鳳凰なのだが、分厚く見えるのは何故?。 雨も上がりそうな気配の空が映り込むキャブ周り。タブレットキャッチャーと位置が少し寄ったナバープレート。新見機関区配置を示す「新」の区名札もしっかり入っ…

  • 方谷駅

    美袋駅を後にして備中高梁の先、方谷駅に降りてみた。 駅は島ホーム一本。駅舎はホームより一段低い場所にあり、地下通路を進むようになっていた。折しも急な雨となり、ホーム待合室から地下通路入口まで、そして地下通路出口から駅舎までの間は屋根もなく、酷く濡れてしまった。 玄関の軒を支える石柱が重厚感を醸し出している。 ここもまたICカード読み取り機が設置されていた。趣ある駅名標との取り合わせは異質なはずだが、なぜか然程の違和感を感じないのは美袋駅で免疫が出来たからか。(笑) 駅舎から線路脇へ上る石段が見えるが有人時代の業務用と思われ、そこからホームに上がることは出来ない。 改札口には吊り下げ式の木製扉と…

  • 美袋駅

    伯備線の美袋駅に降りてみた。 駅の玄関脇には自販機などは無く、郵便ポストと電話ボックス。このまま模型にでもしたくなるような佇まいだ。 美袋と書いて「みなぎ」と読むとは、なかなかの難読駅だ。こんな鄙びた木造駅舎の改札口になんと、ICカード読み取りの自動改札機が鎮座していた。 駅玄関の駅名標もこれまた木製で、青地に白文字の由緒正しき国鉄遺産(笑)。 次の列車を待っている間に「やくも」が高速通過して行った。 この美袋駅にはちょっとした思い出がある。数年前に下り「サンライズ出雲」に乗ったときの事、岡山までは定時運転だったが、伯備線内に入ると倒木の撤去のためと、ここ美袋で抑止がかかってしまった。 1時間…

  • 倉敷市駅

    水島臨海鉄道の倉敷市駅あたりを訪ねてみた。 倉敷駅の改札から駅ビルの外に出るとペデストリアンデッキに繋がり、倉敷市駅への案内に従って右に進むとここに出る。デッキから駅には繋がっておらず階段を下りて駅へと向かう形。 駅から数百メートル進むと見覚えのある歩道橋があり、そこに立つと倉敷駅及び市駅を望むことが出来、眼下の駐輪場はあの時のままだった。 列車を追うようにカメラを振れば、平行する山陽本線と右にカーブして行く伯備線を望むことが出来た。 (2023/9/11) その大昔、初めて倉敷市駅を訪れたのは1976年のことだった。 (1976/9/20) 国鉄倉敷駅はまだ平屋だったような気がする。駅前から…

  • 岡山駅

    岡山駅ホーム上屋、そのいぶし銀の情景を探してみた。 3、4番線ホーム。古レールを使用した上屋がことのほか美しい。 改札口とは繋がらない乗り換え専用の跨線橋。これがまた情緒溢れる佇まい。 2番線ホームの軒下には、何やら細工が施されている。 Y字で屋根を支える古レール。それを見守る115系もそろそろ引退の声・・・。 (2023/9/11)

  • 岡山気動車支所

    岡山からの津山線に乗り、岡山駅を発車すると直ぐの左側にキハ40や47の車庫が見え、広い構内に彼らがたむろしている。それに気づいたのは今年2月の旅だった。機会があれば近くに寄ってみたいなと考えていたところ、過日、途中下車さんがそれをアップされたので負け次と行ってみた。・・・(笑) ビル群をバックにローカル色溢れるヨンマルとヨンナナたち。 係員の方もしっかり指差確認、きりりとした現場の空気感だ。 洗浄作業のひとコマ。かつては昼下がりの品川でも見かけたな・・・。 暫しのヒルネのあと、夕方から彼らの活動開始となるのかな。そんな出庫の時間帯も見てみたい。 (2023/9/11)

  • 宇都宮ライトレール

    8月末に開業した宇都宮ライトレール。開業日の初乗りを当初目論んだものの、当日の一般乗車は午後3時からとのことで断念。開業日と翌日曜日はたいそうな混雑と不慣れな乗降その他で、大幅な遅延が発生したとの報道もあり、様子見することとしました。 開業から一週間、そろそろ落ち着いたかと思い18切符の残りを利用して行って来ました。 商業地から田んぼや畑の田園風景、そして工業団地へと沿線風景が変わり、線路敷も併用軌道から専用軌道、高架線と40分ほどの車窓は変化に富んだものでした。 かしの森公園前-芳賀・高根沢工業団地 終点近くですが緑をバックに快走する黄色の車体です。 芳賀町工業団地管理センター前-かしの森公…

  • 小海駅2番3番ホームのこと

    羽黒下からの帰り道、小海駅2番ホームに到着しました。 列車行き違いのため20分ほど停車です。ここはホーム中ほどの小さな階段を降り、構内通路を渡って本屋側の改札に向かう形になっています。昔のスナップを思い出し探してみました。 (2023/8/23) (1971/3/15) 52年前の様子。羽黒下で発車を見送った貨物列車に、ここ小海で追い付きました。列車から降りた客はシゴロクの前の階段を下りて改札に向かって行く様子を窓からスナップ。 (1982/5/21) 職場の友人と小海線に乗っての観光旅行。小諸行きに乗って小海に到着すると小淵沢行と交換。キハ57と読み取れますが普通列車。ホーム助役が時計を確認…

  • 羽黒下今昔

    実はこの羽黒下駅には1971年3月に訪れています。中学の卒業式を終え高校入学前の春休みに、友人2人と連れだって横浜からの日帰り撮影旅を敢行しました。 早朝に家を出て上野から急行「妙高1号」に乗り、小諸から小海線に入り中込へ。中込機関区を見学して、ここ羽黒下へ来ています。特に撮影名所でもなく単純にダイヤ上で上下の貨物列車を効率よく撮影出来そうだと推定して降りたようです。その時のスナップを基に52年ぶりに立ち位置を探してみました。 【1】 駅北側の青沼寄りの踏切にて急行「のべやま」 長野~小諸~小海~小淵沢~松本~長野という循環急行として有名でした。因みに逆回りは「すわ」の名でした。 【2】 駅を…

  • 羽黒下駅

    小海線の羽黒下駅にやって来ました。 近年駅舎の改修工事がなされたように見受けられますが、木造駅舎の風格を保っており堂々とした佇まいの駅舎です。 ホーム側からの眺め。 改札を入ったところにこんなモノが。 小海線各駅の標高が記されています。野辺山を筆頭に軒並み1000m越え、この駅も740mとあります。 この日の行き帰りや滞在中に見かけた車両はキハ110が殆ど、あのハイブリット車は1本だけでした。 (2023/8/23)

  • 品川駅高輪口あたり

    高輪口の工事も着々と進んでいるようで、駅の北側、第一京浜国道と京急線に挟まれた一角のビルが無くなり、国道側から京急線が見通せるようになって来たとのことで出かけてきました。 都バス乗場に立つと木々の向こうに赤い電車が見えました。 少し場所を変え、高輪の台地の上のプリンスホテル前から緩く坂を下ったあたりに立ってみると、そこからも見通せるようになっていました。確かその昔はこの坂道から電車は見えなかったはず、こうして京急線を見通せるのも今だけで、近く電車が地平に降りビルが建ってしまうまでの僅かな期間なのでしょうね。 第一京浜国道に降りて来ました。考えてみれば台地から降りたこのあたり、その昔は海が目の前…

  • 伊那松島駅

    折角、伊那に来たので伊那松島駅から徒歩10分程の箕輪町郷土博物館を訪ねました。 かつて飯田線で活躍したED19が保存されているということで楽しみに伺ったのですが、なんとなんと博物館の改修工事中でお目当てはフェンスの向こう。工事終了は来年とのことで肩を落として駅へと戻ったのでした。 駅に戻っても所在なくホームの先の車庫を眺めるなどして、遠いあの日の記憶を辿ります。ホームはもう少し先まであったような。そのホーム途中に分岐器があり、そのカーブで車体が接触しないようにホームが切り欠かれていたなと。 (1983/5/25) カーブに差し掛かる電車と出庫する電車をスナップしていました。ホームの立ち位置がだ…

  • JRバス関東伊那支店

    JRバス関東伊那支店の古老の車体が「国鉄バス」のリバイバル塗装を纏って活躍してきたが、いよいよ引退することとなったとのこと。元来バスには疎いのですが物見遊山で行って来ました。 引退に合わせての「さよなら運転」もあったようですが、その最後は車庫に終日駐車して静かに時を送るとのこと。その展示最終日にお邪魔してスナップさせていただきました。 やはりエンブレムは押さえておきたいところ。ワープロ(古い!)拡大文字のような少し横長の「国鉄」も味があります。 空をバックにカッコよく1枚! 正面には国鉄の動輪マークがありました。 車体右側面(所謂非公式側)のエンブレムは右向きでした。そうC622のスワローエン…

  • 岡谷駅0番線ホーム

    中央線下り特急「あずさ」に乗り岡谷で下車。 飯田線に乗り換えるべくホームを探すと、でかでかと0番線の案内。 地下通路を進み1番線ホームに上がると、「0番線はうしろ」とある。 そのうしろに目をやると、これまたおおきな看板に「0番線」とあり、その向こうにJR東海カラーの電車が見える。 数歩脇の頭上にも0番線の行先案内。 ホームを進むと0番線の番線表示が見えた。さて天竜峡行き313系に乗り込むとするか。 (2023/8/16)

  • ’78讃岐・阿波・京の旅-7-

    【京都市電・京阪電車】 273(260形) 昼過ぎに京都市内に戻り、東山三条で京都市電と京阪京津線を見た。 さらに知恩院前から八坂神社の前まで歩きながら市電をスナップする。 祇園の電停から東山七条まで市電に乗った。 市電を追いながら三十三間堂博物館前~七条大橋~塩小路高倉~京都駅と歩いた。 途中、七条大橋では京阪本線との出会いをスナップ。 京都駅からは夕方4時過ぎの「こだま」に乗り横浜へと戻った。これが学生生活最後の旅となり、その4日後には就職先の門を叩いたのだった。 (1978/2/25)

  • ’78讃岐・阿波・京の旅-6-

    【亀岡にて】 亀岡の朝は雪景色だった。駅へと出向くと下り貨物が停まっている、DD51とDE10の重連だ。これは幸先良いと駅の薗部方の大カーブを目指す。前日に前もってロケハンしておいたので不安なく歩けた。目の前の風景は長閑な田園地帯であるが、やって来る列車はどれも長編成で貫録十分。さすが本線である。 11D 特急「あさしお1号」京都発城崎行 1895レ 323レ 普通 京都発薗部行 834レ 普通 豊岡発京都行 901D 急行「丹後1号」京都発網野・敦賀行 10時頃に雪が止むと、遠くの景色が見えるようになり足元の雪もどんどん消え始めた。11時頃には朝方の雪が嘘のように無くなってしまった。亀岡での…

  • ’78讃岐・阿波・京の旅-5-

    【京都へ】 高徳線、連絡船、急行「鷲羽」と乗り継いで5時半に新大阪着。そのまま緩行線に乗り継いで6時過ぎに京都に着いた。もしかしたらまだDF50が残っているのではと思い、早速、山陰線の朝の上り客レを見てみることとした。 山陰線下り列車に乗り込む。丹波口の手前で七条通りの市電と交差するかと目を凝らしたが廃止になってしまったようで、線路は見えなかった。 このままずっと乗っていても、上り客レとはすれ違うばかりとなりそうなので、色々思案した挙句ちょっと開けて見えた嵯峨で、もうここでいいや!と降りてしまった。 322レ 普通 薗部発京都行 3521D 快速 京都発薗部行 築堤の線路脇に立ち待っていると、…

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