chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • さて「御徒町」

    「だったら御徒町から乗れば良いよ」と言われても・・・。 新御徒町? 仲御徒町?上野御徒町? それとも(本家)御徒町? で、結局「仲御徒町」から乗った。ホームに立つと、そこはちょっと洒落たデザインの壁面。 ところで「中」じゃなくて「仲」なのね。(目黒の方は「中」だったな。) (2025/1/14)

  • ロハ合造車

    今は昔、正月の線路端と言えば数多くの初詣列車がひしめき合っていたな。普段見かけないような編成が、定期列車の通らないルートを使って成田山、高尾山、鎌倉へと走っていたな。 そんな流れを僅かばかり伝える「開運成田山初詣青梅号」とやらが走るというのでイソイソと線路端へ出向く。 やって来たのは面白くも無いE257。成田方クハの貫通扉付き前面はサラリと受け流し、中間に組み込まれたサロハに目を向ける。車体中央に乗降扉を持ち、その左右で窓の大きさも変わる特異なスタイルだ。 合造車を中途半端と捉えるか異端車と捉えるか意見はあると思うが、車両や運用において「画一的から逸れたもの、特異なもの」に目を向けたくなるのが…

  • ちょこっと東急大井町線

    今回の蛇窪界隈の散策には、久しぶりに東急大井町線を利用した。サラリーマン時代に会議や打ち合わせで時折乗ったことがあるが、それ以来かもしれない。 荏原町に降りた。駅の脇の踏切が鳴ると上下の列車が並んだ。 大井町から一つ目の下神明も何度か降りたことがあるが、カメラを持って降りたことは無かった。 改札口から階段を上がると左右に別れ、それぞれが上り下りのホームへの階段へとつながる。ホームに上がれば、そこにはアーチ状の骨組が見える。この一連の流れは鶴見線の国道駅とよく似ているなと思う。 大井町線の上は東海道新幹線が交差しており、ホームからも見える。一方その下では品鶴線とも交差している訳で、品鶴線、大井町…

  • 旧蛇窪信号所

    かつて「蛇窪」の名前そのものずばりの信号所があった。品鶴線と山手貨物大崎支線の分岐点となるこの場所。1960年に信号所から大崎駅構内の扱いとなった(前回記事列車ダイヤの「大崎(蛇窪)」の標記がそれを示している)が役割は変わっていない。 左は横須賀線のルートとなる品鶴線、右は湘南新宿ラインのルートとなる山手貨物大崎支線。(余談だが、この場所に立つと品川は右の方向にあり大崎は左。あれっ線路の向きが逆?と頭が混乱する。(笑)) ということで大崎へ向かう湘南新宿ラインは一旦右へと進み、大きく左カーブして山手貨物線へと入って行く! この場所は大崎の構内扱いなので、それぞれの第一場内信号機が立っている。 …

  • 蛇窪のこと

    正月のニュース番組では各地の神社仏閣の初詣を報じていた。中でも巳年に因んでの「蛇」の名前と「蛇」を祀る神社として蛇窪神社が各局の番組に登場。 この神社の存在は知らなかったが、「蛇窪」の読みとその名が示すおおよその地域は認識していた。 電気機関車快走(昭和50年5月交友社刊)とじ込みダイヤグラム より 同上 大崎(蛇窪)の標記が品川、大崎、新鶴見に隣接した場所であることが判るし、傍らの「〇」に「×」の印は信号所を示している。そんなことから蛇窪の名称と役割、場所を当時から認識していた。 現在、蛇窪そのものの施設名は残っていないようだが、西大井駅の脇ガードに「下蛇窪ガード」と「上蛇窪ガード・上蛇窪架…

  • 東急砧線跡 -2-

    遊歩道が左にカーブし多摩堤通りと交差したところが吉澤駅の跡。 ここからは一般道となるが、脇に住宅と企業の建つここだけが歩道もある。その歩道にコレがあった。懐かしい見覚えのある東急のシンボルマークを刻んだ境界標だ。 駅跡のすぐ先が吉澤橋。砧線の時代は鉄道専用だったが廃線後に道路橋となったようで、そんな説明のある碑が立っている。 そのすぐ隣の欄干には電車をモチーフにしたブロンズが掲げられている。車号は64と読み取れるリアルな描写だ。 歩く道路は一般道とは言うものの、道幅は狭くいかにも線路跡を偲ばせており一方通行となっている。静かな住宅街と大学のキャンパスを目にしながら歩いて行くと砧本村に着いた。 …

  • 東急砧線跡 -1-

    以前から行ってみたいと思っていた砧線跡、新年早々のお散歩として出かけて来た。ネット上にも散策レポートが載っており参考にさせていただく。 二子玉川駅から細い路地を進むと、かつてそこに線路があったことを思わせる柵を見てテンションが上がる。玉川通りを渡った先の細い道に「花みずき通り(砧線跡)」と標識があり、ここが線路敷かと感慨に耽る。 足元には中耕地駅跡への方向を示す矢印が。 少し進んだ先に中耕地駅を示す石柱。駅跡を偲ばせる遺構は見当たらないが、遊歩道の幅がここだけ幾分広く見えることが駅っぽいかなと想像する。 遊歩道の足元には電車のイラストを埋め込んだ蓋が随所にあるが、イラストはどれも同じだった。 …

  • ’79 山陰・長州の旅 -おまけ-

    【1979/9/17】 前日夜は下関から特急「さくら」の14系寝台に潜り込んでいた。 東京まで一気に帰るのも勿体なく思い大井川鉄道に少し寄ることにしていたのだ。復活蒸機の先輩格の大井川と山口線を比較してみたいと思った。 豊橋で「さくら」を降りて、浜松で乗り継いで金谷に着いたのは9時過ぎ。10時台の千頭行きは元小田急1900と元北陸鉄道6051+6052の編成だった。1900は客扱していなかったが、元北陸鉄道のほうはエンジ色のシートが美しかったのと、貫通路が幅広いこと、連結面に飲料の自販機が設置されているのを初めて見て、観光路線に力をいれているのかなと思った。 福用で下車15分ほど歩き、ポスター…

  • ’79 長州の旅 -山口線-

    【1979/9/15】 この年に復活したSL「やまぐち」を撮ることにした。これの運行が始まったことも、今回の山陰を旅するきっかけとなった訳。 復活に合わせ、チラホラと出始めた撮影地ガイドを参考に下りを宮野-仁保、上りを津和野で撮影することにした。 山口市営バスを利用して宮野の先のSカーブのある踏切に立ってみた。 靄ってしまった天気に意欲は今ひとつ。 小さめのSカーブだったため、引き寄せるとほぼ正面がちというつまらぬカットになってしまった。 練習のコマ。今となっては復活蒸機よりもコレのほうが魅力的か。最後尾はキニ? 撮影後は宮野に戻り後続の普通列車で津和野へ追うつもりだったが、シゴナナの遅れのた…

  • ’79 長州の旅 -宇部線-

    【1979/9/14】 秋芳洞からバスで小郡に出て、旧国の走る宇部線を廻ることにした。乗り込んだ車両(クハ55 320)のニス塗り車内は美しく手入れされていて嬉しかった。 早速カブリツキでロケハンするものの、沿線風景は芳しくない。宇部新川や宇部まで乗ってみるつもりだったが、そんな芳しくないロケハンに気分が上がらず、常盤付近で海が見えたところで我慢仕切れずに降りてしまった。 九州から足を延ばして来た赤い電車 前面の黄色い警戒色にはどうも馴染めない。 宇部方面へ足を伸ばすのは諦めて小郡方へ戻ることにした。 開けた田園地帯をみつけて深溝で下車。腕木信号機がよいアクセントになった。 後追いもう1枚。 …

  • ’79 山陰の旅 -出雲大社-

    【1979/9/12】 宿は一畑電鉄の古江(現 松江イングリッシュガーデン前)にあった。 朝、宿の近くでスナップすると通勤時間帯のためか3両編成がやって来た。 往復乗車券があるというので記念に所望してみた。 8:22の電車に乗り川跡経由で大社駅に向かった。大社線は単行ワンマン運転で整理券方式だった。 偶には観光をと、出雲大社に詣でてみた。俗に言われる願いを叶えてもらうつもりも無かったが、別の意味での縁結びとなった。 境内の松林の向こうに保存蒸気が見えた。ランボードやデフに白の縁取りがされた「いかにも保存機」の出で立ちだ。 ナンバーを見てびっくり。元新鶴見のD51774だった。 当時、シールドビ…

  • ’79 山陰の旅 -一畑電鉄へ-

    【1979/9/11】 宿から浜坂駅への途中、線路を見下ろす場所があったのでスナップしてみた。 朝日を背負って下って来る「出雲3号」を、逆光の眼下に迎える。 順光の朝日を正面に受けるDD51牽引の普通列車は820レだろうか。 浜坂発9:13の急行「美保」で出雲市へ向かう。 出雲市に到着し一畑電鉄に乗り換える。13:07電鉄出雲市発の列車に乗り込み、まずは松江温泉まで乗り通してみることにした。車窓をロケハンするが手頃な撮影地は見つからないまま終点の松江温泉に着いてしまった。 線路と宍道湖を撮れそうな場所を求めて、隣の古江方向に沿線を歩いてみたものの、なかなか見つからない。 加悦と一畑が今回の旅の…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、senrobataさんをフォローしませんか?

ハンドル名
senrobataさん
ブログタイトル
線路端のブログⅡ
フォロー
線路端のブログⅡ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用