2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
今年も残すところあとわずかとなりました。 いつも当ブログをご訪問いただきありがとうございます。 紅白歌合戦を見ながらこの記事を書いていますので、なかなか進みません。 2021年8月にブログを開設し、早いもので1年4ヶ月が経過しました。 今年は7月に1万アクセス達成、12月に2万アクセス達成することができました。 これはひとえに当ブログに訪問していただいた皆様のお陰です。 本当に感謝です。 ありがとうございます。 累計投稿記事はこの記事を入れて695、その内今年投稿したのは482となりました。 1日1記事以上投稿していることになります。 少し頑張りすぎだと思うので、来年はもう少し投稿数を抑えよう…
探索途中にトイレに寄りたくなった。 年を取るとトイレが近くなる。 だから、トイレの場所を把握しておくことは大切なのだ。 公園、スーパー、図書館など。 若い人にはわからないだろう。 この大変さが。 老眼もそうだが、年を取ったなと感じる時のひとつだ。 そんな訳で、さいたま市桜区のプラザウエストに初めて入った。(2022年12月19日) さいたま市民なのだが入るのは初めてだった。 多くの人が椅子に座っているので、何か行われるのかと思っていたが、先に用をすますことが一番だ。 すっきりしたところで確認した。 「こもれびクインテット」という女性5人組のコンサートが開催されていたのだった。 演奏をしていたが…
地域タグ:さいたま市
戸田村道路元標をネットで調べていたところ、戸田市立郷土博物館に移設されたという情報があった。 元々は戸田市上戸田四丁目にある後谷公園の徒渉池の畔にあったそうなのだが、令和2年の郷土博物館の改修工事に合わせて同館内に移設されたそうだ。 そこで、2022年12月27日、戸田市立郷土博物館を訪問してきた。 郷土博物館は図書館に併設されており、その3階にある。 博物館の一角に戸田村道路元標が設置されていた。 戸田村道路元標 白い玉砂利に埋まっていた。 雨風にさらされることがなく、過酷な運命から解放された感じだ。 真上から見たところ 説明板 道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法で市町村単位…
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以前紹介したことがある琺瑯町名看板の現存を確認してきた。 同じ住居表示実施前の番地の表札もあったので、合わせて紹介しよう。 住居表示実施前の琺瑯町名看板と表札の両方が現存しているケースは結構レアではないかと思う。 ①浦和市文蔵65 発見場所 埼玉県さいたま市南区文蔵一丁目 「文蔵」の文字のバランスがおかしい上に、「蔵」の中の「臣」という字が変だ。 ②浦和市大谷場1655 発見場所 埼玉県さいたま市浦和区神明一丁目 この偶然に気が付いた方はいるだろうか? そう両方とも番地に「65」がある。 並べてみると同じ市内の琺瑯町名看板でも異なるところがいくつかあるのが分かる。 ・フォント・寄贈の文字にカッ…
地域タグ:さいたま市
以前、発見した「東京放送局聴取章」を2回紹介したことがある。 ①東京都北区 citywalk2020.hatenablog.com ②埼玉県さいたま市 citywalk2020.hatenablog.com 今回3枚目の「東京放送局聴取章」を埼玉県川口市で発見した。 こうなるとあまりレア感がなくなってくるが、90年以上前から存在していることを考えると、貴重な物には変わりない。 発見日 2022年12月23日 発見場所 埼玉県川口市本町一丁目 旧芝崎平七邸の薬医門 旧白門通りと旧芝崎平七邸 明治6年(1873)、川口市域最初の小学校である川口小学校が、旧芝崎平七邸の離れを校舎に利用し開設しました…
地域タグ:川口市
今回は蕨町の道路元標を紹介する。 今のところ蕨町時代の痕跡はこれしか発見できていないので、そういう意味でも貴重なものだ。 発見日 2019年12月26日(再訪日2022年12月10日) 発見場所 埼玉県蕨市中央五丁目 旧中山道と蕨駅前通りの交差点にある。 正面 左側面 埼玉縣と刻まれている "埼"の"大"の部分が"立"になっている。 真上 解説標 道路の始まりと、終わりまたは経過する場所を示すしるしを道路元標と言い、一九二〇年(大正九年)施行の旧道路法(第八条一、二、第九条一)によって全国各市町村に一つずつ置かれました。当時、蕨町の道路の基点として設置されましたが、一九五二年(昭和二七年)新道…
地域タグ:蕨市
昨日(2022年12月25日)18時頃、当ブログの累計アクセス数が、20,000アクセスを越えました。 偶然、クリスマスの日に達成することができました。 当ブログにご訪問いただいた皆様、素敵なクリスマスプレゼントをいただき本当にありがとうございます。 クリスマスということでケーキです。 埼玉県では有名なアカシエです。 テレビでもたびたび紹介されています。 上記の中で購入したのが、「メリー・アントワネット!」 10時オープンなのですが、予約の方もすでに2~30人並んでいました、 予約していない方は、北浦和公園方面までズラッと100人近くいたのではないかと思います。 予約していたので、15分くらい…
このブログでは、埼玉県の旧町名に関しては、原則「埼玉の古い地名」さんに掲載されていないものを投稿するようにしている。(すでに投稿した中には自分の手柄のように「埼玉の古い地名」さんに掲載されているものを投稿しているものもあるが・・・。しかし、事後ではあるが、掲載されているものを投稿してもいいと了承を得ている。) 先日新しく発見した「浦和市大字栄和」の旧町名を紹介したので、過去に撮った写真の中に「浦和市大字栄和」のものがないかとフォルダーを探してみた。すると「北町」「西」「道之下」の3つが見つかった。 「北町」「西」は既に「埼玉の古い地名」さんに掲載されているので、今回は、掲載されていない「道之下…
地域タグ:さいたま市
八王子市の新町(しんちょう)は現存する町名だが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月19日 発見場所 東京都八王子市新町 レトロ感ある住所プレートだ。 会社名は「飯塚絹撚株式会社」。 現存していないようだ。 八王子の八の字が「)(」とカッコのようにも見える。 電話番号が4桁時代のもの。 歴史 1970年(昭和45年)3月1日住居表示実施。
地域タグ:八王子市
以前、小字町名「大古里(おぶさと)」は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回、探索していたら、2枚目の表札を発見したので、別な記事として紹介することにしよう。 発見日 2022年12月8日 発見場所 埼玉県さいたま市緑区三室 ちょうど枯れ草が氏名のところに被さっているので、氏名部分は表札を加工しなくても問題ないだろう。 ここからは大古里の名称が使用されている施設等を紹介する。 大古里公民館 おぶさと自治会館 「大古里育ちの森」幼稚園 埼玉県初の「幼稚園ビオトープ」がある。 2021年全国学校・園庭ビオトープコンクールにおいて上位5賞のひと…
地域タグ:さいたま市
千葉市の旧町名シリーズ第4弾 今回は、千葉市市場町(いちばちょう)を紹介しよう。 「市場町」は現存しているが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区市場町 文字がかすれてしまっているが、どうにか読めるだろう。 歴史 1126年(大治元年)に千葉常重が千葉に城下町を築いた際、対岸を市場と呼んでいたという。 1936年(昭和11年)に起立。もとは千葉市千葉の一部。 1973年(昭和48年)住居表示実施。 地名の由来 地名は市場が開かれたことにちなむ。
地域タグ:千葉市
浦和市がさいたま市になったのは2001年だが、「浦和市大字」時代の街区表示板が結構現存している。 今まで撮りためたものをまとめて大放出しよう。 現さいたま市緑区 浦和市大字三室 浦和市大字中尾 浦和市大字大谷口 浦和市大字上野田 現さいたま市南区 浦和市大字太田窪 現さいたま市桜区 浦和市大字大久保領家 浦和市大字下大久保
地域タグ:さいたま市
この日の最終目的地は、さいたま市西区西遊馬にある馬宮公民館にしていた。 何故かというと、そこに馬宮村の道路元標があるはずだからだ。 調べてみると自宅からそこまで徒歩で行くと2時間強かかることがわかった。 自転車で行くか? でも、2時間か、いつも歩いているし、歩いていこう。 いろいろ寄り道しながら行ったので、結局着いたのは4時間後だった。 自転車で行けばよかったと思う場面もいくつかあったが、ご褒美があったので、徒歩が正解だったということにしておこう。 ここまでの流れだと、今回紹介するのは、馬宮村の道路元標だと思うかもしれないが、タイトルにもあるように、探索途中で発見した旧町名だ。 自転車で探索し…
地域タグ:さいたま市
今回、紹介する小字町名は「緑区大字三室字北宿」だ。 さいたま市(2001年)になってからの小字町名の表札は、初めて見た。 現町名なので、紹介するほどのものではないと思う方もいると思うが、中々見かけないものなので、あえて紹介することにした。 発見日 2021年2月17日(再訪日2022年12月8日) お寺の表札だった。 北宿通り 古くからある通り名かと思っていたが、旧浦和市による1968年(昭和43年)の道路愛称募集で決定された名称とのことで、それほど古いものではなかった。 北宿坂 北宿通りに位置しており、場所が北宿にあることから「北宿坂」と名づけられた。(「わがまち浦和」より)1984年(昭和…
地域タグ:さいたま市
文京区久堅町の旧町名の痕跡を新たに発見したので、以前発見したものと合わせて紹介しよう。 「久堅町」は「ひさかたちょう」と読む。 ①自治会員プレート 発見日 2021年3月6日 発見場所 東京都文京区小石川五丁目 現在は営業しているのかわからないが、趣ある木造の豆腐屋さんに設置されている。 ②たばこ販売店の琺瑯看板 発見日 2022年12月17日 発見場所 東京都文京区小石川五丁目 ①と道を挟んだ向かい側のたばこ店にあった。 この辺りは何回も探索しているはずだが、初めて気が付いた。 以前探索した時は、シャッターが閉まっていたかのかもしれない。 この看板は軒下等上の方に設置されていることが多いが、…
地域タグ:文京区
以前埼玉県比企郡小川町の道路元標は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 2022年11月29日再訪して、記事に写真を追加した。 同日(2020年5月14日)、小川町で大河村の道路元標も発見していたのだが、紹介していなかった。 今回、再訪して、写真を撮り直してきたので、紹介することにしよう。 当ブログでは「村」の道路元標は今回が初めてだ。 しかし、珍しいものではない。 埼玉県に現存している「道路元標」は「村」時代のものが多い。 ところで、埼玉県内で唯一現存している村をご存じだろうか? 自分も知らなかったが、「埼玉県秩父郡東秩父村」だ。 発見日 …
地域タグ:小川町
与野駅周辺には、昭和から時間が止まっているものがいくつか存在していた。 撮影日 2022年12月15日 撮影場所 埼玉県さいたま市浦和区上木崎 公共施設案内図 「公共施設案内図」の前の部分がはがされているが、何だったのだろう?与野市だと思ったが、最後の文字が「市」に見えないし、あっ、わかった!たぶん「与野市内」だ。きっとそうに違いない。 こんなの分かったって、喜ぶのは自分だけだろう。 この案内図は昭和50年代に製作されたものと考えられる。 その理由は案内図から読み取れる次のふたつである。①与野ハウスが描かれているので1976年(昭和51年)以後のもの。②JR埼京線が描かれていないので1985年…
地域タグ:さいたま市
本庄市の旧町名シリーズ第5弾は「諏訪町」。 「諏訪町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「日の出」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市日の出 読みづらいが、「諏訪町」の文字は分かるだろう。 諏訪町自治会館 諏訪町山車庫 諏訪神社 手水鉢の裏 「東京下谷龍泉寺町」と省略されているが、「東京市下谷龍泉寺町」、「東京市下谷区龍泉寺町」のどちらだ? 今回の訪問で発見したのは、五つの旧町名なので、本庄市の旧町名シリーズはここでいったん終了となる。 また、いずれ訪問して、未発見の旧町名(宮本町、泉町、上町、本町、伊丹堂)の探索を実施した…
地域タグ:本庄市
訪問日 2022年12月6日 金閣寺を訪れたのは中学校の修学旅行以来だろうか? となると約四十数年前のこと、約半世紀前ということになる。 ひぇ~。 そんな経つんだ。 入口である総門にあった。 たぶん誰も撮らないだろう。 表札 文字がかなり薄くなっているが、「京都市北区金閣寺町」と書いてあるのだろうから、1955年(昭和30年)9月1日以降に設置されたものだろう。 「京都市上京區金閣寺町」と書かれた戦前のものが見たかったなあ。 かつては「金閣寺町」の仁丹町名表示板もあったのだろうか? 「銀閣寺町」のものは平成版が2枚設置されているが、「金閣寺町」の平成版の設置の予定はないのだろうか? 電話番号プ…
地域タグ:京都市
さいたま市緑区三室を探索していると、宿区自治会と書かれた掲示板をよく見かけるのだが、「宿区」の意味が分からなかった。 調べてみたところ、江戸時代、三室村は山崎、宿、松ノ木、芝原、馬場の5つの組からなっていたとある。 ※組とはコトバンクによると「日本の村落のなかで、もっとも狭い地区につくられた地縁的な機能(関心)集団のことをいう。」とある。 ということは、掲示板の「宿区」はこの「宿」からきていることが想像できる。 今回探索していたところ、「三室宿」という興味深い表札を発見した。 以前もこの付近は探索したことがあり、これが設置されているお宅の前を通っているはずだが、その時は気が付かなかったようだ。…
地域タグ:さいたま市
埼玉県さいたま市(旧浦和市)に現存する電力プレートを2回に分けて紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com ①栄和②太田窪③本太④原山新田⑤針ヶ谷⑥領家⑦常盤 citywalk2020.hatenablog.com ⑧高砂⑨前地⑩大谷場 の3枚 合計10枚だ。 今回は1枚だけだが、新たに発見することができた。 これで旧浦和市で発見したのものは合計11枚となる。 発見日 2022年12月12日 発見場所 埼玉県さいたま市浦和区瀬ヶ崎一丁目 以前は探索でよく歩いていた通りにあった。 しかし、その頃は関心がなかったので、気が付かなかった。 まさか、こんな近くにあったとは!
地域タグ:さいたま市
今回は新宿町時代の自治会会員プレートを紹介しよう。 新宿といっても新宿区のものではなく、葛飾区のものだ。 読み方も「しんじゅく」ではなく、「にいじゅく」と読む。 発見日 2022年12月3日 発見場所 東京都葛飾区柴又一丁目 新宿(あらしゅく・にいじゅく)は、水戸街道千住宿から1つ目の宿場町。古くは「あらしゅく」と呼ばれていたが、現在は「にいじゅく」と読む。 歴史 1932年(昭和7年)新宿町より新宿町一〜五丁目が成立。 1980年(昭和55年)住居表示実施により新宿町一〜五丁目から高砂5〜8、東金町1、柴又1〜4、金町1・4、新宿1〜6、南水元1が成立。
地域タグ:葛飾区
さいたま市浦和区岸町にある調神社に隣接して調公園がある。 さて「調」を何と読むか知っているだろうか? それどころではない。 なんだこれは? お化け屋敷? 中には人がいて、セッティングをしていた。 なつかしい。 小学生の頃を思い出した。 まだ、こんなものをやっているんだ。 でもどうして? と思って、周辺の案内を見てみた。 この記事を書いているのが、2022年12月11日なので、明日だ。 「十二日まち」というイベントが開催されるようだ。 さいたま市民だが、一度も行ったことがない。 調神社に初詣で訪れたことはあるが、このイベントが開催されていること自体知らなかった。 この催しで「お化け屋敷」があるの…
地域タグ:さいたま市
岸町はさいたま市浦和区に現存している町名だが、今回取り上げるものは、住居表示実施前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年12月10日 発見場所 埼玉県さいたま市浦和区岸町四丁目 木製の表札とプラスチック?ケースに覆われているもの2種類が設置されていた。 プラスチック?ケースのものは東京23区内ではたまに見かけるが、さいたま市内というより埼玉県内では、たぶん初めての遭遇だ。 このたぶんというのがとても怪しいと自分で思うのだが、そういうことにしておこう。 あいまいにしないで、調べてみたほうがいいんじゃない? 仕方ない、調べてみよう。 ・ ・ ・ ざっとだが、過去に撮った写真を調べ…
地域タグ:さいたま市
本庄市の旧町名シリーズ第4弾は「台町」。 「台町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「本庄」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市本庄 13支会とは何だろう? 台町自治会掲示板 台町区の看板 徳川家康が江戸幕府を開くと江戸を中心とした交通網の整備が行なわれ、新たに御堂坂に中山道が開削されると、本庄氏時代に侍町であった久城堀東一帯の再開発がなされた。 『本庄開発旧記』に『…拙家共北ヨリ東ノ方ハ侍所臺村境迄…』の記述があることで、人々は旧家臣団の居住地(侍所)跡を『臺村(だいむら)』と呼んでいたことが分かる。 彼等には地形の高台と…
地域タグ:本庄市
「長屋門と東京放送局聴取章」というタイトルを見て、何の関連性があるのだろうかと疑問に思うだろうが、その回答は記事を読んでもらえばわかる。 しかし、もっといいタイトルの付け方はないのかと思うが、自分のセンスではこれしか思いつかない。 「よしだひとしのふるさと写真館」さんによると、さいたま市には国登録有形文化財である細淵家住宅長屋門を初め、100棟近くの長屋門が現存しているそうだ。 自分もその資料を元にさいたま市に現存する長屋門を探索していた時期があったが、現在は活動休止中だ。 そんな中だったが、今回、久しぶりにさいたま市緑区三室を再探索してみた。 以前も訪問したことがある長屋門に到着。 門に貼り…
地域タグ:さいたま市
京都駅にあるホテルから出発したのが、5時半頃。 いろいろ寄り道をしながらきたので、予定より到着したのが遅くなってしまった。 この日の最低気温は5.5℃だったようだが、結構早足でここまで来たので、汗をかいてしまった。 早朝(2022年12月6日6時20分頃)の先斗町。 誰もいない。 自分1人だけの静寂な空間。 探索しているとき、誰とも出会わなかった。 街灯がいい雰囲気を醸し出している。 夜明けが始まった先斗町。 空が少し明るくなってきた。 ・・・・・ どういう始まり方だ? このブログらしくないと思っただろうか? 文章力がもっとあれば、このブログを訪問していただいた方をもっと引き込めるのだろうけど…
地域タグ:京都市
小川町を約2年ぶりに訪問した。 ここでも1枚だけだが電力プレートを発見することができた。 発見日 2022年11月29日 発見場所 埼玉県比企郡小川町 「アイオイ」? 探索途中に公会堂、バス停、交差点に「相生町」の名称を発見することが出来た。 公会堂 イーグルバスのバス停 交差点 交差点の後ろに見えるのは「しまむら」発祥地。 1923年(大正13年)、この辺りに「しまむら」の前身「島村呉服店」が創業した。 探索途中に小川町立図書館があったので、立ち寄ってみた。町名に関する本を探していたら、「小川町大字小字登録一覧表」という書籍が見つかった。 この書籍に掲載されている大字、小字を調べてみたが、「…
地域タグ:小川町
今回、千葉市を訪問した理由の一つは千葉市道路元標を発見することだった。 事前調査で現存していることは分かっていたのだが、今一つ場所が特定できていなかった。 千葉駅付近にあるのかと思っていたが見つからず、あちこち探索しているうちにようやく発見することができた。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区市場町 これは裏面 表面は道路側を向いている。 手を伸ばしてガード外から撮影を試みるが、難しい。 今まで一番難易度が高い。 どうする? 道路に出れば撮れそうだったが、交差点南東に千葉県警察本部があり、門番が見えた。 自動車に轢かれるか、警官に見つかるか、リスクが大き過ぎるので、正…
地域タグ:千葉市
本庄市の旧町名シリーズ第3弾は「照若町(てるわかちょう)」。 「照若町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「中央」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市中央一丁目 本庄宿の仲町付近は北に伊勢崎道、南は八幡山道が分岐していた。両街道沿いも開発対象となり、前者は寺坂町(照若町)、後者が七軒町となった。 照若町が住居表示によって中央になった時期はわからなかった。 町名の由来も不明。 照若町商店会 商工案内板 照若町の文字があった。 バス停?
地域タグ:本庄市
ネットで調べていたら、大泉学園町の琺瑯町名看板を発見したという投稿を見つけた。 それは「悠久の思い出」さんにも掲載されていない未見の琺瑯町名看板だった。 いてもたってもいられず、訪問して、現存を確認してきた。 ①練馬区大泉学園町2446 発見日 2022年12月1日 発見場所 東京都練馬区大泉学園町三丁目 広い通りから見える所なのに、なぜ今まで発見されなかったんだろう? 上部に木があるが、隠れているわけではない。 ポスターに隠れていたのだろうかと思って、ストリートビューを見てみるが、過去もそのような画像はなかった。 死角のような少し引っ込んだ所にあるからだろうか? とにかく、ともかく、どっちだ…
地域タグ:練馬区
八王子市の横山町は現存する町名だが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月19日 発見場所 東京都八王子市横山町 歴史 1882年(明治15年)7月町村分合により江戸期の横山宿を八王子横山町と改称。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により八王子町成立。これまでの八王子横山町の町域を横山町とする。 1968年(昭和43年)8月1日住居表示を実施。(旧)1~103番地を(新)1~25番地に変更。 地名の由来もともとは滝山城の城下町、八王子城を経て、江戸期に八王子十五宿の横山宿に因む。
地域タグ:八王子市
この日もやってしまった。 以前書いた下記の記事と同じことをまたもやしてしまった。 citywalk2020.hatenablog.com 池袋駅で西武池袋線に乗って大泉学園町から探索する予定だったのだが、何を感違いしたのか、また、東武東上線に乗ってしまったのだ。 改札に入ってから気が付いたのだが、気が付くのが遅かった。 次の電車が準急で、最初に止まる駅が成増駅で、乗車時間は9分。 しかたない、また、成増駅経由で探索しよう。 成増駅で降りて、板橋区内、和光市内を探索すると、見落としていたものをいくつか発見することができ、この間違いも、結果的にはよかった。 この旧町名もそんな中で発見したものだ。 …
地域タグ:練馬区
2年以上前に訪問し、見覚えがある建物に設置されていた。 その時は電力プレートの存在を知らなかった。 発見日 2022年11月28日 発見場所 埼玉県入間市宮前町 「クロス」を漢字で書くと「黒須」となる。 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、扇町屋村、黒須村、高倉村、善蔵新田が合併し、入間郡豊岡町が成立する。 1956年(昭和31年)9月30日豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)が合併し、入間市の前身となる武蔵町が発足。 1966年(昭和41年)11月1日武蔵町を入間町と改称した上で即日市制施行。入間市となる。 地名の由来 1. 黒洲のあて字。入間川を遠…
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2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
汗をかきかきしながら、一山超える勢いの急坂の路地を上り下りしていると、木製電柱が立っていた。 こんなところにも木製電柱があるんだと、感心ながら観察していると、電力プレートの存在に気が付いた。 いや、実際は、木製電柱を見た瞬間に気が付いていたのだが、こう書いてしまった。 横須賀市で初めて発見した電力プレートは、やはり木製電柱に付いていた。 カンドー!! 期待も全然していないのに突然出会ってしまったら、この言葉が出るのは当然のことだ。 目撃情報もない。 たぶん。 こんな道は、迷い込まないとたどり着けないだろう。 そんなところにあったのだ。 俺は今、猛烈に感動している。 誰の言葉だったっけ? 電柱の…
ネットで「吉片」の名がある旗竿ボックスの存在を知り、探してみることにした。 所在地は書かれていないので、自分で探すしかない。 「吉片」だから、"駒込吉祥寺町"と"駒込片町"があったあたりだろうと当たりを付ける。 下記の地図に町会の範囲が書かれていた。 ここのどこにあるのだろう? でも、全域を探してもそれほど時間がかからないだろう。 問題は現存しているかどうかだ。2025年5月26日、現地調査を開始する。 すぐ見つかると思っていなかったが、本郷通りの歩道を歩いていると、ちょうど下記の地図の現在地付近にあるのに気が付いた。 下の写真だと下の方。 本駒込地域センターの真ん前。 良く残っていた! 現物…
2025年5月23日たまたま通りがかったら、「2k540 11のヒミツ」が開催されていたので、このイベントの様子をレポートすることにしよう。 その1と2 高架下も、職人のまちかつて御徒町周辺は、伝統工芸職人のまちでした。工房が多く、クリエイターが増えている地域柄を反映しものづくりの街に。見えないところに実は工房が併設されているショップも多数! 周辺の街並みとの調和昔は東西を分断する壁がたちはだかっていた。開発後は、周辺の建物となじむように小さなスケールの棟が並んでいる。 秋葉原駅本屋 その3と4 二つの高架橋が一つになって、2k540になっている山手線・京浜東北線が走る鉄骨鉄筋コンクリート高架…
神辺土建コレクション この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。発見日 2025年4月22日 発見場所 埼玉県入間郡越生町 消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?発見日 2025年5月5日 発見場所 埼玉県入間郡越生町小杉 "梅園"が入っているので、旧町名扱い。ここからは2025年5月5日のこと。 予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。越…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区杉田 ① ② 歴史 1868年(明治元年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。 1889年(明治22年)4月1日杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。 1964年(昭和39年)3月24日新杉田町を埋立編入。 1978年(昭和53年…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の材質が違うのが面白い。京都市と法務局 「京都市」の"都"のフォントがユニーク。それぞれの近くにある円形の「法第14条地図」って何だ? 不動産登記法第14条第1項に基づいて作成された地図のことで、法的には「地図」と呼ばれる。これは、正確な測量に基づいて作成されており、土地の筆界(法的な境界)を示す公式なもの。 とのこと。
今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…
大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…
朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…
たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。
平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…
2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…
国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…
一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…
北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。
東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…
2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…
通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市
2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…
いきいき浅草あじさい祭に昨年初めて訪問し、下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 紫陽花の美しさに目を奪われた昨年の感動が忘れられず、今年も早速行ってきた。 東京の最高気温は29.9℃。 東京都心では、12日午後1時39分に、最高気温30.1℃を観測し、今年初の真夏日となったが、それに匹敵する気温だった。訪問日 2024年6月15日訪問場所 東京都台東区千束3-19-6 甘茶香の大香炉 お釈迦さまの御降誕会(花まつり)で知られる甘茶は、甘茶あじさいというガクアジサイの変種から作られるお茶で、古来より健康増進の生薬として親しまれてまいりました。この香炉のお…
2024年6月10日、北区豊島を探索していたところ、大好物な古き良きものをいくつか発見した。電力プレート ①トシマ-27 ②トシマ-39 「シマ」に見えるかもしれないが「トシマ」、「ト」の一部見えている。住所プレート これも住所プレートのひとつ。 北区と番地の文字くらいしか読めなくなっているが、このタイプが残っているということは結構貴重なのだ。非琺瑯町名看板 豊島1丁目20 広告主はよく見かける「川村動物病院」。歴史 1889年(明治22年)の町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった。 1908年(明治41年)8月8日王子村は町制施行し王子町になる。 1932年(昭和7年)10月1日王…
この辺りは探索したことがあるので、やはり以前も撮っていた。 まだ紹介してはいなかったので、改めて撮ってきたことだし、今回紹介することにしよう。 発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区上中里一丁目 普通の人だったら、これを見て、太い木の棒にくっついている錆びた得体のしれないものとなるだろう。 もっともそう思ってくれるだけましで、存在自体気にしないのが一般的。 読者の方もこんなのが記事になるんかいと思っている方がほとんどだろう。 それがなるんだなあ。 書くから。ここは上中里1丁目30 車にこすられた跡や錆びだらけで痛々しい。 広告主は動物病院であることはわかるが、病院名が読めない。 以前…
2024年3月11日、探索を終え、久しぶりに水道橋駅から帰ることにした。 階段を上がると2番線ホームの左側に下記の説明板があることに気が付いた。 水道橋駅一、開業年月日 明治三十九年十月二十四日 二、水道橋の由来 神田川に架かり、三崎町と小石川・本郷と結ぶ橋であり橋上から神田川に架かった神田上水の万年樋が眺められたことから水道橋と呼ばれるようになった。この風景は江戸の名所に数えられ、「江戸名所図会」など多くの絵に残されている。 三、駅の構造物 駅の柱は、明治時代にドイツから輸入され使用後の古いレールによって組立てられている線路間の柱、ホーム上のアーチ形の柱などレールの芸術作で大変美しい。平成三…
かなり古い情報だが、駅からマンホールさんの王子町 - 路上文化遺産データベースによると王子町時代のマンホール蓋が下記の場所に残っているらしい。 ①堀船3丁目丸蓋1枚 ②十条周辺丸蓋3枚 ③王子本町2丁目丸蓋11枚、角蓋2枚 ④荒川区南千住2丁目丸蓋1枚 合計18枚。 大量だ! 見つかれば大漁だ!それぞれ現存しているか確認に出かけた。訪問日 2024年6月10、11、13日①堀船3丁目 撤去されていた! ②十条周辺 ②-1 中十条二丁目 紫陽花が咲くこの先にそれはあった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ ジャジャジャジャーン! 2枚現存を確認。 この調子だ。②-2 十条仲原一丁目 事前にストリートビューで確…
鎌倉市になってからの小字付きの旧町名を発見した。 発見日 2024年5月23日 発見場所 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷一丁目 前提知識がないので、扇ヶ谷今小路という町名があると思ってしまい、通り過ぎてしまうところだが、当然違和感があった。 下のアパートの紹介に現町名が書かれていたので、旧町名であることを確認できた。 扇ヶ谷と今小路の間に字が入って「鎌倉市扇ヶ谷字今小路」となる。 個人で住んでいる方はいないようだ。今小路通り 今小路通りとは・・・「新編鎌倉志」では、寿福寺門前にある鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」 から南行し、東側の巽荒神社前までの通りを指しています。「大日本地名辞書」には、「扇ヶ谷の谷口より南…
雨の日の翌日、紫陽花で有名な飛鳥の小径を訪問。 ひとつの花びらから雫が落ちそうになっているところを撮ったら、その中にも紫陽花が写っていた。撮影日 2024年6月10日 撮影場所 東京都北区王子一丁目
2024年6月10日の早朝、そう、歳なので目が早く覚める。 そして、スマホをひらき、前日のアクセス状況を確認する。 布団の中の日課になってしまった。 お知らせを見ると、こんな朝早くから、スターを付けてくださる方がおり、読者になっていただいた方も複数人いた。 何事だ? もしかしたら・・・。 スマホでは確認できない(できるのかもしれないが、方法を知らない)ので、少し早めに起きてパソコンに向かう。 やっぱりそうだ。 「きょうのはてなブログ」に当ブログの記事が載っていた。 右上の記事がそうだ。 今回で3回目になる。 数多くある記事の中から、細々と営業している当ブログの記事を3回も選んでくれるなんて、本…
北区中里を当てもなく彷徨っていたら、路地に入り込んでしまった。 たぶんこの辺りは探索した記憶がない。 と書いたが、いつも書いている通り、自分の記憶はあてにならない。 よく探索しているところでさえ、来たことがないと思ってしまうことがあるのだから。 そんな、来たことがあるのか、ないのかよくわからないところで、見たことのないプレートを発見した。 ということは、本当に初探索地域なのか?発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区中里 税の赤い文字と東京市章のバランスがどうなのかなと思ってしまうが、そんなのは重要ではない。 東京市のものが存在していること自体が重要なのだ。 東京市と書かれているから、…
横断歩道を歩いていると、近くに警察官がいるにもかかわらず、道路に出て写真を撮っているおじさんがいた。 何を撮っているのだろう? これか。 この交差点は何回も渡っているのに初めて気が付いた。発見日 2024年6月1日 発見場所 東京都港区赤坂二丁目これは、たぶんガス灯だ。 それぞれの部分に美しい装飾が施されている。 それぞれの模様に名前があるのだろうけれど、わからない。 でも、なぜこんなところに? 周りを見回して見るがガス灯らしきものは見当たらない。 帰ってから、ネットで調べてみたが、情報は見当たらなかった。 このガス灯はいつ頃設置されたものなのだろうか? 今も現役なのだろうか?東京都小平市にあ…
東京葛西用水路散策案内 川のまるごと再生プロジェクト「川の国 埼玉」をめざして埼玉県は、県土に占める河川の面積の割合が3.9%で日本一という水辺空間を有しています。この日本一の地域資源を生かすため、県では100箇所の川の再生を進める「水辺再生100プラン」を平成20年度に開始しました。平成24年度からは、さらに市町のまちづくりと一体となり、一つの川の上流から下流までをまるごと再生する「川のまるごと再生プロジェクト」に移行し、県民誰もが川に愛着をもち、ふるさとを実感できる「川の国埼玉」の実現に取り組んでいます。越谷市、草加市及び八潮市を流れる「東京葛西用水地区」においても、各市の申請を踏まえ、こ…
PartⅠでは、入口にいたホラー感漂う「マネキンかかし」と「城島アルミ像」をメインに紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com PartⅡではガラスケースの中に展示されている自分も含めたコアのファンしか喜びそうもないものばかりになるかもしれないが、それらをひとつひとつ紹介していくことにしよう。訪問日 2024年6月1、6日それでは、早速右側奥にあるものから紹介していくことにしよう。 ①無人島の宝 漂着物 取れる資源が限られる無人島での開拓。浜に流れ着く漂着物は、時に役立つ貴重アイテムとなる。一見ゴミに見える物でも使い道は様々で、長時間、海を漂って傷んだ結果放つその悪臭は…
2024年5月26日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!~DASH島・電力化計画、電話プロジェクト~」で紹介されていたので、訪問してみようと思い立った。 以前も敷地の周りは探索したことがあるのだが、今まで入館したことはなかった。 思い立ったが吉日と思ったが、開館しているのが、木曜日と金曜日だけだった。北門に着く。 ここから入れると思ったが、警備員に「入口はここではなくて、次の信号を右に曲がって、まっすぐ行って、信号を右に曲がってください。」と言われる。 言われた通り進む。 ようやくたどり着いた。 随分遠回りをしてしまった。 ロスタイム10分以上か?2024年5月30日(木)初めて入館する…
を歩いていたところ、確かこの階段のどこかにカエルがいるはずだということを思い出した。登って確認してみよう。 訪問日 2023年10月5、14日 訪問場所 東京都港区赤坂五丁目 こんなところにいた。 階段の一番上から下を見下ろしたところ こちらは2022年9月27日に訪問した時に撮ったもの。 公園附近沿革案內 この公園の附近は、江戸時代、広島藩松平(本姓浅野)家の下屋敷であった。一ツ木の地名は、むかし、奥州街道がこの地を通過し、人馬の往来が絶えない。 それで人継村といったのを鎮守氷川神社の神木が一本の銀杏の大木であったことから、 一ツ木と読み改めたという説などがある。この高燥の台地には、維新後、…
すっかり忘れていたが、「田無町下向台」はすでに紹介済だった。 citywalk2020.hatenablog.com 今回、田無町時代の旧町名「上向台」を発見したので、紹介することにしよう。発見日 2024年6月4日 発見場所 東京都西東京市向台四丁目 ちょっと文字が薄くなっているが、まだましな方だ。 この薄さが歴史を物語っている。田無町下向台の記事でも記載したが、同じものを載せておこう。田無市の歴史 1878年(明治11年)7月22日北多摩郡に編入される。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、田無町が発足。 1893年(明治26年)北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所…
2024年5月24日、旧鎌倉町のマンホール蓋がメインくらいに極楽寺付近を探索していたのだが、駅、トンネル、木製電柱、ポストと見どころ満載で、このマンホール蓋のことはすっかり忘れてしまった。 家に帰ってから、あっ、行くの忘れた・・・と思い出す。 もっとも、どこにあるかはっきりと調査していなかったので、見つからなかった可能性もある。 ネットでは詳細な場所の情報は見つからなかったので、ストリートビューで探してみた。 所在地は確認できた。 さて、どうする? しばらくたってから再訪しようと思ったのだが、いてもたってもいられず、翌日再訪することにした。稲村ケ崎小学校が見えた。 学校名の文字がいい感じ。そろ…
日比谷公園 季節によっていろいろな花が咲くので、季節毎に訪れている。 そして、訪れると新しい気づきがあることがある。訪問日 2023年12月16日、2024年6月1日中幸門脇にあるクスノキ 中幸門 『以幸橋門舊礎建造明治三十五年六月』と刻まれているが、この門は明治35年6月の日比谷公園開園時には存在しなかったらしい。手すりがクスノキに飲み込まれていた。 このようになったのはいつ頃からなのだろうか? 自然の力はすごい。 何十年後かには完全に飲みこまれ、姿が見えなくなってしまうのかもしれない。
2024年5月28日、蒸し暑い、これからいやな季節が始まる。 代官山で所用を済ませ、恵比寿駅へ向かうため、たまたま通った代官山公園でタイル絵を発見した。 旧同潤会代官山アパート 文化湯 タイル絵 昭和2年(1927)、この地に旧同潤会代官山アパートが建てられました。アパート内には銭湯もあり「文化湯」と呼ばれ、アパートの住人だけでなく、近隣の多くの人々に利用され、親しまれてきました。このタイル絵は、昭和30年頃「文化湯」が改装された際、壁面に飾られたものです。九谷焼で、客がたくさん「来い」という願いが込められ、鯉が描かれています。長く愛され続けた「文化湯」をいつまでも後世に伝えたいと、ここに移設…