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  • 地下二階からジワリと漂ってくる本質的物語について。

    村上春樹さんは、小説を書くことは①体力を整え、毎日定期的に書く②事前にシノプシスやストーリーを考えず、自身の「地下二階」からジワリと出てくる物語を待つ、という2点であるとおっしゃっている(自分しらべ)。 川上未映子さんによるインタビュー集、「みみずくは黄昏に飛び立つ」P.145ではこうおっしゃっている。 結局ね、読者って集合的には頭がいいから、そういう仕掛けみたいなのがあったら、みんな即ばれちゃいます。あ、これは仕掛けられてるな、っていうのがすぐに見抜かれてしまいます。そうすると物語の魂は弱まってしまって、読者の心の奥には届かない。 ここでおっしゃっている「物語の魂」、これは上述の「地下二階」…

  • TVとネットとアマゾンプライム麻薬。

    勝間和代さんのメルマガを毎朝楽しみにしている。 私が勝間さんが好きなのは、なんというかその「普通の人には気づけないちょっとした、しかし本質的なことを言語化する能力」のためである。 ご自身も自身の強みとしてそのことをおっしゃっている。 つまり強みを明確に把握されているのだ。 そのこと自体も勉強になる。 飲酒、たばこ、TV、広告視聴、ネットサーフィン、アマゾンプライム。 ただ、あるいは些少な金額で、依存性が高まり、気が付けば膨大な時間を喰ってしまう行為。あるいはその瞬間はハッピーでも、中長期的には健康を損なう行為(時間を喰われて運動の時間がなくなる、というのもある意味裏の行為ですね)を行わないこと…

  • インプットとアウトプットと主体性と惰性。

    勝間和代さんのメールを見ていて、 運動などがわかりやすいのですが、自分で運動するのと人の運動を見るのでは、明らかに人の運動を見る方がずっと楽なのです、しかしどちらの方が主体的かというというまでもないことですが、自分で運動をする方です。 という文章と出会った。 私は高校卒業までTVは8時までと言われており、これはある意味ではトレンドの話題にはついていけないことになるわけである。 だが、そのことで長く飢餓感があり、その飢餓感を糧に結局だらだら受け身で情報を入れる、というよりは、自ら興味のあることを探しに行く、ということを教えて貰えた気がしている。 8時が過ぎれば、洋楽を聞く。マンガを読む。小説を読…

  • 他者を認めること、それが「自分」を確立する。BY 森博嗣

    「自分探しと楽しさについて」P.101 にて森さんがおっしゃっている。 認めるというのは、存在を認め、立場を認め、意見を聞き、人格を尊重し、必要であれば、守り、敬う、ということである。(中略)ただし、この「尊重」とは、その意見に従え、という意味では勿論ない。 P.102からも引く。 「君と僕は意見は違う。しかし、僕は君を認める」。意見が異なることは、お互いの存在を否定することではない。 人に否定されるのはつらい。だがその否定が自らの不足が原因であるとすると。 その不足を自身が自身の言葉で納得し理解していればいいが、その不足を他人が指摘するのを受け容れることも大変だ。 受け入れるのにも、精神のパ…

  • 日本と西洋の文化と歴史と人種的傾向(歴史から影響を受けた)による違いについて。

    内田樹先生の村上春樹論を読んでいて、例えば日本では怨霊や祟りを感じる(感じたように思う)体験がごく自然なものとみなされていた、河合隼雄先生と会談していて村上氏の出した質問に、河合先生がごく自然にそう答えた、という部分に印象を受けた。 村上春樹氏と河合隼雄氏の対談集は私も最近読んで、その流れで現在河合先生(氏となったり先生となったり統一感がなくてすみません)の本を読むと、例えば河合先生はユングが大きく関係したかのエラノス会議に出られた経験があるし(ご子息と行かれてかの地で夜中にワインを痛飲して二人で歩いて帰る、というシーンは読んでいて目に浮かぶようであった)、そこでは勿論鈴木大拙と彼の禅の思想が…

  • トレーニングと経験と直感。

    「直感の正体は、情動をトリガーとした類推である」 勝間和代 直感に従う、ということは、私のなかではどちらかというと禁忌すべきことであった。 やけくそ、準備不足、どうとでもなれ、という時に取る手段。 そう感じていた。 だが、直感が働くためには、裏に多くの経験の蓄積がないとダメで、それがなければ固まってしまうだけで直感は働かない、という。 なので、「直感に従え」というのがダメだという姿勢を見直す必要があるように思った。 直感、というのであれば、悩んだときは困難な道をいけ、という言い方、あれも直感に近いものだ。 直感が働かず、迷った状態ではあるが、「困っている」という状況がある場合、その後の結果(精…

  • 創造は一瞬か?

    昨日の帰宅時の体重は63.5kg、体脂肪率9.7%。今朝の朝食前の体重は63.7kg、体脂肪は11.7%であった。 すこし落ちてきたようだ。数日前は65キロ以上あったので、1キロくらいは落ちている。まあ、体重はただ落とせばいい、ということではない。絶食すれば落ちるが筋肉も落ちる。脂肪を落とさねばならない。 冬場はなんとなくぷっくりしていたが、ここにきてテーマとしては「下半身を引き締める」を採用している。 具体的には「足上げ」系の運動を意識してやることだ。 下半身が引き締まれば、動きも軽くなる感じがして、気分がいいようだ。 将来を楽しみにして活動しても、得られる成果は一瞬であり、持続しない。人間…

  • 創作の妙。

    面白いものに理由があると考えていることがそもそも面白くないものしか作れない理由だ。面白いものは、面白いものを発想すれば良い。面白いものを作る手法に則って理由を設定して作ろうとするから面白くなくなる。もし偶然にうまくいったとしても全然新しくない。 ただ無難な「受けそうな」媚びた作品になるだけだ。むしろ、理由がなければ新しいものになる、という手法の方が当たる理由がありそうだ。 森博嗣 「思考」を育てる100の講義 P.53 2013 大和書房 森博嗣さんの文章を読んでいると、まさに「蒙を啓かれる」という感じがする。 制作、創作に関するこの文章にしてもそうだ。 私は版画を制作している。その時に出てく…

  • 一目ぼれと婚活とロマンチスト。

    一目惚れの結婚が意外と長続きをするのも、それこそ直感で相手を選んでるからと言われています。どうしても条件や判断で相手を選ぶと、その条件が変わってしまったり、あるいはその時の判断には影響しなかった項目が出てきたりしてしまうと、気持ちがぐらついてしまうからです。 勝間和代 勝間さんのメールで気になった箇所である。 婚活、というと、普段の出会いでは条件の良いものがない、ということで採用するものだろう。 だが、それを一つの出会いとして、条件もさることながら出会いの母数を増やす、という態度と、とことん条件にこだわる、という2つの方向性があると思う。 私があまり好きではない言葉(別に人にその感覚を強要しよ…

  • スポーツ賭博と007.

    スポーツ賭博が近々解禁の流れにあるようだ。 一方で少子化で将来性が低いこともあるだろうか、教師のなりてが減っており、その一因にブラック土日部活があるため、それを「地域に丸投げしよう」という方向がある。 地域であれば、費用は生徒持ち出しとなるであろうから、つまりは「貧乏であればスポーツはできない」ということになる。 そのためにいろいろ財源を公共で考えなければならない、というような「識者」の意見も散見するが、所詮は「自分でやるわけではなく、公共でやるべき」というだけなので気楽なものである。 本当は、スポーツが教育上どのように有効であり、そのように生徒が学びとして取り入れるかが重要であるとは思うが、…

  • ジム雑感。

    ずっと行っている市営のスポーツセンターが改修で2か月CLOSEしている。 それこそ「プリズナートレーニング」こと自重トレーニング、コロナでの自宅トレーニングでしのごうか、と思ったのだが。やはり高重量で少ない回数やる、という筋肥大を一番招くパターンが出来なくはないが、やりにくい。 気分転換が必要なのだ。着替えて、違うところで、周りも気合が入っている。そういう場であれば、やはり自身も集中しやすくなる。 1か月7150円の24時間ジムを最近家の周りをあるいていて発見した。1か月1100円の小さなカギ付きロッカーもあり、PCやサイフはなんとかそこに入ることを確認したうえで、とりあえずは2か月のつもりで…

  • 本質と神。

    世界の成り立ちの一番初めをいうのであれば、それが「一」であろうと、「全」であろうと、「神」であろうと、はたまた「無」であろうと、だいたいが言いたい対象は同じであろう。 そのものをどう表現するか。 それはどちらかというと気分であり、表現者の資質であり、そのものが育った社会の文化や文明による影響による、といっていいのかもしれない。 それはすべてであり、すべての始まりであり終わりであり、根源であるのだから、一方で様々な様相や外面や内面や歴史や成り立ちを持ちうる。 それを見ることは一生、あるいは今生では無理かもしれないし、いまここで叩いているPCのキーボードがそれをあらわしている、ともいえる。 現実を…

  • 本質と有と無と仏教とヴェーダーンタ哲学とローマ正教とグノーシス。井筒俊彦「意識と本質」を読む。

    思想、といっても、生き方の根幹をなすもの同士は弱肉強食である。 宗教による戦争などは端的にそのことをあらわす。 一方で結局究極的にはみんなが同根というか、せんじ詰めればすべての思想は収斂し、全てが一であるというか、無境界、という感じもある。 井筒俊彦の「意識と本質」を読んでいるが、中身が大変に濃いので、1ページよんでは戻り、時間が経つとそのページを読んだこともわからなくなる。膨大な知識と知恵の集大成という感じである。 気が遠くなるほどの学問の泰斗、という方は本当にいるのだなあ、というのがただ一つの感想といえるのかもしれない。 冒頭部分でいまだうろうろしているのだが、すべては私に与えられたこの頭…

  • 匿名ということ。

    内田樹先生の本が好きでよく読んでいる。 今読んでいる「街場の芸術論」で、ご自身は記名での発信にこだわっており、匿名での発信は責任感がなくて「卑怯だ」というご意見を読んだ。 いや、「卑怯」とまでは書かれていないようだが、私自身はそう読んだのだ。 このブログというか、日記も匿名(というかブログネーム)である。 そして私はこういう形での発信を実名でやろうとどうしても思えないのだ。 だが、その知見にいつも深く唸らされる内田先生がそうおっしゃる。 これをどう考えたらいいのだろうか、という宿題を、昨晩寝る前に仕込んだ。 眠っている間の深層心理に質問をする、ということが最近はたまにある。寝ている間に日中のと…

  • 不安でいることが安心につながる。真の「消極的やらされ開国」は近い。

    日本人は不安を感じる遺伝子が、世界人類一般と比して高いという。 なるほどこれは実感がある。 ということは。 「不安でいると安心する」 つまりは、「みんなが不安になっている状態がデフォルト」であり、そんな状態こそが「世間」であり「人生だ」と感じるわけである。 遺伝子なので、根拠なく不安になってもいいし、理由はよくわからなくてもいい。不安になる要素をいつも探している、という感覚さえある。 そして「不安になる」と、「バタフライ・エフェクト」により「表面的に困ったことが日本世間で起きても、みんなの”不安だ、日々対策対応しよう”という不安顔を見ていると、そのことで世間はジワリと好転してゆく、すくなくとも…

  • 24時間ジムに入った。InBodyをやった。

    さて、昨日24時間ジムに入会した。2か月分前払い、7150円x2+ロッカー1100円x2か月=16500円、ひと月あたりは8250円になる。 これをどう見るかだが、チェーン店なので、まあ平均的な価格であろう。24時間いつでも使える、という意味ではまめに使いたいところだ。 新しい施設だとマシンの感覚も違うので、昨日はいろいろと触ってみたが、やはり基本フリーウェイトが自分のリズムでできるので好きなようだ。 ありがたかったのは、ロッカーになんとかカバンが入ったこと。通勤帰りに寄ろうと思っているので、在宅勤務時はPCを持ち帰る。机上用で結構大きいのだ。パンパンであったがなんとか入ってくれた。これで安心…

  • 24時間ジムの見学。

    普段言っている市営スポーツセンターが2か月間改修となり通えなくなる。 なので、昨日は散歩途上で見つけた24時間ジムを見学した。 なんというか、今の時代なのでできる、進歩を感じた。 人は24時間居るわけではない。 入館は顔認証だ。 靴を変える必要はない。 なにかあれば契約セキュリティがやってくる。 これである。つまりは、普段着で、そのままできるわけだ。 月会費は7150円(税込み)。 これをどう見るか。 1か月経てば、系列店はどこでも利用できるという。 まあ、今のところ一つしか見つけていないが汗 WEBでカード決済して、顔認証登録をすれば使える。 問題はロッカーが小さいこと。いつも使うカバンは入…

  • 本質というものは無くて、あるのは縁とサムシング。

    と井筒俊彦さんは「意識と本質」で述べられる。 本質があってほしい、というのは、この世で生活する分には希望としてあるのだが、どこか心もとない気もするのものだ。 境界はない、全ては一である、という言い方は、本質がない、全ては縁である、という言い方の逆の言い方である。 名前を付けることで、一の中から「仮で区別された気がする」。 だが、名前をつけた文節が、本当に区別されているわけではないのだ。 全ての存在が、結局はひとつの一番小さい粒の集まりである。つまりは「縁」。 小さい粒と、その「集まり」の差はない。集まったことで、小さい粒と別のものにはならない。 なので、小さい粒が、「全」であり、「神」であり、…

  • 神話と言葉と「科学の限界」。

    この世がこの世として、個体に意識されるために必要なものはなんだろうか。 聖書はいう。 光あれ! はじめに言葉ありき。 様々な神話が、海と大地から生命が生まれ再生する仕組みを言う。 再生する仕組みを持つものが「生命」である。 私がいまだわからないのは、宇宙、が発生したものだとして、「どこに発生したのか」だ。この答が全くわからないのだ。 発生するために「空間」が必要だ、と仮定すれば、宇宙の前に空間があることになる。 つまりは存在としての宇宙がすべての始まりだとするのなら、宇宙は「精神」のなかから、あるいは「形を持たない考えのようなところ」に、いきなり存在として発生するしかないことになる。 形を持た…

  • 尿酸値、血糖値対策おさらい。

    昨日帰宅時の体重64.2kg、体脂肪率は10.1%。 最近は昼食は抜いて、水とフリスクにしている。朝食べて夕食を食べる間は、フリスク、水、コーヒーで過ごすのだが、朝食は7時、夕食は8時半ころと考えると13時間半の断食となる。 昼にプロテインバーを食べるのをやめたわけだが、そこまで急に体重が落ちるわけではない。だが、まあじわじわと下がってはいるようだ。 とりあえずは63キロくらいを目指すことにしたい。 さて、人間ドック結果により本日から行っていること(主に食事)。 尿酸増加対策。 1.果糖(フルクトース)摂取減。 :バナナを一日1本から半分にした。またドライフルーツバナナを食べるのをやめた。 :…

  • 河合隼雄とユング。

    岩波現代文庫 「ユング心理学と仏教」 河合隼雄著 を読んでいる。 P.58に、ユング派とは何か、ということで、河合さんが考える定義がこのように書かれている。 私はユング派であるということは、C・G・ユングがかつて行ったように、自分の無意識から産出されていく内容を慎重かつ良心的に観察し、それを基にして自分の生き方を決定し、個性化の道を歩もうとする、そして、そのために必要な基礎的方法や知識を身につけている者、と考えています。 河合さんは別の本で、すべての人の人生はすべて唯一のいわば芸術作品である、というようなこともおっしゃっている。 そう、私のこの人生は、唯一のものである。 だが、そのことは実は普…

  • 現状把握。体調と筋トレと人間ドック。尿酸値、血糖値、コレステロール。

    昨日帰宅時65.3キロ、体脂肪率10.2%、今朝朝食前65.5キロ、体脂肪率12.8%。昨日は筋トレあり。 さて、最寄のスポーツセンターが2か月間の改修に入るとの連絡があった。ここは最近はフリーウェイトが充実してきて、通勤途上、トレーニングのあと一駅あるく、というパターンで健康維持に一役買っているのだが、これが2か月ないのであればさてどうするか。 ここは5回数券で1000円、つまり1回200円である。いつもは100円ローソンで炭酸水1.3L,ゆで卵2個、サラダチキンの計300円+税を払って、タンパク質と水補給を入れても1回500円ちょっとである。 1回まあ600円として、週に2回、月に10回行…

  • ファスト動画と心のパンツと「べき」の質の変化と不変化。

    今朝の体重は66.3kg、体脂肪率7.7%と出た(朝食前)。土日に少し太ったようだ。体脂肪は低めに出たが、少しでも運動すると翌日たまによく出るときがある。 バタフライ・エフェクト、日本語の箴言では「風が吹けば桶屋が儲かる」をなんとなく実感するようになると、「べき」の質が少しだけ変化するように思う。 説明なしで「普通はそう思うこと」を否定されると反発がある。 例えばファスト動画。違法漫画サイトなどもそうだろう。 ファスト編集した時点で、著作権的に違法となるだろう、という感覚があるが、「ひと手間」かけているのでどうだろうか、という「逃げ口」が織り込まれている。違法サイトであれば「海外サーバー」であ…

  • トレーニングとエゴの関係。

    ビタミン12を飲んでいる。 寝違えで整形外科に行ってもらった薬である。末端神経を修復を行うらしいが、いわゆるビタミンなので効くのには時間がかかりそうだ。 痛み止めももらったが、眠気が起きるし、胃も荒れるということで、飲んでいない。 不思議なもので、痛みがあるうちは痛みがある事に加えて、「なにか体に不調があり、原因が不明で対策ができていない」という感覚があり、実はこれが一番やっかいなものであった、と気づいた。 いわゆる心配事、四六時中心にひっかかるもの、心の「住宅ローン」のようなものである。いわゆる「エゴ」に近いものだ。 医者、という仕組みが素晴らしいのは、そこにいけば原因が示され、対策が提案さ…

  • ストレートネックらしい。

    上腕部後ろの痛みと痺れで整形外科へ行った。 どうやらストレートネックでもあるようだ。 直接の原因は多分寝違えによる神経圧迫であるが、レントゲンを撮ると首の骨の間隔が一部狭い、といわれた。 自身の首の骨をまじまじと見ることはあまりないので、興味深かったが(苦笑)。 個人の備忘のため、ストレートネック対策のストレッチを転載しておくことにする。 タオルを使った首のストレッチ 1.タオルを首の後ろにかける2.両手でタオルの端を持つ3.頭を後ろに倒しながら、タオルを斜め上方向へ引っ張る4.ゆっくりとあごをのど側へと引く5.5秒間キープする6.ゆっくりとあごの位置を元に戻す3~6を5回繰り返す タオルでや…

  • 河合隼雄 より道わき道散歩道を読む。そして村上春樹本における「性」の位置付けを考える。

    最近河合隼雄さんの本をぱらぱらと読んでいる。 もともと理系で高校の理科教師をされながら、臨床心理学を大学院で学び、その後ユング派分析者として臨床心理士資格の設立に尽力された、という経歴も最近知った。 もともとは村上春樹さんとの会談本を読んでみて、非常にスイングした会話を楽しんだことから、単独本を借りてみたのだ。 私はヘッセでグノーシス主義を知り、同時期にユングの赤の書などにも興味を持ち、その流れでユング自伝等を見ながら最近はドイツロマン派にたどり着き、シュタイナーなどを読んでいるところだ。並行して鈴木大拙、神秘学などにも触れている。 そういう意味で、ユング派分析者であり、スイスエラノス会議にも…

  • 読書とは徹頭徹尾個人だけのものであり、作者との対話も勿論基本的には個人的なものである、という考えてみると当たり前のことについて。

    内田先生のレヴィナスを読んでいる。 私は哲学を学んだことはない。池田晶子さんの本を読みまくっているころ、哲学とは哲学史のことではなく、考えることである、ということを知り、膝を叩いてから、特に哲学を「学ぶ」ことにアレルギーを感じるようになった。 だが、先哲の考えを足掛かりに、ステップボードに、自らの考えを構築する、ということはいいだろう。マンガも絵画も、模写から始まる、という面もある。 つまりは先哲の言っていることをただ単に「解釈して」それをわかりやすく「解説する」ような「哲学学者」が池田さんの目についた、ということもあるだろう。 そんなことを考えたのは、前述のレヴィナス本で、読みとは徹頭徹尾個…

  • じじいはよくて、じいじは嫌だ。

    人は自らをどう呼んでもらいたいか、という問題に結構振り回される。 たとえば祖父母の呼び方。 現在一番人気があるのは「じいじ」「ばあば」であろう。 これはなんとなく意味が分かりつつ、語感が良いため呼ばれても嫌な気分になりにくい、ということであろう。こういうものは時代によって変わるものだろうが。 だが、「わしのことは”じいじ”と孫に呼ばせてくれ」という場面を想像するに、個人的にはとても嫌な気分がする。 これは「自らのことを敬え」ということと地続きだからだ。 いや、呼び方位で敬う敬わないなんて大げさな。 そう思う方もいらっしゃるだろう。 であれば、好きにされればよい。とにかくプライベートな世界の話だ…

  • 宗教を考えるまえに、十分に「神」のことを考えたか。

    それは「おのれを告げはするが、おのれを示さないもの」と「告げるもの自身」は別なものでありながら同じ名で呼ばれるということである。 レヴィナスと愛の現象学 内田樹 せりか書房 P.60 議論が議論のための議論であることを人はすべからく、敏感に感じる。 議論しようという時間は無駄だ、と感じる。議論することが自説を相手に認めさせ、相手を「論破」するという目的である、と議論者たちが考えているのならばなおさらだ。 議論はどうしようもなく、なにかを変えたい、理解いただきたい、そんなときに自然発生するものだと思う。そしてその議論の裏の真摯な態度、自説を無理やり押し付けるのではない態度、つまりは自分を敬い、相…

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夢見るように、考えたい
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