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2020/05/22

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  • 眼に見えない大きな存在と人のいうカミサマ

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。つまり、人間と極めて近しい超自然的な存在に対して神さまという名前は与えられているのです。名前を与えてきたのは古今東西の人間たちです。そもそも「あれでそれでこれで…

  • 心の鈍感さと大和魂

    日本人は大切なモノを随分と長い間置き忘れてきた気がしています。その大切なものを敢えて古い言葉で表現するなら『大和魂』と呼べるでしょう。 一般的に『大和魂』と言えば、何だか酷く時代錯誤で、政治的に手垢の付いたグロテスクな印象の言葉として扱われることが多いです。なので、過去の禍々しい『軍国主義の悪夢』を象徴する言葉として捉えている方も少なくないのではないでしょうか? しかしながら、本居宣長の歌にも「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」とありますように、元々『大和魂』というのは、血と硝煙の匂いのする『荒事』とは遠く離れた『たおやかな心』を現した言葉です。そして、波動的に見ればそれは太古より日本…

  • 人生、『頑固』より『素直』の方が身を助ける

    この世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが少なからずいらっしゃいます。ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないのです。しかも、取り込まれたら最後『自分』って存在が溶けて無くなるなんてことも少なくありません。それが強いチカラであればあるほど取り込まれる可能性は高くなります。まあ、これは何も眼に見えないチカラとは限りません。権力とか金の力とか、『現実的なチカラ』であってもそれは同じことです。それが強ければ強いほどそれに取り憑かれ、取り込まれるってことはよくあることです。 例えば下っ端の時は卑屈なほどぺこぺこして人の顔色を窺ってたのに、役職が付いた途端に横柄に威張り…

  • 因果のツケはいつか必ず回収される

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 原因という種があって結果という花が咲くのです。 原因に見合わない結果があると考えるのは不自然です。 何か現象が起こるなら、その現象相応分の原因が必ず何処かにあるって考える方がずっと自然でしょう。 で、因果応報というと多くの人は壁に投げたボールがそのまんま真っ直ぐ自分に返ってくるようなイメージを持ってるんじゃないでしょうか? 「ぎゃー!昨日のバチが今日当たった!」みたいな感じで分かり…

  • 健康にコダワリすぎるとやがて『健康』を失う

    「健康にコダワりすぎる人はそのうち『健康』を失う」ということを以前にも何度かブログに書いてきました。 なぜかといえば、心と肉体と魂のバランスが崩れるからです。 心と肉体と魂のバランスが崩れると人は病みます。 ここでいう『病む』とは、単に「病気になる」という意味ではなく、「心と肉体と魂の調和が失われた状態になる」ということです。 健康にコダワリすぎると西洋医学的な意味の病気になること、或いは病気にならないことに過度にコダワってしまいます。 その結果、例えば山ほどサプリメントを飲んだり、極端な健康法を盛んに実践しようとしたりするようになるのです。 それこそが『心と肉体と魂の調和が失われた状態』です…

  • 『自信』の有無と自己主張の強さの関係

    いわゆる『自信』について、このブログでは以下のように説明してきました。改めて要約すると① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には知識と経験値が必要とされる。 逆にいえば知識と経験値が得られれば「自信はつく」とされる。 ② このブログでいうところの『自信』は、そもそも知識と経験値の集積には基づかないモノである。生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無はある程度決定している。 簡単にいえば、親に100%認められて生まれてきた子は最初から『自信』がある。 それで、本当の自信というのを①のようなモ…

  • 人外のモノに触れすぎると魂が根腐れすることもあります

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを意図的にかつ継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んでいます。 単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に…

  • 人はあちこちぶつかりながら進歩するモノです

    人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。 歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないってことです。 人間子どものうちは道で転けたり、どっかから落ちたりよくします。それで身体の何処かを擦りむいたり、切ったり、打ったり傷を付けるのです。 それは身体だけではなく、心も同じです。あっちでぶつかり、こっちで叩かれながら試行錯誤を繰り返して大人になるのです。 で、大人になった…

  • 人から恨まれるとその分、じわじわと確実に呪われていく

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 言わば人間は想念エネルギー発生装置なのです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 例えばパワーストーンと呼ばれる魂のない無生物よりは何百倍も強烈です。 とはいえ一つ一つの想念エネルギーが何か誰にでも分かるようなすごい影響をいつも必ず表すわけではあ…

  • 「悪ではないけど善でもない」という話 (光と闇篇)

    森羅万象すべてのモノには波動があります。そして、波動は自然にあるものです。元から自然の一部なのです。自然には端から善も悪もありません。 例えば高気圧や低気圧のことを善気圧・悪気圧なんて言う人はいません。 晴れや雨は善でも悪でもないからです。 気圧に高低があるように波動にもレベルの高低はあります。 ただ、もちろんそれにも善悪はないのです。 人間にとっての『善悪』は確かにあります。しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」なのです。善だの悪だのといったってどこかに普遍不動なモノとして存在しているわけではありません。どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」…

  • 『受けること』とバランスを取ること

    まだ整体を習っていた頃「腕の良い整体師ほどあまり長生き出来ない。何故ならそれだけ多くのお客さんからたくさんの『良からぬモノ』を受けてしまうからだ」という話を聞いたことがあります。今から考えればその『良からぬモノ』とは波動のレベルの低いあれやこれやのエネルギーのことだと思います。 それを他人と身体的な接触することでもらってしまうのが所謂『受ける』ということです。 『受ける』という言葉からはそれこそ『良からぬモノ』というイメージを受けるかもしれませんが、『身体的な接触によるエネルギー的な影響』全般のことです。 身体的な接触が多ければ多いほど良くも悪くもエネルギー的な『交流』を増幅しやすいということ…

  • 不確実なこの世界には『絶対的な心の安定』はない

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば盲信することです。 精神的にナニカに「負んぶに抱っこ」の状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかのことです。…

  • 絶対的な正義を得たと信じる者の最終形としての魔女狩り

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれそれを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少しま…

  • 所謂『式神』と人を『物』と見る呪術

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年9月の記事 この前「人間が亡くなったら脳みそが使えなくなるので思考能力も無くなる」っておっしゃる方の話を書きました。 その人によると「人が死ぬと生きている時の…

  • 乱世と『人を人たらしめる波動』

    今の世は乱世です。それは目に見えている現実社会はもちろんのこと眼に見えない世界においても同じかと思います。なので、現在世界中のあちこちには、とてつもない数の波動エネルギーが飛び交っています。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど、その種類も多種多様です。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に直接憑いているモノもいれば、特定の場所や物に地縛霊のように憑いているモノもあります。そし…

  • この世とは『マヤカシだらけの世界』である

    この世の中はマヤカシだらけの世界です。眼に見えない事柄なら尚のこと、そうです。 マヤカシにやられない保証なんてどこにも誰にもありません。それどころかやたらとマヤカシに引っかかりまくるのが『人間』という生き物です。 古今東西死ぬまで一度もマヤカシに引っかからなかった人間はいないのです。 それが人間が作ったマヤカシであれ人外のモノが作ったマヤカシであれね。 マヤカシにやられまくって痛い想いをして段々と大人になるわけです。そして、その分少しだけ『疑り深い賢さ』を手に入れたりします。 マヤカシというと言葉として少し分かりにくいかも知れません。なので、例えば『ウソ』という言葉に置き換えたらどうでしょうか…

  • ブレーキの大切さを忘れがちなポジティブ志向

    自動車にはアクセルとブレーキが付いています。 だからこそ自由に動いたり止まったり出来るのです。 ブレーキとアクセルは二つで一つです。 どちらか一つだけならクルマはちゃんと動けません。 その二つを切り離すことには無理があるってことです。 人の心でいえばアクセルはポジティブ、ブレーキはネガティヴです。 もっと砕いていえばアクセルは前に向かって行きたい心、ブレーキは現状維持したい気持ちみたいな感じです。 さて、「何故心にブレーキがかかるようになってるか?」ですが、それは前向きに進むことに対して不安や恐怖を感じるからです。 じゃあ、そのブレーキは不要であり悪なのかといえばそんなことはないのです。 人間…

  • 操れる系と『万物の霊長』とやら

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 不自然で、『無理』があるのです。 その『無理』もたまたまではなく根本的に『無理』だって話です。何故なら、人間は自然という大きなモノの中のほんのごく一部だからです。 大きな自然の中に植物がいて、動物がいて、その動物の中に人間がいるのです。自然にとっては人間が『特別』な存在であったことはないし、これからも『特別』な存在になることはないでしょう。 自然を支配したがる人ってのは根っこの部分に「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観があると思うのです。というかそういう世界観でなければ「自然を…

  • いわゆる言霊と「言葉はそれを言う人を選ぶ」って話

    例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。 しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば何らかのチカラが生まれるのです。そういう『仕組み』を昔の人は言霊と言ったのかも知れません… 言葉というのは人がそれを発することによって何らかのチカラを発揮します。別の言い方をすれば、人間の中にある想念エネルギーがそこに乗っかることによって初めて言葉にチカラが与えられるということです。 で、もう少し突き詰めて発するとはどういうことかと言えば音を出すということです。人が音を出すことにチカラの源があるのです。 言霊という言葉の元々の定…

  • 荒々しさと心の暗黒面

    どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。それはコインの表と裏みたいなものです。荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければそのうち『無理』が出てきます。荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです…

  • 植物は『生き物』であって『道具』ではない

    当たり前ですが、植物も生き物です。石ころではないんですよね。心もあれば魂もあります。人間の持っている心や魂とは大分違うものですけどね。 「心がある」というのは植物が石ころみたいに何にも感じないわけではないということです。「魂がある」というのは無生物のようにエネルギー的に中身がガランドウではないということです。なので、植物にも個性があります。気性の違いもあります。同じ種類だからといってコピーされたみたいに同質ではないのです。この「植物には個性がある」ってことを認識してる人は随分少数派なような気がします。多くの人々にとっては植物はどれも同じような物にしか見えていないのかも知れません。動物好きな人な…

  • 場の波動は様々な要素で出来上がっている

    世の中にはエネルギー的なことに敏感な人は案外少なくないと思います。とはいえ全体的に見ればそういうことに鈍感というか、感じようとしない人の方が大多数でしょう。ただ、そういう鈍感な人であっても眼に見えないエネルギーの影響をまったく受けないわけではありません。受ける時は誰でも受けるのです。病気のもとになるウイルスとかを知らぬ間にどこかから『お持ち帰り』してしまうようにね。で、眼に見えないエネルギーを『お持ち帰り』しやすい場所として一番ポピュラーなのが、人が多い場所です。そういう場所には様々なエネルギーが集まりやすいからです。例えば大きな街にあるターミナル駅だとか、巨大なショッピングモールなどです。ま…

  • 競争も行きすぎるとやがてガラパゴス化する

    この世界は一般的に「競争社会である」と言われています。人間社会はもちろんすべての生き物は弱肉強食と適者生存という競争の中にあると…でもね、本質的な核心の部分って本当にそうなんですかねぇ?一般社会の常識で解釈するならば当然競争を勝ち抜く強さを持つべきってのが正しい『答え』なんでしょう。しかし、個人的にはそこに「拭いがたい違和感」ってのがずっとあるんですよね。競争原理と自然淘汰という進化論的な価値観に馴染まないココロってのがあるのです。そもそも競争から進化が生まれるって本当なんですかね?何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのがこの世界なんでしょうか?そこんところが引っかかるんですよね…それっ…

  • 理不尽で不条理な世界で明確な答えばかり求めると心が迷います

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自…

  • コペルニクス的転回と心の柔らかさ

    世間の常識ってヤツはいとも簡単に変わるものです。昔はごく普通だったことが今の感覚だと「あり得ない」なんてことは少なからずあります。例えばタバコに関してです。1980年前半くらいまではサラリーマンの多くは会社の自分のデスクで当たり前にタバコを吸ってたと思います。少なくとも事務所の禁煙は主流ではなかった気がします。これは会社だけではなく、社会通念として「タバコを吸ってはいけない」というのは長らくなかったんじゃないでしょうか?今ならタバコを吸うことに対しては社会的に非常にネガティブなイメージがありますが、当時は大人の男がタバコを吸ってるのは普通でした。善い悪いではなく、みんなの感覚としてそうだったっ…

  • 正しいの比べっこに負けた方は大抵『嘘つき』になる

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 分かりにくくても原因と結果は必ず繋がっているモノです

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。原因という種があって結果という花が咲くのです。原因に見合わない結果があると考えるのは不自然です。それは何か現象が起こるなら、その現象相応分の原因が必ず何処かにあるってことでもあります。だから、因果応報というのは宗教やスピリチュアルの専売特許でもないのです。少なくともこのブログにおいてそれは『原因と結果の関係性を単純に表した言葉』です。それでも、「神さま絡みのことは普通の因果応報に縛られな…

  • 「チカラに魅せられる」ってことの危険性

    スピリチュアルな世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが大勢いらっしゃいます。本当かどうかはともかくとして、神だ天使だ宇宙人だってモノにね…ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないんですよね。しかも、取り込まれたら最後『自分』って存在が溶けて無くなるかもしれません…強いチカラほど取り込まれる可能性は高くなります。あっ、これは何も眼に見えないチカラとは限りません。権力とか金の力とか、『現実的なチカラ』であってもそれは同じことです。それが強ければ強いほどそれに取り憑かれ、取り込まれるってことはよくあることです。 下っ端の時は卑屈なほどぺこぺこして人の顔色を窺ってたの…

  • 霊能者と占い師とダブルスタンダード

    ここでいう心の視野の狭さとは自分を相対化して見られなくなった状態の事です。じゃあ、何故自分を相対化出来なくなってるかというと自分だけを別枠にして考えるクセを付けてしまってるからです。簡単な話「自分はいつも正しい!」っていうのを心の拠り所にしているからです。 「自分がいつも正しい!」に取り憑かれるとダブルスタンダードになります。ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。このダブルスタンダードの大きな問題点は、それにハマっている人の多くが「自分がダブルスタンダードだとはちっとも思ってない」というと…

  • これからは今まで以上に『選ぶこと』を求められる時代になるでしょう

    森羅万象すべてのものには波動エネルギーがあります。 そして、生きるということは数限りない出会いと選択の連続で成り立っています。 ということはこの世界にいる限り様々な波動エネルギーとの出会いと交流を余儀なくされるということです。 ただ、出会いと交流っていうのは一方通行ではなく相互に影響を与え合うことです。この影響を与え合う関係になるということが『繋がる』ということです。『繋がる』ということは善でも悪でもありません。ただ、ナニカとあるいは誰かと『繋がる』ことでご本人にとって良いことや悪いことが起こるキッカケとなることは少なくありません。スピリチュアルや自己啓発界隈には、繋がることをなんとなくいつも…

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