chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
orion12
フォロー
住所
岡山県
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/22

arrow_drop_down
  • 波動的な判断と理屈による判断

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。例えば用事などで行かなくちゃいけない場所があったとします。その場所に行くことによって身体や心に何らかのダメージを受けるなら波動のレベルは当然低いのです。逆に身体や心が楽になるような影響を受けるのなら波動のレベルは高いのです。ダメージを受ける前兆として背中がゾクゾクしたり、急に何かがのしかかってきたみたいに身体が重くなったりってことがあります。或いは心がドヨヨ〜ンとして考えが巡ら…

  • いわゆる楽園伝説と魂が試される時代

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラ…

  • 魂がスカスカだとナニカに憑かれて奇妙なチカラを得たりします

    以前から何度か「魂が腐る」ということについて書いてきました。ここでいう「魂が腐る」というのは何らかの理由で元々みっちり詰まっているはずの魂の中身がスカスカになることです。 心のスキマが広がってガバガバになり、そのうち魂そのものがスカスカになるのてす。魂が腐ると人間らしい心が段々と溶けていきます。分かりやすく言えばサイコパスみたいな感じになるのです。(注 サイコパスの人がみんな魂が腐ってるという意味ではありません)良くない意味で心が『人間離れ』していくってことです。 で、その状態をエネルギー的な角度から見るならば色んなモノに憑かれやすいということが言えるでしょう…傾向として憑かれやすい方向へズル…

  • 『正義』の最果てにある魔女狩りの時代

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…

  • 所謂カミサマってのは得も与えれば損も与える

    このブログにおけるカミサマという言葉が何を表しているかということについて改めて書いておきます。ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているのです。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。「神というのはあれでそれ…

  • 『死ぬまでちゃんと生きること』と『生きながら魂が腐ること』

    世の中のすべてのモノは動き続けることで必然的に劣化していきます。しかし、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。では、バランスを取るのをやめてしまったらどうなるでしょう?当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感覚が狂ってしまいます。そうなると当然『平衡のとれた心の位置』というものが分からなくなっていくのです。それどころか心の位置が極端に偏ってしまっても「自分はど真ん中にいる!」と感じるようになります。そういう心の状態が長く続けば続くほど波動的な意味で魂は腐っていきます。 ここでいう『腐る』とは何らかの理由で元々みっちり…

  • 唯物論的な考え方と因果のツケ

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってだけのことです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられなく…

  • ムダを省き続ければそのうち人を間引く優生思想にたどり着く

    ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個人的にはインスタントって呼んでいます。私のいうインスタントというのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という在り方のことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね…何よりも『手っ取り早くて分かりやすいこと』を優先させる発想です。 でも…

  • 人の想いのチカラを侮るべからず

    人が何か思えばその瞬間想念エネルギーは発生します。 つまり、人間は生まれてから死ぬまでの間毎日寝ても覚めても想念エネルギーを発生させ続けているわけです。 言わば人間は想念エネルギー発生装置なのです。 なので、たった一人分だけでもそれは膨大な量になります。 量だけではなく、人間の想念エネルギーというものは波動的に見て決して弱くはありません。 弱いどころか生きている人間の想いのチカラというのはこの世界の中では相当な強さを持っています。 日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主…

  • 操れる系と「井の中の蛙大海を知らず」って話

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。でも、実際はどうかといえばいまの世の中、少な…

  • 「ブレない!」が良くないのは心のクセが酷くなるからです

    人には誰しもクセってモノがあります。そのクセっていうのはその人の持っている行動様式や思考形態によって形作られます。その人の持っている行動様式や思考形態に由来する特定の行動や思考が何度も何度も繰り返しなされることによってクセとして定着します。つまり、クセとは意識的であれ、半ば無意識であれその人自身が作り上げたモノであるということです。であるならまたその人自身が変えうるモノでもあるということです。とはいえクセというのは一朝一夕に出来上がるモノでもありません。随分長い時間をかけて徐々に出来上がったモノです。そうやって出来た心や身体のズレやネジれがクセなのです。で、心や身体がズレた状態が長引けば長引く…

  • 人の心の光と闇は糾える縄の如し

    怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 哲学者フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉です。眼に見えない世界に関わろうとする者なら特に上記の言葉は肝に銘じられた方が良ろしかろうと存じます。比喩ではなく、『そのモノずばり』の意味としてね!コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がれば晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光…

  • 「眼に見えないモノを召喚する」とかいう危険

    このブログでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことを指します。 昔の陰陽道で言わていたような狭義のモノとは違うとお考えください。他に適当な言葉が見つからないので『人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべて』を式神という言葉で表現しています。言葉としてはどちらかというと使い魔と言った方が近いのかも知れません。実際何らかの呪術的な方法によってエネルギー体を使役しようと試みる人々は古今東西後を絶ちません。 後を絶たないどころかソフトな装いに変わって増えている気がします。エネルギー体を使いたがる人ってのは…

  • 波動のレベルを上げるには肉体が必要です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 例えばそこに眼に見えないエネルギーがあるとします。そのエネルギーによって身体や心に何らかのダメージを受けるなら波動のレベルは当然低いのです。逆に身体や心が楽になるような影響を受けるのなら波動のレベルは高いのです。ここでいう波動のレベルの高低とはそこにいる人の波動のレベルを基準としたモノです。そことはそのエネルギーが影響を与えている場のことです。なので、波動的にダメージを受ける…

  • いわゆる物の怪使いと魂がスカスカな人

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 それは単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し…

  • コダワリとストレスと『まっ、いっかぁ度』

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対する強い執着が弱まって「まっ、いいかぁ」と思えるような心の状態に近付いていくことです。言い方を変えればコダワリからの自由度が上がるということです。 「これしかない!」って『鎖で繋がれた場所』から心が解放されるのです。コダワリは心に…

  • 場の波動と人のエネルギーの関係

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げたければ現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるといいです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『直感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避け…

  • 「人口削減をする神は実在する!」とかいうスピリチュアル

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが…

  • 親からの波動的な影響について

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを高くするためには『今の自分』より波動の高いと感じる人・物・場所を出来るだけ選んで親しむように心掛けることが一番の近道です。当然『今の自分』というのは時とともに変わっていきますが…ここでいう『人・物・場所』というのは自分の周りのトータルな環境のことです。その中でも自分の居る『場所』を変えると効果が出やすいです。 波動のレベルの高い『場所』に居続ければそれが波動の高…

  • 日ごろ何気なく発している言葉にその人の本質は現れる

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが分かりやすいのは『言葉』というモノサシです。自分の使ってる言葉であれ、他人の使ってる言葉であれ、言葉の選択と使い方をある程度継続して観察すれば、その人の波動のレベルはほぼほぼ推察することが出来ます。言葉が荒々しいというのは波動が荒々しいということです。波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。逆に言葉が穏やかということは波動も穏やかだということ…

  • 人や場所が黒く見えたりボンヤリ見えたりする理由 (波動のレベル篇)

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 すべてのモノには波動エネルギーがあります。 当然場所にも波動のレベルの高いところと低いところがあるのです。 ヒーリングなどしておりますと実に様々な場所と出会うことになります。 出会うといっても実際に足を運んでその場に行くということはほとんどなくて、遠隔で波動を確認させてもらうことが大部分ですが… そして、やってることの性質上波動の低い場所に接するほうが圧倒的に多いのです。 そ…

  • 自由を語る者ほど束縛したがり、平和を語る者ほど争いの渦中にいるのは偶然ではない

    世の中にはいわゆる一つの『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い…

  • 眼に見えないモノには「恐れすぎず、でも決して侮らず」が大切

    世の中には本当に色~んなエネルギーが存在しています。 街に出れば携帯電話から出る電磁波だけでも物凄い数が飛び交って人の体もグサグサと突き抜けているのです。 細菌やウイルスは空気中を浮遊しそこら中に付着しています。 もちろん人間の皮膚や体の中にもそれは入ってくるのです。 でも、ほとんどの人は平気で外出し電車や自動車に乗り、人と触れ合います。 ウイルスや電波が怖いから外出しませんなんて人がいたら「おいおい、大丈夫か?」となるはずです。(あっ、今はそうでもないか(^_^;))所謂霊的なエネルギーだって状況は似たり寄ったりです。 人間の身体の中には外部から様々な波動エネルギーが日々入って来ます。直ぐに…

  • 違和感に反応する心のクセをつけておく

    遅かれ早かれその人の中に有るものは出てくるし、無いものは出てきません。「今まで一度も出てきてないけど、実は昔からずっと持ってるんだよ」みたいなことは、ほぼほぼ無いんじゃないでしょうか?「才能みたいな眼に見えないモノは、出てきても分からない」なんていう人かいたら眉に唾つけて見た方がいいです。細かいことは分からなくても出てきてたら、その片鱗くらいは真っ当な感覚の持ち主なら分かるはずだからです。それは幾ら最もらしいことを言っていても、心がこもってなければ「心がこもってないこと」を見破られてしまうのと同じです。まぁ、どっちにしても上辺だけ見て騙される人は騙されるんでしょうけどね…例えば映画とか小説の中…

  • 時の波動と時代の変わり目

    人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風にハッキリと分かれ続けているように見えます。その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました 昔ならあったはずのグレーゾーンが無くなったために波動的な『緩衝地帯』もまたなくなったのです。アナログ放送が地上デジタルになったように残酷なまでに『素の生地』がハッキリ見えてしまうようになりました。その傾向が一気に強まったのは直近では東日本大震災の起こった2011年からです。ただ、そのそもそもの発端は1989年にあったと思っています。そう、ベルリンの壁が崩れ、所謂『東側』の世界が崩壊を始めたあの年です。…

  • いわゆる霊媒体質と受けやすくなる状態

    ここでいうところの霊媒体質というのは波動エネルギーに対して敏感であり、その影響を如実に受けやすい状態という意味です。もっと言えば影響を受けてしんどくなりやすい状態のことです。所謂霊的な何かが見えたり聞こえたりしやすいという『霊感』的な能力の有無とは分けて捉えています。だから、エネルギー的な感度が少し高めの方であっても、日常的に顕著な負の影響を受けない状態であればここでいう霊媒体質ではありません。霊媒体質の人はごく普通に日常生活を送っていても、あれやこれやとエネルギー的な影響を受けてしまうということが少なくありません。所謂『受けやすい』人なので…以前整体をしていた時に聞いた『受ける』ってことにつ…

  • 「世界を支配するぞ!」という傲慢に対するツケ

    「エネルギーを上手くコントロールする」なんてことをおっしゃる方がスピリチュアル界隈には少なくありません。自分で出し入れ出来る範囲のエネルギーならそれも可能かも知れません。 っていってもそれも中々難しいとは思いますが… ここでいうエネルギーというのは眼に見えないチカラ全般のことです。 スピリチュアルなチカラがあればそういったモノを自由に出来ると考える方が何故か多い気がします。 所謂スピリチュアルっていうものは西洋的なものの見方を元にしているんだろうと感じます。 そして、西洋的なものの見方には「自然を人間が征服することが出来る」という考え方がベースにあるんじゃないでしょうか。 だから、色んなモノを…

  • 化かされたい人といわゆる一つのチャネリング

    所謂『化かされた』状態の人というのは自分が化かされていることに気付いていません。化かされている人は化かされていることに気付かないから化かされているのです。 そこが(学校の勉強なら絶対100%試験に出るほど)非常に重要な点です。 ここでいう『化かされた』状態というのはマヤカシに取り込まれて思考停止になった状態のことです。神秘現象とか見せられて舞い上がった末にね…逆に言えば化かされているという状況は「待てよ! これってオカシクないか?」と『気付くこと』によって変えることが可能です。本人がちゃんと気付いて、思考停止から抜ければ化かされた状態から脱することが出来るでしょう。 だから、人外のモノは人間に…

  • 「昔は良かった」というノスタルジーと因果応報

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね…そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思っています。最初のボタンから掛け違えてると強く感じるのです。昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。「時代を…

  • 言葉の荒々しさは波動のレベルのバロメーター

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。波動のレベルが分かりやすいのは『言葉』というモノサシです。自分の使ってる言葉であれ、他人の使ってる言葉であれ、言葉の選択と使い方をある程度継続して観察すれば、その人の波動のレベルはほぼほぼ推察することが出来ます。言葉が荒々しいというのは波動が荒々しいということです。波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。逆に言葉が穏やかということは波動も穏やかだということ…

  • 競争という『チカラ比べ』の行き着く果て

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね…そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ?実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか。もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟なんてモノではないよね」ってことです。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。例えばナマケモノみたい…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、orion12さんをフォローしませんか?

ハンドル名
orion12さん
ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
フォロー
『クリアー整体ヒーリング』です

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用