chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
カトリック情報 Catholics in Japan https://blog.goo.ne.jp/catholic_info

聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています

カトリック情報 Catholics in Japan
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2016/07/09

arrow_drop_down
  • 中国でのデモが台湾有事に繋がる危険性

    中国での民衆の抗議活動が大変に凄いようですが、それによって、むしろ台湾情勢が悪化しないか、私は心配しています。習近平は、国民の不満を外に向ける必要があるからです。来年末か、再来年か、台湾侵攻が現実化するのではないでしょうか。抗議活動はかつてない規模であり、中国の指導者の退陣を要求するという、かつてない内容のようです。中国の指導部がこの状況に危機意識を持たないとは、思えません。関連記事コラム:ゼロコロナと抗議デモ、中国当局が招いた「三重の危機」ロイター中国政府「ゼロコロナ」政策への抗議活動に警戒強めるNHK中国政府各地に警察官動員「ゼロコロナ」抗議活動を抑え込みNHK中国でのデモが台湾有事に繋がる危険性

  • 自分の生き方の改善を後回しにすることの危険性 聖マキシミリアノ・コルベ

    秩序を守れ(一日の秩序、仕事の秩序)、なぜなら、秩序を欠くとき、少なくとも軽い罪を犯すから。自分の生活の改善を後まわしにすることが、多くの人にとって滅びの原因となったのだ。もっとも完全にする者が、もっとも完全な者である。聖マキシミリアノ・コルベ自分の生き方の改善を後回しにすることの危険性聖マキシミリアノ・コルベ

  • 『救われる人の数の少なさ』ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教4

    ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教『救われる人の数の少なさ』4◆7、あなたはそのようなことを考えるとゾッとするのでしょうかよろしい、それではあなた自身をイエズス・キリストの御足の許に投げて、涙に濡れた目と悔悛した心をもって主にこう申し上げて下さい、「主よ、私は、自分が今までキリスト教徒として相応しく生きてこなかったことを認めます。私はあなたの選びの中に数えられるに値しない者です。私は自分が滅ぼされるに値すると認めます。しかし、あなたの御憐れみは偉大です。それで、私はあなたの恵みに全く信頼して、あなたにこう申し上げます。私は、私の霊魂が救われる限り、たとえ富、名誉、そして肉体の生命そのものさえも犠牲にしなければならないとしても、私の霊魂を救いたいのです。もし、私が今まで忠実でなかったとしても、私は後悔し...『救われる人の数の少なさ』ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教4

  • アンナ・マリア・タイギの見た天国/地獄比率

    今日のキリスト教徒の多くは、呪われています。ある日に死んだ人々の運命は、天国に直行した人はごくわずかで、10人もいません。多くは煉獄に留まり、地獄に落とされた人は真冬の雪のように大勢でした。福者アンナ・マリア・タイギアンナ・マリア・タイギの見た天国/地獄比率

  • 『救われる人の数の少なさ』3:ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教

    ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教『救われる人の数の少なさ』3◆5、天主の善性おそらくあなたは、今私があなたに教えたことをまだ信じてはいません。しかし、今まで私を通して話してきたのは最も尊敬されている神学者達であり、最も傑出した教父達なのです。ですからあなたは、これほど多くの事例と聖書の言葉によって支持されている根拠にどのようにして抵抗することができるのでしょうか。もしあなたがこれらにも拘らずまだ躊躇うならば、そしてもしあなたの心がこれとは正反対の意見に傾くならば、この真実の考察もあなたを震えさせるには十分ではないということでしょうか。ああ、それはあなたがあなた自身の救いに大して用心しないということを意味しています。分別のある人は、霊魂に関係のない他の事柄における完全な破滅のはっきりとした徴候によって...『救われる人の数の少なさ』3:ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教

  • 救われる人の数は収穫後に残る残り物ほどに少ない 聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

    救われる者の数は、ぶどう園の収穫者が去った後に残るぶどうの数ほどに少ない。聖ジャン・マリ・ヴィアンネ救われる人の数は収穫後に残る残り物ほどに少ない聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

  • 『救われる人の数の少なさ』2:ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教

    ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教『救われる人の数の少なさ』2(極端な数字が出てきますが、常にそうなのではなく、たまにそのようになることもある、くらいに理解すると受け入れやすいのではないかと思います。しかし、信じる義務はないにせよ、一度は知り、頭の片隅に入れておいた方がいい説教だとは思いました)◆4、人生の様々な状態における救いしかし、ああ、私は全てをこの方法で一般的に語ることによって私の言いたいことの要点を逃していることに気づきます。ですから、この真理を人々のいろいろな状態に適用しましょう。そうすれば、あなたは、信仰に関する理由付け、経験、そして一般常識となっているところのものをも捨てなければならないことを、あるいはカトリック信者のより多くの人達が滅びに至るだろうことを認めざるを得ないことを、理解す...『救われる人の数の少なさ』2:ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教

  • 救われる者が少ないのは確かである 聖アウグスティヌス

    救われる者が少ないのは確かである聖アウグスティヌス救われる者が少ないのは確かである聖アウグスティヌス

  • 救われる人の数の少なさ ポルト・マウリチオの聖レオナルド

    今日はポルト・マウリチオの聖レオナルドの記念日です。その説教を紹介します。霊的な利益になるものです。ただし、極端な数字が出てきますが、数字を字義通りに捉えるより、教訓的なものと理解した方が、受け入れやすいのではないかと思います。ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教『救われる人の数の少なさ』編者の言葉ポルト・マウリチオの聖レオナルド(1676-1751)は、ローマの聖ボナヴェントゥラ修道院に生きた最も清いフランシスコ会修道士でした。そして教会の歴史の中でも最も偉大な宣教者達の中の一人でした。彼は、彼の聴衆を収容することのできる大きな教会堂を持たない市や町ではどこででも、数千もの人々に向かって屋外の広場で説教しました。彼の雄弁は非常に素晴らしく且つ神聖だったので、一度などは、彼がローマでの二週間のミッション...救われる人の数の少なさポルト・マウリチオの聖レオナルド

  • 義人がかろうじて救われる 聖書

    義人がかろうじて救われるのなら、不敬虔な人や罪人はどうなるであろうか。ペトロの第一の手紙4章18節義人がかろうじて救われる聖書

  • 第二次世界大戦の死者の殆どが地獄に堕ちる ファティマの聖母

    ある日、ジャシンタの家でルシアは彼女が何か深く物思いに沈んでいるのを見て聞きました。「ジャシンタ、あなた何を考えているの?」「次の戦争よ。沢山の人が死ぬわよ。そして殆どの人が地獄に行くの。沢山の家が焼け、沢山の神父様も殺されるのよ。いいこと?私は天国に行くわ。このことが全て起こる前、夜、天に光が現れるって、マリア様が仰ってたわよね?あなたも天国に逃げておいでよ」ファティマの奇跡1917年(聖ジャシンタが聖母の私的啓示を見て。戦争とはそれから起きた第二次世界大戦のこと)第二次世界大戦の死者の殆どが地獄に堕ちるファティマの聖母

  • 感謝の事『心戦(霊魂の戦い)』第57章

    第57章感謝の事凡て我等の持てるもの及び行うところの善事は悉く神のものにして神より出ずるものであるから、我等の求め得た成功や勝利のため、また我等が慈悲の聖手より戴ける一般の或いは特別の恩恵のために感謝するのは、義の当然のことである。適当にこれを尽さんが為には、神が我等にその恩寵を与えて下さる目的を考えるがよい。よくこれを考うれば、如何ように感謝すべきかを知ることが出来るのである。神身が凡て我等に恩恵を下し給う目的は、先ずその光栄を計り、次に我等が神見に愛敬奉仕するのを望み給うのである。そこで我等はこれを考えつつ、こう心得ねばならぬ、「この恩恵、この恩寵を、斯く寛大に賜りしは、神に於て如何に全能、全知、全善の業なるかな」と。それから我等自身を顧みれば、何等の恩恵をも受くべき身にあらずして、ただ恩を忘れ、過失...感謝の事『心戦(霊魂の戦い)』第57章

  • 周りは死体と血の海 聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

    一人の軍人が、ある時私に語ってくれました。彼は戦場で半時間の聞、ずっと屍体の上を歩きました。殆ど足の置き場もありません。辺りは一面血まみれていました。このように十字架の道においても、苦痛の上を歩かねばなりません。聖ジャン・マリ・ヴィアンネ周りは死体と血の海聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

  • 精神的聖体拝領

    第56章精神的聖体拝領聖体の秘蹟を拝領する事は一日一度に限るのであるが、精神的拝領は前にも述べた如く、一日の内に幾たびも、いつでも出来るのである。この尊き恵みを欠かすのは、ただ我等の怠りとか過失とかの外はない。時としては聖体の秘蹟を拝領するも拝領する者の欠点によって利益の少ないことがある故、場合によっては精神的拝領の方が却って一層利益となり、神の聖意にも適うことがある。故に我等はこの拝領の準備をせんとする度ごとに、必ず神の聖子が御自分の手を以て自ら我等を精神的に養って下さるに相違ないと確信せねばならぬ。我等がよくこの準備をするには、先ずこの志を以て我等の精神を神に上げ、一寸我等の過失を顧みて、その後悔の念を表し、次に謙遜と信仰との深き情を以て主に祈り、主が我等の哀れな霊魂を見舞うて下され、新たに恩寵をもた...精神的聖体拝領

  • 我等が神に対する愛を惹き起す為、如何に聖体拝領に準備すべきか

    第55章我等が神に対する愛を惹き起す為、如何に聖体拝領に準備すべきか聖体の秘蹟を以て我等が神に対する愛を惹き起す為には、神が自ら我等に示して下さった愛を思い、前の晩から左の事柄を考えるがよい。最大、全能にてまします神は、我等をご自分に象りて造り給うたのみならず、我等の救霊の為、御独り子を地上に降し、我等の罪を贖うため、三十三年の間、艱難を嘗め、終に最も残酷なる苦しみを忍び、十字架の上に死し給うまでに至らしめ、尚その上に聖体の秘蹟に於てこれを我等に残し、我等の糧となり、我等の入用に応じて霊魂の扶助とならしめ給う程である。この愛を斯く完全ならしめ、また四方八方より見て斯く珍しくならしめたる解すべからざる特質を、よく注意して考えよ。第一、何時の時代から神は我等を愛し給うたかを考うれば、神の愛は神の本性と同じく始...我等が神に対する愛を惹き起す為、如何に聖体拝領に準備すべきか

  • 小さなことに忠実であれ 聖マキシミリアノ・コルベ

    小さなことに忠実であれ、なぜなら小さなことをないがしろにすること(守らないこと)または、あいまいにすることは、再び立ち上がることが困難な冷淡さにお前を導くからである。聖マキシミリアノ・コルベ小さなことに忠実であれ聖マキシミリアノ・コルベ

  • 聖体の秘蹟を拝領する法『心戦(霊魂の戦い)』第54章

    第54章聖体の秘蹟を拝領する法聖体の秘蹟を受ける時には種々の目的を立てることが出来るが、これに達するには種々の行うべき事がある。これを三つに分けて、拝領前、拝領中、拝領後とすることが出来る。如何なる目的を以てするにも、拝領前には先ず改悛の秘蹟を以て、我等の心を大罪の汚穢より潔めねばならぬ。次に、心の愛情を尽し、霊魂を尽し、凡ての能力を尽して、イエズス・キリスト、及び凡てその聖意に適う事に、己れを全く委ねねばならぬ。これは真に道理[もっとも]な事である。何故なれば、キリスト自らも、神聖なる秘蹟の内に、その御肉身、御血、御霊魂、その神性、及びその功徳を、悉く我等に与えて下さるからである。終に我等の捧ぐる事は、キリストの我等を富ましたる宝に比ぶれば、何でもない、殆ど数うるに足らぬと云う事を考えて、有りとあらゆる...聖体の秘蹟を拝領する法『心戦(霊魂の戦い)』第54章

  • 徳の行いの影響と乱れた欲の影響

    徳の一つの行ないが、心のうちに、こころよさ、平和、慰め、光、清らかさ、力を、同時につくり出すように、一つの乱れた欲望は、苦悩、疲労、惰弱、盲目、衰弱をもたらす。十字架の聖ヨハネ徳の行いの影響と乱れた欲の影響

  • 聖体の秘蹟『心戦(霊魂の戦い)』ロレンツォ・スクポ

    第53章聖体の秘蹟これまでは敵に勝つが為に必要なる四つの主なる武器を持たせて、これをよく用うる事を学ぶに、大切なる教訓を与えたが、尚一つ、わざと残したものがある。それは聖体の秘蹟である。この神聖な秘蹟は、他の六つの秘蹟の上に位しておるが如く、この第五番目の武器として、他の四つの武器よりは遥かに勝る力のあるものである。前に述べた四つの武器は、イエズス・キリストがその御血を以て我等の為に求めて下さった聖寵によってその勢力を得るのであるが、今やここに云うところの武器は、イエズス・キリストの御肉身、御血、御霊魂であった全く神性そのものである。前の四つの武器では、人がイエズス・キリストの扶助によって敵と戦うのであるが、第五番目の武器では、イエズス・キリストが自ら我等と共に戦い給うのである。何故なれば、御約束の如く、...聖体の秘蹟『心戦(霊魂の戦い)』ロレンツォ・スクポ

  • 手入れの行き届いた木 十字架の聖ヨハネ

    よく栽培され、所有者の手入れで守られている木は、季節が来ると期待されている実を結ぶ。十字架の聖ヨハネ手入れの行き届いた木十字架の聖ヨハネ

  • 十字架に釘けられ給うたイエズスを黙想し、その徳に倣うより得べき利益

    第52章十字架に釘けられ給うたイエズスを黙想し、その徳に倣うより得べき利益この尊き黙想より得べき種々の利益の中に、第一のものは、ただ過去の罪を悔やむばかりでなく、終始我等の内に活きておって、我が救い主の受難の原因となった乱れた情慾をいたく悔むことが出来る。第二の利益は、神に我等の罪科の赦しを求むると共に、己れを捨てて、以後は天主に背かれぬと云う程に、己れを憎む恵みを専ら願うのみならず、却って主が我等のために凌ぎ給うた凡ての事の感謝として、この後は一心に主を愛し、完全に仕えんための恵みを、切に願う機会となる事である。もし我等が斯くまで己れを憎まぬならば、斯くの如く天主を愛して完全に仕え奉ることはとても出来ぬ。この黙想の第三の利益は、我等に敵対する凡ての悪しき傾向を打ち亡ぼす方法を呈することである。第四の利益...十字架に釘けられ給うたイエズスを黙想し、その徳に倣うより得べき利益

  • 神を愛する霊魂の生きる場所 十字架の聖ヨハネ

    神を愛する霊魂はこの世の生命のうちよりも、いっそう来世の生命のうちに生きている。十字架の聖ヨハネ神を愛する霊魂の生きる場所十字架の聖ヨハネ

  • 愛の種々の感情を惹き起すが為にイエズス・キリストの苦難について為し得る黙想

    第51章愛の種々の感情を惹き起すが為にイエズス・キリストの苦難について為し得る黙想救い主の苦難について前に述べた事は、祈り、及び黙想にも、これを願いの体裁にする時は利用することが出来るが、ここにこれを以て愛の種々の感情を惹き起すことの出来る方法を述べよう。例えば、イエズス・キリストが十字架に釘けられ給うた事について黙想する時には、種々の観念の中に殊に為し得べきものを示そう。第一、悪党達は如何にして救い主より、その衣裳をむごく剥ぎ取ったか、またその聖肉[おんにく]が打たれ給うた為に、切り裂けたる衣裳に付着しておったから、如何にして裂け爛れたかと云う事を考えよ。第二、如何にしてその茨の冠を引き抜いて、また再びこれを被らせ、その聖頭[おんあたま]に新しき傷を付けたかを考えよ。第三、十字架の上に於て、聖手足に釘を...愛の種々の感情を惹き起すが為にイエズス・キリストの苦難について為し得る黙想

  • 愛の対価 十字架の聖ヨハネ

    愛はただ愛によってのみ支払われる。十字架の聖ヨハネ愛の対価十字架の聖ヨハネ

  • 諸天使及び諸聖人の取次ぎを以て黙想し且つ祈祷する方法

    第50章諸天使及び諸聖人の取次ぎを以て黙想し且つ祈祷する方法祈祷の時に、諸天使及び諸聖人の保護と恩恵とを利用するために、左の二つの勤めを守るがよい。第一。我等の精神を永遠の父に上げ、これに天使聖人より受け給う愛情、賞讃、光栄を捧げ、また諸聖人が地上に於て神を愛するために忍ばれた困難苦痛を捧げ、これらの功徳を以て神の威稜に祈り、我等に欠けてあるところのものを与えて下さるように願わねばならぬ。第二。光栄を蒙られたる諸天使諸聖人に向って、我等の徳に達し、而も完徳の頂上に達せん事を欲するものなれば、我等の敵、及び我等の欠点に対する扶助を仰ぎ、なかんずく臨終の時に、我等を護って下さるように祈らねばならぬ。ある時はまた聖人が最上至尊の神より受けられた、特別にして豊かなる恩寵を考えて、この珍しき賜物につき、非常なる愛情...諸天使及び諸聖人の取次ぎを以て黙想し且つ祈祷する方法

  • どんな物にも愛着するな。祈ってさえいれば、神はあなたの財産を配慮する 十字架の聖ヨハネ

    あなたの霊魂は何にも愛着してはなりません。そして、念祷を怠らない限り、神は財産について配慮してくださるでしょう。十字架の聖ヨハネどんな物にも愛着するな。祈ってさえいれば、神はあなたの財産を配慮する十字架の聖ヨハネ

  • 聖母マリアに依頼すべき信仰と信頼との理由を説明する観念

    第49章聖母マリアに依頼すべき信仰と信頼との理由を説明する観念もし我等が入用の時に、信頼と信仰とを以て聖母マリアに依頼しようと思うたならば、左の観念が余程補助[たすけ]となるであろう。第一に凡ての人は経験で知っておるが、麝香とか、または何かの香物を入れた器は、その香物が無くなっても、なお幾分かその香気が残る。而してこの香気は、香物が長く入れてあったほど、よく保たれるので、もし香物が少しでも残っていれば、尚更のことである。然れども、麝香や他の香物の力は限りがある。また人が大火に近づいた時には、これに遠ざかった後も、暫く暖かさを保っていると云う事は、分り切った話である。然らば聖母マリアの心は如何ほど愛熱、哀憐、慈愛の情に溢れ、且つ燃えている筈であるか、何故なればマリアは九ヶ月間童貞至潔なる胎内に、神の聖子、即...聖母マリアに依頼すべき信仰と信頼との理由を説明する観念

  • 辛苦を愛しなさい 十字架の聖ヨハネ

    辛苦を深く愛すること。そして、それらを取るに足らぬものと思え。あなたのために死ぬこともためらわなかったあなたの天配の、み心にかなうために。十字架の聖ヨハネ辛苦を愛しなさい十字架の聖ヨハネ

  • ビットコインとは何なのか?

    これまで、仮想通貨に関する記事を連続して書いてきました。今回は、ビットコインとは何なのか、について簡単に説明してみたいと思います。これがよくわからければ、こういう事件をどれだけ説明しても???でしょう。ビットコインとは何なのか?ビットコインとは、一言で言うと「帳簿」です。ブロックチェーンと呼ばれる、世界中のパソコンが紡いでいる偽造がほぼ不可能な電子空間上、にある帳簿です。そして、なるべく価値を持ちやすいような、また公正性や安定性を持つような設計がされています。・マイニングと呼ばれる計算作業を行うと、報酬がビットコインで払われますその結果、世界中の少なくとも数十億台のパソコンが(推定消費電力から逆算すると普通のパソコンで8300億台)、連日連夜計算を行っており、それを覆すのは非常に困難ですから、偽造も不可能...ビットコインとは何なのか?

  • 信仰という愛に満たされた暗黒の知解 十字架の聖ヨハネ

    信仰というこの愛にみたされる暗黒の知解は、ちょうど、栄光の光が天上において神を明らかに見るために役立てられるように、この世において既にある形でる形で神的一致の道となる。十字架の聖ヨハネ信仰という愛に満たされた暗黒の知解十字架の聖ヨハネ

  • スコットランドの聖マルガリタ皇后

    スコットランドの聖マルガリタ皇后記念日11月16日1057年プリンス・エドワード(イギリスのエドモンド王の島流しになった王子)の娘マルガリタは12歳の時、イギリス王エドワード王の宮廷に連れて来られた。しかし10年後、フランスのノルマンディー公ウイリアムが大軍を率いてイギリスへのへースティングに上陸して、アングロサクソン王国を打倒して自ら王位についた時、母と共にスコットランドへ逃げた。そして1070年、彼女は母の望みに従って国王マルコム3世と結婚して王子6人、王女2人の母となった。彼女の影響で国王は信心深いキリスト信者となり、慈善事業や病院の設立などに多大の援助を与えた。マルガリタは英国人の修道士をスコットランドへ連れて来てベネディクト会修道院を創立させ、1072年、美しい教会が建てられた。慈悲深い「国の母...スコットランドの聖マルガリタ皇后

  • 受難を予告され、自由意志をもって、お受けになったイエズス

    イエズス自身はご自分の受難を予告され、自由意志をもって、それをお受けになる「イエズス・キリスト、そして十字架につけられた彼」の言葉をもって叫べ。(コリント前書2;2)。愛をもって彼のために苦しみながら。聖マキシミリアノ・コルベ受難を予告され、自由意志をもって、お受けになったイエズス

  • 聖母マリアのとりつぎを以て祈る法

    第48章聖母マリアの転達[とりつぎ]を以て祈る法前に述べた種々の黙想や祈祷の方法の外に、聖母マリアの取次ぎを以て祈る方法がある。これが為には第一精神を永遠の聖父に差し向け、次に温良のイエズス、終に至栄の聖母に向わねばならぬ。我等の思考を天主聖父に当て嵌めて、二つの事を考える。即ち第一に、神は始めなきより、マリアの未だ出でざる前より、これを観望して喜び給うた事、第二に、マリアが神より世に遣わされた後、行われた善徳、及び行為の事である。前者の、神が喜び給うた事については、どう黙想するかと云うに、先ず思念を凡ての時代と凡ての被造物との上に揚げて、神の始めなき所、及び神の聖意までに立ち至り、神がマリアについて喜び給うたことを考え、神の聖意を察して後、マリアについて喜び給うたことに対して、信頼を以て、敵、なかんずく...聖母マリアのとりつぎを以て祈る法

  • いつも朗らかで満足しているように 聖マキシミリアノ・コルベ

    ですから、いつも朗らかで満足しているように、そして今も過去においてもあなたに言ったことをすべてしっかり心にとめるよう願います。「従う者は勝利を宣言するであろう」(箴言21:28)聖マキシミリアノ・コルベいつも朗らかで満足しているように聖マキシミリアノ・コルベ

  • FTX破産、134社倒産、Twitterでは阿鼻叫喚の地獄

    Twitterでは阿鼻叫喚の悲鳴や怒号がこだましています。FTXは日本人からも広く愛用され、そこに仮想通貨を預けていた人が多かったからです。また、earnやBlockFiといったその関連会社による仮想通貨レンディングサービス(賃貸業)の利用者も多くいました。そこに仮想通貨を預けておくと、運用して、年利5%近くのリターンをくれるというサービスです。FTXの倒産に連鎖して、earnやBlockFiも操業停止になりましたので、その利用者達も一斉に全ての預金を失ってしまったわけです。関連したのか、していないのか、昨日は、東京都では、飛び込みによる列車停止の嵐だったようです。ちなみに私は怖くて、レンディングには二の足、三の足を踏んでいました。友人から勧められたことはあったのですが。だって、大切な数千万円分ものビット...FTX破産、134社倒産、Twitterでは阿鼻叫喚の地獄

  • 神と一致した人の働き 十字架の聖ヨハネ

    神と一致した人の働きは、神の霊のものであり、神的なものとなる。十字架の聖ヨハネ神と一致した人の働き十字架の聖ヨハネ

  • 仮想通貨が大暴落中

    ウクライナ戦争以後、一時持ち直した仮想通貨は、LUNA破綻の煽りを受けたり、欧米政府の金融引き締めによって、下落が続いていました。しかし、それにさらに拍車をかける、というか別次元の暴落をさせるような出来事が起きました。それは、FTXという世界第2位の仮想通貨取引所の破綻です。きっかけは、こうでした。世界第1位の取引所バイナンスのオーナー、チャンポン・ジャオが、FTXの関連会社、アラメダの資産の大部分が、FTXが製造した仮想通貨FTTであることをTwitterで暴露したのです。「だから自分は、FTTをすべて売却する」とTwitter上でつぶやきました。AspartofBinance’sexitfromFTXequitylastyear,Binancereceivedroughly$2.1billionUSD...仮想通貨が大暴落中

  • 注意しなければ常に罪と大罪の危険に 聖フランシスコ・ザビエル 「書簡」27:51

    私達自身の慰めのため、また、諸兄の所りやミサ奉献に助けられたいため、一つの大ぎな心配を報告したい。それは、若し私達が深く戒心しない限り、神には、私達の絶え間なき悪と、大きな罪とが、明瞭にお解りになっているのであるから、それらが、神から私達に恵みの与えられることを妨害し、かつ、奉仕の作業を終わりまで堅忍を以って貫徹するための聖寵を、阻むことになりはしないかといふ気遣いである。そのために、地上のすべての聖なるイエズス会の会員と、その友人や知人が、その取次によつて、私達を、我等の主にしてかつ救世生なるイエズス・キリストの浄配にして、聖にして母なる公教会に、紹介し、推薦して下さらなければならない。私達は、教会が、その大にして限りなき功徳を、私達に分げ与えて下さることを固く信じ、かつ希望している。次には、地上の教会...注意しなければ常に罪と大罪の危険に聖フランシスコ・ザビエル「書簡」27:51

  • 黙想のようにする祈祷の別法『心戦(霊魂の戦い)』第47章

    第47章黙想のようにする祈祷の別法また他の方法を以て祈祷を為し、且つ黙想することが出来る。即ち救い主の苦しみをよく注意して考え、また救い主が自ら求めて、喜んで服し給うた事を、心の底より黙想して後、その苦痛の烈しきと、その温和なる耐忍とより移って、他にもう二つの観念をするがよい。第一はその功力の観念、第二は神の子が受難の苦痛に於て、天にまします聖父に表し給うた完全なる服従を以て、聖父に帰したる満足と光栄との観念である。この二つの観念を神の威稜に差し上げ、その功徳によって、我等の望むところの恵みを願わねばならぬ。且つこの方法は、ただに救い主の受難の各玄義を黙想する時に用いられるのみならず、その各玄義に於て、イエズス・キリストの従事し給うた各内外の行為を黙想するにも用いられるのである。ロレンツォ・スクポリ『心戦...黙想のようにする祈祷の別法『心戦(霊魂の戦い)』第47章

  • イエズス様と使徒たちが迫害された理由 聖アウグスティヌス 『神の国』22:10

    じっさい、かれらが苦難をうけたのは真理を語ったためであり、また、このことによって奇跡をなしえたのである。かれらが語る真理のうち、もっとも重要なものはこれである。すなわち、キリストは死者のうちよりよみがえって肉における復活の不滅性を最初に示されたのであり、そして、このことが新しい時代のはじまりに、すなわちこの世の終わりにわたしたちにおこるであろうことを約束されたのである。聖アウグスティヌス『神の国』22:10イエズス様と使徒たちが迫害された理由聖アウグスティヌス『神の国』22:10

  • 黙想のようにする祈祷『心戦(霊魂の戦い)』第46章

    第46章黙想のようにする祈祷或る一定の時間、例えば半時間とか一時間とか、またその余にも、祈らんとする時には、イエズス・キリストの御生涯御苦難に関する何かの事柄の黙想を祈祷に添ゆるがよい。その時は現にこれを求めんとする徳に当て嵌めるように注意せねばならぬ。例えば、目下我等が堪忍の徳を求めたいと仮定すれば、この時には主の鞭打たれ給いし玄義について黙想すればよい。第一には、ピラトの命の下った後、我が主は悪党の叫び声や嘲笑の中に、如何にして鞭撻の場所まで曳かれ行き給うたかを考えよ。第二には、一時も容赦せぬ憤怒を以て、如何様にしてその衣を剥がれ、また最と[いと]潔きその聖体[おんからだ]が如何様にして肌を晒され給うたかを考えよ。第三には、罪なきその聖手が、如何に残酷なる縄目に逢い給うたか、また如何に厳しく柱に縛られ...黙想のようにする祈祷『心戦(霊魂の戦い)』第46章

  • 聖霊の住むところ 聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

    鳩が巣に憩うように、聖霊は義人の霊魂の中に安らい給うのです。そして、鳩がその雛をかえすように、聖霊は清い霊魂の中に善い望みを生みおとすのです。聖ジャン・マリ・ヴィアンネ聖霊の住むところ聖ジャン・マリ・ヴィアンネ

  • 念祷『心戦(霊魂の戦い)』第45章

    第45章念祷念祷とは、神に精神を上げると同時に、欲するところを求めん事を、現に、あるいは暗に願うことである。現に願うとは、心の内に何かの恵みを求むることを謂うので、例えば斯く申す時の如きがそれである、即ち「我が神よ、我れに斯々の恵みを与え給え。我れは主の光栄[みさかえ]の為にこれを願い奉る」とか、また「主よ、我れはこの恵みを願い、且つこれを求むることは、主の聖意と光栄とに関係あるを信ず。願わくは、今我れに於て主の思召しを遂げたまえ」と。我等が敵に迫られると感ずる時には、斯く祈るがよい、「我が神よ、速やかに来たりて我れを助け給え。願わくは我れをして敵の憤怒に負けざらん事を得せしめ給え」と、または「我が神よ、主は我が依り頼むところにして、且つ我が霊魂の力にてましませば、願わくは来たりて我れを速やかに助け給え。...念祷『心戦(霊魂の戦い)』第45章

  • 霊魂を衰弱させるもの 十字架の聖ヨハネ

    欲望が霊魂を衰弱させるというのは、霊魂のうちにおける欲望が、木の回りに生える若芽のようなもので、木の養分を吸いとってしまうため、その木はたくさんの実を結ぶことができないのである。十字架の聖ヨハネ霊魂を衰弱させるもの十字架の聖ヨハネ

  • 祈祷『心戦(霊魂の戦い)』第44章

    これまで証明して来た通り、己れを頼まぬ事と神を頼む事と、我等の能力の修練とが、心戦に斯くまで必要である如く、第四の武器であると云うた祈祷は、尚一層必要にして、欠くべからざるものである。何故なれば、我等は祈祷によって何事をも主なる神より求めることが出来るからである。祈祷[いのり]は、神の仁愛の泉より流れ出ずる萬の恵みを我等の上に呼び下すために与えられた機関である。よく祈祷を利用すれば、神の聖手に剣を持たせるようになって、神は我等の為にこれを以て自ら戦い、勝利を占め給うようになる。ところで、よく祈祷を利用するが為には、次の修業に馴れるか、せめて馴れるように努めねばならぬ。第一、我等は萬事について、尊厳なる神に仕え、しかも最も聖意に適う方法を以てこれに仕えたいとの真正の望みを心の中に保たねばならぬ。この望みを惹...祈祷『心戦(霊魂の戦い)』第44章

  • 順境も逆境もすべて神からくる 十字架の聖ヨハネ

    自分の身におこることは、順境も逆境も、すべて神からくることを憶えていなさい。それは順境の時に思いあがってしまったり、逆境の時に打ちひしがれてしまったりしないために。十字架の聖ヨハネ順境も逆境もすべて神からくる十字架の聖ヨハネ

  • 私の災害対策

    金融面のことは載せないでおきます。日本円の代わりにこれだけ米ドルを・・・とか、そんな内容の話は、今回は省きます。それ以外のことを載せようと思います。今、災害対策を始めている方、これから始めようとしている方の参考に僅かながらでもなれば、と思ってです。私は災害対策として、設備面では井戸、ソーラーパネル、蓄電池、ハイブリット給湯器、防犯柵、等を設置しています。また、備蓄物資としてお米(籾米)約1トン、ふりかけ20㎏、プロテイン20㎏、砂糖100㎏、塩100㎏等々と準備しています。缶詰等を備えるのもいいですし、私も多少はあるのですが、年単位での備蓄をしたいなら、経済性と消費期限を重視しましょう。なるべく安く、カロリー当たりの容積を取らず、長期間備蓄できるものを大量に揃えた方がいいでしょう。他、ミシンとか3Dプリン...私の災害対策

  • 目を覚まして祈りなさい 聖書

    誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。マルコによる福音書14章38節目を覚まして祈りなさい聖書

  • 我等の悪しき傾向と悪魔の誘惑との影響によって猥に他人を批評するに傾き易き事、及びこれに反抗する方法

    第43章我等の悪しき傾向と悪魔の誘惑との影響によって猥に他人を批評するに傾き易き事、及びこれに反抗する方法前に確かめておいた自愛心や虚栄心の欠点から、我等に大害を来たす他の欠点が出て来る、即ち我等が人の上に下すところの邪推である。これが為に我等は人を賤しいもの、軽んずべきもの、卑劣なものの如く見做すように傾くのである。この欠点は傲慢の傾向から起り、これによって増長し、その勢力も強くなるのである。また反対に傲慢は、この邪推によって増長し、自ら満足してだんだんと迷うのである。何故なれば、我等は他人を重んずる点について、これを下げれば下げるほど、思わず知らず自分の心の中に自負して、己れを高めるのである。我等が他人に於て認めた欠点は、決して自分にはないと信じて喜ぶのである。悪魔は我等に斯かる悪い気組みのあるのを見...我等の悪しき傾向と悪魔の誘惑との影響によって猥に他人を批評するに傾き易き事、及びこれに反抗する方法

  • 神は、怠惰な、きゃしゃな霊魂をお望みにならない 十字架の聖ヨハネ

    神は、怠惰な、きゃしゃな霊魂をお望みにならない。十字架の聖ヨハネ神は、怠惰な、きゃしゃな霊魂をお望みにならない十字架の聖ヨハネ

  • 悪魔が度合いを外れた方法を以て我等を欺かんとする時にこれに抵抗する方法

    第42章悪魔が度合いを外れた方法を以て我等を欺かんとする時にこれに抵抗する方法悪魔は、我等が熱心なる、また善く規定されたる心組みを以て徳の正しき道を歩んでいると云う事を見、またその奸策で我等を欺くことが出来ぬと云う事を見れば、方法を変えて光明の天使の様に変じ、そうして楽しそうな考えや聖書の金言や聖人の手本などを以て我等をしきりに促し、何かの危険に陥れるために無闇に完徳の頂へ歩いていくように勧めるのである。故に彼は我等に鞭撻、断食、毛衣(シリス)、及びこれに類する苦業を以て、酷く身体を懲らすように迫るのである。これは取りも直さず我等を傲慢の罠に陥れようとするのである。なかんずく婦人などには常ならぬ事をするように勧めるのであるが、この点に於けるその目的は、我等に何かの病でも起さして、善業の出来ぬようにし、ある...悪魔が度合いを外れた方法を以て我等を欺かんとする時にこれに抵抗する方法

  • あらゆる困難や迷いの時、聖母に祈れ 聖マキシミリアノ・コルベ

    愛をもって聖母のお導きに任せよ。そして、あらゆる困難や迷いの時、聖母に祈れ。聖マキシミリアノ・コルベあらゆる困難や迷いの時、聖母に祈れ聖マキシミリアノ・コルベ

  • 堪忍を以て忍びつつある困難を遁れたいとの望みに身を委ねべからざる事、又我等の望みを徳に適合せしむるために制限する方法

    第41章堪忍を以て忍びつつある困難を遁れたいとの望みに身を委ねべからざる事、又我等の望みを徳に適合せしむるために制限する方法我等が何か困難に遭うているのに、また堪忍を以てこれを忍びつつある時には、悪魔、あるいは自愛心の為、これを逃れたいという望みに引かされぬように注意せねばならぬ。さもなければ我等のために二つの良からぬ結果が生ずるであろう。第一は、この望みは我等をして堪忍の徳を失うような危険に逢わしむるであろう。あるいは少なくも我等をして漸次[だんだん]短気に成り易からしむるであろう。第二は、この望みによって我等の堪忍は不完全になるであろう。また神より受ける報酬は、これを忍んだ時に応ずるだけのみ受くるであろう。これに反して逃れたいという望みなくして、却って神の仁愛に全く身を任す心ならば、たとえ実際に忍ぶと...堪忍を以て忍びつつある困難を遁れたいとの望みに身を委ねべからざる事、又我等の望みを徳に適合せしむるために制限する方法

  • キリストの復活と昇天 聖アウグスティヌス 『神の国』22:5

    それゆえ、三つの信じがたいことがあるわけであって、それらはすでにおこったのである。すなわち、キリストが肉においてよみがえり肉と共に天に昇られたことが信じがたいことである。また、これほど信じがたいことを世界が信じたことが信じがたいことである。そして、無名の、地位もなく学識もないごく少数の者が、学識のある人々を含んだ世界に対して、かくも信じがたいことをかくも力強く説得したことが信じがたいことである。これら三つの信じがたいことの第一のものをわたしたちの論駁相手であるあの者らは信じるのを拒んだ。第二のものをよく見るよう強いられたが、第三のものを信じないならば、どうしてそれがおこったかをかれらは見いださないのである。とにかく、キリストの復活と、その復活された肉と共なる昇天とが、いまや全世界に告げられ信じられたのであ...キリストの復活と昇天聖アウグスティヌス『神の国』22:5

  • 各徳の修練に掛かるべき日数、及びその徳に於ける進歩の徴候

    第40章各徳の修練に掛かるべき日数、及びその徳に於ける進歩の徴候各徳の修練に従事すべき日数は、一般に規定[きめ]るべきものではない。各人の身分、特別の要求、霊生の道に於ける進歩、指導者の判断等によって、決めるべきものである。しかしながら、我等が徳を修練するに、前に述べた凡ての方法と注意とを真面目に使用するならば、数週間に至極良き結果を得ることの出来るのは、疑うべからざるところである。心の不愉快や黒暗[くらやみ]や煩悶の中にあっても、また霊生の引力を覚えずしても、なお勇ましく徳行を修練して止まざるは、真正の進歩を認め得る一の徴候[しるし]である。我等が徳行を修むるに於て、肉体の快楽に反対するのも、またこれ確かに一の徴候である。肉体の快楽が愈々その勢力を失えば、我等は愈々徳に進歩したと云う事が信ぜられる。故に...各徳の修練に掛かるべき日数、及びその徳に於ける進歩の徴候

  • 聖テレーズの使命

    私の使命、それは愛です。母である教会の心臓の中で私は愛となりましょう。リジューの聖テレーズ聖テレーズの使命

  • 如何に異なる機会が同一の徳行を修練するに益するか『心戦(霊魂の戦い)』第39章

    第39章如何に異なる機会が同一の徳行を修練するに益するか一時に数徳を求めんとするよりは、暫時の間はただ一つの徳に従事するのが尚有益であると云う事は既に述べた通りであって、凡て出来する実行的機会は幾ら相互に異なっておっても、皆このただ一つの徳の方へ向けることが出来ると云う事は明らかに分った。今や如何に易しくこれを実行することが出来るかを見ねばならぬ。一日でも一時間でも、多少激しき反対を忍ぶ機会に遭う事が度々出来る。例えば、我等の行うた事には咎むべき所はないのに、或る人がこれを咎むることもあろう。また何かの理由によって、他の人が我等に向って呟くこともあろう。我等が何か特別の事か、あるいは僅かな世話でも頼んだら、無残に断られることもあろう。また、真面目な根拠もなくして無闇に悪く批評されることもあろう。なお体に何...如何に異なる機会が同一の徳行を修練するに益するか『心戦(霊魂の戦い)』第39章

  • 拒みながら進みなさい 十字架の聖ヨハネ

    もし聖なる潜心に達したいのならば、あなたは受け入れながらではなく、拒みながら行くべきである。十字架の聖ヨハネ(誘惑や邪な考えを拒みながら、という意味だと思います)拒みながら進みなさい十字架の聖ヨハネ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、カトリック情報 Catholics in Japanさんをフォローしませんか?

ハンドル名
カトリック情報 Catholics in Japanさん
ブログタイトル
カトリック情報 Catholics in Japan
フォロー
カトリック情報 Catholics in Japan

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用