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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さんのプロフィール

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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
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日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。
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634回 / 363日(平均12.2回/週)

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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さんの新着記事

1件〜30件

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(16)

    *(その灰いろの蔓にはなにも残つていない)一粒の葡萄の実もなく一枚の枯れ葉もついていないこれを嵯峨は、次のように言いなおす。しかしそれはなんと静かなことだろう実も葉もない。けれど「静かさ」がある。「静かなこと」がある。詩はここで完結してもいいと思うが、嵯峨はさらにことばをつづけ、こんなふうに言いなおす。どこかにぼくの知らない価値があるようだ「静かなこと」は「価値」である。それまでつかわれてこなかった「ある」という動詞が、それを「念押し」している。わかりやすくなったが、つまらなくなった、とも言える。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(16)

  • 桜を見る会中止

    桜を見る会中止自民党憲法改正草案を読む/番外302(情報の読み方)2019年11月14日の読売新聞(西部版・14版)1面に。「桜を見る会」中止/来年度招待基準見直しへ/政府発表という見出し。安倍の後援会関係者が850人招待されていたことが問題化したための措置だが、記事のふたつの部分に注目した。(番号は、私がつけた。)①首相は同日、「私の判断で中止することにした」と首相官邸で記者団に語った。②菅氏は「長年の慣行」として、内閣官房が招待者を取りまとめる際、首相官邸や与党に対して招待者の推薦依頼を行っていたことも明らかにした。①は「決断」が安倍の判断-あることを強調している。これは言いなおすと、「安倍には責任はない。部下がやった不始末だから、トップである安倍が部下を叱って責任をとらせることにした」という意味を含んでい...桜を見る会中止

  • ジュリアン・シュナーベル監督「永遠の門 ゴッホの見た未来」(★★★)

    ジュリアン・シュナーベル監督「永遠の門ゴッホの見た未来」(★★★)監督ジュリアン・シュナーベル出演ウィレム・デフォー私はカメラが演技する映画が好きではない。カメラは、どっしりとそこにある、というだけでいい。フレームの中に人が入って、人が出て行く。そういう映画が好きだ。この映画は、カメラが演技しつづける。ウィレム・デフォーは歩きつづける。その歩くスピードにあわせてカメラが移動し、揺れる。これだけなら、それはすでに「定型」になってしまっている。「演技」といえるほどのものではない。とても嫌なのは、カメラの中に「光」が入ってきて、映像を変色させることである。それも完全に変色するのではなく、奇妙な感じ、下四分の一、しかも左側だけという感じで微妙に変色する。焦点も甘くなる。涙で視界がぼける感じに似ている。水滴が眼鏡について...ジュリアン・シュナーベル監督「永遠の門ゴッホの見た未来」(★★★)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(15)

    *(ぼくはまた心のなかの霧にかくれてしまう)こころのなかではなく、「心のなかの霧」のなかに隠れてしまう。構造が二重になっている。この二重は「比喩」ということである。だから、「隠れる」は「あらわれる」(あらわす)でもある。「かくれてしまう」と書きながら、どこにいるかを知らせている。これでは隠れることにはならない。そういう二重構造のなかで、嵯峨は何をしているのか。碇をおろそうと大きな船が泊つている一羽の鳥もいない港「折生迫港」の風景を見ている。このとき、嵯峨は「大きな船」か、「いない鳥」か、「港」か。「いない鳥」である。いないのだけれど「いない」と書くとき、その瞬間だけ存在する鳥。詩は、その矛盾の中にある。矛盾という「二重性」のなかを飛んでいる。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いた...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(15)

  • 愛敬浩一自選詩集『真昼に』(2)

    愛敬浩一自選詩集『真昼に』(2)(書肆山住、2019年04月01日発行)愛敬浩一自選詩集『真昼に』の、きのうのつづきではなく、別のことを書いてみる。別のことを書いても、同じになるかもしれないけれど。「繭」という作品。夜のような沈黙の底で波の音に浮かぶ電話ボックスが発光している辺りにはだれもいないのがここからも見えるまるでなにかの説話ででもあるかのようにやがて彼女は細い細い糸を静かに吐き出し始める電話ボックスの中に女がいる。海辺、かもしれない。だれかと話している。それを見ながら「男」の妄想が始まる。「声」は「糸」になって「見える」。男の妄想は「視覚的」である。「沈黙の底」「説話」ということばが、「男」を感じさせる。電話ボックスは波の音に揺られゆらりその時彼女が見ているものはなんだろうか彼女の尻上がりの声ゆらり決し...愛敬浩一自選詩集『真昼に』(2)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(14)

    *(なぜこんなに心せかされてくるのだろう)疑問、問いかけで始まる詩の途中に、次の二行がある。ふと対岸から鐘の音がきこえてくるいくつか鳴りつづいて遠くで鳴りやんだ「対岸」が遠いということなのかもしれないが、私は「鐘の音」そのものが鳴りながら遠くまでいって、その「遠く」で鳴りやんだと受け止める。「遠く」へ消えていくのではなく、「遠く」の一点でぱたりと「やむ」。「やむ」ことが聞こえる。その絶対的な「無」の感じが美しい。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(14)

  • 涙の皇后

    涙の皇后自民党憲法改正草案を読む/番外302(情報の読み方)2019年11月12日の読売新聞(西部版・14版)社会面に、天皇の即位パレードの記事がのっている。涙の皇后さまという見出しで、皇后が「時折、手で涙をぬぐわれた」と書いている。なぜ、皇后は涙を流したか。皇室に詳しい河西秀哉・名古屋大准教授(日本近現代史)は、皇后さまの涙について「沿道にきた大勢の人たちに励まされたという思いが涙にあらわれたのではないか」と指摘する。読売新聞は、そう「推測」させているのだが。私は皇室のことなど知らないから疑問に思うのだが、皇后は国民から「何を励まされた」のか。つまり、皇后は、どういうことで苦しんでいたのか。そのことが明示されていないと、何がなんだかさっぱりわからない。読売新聞は、「ぼんやり」とこういうことを書いている。皇后さ...涙の皇后

  • 愛敬浩一自選詩集『真昼に』

    愛敬浩一自選詩集『真昼に』(詩的現代叢書35)(書肆山住、2019年04月01日発行)愛敬浩一自選詩集『真昼に』は、1982年から1999年に書かれた作品群。ここ20年のものは含まれていない。その、少し古い詩を読みながら、もしかするとこの作品群は「おじさん詩」と呼べるものかもしれない、と思った。「長まる」という作品がある。そこに長まって下さい秋田の人がそういったイントネーションがむずかしい同じ職場の池田光雄さんが耳にとめたそれを実演しているわかりますかもちろんわかります〈からだを長くのばして横たわる〉家の造りもしっかりしてことばが湯気のように立ち籠めている「ことば」がある。その「ことば」を「頭」ではなく「肉体」で受け止め、「肉体」をことばになじませる。そのとき、たぶん主客が逆転する。「肉体」の動きをことばが受け...愛敬浩一自選詩集『真昼に』

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(13)

    *(その日あなたは多くのことを話した)その日あなたは多くのことを話しただが多くの言葉のなかで一語だけが絃のように高らかに鳴つたその「一語」が何かは、詩のなかでは明らかにされていない。一語よりも「高らかに鳴つた」という事実の方が大事だからである。意味ではなく、響きが大事なのだ。意味は頭で整理されるが、響きは肉体によって受け止められる。運命がまたしてもぼくのなかを通りぬけて行つたのだろう意味よりも響きが大事であることは、それが「運命」と言いなおされていることからもわかる。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。私あて...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(13)

  • 瀬々敬久監督「楽園」と平山秀幸監督「閉鎖病棟 それぞれの朝」

    瀬々敬久監督「楽園」(★★★)監督瀬々敬久出演綾野剛、杉咲花、佐藤浩市平山秀幸監督「閉鎖病棟それぞれの朝」(★★★)監督平山秀幸出演笑福亭鶴瓶、綾野剛、小松菜奈瀬々敬久監督「楽園」、平山秀幸監督「閉鎖病棟それぞれの朝」を見たが、すっきりしない。日本の映画に綾野剛が出ているせいか、どうも一本の映画に見えてしまう。根岸季衣も二本の映画に出ていた。そういうことも影響しているかもしれない。やっている「役どころ」が似ていて、ちょっと気持ち悪い。綾野剛、根岸季衣は、こういう人間と思われているのか、ということが前面に出てくる。ほかの役者もそうだが、「存在感」というよりは、「定型」を利用している。新しい人間を見ているという気がしないのである。「楽園」は、少女がクローバーで花の冠をつくったあと田んぼ(?)のなかの道を歩くシーンの...瀬々敬久監督「楽園」と平山秀幸監督「閉鎖病棟それぞれの朝」

  • 即位の礼のパレード

    即位の礼のパレード。私は見る気もしないし、見てもいないのだが。言いたいことはある。平成の天皇は、安倍によって強制生前退位させられた。ひとによっては、天皇が自主的に生前退位したと言っている。どちらにしろ、これは今までになかったことである。今までになかったことが起きたなら、それからつづくことがらが今までと同じであっていいはずがない。変えないといけない。即位の日をいつにするか、元号をどうするか。そういうことは国会できちんと議論して決めないといけない。国会にはそういうことを議論する時間的余裕はあった。けれどそれをしなかった。きのうの夜(?)、大がかりな行事とか、きょうのパレードとか。そういうことも国会で議論しないといけない。なぜ議論しないのか。これは、「平成の天皇は、安倍によって強制生前退位させられた」ということの証拠...即位の礼のパレード

  • 谷元益男『展』

    谷元益男『展』(ふたば工房、2019年09月10日発行)谷元益男『展』について、私は何を書けるだろうか。「馬鍬」という詩がある。「馬鍬」には「まんが」というルビがあるが「うま+くわ」がつまった「方言」だと思う。古い発音が地方には残っている。「菓子」を「くわし」と言う人がいることを思い浮かべると「くわ」と「か」の関係が想像できると思う。そして、このことからもわかるように、谷元の詩には「古い」時間、古い地方の時間が描かれている。田起こしの土塊をなくすため牛に牽かせた馬鍬を一面にあてる鍬が通ったところには泥水が溜まり血のりのように白くひかっている「白くひかっている」という描写が強い。泥水の黒が光を反射すると、その反射はより白くなる。とても美しい春の風景である。とても美しいのだが、私はとても奇妙な気持ちになる。谷元はこ...谷元益男『展』

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(12)

    川ぎしの歌*(ぼくのなかに)ぼくのなかにぼくのなかにどこまでも長く突き出ている堤防「ぼくのなかに」が二度繰り返されている。「ぼくのなかに」、その堤防があることを確認している。その堤防は朝やけの大淀川といっしょになって存在している。嵯峨にとっては「大淀川」と「堤防」は分離できないひとつの風景である。「ふるさと」というのは、その土地を離れることによって「ふるさと」になる。そこには「愛」と同時に「否定」がある。この「否定」を嵯峨は「反抗」と呼んでいる。詩は、こうつづく。そのすべてをしずかに消そう目まぐるしい愛にむかつて反抗の歌をながくながくふるわせようそれからそのピアニシモに最後の憩いをもとめよう矛盾に満ちた行である。「しずかに」「ピアニシモ」「ふるわせる」ということばが、その行を結びつけている。それは消しても消して...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(12)

  • 北岡武司「青はじけ」

    北岡武司「青はじけ」(「どぅるかまら」26、2019年07月10日発行)北岡武司「青はじけ」には、ひとつの詩の典型がある。「おばさん詩」の対極にある典型である。「おじさん詩」と呼んでいいかどうかは、むずかしい。食器を濯ぎ水のながれに見入る透明なかたまりの手前で青がはじけ心をそめる「おじさん」が食器を洗っている。私は、食器洗いは嫌いではない。むしろ好きな方である。私は、食器を洗いながら水を見るということはしない。だから、北岡は私に比べると食器を洗う回数が少ないのかもしれないと思ったりする。つまり、食器洗いが日常になると、「水のながれに見入る」ような意識の持ち方はしない。私よりもっと頻繁に食器洗いをしているから、そういうところに目が行くのかもしれないとも考えるが、きっと違うと思う。食器を洗うとはどういうことだろう、...北岡武司「青はじけ」

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(11)

    *(わたしの掌にひとすじの川を描く)わたしの掌にひとすじの川を描くふるさとの川を描く「川」から「ふるさと」へ、「ふるさと」から「川」へとことばは動く。川とふるさとがなじみやすいのは、日本には川が多いからだろうか。それも小さな川が。その川の響きが妹の墓をゆする「その川」の「その」は「思い出した」という意味だろう。川を思い出すことによって、妹を思い出す。川の「響き」は大きな音ではないと思うが、その「大きくない」ことが妹を呼び出すのだろう。きっと幼くして死んだ妹だ。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。私あてにメール...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(11)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(10)

    *(掌をひらけば)「掌をひらけば」という一行は、どのような行ともつづけることができる。きのう読んだ「満目罌粟の野原だ」とつづけることもできる。二行目は論理を中心に据えると、必然ではなくなる。詩を書いたその日の「感情」の必然が二行目を動かすことになる。掌をひらけばごうごうと松風の響がする虹を待つた年少の日の記憶が懸かる「記憶」が「感情」ということでもある。私はこの「記憶」よりも、それにつづくいまの「認識(感情)」に詩を感じる。ああ掌を裏にかえせば悪の山脈は暗くかぎりなくつづいている「悪」「暗く」と抽象的にしか語られていない。その「ためらい」に嵯峨の本質があるかもしれない。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料25...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(10)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(9)

    *(満目罌粟の野原だ)満目罌粟の野原だ真赤に燃えあがる地平線は愛慾の極みであり世界の果である「愛慾」が「世界」。「極み」と「果て」は言いなおし。「罌粟(けし)」からは阿片がとれる。阿片と愛慾が結びつけられている。意味が強く、愛慾そのものの姿が見えてこない。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(9)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(8)

    *(そっとしておこう)そっとしておこうぼくのまずしい小さな命を「命」とはなんだろうか。「まずしい」と「小さい」。ふたつの形容詞を積み重ねたのはどうしてだろうか。どちらを強調したいのだろうか。ぼくの感情に少しばかり朱を点じよう小さな生命をのせて蜜蜂のように唸らせよう「少しばかり」「小さな」。ふたたび似たことばが繰り返される。「命」は「生命」とことばを変える。変わらないのは「……おこう」「……しよう」「……せよう」である。「……せよう」は「使役形」をとっているが、同じように「意思」をあらわしている。何かをする、という意思が書かれている。しかし、それは実際には「行動」にはならない。嵯峨は動かない。「そっとしておこう」。何もしないで、想像のなかで動くだけなのだ。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(8)

  • 長嶋南子「干し柿」

    長嶋南子「干し柿」(「Zero」12、2019年06月14日発行)朝吹亮二『ホロウボディ』の「わたしはむなされていた」は、「意味」がわからない。「意味」がわからないからこそ、私はあれこれ「余分」なことを考える。そして、その「余分」を朝吹の差し出している「余分」と交換する。朝吹は「余分」と感じていないかもしれないが、表現されたもの、読者に提出されたものは「余分」と定義してもいいと私は思っている。ほんとうに朝吹にとって必要なものならば、それを朝吹は「ことば」として提出するはずがない。ずっと朝吹自身で抱え込んでいるはずである。他人が読んでかまわないと判断したのは、それがすでに「余分」になったからである。詩は、多くの商品のように「売れる」ということは少ない。だからなかなか「商品」とは認められないのだが、少なくとも書いた...長嶋南子「干し柿」

  • 朝吹亮二『ホロウボディ』(2)

    ホロウボディ朝吹亮二思潮社朝吹亮二『ホロウボディ』(2)(思潮社、2019年10月10日発行)朝吹亮二『ホロウボディ』について、私はきのう何を書いたか。「リズム」ということばを書いたはずだが、それ以外は覚えていない。というか。きのう書いたことをきょう読んだ詩につづけることができないので、きのう書いたことは捨ててしまうのだ。「覚えていない」と書くことで。「わたしはむなされていた」という作品。わたしはむなされることばがいつもくちびるのうえでうたうのだった「むなされていた」「むなされる」。終止形は「むなす」?こんなことばを私は知らない。「むなす」は「空しくする」ということか。あるいは「うめ」「うま」は「むめ」「むま」と書かれることがあるから、「うなされていた」「うなされる」ということか。わからないが「されていた」「さ...朝吹亮二『ホロウボディ』(2)

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(7)

    *(愛というものは)愛というものは騎手のもつ鞭のようなものだろう世界のどこでもやたらと男たちの運命を駆けさせるばかりである「意味(論理)」の強い詩である。「愛」が「騎手のもつ鞭」なら、「男」は「馬」か。「騎手」は「女」になるかもしれない。男は女にあやつられている。愛にではなく。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)『誤読』販売のページ定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(7)

  • 朝吹亮二『ホロウボディ』

    ホロウボディ朝吹亮二思潮社朝吹亮二『ホロウボディ』(思潮社、2019年10月10日発行)朝吹亮二『ホロウボディ』の「少年期」に、「リズム」ということばが出てくる。リズム(四つ打ちの鼓動だね、ジャスミン、黄金にしたたる歯車やピストン)にということばがある。「四つ打ちの鼓動」「ピストン」は「リズム」につながるが、「ジャスミン」「黄金にしたたる/歯車」(「黄金にしたたる」は連体修飾語と読むことも、独立したことばと読むこともできる)は「リズム」とは直接つながらない。もちろん、ジャスミンの開くリズム、黄金がしたたるときのリズム、歯車がつくりだすリズムという具合に読むこともできるが、すぐにはつながらない。そして、すぐにはつながらないのだが、いったん「ジャスミンの開くリズム」のようなことばに誘い込まれると、聞こえないはずのも...朝吹亮二『ホロウボディ』

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(6)

    *(瞶めていると真ん中が小さな黄色に光る星)転居してから一通の手紙もこないまだ埃っぽい部屋にはいると葡萄棚のむこうの遠い空に蜘蛛の糸のように葡萄蔓に絡んだ金星が輝いている「まだ埃っぽい部屋」という具体的な描写が強い。転居してきたが、まだ嵯峨の「匂い」が部屋になじんでいない。人が住んでいなかったときの、無人の匂いが居すわっている。それが肉体を刺戟してくるのは、嵯峨がひとりだからだろう。「部屋にはいると」の「はいる」という動詞が、とてもおもしろい。無人の部屋にはいると、ひとりであることがさらに実感される。部屋にはいった嵯峨を、無人だった部屋がつつみにくる。それは絡みついてくるような「しつこさ」があるかもしれない。だから「蜘蛛の糸」「葡萄の蔓」という比喩が選ばれ、さらに「絡む」という動詞がつかわれるのだろう。*詩集『...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(6)

  • アリ・アッバシル監督「ボーダー 二つの世界」(★★★)

    アリ・アッバシル監督「ボーダー二つの世界」(★★★)監督アリ・アッバシ出演エバ・メランデル、エーロ・ミロノフ私は最近の「特殊メイク」にどうもなじめない。多くは「そっくりさん」にするためのものだが、この映画では主役の二人を「そっくりさん」にしている。しかも、それは「醜い」そっくりさんである。「醜い」は隠された「異形」をも含んでいる。それは「ことば」で表現された後、「映像」でも一瞬だけ具体的に提示される。こういうやり方も、私にはなじめない。映画は、やっぱり「俳優」を見るものだと思う。日常では絶対に見ることのできないアップされた顔、肉体を見ることで、自分の肉体のなかにある「可能性」みたいなものを刺戟される。映画を見て、美男・美女になれるわけではないが、見終わると「主役」になった気持ちになる、というのが映画のおもしろさ...アリ・アッバシル監督「ボーダー二つの世界」(★★★)

  • 小柳玲子「握り飯」

    小柳玲子「握り飯」(「みらいらん」4、2019年07月15日発行)小柳玲子はどんな詩人なのか。思い出せそうで、思い出せない。私は、こいう言い方(分類の仕方?)は顰蹙を買うだろうと承知で書くのだが、「おばさんの詩」が好きである。代表は、そうだなあ、長嶋南子か。年齢は知らないから、ほんとうは「おばさん」ではなく「お嬢さん」集団なのかもしれないが、私の意識の中で「おばさん詩人」というものがいて、そのひとたちの詩の感想を「おばさんパレード」というタイトルで一冊にしてみたいという夢がある。その「おばさんパレード」から、実は、小柳は抜け落ちていた。どんなふうにかというと……「おばさま詩」という感じで。高橋順子も、どちらかといえば「おばさま詩」。そういう目で見ると、小柳玲子「握り飯」は、「おばさま詩」から「おばさん詩」へ動き...小柳玲子「握り飯」

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(5)

    *(一茎の白い花は)一茎の白い花は少しばかりぼくの手に似ているこの手でいつも一つの窓を開いた「一輪の」ではなく「一茎の」。この焦点の当て方がおもしろい。二行目の「手」が「茎」のなかに隠されている。「花」が比喩なのではなく、「茎」が比喩として働いている。しかも「一茎の」を追いかけるようにし「花」があらわれる。「花」は「開く」という動詞を隠している。ふたつの隠された存在と動詞が結びついて三行目になる。この三行で、私は、この詩は完結していると思う。けれど、嵯峨は、この詩をさらに押し広げていく。「花」と「手」は別の世界を開いて行く。私は、それを引用しない。「意味」はわかるが、「意味」が強すぎて、最初の三行で動かされたものが消えてしまう感じがするからだ。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書い...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(5)

  • 三井喬子『山野さやさや』

    山野さやさや三井喬子思潮社三井喬子『山野さやさや』(思潮社、2019年06月30日発行)三井喬子『山野さやさや』に「爪」という作品がある。爪は骨ではない。爪は骨ではないが、たわむれに浄い水の裾をつまんで持ちあげると渚や瀬や滝は声を放ち、この書き出しを読んで、何か書きたいと思ったが、何を書きたいと思っていたのか忘れた。たぶん、何か書きたいと思っただけなのだ。何かは、私の中では、まだ具体的になっていなかった。「うすやみの中には」まで読み進んで、その二連目。失語症のうすやみの中にはとり残された寂しい意味が生息していて液化した悪意として柔らかに人の心を窒息させる。ふと、思い出すのだ。「爪」という詩を。「意味」を、その「意味」をあらわすことば、「概念」ではないことばで書くのが詩ではないだろうか、と。「うすやみの中には」に...三井喬子『山野さやさや』

  • 萩生田報道の仕方

    萩生田報道の仕方自民党憲法改正草案を読む/番外301(情報の読み方)2019年11月02日の読売新聞(西部版・14版)に、萩生田の「身の丈発言」から急展開した「民間英語試験」の続報が載っている。一面の見出しは英語民間試験24年度目標/大学共通入試来年度見送り発表/是非含め1年再検討そして、この記事の最後にこう書いてある。文科省は当初、受験生や民間団体が準備をすでに進めていたため、延期に慎重姿勢だった。しかし、受験生機会に不平等が生じるとの批判を懸念した首相官邸の意向も踏まえ、萩生田氏が最終決断した。これではまるで萩生田の「手柄」のような書き方であるが。たしかに「不平等」を明確にしたのは萩生田の「手柄」である。萩生田がテレビで「身の丈発言」をしなければ、民間英語試験は実施されていただろう。しかし、萩生田は試験を延...萩生田報道の仕方

  • 嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(4)

    *(哀しさはどうしてこのように匂うのであろう)哀しさはどうしてこのように匂うのであろうあのひとはどうしてこのように静かな距たりをもつのであろう「哀しさ」と「匂い」。哀しさは匂うか。匂わないが、「匂う」と書いた瞬間に匂いを持つ。ことばは存在しないものを存在させる。嵯峨は、そういうことばの力について書いているのだ。存在しないものを存在させてしまうのが詩のことばなのだ。「静かな距たり」というものも、嵯峨が書くまでは存在しなかった。「静かな」も「へだたり」も、誰もが知っているが、「静かな距たり」は、だれも知らない。ふたつの存在しないものが「どうしてこのように」と「のであろう」で繋がれるとき、その存在しなかったものの存在は、いっそう確実になる。*詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです...嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(4)

  • 詩はどこにあるか2019年10月号

    詩はどこにあるか2019年10月号の発売をはじめました。「製本し注文する」のボタンを押すと手続きが始まります。https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168077138目次。加藤治郎『混乱のひかり』2阿部日奈子『素晴らしい低空飛行』7河野妙子『クロノスとカイロス』13谷川俊太郎「ヨンダルビナ」15新保啓『朝の行方』19朝日カルチャーセンター福岡「谷川俊太郎の世界」・10月07日24高塚謙太郎『量』32井上瑞貴「白い花はすべて光を反射する」35吉田文憲「残身の声」38八重洋一郎「白梅」46今野和代『悪い兄さん』51宮せつ湖『雨がふりそう』56山本育夫「抒情病」十八編59江代充『切抜帳』67山本育夫「抒情病」十八編(2)71白井知子『旅を編む』79生田亜...詩はどこにあるか2019年10月号

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