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1件〜100件

  • 安藤元雄『恵以子抄』

    安藤元雄『恵以子抄』(書肆山田、2022年08月12日発行)安藤元雄『恵以子抄』(「恵」は、正しくは旧字。本文中も)は、妻の死を書いている。死を書いていると書いたが、死は書きようがなく、書こうとすればどうしても生にもどってしまう。その生は、妻の生であり、安藤自身の生である。そこに人間の悲しみがある。この不思議な感じ、どうしようもない何か絶対的な不条理が「恵以子抄」に書かれている。21ページから22ページにかけての、次の一連。思うように歩けなくなった恵以子のために家中に手すりを取りつけた寝室に居間廊下と階段手洗い洗面所や風呂場玄関に勝手口恵以子がいなくなって手すりだけが残ったいまは足腰の衰えた私がもっぱらそれに頼って暮らしている死は「いなくなる」ことである。それ以外のことは、わからない。死んだ人は死について...安藤元雄『恵以子抄』

  • 谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』(2)

    谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』(2)(ポエムピース、2022年07月16日発行)「かなしみ」という作品がある。『二十億光年の孤独』のなかの一篇。私はかつて「谷川俊太郎の10篇』という「アンソロジー」をつくったことがある。(いま、どこにあるか、わからない。)「鉄腕アトム」「カッパ」「父の死」というのは絶対に譲れない三篇。あとは、その日の気分によって選ぶものが違うだろうなあ、と思う。しかし、あと一篇、「かなしみ」も外したくないなあ、と思う。あの青い空の波の音が聞こえるあたりに何かとんでもないおとし物を僕はしてきてしまったらしい透明な過去の駅で遺失物係の前に立ったら僕は余計に悲しくなってしまった青年というよりも、少年という感じ。しかし、幼い少年ではなく、思春期の少年。でも、どうして、そういう印象を持つのかなあ...谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』(2)

  • 朝日新聞よ、それでいいのか。平気なのか。正気なのか。

    朝日新聞デジタル版、https://www.asahi.com/articles/ASQ8H5SRWQ8HUTIL01W.html...「特異集団は旧統一教会」閣議決定公安調査庁の05・06年報告書この見出し、この記事の書き方は、これでいいのか。辻元清美の「質問趣意書」が掲載されていないので、その内容がわからないが、辻元は単に「2006年、2005年」の公安調査庁が「特異集団」と書いてあるのは、いったいどの団体かと質問しただけなのか。↓↓↓政府は今回の答弁書で、いずれも旧統一教会を指すと認め、特異集団を「社会通念とかけ離れた特異な主義・主張に基づいて活動を行う集団」と定義した。一方、第1次安倍政権下の07年分では特異集団の項目がなくなった。理由について答弁書は「時々の公安情勢に応じて取り上げる必要性が高い...朝日新聞よ、それでいいのか。平気なのか。正気なのか。

  • Estoy loco por espana(番外篇176)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens影もまた作品の一部だと教えてくれる作品。作品そのものもシンプルでリズミカルだが、それにそって踊る影が、作品をより美しくしている。作品をどこで見るか。そのときの空間、光がつくりだす変化をどう楽しむか。どんな作品も、やはり、その度書へ見に行かないといけないと思う。Estaobranosdicequelassombrastambiénformanpartedeltrabajo.Laobraensíessencillayrítmica,perolassombrasquedanzanjuntoaellalahacenaúnmásbella.¿Dóndesemiraeltrabajo?¿Cómodisfrutadeloscambioscreadosporelespacioylal...Estoylocoporespana(番外篇176)Obra,JoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇175)Obra, Antonio Pons

    AntonioPonsMangranaamblapalmaGresCH,ferroiacer(890x420x380mm.)素材がつくりだす対比、色の変化が美しい。左の局面の光の変化は、宇宙がつくり出す一瞬のものだが、まるで最初からその変化を知っているかのような落ち着きがある。Loscontrastesycambiosdecolorcreadosporlosmaterialessonhermosos.Elcambiodeluzenlafaseizquierdaesalgomomentáneocreadoporeluniverso,perohayunacalmaenél,comosielartistahubierasabidodelcambiodesdeelprincipio.Estoylocoporespana(番外篇175)Obra,AntonioPons

  • Estoy loco por espana(番外篇173)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens制作過程のホアキンとその作品。作品を単独で見ると、大きさがわかりにくいが、この写真からはだいたいの見当がつく。ホアキンの作品は、だいたいが身体になじむ大きさだ。ここにも彼の作品のもっている親しみやすさの要素がある。Joaquínenelprocesodeproducción.Cuandolaobrasevesola,esdifícilhacerseunaideadesutamaño,peroestaimagendaunaideaaproximada.LasobrasdeJoaquínsongeneralmentedeuntamañoqueseajustaalcuerpo.Esteesotroelementodelafamiliaridaddesuobra.作品は、とて...Estoylocoporespana(番外篇173)Obra,JoaquínLlorens

  • 谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』

    谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』(ポエムピース、2022年07月16日発行)谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』は、短い詩120篇のアンソロジー。田原が選んだ。こういう詩集は、最初から読んでいくのではなく、なんとなく開いたところから読んでいく。行き当たりばったりで読んで、行き当たりばったりの感想を書く。読み落としがあっても気にしない。「となりの」谷川俊太郎なら、なおさらそうだ。読み落としたって、「知っている」。というか、どうしたって田原が選んでいない詩が詩集の中にまぎれこんでいる。「本人も知らない」のが「となりの他人」の実態だから。あるいは「となりの住人」というのは、そういうものを含んでいるのだ。つまり、谷川俊太郎以外、この詩集でいえば田原以外の人間をかってに含めて、私は谷川俊太郎を「となりの谷川俊太郎」と思...谷川俊太郎『となりの谷川俊太郎』

  • アメリカナイズの問題点

    「台湾有事」は「アメリカの夢」と書いたとき、世界で起きているアメリカナイズについて少し書いた。アメリカナイズの「悪夢」が世界をおおっているというのが私の見方だが、それを証明するような事件が起きた。『悪魔の詩』の著者、サルマン・ラシュディがアメリカで刺された。容疑者の動機は不明(読売新聞)だが、『悪魔の詩』はイスラム教を冒涜している批判されており、そのことが関係するかのように報道されている。これが「アメリカナイズ」とどう関係するか。関係するのはイスラム教だろうと指摘する声が聞こえてきそうだが、私は「アメリカナイズ」のひとつととらえる。「アメリカナイズ」とはアメリカのスタイルが世界をおおうということである。この動きは「自発的」というよりもアメリカが要求しているものである。それに逆らって自分のスタイルをつらぬく...アメリカナイズの問題点

  • Estoy loco por espana(番外篇174)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Jesusはフェイスブックで、こう書いている。"SobreelMundo",fragmento.CuadropintadoporencargoparaelcarteldePasiónenSalamanca.Año2019Unrayodesolenelocasoincidesobreelbordeatravésdeunventanuco.*小窓から夕陽が一筋、キャンバスに降り注ぐ。しかし、まるで最初から、その赤い色が存在したかのような感じがする。この瞬間にしか存在しない「作品」。この効果は作者の意図を超えていると思う。だからこそ、楽しい。時間が生み出した、新しい作品に、Jesus自身が驚いている。この作品を、こうやって共有できるのは、とてもうれしい。*Sinembargo,parecequeesecolor...Estoylocoporespana(番外篇174)Obra,JesusCoytoPablo

  • Estoy loco por espana(番外篇172)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens¿Esundragónabstracto?Alaluzdelatardecer,puedoverqueelpilarquesostienealdragóntambiénesunaobradearte.Esinteresantelacorrespondenciaentrelaluzquesereflejaenelpilarylaquesereflejaenelvientredeldragónenlafotodelaizquierda.Laluzenlafotografíadeladerechapuedeserlaluna.Megustaelcambiodeexpresióndelaobra.TodavíanohevistoeltrabajodeJoaquínenelex...Estoylocoporespana(番外篇172)Obra,JoaquínLlorens

  • 「関係を断つ」とは、どういうことか

    第二次岸田改造内閣。統一教会との関係が、すっきりしない。2022年08月13日の読売新聞(西部版・14版)の2面。(見出しは、ウェブ版)↓↓↓新副大臣・政務官でも旧統一教会と接点相次ぐ…パーティー券購入やイベント出席第2次岸田改造内閣が本格始動した12日、政府がこの日の臨時閣議で決定した副大臣、政務官でも「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)と過去に何らかの接点を持っていたことが相次いで明らかになった。山田賢司外務副大臣の事務所は12日、関連団体から2018年4月にパーティー券2枚(4万円)の購入を受けたと公表した。大串正樹デジタル副大臣も同日、首相官邸で記者団に、過去に関連団体からパーティー券を購入してもらったと明かし、「関係は断つ」と語った。中谷真一経済産業副大臣と野中厚農林水産副大臣は、いずれも関連...「関係を断つ」とは、どういうことか

  • 帷子耀. 選『詩的●▲』

    帷子耀.選『詩的●▲』(阿吽塾、小見さゆり『水辺の記憶』(書肆山田、2022年06月20日発行)帷子耀.選『詩的●▲』は、阿吽塾が作品募集をし、帷子耀.が選んだ作品で構成されている。帷子耀.の選評もついている。豊原清明の「空中に搾取された生首」がおもしろい。なんとなく、帷子耀を思い出した。思い出したといっても、私が帷子耀の作品を読んだのはもう50年ほど前になり、気がついたら帷子耀は詩の世界(現代詩手帖)から消えていた。だから、おぼろげな記憶でしかないのだが。何を思い出したか。霧のような前衛詩に滅びて往く民の異性への興味しなやかな曲線美リズムの絶対性。それが帷子耀に共通すると思った。たたいても、こわれないリズム。どこを叩いても、強靱な音がかえってくる。その強さ。こんな抽象的な書き方では、何も書いたことになら...帷子耀.選『詩的●▲』

  • 「台湾有事」への疑問

    私は台湾のことも中国のこともよく知らないのだが、「台湾有事」について、とても疑問に思うことがある。台湾は、チベットや新疆ウイグルとは完全に違う。台湾に住んでいるひとは、基本的に中国人である。つまり、国語、文化が同じ。(もちろん、別の体制になってから、違う制度を生きているから違いも出てきているが。)中国人は、どうやって生きているか。単なる印象で書くのだが、いま中国人は世界中に散らばっている。そして、散らばりながら組織化もされている。チャイナタウンと俗にいうけれど、血族意識が強い。だれかがある国へ行く。そこで成功する(中国人にとっての成功とはなによりも、金を蓄える。金持ちになること)と親族を呼び寄せる。そして、「社会」が拡大する。頭がいいなあと感心するのは、このときの中国人の「かせぎ方」である。日本でいうコン...「台湾有事」への疑問

  • 小見さゆり『水辺の記憶』

    小見さゆり『水辺の記憶』(書肆山田、2022年07月08日発行)小見さゆり『水辺の記憶』には、詩とは何かの、ひとつの「模範解答」のようなものがある。「まばたき」という作品の後半部分。まばたきをしている間に地球がすばやく回転したまばたきをしている間にスカートがめくれあがったまばたきをしている間に数式を忘れたまばたきをしている間に地面から鳥の影が消えた「まばたきをしている間に」という共通のことばが、別々のことばを引き寄せてくる。無関係なものが「まばたきをしている間に」によって共通のものになる。それがほんとうに共通しているかどうかは、わからない。わからないが、「共通項(まばたきをしている間に)」があるために、共通のものとして見えてくる。ただし。共通といっても、そこには「断絶」がある。なぜ共通しているか、わからな...小見さゆり『水辺の記憶』

  • Estoy loco por espana(番外篇171)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens植物の芽吹きを感じさせる二つのやわらかい形。台座に対応する2つの形状。バランスと調和が面白い。Dosformassuaves....meparecequesonalasplantasenciernes.Dosformascorrespondientesenelpedestal.Interesanteequilibrioyarmonía.Estoylocoporespana(番外篇171)Obra,JoaquínLlorens

  • N氏の手紙

    中井久夫に「N氏の手紙」というエッセイがある。(『記憶の肖像』、みすず書房、1992年10月21日発行)「N氏とは最近物故された有名な詩人である。」とはじまる。読みながら、私は、このことばをコピーするように「N氏とはきのう(8日)物故された有名な訳詩人である。」と書きたくなった。中井久夫が死んだ。中井久夫は、そのエッセイの中で西脇順三郎に手紙を書いたこと、西脇から返信が来たことを書いている。私も中井久夫に手紙を書いたことがある。『カヴァフィス全詩集』(みすず書房)を読んで、感想を書いた。訳語のリズムに感心した、口語のリズムに肉体を感じた、というようなことを書いたと思う。私は中井久夫を知らず、単に「翻訳者」であると思っていた。しかし、その「翻訳」は「翻訳」というよりも、完全に日本語になった詩だった。中井語だ...N氏の手紙

  • 中井久夫が死んだ

    中井久夫が死んだ。なんと書いていいのかわからない。でも、書かずにいられない。カブァフィス、リッツォスの訳詩。そして、最初のエッセイ集『記憶の肖像』も好きな一冊だ。実は、私は「特別版」を持っている。カバーの写真が「裏焼き」なのだ。中井さんからもらったものだが、もらったあと、「写真が裏焼きだった」と教えてもらった。たぶん、すぐにカバーを作り替えていると思う。(確かめてはいない。)ふと開いたページに「花と時刻表」という短い文章がある。「今年の夏は福岡から佐賀、最後に山口と各駅停車の旅行をした。」とはじまる。偶然開いたのに「福岡」の地名が出てくる。その偶然の一致がうれしい。*ふつうは「中井久夫が死んだ」と書かないだろうし、「(本を)もらった」とも書かないだろう。しかし、私は「中井久夫氏が死去した」とか「本をいただ...中井久夫が死んだ

  • Estoy loco por espana(番外篇170)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens街角の孤独。深夜の街に、一つだけ明かりがついているビルを見るような感じ。他にもビルはあるのだが、それはもう眠っている。明かりのついたビルを、ひとりの男が見ている。男もまた、眠ることができないのだ。Lasoledadenlascalles.Escomoverunedificiodelaciudadaaltashorasdelanocheconunasolaluzencendida.Hayotrosedificios,peroyaestándormidos.Unhombrevigilaeledificioconlaslucesencendidas.Elhombretampocopuededormir.Estoylocoporespana(番外篇170)Obra,JoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇169)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens水平と垂直のバランスが美しい。交差する線がつくりだす空間の変化がとてもリズミカルだ。斜めの方角から撮影した写真では、動きにスピード感がある。動かない彫刻なのに、スピード感があるというのは、とてもおもしろい。Elequilibrioentrelahorizontalidadylaverticalidadesprecioso.Loscambiosdeespaciocreadosporlaslíneasquesecruzansonmuyrítmicos.Enlafotografíatomadadesdeunángulooblicuo,hayunasensacióndevelocidadenelmovimiento.Esmuyinteresantequelaescultura...Estoylocoporespana(番外篇169)Obra,JoaquínLlorens

  • エマニュエル・クルーコル監督「アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台」(★★★)

    エマニュエル・クルーコル監督「アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台」(★★★)(2022年08月07日、KBCシネマ、スクリーン2)監督エマニュエル・クルーコル出演カド・メラッド、マリナ・ハンズ、ロラン・ストッカーベケットの「ゴドーを待ちながら」を囚人が演じる。「待っているだけ」という状況が囚人の状況と重なる。そこから、ふいに「現実」が噴出してくる。それをそのまま舞台に生かす、という演出方法で演劇そのものは大成功を収める。映画は、その成功までの過程を手短に紹介する。そして、「それ以後」をていねいに描写していく。これがなかなかおもしろい。芝居の中に、隠れていた現実(意識できなかった現実)がことばとして動き始めるとき、そのことばを語った役者たちの現実はどうなるのか。たとえば芝居の上演後、刑務所へ帰って来た...エマニュエル・クルーコル監督「アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台」(★★★)

  • NATOと統一教会

    NATOと統一教会は、何の関係もないように見える。(あるかもしれないが、私は、知らない。)けれども、非常に類似点があると私は感じている。2022年08月07日の読売新聞(西部版・14版)は3面で「対ロシア欧州政局不安/インフレ拍車高まる不満/英伊首相辞任/仏政権議会苦戦」という見出しで、現在のヨーロッパの「揺れ」を報告している。ロシアのウクライナ侵攻を避難するために、ヨーロッパは団結して「経済制裁」に踏み切ったが、うまくいかない。物価が上がり、不満が続出している。それを政権が抑えきれない、ということが起きている。↓↓↓↓経済的な余裕が失われ、国民の関心はウクライナ情勢から離れ始めた。調査研究機関「欧州外交問題評議会」が欧州主要10か国で実施した調査(6月中旬発表)では、英仏伊とスペイン、ポルトガル、ルーマ...NATOと統一教会

  • 広島原爆の日。

    広島原爆の日。原爆に限定せずに、戦争について考えるところからはじめたい。「戦争放棄(軍備放棄)」を語るとき、多くの人が、敵が愛する人(家族)を殺そうとしているの時、戦わないのか、という質問をする。だが、誰かが私を(そして家族を)殺そうとしているとき、対処方法は一つだけではない。つまり、戦うという方法しかないわけではない。まず、何よりも「逃げる」という方法がある。もちろん逃げても、敵は追いかけてきて殺すかもしれない。しかし、立ち向かっても殺すだろう。だから、まず最初は逃げる。こんな例がいいかどうかわからないが。安倍は暗殺された。それは逃げなかったからだ。たとえば大きな物音(銃声と思わなくても)がしたとき、安倍が逃げるとか、しゃがむということをしていたら、それだけでも事態は変わっていただろう。殺されたくなかっ...広島原爆の日。

  • ペロシのことばと読売新聞の書き方

    2022年08月06日の読売新聞(西部版、14版)。1面に「日米、台湾情勢で連携/首相、ペロシ氏と会談中国演習批判」という記事が書いていある。ペロシの台湾訪問の続報。↓↓↓岸田首相は5日、来日中のナンシー・ペロシ米下院議長と首相公邸で会談した。軍事的な緊張が高まっている台湾情勢をめぐり、日米の連携を確認した。首相は、中国による台湾周辺での大規模軍事演習を「地域や国際社会の平和と安定に深刻な影響を与える」と批判した。↑↑↑中国が台湾周辺での大規模軍事演習をしたのは事実だ。そして日本のEEZ内にミサイル(?)が落下したのも事実だ。しかし、ここにはなぜ中国が台湾周辺で軍事演習をしたのか、その理由が書かれていない。私が何度か問題にしている「時系列」でいえば、「時系列」が省略されて、中国が突然一方的に軍事演習をした...ペロシのことばと読売新聞の書き方

  • Estoy loco por espana(番外篇168)Obra, Joaquín Llorens

    ObraJoaquínLlorensObraquehaestadoseleccionadayexpuestaenCangas(Pontevedra)..CertamenInternacionalArteMorrazo2022junioボタンの花を思い出した。短歌(日本の短い詩)に「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」という作品がある。牡丹の大輪の花が占める位置は揺るぎなく静かである。この作品は、その牡丹の花のように、豪華で、同時にその空間(場)を安定させる。とても美しい。Merecordóaunaflordepeonía.Hayuntanka(poemacortojaponés):"BOTANKAHASAKISADAMARITESHIZUKANARHANANOSHIMRTAEUICHI...Estoylocoporespana(番外篇168)Obra,JoaquínLlorens

  • 読売新聞のウソのつき方

    2022年08月04日の読売新聞(西部版・14版)の一面。「米台の団結を強調/下院議長、蔡総統と会談」という見出しで、こう書いている。(番号は私がつけた。)↓↓↓↓↓①【台北=鈴木隆弘、北京=大木聖馬】ナンシー・ペロシ米下院議長は3日、訪問先の台北で蔡英文総統と会談した。米国の台湾に対する揺るぎない支持を表明し、中国の脅威に直面する台湾との連携を強化する意向を示した。中国はペロシ氏の訪台に反発し、射撃訓練や軍事演習で圧力を強める構えで、緊張が高まっている。②蔡氏は会談で「台湾海峡の安全は世界の焦点だ。台湾が侵略を受ければ、インド太平洋地域の衝撃となる。台湾は軍事的脅威に屈しない。台湾は民主主義を守り、世界の民主主義国家と協力する」と訴えた。③ペロシ氏は「台湾が多くの挑戦を受けている中で、米台が団結すること...読売新聞のウソのつき方

  • Estoy loco por espana(番外篇167)Obra, Joaquín Llorens

    ObraJoaquínLlorensTécnica.Hierro72x25x20S.M.NLaformadelpedestalcambiódeplanaacúbica.Laobratieneunamayorsensacióndeestabilidad.Lafuerzadelacerosetransmiteensilencio.台座の形が平面から立方体に変わった。作品の安定感が強くなった。鉄の持っている強さが、静かにつたわってくる。Estoylocoporespana(番外篇167)Obra,JoaquínLlorens

  • Jose Manuel Belmonte Cortes

    私は、リアリズムよりも抽象を好む。リアリズムは視覚を修正されるようで苦手だ。しかしJoseの作品をFacebookで見たとき、視覚を修正する以上のことを感じた。Luisが裸でチェスをしている作品。これはいったい何なのだろう。どうしてこんな醜い肉体が彫刻になるのか。Luisをモデルにした作品はどれも異型のいのちとして迫ってくる。それは私の未来だが、現在であり、過去かもしれない。というのは、過去に考えたこと。実際に作品に接すると、肉体の細部の自己主張に圧倒される。目はもちろんだが、手の指、足の指の表情に見とれてしまう。そして、いま私は細部の自己主張と書いたのだが、その細部は全体を壊さない。より強靭にする。これは巨大な作品を見たときに、より強く感じる。ExposiciónyestudiodeJoséManuel...JoseManuelBelmonteCortes

  • 池田清子「小さい子供のように」、杉恵美子「蛍火」、徳永孝「雨の日の窓」、木谷明「あの時から」、青柳俊哉「窓」

    池田清子「小さい子供のように」、杉恵美子「蛍火」、徳永孝「雨の日の窓」、木谷明「あの時から」、青柳俊哉「窓」(朝日カルチャー講座・福岡、2022年07月18日)受講生の作品。小さい子供のように池田清子小さい子供のように楽しい時は楽しいと詩いたい悲しい時は悲しいと詩いたい淋しい時淋しいと詩いたいせつない時もむなしい時も思いが言葉にならない時も小さい子供のようにただただ大きい声で泣きながら詩いたい二連目の「思いが言葉にならない時」が、とてもいい。それで、受講生に「思いがが言葉にならない時」とはどういう時か、質問してみた。ほかのことばで(自分のことばで)言い直すと、どうなるか。たとえば「楽しい時」「悲しいと時」「淋しい時」「せつない時」「むなしい時」は、思いがことばになるのか。「楽しい」「悲しい」「淋しい」「せ...池田清子「小さい子供のように」、杉恵美子「蛍火」、徳永孝「雨の日の窓」、木谷明「あの時から」、青柳俊哉「窓」

  • Jesus Coyto Pablo

    JesusCoytoPabloのアトリエ。ポルトガル国境の近くの小さな村にある。一枚目の絵は、私をJesusの世界へ導いてくれたシリーズの作品である。私はいまスペインを旅行している。いわば空間の旅人である。Jesusが描いているのは、時間の旅人である。彼らは時間を旅している。記憶を彷徨っている。誰にも過去がある。そしてその過去、あるいは時間というものは、不思議な構造をしている。10年前が昨日より身近にあらわれることもあれば、昨日がすべての時間を支配してしまうこともある。複数の人物が複数の時間をかかえ、同時に存在し、生きている。彼の絵には、いくつもの塗り重ね、さらに別の紙で描かれた張り重ねとでもいうべきものがある。それは何かを、たとえば過去を物理的に隠そうとしているのか、あるいは隠している過去があるというこ...JesusCoytoPablo

  • Miguel González Díaz

    MiguelGonzálezDíazの作品を見て回った。ArenasdeSanPedro。緑の谷間の村。車を止めて見渡すと、羊の鳴き声、鈴の音が聞こえてくる。空気が澄んでいて、とても美しい。その村のいたるところの彼の作品がある。村に貢献した医師のレリーフも彼の作品だ。ギャラリーへ行った。彼の作品のほかに、双子の兄弟のLucianoの作品も展示してあり、ワインも売っている。ワインはギャラリーの裏でつくっている。Lucianoの家でも飲んだが、おいしい。RecorridoporlasobrasdeMiguelGonzálezDíazenArenasdeSanPedro.Unpuebloenunvalleverde.Cuandosedetieneelcocheysemiraasualrededor,seoyee...MiguelGonzálezDíaz

  • 瀬崎祐『水分れ、そして水隠れ』

    瀬崎祐『水分れ、そして水隠れ』(思潮社、峯澤典子『微熱期』(思潮社、2022年07月04日発行)瀬崎祐『水分れ、そして水隠れ』の「夜の準備」。その書き出しの二連。ここからは崖の上に止まっている大きなトラックがよく見える夕刻になるとあの崖上に戻ってくるのだが少し前に進むだけで崖から落ちてしまいそうだそんなぎりぎりの場所でいつも夜をすごしている昼の間はどこかへ作業をしに行っているのだろう溶けたものを運びつづけているのだろう恨みや妬みを溶かして言葉が重く揺れてうねる悪路でトラックは跳ね荷台からこぼれたものは路上に点々と跡をつけるとてもおもしろいと思った。しかし、このあと「言葉」は、この詩のなかでは動かず、「幼い日」や「姉」が登場する。それを出すくらいなら、二連目でやめておけばいいのに。そんなことを思っていたら、...瀬崎祐『水分れ、そして水隠れ』

  • Javier Messia

    JavierMessiaJavierの作品をfacebookで見たとき、私は、こんなことを書いている。JavierMessaの作品が、どんな素材で構成されているか、私は知らない。わかるのは、分割と統合があるということ。画面を区切りながら、その区切るという行為が全体を構成している。縦の線と横の線。青緑と金赤。補色。相反するもの。そして、それぞれの領域には、なにかしら制御できないものもある。でこぼこがある。それは絵の具の塊なのか、それとも絵の具の下の素材のでこぼこなのか。わからないが、そこにも、何かしら相反するものが共存している。写真ではなく、自分の目で、直接見てみたい。NosédequématerialestácompuestalaobradeJavierMessía.Loqueentiendoesqueh...JavierMessia

  • 竹内K「通勤」

    メールをつかっての「現代詩オンライン講座」のなかから一篇紹介する。通勤竹内Kある晴れた秋の日、バスはいつもの込み具合で四丁目バス停を出発した。太りすぎを気にして駅まで歩こうとしている潤三さんを追い越して、バスは先を急いだ。バスの窓から宗和さんは歩道をいそぐ中年の男の後ろ姿を何気なく見ていた。雨の日だった。四丁目バス停で少しおくれて、バスは出発した。二丁目バス停に到着したとき、八人の乗客が待っていた。潤三さんは足下が濡れるのを気にしながら、並んでいる乗客を横目に駅に急いだ。また雨の朝だった。潤三さんの健康志向に水を差す強い雨だった。宗和さんをのせたバスが、背後から近づいていた。今日は健康でなくてもいい、あきらめて十一人が並ぶ二丁目バス停の列に続いた。雨にぬれた乗客が次々に入って車内はいっぱいになった。中に入...竹内K「通勤」

  • 峯澤典子『微熱期』

    峯澤典子『微熱期』(思潮社、2022年06月20日発行)峯澤典子『微熱期』の、詩篇に入る前のページに、次の三行がある。すべては青い微熱のなかへこの三行を読んだ瞬間に、この詩集の特徴がわかる。「青い」ということばが、すべてを語っている。これが「茶色」だったり、「黒」だったり、「薄汚れた紫」だったりすると、少し複雑である。しかし「青い」から私が連想するのは「透明」とか「美しい」とか「静か」とか「哀しみ」ということであり、実際に、詩はその通りに展開する。巻頭の「夏の雨と」明け方の雨は散ってしまった花びらのあとを追うように夢のなかの夏の地図を濡らしていったね、美しいでしょ?そして、その美しさに「矛盾」がないでしょ?想像どおりのことが起きるのである。雨が降る、花が散る、散ったもの(なくなった/失ったもの/たぶん恋人...峯澤典子『微熱期』

  • Vicente Barbera Albalat y Ángel García

    VicenteBarberaAlbalatyÁngelGarcía詩人にも会った。VicenteBarberaAlbalatとÁngelGarcía。Vicenteはとても話しやすい詩人だ。私は、ろくにスペイン語が話せないのだが、会話していて困ることがない。スペイン語が突然上達した気持ちになる。なぜだろう。Vicenteは言う。「それは、私が君の話を聞いているからだ」この答えに、私は絶句した。そうか、ことばは聞いてくれるひとがいると、伝わった気持ちになるのか。伝わるのか。Víadospoetastambién.VicenteBarberaAlbalatyÁngelGarcía.Vicenteesunpoetaconelqueesmuyfácilhablar.Nohablobienelespañol,per...VicenteBarberaAlbalatyÁngelGarcía

  • 新井啓子『さざえ尻まで』

    新井啓子『さざえ尻まで』(思潮社、2022年04月29日発行)新井啓子『さざえ尻まで』のなかに「旅の話」がある。以前、書いたかもしれないが、この作品がいちばんおもしろい。親戚で旅したときのことを、親戚が集まったときに思い出す。具体的なことは、前半に少し紹介される。それを受けての、後半部分。集まるたびにみなが思い出話をする何度もなんども同じ話が語られる語る人数は減っていくが語られるひとは変わらないいなくなっても必ず語られるひとがいる本当にあれだよねしょうもなくあれさなどとよくもわるくも繰り返し語られる何度もなんども語られるのでいったきり帰れそうもない「思い出話」は「旅の話」とは限らないだろう。「語る人数は減っていくが/語られるひとは変わらない」はさりげなく、ひとが死んでいくことを語っている。葬式には、ひとが...新井啓子『さざえ尻まで』

  • 岩佐なを「亀なく」

    岩佐なを「亀なく」(「孔雀船」100、2022年07月15日発行)岩佐なを「亀なく」は俳句の季語「亀なく」という「ことば」を題材にしている。例によって強風にのって転校してきたはいく君の家では亀がなくというまじで。いじめているのか亀なかして「まじで。」ということばで、突然、現実がはいりこみ、「いじめているのか/亀なかして」にくると、もう季語なんか関係ないね。「人間関係」が浮かび上がってくる。どうも、人間関係というのは「ウソ」が入り込めない。「ほんとう」が動いてしまう。「亀がなく」というのは「ウソ」だとしても。この詩の場合、最初の「ほんとう」は子供は腹がへる、ということ。そして、何かを食べる。おかあさんもおとうさんもなんの気配がなくても友情をみしみしと感じてむはむはと和菓子を食べると灰苦君がほんとは亀は家にい...岩佐なを「亀なく」

  • 読売新聞の「忖度」

    2022年07月23日の読売新聞(西部版、14版)の政治面(13S版)に統一教会と政治家とのことが見出しと記事。(番号は、私がつけた))↓↓↓①旧統一教会との関係注目/自民・野党とつながり②安倍晋三・元首相が銃撃されて死亡した事件を受け、政治と「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の関係に注目が集まっている。旧統一教会は反共産主義の「勝共思想」を掲げ、自民党だけではなく野党ともつながりが指摘されてきた。③安倍派に所属する末松文部科学相は22日の記者会見で、同連合の関係者が自身の政治資金パーティー券を購入していたと明らかにした。末松氏の事務所によると、2020年、21年にパーティー券計4万円分が購入されていた。④末松氏側は、同連合に関連する集会に複数回、祝電も送っていた。末松氏は「常識の範囲内で何らやましい...読売新聞の「忖度」

  • 朝日新聞の「忖度」

    https://www.asahi.com/articles/DA3S15364477.html?fbclid=IwAR2dy9U45WS9dYBfp2I9OZMBpDfysyAAucmY1ynOq6Sr7wnvxP8liGaCmNQ朝日新聞の「社説」(2022年07月22日)。以下の部分、意味がわかりますか?*******************************************************************************選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民をはじめ、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある。***************************...朝日新聞の「忖度」

  • Lu Gorrizt

    LuGorriztの画廊、アトリエを訪問。最初に驚かされるのが、この画廊とアトリエの関係である。画廊に入ると、すぐ足元がガラス張りになっていて、地下が見える。その地下がアトリエである。地下でつくった作品を、1階のアトリエで展示し、売る。産地直売ということばがあるが、アートの産地直売という感じである。そして、私はここで、産地直売ならではの話を聞いた。アメリカから客がやってきた。絵をじっと見ている。気に入ったのか、気に入らないのか。その客は、一枚の絵を、縦のものを横に、さらには天地を逆にして眺める。そして、横にした絵か、天地を逆にした絵かわからないが、こういうのだ。「これが気に入った」Luは、どうしたか。「OK、サインを書き直そう」それまであったサインを消し、客の好みにあわせてサインを書き直した、というのだ。...LuGorrizt

  • 稲川方人「自由、われらを謗る樹木たち、鳥たち」

    稲川方人「自由、われらを謗る樹木たち、鳥たち」(「イリプス」37、終刊号、2022年07月10日発行)稲川方人「自由、われらを謗る樹木たち、鳥たち」をどう読むべきか。その一連目。あなたの掌を解き、握られた紙片をふたたび世に戻すと陽の翳りに、遠く生き急いだ命の数々が短く在ったみずからの声の幸福を響かせているラジオの鳴る冬の縁側に一旦はただ人として座ったあなたが郵便配達人の自転車を待つ間その数日の間に、わたしは僅かな未来へとあなたの遺志を繋げるために、蒼空の幼い階音(はるもにあ)を聴き続けたうまいないあ。でも、うまければいいのかどうか、よくわからない。なぜ、うまく感じるか。ことばの「呼応」がしっかりしているからだね。しっかり呼応し、しっかり完結している。問題は、そのあと。いまどき「ラジオの鳴る縁側」って、いっ...稲川方人「自由、われらを謗る樹木たち、鳥たち」

  • Borja Trénor Suárez de Lezo

    BorjaTrénorSuárezdeLezoのアトリエを訪問した。有名な画家の作品がいっぱい。大好きな彫刻家の作品もたくさんある。写真に撮ろうとしたら、「それは撮らないで」。「君は私の作品を見に来たのかね、他の人の作品を見に来たのかね」私は最初の計画はすぐに忘れてしまう人間のようだ。私はもともと写真で記録するより、目の記憶を信じる人間だけれど、あまりの感激に頭が混乱しそう。LavisitaalestudiodeBorjaTrénorSuárezdeLezo.Haymuchasobrasdepintoresfamosos.Inclusomuchasobrasdemiescultorfavorito.Cuandointentéhacerlesunafoto,medijoqueNO."Hasvenidoave...BorjaTrénorSuárezdeLezo

  • 安俊暉『武蔵野』

    安俊暉『武蔵野』(思潮社、2022年05月17日発行)安俊暉『武蔵野』は短いことばがつらなっている。28ページに、こう書いてある。古里の葦の葉急ぎ揺るわれ君に会いてのち揺るごと君に会いてのちより古里の葦の葉の急ぎ揺る最初の連と次の連とどこが違うのか。どちらかひとつでいいと思うが、安は一方を削除するのではなく、両方を残している。55ページは、こうである。君生けし花山ごぼうとすみれ小ビンの中に君生けし野菊小ビンの中にまた小さく何にこだわっているのだろう。83ページから84ページにかけて。無花果伸びゆく幾度かの思い重ねつつ幾度かの思い重ねつつ今無花果の葉散りゆく「思い/重ねつつ」が繰り返される。あ、安は繰り返すことで「思い」を重ねているのだ。「重ねつつ」あるのだ。この「つつ」が安のことばの動きの基本なのかもしれ...安俊暉『武蔵野』

  • 石毛拓郎「車夫のことばで書け!」

    石毛拓郎「車夫のことばで書け!」(「潮流詩派」270、2022年07月10日発行)石毛拓郎「車夫のことばで書け!」は魯迅の「小さな出来事」に関する感想(批評)である。私は、魯迅の作品の中で、この作品がいちばん好きである。その好きな作品を石毛が取り上げて書いている、と書いただけで、私は、石毛の文章への感想を書いた気持ちになってしまう。あ、石毛も、この作品が忘れられないのだ、と思うと、それだけで石毛を信頼できると思うのである。魯迅は、ある日、人力車に乗る。急いでいる。街角で、老婆と人力車がぶつかる。老婆はケガをしているようにはみえない。老婆をほっぽりだして、そのまま走ってくれ、と思う。ところが車夫は老婆を助け起こし、なんと派出所へ「事故届け(?)」に行く。そのときのことを書いている。私は、この作品を読み、はっ...石毛拓郎「車夫のことばで書け!」

  • Antonio Pons

    AntonioPonsのアトリエを訪問。彼の作品をみて、すぐに思い浮かぶことばは「ソフィスティケート」である。形にむだがなく、どのラインにも迷いがない。シンプルなのに、それが何をあらわしているか、すぐに想像できる。造形が、抽象と具象のあいだを素早く行き来している。あまりにシンプルなので、もしかすると私にもつくれるかな、と思ってしまう。つくってみたい、という誘惑してくる。VisitoalestudiodeAntonioPons.Lapalabraquevieneinmediatamenteamimentealversuobraes"sofisticación".Nohaydesperdiciodeforma,nivacilaciónenningunadelaslíneas.Essimple,peroesfá...AntonioPons

  • デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(3)

    デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(3)(七月堂、2022年05月05日発行)デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』を読み進むと、だんだん暗い気持ちになる。それが、なかなか気持ちがいい。「自由とは」の途中から。わたしは、責任をもってじしんの身体のケアをする男だ、身体と切り離しえぬみだしなみもきちんと整える男だ。着るものにも意を用いるし、容貌にも、わたしは鏡のなかのわが容貌をうつくしいとおもうものだが、それもきっちりと手入れをする。でも、知りたいのは、歯を磨くことからも自由になり、顔や首のあたりも洗わずにいたり、足指のあいだも洗わずにいたりするとして、それはどんな感じのものなのだろうということだ。知りたいのは、排便も怠り、健康維持のための食物も遠ざけ、下着は替えぬままにいたりすると...デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(3)

  • デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(2)

    デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(2)(七月堂、2022年05月05日発行)「プロローグ」という詩は、「わたしのじんせいはくるうようにつくられた人生でした。」という行ではじまる。「じんせい」と「人生」がつかいわけられている。そのつかいわけについては、ここではそれ以上考えない。ただつかいわけられている、ということだけを意識しておく。このあと、わたしじしんをゆるし、このさきものをたべつづけるためには、わたしは、あなたと、おなじことをしなくてはなりません。「あなた」が出てくる。だれのことか、わからない。わからないけれど「あなた」が出てくる、ということだけを覚えておく。読み進むと、抽象的だったことばの世界が、突然、生々しく変わる。わたしは、ささやかななぐさめをもとめあったちちとははからうま...デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(2)

  • Joaquín Llorens

    Joaquinのアトリエを3年ぶりに訪問することができた。私をスペインの芸術家に導いてくれたフェニックスはきょうも私を温かく迎えてくれた。フェニックスの子ども(?)も元気だった。このアトリエは私にとっての古里のようなものかもしれない。帰省するように何度も何度も訪ねたい場所だ。VisitoelestudiodeJoaquínporprimeravezentresaños.Phoenix,quemepresentóalosartistasespañoles,mediounacálidabienvenidahoy.ElniñoFénix(?)tambiéngozabadebuenasalud.Esteestudiopuedesercomounviejohogarparamí.Esunlugarquequiero...JoaquínLlorens

  • 岡井隆『あばな』

    岡井隆『あばな』(砂子屋書房、2022年07月10日発行)岡井隆『あばな』は遺稿歌集。「あばな」は「阿婆世」と書く。ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世といへどという歌に出てくる。「阿婆世」を私は「あばよ」と読んでしまうが、それは死と向き合っている、死んでいく人間の声として聞こえるからである。この歌だけでは、何が書いてあるかわかりにくいが、この歌の前には、この歌がある。死がうしろ姿でそこにゐるむかう向きだつてことうしろ姿だこれは、すごいなあ、と思う。死んだことがないからわからないが、よく「お迎えがくる」という。「お迎え」というからには、向こうからだれかが岡井のところへやってくる。そう想像する。しかし、岡井はそうではない、という。「お迎え」なら、当然、岡井の方を向いているはずなのに、その誰...岡井隆『あばな』

  • 読売新聞の「文体」

    2022年07月16日の読売新聞(西部版、14版)に安倍銃殺事件のことが書かれている。なぜ、容疑者は安倍を狙ったか。(番号は私がつけた。)↓↓↓①山上容疑者が理由として挙げるのが1本の動画だ。「朝鮮半島の平和的統一に向けて、努力されてきた韓鶴子総裁に敬意を表します」。昨年9月、民間活動団体「天宙平和連合(UPF)」が韓国で開いた集会で、安倍氏が寄せた約5分間のビデオメッセージが流された。(略)②安倍氏を巡っては、首相在任中から同連合とのつながりを指摘する声が一部にあった。そうした中、安倍氏が公の場で韓氏を称賛する動画が流れたことで、SNS上では安倍氏と同連合が深いつながりがあるかのような根拠不明な投稿が広がった。(略)③「動画を見て(安倍氏は同連合と)つながりがあると思った。絶対に殺さなければいけないと確...読売新聞の「文体」

  • Calo Carratalá

    CaloCarrataláの展覧会。ここには、私がブログで書いた感想が、そのまま展示されている。日本語とスペイン語で。(私のスペイン語は、もちろん間違いだらけなのだが、それをそのままつかってくれている。)写真では見えにくいだろうから、ブログに書いたものをそのまま転写しておく。*ほぼ同じ構図の2枚の「ジャングル」。私は茶色いジャングルの方に、引きつけられる。こういう絵を見たことがないからだ。空気が乾いていて、光が軽い。しかし、それは印象派の描く光ではない。そう書いて、すぐに、いや緑のジャングルの方がいいなあ、と思う。重たく湿った空気のなかで、光は動くというよりも、緑の上にとどまっている。これも、印象派の描く光ではない。鏡のように、遠いところにある光を受け止めて、動かずにいる。この光の中にいると、光とは別なも...CaloCarratalá

  • デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)

    デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(七月堂、2022年05月05日発行)デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)は、読み始めてすぐにひきつけられる詩である。「病院の受付係」。その人の名前と住所をその人の年齢と生地をその人自身の口から聞き取って以来、もうその人たちは何人死んでいったのだったか?新生児の登録もした出産の番号札をつけて受付係だから三行目の「その人自身の口から聞き取って」が、一行目と二行目の事務的手続きを強く揺さぶる。「口」という肉体の存在、聞き取るときの、書かれてはいない「耳」と「手」の動き。そこに他人の肉体と、詩人の肉体の交渉がある。「その人自身」という個へのこだわりが、必然として個の消失、死を暗示させる。どきりとさせられる。だから、その後につづく「死ぬ」...デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)

  • 高野尭『アルマロード』

    高野尭『アルマロード』(思潮社、2022年07月20日発行)高野尭『アルマロード』を読む。私は最近までスペインにいたので、日本語の詩を読むのは約一か月ぶりである。だから、そこに書かれていることばに、うまく適応できない。読み違いをしてしまううだろうが、まあ、そこにはそれなりの必然がある、と「弁解」から書いておく。高野の詩が、よくわからないのである。「蝦蟇の罠」という作品。逆流にあらがう蛙はうつくしい、おとなになる書き出しの一行で、私は私の青春時代、つまり1970年代にもどる。そのころの、詩のことばを思い出す。私の詩、というよりも、60年代の、安保敗北後の詩のことば、ことばの屈折を思い出してしまう。まず「逆流」がくる。ここには社会と個人の対立が象徴されている。まだ社会に対して、立ち向かう若者がいた。反抗する若...高野尭『アルマロード』

  • 「お友達政治」を徹底追及する好機

    安倍は殺害された。しかし、それは安倍の政治信条が原因ではない。たとえば、安倍の提唱する改憲運動に反対する誰かが安倍を殺害したのではない。アベノミクスによって貧困に陥れられた誰かが安倍を殺害したのでもない。安倍は、悪徳商法団体(宗教団体を名乗っている)の宣伝をしていた。悪徳商法に深く関係していると思われていた。(実際、無関係ではないだろう。)そして、悪徳商法の被害者(そのひと自身は、被害者とは思っていないかもしれない。なぜなら、そのひとにとっては、その団体は「宗教団体」だったからだ)の家族によって殺害された。ここには、ふたつの認識が交錯している。どの認識の側に立つかは、それぞれの「宗教観」「道徳観」によって違うだろう。私は「無宗教/無神論者」なので、単純に悪徳商法団体と被害者(の家族)、悪徳商法団体とそのP...「お友達政治」を徹底追及する好機

  • 第二の豊田商事事件

    私は、宗教にはぜんぜん関心がないので、統一教会は宗教団体だと思っていた。で。もし、統一教会が悪徳商法団体だったと仮定すると。思い出すのは、豊田商事事件(豊田商事社長殺害事件)だなあ。そうなると、もうこれは、政治とは関係がないなあ。あるいは逆に、政治そのものだなあという気もしてくる。安倍に、統一教会から、いくら金が流れていたか。金の流れが、自民党を支配している。自民党は、金さえ入ってくれば、それがどんな金か気にしない。自民党は「マネーロンダリング組織」ということになるかもしれない。私はテレビを見ないし、新聞も熱心に読んでいるわけではないが、どうしてだれも豊田商事事件を引き合いに出さないのだろうか。豊田も、たしか、白昼堂々(?)と殺されたと記憶しているのだが。まあ、豊田を出せば、安倍殺害は、「第二の豊田商事事...第二の豊田商事事件

  • Luciano González Dia

    Lucianoの作品を仕事を見て、私は思う。これは何?なぜこの形なのか?なぜこの色なのか?作者がこの作品に込めた思いとは?たとえば、ユニコーン。輪郭はユニコーンを想像させる。その顔のなかに空間がある。これは一体何なのか。その時、突然、私の耳に、私の心に、声が聞こえてきた。Holaamigo、君はだれだ?なぜここに来たのか?君は何を見たいのか、何を知りたいのか。私が作品を見るのではない。作品が私を見るのだ。そして、その作品に答えることばを持っていないことに気がつく。そして、自分を見つめる。でも、作品を自分自身の目で見るのはむずかしい。私には、やらなければならないことがある。必要なのは、たったひとつ。他人のことばを使うな。自分自身のことばで語ることだ。それは、私自身が生まれ変わることだ。古いことばを捨ててLu...LucianoGonzálezDia

  • Jose Javier Velilla Aguilar

    廃墟を思わせる建物がある。その茶色の壁に青い影が点在している。それは、いつからそこに存在するのか。それらの建物があったときから、影は存在した。それは最初から青い影だったのか。それとも時間が経つうちに青い色に変わったのか。私には、時間の経過が影をあおくしたもののように感じられた。それは言い直せば、ほんとうは青い影ではない。Joseが影に気づき、影を見つめているうちに、影が青くなったのだ。それはJoseの心象の色である。孤独で純粋な青。青は、彼の孤独をあらわしているように思える。そして、その孤独は彼のこころ、彼の肉体のなかにあるのではない。彼のこころ、肉体の外にある。それは、遠い世界にある。Joseは画家であり、写真家であり、旅行者だが、そのうちもっとも大切なのは旅行者である。世界を旅しながら、彼は自分の孤独...JoseJavierVelillaAguilar

  • 現代詩講座再開

    現代詩講座(メール、テレビ会議)を再開しました。20行1000円、その後20行単位で1000円追加。テレビ会議は30分1000円です。詳細は、yachisyuso@bmail.comまでメールで問い合わせてください。現代詩講座再開

  • 安倍暗殺と宗教

    安倍暗殺事件の展開が、私には、とても奇妙に見える。容疑者は、宗教団体に反感を持っていた。そして、宗教団体の幹部を狙うかわりに安倍を狙った。その宗教団体はカルトである……。私は無宗教(無神論者)であるから、どの宗教が正しくて、どの宗教がカルトかという区別はしない。宗教は、個人の問題であって、その好みについて、私は判断することを最初から放棄している。宗教ではなく、論理の問題としてなら語りたいことはあるが、州境については語りようがない。さらに気になるのは、容疑者と宗教の関係が、彼自身の宗教ではない、ということである。彼が統一教会か何かを信じていて、その教義にしたがって安倍を狙ったというのなら、まだ「カルト宗教」と犯罪の関係を追及するということも意味があると思うが、新聞の報道で読む限りはそうではない。むしろ、母親...安倍暗殺と宗教

  • NATO拡大の裏で何が起きているか

    参院選の開票速報が報道されている。憲法改正がこれからのテーマになるが、見るでもない、聞くでもなしに、やり過ごしながら、スペイン旅行を思いだしながら、こんなことを考えた。9条改正、緊急事態条項とは別なことである。原発問題である。電気代の高騰が、友人たちのあいだで常に話題になった。ロシアのウクライナ侵攻以来、石油、ガスが高騰している。電気代の高騰は、このあおりである。これを解消するために、きっと、これから原子力発電が重視されるだろう。いまのところヨーロッパでは、フランスが原発推進派に見える。ドイツは慎重派だ。スペインは風力発電に力を入れいているが、この先の動きはフランス追随になると思う。フランスが原発を増設すれば、その動きはドミノ倒しのようにヨーロッパ全体に広がっていく。石油、ガスを持たない国は、発言を原子力...NATO拡大の裏で何が起きているか

  • ベルリンの壁崩壊はいつだったか(2)

    ロシアのウクライナ侵攻後、しきりに「台湾有事」が話題になっているが、このテーマは、世界で起きていること(市民が抱えている問題)とアメリカの世界戦略の「違い(ずれ)」を明らかにしている。ベルリンの壁崩壊後、世界で起きたことは「民族の自立/文化の多様性」への動きである。「ソ連」という「頭で作り上げた国家」が拘束力をなくした後(理念をなくした後)、「国家」から解放された市民(民族)が本来の「国」を意識し、動き始めたのだ。「東欧」での様々な国の「独立」は「ソ連」という「国家意識」の解体と同時に起きたのだ。「ワルシャワ条約機構」とは「ソ連という国家意識の延長(拡大)」だったのである。「民族/文化の自立」を中国に当てはめると。「台湾」ではなく、たとえば「新疆ウイグル自治区」こそが「焦点」である。少数民族に対する弾圧が...ベルリンの壁崩壊はいつだったか(2)

  • ベルリンの壁崩壊はいつだったか

    ベルリンの壁崩壊はいつだったかベルリンの壁崩壊は、いつだったか。1989年11月9日。これを思い出せる人はだんだん少なくなってきている。というか。それを知らない人が増えてきている。もう30年以上前になるからだ。テレビでちらりと見た、という記憶は30代後半の人にはあるかもしれない。しかし、このとき起きたことを「衝撃」として受け止めた記憶を持っている人は40代後半からだろう。つまり、「世界地図」を頭に描き、そこに政治を重ねることができる(世界政治の意識を持つことができる)年代を「高校卒業=18歳」と仮定すると、ベルリンの壁崩壊をしっかり把握しているのは、いまの50歳くらいからなのである。そして、その2年後、1991年末にソ連が崩壊した。新しい国が次々に「独立した」。「ソ連」というのは「概念/理念」であり、「概...ベルリンの壁崩壊はいつだったか

  • 谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(3)

    谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(3)(2022年05月29日、日本の詩祭座談会)「ことばの肉体」についての補足(その3/あるいは「調べ」について)。音楽が話題になったとき、谷川は「調べ」ということばをつかった。この「調べ」とは、どういうものか。「調べ」ということばに対して、私の「ことばの肉体」は、どう反応できるか。私はきのう「調べ」は「和音」であると「誤読」して、私の感想を書いた。この「誤読」を引き起こす「私のことばの肉体」というものを、少していねいに語りなおそう。音楽の「調べ」ということばを聞いて、私は「旋律」を思い出した。しかし、谷川は「旋律」あるいは「メロディー」とは言わずに「調べ」と言った。似たことばに「響き」ということばがある。「調べ」と「響き」はどう違うか。「響き」...谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(3)

  • 谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(2)

    谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(2)(2022年05月29日、日本の詩祭座談会)「ことばの肉体」についての補足。秋亜綺羅は、私の詩の読み方は、作者に寄り添いすぎている、というようなことを言った。でも、「ことばを読む」というのは「ことばの肉体を読む」ということ。どうしたって、深入りする。ある意味で、セックスになると書くと、書きすぎだから、ここはちょっと控えておいて、きのうのつづき。「肉体」の場合。たとえば、道でだれかがうずくまっている。腹を抱えてうずくまって、うめいていれば「腹が痛いんだ」と思う。座り込んで(あぐらをかいて)左手を抱えてうめいていれば、転んで左手を骨折でもしたんだろうか、と思う。片足で立って(右足を地面につけないようにして)、うめいていれば、右足をどうかしたんだろ...谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(2)

  • 谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」

    谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(2022年05月29日、日本の詩祭座談会)2022年05月29日、日本現代詩人会の「日本の詩祭」があった。H氏賞の授賞式などがメインなのだが、谷川俊太郎が先達詩人賞を受賞したので、受賞者を囲んで座談をしようということになった。谷川はズームでの参加だった。秋亜綺羅が「台本」というか、どんな具合に座談を進めていくかというアウトラインをつくったのだが、それにそって動いたのは最初だけ。座談は「なまもの」だから、やはりあっちへいったり、こっちへいったり。私がテキトウにその場での思いつきを言ってしまったからかもしれないが。そのとき話したこと、その後の補足を交えて、どんなことを話したかを書いておく。他の参加者の発言は一部をのぞいて省略する。ひとのことばなので、...谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」

  • 「かきまぜる」

    捨てようとしたノートから、紙がこぼれてきた。こんなことが書いてあった。ひとつの新しいことばが加わることで、それまでのことばの意味づけ(価値)が変わってくる。そういう運動をひきおこすのが詩のことばである。たとえば「かきまぜる」という動詞。エリオットの詩のなかにあっても、日常の会話のなかにあっても「意味」は同じだ。だが「荒れ地」のなかでは特別な意味を持つ。それは「生と死」を「かきまぜる」。反対のものをかきまぜる。「異質なもの」を超えて、反対のものをかきまぜる。だから驚く。詩を感じる。ことばには一定の結びつきがある。水と小麦粉をかきまぜる。水と油をかきまぜる。これは「異質なもの」をかきまぜる。かきまぜるには、「異質」であることを無視してしまう乱暴さ(暴力)がある。ここまでは、これまでの「ことば」が体験してきたことであ...「かきまぜる」

  • 山本博道『夜のバザール』

    山本博道『夜のバザール』(思潮社、2022年05月31日発行)山本博道『夜のバザール』を読みながら、私は困惑した。山本はいろいろな土地を訪ね歩いている。「カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、バングラデシュ……」と帯に書いてある。しかし、私には、その違いがわからない。山本の詩を読んでも、どこが違うのかわからない。違いではなく、共通するものを描こうととしているのかもしれないが、違いがわからなければ共通も浮かび上がらないように思う。違っている、けれど、なにか通じるものがあるというように「認識」は進んでいくと私は考えているが、どうも先に「共通」があり、それを「個別」のなかに展開しているような気がする。「共通」にあてはまる「個別」を選びながら、ことばが動いている感じがする。窮屈なのだ。そうした印象の中で、次の数行は、...山本博道『夜のバザール』

  • 「戦争」と物価

    2022年05月24日の読売新聞(西部版・14版)の「いまを語る」は、東大教授・渡辺努のインタビュー。「物価上昇乗り切る知恵/親、祖父母の経験若者に伝えて」という見出しがついている。ロシアのウクライナ侵攻に関連して、物価上昇がつづいていることに対する対処方法を語ったものである。そのなかで、非常に気になる部分があった。↓↓↓↓↓日本の物価が上がりにくい一因に、労働者の賃金が上がっていない点があります。米国は労働者の賃金も急上昇しているので、企業側も原材料費の急騰を受けて商品を大幅値上げしていますが、日本は十分に賃上げしていません。消費者が買い控える可能性があり、企業は原材料費の上昇分すべてを商品価格に転嫁できないのです。↑↑↑↑↑これだけ読むと、日本の物価が上昇していないように見えるが、実際は上がっている。原材料...「戦争」と物価

  • バイデンの強欲主義的想像力

    バイデンの強欲主義的想像力2022年05月24日の「日米首脳会談」を伝える読売新聞(西部版・14版)の一面の見出し。①首相「防衛費相当な増額」/対中国同盟の抑止力強化②バイデン氏「台湾有事に軍事介入」記事は①②の順序だが、これはウクライナ情勢を受けての「緊急首脳会談」だとすれば、どう見ても書き方が逆だろう。つまり、「真意」を隠した報道の仕方だろう。アメリカは、ウクライナへのロシア侵攻を誘発し、その後、ロシア封じ対策で世界をリードした。その結果、アメリカの軍需産業は利益を拡大し、アメリカの化石燃料産業もぼろもうけをしている。資源大国のアメリカは農産物(穀物)でも大幅な利益を上げるだろう。次は、すでに経済大国になっている中国をどう封じ込めるか。中国に、台湾を攻撃させ(中国軍を台湾に侵攻させ)、それを契機に中国を批判...バイデンの強欲主義的想像力

  • Luigi Alberto Di Martino「Espana como pais Multocultural」

    LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」(出版社、発行日不詳)LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」には「スペイン語読書の教科書(librodelecturaparaestudiantedeespanol)」と書いてある。この本を読みながら思ったことは、ひとつ。私たち(といっていいのか、私と言うべきなのかわからないが)日本人の「国家」に対する意識は、多くの国の国民が持っている「国家」の意識とはぜんぜん違うのではないか、ということである。ことばひとつをとってもみてもそうである。私はあるひとと話していて「おまえはカステジャーノ(いわゆるエスパニョール、スペイン語だろうか)を話すのかカタラン(カタ...LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」

  • Vicente Barbera Albalat「MPERMANENCIA」(facebook)

    フェイスブックのVicenteBarberaAlbalatのページで「MPERMANENCIA」を読んだ。「MPERMANENCIA」Todoynadaalmismotiempo.Quisieracontestaratuspreguntasypoderparasiempreconvencertedequeresultainútilpretendervivirenestemundosinmorir.Semuerecadadíapocoapoco,sibailas,sipaseas,siestástriste.Semueresinquererlo,encadainstante,perotambiénsevivesidisfrutasdeuntiernoamanecercadamañana.Lainextricabl...VicenteBarberaAlbalat「MPERMANENCIA」(facebook)

  • 笠井杢「四丁目公園」

    笠井杢「四丁目公園」(「アンエディテッド」4、2022年05月31日発行)笠井杢「四丁目公園」。飛行機雲には空を切り裂いていくのと空を閉じていくのがあってこのジャンボジェットも遠い空にどちらかを残していまは街に腹を晒している寝っころがれないベンチの仕切りの向こうに缶コーヒーを置いて離れてパンをかじる人の安全性を確認しながらわたしも誰かに見られているこの「わたしも誰かに見られている」。これは、ちょっといやだなあ。こんな詩を読みたくないなあ、と思う。誰もあなたを見ていない。見たとしても、単に「見た」だけであって、それが意味になること、つまり見た人を変えてしまうことなどない。だれも人のことなど気にしない。それぞれが自分の意味を生きているだけ。と言いたくなるのだが。この詩の場合は、そうでもない。ふーん、と思ってしまう。...笠井杢「四丁目公園」

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)(紫陽社、2022年06月01日発行)18篇目「夢か、」。この詩は不思議な「構成」。「夢か、」という行を冒頭にして、五連でできている。一、二、四、五連目には「父」ということばがある。ただし、四連目の「父」は林芙美子の父であって、石毛の父ではない。だから、ほかの連の父だって、石毛の父ではないのかもしれないが。一方、三連目には、そこに書かれている人物が詩人・黒田三郎であると後注で明記されている。「口惜しさのあまり、火の玉を、威勢よく吐き出していた」ような黒田は、石毛にとって父のような存在だったのか、と私はなんとなく思うのである。意識せずにはいられなかった、ということだけは確かである。では、父とは、どういう存在なのか。下総台地のふもとを、汽車が走っている。それに乗って、水郷佐原を廻れ...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)

  • Antonio Baños Roca「LA MUSA Y EL POETA」

    AntonioBañosRoca「LAMUSAYELPOETA」...LAMUSAYELPOETA...Enelsilenciodelanoche,cuandoinclusolabrisaduerme,lleganletrascomosombras,queseagolpanenlamentedelpoeta;paradarvidaalpoemaqueseresiste.Asualrededor,revoloteanmariposasdemúltiplescoloresquelesusurranpalabras,llenandolasoledaddelmomento,causadaporlaausenciadesumusa,que,comounsurtidordepalabras,llenalossentimie...AntonioBañosRoca「LAMUSAYELPOETA」

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)(紫陽社、2022年06月01日発行)17篇目「白秋を笑った」。後注に田村奈津子の名前が出てくる。二〇一八年一〇月一一日、十七回忌。知らなかった。田村奈津子の名前は、石毛から聞いた。石毛、田村、私の三人で同人誌をやったのだったか、田村に断られて石毛と二人で同人誌を出したのだったか、うろ覚えだが、石毛が田村を誘い込もうとしたことは覚えている。たしかそのとき田村の詩集を読んだような気がするが、これも定かではない。こういうことは詩を読むときに、どう影響するのか。私は、突然、ぼんやりしてしまった。きのう読んだ「六根、リヤカーを引け!」には知らないひとが出てくる。登場人物のことを何も知らないので、私は「ギリシャ悲劇」の一シーンを見るように、勝手に想像し、興奮した。そのときの興奮が、この詩...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)(紫陽社、2022年06月01日発行)16篇目「六根、リヤカーを引け!」を読みながら、詩とは不思議なものだと思う。詩だけではなく、文学が不思議だし、ことばが不思議なのだ。そんなにむちゃ引きしていいのかね急げば六根からだにさわります少し乱暴だが是が非でも会っておきたい友がいるどこかあどけなく右手の中指で解放の二文字を宙に書き綴る肺病に囚われた気丈の男がリヤカーの荷台でおれの六根を急かす松の竹の梅の小径を蹴散らしてリヤカーをはやく引け!東村山「国立療養所多磨全生園」へ前書きというか「副題」というか。それとつきあわせて読むと、どうも肺病の男が、友人の危篤の知らせを聞いて、どうしても会いたくなり、リヤカーに乗って駆けつけようとしている。で、不思議、というのは。こういう詩を(ことばを)読...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)

  • Estoy loco por espana(番外篇166)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensT.Hierromacizo64x52x25Seleccionada,Concursodeescultura,Álora(Malaga)Lacolumnaredondaesinteresantisima.Elcuadradoyelcírculo,lapresenciaheterogénearefuerzaelconjunto.Alencontrarsecondisimilitudes,cadaunoseconfirmaasímismo.Todalaexistenciapuedeserunarepeticióndeesteproceso.丸い柱が興味深い。異質の存在が、全体を強くする。異質なものと出会い、それぞれが自己を確かめる。あらゆる存在は、その繰り返しなのかもしれない。Estoylocoporespana(番外篇166)Obra,JoaquínLlorens

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)(紫陽社、2022年06月01日発行)15篇目「コーヒールンバ異聞」。この作品については、わりと最近(たぶん、今年だと思う)、感想を書いた。感想を書いたということは覚えているが、ほかは何も覚えていないので勘違いかもしれない。こんなことは詩にとってはどうでもいいことか。そうかもしれないが、そうでないかもしれない。ほら、この詩の「題材」が「コーヒールンバ」なのだから。で、私が、いま書いた「ほら」の意味がどれだけ他人に伝わるか。たぶん石毛には伝わるだろうと思う。私の感想は、もともと「返信」のようなものだから、作者以外に伝わらなくても気にしないし、作者がその感想を気に食わなくても気にしない。だいたい、「気に食わない」という反応以上に、感想が届いたという明確な証拠(?)はないのだから、作...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)

  • 江上紀代『空を纏う』

    江上紀代『空を纏う』(鉱脈社、2022年04月15日発行)江上紀代『空を纏う』は初々しい詩集である。詩を書く、ことばを書く喜びにあふれている。「みどり児」の全行。蕗の薹がさっき生まれた難民キャンプの闇を発ちコンクリートの分厚い壁を破り鉄条網の棘をすりぬけ……地べたを貫いてここに生まれてきたときキュンと泣いた事を誰も知らない音をたてずに滑らかに廻る秒針は誕生の時刻などカウントしない産毛の乾かない嬰児のため誰も子守唄をうたわない午後の陽ざしはやがて北向きのこの一角を見つけるだろうまだ風はつめたい「嬰児」には「みどりご」というルビがふってある。この少し気取ったことば(日常的には、あまりつかわない文学的?なことば)と「キュンと泣いた」の「キュン」の対比がおもしろい。「キュン」だけでも、あ、いいなあ、これが書きたかったん...江上紀代『空を纏う』

  • 江上紀代『空を纏う』

    江上紀代『空を纏う』(鉱脈社、2022年04月15日発行)江上紀代『空を纏う』は初々しい詩集である。詩を書く、ことばを書く喜びにあふれている。「みどり児」の全行。蕗の薹がさっき生まれた難民キャンプの闇を発ちコンクリートの分厚い壁を破り鉄条網の棘をすりぬけ……地べたを貫いてここに生まれてきたときキュンと泣いた事を誰も知らない音をたてずに滑らかに廻る秒針は誕生の時刻などカウントしない産毛の乾かない嬰児のため誰も子守唄をうたわない午後の陽ざしはやがて北向きのこの一角を見つけるだろうまだ風はつめたい「嬰児」には「みどりご」というルビがふってある。この少し気取ったことば(日常的には、あまりつかわない文学的?なことば)と「キュンと泣いた」の「キュン」の対比がおもしろい。「キュン」だけでも、あ、いいなあ、これが書きたかったん...江上紀代『空を纏う』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)(紫陽社、2022年06月01日発行)14篇目「母語について」。ここで言われる「母語」は生まれ育ったところで聞いたことば、ということ。「方言」のことである。---おしまいな!夕闇を断ち切って〈おしまいな!〉の声がする仕事を手をとめて声の主を確かめる---いつまでやっているんだあ!いい加減でやめなさい!そういうことだと祖母の背中で教わったのだいいねえ、この「おしまいな!」。似たことばが私の田舎にもあったと思うが、忘れてしまった。「からだを壊したら、なんにもならんよ」くらいの意味だった。何をするにしても、そのことばがついてまわった。私は病弱だったから、田畑の仕事はほかの友人に比べると少なかったが、それは学校の宿題やなんかをしているときにもついてまわった。これは私にはなかなかおもしろ...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)

  • 「ことば」の持つ意味(新聞の読み方)

    2022年05月15日の朝刊(西部版・14版)の「コラム面」の「広角多角」というコーナーで、社会部次長・木下敦子が、「「認知症」と「キーウ」呼び名を変えた意味」という作文を書いている。「認知症」は、それまでつかわれていた「痴呆」や「ぼけ」が侮蔑的であるという理由で「認知症」に改められた。そうした日本の現実を踏まえた上で、ウクライナ問題に関して「キエフ」が「キーフ」に改められたことに書いている。木下自身のことばではなく、在日ウクライナ人、ソフィア・カタオカ語らせている。彼女は、こう語っている。↓↓↓↓今回の呼称変更は、私たちにとって非常に大きな、尊厳の問題につながります。↑↑↑↑これは大事な問題である。「尊厳の問題」である。これを、木下は、こう言い直している。↓↓↓↓▽ウクライナには固有の歴史と文化があり、固有の...「ことば」の持つ意味(新聞の読み方)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)(紫陽社、2022年06月01日発行)13篇目「峠の墳墓にて」。国木田独歩が出てくる。あ、石毛は独歩を読んでいたのか。私は独歩をまともに読んだことはないが、透明なひとだと思う。硬質の透明さが、古さと、古いものだけが持つ確かさをもっている。それは石毛のことばを媒介にして、こんなふうに噴出してくる。潮垂れるからだをもてあまし武蔵野の山林をかけのぼる雲山千里の峠の墳墓に感傷的な思いをふき懸けるとみどりの隙間に古里の海がせまるいま、こんな描写をする詩人はいないだろう。まるで時代小説の文体ではないか。と書いて思うのだが、石毛のことばの奥には、何か「通俗小説」と書いてしまうと語弊があるのだが、気取りきっていない文学との交流がある。そして、その水脈は「細々」というのではなく、妙に「太い」ので...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)(紫陽社、2022年06月01日発行)12篇目「植民見聞録」。後注で、石毛は、こう書いている。ヤン・ソギル原作。崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』を観戦。そこから、屑のひかり、その生き方に、共振した。「観戦」か。書き間違えかなあ。たぶん意識的に書いていると思う。「屑のひかり」という表現も、意図的だろう。石毛は、映画を見ながら、何と戦ったのか。そこに描かれているのは「屑」だ。しかし、「屑」はただ汚いもの、捨てられたものではない。「屑」と呼ばれても、生きている。「屑」と呼ばれたことを自分の支えにして生きている。人間は、そうやって生きるということをはじめなければならないのかもしれない。そう感じて「共振」したのか。しかし、詩には、こういう表現がある。階下の初老の男が死にかけている...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)

  • Estoy loco por espana(番外篇165)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensOtroángulodelaobracompartidoel8.Seríaextrañollamarlobaileflamencodelosdelfines?Pasión,ritmoydinamismo.Elritmoesmástridimensionaldesdeesteángulo.El"espacio"queexisteenlugaresinesperadosesunfuerteacento.Lainterseccióndelahorizontalylaverticalesdinámica.8日に紹介した作品の別角度。イルカのフラメンコダンス、というと変だろうか。情熱とリズムと躍動。この角度の方がリズムに立体感がある。思いがけないところに存在する「空間」が強いアクセン...Estoylocoporespana(番外篇165)Obra,JoaquínLlorens

  • 野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」

    野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」(「ダンブルウィールド」11、2022年03月01日発行)野木京子「小舟と声」は、一連目が魅力的だ。今朝カーテンを開けると窓の向こうの湾にいくつもの小舟が少しずつ離れて浮かんでいたそれは釣りをするひとたちの舟だったけれどわたしが知らない夜のうちに異界の海から浮かび上がってきたように思えたそのひとたちは水からなにかを釣り上げるときに境界を越えるおそろしさを感じるだろうか「異界」ということばが何か安易につかわれている気がする。私が「異界」というものを感じないせいだろうか。つまり、私は野木の書いている「異界」を実感ではなく、「頭」で書いたことばとして受け取ってしまうので、そこでつまずくのである。しかし、そのあとの三行がとてもおもしろい。私は釣りをしないが、子どものとき遊びで...野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」

  • 前田利夫『生の練習』

    前田利夫『生の練習』(モノクローム・プロジェクト、2022年04月11日発行)前田利夫『生の練習』の巻頭の「距離」。凍るような闇におおわれているもう先が見えなくなっている私は手さぐりで広い歩道にでるがそこには夜はない誰もいない路上灰色の靴音をききながら歩くと乾いた響きのなかにはじめて夜が生まれる「夜はない」から「夜が生まれる」への変化。「広い歩道」にではなく「乾いた響きのなかに」「夜が生まれる」。このときの「乾いた響きのなかに」の「なかに」がこの詩のポイントだろう。「響き」はもちろん「広い歩道」に響いているとも言えるが、むしろ「私(話者/前田)」の「肉体のなか」に響いている。前田は「響き」になっている。それが「生まれる」ということならば、この「生まれる」は前田の再生であり、それは前田の「肉体のなか」での変化であ...前田利夫『生の練習』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)(紫陽社、2022年06月01日発行)11篇目「朱も丹も」。つげ義治のことを書いているのか、本庄又一郎のことを書いているのか、「副題」と「後注」を読むと、わからなくなる。まあ、どっちでもいい。誰のことを書いているかわかったところで、私はその二人のことを知らないから、二人を手がかりに詩を読むことはない。石毛によれば、二人には「共通点」がある。鉱物、地質に関心がある。そういうふうに認識し、書いていく石毛のことばの動きの方に私の関心がある。「鉱物には、決まって無援の哀しさがつきまとう側面がある」これは誰のことばか知らないが、括弧付きで引用されている。とても興味深い。一行に、詩がある。よくわからないが、そう言われればそうかもしれない、という説得力がある。「無援」は「孤立」ということかも...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)

  • Estoy loco por espana(番外篇164)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensLadanzasalvajedelosdelfines.Lamúsicavibranteseextiendeentreelmaryelcielo.Vamásalládelhorizonte.Estaobramehacemuchailusión.Tengoganasdedecirqueelarteeselpoderdecrearilusiones.イルカの乱舞。海と空の間に、躍動感あふれる音楽が広がる。それは水平線を超えていく。そんな錯覚を与えてくれる。芸術は、錯覚を引き起こす力である、と言ってみたくなる。Estoylocoporespana(番外篇164)Obra,JoaquínLlorens

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)(紫陽社、2022年06月01日発行)10篇目「渚のダダ」。渥美湾で発生した赤潮のために馬鹿貝が大量に死んだ。その報告書(杉浦明平)を読んだことが、この詩のきっかけになっている。(と、前書きに書いてある。)赤潮を逃れようとして、棲んでいた海からジャンプする。だが、どこまで跳べるのか。どこまで跳べば赤潮を脱出できるのか。いちばん遠くまで飛んだ馬鹿貝は未知との遭遇の絶滅という今世紀末にドキュメント「場替えのなぎさもん集団自殺」という屑の叙事詩に描かれ町会議場でその滑稽さを嫌というほど示してくれた1960年6月15日深更に、伊良湖一万の友は堤防を越えました。1990年6月15日早朝に、伊勢湾渥美十万の友も岸辺で息絶えました。ベロを出し二枚の羽を広げたままの集団自殺渚者はおのれの棲家を...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

  • 竹中優子「冬が終わるとき」

    竹中優子「冬が終わるとき」(「現代詩手帖」2022年05月号)竹中優子は、第60回の現代詩手帖受賞者。「冬が終わるとき」が今月選ばれた作品。ことばに浮ついたところがない。ことばに奥行きがある。ことばの奥行きに知らずに引き込まれる作品である。詩に年齢は関係ないのだが、略歴にたまたま生年月日が書かれているのが目に入った。1980年生まれ。ふと、私が投稿していたときの、青木はるみを思い出した。他の投稿者のことばに比べて、奥行きがとても自然で、そこに引き込まれる。こういう奥行きは、私には書けないなあ、と感じていた。その青木は、投稿者の多くが10代後半から20代前半なのに対して、たしか40代だったと、彼女が受賞したときに知った。あのとき、私が感じたことを、いま投稿している若い世代も感じているかもしれない。「ことばの奥行き...竹中優子「冬が終わるとき」

  • 徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」

    徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年05月02日)受講生の作品。夜の子馬徳永孝夜のベッドに寝ているとバルコニーに小馬がやってきた歩きまわり白い鼻息を吐くいななく声が聞こえる空を飛んでいろんな所へ行こうよ一諸に冒険しようよケニーは馬に乗って旅立って行ったけれどぼくはおくびょうなんだここを抜け出して君がそこにいることを確かめることも出来やしない君のけはいを感じながらただベッドにじっとしているだけ四連目。「ぼくはおくびょうなんだ」をどう読むか。「ぼくは臆病だから、馬に乗って旅立っていくことはできない。ケニーのようにはならない」、そして「ただベッドにじっとしているだけ」と読むのが自然だと思うが、受講生のひとりがとても味わい深い読み方...徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」

  • 山田裕彦『囁きの小人』

    山田裕彦『囁きの小人』(思潮社、2022年04月30日発行)山田裕彦『囁きの小人』に「さよならタヴァーリシ」という詩がある。その書き出し。寝つけない夜半ほつほつと禿頭に降りかかる忘れ去られた言葉山田は「忘れ去られた言葉」と書いている。このことばがこの詩集を象徴しているように思えた。「忘れ去られた」とはいうものの、「思い出せない」わけではない。つまり、いまはつかわなくなったことばを「忘れ去られた言葉」と山田は呼んでいるのである。書き出しの「寝つけない夜半」にも、その匂いがある。「夜半」ということば、はたして、今の若者がつかうか。たとえば、最果タヒは「夜半」ということばを書くだろうか、と思ったりする。山田の書いていることばの「意味」はわかる。しかし、そのことばを読んだ瞬間に、あ、これは「過去」だ、と思ってしまう。し...山田裕彦『囁きの小人』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)(紫陽社、2022年06月01日発行)9篇目「蝉の暮れ方」。花田清輝のことばが副題に引かれている。蝉の暮れ方うたうにはこの甲冑が邪魔だパックリと割れた背殻を脱ぎ捨てて新参者の蝉は歌っていることばのリズムがかっこいいね。「甲冑」「背殻」「新参者」という漢字がしゃきっとしているし、「パックリ」も響きがいい。そして、これは、このあとにつづくことばと、対照的である。ああいつの間にか秋が来てしまったこまったこまった先に引用した部分が、「パックリ」は少し違うが、「甲冑」「背殻」「新参者」は「文語的」である。それに対して後に引用した部分は「口語的」である。文語と口語がぶつかり、互いを刺戟する。そして、その衝突を、矛盾の方にひっぱっていきながら、いままで気づかなかったこと(知っていたかもしれない...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)(紫陽社、2022年06月01日発行)8篇目「ぼんくら」。「谷川雁」のことばが「副題」に引用されている。谷川雁は、ある時期、谷川俊太郎よりも有名だった(と、思う)。その谷川雁を石毛はどう受け止めていたのか。からだの孔という孔に「軍歌」が潜りこみ鼻の孔をゆるがす大粒の「ジャズ」がこぼれ眼の孔から塞ぎきれぬ怒濤の「演歌」がながれ耳の孔からとぎれぬ悲鳴のような「童謡」が風下の方へと消えていく「軍歌」「ジャズ」「演歌」「童謡」が共存する。それもひとりの「からだ」のなかでである。「孔」から入り込んでくる音楽、リズム、旋律。谷川雁の詩には、何よりもリズム、旋律があった。それは、ことばの「調和」というよりも「衝突」がうみだす「響き」だった。「ことばの肉体」の「思春期」、あるいは「ことばの肉体の...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)

  • マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)

    マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)(2022年05月01日、中州大洋、スクリーン4)監督マイク・ミルズ出演ホアキン・フェニックス、ウッディ・ノーマン「ジョーカー」でアカデミー主演男優賞をとったホアキン・フェニックスが、わがままな子役を相手にどういう演技をするか。それを期待して見に行ったのだが、おもわぬ収穫もあった。物語の舞台が次々にかわっていくのだが、モノクロの映像が、登場人物の表情に焦点を当てるので、見ていて意識が散らばらない。舞台(都市)の変化をきちんととらえながらも、それがうるさくない。都市の表情、その情報量が抑制され、人間の心理の変化が際立つ。画面の切り替えが多いし、「字幕情報」も多いのだが、モノクロの映像が、そのままストーリーの中心になる感じがする。モノクロ映画は、やっぱりすばらしい。ホア...マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)

  • 最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)

    さっきまでは薔薇だったぼく最果タヒ小学館最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)(小学館、2022年04月18日発行)最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』の「紫陽花の詩」は、タイトルが最後に書かれている。とつぜん本文が始まり、最後がタイトル(だと思う)。ぼくはきみの友達ではない、インターネットを見るとき、街を見るとき、いつも思っていることがあなたには伝わらない、ぼくはきみの友達ではないが、きみは生きている、そのことがよくわからない。血を出すような怪我をしたときや、優しくしたときなんかに誤解してそのままにされた人間たちは、誰もが生きていると口々に言うがそれは、恋をしているだけなんだ。節操もなくぼく以外、誰も彼もに恋をして、雨に濡れた葉っぱさえ美しく見えるんでしょう。季節なんて、腐り落ちてしまえ。紫陽花の詩同...最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)

  • 戦争とことば

    ロシアのウクライナ侵攻、その戦争。この報道をめぐることばには様々な問題がある。読売新聞を引用しながら何度か書いてきたが、別の問題(たぶん他紙にも共通するだろう)について書くことにする。読売新聞は、自民党寄り、あからさまにアメリカ戦略の宣伝機関となって報道している。しかし、その読売新聞(西部版、朝刊14版、夕刊4版)が、こんな見出しをつけている。①は2022年05月1日朝刊、②は2022年04月30日夕刊。①ウクライナ/露軍東部拠点で「停滞」/イジューム激しい抵抗受け②ウクライナ/露軍東部作戦に遅れ/米分析「補給維持へ慎重」私は、ロシアの侵攻を正しいとは一度も思ったことはないし、かならずロシアが敗退するだろうと思っているが(その理由はすでに書いた)、つまり、ロシアを支持するのではなく、ウクライナを支持するのだが。...戦争とことば

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)(紫陽社、2022年06月01日発行)7篇目「空から、蛇が」には、注がついている。「1997年8月、永山則夫の死刑が執行された。著書の印税は「永山子ども基金」となり、南米ペルーで働く子どもらの活動資金や学費として、活用されている。」このことを、どうとらえればいいのだろうか。石毛は、ペルー、リマに、空から降ってきた蛇と子どもを対話させている。なぜ、空から降ってきたのか。蛇は応えていった--秋の暮れ、もの憂いのついでに、子どもを噛んでしまった。さらに子どもらは口々に言い放った--手足のない、くねり歩きを馬鹿にされたのかい?(略)--おまえの無知のなせるわざが、そうさせたのか?--おまえの歯牙は、事のついでに、噛むものではない!苦境に立った蛇が訴える--さっきまで、きみらの仲間にも説教...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)

  • 最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)

    さっきまでは薔薇だったぼく最果タヒ小学館最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)(小学館、2022年04月18日発行)最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』の「冬の薔薇」。冬は誰かが凍らせた薔薇が咲いている、この書き出しは、とても不思議だ。冬、薔薇の花が凍っている、凍った薔薇の花を冬に見る。どちらの場合も、私の視点は「凍った薔薇」に向かう。その「凍った薔薇」は、しかし、自然に凍ったのではない。急に気温が下がって凍ったのではない。「誰かが凍らせた」のだ。それは「第三者」かもしれないし、話者自身かもしれない。いずれにしろ、「凍った薔薇」よりも「誰か」(人間)がその背後にいるということが、わからないものを抱え込んだまま、迫ってくる。その不思議さを抱えながら私は読み続ける。冬は誰かが凍らせた薔薇が咲いている、日差し...最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)

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