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  • トランプ演説から思うこと

    トランプの米大統領就任演説要旨を読んだ。(読売新聞、2025年1月21日夕刊、西部版・4版)。いろいろ言っているが、私がいちばん注目したのは、次の部分。米国はパナマ運河の建設に多額の資金を費やし、人命を失った。パナマによって約束は破られ、米国の船舶はひどい過大請求を受けている。何よりも中国がパナマ運河を運営している。我々は中国ではなく、パナマに与えたのだ。我々はそれを取り戻す。これは、「領土拡張主義」である。「アメリカ」は、もともとヨーロッパから侵略したひとが、勝手に「建国」したものであり、もともと「拡張主義」の「強欲者」の国である。トランプは、メキシコ湾をアメリカ湾と解消することも主張しているが、いまでこそカリフォルニアやテキサス、フロリダは「アメリカ」だが、それはメキシコから戦争で奪い取ったものだ。テ...トランプ演説から思うこと

  • 杉惠美子「春兆す」ほか

    杉惠美子「春兆す」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年01月06日)受講生の作品ほか。春兆す杉惠美子新しい春に佇み息をひそめておさな児と手をつなぐ一瞬の未来を見つける透明さの中に立ち樹々の息づかいを聴く一瞬の呼吸の深さに出会う早朝の心を歩かせ通り過ぎる君の声を聞く一瞬のはるの渦に溺れる桜木の影に佇み朧月のほのかさに埋もれる一瞬の回想に包まれる起承転結の構造がしっかりした作品。一連目「おさな児」と「未来」、二連目「息づかい」と「呼吸の深さ」の呼応がとても自然。それが三連目で「君の声」と「はるの渦」へと変化する。タイトルには「春」と漢字をつかっているが、ここでは「はる」。そこに、ふしぎな官能性がある。「溺れる」がそれに拍車をかける。これを受けて、四連目で「埋もれる」「包まれる」ということばがつづく。そ...杉惠美子「春兆す」ほか

  • 吉田大八監督「敵」(★★★★)

    吉田大八監督「敵」(★★★★)(Tjoy博多、スクリーン4、2025年01月17日監督・脚本吉田大八出演長塚京三、瀧内公美、河合優実主人公の年齢が何歳かわからないが、大学教授をやめたあとなので、かなりの高齢。妻が死んで一人暮らしだが、きちんと生活している。その生活が(あるいは、その見る世界が)徐々に変化していく。その変化の過程がなかなか見応えがあるのだが、それは冒頭から暗示されている。そのことに私はいちばん興味を持った。朝起きて、朝食をつくって食べる。最初の朝食は、鮭を焼いたものがメインである。この焼いている鮭をアップで見せる。そんなにアップにしなくても鮭とわかるのだが、「わかる」を超えて、鮭であることを主張する。言い換えると、鮭が「自己主張する」。これは、ほかの料理をする部分でも同じ。蕎麦をつくる。その...吉田大八監督「敵」(★★★★)

  • こころは存在するか(46)

    大岡昇平「レイテ戦記」(全集9、筑摩書房)は、とてもむずかしい本である。知らない地名が出てくる。地図がつけられているのだが、地図を見てもわからないことが多い。たとえば、距離。何キロという具合に客観的に書かれているのだが、山の中と平野では違う。川や沼地では違う。肉体は、数字に向き合って動くのではなく、あくまでも地形、そしてそのときの条件に向き合って動く。その動きが、私には想像できない。さらに、それに海軍、空軍の動きが加わる。人間の動き(それがトラックにのったり、馬に乗ったりしていたとしても)、そのスピードと、海の上の船のスピード、空を飛ぶ飛行機のスピードが違うから、それを組み合わせて理解するのがむずかしい。以前見た映画「ダンケルク」(クリストファー・ノーラン監督)では、クライマックスの一日へ向かって陸、海、...こころは存在するか(46)

  • Estoy Loco por España(番外篇463)Obra, Joaquín Sorolla

    Obra,JoaquínSorolla"Maríavestidadelabradoravalenciana",1906Óleosobrelienzo189x95cmLaluzdeSorollaescompletamentediferentealadelosimpresionistascomoMonet,RenoiryVanGogh.LaluzdelllamadoImpresionismoesunalegreescapedelapenumbradelnortedeEuropa.ViajéalosPaísesBajoseninviernohaceunos40años.EsmuchomásfríoyoscuroquelaoscuridaddelaszonasdelnortedeJapónqueconozco.M...EstoyLocoporEspaña(番外篇463)Obra,JoaquínSorolla

  • こころは存在するか(45)

    大岡昇平「レイテ戦記」(全集9、筑摩書房)のなかに、こんな文章がある。「十神風」の204ページ。大岡は、ある特攻隊志願兵の決意を称揚する文章(指揮官が書いた)を引用したあと、こう書いている。私には、黙って俯向いていた五秒間に、大尉の心中に去来した想念の方が重く感じられる。私は、この文章の「私には」が非常に重く感じられる。あ、大岡昇平だと叫んでしまう。大岡の書いている文章は、「私」という主語を省略し、たとえば「大尉の心中に去来した想念の方が重かったのではないか」という具合にも書くことができる。「戦記」全体が主観を退けるように書かれている。「私」という主語が明記されることは少ない。しかし、大岡は、ここでは「私」を、なんとしても書いておきたかったのだ。つづいて、こういう文章もある。基地の兵舎で、特攻と決意してか...こころは存在するか(45)

  • 細田傳造「敵」「ヤヴォール」

    細田傳造「敵」「ヤヴォール」(「納屋」2、2024年11月09日発行)細田傳造が「敵」「ヤヴォール」という二篇を「納屋」に書いている。「ヤヴォール」の方が「文体」に乱れがない。そのぶん、いくらか借り物めいたところがある。「アメリカ兵」が「話者」だからかもしれないが、ことばは現実との「距離感」(そのとり方)が、どうも1960年代、70年代のアメリカ文学(の翻訳)っぽい。と、いうことで、引用するのは「敵」の方。選挙がすんだし雨もあがったし衆愚にまけたし個体の清掃でもするかねんいりにシャワーをあびるひねもす洗濯機をまわす地球がまわっている黄昏がきた空腹がきた思想する自転車を駆って日高屋に挿入三百八拾圓の支蕎麦啜り二百圓の餃子も食らったし孤塁にもどって辛亥の夢でもみるとするか細田には「すること」がある。明確に、あ...細田傳造「敵」「ヤヴォール」

  • 大岡昇平「レイテ戦記」とスティーブ・マックイーン「占領都市」

    大岡昇平の「レイテ戦記」を読み始めて、すぐに思い浮かんだのはスティーブ・マックイーン監督「占領都市」である。私はレイテ島がフィリピンにあること、フィリピンの本島(?)のルソン島の南にあること、レイテ島は大激戦地であったこと(大岡昇平がその戦いに参加したこと)くらいしか知らない。レイテ島はもちろんだがフィリピンにも行ったことはない。アムステルダムについていえばオランダにあること、「アンネの日記」のアンネが住んでいたところくらいしか知らない。アムステルダムには一度観光で行ったこと、レンブラントの「夜警」を見たこと、フェルメールのいくつかの作品を見たことを思い出すことができる。ほかは、なにもわからない。「レイテ戦記」を読むと、知らない地名がたくさん出てくる。登場人物も、私には覚えきれないくらい登場する。日本軍も...大岡昇平「レイテ戦記」とスティーブ・マックイーン「占領都市」

  • 「シネマ歌舞伎 ぢいさんばあさん」(★★★)

    「シネマ歌舞伎ぢいさんばあさん」(★★★)(2025年01月03日、キノシネマ天神、スクリーン1)出演片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎正月なので、歌舞伎でも。でも歌舞伎は高いし、福岡では見ることができないので、「シネマ歌舞伎」で、その気分だけでも……。たいへんな人気だった。私のように考えたひとが多いのか、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎という人気者の顔合わせに惹かれたのか。指定席なのに、入場前に列を作らされた。入場をスムーズにするためとか。(私のような高齢者が多いからかもしれない。入場も時間がかかったが、出るときはもっと時間がかかった。立ち上がり、コートを着て、手袋をして、忘れ物がないか確認して……。)映画は、というと。うーん、歌舞伎そのものをあまり見たことがないから、私の視点が的確かどうかわから...「シネマ歌舞伎ぢいさんばあさん」(★★★)

  • スティーブ・マックイーン監督「占領都市」

    スティーブ・マックイーン監督「占領都市」(★★★★★)(2025年01月02日、キノシネマ天神、スクリーン2)監督スティーブ・マックイーン原作・脚本ビアンカ・スティグター撮影レナート・ヒレヘナレーションメラニー・ハイアムズこれが映画か、と質問されたら、「映画ではないかもしれないが、映画にしたい」と私は答えると思う。役者は出てこない。カメラも、ふつうの映画のように演技をしない。演技することを拒んでいる。ナレーションも感情を刺戟しない。映画の舞台はアムステルダム。かつてナチスが占領し、多くのユダヤ人を殺害し、またアウシュビッツへ強制移送した。そのナチス占領時代にユダヤ人が住んでいた場所(生活していた場所)が、いまどうなっているかを映し出す。名称がかわったところもあるが、そのままのところもある。なくなった施設も...スティーブ・マックイーン監督「占領都市」

  • 池井昌樹「だいじょうぶよ」

    池井昌樹「だいじょうぶよ」(「森羅」50、2025年01月09日発行)池井昌樹「だいじょぶよ」は、新川和江に捧げた詩である。夢のなかで、新川の詩の「だいじょうぶよ」が形をかえてあらわれる。だいじょぶかそのささやきにゆめからさめたぢべただったあおむけだったまんしんあめにうたれていたあめかなみだかわからなかったとはじまり、途中にこんな展開がある。だいじょぶかくもまからさすささやきがほねみにしみたほねもみもいつかくだけてあとかたもなくくちはてておおきなふるいこかげのあとにおおきなふるいこころがのこった「おおきなふるいこかげのあとに/おおきなふるいこころがのこった」というのは、木が元気だったときできていた「木陰」がいまはなく、その存在しない「木陰」のかわりに、「こころ」が生きている、というのとなのだが。私は「こか...池井昌樹「だいじょうぶよ」

  • Estoy Loco por España(番外篇462)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens¿Cualerauntrozodehierroelquedecíaquequeríaserflor?Eldíaqueelhombremurió,unaflorflorecióeneljardín.Abrióelpuñoysemostróelsecretoquehabíaagarradodelsuelo."Quierosercomoesaflor",decíaelhierrodesechadoenunrincóndelafábrica.¿Quéclasedesecreto,quéclasedeuniversoseescondedentrodeesehierro?Cuandounescultorrecogióelhierroquesupadrehabíadejadoylo...EstoyLocoporEspaña(番外篇462)Obra,JoaquínLlorens

  • こころは存在するか(44)

    2025年の読書初めはプラトン「饗宴」。ふたたび「中間」「なる」「出産/分娩」「時間」に傍線を引く。この世界に存在するものは何か。「運動」だけである。「運動」は「中間」においておこなわれる。存在と無の「中間」においておこなわれる。無から存在への「運動」だけがある。たとえば、私の読んだ「饗宴」、その「ことば」も実は存在しない。ソクラテスが語ったことばは、語った瞬間に消えた。プラトンが書き留めたことばも書いた瞬間に消えた。私が「饗宴」を読むときだけ、私といっしょに存在する。読みつづけ、考えつづけなければ、それは「無」である。読むことによって、ことばがことばに「なる」。それは、つまり「出産/分娩」ということである。だれかが再生産しつづける。そのとき「時間」もまた誕生する。アガトンのことばから、こんなことを思いつ...こころは存在するか(44)

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