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2013/02/21

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  • 新緑

    黄砂の飛来が二日続き、近くの桜の花はすっかり散ってしまった。八重桜やつつじの季節が始まった。ライッラクの花が咲いたのはさすがに驚いた。こんなに季節が進むのが早いと、ワラビも出始めたかと近所の川原の土手に行ってみた。なんと、もうワラビも出はじめ、今年の初物を一つかみ収穫した。冬眠から覚めた熊の目撃情報もさかんに出るようになった。こんな季節、ひときわ目を引くの木々の新緑の美しさだ。誰かが言っていた。「春先の山の景色はおいしそうだ。」と。山菜取りのと熊被害、春先のできごとが常態になってきた。パソコンを変えた感想である。キャンバの写真編集の作業が目にみえて早くなった。設定で不要な機能の停止、pcマネージャーによるキャッシュの削除などの環境も整えた。これからよりパソコンを楽しむ日々をより増やしていきたい。新緑

  • パソコンを変える

    昨日、パソコンを変えた。まだ使えたのだが、ウィンドウズ10のサポートが今年で終了するためだ。上のキャンバのすみれの写真は古いパソコン、下の白いすみれは今日戸外で撮った珍しいもの。どうやら、新しいパソコンへのバトンは無事に渡されたようだ。すみれを詠んだ歌は万葉集にも見られる。この一事だけでも、すみれが古い時代から日本人に愛された花であったことが分かる。春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける山部赤人野辺の美しさを象徴するものとしてすみれがある。宿があったが、その野の美しさに執着して野辺に寝る。花はハチに蜜を与え、種子はアリの好物として巣へと運ばれる。すみれが野に広く広がる理由である。ところで、テレビを見ていると、タケシと劇団ひとりが出演するCMがあった。ひとりが地面をスコップで穴を掘るのをタ...パソコンを変える

  • カタクリとギフチョウ

    昨日、山の花をたずねて鶴岡の海岸にあある荒倉山に行ったきた。これ以上の天気ないといっていいくらいの快晴、少し汗ばむほどの日和のなかだ。里は桜が満開、菜の花、水仙などがそこかしこに咲いてまるで花盛りだ。油戸の集落から少し歩くと、山道に入る。山道脇にすぐに目につくのはスミレ。高度を上げると、白いキクザキイチゲ、そしてカタクリが見えてくる。桜やカタクリの花の蜜をもとめてやってくるのはギフチョウ。この季節にしかシャッターチャンスのないスプリングエファラメルたちだ。山中の木々が芽吹き始めるころ、葉が小さい林床には陽ざしがたっぷり届く。その光をうけて素早く花茎を伸ばすのは、カタクリ、ニリンソウ、フクジュソウ、ショウジョウバカマたち。その短い花をもとめてくチョウチョウをスプリングエファラメルという。春の妖精、はかない命...カタクリとギフチョウ

  • 春がくれる元気

    春がくれる元気は三つある。一つはベランダで冬を越したスミレの花と山椒の芽。小さな鉢いっぱいに繁ったスミレが秋にすべて葉を枯らし、春に新しい葉を出し、やがて鉢一杯に花を咲かせる。宿根草で根が生きていると春には、昨年よりも多くの株に増える。山椒の若木を山から採ってきて鉢植えして3年が過ぎた。妻に代わってベランダの鉢の管理をするようになって、いつも鉢植えの植物が気になる。朝、スミレが昨日よりも多く咲き、山椒の葉が葉の中心に花芽らしきもの見つけると元気がもらえる。そしてベランダの木や花がいとおしくなる。「私が作曲家だったら、「芽の行進曲」をつくったかもしれない。」まず最初に、軽快なテンポでライラックの大隊を行進させる。つづいてフサスグリ縦隊の行進調、そのあとに、ナシとサクラの荘重な歩調がつづき、同時にすくすく芽を...春がくれる元気

  • 光禅寺の桜

    開花した桜があっという間に八分咲きになった。寒暖差は激しいが6月並の気温になっているからだ。足の弱った妻を連れて光禅寺の桜を見に行った。山道の桜並木は老木になって、花もまばらになっている。本堂前の枝垂桜が2本、見事な花を咲かせていた。長くこの桜の近くに住んでいた妻には、いい思い出になったことだろう。桜以外の花たちは、花壇の奥に見えるムスカリの紫以外は花の季節には遠い。オキナグサが咲くころ、また訪れてみたい。それにしてもこうも日ごとの寒暖差が大きいと、年寄りにには体調を崩すもんとになる。散らであれかし桜花散れかし口と花ごころ(閑吟集)閑吟集は室町時代の小歌226種のほか、猿楽の謡、田楽節、狂言の小歌などをあわせ311首が収録されている。れないを中心とした歌がほとんどで江戸歌謡のさきがけとなっている。美しい桜...光禅寺の桜

  • 聞く力

    今日の気温23℃。強い陽ざしで、少々歩いただけで汗ばんでくる。朝、桜の花を眺めながら散歩のあとベランダの鉢に水やり。鉢で成長を始めたすみれの花が咲き始めた。かわいい小さな花が3輪、鉢一杯に密集している葉をかきわけると、なんと無数の花芽がかくれている。数学者の岡潔の『日本の心』のなかに出て来るスミレの花は、自分の研究論文ひとつをすみれの花一輪にたとえたものらしい。多変数解析函数、という何やら検討もつかない論文を9個発表して仕事の3分の2まできた。まだすみれの花は咲き切っていないと言っている。岡博士は様々なものに興味を示し、江戸時代の詰将棋の話が出てくる。伊藤宗看、看寿兄弟が創った詰将棋百番で、煙詰めというものを紹介している。手数で611手、盤上には39枚の駒が並んでいて、全て王手をかけて盤上には残り3枚にな...聞く力

  • 桜開花、坂巻川

    季節の移りが早い。昨日の24節季の清明。この表現を、日本の一番美しい季節感と言った人がいた。誰であったか、失念してしまった。空気が透明で、花が一斉に綻ぶ季節だ。坂巻川畔のソメイヨシノがついに開花した。目視で5、6輪ではないので開花と言っていい。ちなみに山形気象台からの開花宣言はまだない。辛夷の花も開花した木がある。黄色のクロモジの花、と検索ででてきたがが、どうも千歳山でみるクロモジとは違うようだ。レンギョウが咲き、白梅も盛りを過ぎつつある。毎朝、気持ちいい朝が迎えられる。運動や安眠朗読など毎日の行動もさることながら、このところの気象条件が適しているかもしれない。春眠暁を覚えず処々に啼鳥を聞く夜来風雨の声花落つること知る多少孟浩然のこんな詩も懐かしく思い浮かぶ。百円ショップに行ってみた。アロマグッズを買うた...桜開花、坂巻川

  • 山笑う

    春が来ると、真っ先に見たいのが山の花々である。数年前は、新潟の角田山などへ遠出したものだが、近年は県内の里山である。雪解けを待つようにして咲く早春の花はやはり感動をもたらしてくれる。山中で出会った人に聞くと、今年は寒い3月だったので、花たちが一気に咲いたそうだ。毎日、里山に通って、今日はこの花、明日はあの花と、種類によって徐々に咲く花の種類を変えて咲いていくが、今年は北海道の花の季節のようだ。鶴岡の大山、下池の畔道への斜面には、先ず驚かされたのは、一面に咲くフキノトウの花だ。やがて、イチゲの花が種類と変えて、歓迎してくれる。だんだんと弱ってくる足を考えると、あと何回、この感動を味わえるか。今日の一日を大切にしたい気持ちになる。この日は花曇り、標高は低いが、アップダウンのある山道を歩くと汗ばむ陽気であった。...山笑う

  • 芽吹き

    新しい月、4月が始まった。一番早く季節を感じるのは、草木の芽吹きや花をみる時だ。眠っていた樹木が、春の陽ざしをうけて、花芽や葉芽がふくらんでくると生命の動きが見えて感動する。にわかツリーウオッチャーに変身する人も多い。一番それらが見えるのは、里山の広葉樹林だ。季節が進むと、ヤマザクラの花を見ながら、山菜採りが楽しめる。春先、自分のような素人ウオッチャーが始めるのは、葉のない樹形の観察だ。その形は樹種によって異なっている。広葉樹のシルエットで、はっきりと樹形が見えるのがうれしい。幹に沿って側枝が伸び、側枝からシュートが思い思いに伸びる。伸びたシュートの隙間を狙ってさらに小さなシュートが伸びる。木全体としては丸みをおびたシルエットになる。自然の造形がそこに作られる。実に見事で、美しい。側枝の伸びが主軸よりも優...芽吹き

  • 三月終わる

    沼に田にひと居る四月来りけり岡部弾丸寒かった三月が終わる。強めの春風が吹いて、戸外のひとときが楽しい。八重の水仙が美しく咲いて、オドリコソウが空き地いっぱいに咲く様子はかわいい感じがする。フキノトウの花がこんなにきれいだったとは、この年になって初めて感じたことだ。坂道を歩いて家に帰ると、ベランダのスミレが葉を出し、山椒の木に葉芽がたくさんついていた。鉢に水やりをしながら、本のなかで春を待つ園芸家を思い出す。チャペック『園芸家の12カ月』、3月の項。「朝のうちはまだ固い襁褓につつまれていた芽が、やわらかい葉さきを押し出して、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星が光り、梨のふっくらした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、その先にみどりをおびた金いろの蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若...三月終わる

  • 黄沙

    三月も残すところ二日。東京で10日遅れの開花宣言があり、大陸から招かざる客、黄砂がやってきた。黄砂が俳句の季語になっていないと思いつつ引いてみた。驚くことに、立派に季語になっており、難しい感じの「つちふる」と同じ意味の季語である。霾や太古のごとき人ゆきき杜門ほかに黄塵、」蒙古風、つちかぜ、胡沙などの語も同じ意味でつかわれる。大陸の黄土地帯で吹き上げられた砂塵が、空一面をおおい、太陽は輝きを失い、空の色は黄褐色、屋根や地に砂塵が積もる。大陸から朝鮮半島で猛威を振るうが、前線に乗って日本列島にもやってきて、靄のような黄砂がやってくる。俳句の季語になったのは、大正時代で新規題と解説されている。ウィンドウズ10のサポートが終わる。11を搭載したパソコンに買い替えることになるが、新しい機能を覗いている。使いやすくな...黄沙

  • 春のエネルギー

    季節は本格的な春に向かって一直線。昨日からエアコンにスイッチも切った。大陸から黄砂が来るらしい。南風が風と雨を降らせているが、外に出ても寒くはない。沈丁花の花が香りを送り、昨夜の風が咲きだしたばかりの水仙を乱している。クリスマスローズの花はいよいよ大きく開き出した。春のエネルギーは太陽の力と言い換えてもいい。地上のごく小の草花に、命の息吹を促している。それは人間にも等しく力をくれる。先日、かかりつけのお医者さんに、疲れやすいことを訴えた。以前はまったく感じられなかった距離の歩きでひどく疲労を感じる。先生の答えは、「冬動かないでいたからですよ。少しずつ馴らして」。先週から雪の日でもできる階段歩きを始めた。マンションの10階までの階段を5往復。やはり足が棒のように疲れる。1日1往復ずつ増やして6~7往復、一週...春のエネルギー

  • 更待月

    今月の満月が過ぎて三日目。朝の6時ころ、西の空に少し欠けた始めた月を見た。スマホやデジカメで月を撮影するのは難しい。まわりの暗さと比べ、月の光が強すぎてしっかりと映像がおさまらないのだ。先日、スマホに月を写せるカメラアプリを入れた。これを試すと、月のイメージが表現できる画像ができた。本来、月は秋の夜に相応しいが、冬も、早春も月は同じような軌道で登り、山の端に沈んでいく。満月の日の月の出は17時56分、入りは5時32分。昨夜の月の出は19時54分、入りは6時37分。満月から出は2時間遅く、入りは1時間遅くなっている。日本人は古来、月の出を待って月見を楽しんだ。満月の日から2時間も遅くなると、立待月、更待月、と呼び方を変え、待つ時間をつぶしながら待っていた。十六夜というのも、名月の月の月を待つ人の心を表した粋...更待月

  • 春の味

    春の雪の日のあとは、気持ちのいい青空。車のタイヤ交換をする。冬タイヤから、夏のタイヤに替えると、運転も軽やかになる。青空に誘われて、近くの空き地にフキノトウを探した。日かげでは、まだ出始めたばかりのフキノトウを10個ほど、フキ味噌にして春の香りを味わう。やはり摘みたてのものは、春の懐かしい香だ。この季節に出会える春の味覚だ。渡辺隆次に『山のごちそう』という本がある。この人は画家で、1ページ分を18個ほどの成長途上のフキノトウが描きわけてある。フキ味噌の作り方も丁寧に紹介されているが、珍しいフキノトウの漬物が紹介されている。「味噌と酒粕の同量を、少々の酒でよく合わせ、漬け床を用意する。そこへさっと茹でたフキノトウを冷まして水気を切り。床へ漬けこむ。数時間後が食べごろだが、取り出すのを忘れあめ色に馴染んだもの...春の味

  • ai画像

    三月に居座る寒気はやっと終わりそうだ。明日からは春らしい気温がもどってくる。野菜売りを大きく占めていたブロッコリーが後退し、柑橘類の甘い香りが売り場のあふれている。生成AIに頼んで、散る桜の絵を出し、pc周りにはアロマストーンにローズマリーとレモンの精油を垂らして置いた。昨夜はラベンダーをアロマストーンに垂らしたので、朝まで一度も起きずに眠りができた。香りに包まれた生活は、暮らしにメリハリが出る。これをやろうと目的を立てると、テキパキとこなすようになる。黒文字をかぎかぎ禿持って来る柳多留山へ行くと、木に詳しい仲間が一枝折って、仲間に香りをかがせる。この木で作った楊枝は香りがあり、クロモジと呼んで古くから重宝された。香りを大事にする文化は、縄文の昔からあったに違いない。aiの進化がとまらない。ひ孫の動画を自...ai画像

  • 山茱萸の花

    親水公園に紅梅が咲き、小さな黄色い花の蕾がふくらんでいた。よくみると山茱萸だ。あの稗つき節にも出てくる木だが、これは庭にある山茱萸の木に鈴をかけて、その音を合図に出逢いを歌った恋の歌だ。早春の花は葉が出る前に、枝いっぱいに花をつける地味な花だ。春黄金花の異名もある。花の好みも年齢によって異なってくる。若い頃は牡丹や芍薬などの大きな花を好み、年代とへて小柄で地味な花を好むらし。表題の句はそんな好みの変化を詠んだものだ。秋になると赤い俵型の実をつける。アキサンゴとも呼ばれる。こちらは古くから乾燥させた果肉を生薬として用いた。滋養強壮の漢方薬として用いられた。こんな効用が知られて、この実が老年の人に親しまれてきたのかも知れない。ところで稗つき節で歌われる「サンシュウの木」は、検索してみると山椒の木が正しいようだ...山茱萸の花

  • アロマ生活

    お彼岸の入りから寒気が入っている。中日になっても雪空で、春が少し遠のいた。ドジャースとパドレスが韓国入りして、マスコミは大谷、山本、ダルビッシュなど日本人メジャーリーガーの話題で持ち切りだ。昨日、日銀がマイナス金利の解除を発表、自民党の政治資金裏金問題は一向に鎮静化する方向は見えてこない。大リーガーの活躍とあまりにせこい裏金議員。何とも皮肉な取り合わせではある。韓国のメディアが、「大谷は最高の外交官」と伝えていることを日本の政治家たちは自らを省みてどんな心境なのだろうか。昨日、ネットでアロマ精油を注文した。真正ラベンダー、ローズマリー、カモミール(ローマン)、シトロネラの10mgh4本である。ローズマリー、レモンは朝の時間に身体を活発にし、脳を刺激して認知症にも効果がある。一方、ラベンダーは鎮静化作用、安...アロマ生活

  • 春の宵

    春の宵をいとおしい時と感じる日がある。山の端が紅に染まり、屋根の下に人の営みを想像するひとときだ。昨日の宵はまさにそんな春宵であった。パソコンを離れて歩いてみた。以前は感じなかったような疲労感に落ち込みながら夕焼けに癒される。やはりこうして人は老いていくのか。疲労の後に訪れる深い眠り。そして得られるしすっきりした身体の動き。二日続けて歩いてみて、疲労の回復がはっきり分かる。こうして一日をふり返るブログを書く。リラックスした気持ちで今日も就寝することができる。青春への郷愁。「朧月夜」の歌詞とメロディがよみがえる。こうして眠った次の日は雪がちらついた。菜の花畠に入日薄れ、見わたす山の端霞ふかし。春風そよぐ空を見れば、夕月かかりてにほひ淡し。橘曙覧の独楽吟の数節を読んでみるのもいい。そこには、本当の人生の「たの...春の宵

  • 春を探しに

    待ちかねた春の晴天。昼の気温12℃、風もない。青空に誘われて悠創の丘に出かける。目指すのは、丘の隅っこにフクジュソウの開花を確認するためだ。昨日まで強風が吹いていたが、気温も上がったので、予想に反して多くの花に出会えた。家を出てすぐお隣にお宅に庭の隅で、クリスマスローズが大きく花を広げている。そのお隣にロウバイのような黄色い花。検索して見ると、ソケイがあるがやや違っている。この花は秋にも咲いていたのでロウバイではないだろう。残念だが花の名を特定することはできない。アシビが咲いて、空き地にオオイヌノフグリを見つけてうれしかった。どの花も暖かい陽ざしを待っていたらしく、目いっぱいに花を開いて笑っている。目的にしていたフクジュソウは木立の陰に、遠くからでも確認できた。それも仲間を増やして、かなり広い面積の斜面を...春を探しに

  • 三寒四温

    寒さと暖かさが、3日おきにやってきて春本番も近い。朝の空はどこか霞んでいる。昨日、この地方で竜巻注意報が出た。寒気が居座っているところへ、南からの暖かい空気が入ってきたのだろう。ベランダの外に、異常な強風が吹きつける。昨日政倫審といいう空疎なテレビ中継が流れて、日本の政治の行方が怪しい。こんな政治家を選んでいる国民が悪い、という論調があるが、そもそも志を持った政治家を育てる環境がなければ選ぶことすらできない。値上げの春、春闘ではしばらくぶりに、大幅ベア、満額回答の文字が躍る。職を離れた退職者が増えているが、この傾向は待ちに待ったものだ。我々老人は食べる量が少なくなっているし、行動範囲も狭い。生産者がいいものを作るには、コストがかかる。値上げ止む無しである。安く品質のよいもの選び、細々と暮らせばいい。最近近...三寒四温

  • 春暁

    春の雪景色を見て3日、青空がのぞいた。陽の光を浴びて戸外に行くのはやはり気持ちがいい。思いなしか、足の動きが軽快になった気がする。「春宵にあらずして春曙」は燕石の句だが、かの枕草子にも、春は曙が冒頭にある。「やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりてむらさきだちたる雲のほそくなびきたる」と続く。こんな文章を思い浮かべながら、ひきしまる朝の空気のなかを歩くと、紅梅が庭の木立を染めている。しばらく忘れていた朝の匂いである。今日なすべきこと。動画編集。キャンバのデザインで、ひ孫の成長を動画にに編集してスマホとパソコンにクラウドに仕舞っておく。ラインで送られてきた動画もそのままにしておくを、数週間で閲覧不可になる。生まれて1年半、その成長にはいつも驚かされる。小さなの子の成長は生命の不思議でもある。足を使い、手...春暁

  • メディアリテラシー

    雪が続いている。外に出かけられないので、生成AIに紅梅の花に積った春の雪を書いてもらう。木全体を書くように頼んだら、木の下に草花が咲いていてあまりに現実離れしていた。花は寒いのに、あまりに咲きほこっているが、まあよしとしよう。最近、ニュースはネットのヤフーニュースで見ている。ニュースにコメントを投稿できるようになっている。出来事について、読んだ人の意見がたくさん見られる。投稿者の意見に、自分はこう思うと賛否を述べる人もいる。マスメディアで一方的なニュースを見るだけだった時代からは様変わりしている。最近の注目記事に文春が報じた「コロナワクチン後遺症」がある。京都大学の福島名誉教授が書いたものだ。接種後の症例として見出しに帯状疱疹、リウマチ、血管系障害、心筋炎…などをあげ、201種にもる症例が紹介されている。...メディアリテラシー

  • 目を守る

    昨日の晴天が夜になって雪になり、朝からどんよりと雪雲。千葉や茨秋で茨城では、朝積雪が見られた。三月になって、ずっと雪降りの天気が続く。青空を見ると、やはり心はうき立つ。いつまでも、こんな景色を見ていたい。思いは目の健康にいきつく。さいわいまだ視力は、免許証を更新できることに支障ないほどに維持できている。ものの本で、涙が目を保護する働きがあることを知った。涙は一日に1mlと、少量しか分泌しない。スマホやパソコンのモニターを見続ければ、目が乾燥して悪影響を及ぼす。血液とほぼ同じ成分で、涙腺で赤色が濾過されて、透明になる。弱アルカリ性で殺菌成分を含み、眼球の表面を清潔にしてくれる。さらに、しっかりと瞼を閉じて5秒間、涙の分泌を促す。次に力強く目を開いて5秒間目を開いたままにする。これを5回繰り返す。目を守る目の...目を守る

  • 十二の巻

    今日、訪ねたお店で珍しい鉢植えがあった。サボテンにようでもあるが、帰宅して調べてみるとアフリカ産の多肉質植物とある。名は十二の巻、またはルリデン。見分けがつきにくいが、ゼブラのような縞模様があるので、十二の巻らしい。育っても20㌢ほどで、鉢植えにして美しい姿を愛でるらしい。春になると、茎を伸ばしユリに似た花をさかせるという。その季節に、またこの店で花を見てみたい。朝、目が覚めて外を見ると、雪が積もっている。24節季の啓蟄が来たというのに、雪降りが続いている。道路わきに目をやると、うす紅の梅の花に雪が積もっていた。カメラに収めたいシーンであったが、車での移動中のために断念。雪のなかにも、春がしだいに姿を表してきた。「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」は蕪村の辞世の句だが、床についたまま蕪村は家人にしきりに...十二の巻

  • 長名水

    山の会の面白山の手前、三沢山の山行に参加した。前回の山行から2ヶ月近いブランクがある。朝、5時に起きると雪降りである。出発の時間になって少し晴れ間が見えてきた。3日ほど前に雪が降り、付近ではすっかり融けたが、1000ⅿ付近では雪が残っている筈だ。駐車場の着くと、雪が降り、風も強い。天くらの示す頂上付近は、風速17mが表示されている。山道への林道は雪景色。もう忘れかけた雪である。カンジキでぬかる雪で30㌢はある。二日間の雪と新雪で、ゆうに1mはある。歩き始めてすぐに、ブランクの足が動かないことが分かる。緩やかな登りだが、次第に疲労がたまっていく。木々の間から、青空も見えてきた。今年、じっくりと見ていない雪景色が広がっている。参加者13名。ラッセルをしてもらった雪道を、ゆっくりと一歩、一歩。少し差し込んできた...長名水

  • 二月尽

    政治の混迷が深まっていくなか、二月が終わろうとしている。山茶花の木の下には、溶け残った雪のなかに紅い花びら散っている。メジャーの大谷翔平、山本由伸や藤井聡太ら若い日本のホープの活躍がせめてもの救いだ。1年7ヶ月になるひ孫の動画くるののも楽しみだ。キャンバのスマホ動画で編集すると、画面いっぱいに画質のいい動画になる。もっと勉強して、成長の軌跡を描く動画に編集したいと考えている。キャンバは実に心づよい編集アプリだ。ユーチューブで成田祐輔と古舘伊知郎の対談を聞いた。言葉は膨大な外界の情報を単純な言葉で兵家出来る。人類が長年蓄積してモード、それが言葉。新聞や書籍が衰退しても、なお言葉の力は失われていない。一種の魔術。番組を聞いている人は、寝るために聞いている人たちが多い。講演をすると、成田の声を聞いて、寝落ちする...二月尽

  • 忘れる読書

    朝方、深い霧であった。10時ころになって霧が晴れ、千歳山の雪景色が見えた。夏日のような気候のあとに、厳しい寒気が入ってくる。寒暖差ギックリ腰というものがあるらしい。重いものを持たなくても、15℃以上もの寒暖差だとギックリ腰の症状が出るらしい。経験したことのないような異常気象が何をもたらすか、なかなか想像するのも難しい。昨日、本屋に行って落合陽一『忘れる読書』を買ってきた。高齢者にとって、読むかたはしから何を読んだのかを忘れてしまうのは切実な問題だ。もう10年以上も前になるが、同級会で友だちの述懐を聞いたことがある。「いやあ、夕べ読んだ本の内容を次の日には全部忘れているんだよ。」落合の『忘れる読書』はこのような杞憂を払拭してくれる。落合は読後に残った知識や考えをざっくり頭の片隅にしまいこんで置くだけでいいと...忘れる読書

  • 山茶花

    昨日、24節季の雨水。寒があけ、雨が降る季節である。皮肉なことに、一夜明けると寒の戻り、雪になった。春から、真冬への逆もどり。盛んに咲いた山茶花も戸惑っていることだろう。山茶花は童謡にも歌われているように、落葉の季節の花である。冬から春へのこの季節にも、盛んに花を咲かせる。木いっぱいに咲く花は、辺りを明るくする。童謡『焚火』の作詞者は巽聖歌である。巽は児童文学者、岩手県紫波町の出身である。クリスチャンで教会で牧師の仕事をしながら、童話や童謡の作詞をした。後に、北原白秋の弟子となり、あの「さざんか、さざんかさいたみち、たきびだ、たきだおちばたき」の童謡は今もなお詠われている。この歌は、昭和16年NHKのラジオの依頼で作詞されたものだ。この年は私の生まれた年で、今から82年も前のことだ。その後戦争が始まると、...山茶花

  • 春の空

    ここへ来て、三日間隔で空の景色が変わる。異常気象といえども、すっきりとした青空は心を和ませてくれる。中天に向かって少しずつ、お青味を増していくグラデーションがなんとも心地いい。空が曇ると心も暗い。近所の人にあったも、無言で頭を下げていることが多い。やはり青空の日の方が、声もだしやすくなる。「春眠暁を覚えず」という句があるが、10時過ぎに寝て、朝の6時近くまで眠ることが多くなった。春の陽気は、睡眠にもよい環境を与えてくれるようだ。昔話に『鬼が笑う』というのがある。曇りが笑わぬ娘とすれば、鬼が笑うのは晴れた空を意味する。鬼に嫁いだ娘が、鬼のもとを逃れ舟で下るが、鬼は川の水を一飲み。水が引いて、娘を乗せた舟は鬼のところへどんどん吸い寄せられていく。そこで娘が取った策は鬼を笑わすこと。堪えきれず吹き出した鬼は、川...春の空

  • 春一番

    昨日、北陸で春一番が吹いたと報道された。昨年より13日早く吹いたとのことだ。立春から春分の間に、北日本で発達した低気圧に向かって吹きこむ南風を春一番という。昨日の空を見上げると、青空も見えたが、飛行機雲がくっきりと出た。空に水蒸気がたくさんある状態である。朝、朝焼けがきれいで、空気が澄んで山が近く見えたあとの気象現象である。強い風で、船で海上を行く漁師たちが、警戒したのもこの春一番である。それにしても山形の昨日の気温は、2月の半ばであるのに、18℃を記録した。5月ころの気温だ。テレビのニュースでは、かき氷の店に行列ができ、Tシャツ姿の人も見かけられた。青空はきれいだが、乾燥した空気と、各地に頻発する火事。焼け跡から焼死体が見つかる惨事が続いている。青空を見ると、きれいな風景の向こうに、地球の異常事態の恐ろ...春一番

  • 春を探しに

    朝の日ざしが強くなってきた。日の出の時間に、山の辺りがきれいに朝焼けになる。目覚めて、窓からの景色を楽しむのが日課である。先日、新聞で見たマンサクを見に、マンサクの丘に行った。蔵王コミセンの向いの道を山の方に入ると、マンサクの木が一本、黄色の花をビッシリと付けていた。マンサクの丘というほどだから、他にもたくさんあるものと考えていたので、上の方までみてが、あるのはこの一本だけ。車が1台来て、ウィンドウを開けると、中年の女性が「先日新聞で見たのですが、マンサクどこですか」と聞いてくる。「この1本だけですよ」と答えた。この人も一足早い春を見にきたのだろう。芸工大の裏へ廻って、毎年咲くマンサクの木を確めた。こちらはまだ蕾の状態。花は場所によって開花が異なる。標高や陽当りによっても大きくことなる。Chatgtpに、...春を探しに

  • 冬の日の過し方

    昨日、新聞にマンサクの丘にマンサクが咲いた写真が載っていた。春を感じに行ってみたいと思う。ユーチューブの成田祐輔のチャンネルで、有働アナとの対談を聞いた。成田が自分はコンプレックスに包まれている、という発言に注目した。何かをやりたいいう目的がない、ルーティン的な行動をできないことがそんなストレスを生んでいる。有働アナが、コロナ禍の時代に「ウドばあちゃん」というキャラを使って、ホームステイを呼びかけたという話を聞いて検索してみた。漫画のばあちゃんキャラで秋田弁を使うウドばあちゃんを見て笑えた。あの時代、それほどコロナウィルスが怖かったことが、蘇った。『毎日の暮らしが輝く52の習慣』の52番目は「寛大な心」である。最も身近な人への心配り。自分にとっては、先ず、生活をともにするパートナーである。加齢とともに、膝...冬の日の過し方

  • 運転免許の更新

    久しぶりの青空。太陽の光を浴びると元気がもらえるような気がする。寒気も少し和らいできたようだ。運転免許の更新のため、免許センターに行く。視力の検査だけで、顔写真を撮って新しい免許証が交付された。令和9年の4月まで有効と記載されている。免許センターには高齢者の更新の姿目立った。自力歩行がやっとという人もなかにいた。車を手放すと日常の用達ができないための免許かも知れない。一日一日の時間が大事に思えてくる。アメリカの作家、カール・サンドバークにこんな言葉がある。「時間はあなたの人生の貨幣である。あなたが所有する唯一の貨幣であり、それをどう使うかを決められるのはあなただけだ」老後にはたっぷりと時間があるとばかり思ってきた。しかし、現実は些事にまぎれているうちに時間はあったいう間に過ぎていく。新しい年を迎えたと思っ...運転免許の更新

  • 立春

    立春を待っていたように、室内のアマリリスが大輪を開いた。道路に雪がないまま立春を迎えた。ここへ来て、東京をはじめとする関東地方に大雪の情報がでている。昨年の暮から、本来降るべきでない地方に大雪が降り、当然降るべきこの地方には雪が少ないという現象が起きている。大寒で雨が降ったり、3月末の気象現象が起きている。これも大きなトレンドになっている地球温暖化がもたらしている現象といっていい。ギリシャ神話に「アマリリス」という題の話がある。これによると、アマリリスは羊飼いの少女の名だ。花好きの少年アルテオに思いを寄せる。アマリリスは、神に祈ってもらった弓矢で自らを射て、血の色の美しい花を咲かせた。その花を贈って少年のハートを射止めたという話だ。ギリシャ神話には、花を題材にした話が多い。神々が地上の花を愛し、物語の背景...立春

  • 久保田万太郎

    新しい月の初めは、夕焼けになって暮れた。熱海では河津桜や菜の花が咲く映像が映しだされた。きさらぎとは、着衣のうえにもう一枚着ること。つまり一年のなかで一番寒い季節だ。明日は節分、恵方巻がコンビニを中心に売り出される。そして翌4日が立春。暦と現実の気候が重なることが多くなった。今年は全ての花が1週間早まっている。先日、画像生成で菜の花を創ったが、もう早い地方では、直にみることができる。わが家のアマリリスも、立春を待ちかねて蕾が一つの茎に4個花芽が姿勢を改めた。俳人の久保田万太郎は、東京府立3中で芥川龍之介の一年先輩で、芥川の句づくりに大きな影響を与えた。冒頭の「はなのやま」の句について、万太郎は「この句をつくるのに、わたくしを出来るだけ静かにした」と語っている。昭和36年~37年、万太郎は親しい友人や俳人を...久保田万太郎

  • 1月終わる

    年が明けて、まだ始動もしないうちに1月が終わる。それにしてもこの月はいろんなことが目まぐるしく起こった。能登の大地震で明け、松本仁志のセクハラ騒動。自民党の裏金に、トヨタ自動車の検査不正。日本に君臨してきた権威が、音を立てて崩れ始めている。残された月日の少ない高齢者は、この世にどんな思いを残して去っていくのか。昨年は同世代の多くの人が世を去った。昨夜、寝つきが悪くて読んだ本。宝島新書『ChatGTPは神か悪魔か』。そのなかに、政治をAIに任せる話があった。「デンマークでは2022年5月に「人工党」という政党が立ち上げられ、「政策はすべてAIに任せる」という政治思想を掲げている。またノルウェーでは、AIを活用して政治を行い、重要な政策判断をAIに評価させている。裏金を使って政策を金に歪められている日本ではA...1月終わる

  • 寒明け間近

    朝焼けが残るなか、自宅の近くの散歩コースを歩いた。電線にスズメが列をつくって止まっていた。林のなかで、チュンチュンと鳴く声が懐かしい。あまり見かけなくなったスズメの群れが、朝の光のなかで飛び回る。朝、陽を浴びたのには訳がある。国会で自民党の裏金をめぐる集中審議が中継される。しっかりと目覚めて、その様子を確認したいためだ。政治評論家の大森実が『自民党の終焉』を書いたのは、2007年。2009年の衆議院選挙では自民党が大敗し、民主党が政権の座に就いた。だがその3年後、民主党は選挙に敗れ、自民党が復権した。東日本大震災が起き、民主党のかじ取りに国民が不安を感じたことが要因のひとつでもあったような気がする。この国の民主主義はどこまで健全か。今日の集中審議で明らかになる。何故、裏金が必要だったか。何に使われたのか、...寒明け間近

  • 菜の花幻想

    昨日、満月。1月の満月はウルフムーンと呼ばれる。雪の降るこちらでは、雲の間から垣間見ることさえできなかった。この季節、月に連想されるのは菜の花だ。もう20年以上も前だが、3月娘たちと房総の旅をしたことがある。冷たい春風に吹かれて、菜の花が咲いていた。いまaiで「房総の菜の花、写実的に」とプロンプトを入れると、たちどころのに海に面した房総の菜の花の絵が生成される。20年前に見た風景とはあまりに異なっているが、満月の翌日に幻想の菜の花をビジョン化してくれる。蕪村の句は、うつつなきと詠んで、もはや現実を写し取ったものではない。指につままれている蝶々の翅は、現実をこえた感覚の世界で触れるでもなく、つままれている。雪景色の向こうに夢想する菜の花は、記憶の世界に住みついている幻である。aiをこんな風に使ってみれば、3...菜の花幻想

  • 予期せぬ大雪

    雪のない大寒であったが、昨日から各地が大雪に見舞われ、名神高速の関ヶ原では数キロにわたって車が立ち往生し、19時間もの間、解消されなかった。770台もの車が動けなくなってしまったのだ。この事態を聞いて、私はすぐに小国で起きた車の立ち往生を思い出した。もう50年も前のことだが、雪に閉ざされた車の中で、寒さをしのごうとエンジンをかけ続けたため、排気ガスが車内に入り込んで運転手が亡くなってしまったという悲劇だ。高速道路では、動けなくなったら降りて歩くこともできない。今回は簡易トイレや食料の配布などの対応が行われ、幸いにも命を落とした人はいなかったが、車内に閉じ込められた人々はどれほど恐怖を感じたことだろう。昭和55年12月24日、山形の大雪のことも今でも覚えている。午後2時ごろから降り始めた雪はどんどん積もって...予期せぬ大雪

  • 春を待つ

    日帰り温泉の通路に鉢植えの啓翁桜が咲いた。切り枝を室内の鉢に挿しておくと大寒の季節にも桜をみることができる。顔を近づけると、ほのかに春の香りが漂う。アロマがこのところ生活に入り始めている。ハーブカントリ-という専門店もみつけ、香油を買った。娘の勧めもあって、ローソクのランプにお湯を乗せ、そこへ香油を2滴ほどたらして香りと楽しむのだが、最近、エアーフレッシュナーという芳香浴の方法を知った。エタノールに精油を15滴ほどたらし、水で薄めてスプレー瓶にいれて噴霧する方法だ。ランプ方式ではローソクの日で温める、ランプの光でも癒されから十分に楽しめるが、噴霧式は気づいたとき何時でも香りが楽しめる。因みに使用する精油はローズマリー、レモン、ラベンダー、スイートオレンジなどだ。ものの本によれば、朝用いるローズマリーとレモ...春を待つ

  • 大寒

    今日、24節季の大寒。暦の上では最も寒い季節だが、暖冬で先日降った雪も消え温かい日を迎えた。昼過ぎ、青空にポツンと上弦の月が見えた。あと10日ほどで節分、陽がさすとすでに春の気配が生まれている。室内では、クンシランが花を咲かせ、アマリリスの花芽が15㌢ほど伸びた。初侯に「鶏初めて乳す」とある。厳しい寒さのなか、春を感じた鶏が卵を産む季節である。年のはじめから、暗いニュースが続く。精神科医の樺沢先生は言う。「暗いニュースを見続けると、うつ状態になる」地震の被害の悲惨さを、長く見ているのは精神生活によろしくないらしい。流されるニュースを見続ける時間を制限し、状況を知るために、朝夕短時間のチェックにとどめることが推奨される。チャットgtbに、高齢者が老後を楽しむ生活モデルを提案してもらった。本屋に行って、老後の...大寒

  • 奇跡の雪景色

    雪の無い1月。15日になって15㌢の積雪になった。車の屋根に降る雪が、あっという間に、5㌢を越える。朝の道路は、この冬初めて圧雪になった。日陰の道は凍り、滑らないで歩くには注意が必要だ。翌日、雲ひとつない晴天。計画していた里山歩きに10名の山仲間が集った。坂道で踏み跡をあるくと、山靴でも滑る。頂上から見える山形の市街、その向うにある奥羽山脈の雪景色は奇跡というほかない。こんな絶景を見るには、いくつも偶然が重ならねばならない。前夜の雪、雲ひとつない晴天。風もなく、そこそこ上がる気温。もし、朝靄がなく透き通った空気であれば、山の雪景色はさらにくっきりときれいだったろう。偶然が積み重なって得る絶景。山を歩く人にのみ恵まれる幸運だ。雪晴れて蒼天落つるしづくかな前田普羅富神山の麓には、この山頂の神社を守る集落がある...奇跡の雪景色

  • 寒の内

    新年の気分はなかったが、月日は飛ぶように過ぎていく。それにしても、こんなに雪の少ない寒の内は記憶にない。来週は大寒だというのに、平地には雪が見えない。蔵王のスキー場も雪が少なく、恒例のジャンプ大会のためにシャンツェの雪が運ばれている。道路に雪がないだけ車の運転も楽だが、この季節に見る青空は異常気象のシンボルのように見える。太平洋岸では、この季節普通に見える青空だが、日本海側の小雪はコメの不作の予兆でもあるのだ。昨日、詩吟の会の初吟会が開かれた。久しぶりに会う吟友の吟を小1時間聞いた。高齢化で会員たちの今年の抱負を聞いて回った。期せずして、「健康第一」という声が方々で聞こえた。そのなかで、「詩吟をもっと上達したい。」「美しい日本語を極めたい。」「仲間を増やしたい。」どのテーブルからの切実な声が聞えた。漢詩や...寒の内

  • 年初の雪山

    今年は元日から大地震が起き、飛行機の火災など、正月気分もないまま10日以上が過ぎた。今年の山の初登りは、高齢の笹谷峠。雪の少なさに驚く。避難小屋でストーブを焚き、sさん自慢のナメコ汁に新しい年を感じた。あいにく山は小雪が舞っていた。この峠はいつも風が強い。年末年始を身体を動かさずに過ごしたせいか、峠までの雪道を歩いて体力の衰えを痛感した。今までのように雪道を悠々と歩きたい。体力の維持、これが年初の目標の一つになった。いつもなら、ブログにも一年の計を書いていた。哲学者安岡正篤に『活学一日一言』の1月1日は「年頭清書」である。人間を知り尽くした人の年頭の言葉を、ここの掲げさせてもらう。その志の幾分かでもを分けてもらい、今年を生きるよすがとしたい。1残恨(残念なこと)を一掃して気分を新たにする2旧習(ふるい習慣...年初の雪山

  • 積雪5㌢

    年明け早々、悲惨なニュースが多すぎる。能登半島の道の亀裂を被うような雪が降った。避難所には、暖をとる手立てもないらしい。テレビで見る被災地の様子に、行動を起こすことのできないもどかしさが募る。こんなストレスを紛らわせてくれるのは幕末の歌人、橘曙覧の歌だ。たのしみは、で始まる「独楽吟」の連作。幕末という動乱の時代が、今日の国の危機に通じるものがある。たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食ひて火にあたるときたのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人をみしときミストラルと呼ばれる北風がある。青空の光る南仏プロバンスに移住したばかりのイギリス人夫婦は、この北風の洗礼を受ける。アルプスから吹き下す風は、ローヌ渓谷で速度を増し、プロバンスを直撃してマルセイユから地中海へと吹き抜ける。夏は冷たい風となって涼しい夏を...積雪5㌢

  • 冬晴れ

    昨日、今日と荒天が続く。正月の家にこもっていたので、戸外で外の空気を吸った。能登震災、羽田の日航機火災と大事件が続いて暗い年明けになったが、青空の下の散歩はやはり清々しい。見たこともないあまりに澄んだ青空で、いい気分のなかに、少し不安も混じる。心の動きは微妙なものだ。どんな好天も、これで万端、不安はないという具合にはいかない。鳥残した柿の実に、ヒヨドリが群れている。こんな朝は、鳥たちにとっては心地よい食事の時間であるらしい。薬を10錠飲むよりも、心から笑ったほうがずっと効果があるアンネ・フランク眠る前に昔話を聞くのがルーティンになった。同じあたりに、聞き流し落語というのがあった。桂三枝の落語が流れてきた。話す姿があるわけではない。ラジオで聞くように、イヤホンから流てくる。落語を聞いて、寝落ちる人もいるらし...冬晴れ

  • 能登震災

    おだやかに明けた元日。雑煮と一杯のお屠蘇、静かな新年であった。年の暮から、ユーチューブのコンテンツを捜した。樺沢紫苑やひと月万冊の佐藤章など面白く、役立つコンテンツを見ていたが、新しくお気に入りに加えたのは、上杉隆、長谷川良品、望月衣塑子、相澤冬樹などのジャーナリスト。藤井聡のほんまものチャンネル、元明石市長の泉房穂など見がいのあるゲストが多く登場する。ブックオフで気になるジャーナリストの本を探すのも楽しみになった。特に正月のテレビは見るべき番組がないだけ、ユーチューブのコンテンツが楽しみになる。夕方4時ころになって、テレビの地震警報がけたたましく鳴った。震源地は能登。最初の警報では、ほぼ体感がないほどであったが、2度目の警報で大きく揺れた。震度は4であったらしい。激しい揺れは、2011年の3.11を思い...能登震災

  • 守歳

    大晦日の夜は寝ないで新しい年を待つ。このことをかって守歳と言った。新しい年を迎えるには戸外に雪があった方が、ふさわしく感じられる。今年はもう数時間しか残されていないが、このまま雪のない新年になりそうだ。数日前に雪景色の、ブログの絵を準備していたが、現実離れしたアイキャッチになってしまった。雪はなくても、近くの寺では除夜の鐘が聞える筈だ。川端康成の小説で、京都の祇園で知恩院の除夜の鐘を聞く話が出てくる。主人公が上がった料亭は、知恩院にほど近く、障子を開けると鐘を打つ僧の姿が見えるほど近さであった。「知恩院の鐘が鳴った。「あっ」と一同は静まった。あまりに古寂びて、ちょっと破れ鐘のようであったが、そのひびきの尾は深くただよっていった。まをおいて鳴った。間近で撞かれているらしい。」除夜の鐘は、テレビの「行く年くる...守歳

  • 満月

    昨日、満月がきれいだった。今まで見たなかで一番のような気がする。こんな月をこれからあと何度見られるかと思い、台所にいた妻に「月がきれいだ」と声をかけた。あまりのきれいだったので、友だちに電話していた。先方からも電話が来て、ひとしきり月の話題で盛り上がった。カメラを向けたが、あまりの煌々さに、いい写真にならなかった。一夜あけて、朝の7時ころ夕べの月がまだ西の空に残っている。今度は朝焼けに、山の端の月が写真に収まった。昨日の月の出入り時間を調べると、月の出16時16分、入りは翌日の8時3分となっていた。こんなに月に関心が強まったのは、年を重ねたせいかも知れない。見る景色は月にかぎらず美しく見えるし、食べものも新しい発見のようにおいしい。この季節、太陽が地平線に近く日没が早いため、月の出が遅く、入りが遅くなる傾...満月

  • 松川浦

    太平洋が見える地まで、車で1時間も走れば行ける。雪国と雪のない場所では、冬に対する感覚は大きく異なっている。ものの本によれば、積雪地は日本全土の53.3%で、そこに住む人は2000万弱である、ということだ。雪国を離れて、雪のない街に移住する人の話をよく耳にする。道路の除雪、屋根の雪降ろしなど、雪国の生活は技術の進んだ今でも厳しいものがある。雪のある景色を求めて、海外から観光にくる人も多い。反対に雪を見なれている者にとっては、見渡す限りの青空と光る海は、ぜひとも見たい景色である。松川浦は仙台から常磐道を上り丸森町へ進むと、やがて相馬。道に面した内湾だ。もう50年以上も前になるが、子どもたちがバスに乗って潮干狩りに出かけた場所だ。陸をふり返れば山が見える。今日歩く鹿狼山が見える。太平洋に面した地域と、日本海の...松川浦

  • 冬の花

    紀貫之は枯木に積る雪を花に見立てた。花のない季節である。いにしえの人は、寂しい季節も、そんな目で草木を見ることができた。雪がたくさん降ることは来年の豊作の吉兆でもあった。今の時代に目を移せば、どんどん雪のない冬になっている。山の積雪がないと、春に必要な水も心配である。この正月にかけては、なお気温が高く、一部の地方を除いて雪が降らないらしい。温暖化の傾向は顕著になっている。花の咲かない季節に、山の仲間からアルストロメリアの切り花をいただいた。ハウスで育てれば、冬もこうして花を楽しむことができる。玄関のドアを開けて入ってくると、華やかな雰囲気で迎えてくれる。まだ咲かない蕾がたくさんついていて、長い期間、目を楽しませてくれる。ラクスルというネットの印刷会社ある。手作り新聞をデザインして、文字を入れ、ネットでデー...冬の花

  • おでん

    明日はクリスマスイブ。ひ孫の部屋に、大きなクリスマスツリーが飾られた。週末は寒波がきて、雪の降るイブになるらしい。わが家も、ファミマからチキンを買ってきて、ささやかにひ孫の成長を祝いたい。寒さとともに、コンビニでおでんの売れ行きがいいようだ。業務スーパーでもおでん種が、煮るだけになって売っている。冬になると、なぜか食べたくなるのがおでんだ。昔、街のおでん屋さんへ、鍋を持参して買ってくる風景が見られた。伊藤信吉に「おでん異聞」と題する詩がある。昭和の時代に、おでんが愛されたいたことを示す楽しい詩だ。次はわたしが/他国の人を驚かす番だ。/ヒッパタキ/歯切れのいいこの形容詞は?/こんにゃくおでんを村ではこう言った。矩形や三角形に切った蒟蒻を/竹串にさす。/煮る。/熱湯からあげる。/布巾にくるむ。/まな板のうえで...おでん

  • 冬至

    冬至の朝、東のそらに青空が見えた。気温は朝方、零下になり、昼間も2℃ほどだ。北陸や北海道で大雪のニュースが流れている。冬至は昼が最も短く、夜が最も長い。この日を境に、日は次第に長くなっていく。「冬至、冬中冬初め」といわれるように、本当の冬はこれから始まる。暦の24節季は、当時を起点にしている。暦の始まりは冬至ということになる。この日、カボチャを煮て食べる習慣は、中国から伝わってきた。「ん」のつく食材は邪鬼をはらうものとして重用されてきた。カボチャは昔、ナンキンと呼ばれ、うどん、ギンナン、ニンジン、キンカン、レンコンなどは縁起のいい食材とされた。どの食材も、カロテンなど体にいい成分が含まれ、理にかなったものだ。さむざむと日輪あそぶ冬至かな飯田蛇笏先月らやり始めた、キャンバを使う「手作り新聞」が完成した。反省...冬至

  • 雪景色

    雪は一夜で戸外の景色を大きく変える。立ち並ぶ家々の屋根に雪が積もり、近くの山の樹々も雪を被った。12月にしては異常とも思われる高温が続いたが、一たん寒気が降りてくると市街は一面の雪景色だ。スキー場にも雪が降って、スキーを楽しむ人々の季節がきた。肘折の積雪が54㌢であったということで、朱鞠内、酸ヶ湯に続いて豪雪地の肘折も遅ればせながら登場である。やっと御三家が顔を並べた格好だ。はじめての雪闇に降り闇にやむ野沢節子低気圧が抜けていくのか、夜ガラス戸を震わせる風が吹いた。イヤホンで聞く眠りを誘う朗読は「メリークリスマス」であった。作家の書いたショートだが、作者名は失念している。秋の名月の夜に、高層マンションのベランダで月を見ていた主人公に笑いかけてきたのは、マッチ棒ほどの小さな女だ。近づいて手のひらを差し出すと...雪景色

  • 寒波

    ベランダの障子を開けると空に青空が見えるが、山は厚い雲に隠れている。予報では、寒波の襲来で明日にかけて平地でも雪。ガスが低山にかかり、山の上から雲海が見えることだろう。昨日、赤穂浪士の討ち入りの日。江戸の理不尽への抵抗は、今日でも映画やドラマで再現されている。権力者の沈黙、それは今日の疑獄事件でもその本質は変わらない。蕪村の句に易水にねぶか流るる寒さかなという句ある。さらに遠い歴史の、しかも中国にも語り継がれる暗殺事件があった。権勢を振るった秦の始皇帝を狙った事件だ。詩に映画に、いまなお詠い、語り継がれている。刺客は荊軻、遊侠と呼ばれる壮士である。燕の太子丹は、人質となって始皇帝の囚われの身であったあ。そこから燕に逃げ帰った丹は、強国秦と戦う術もなく、始皇帝暗殺で事態を開こうとする。推挙された荊軻は寒い冬...寒波

  • 枯野幻想

    この師走は、驚くようなニュースの連続だ。藤井聡太の8冠から、大谷翔平のメジャーリーグのFA大型契約。政界ではパーティー券のキックバック、裏金問題で大揺れである。縁のない巨大な舞台を見せられているようで、落ち着いた年末からかけ離れてしまった。パー券を売り歩く、政治家の背中を想像するとこの世界に広がる寂しさが押しよせてくる。吉井勇「寂しければ」寂しければ人にはあらぬ雲にさへしたしむ心しばし湧きたり寂しければせめて昔のおもひでの華奢風流の夢をしぞ思ふ寂しければ御在所山の山隈に消残る雪もなつかしとみつ寂しければまだ夜明けぬに戸を繰りぬ猪野々の里の深霜のいろ寂しければ深山の石を庭に据え腰うちおろす阿羅漢のごと「寂しい」の対極にあるのは「楽しい」。楽しい気持ちを増殖することによって寂しい心を脱却することができる。これ...枯野幻想

  • おいしい冬

    詩吟の仲間から、今朝掘った大根をいただいた。いつもなら雪の中から掘ってもらうのだが、大雪を過ぎても、雪がない。そのせいか、キャベツやニンジンも寒くなって甘さが増している。店に並んだ野菜たちが、手頃な値段になってきた。寒のブリもアラが出回るようになり、脂ののったブリで炊く大根は、冬の味覚だ。そういえば、フジりんごもぐっと甘味が増しておいしい。大根鍋というシンブルで手間のかからない料理がある。大根を厚さ2㌢くらいの輪切りにする。土鍋に大根を入れて、カツオ節や昆布でとっただし汁をかぶるくらいに入れて、中火で煮ていく。ほぼ火が通ったところで3㌢角に切った厚揚げを入れて、酒、塩、ショウユを少量加え、煮ながら大根を食べていく。煮えたてを食べると、大根自体の味が口に広がって、恵んでくれた人の顔を思い浮かべながら食べるの...おいしい冬

  • 大雪

    昨日、24節季の大雪。雪が降る季節ではあるが、小春日和の温かい一日だった。霙のような雪が降っても、平地に積るゆきではない。ただ、気温の変動が大きく体調に影響がきている。どうも胃の調子が悪く、普通に食べるともたれるような感じで、身体全体が重い。陽を求めて外を歩いた。公園の木々も葉を落とし、そのシルエットを見せてくれる。いつも感じるのだが、枝を伸ばす木の姿は美しい。樹種によっても異なるが、細かい枝が密生して形づくられる樹冠は、まさに造形美というべきだ。春になって開く葉芽は、寒さに耐えるように固く結ばれている。木の営みは、そのまま人に冬の過し方の見本である。冬籠なべて妻子に逆らはず金子星零子ウエブのデザインツール、キャンバの扱いにも馴れてきた。テスト版だが、趣味の会の新聞も作ってみた。表題の写真も、キャンバで作...大雪

  • 熊野山

    山の会の今年の締めは長井の熊野山。天気予報は雨と突風が来そうで迷ったが、午前中の晴れマークを信じて実行した。登山口の「学び館」に着いたときは、青空が広がった。スキー場のゲレンでにある間違い安いコースを取って、尾根に登る。近くに雨が降っているらしく、ダムが見える見晴らし台では、虹が見えた。この山は標高」669mだが、熊野山神社までの尾根道はしっかりしていて歩き易い。尾根道の脇は切れ落ちた斜面になっているが、イワウチワの群落が広がっている。春の花を見たいとの声も上がる。尾根道でたくさん見たのは、熊の糞。この季節でも、冬眠に入らない熊の目撃情報が出ている。暖冬と熊の冬眠にはどんな関係があるのか。もう20年も前に出版された熊研究家の米田一彦さなの『山で熊に会う方法』に当ってみる。熊は冬眠すると言われれが、米田氏に...熊野山

  • 虚空蔵山、城山

    上山の虚空蔵山に登った。月岡の上山城の駐車場に車を置いて、西の山地へ徒歩15分ほどで、この山の登山口に着く。茂吉も帰郷の折、弟の住む山城屋で温泉を楽しみ、弟とこの山を散策するのが好きであった。三角錐のこの山は、市街地や正面に見える蔵王山の眺望もすばらしい。寒気の中休み、蔵王は雲に閉ざされていたが、茂吉が見た上山の市街や田畑がよく見えた。眼下に平たくなりて丘が見ゆ丘の上には畑がありて茂吉かつて上山市長を務めた鈴木啓蔵は、上山の茂吉の歩いた跡を訪ねて、『茂吉と上山』を著したが、そのなかで虚空蔵山にふれ、「昔は高館という山城だった」と書いている。山の会には、古墳や城を研究する郷土史家のmさんがいる。mさんの案内で、この山が長谷堂城の戦いで攻め寄せる上杉軍を、退けた唯一の山城であることを知った。山道に入ると間もな...虚空蔵山、城山

  • 初雪

    11月の終りに、初雪になった。ベランダの向こうに、大粒の雪が舞い降りている。数日前、山形気象台で初雪が観測されたと発表があったが、こうして目の前に降ってくるのは、この冬初めてだ。いま亜熱帯の国々から、多くの観光客が来日しているが、この人々にも雪は珍しいものらしい。初めて見る雪に感動する人も多いようだ。道路に雪が積もるまで、身体を冬の日に馴らすまで、冬ごもりの日々が始まる。冬ごもり壁を心の山に倚る蕪村この冬も、雪の里山に雪を踏みに行く。その頃は、身体も雪に馴れ、カンジキで踏む雪の感触が楽しい筈だ。昨日、NHKのbsで、「メメントモリ」、死を考える番組を見た。次第に体内の細胞を再生する機能が失われて、食べ物を消化して細胞に栄養に行き渡らすことができなくなって死を迎える。いわゆる老衰は、死因の3位にまでなってい...初雪

  • あとひと月

    見納めと思っていた公園のモミジが残っている。寒気が入ってきたが、平地の積雪がなく陽ざしが届く日もあった。近くの里山でも、紅葉した木々が最後の光彩を見せている。例年であれば、冬支度をした山の姿をみられるが、今年は紅葉の景色が遅くまで見られる。暦はどんどん進んで、今年もあとひと月を残すばかりになった。『日めくり四季の』を開くと、この季節を詠んだ俳句にしぐれけりはしり入りけり晴にけり惟然ここ数日の日々の過ぎ方をみごとに表現している。エアコンの暖房を入れ、蒲団の足元に湯たんぽを入れる日々だ。こうして、今年も慌ただしく暮れていく。寝づらかった季節が過ぎ、朝、蒲団から離れるのが辛い日々となった。寝入りはなに、「眠れる昔話」をイヤホンで聞きながら入眠する。昨夜は、シンデレラ姫の物語であった。灰かぶり姫の境遇を聞きながら...あとひと月

  • 見納め

    今夜、この冬一番の寒気が入ってくる。明日の朝、眼が覚めると、一面の雪景色になっているかも知れない。秋に、きれいな紅葉を見ないまま、公園のもみじが今年の見納めになるかもしれない。この季節は、京都のお寺などの紅葉の見ごろの筈だが、こんなに北の地域でも記憶に残しておきたいようなもみじが見られる。幸運というべきか、異常というべきか。東京では、25℃を超えて、上着を脱ぐ人が続出している。何はともあれ、目に止ったモミジの写真が撮れた。陽が沈むのが早くなった。淡い夕焼けのなかで、空がうす暗くなって、里山の姿がくっきりと見えるのがいい。川端康成は、こんな景色を文にする名文家であった。東京の日の入りは四時半ごろ、11月のなかばである。午前は晴れて、午後は薄雲の出る日が二、三日つづいた。ほんとに薄い雲で、入日の西空は、雲が夕...見納め

  • 小雪

    今日、24節季の小雪。雪の季節ではあるが、まだ少ない、そんな季節だ。だが、空は晴れ渡り、気温も20℃と、この季節にしては暖かい。セーターだけで歩いても、汗ばんでくるような陽気だ。予報によると、週末からは寒気が入り、小雪らしい気候になるらしい。山の会の予定があるが、実施が難しい状況だ。午後になって、昼の月が出た。白くきれいな上弦の月だ。日が沈むと、月は明くるさを増し、光りが地上を明るく照らしていた。やはらかき身を月光の中に容れ林信子睡眠のことが頭を離れない。夜中に目を覚ましたり、寝つきが悪い日もある。よく眠れた日は体調がよく、運動をすることが楽しい。反対に、十分な睡眠でなかった日は、身体が重く、何をするにも積極的になれない。ブックオフに寄るたびに目についた睡眠に関する本を買っている。最近買った本だけでも、ス...小雪

  • 時雨

    温泉の帰りに虹が出た。太陽の軌道が低くなるせいで、この時期虹が出やすいらしい。東の千歳山の麓から、西の空へかかかるみごとな虹だ。折から、極地的な雨がさっと走りぬける。初冬の時雨だ。雨と光の定めないたわむれ、芳賀徹先生の『詩歌の森へ』の「冬来る」に使われた言葉だ。この時雨を追いかけるように虹がかかる。つらつらと杉の日面行く時雨加藤暁台今日、感銘を受けた言葉。佐藤一斉『言志四録』より。「少にして学べば、即ち壮にして為すところあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老にして学べば、即ち死して朽ちず」(晩録60)この書を現代語訳した川上正光は、サムエル・ウルマンの詩「青春」を紹介している。老いのとらえ方に、二人に共通のものがあることを認めたものだ。人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は自信とともに若く、恐...時雨

  • 古墳を訪ねる

    初冬の山行は里山が中心となる。今回は担当のmさんが造詣深い置賜地方の古墳を見て歩くいう企画になった。写真は南陽市長岡の稲荷森古墳である。4世紀の後半に作られたもので、墳長96m、後円径62m、前方巾30mと今回見たものでは最も大きな古墳である。こんもりと木の茂る神社の脇に、その巨大な姿を見せる。この古墳がつくられたことは、このエリアを治める権力者、氏の長が存在していたことを示している。墓の丸い部分には、その長の墓を埋め、前の長方形の高台につながる。高台は長の後継者がその地位につく儀式を行う場所であった。氏上の死とその子孫による権力の継承は、全ての氏人から見える場所で行われ、その大きさで権威づけられてきた。弥生時代になって、米が植えられ富が蓄積されていくと、生じてくる地域を治める力の誕生によって墓の様式が日...古墳を訪ねる

  • 熊の被害

    一気に寒くなった。北海道の朱鞠内では、68㌢の積雪を記録し、目の前の瀧山では3度目の冠雪だ。今年になって初めてエアコンの暖房を運転し、24節季の立冬を迎えた。車のタイヤも冬タイヤに替えた。函館で大学生がヒグマに襲われ、その山に入った消防署員3名を襲ってきた。ナイフで応戦し、首に怪我を負った熊は死亡し、その近くで大学生の死体が見つかった。ヒグマは人を餌として埋め、隠したものらしい。消防署員も追加の餌にしようとして襲ってきたと思われる。今年の熊の被害はあまりに多かった。秋田では、6頭の熊が群れて餌を捜すところが目撃されている。いよいよ熊も冬眠の季節を迎えたのでひとまずは安心ということだろうか。冬眠前の熊は、一冬の長い期間の生存のために十分な栄養を取り脂肪として貯えなければならない。その栄養源であるブナの実の不...熊の被害

  • 木枯し

    あの小春日和の翌日から、寒冷前線が南下してきて、一気に寒くなった。木枯しが吹いて、桜の紅葉した葉が、吹き寄せられている。いままで持っていた季節感が、崩れてしまった。寒風の吹くなか、朝散歩をかねた買い物に出かける。驚いたことに昨日まで、疲労感が足に残っていたが、以前と同じような足どりができている。木枯しが背中を押してくれるような感覚だ。夜中の睡眠時間が多くなって、その分身体の動きも軽くなる。胸を張って、背筋を伸ばして、正しい姿勢から心地よい歩きのリズムが生まれる。雲とぶやいつも北風ひびく丘谷迪子体調を崩した妻にかわって家事をした。3、4日して回復した妻が、鍋を磨いている。「いつも鍋をぴかぴかにしておくこと。これが私の自慢。」と言葉少なに言った。圧力鍋も、洗ったつもりであったが、たしかにピカピカではない。洗剤...木枯し

  • 小春日和

    昨日、冬至。まだ夏日やところによって真夏日もあるような陽気のなかで冬がやってくる。初冬の昨日のような好天は、望んでもそうは巡り会えるものではない。雲一つない青空と、あたたかい陽ざしがすっぽりと体を包んでくれる。無風、仲間に誘われて、笹谷までの峠道を歩いた。林のなかに入ると懐かしい匂いがする。葉が落ちて、枯れ葉がしき積る山の匂いだ。さかのぼって振り返ってみると、子どものころ遊んだ田舎の林で覚えた匂いらしい。その記憶は身体の深部に残って、こんな好天の日に記憶を呼び覚ましてくれる。グールモンの詩片が頭をよぎる。シモオン、木の葉の散った森へ行かう。落葉は苔と石と小径を被うてゐる。シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?笹谷の小径には、小川が流れている。その脇にある小径だ。昔、作られた階段の支柱と金属の踏み台が崩れ...小春日和

  • スマホから始まる

    固定電話の契約を止めて3ヶ月になる。固定には殆ど電話が来なくなった。それだけ、スマホを使う人が多くなったせいだろう。たまに電話が入るのは、どこで電話番号を調べたのか、通販の勧誘か、詐欺を疑うようなものばかりだ。ただ、知人にも固定を止めたことを知らせてないため、昔、固定で話したことのある近所の人から、スマホに電話が入った。用件を済ませてしばらく経って、その知人から「ラインやっているね。友だちになったよ。」と知らせてきた。近所にいて久しく言葉も交わしていなかったので、ラインで近況を話すことができた。離れた家族や、趣味の仲間だけでなく、同世代の旧知の人とラインでやり取りできるのは新鮮であった。これから、元気に生きていく、老人の知恵など交換したいと思った。スマホが脳によくない、という話が広がっている。これは、ゲー...スマホから始まる

  • 柿紅葉

    紅葉が散るのは、春の花が散るのに匹敵する。今年は、10月に高い気温が続いたため、まだ青い葉も多く残っている。そんななかで、柿紅葉が実と葉の紅葉が競っている。照りのある葉の紅葉は、柿のならではの色香を見せる。もう木の根のうえに散った葉が、積もり始めた。11月に入ったが、冬の気配が遠のき、季節外れの暖気がはいっている。これだけ一日のうちに気温差があると、つい体調が崩れる。木々の紅葉には、朝方の低い気温は必要条件である。老いし木の枝かたくなに柿紅葉水原秋桜子今朝、飯田の高台に朝散歩40分。昨夜の睡眠がよかったことが大きい。10時に就寝して6時に目覚めるまで、一度も起きずに寝た。スマートウォッチの睡眠チェックでも、深い睡眠がたっぷりととれている。そのため、身体が朝から動くことを求めている。トレッキングポールを持参...柿紅葉

  • 香りのある暮し

    11月というのに、ベランダに植えたバジルが花を咲かせている。花の茎を3、4本採って、小さなグラス挿して食卓におく。さわやかな香りがテーブルにただよう。スパゲッティのソースに生バジルを散らしたり、サラダの香りづけにもずいぶんと重宝した。娘がハーブの精油を何本も送ってくれた。鼻孔から入るアロマの香りは脳を刺激して、認知症を防ぐ効果があるという。そんな効果を期待して、送ってくれたらしい。義母の仏前に、毎朝、線香をたて、お茶をあげて手を合わせる。これも習慣になった。匂いと食欲には密接な関係がある。土用の丑の日には、ウナギを食べる人が多い。ウナギ屋では、焼いたウナギの臭いを団扇であおいで通る人にかがせる。あの香ばしい匂いが脳を刺激し、つい店のノレンくぐるはめになる。犬の嗅覚は人の何万ばいもの嗅覚を持っているらしい。...香りのある暮し

  • 南天

    10月も最後の日となった。朝の気温が下がって、南天の実がぐんと赤味を増した。菊の花が、花を大きく開いた。黄色があざやかだ。この一年も残すところ2か月、一日がまたたく間に過ぎる。ウェブデザインのサイト、キャンバに取り組んで2週間、やっと目の前のテンプレートが操れるようになってきた。目的の作業に至るまでの道のりが見えてきた。82歳の手習い、いくつになっても学ぶことは楽しい。このブログにも、キャンバの素材が使えないか、考えると時間が足りない。今日、詩吟の教室で習った詩は、朱熹の「勧学の文」。謂う勿れ今日学ばずして来日有りと謂う勿れ今年学ばずして来年有りと日月逝きぬ歳我と延びず嗚呼老いたり是誰の愆ぞや日が経つのは早く、その分年が早く行く。その時間を待ってくいれることはない。我、老いたりと嘆いても、もはやどうなるも...南天

  • 満月

    今日、満月。月の沈むころ、部分月食になる。空を見上げると、雲が多く出て、ネットでお借りしたようなきれいな満月は見られそうにない。10月の満月はハンターズ・ムーン。日没から月のでまでが短く、狩猟をする人々にはありがたい月であったらしい。秋の天気は変わりやすい。芭蕉の句にも、「名月や北国日和定めなき」と呼んで、雨や曇りで見られない月を残念がっている。先日、葯莱山に登った日、やくらいコテージに宿を定め、一夜、BBQを楽しんだ。陽が沈んで、空には13夜の月が出ていた。秋の夜でも、気温がさほど下がらず無風。コテージ前の街灯のなかでのBBQは、ほとんど望外の日和であった。BBQの炭火の残りに手をかざし、酔いにまかせて夜の更けるのも忘れた。この先、こんな楽しみに再び出会えるとは、衰えてきた想像力では思い描くことはできな...満月

  • 葯莱山

    尾花沢から銀山温泉をかすめ、鍋越峠をこえて宮城県の加美町に出る。近年、やくらいガーデンの誕生で、花見に行く観光客が増えている。あたりには、パークゴルフ場、温泉と近接するコテージ。家族連れや、高齢者の観光地として見直されている。事実、薬師の湯には、車が多く泊まり、ゆったりと温泉を楽しむ人の姿が多く見られた。我が山友会の恒例行事、山登りとBBQで秋を楽しむ企画にこの地が選ばれた。東京で雷に加えて雹が降る不安定な秋の日和であったが、ここ宮城の米どころは、この秋一番という日和に恵まれた。葯莱山は標高553m。スキー場脇の鳥居の脇が登山口になっている。上の鳥居まで林の日陰道を過ぎると、706段の木枠の階段で、頂上付近の神社に着く。所要時間はほぼ1時間。ダブルストックの練習には、ほどよい距離感だ。参加者は11名。夕方...葯莱山

  • 霜降

    今日、24節季の霜降。朝は気温が下がったが、霜降に似合わない暖かさだ。悠創の丘に、秋を求めた。悠創館で用を足したあと、裏の道から吊り橋を二つ渡ると、20分コースと標識のある遊歩道がある。階段のある急坂をのぼると、たおやかな斜面に芝生が張られた広場に出る。背の高いポプラの樹が聳え、秋の空の高さを強調している。ポプラの葉は少し、色づき始めた。この樹のみごとな紅葉の時期に、もう一度来たいと思った。芝生の草紅葉や、カエデがやっと色づき始めたばかりだ。広場の奥に、若い女性が犬を遊ばせている。犬も気持ちがいいのか、膝のそばでおとなしく日光浴をしている。ほかに、広場を散策する人が、一組、また一組、秋晴れの陽を楽しんでいる。トレッキングポールを持参した。この丘の広場で、ポール使いを習熟のためである。80歳の壁を越えて、衰...霜降

  • アルストロメリア

    戸外の花がめっきりと少なくなった。知人からいただいたアルストロメリアが玄関を華やかにしてくれている。今年も残り少なくなってきたが、注目していた日本の二人の天才。二人とも誰もがなし得なかった偉業を遂げた。野球の大谷翔平と将棋の藤井聡太。大谷はメジャーリーグでホームラン王、藤井は将棋の公式8冠を全制覇。大谷は9月に怪我で戦列を離れたものの、ア・リーグのMVPも有力視されている。二人に共通しているのは、明日を見据えて、更なる自身の強化を目指しているところだ。謙虚で奢らず、日々の努力で高みを目指す。天才に比して自らを省みるとき、残された時間で何ができるだろうか。心もとない限りだ。だが、新しいことを学んでいくことは続けたい。これから身につけたいのは、ウエブデザイン。canvaを使いこなすことに挑戦したい。趣味の会の...アルストロメリア

  • 雪迎え

    秋晴れと秋雨が交互にくるようになった。一雨ごとに、気温が下がる。昨日、テレビで札幌の雪虫が写っていた。子どもの頃、雪の降る前に、この虫がまるで雪が降るように飛んでいたのを思い出す。この季節になると、雪迎えという現象が起きる。これは、空を飛ぶ白い糸である。南陽市に住む錦三郎先生が、長年研究したものである。錦三郎の著書『雪迎え』から引用する。「晩秋の晴れた日、無数の子グモが、脚をつっぱり腹部を空にもちあげクモイボから糸を吐く。糸がある長さになると、クモは脚を放す。すると糸に引かれて雲は空のかなたへ飛んでゆく。その時の糸の集まりがつまり「雪迎え」である。」この現象は山形県の置賜地方で見られる。秋の「雪迎え」は飯豊の方から、蔵王の方面へと飛んで行った。冬をどこかの山中で越すためであろうか。春には「雪送り」と呼ばれ...雪迎え

  • 金木犀

    金木犀が咲くと秋が深まった印象が強い。天予報では、今日の最高気温は16℃、北海道では降雪が予想されている。安達太良山、谷川岳。今年訪れた山々に紅葉の見ごろになった、との知らせもある。雪が来る前に、短い秋を楽しみたい。そんなことを考えていると、山の仲間が立派な天然マイタケを届けてくれた。散歩の途中、城址の桜の木の根元で見つけたのとのこと。人生初めての収穫と言っていた。やはり、戸外に出なければ、こんな僥倖にもめぐり会うことはない。秋を楽しむとはこういうことか。蛤のふたみに別れ行秋ぞ芭蕉芭蕉、「おくのほそ道」の大団円。大垣に着き、旅を終えて伊勢へ向かう芭蕉の門人たちとの別れの句だ。長谷川櫂の「日めくり四季のうた」にも採られている。NHKの「英雄たちの選択」という番組で、芭蕉が取り上げていた。この番組に俳人の長谷...金木犀

  • 秋晴れ

    ここ3日間秋晴れが続いている。短い秋に、このような日々は貴重だ。暑からず、寒からず、冷たい風も吹かない長閑な日和だ。仲間と西黒森山を、歩いてきた。登山ではあるが、夏の高山に比べると歩きと言った方がいい。山中にはハナイグチ、スギカノカなどの初秋のキノコが大量発生していた。まだ、紅葉は低山であるので、ほとんど見られない。今月になってトレッキングポールを2本使用することにした。昨年の滑落事故以来、特に石の多い岩場の下りでは、恐怖感が先にたってバランスを崩し、高い山は無理と思うようになった。2本のポールの補助で、バランスがとれるようになり、あれほど感じていた恐怖感を抱かずにスムーズに下れるようになった。何より、疲労感がかなり軽減される。2本のポールが、姿勢を正してくれる。比嘉一雄の『姿勢筋トレーニング』によれば、...秋晴れ

  • 紅葉幻想

    今日、24節季の寒露。朝の冷気が一段と増す季節である。あれほど暑かった10日前が、朝夕寒い。鳥海山にも初冠雪がきた。異常な気象がやっと暦に追いついた。今日、蔵王のドッコ沼に行った人の話では、沼周辺の紅葉はやっと始まったばかりらしい。例年より1週間から10日遅いようだ。テレビの番組でも、紅葉を特集したものが放映されている。涸沢カールの見事な紅葉が放映された。ここを訪れたのは一昨年だが、紅葉には少し早い時期であった。テレビに撮られているような紅葉を見るには、よほどの幸運がないと不可能だろう。何度も通いつめてやっと見られる景色と思われる。高い視点から見下ろす箱庭のような紅葉の光景は、昨年の秋に見た月山の紅葉を思わせるものであった。この番組で紹介された紅葉番付は、東の横綱が涸沢カール、そして西の横綱が尾瀬沼となっ...紅葉幻想

  • 短い秋

    急に冷え込んできたと思ううちに、一昨日大雪山に、昨日は富士山に初冠雪のニュースが流れた。あの暑い日々は、もう記憶のなかのものになっている。ニラの花に蝶が止まっている景色も、懐かしいものになった。秋をすっ飛ばして冬がやってきた。二つ折りの恋文が花の番地を捜してゐる。(ルナール)蝶を恋文に見立てた、こんな詩句も懐かしい。ひ孫が生まれて1年3か月になる。歩くことを覚えたと思ったら、昨日の動画で走っている姿が写っていた。言えるようになった言葉が三つ。「お茶、ママ、ワンワン」。日々の早い流れが、そのままひ孫の成長につながっている。短い秋

  • 読書の秋

    カレンダーを一枚と切り取った。9月の蕎麦の花から、10月は赤湯の熊野大社の風花に変わった。たくさんの風車が回り、若者の思いを神様に届けてくれのが、風花であるらしい。曼珠沙華が咲き、山には紅葉が始まる季節。年老いた身には、秋の夜長に本を開くのも楽しみの一つだ。イギリスの詩人、ゴールドスミスにこんな言葉がある。良書を初めて読むときには、新しい友を得たようである。前にも読んだ書物を読み直すときには、旧友に会うのにと似ている。いつか読みたい本や一度読んで、も一度読もうと思う本は、本棚に溢れている。秋の夜長、司馬遼太郎の『街道をゆく』を開く。街道を歩け、そこに先人の歩んだ跡を訪ね、日本の国の辿った歴史を思いやる。もう、司馬のように日本中を歩き回る体力はないが、本のなかで街道を歩いている自分がいる。読書の秋

  • 岩木山

    岩木山神社の鳥居の真後ろに聳えるのは、岩木山である。津軽の人々は、旧暦の8月1日、お山参詣を行った。3日間をかけて、麓の神社から山頂の奥宮で朔日の日の出を拝んだ。太宰治は、『津軽』でこの日の様子を書いている。「毎年陰暦7月28日から8月1日に到る三日間、津軽の霊峰岩木山の山頂奥宮におけるお祭りに参詣する人、数万、参詣の行き帰り踊りながらこの町を通過し、まちは殷賑を極める」白装束に身を包んだ参拝者たちが、登山囃しの響くなか、「サイギ、サイギ、ドッコイサイギ、オヤマニハッダイ、コンゴウドウサ」と大合唱しながら、山道の参道を登った。この合唱の意味は、深田久弥によると「懺悔、懺悔、六根清浄、金剛童子」が訛ったものと解説している。ここで日の出を仰ぎ、山を降りてから麓の街では大酒盛りとなり、町をあげての五穀豊穣を祈る...岩木山

  • 月山の秋

    本当の秋に会いたいなら、月山に登るという手がある。昨日、涼しい朝であったが、月山の姥ケ岳に登った。リフトまでの林道は、風景はまだ秋は感じられない。長袖のシャツに、薄いジャケット。リフトに乗るとこれでも吹く風が冷たい。あの、猛暑の下界の記憶は高度を上げるとともにうすらいでいく。去年の秋の月山が記憶によみがえる。あの鮮やかな紅葉はまだだが、すでに姥ケ岳では草紅葉が始まっていた。山中では、先取りして季節は進む。夏山リフトは10月15日に営業を終える。この三週間で、紅葉は全山を染め、初雪から初冠雪へ季節が一気に進む。それだけに、少し目を放すと、あの見事な紅葉は散り果てて、山は眠るような冬景色へと変貌する。姥ケ岳の山頂までおよそ40分。木道や階段状に石を敷き詰めた山道である。秋を探しに、多くの人々が登っている。老若...月山の秋

  • 秋の日

    昨日からやっと秋が来た感じだ。タオルケットだけでは、朝方寒い気がする。眠りが深くなった。エアコンはつける必要もない。栗の収穫がニュースになっている。もう20年も前だが、山の栗畑を買った知人がいた。普通車がやっと通れるような山道の先に、栗林があった。その知人は親切で、栗の毬が風に吹かれて落ちるようになると、その栗林に誘ってくれた。林の中にたたずんでいると、あっちでポタン、こっちでポタンと、栗の実が見えている毬が落ちる。それを拾うだけで、すぐに籠いっぱいの栗が拾えた。鳴く虫をあらわに見つつ栗拾う水原秋桜子先日、ブックオフで木田元の『詩歌遍歴』を買ってきた。そのなかに珍しい詩が紹介されている。リルケの「秋の日」だ。やっと大陸からの移動性高気圧に日本全体が秋日和になった日に、この珍しい詩を読むことになるとは。何か...秋の日

  • コスモス

    今年、秋の花が淋しい。いつもは、どこもかしこもと言っていいほど、シュウメイギクが咲いていたが、今年はどこの花木も縮こまって、花木も花も秋草のなかに隠れるように咲いている。コスモスの花も、親水公園などでは、競って咲いたいあたが、今年はさっぱり目立たない。外来種が、日本の空き地を独り占めするかのようであったが、今年は散歩で目にすることすら珍しいものになってしまった。せめて、富士正晴の詩を読みながら、秋の日が身近になることを祈りたい。虫の音が聞かれなくなったコスモスの花がくたびれはじめた水が澄んで風が梢を鳴らして何にこころはせきたてられるのか烏の枕の実が朱になってゆれこの世のものではない灯のようだ山椒の実の赤は小さくて硬くクコの実は和らいで可愛いいそのような赤いものをまだ残る緑のなかに眺めて歩く華やかな季節はも...コスモス

  • シオンの咲くころ

    本棚から整理すべき本を、一冊、また一冊と取り出している。もう読むことはないな思う本にも、過去の記憶が体内の深いところで眠っていることがある。ちょっと、ページを繰ってみると、そこのは思いもよらない宝石のような記憶がよみがえってくることがある。シオンが咲いて、いよいよ秋が来たな、と思う日の午後であった。この日、手に取ったのは岩波文庫、ラム『エリア随筆』。本の帯に岩波文庫創刊60周年記念リクエスト復刊と大書されている。ラムがイギリスの随筆家であることはつとに知られている。ラムについて、その人となりをチャットjtpに聞いてみた。ラムはロンドで1782年に生まれ、1834年に52年の生涯を閉じている。クライスト・ホスピタル校に学び在学中に、著名な詩人と親交を結んでいる。卒業後は南海会社から東インド会社に転職、30年...シオンの咲くころ

  • グーグルキープ

    9月というのに、暑い日が続いている。それでも、それでも散歩道には、萩、コスモス、シュウメイギクなど秋の花が咲いている。涼しい風が吹くわけではないが、朝夕に涼しいなかで、やはり季節の花は咲く。叢のなかからは、コウロギの清らかな鳴き声が聞こえている。この暑さ、お彼岸の中日あたりはなんとかおさまってくれそうだ。家の時間が長くなったので、スマホのツールの使いこなしに時間をさいている。メモ機能に使うグーグルキープが便利だ。紙を持たずに、素早くメモができる。付箋紙にメモを書いて、張り付けておくような感覚だ。聞いた電話番号、バスの発車時間、買い物リスト。暮らしの場面で、キーボードで、音声で、カメラなど色んな手段でメモを残せる。山で見かけた花の名、鳥の声、季節を知らせる気象現象など。初めて聞く言葉、初対面の人の名、おいし...グーグルキープ

  • 月天心

    長谷川櫂の『日めくり四季のうた』の今日の俳句は月天心家のなかまで真葛原河原枇杷男である。一番たかいところまで上がった満月。野原の一軒家には、伸びきった葛の蔓が家のなかまで入り込んで花を咲かせる。うち捨てられた廃屋が、荒れ果てて、住む人のない凄惨さを月が照らし出している。能舞台では、こんな廃屋で3年も帰らぬ夫を待ちわびる哀れな妻の話も演じられる。月天心。本来、冬の月が空の真ん中にある状態を示している。俳句では秋の季語として扱われる。明月が空の中央で、煌々と輝き、廃屋と対比されたときその景色はいっそうの侘しさをかもしだす。真夏日が80日も続いて、地球の明日が読めない不安の日々。月天心の景色が、その侘しさをさらに深いものにする。月天心

  • 言語化

    残暑は厳しいが、空には秋らしい雲が顔を見せている。秋の訪れはは、ひ孫の成長も気にかかる。歩くことを覚え、今は言葉を身につけることに余念がない。「ママ」を覚え、「パパ」をママが教えている。パパ、という破裂音は、保育園の遊び道具を連想するらしく、ママの「パパ」という言葉への反応は手に持ったスプーンで、食器を叩くことから始まる。5回ほどパパと、ママが言い続けると、初めて口で「パパ」とはっきり発音する。ほめられて「できた」という言葉は獲得済みである。高齢のなると、テレビで初めて聞く言葉たくさん出てくる。フォーカッチャ、ホーキンソン、新しい学校のリーダーズ。パンやスポーツ選手の名、音楽グループの名など、聞きなれない言葉をそのままにしておくと、社会で活動している人との会話さへ成り立たなくなる。意味を調べ、メモにして言...言語化

  • みなかみ紀行

    この日、新潟の八海山の登山口を見てから、関越トンネルを通って、谷川岳登山の基地湯檜曾温泉湯の陣ホテルへ。ここはみなかみ温泉郷の一部になっている。みなかみ紀行とみなかみ温泉。歌人若山牧水の名随筆「みなかみ紀行」は信州の小諸を皮切りに、軽井沢から嬬恋、草津温泉。花敷温泉から水上の法師温泉、清水越えの湯檜曽にも触れる紀行文だ。酒を愛し、温泉で酒を酌みかわし、地元の歌人が集まって歌会も開かれる。奇しくも今度の山の旅は、牧水の足跡と重なっている。そもそも、みなかみという町の名は、この随筆からとって名付けられたもの、語るブログもある。みなかみ、水上。長い徒歩で山中の温泉を訪ねる目的は、牧水が片品川や利根川の、流れの源流を求める旅であった。沼田の近くの森の菅沼の近くで、草むらにむくむくと吹き出す水を見た。牧水は、案内の...みなかみ紀行

  • 夕べの雲

    空に雲が多くなった。真夏の青空がいつまでも続いて、猛暑日が終りなく続くと、空に雲が出てほっとする。幾分気温が下がり、吹く風に秋を感じる。夏の暑さに萎れていた身体に、生気がよみがえってきたような気がする。大気の状態が大きく変わり、秋雨前線が秋の雨を降らし始めた。夕べの雲は茜色に染まり、夏の終りの夕焼けになった。夕焼けて遠山雲の意にそへり飯田龍太グーグルの検索に、サーチLabsという新しい試みが始まった。新しい検索の試験版で、グーグルアカウント所持者に提供されている。検索の言葉を入力すると、生成AIが質問へ答えるように、懇切な回答が表示され、加えて検索のサイトがいくつも表示される。検索で、便利な回答を得る時代が終わりつつある。問題解決に、どんな問いかけをしていくか。そうした力をAIの技術を借りながら、新しい生...夕べの雲

  • 月の名

    5時に起きて空を見上げると、朝焼けの雲の上に有明の月が出ていた。31日が満月、翌1日は十六夜の月、そして今日は立待の月ということになる。なぜこうも月の名は色々あるのか。地球の周りをまわる月は、地球の自転のために、日によって軌道を変え、月の出の時間もめまぐるしく変わるからだ。満月の日は午後の6時40分ころすっとのぼり、この月はスーパームーンと言って、地球に近い軌道のため大きい。翌日の7月1日十六夜(いざよい)で、月はためらうように7時近くに登ってくる。月の入りも遅く、朝日が昇るのを待つように沈んでいく。今夜の月の出はさらに遅く、午後の7時30分だ。月の名をいざよひと呼びなほ白し竹下しづの女月に一度新月という現象が起きる。太陽と月が同じ方角で地球の間に入るため、月に当たる太陽光が見えない。光が尽きるという意味...月の名

  • 安達太良山

    夏山シーズンは最盛期である。異常ともいえるこの夏の暑さを避けて、高い山を目指す登山家が多い。わが山友会も、今夏のメインイベントで燕岳~東鎌尾根~槍ヶ岳の4泊5日の山行中である。この晴天で、眺望良しの報告が毎日届く。会ではこのレベルの山行に参加できない人のために、低山、登りやすい山を計画している。低山グループが目指したのは、福島の安達太良山(1700m)。奥岳温泉からロープウェイを利用するコースである。ロープウエイを降りるとすぐに目につくのは、皇太子ご夫妻登頂記念の杭が打たれている。道はしっかりした木道で歩きやすい道が続いている。山形市内の気温が38.2℃、空は雲ひとつない快晴である。安達太良山の山頂から見える空を「本当の空」と言ったのは、高村光太郎の妻智恵子である。あどけない話智恵子は東京に空がないといふ...安達太良山

  • 稲穂

    いくら異常に暑い夏であっても、秋は来る。5時ころの外は、さわやかな風が吹いている。田の稲穂は垂れ、スズメ除けのネットがしっかり張られている。蝉の鳴き声は絶え、草むらから虫の音が聞こえてくる。暑さのため中断していた朝散歩に出かけた。元気にウォーキングしている人の姿がたくさん見られた。朝のそよ風に吹かれて、人はやはり歩きたくなるらしい。高齢になると、手足のしびれを訴える人が多い。私の妻も長年この症状に悩まされている。方々の整形外科に診察してみても、高齢者に特有のもので完治するのは難しいらしい。今日、新しい整形の先生の診断をあおいだ。腰のMRIを取り、骨の狭窄や神経を診てもらった。心配した脊椎管狭窄症ではなかったが、腰椎が変形し、神経が触れているらしい。先生の提案で飲み薬が処方され、一週間服用して様子を見ること...稲穂

  • 秋めく

    朝の空を見ると、少し秋めいてきたような気がする。吹く風も、少し冷たい。この5日ほど35℃を超える日が続いていたが、今日の予報は33℃になっている。外に出て朝散歩もできずにいたが、今日はすんなりと日のさす親水公園に出かけた。日が照りつけると、まだまだ暑い。先日まで柿の実は青であったが、先端が色づいてきた。桃の川中島が収穫期を迎えた。古今集の秋の歌を思い出す。秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる藤原敏行朝、バジルの葉の収穫。妻に洗ってジッパーに入れ、冷凍にするのを頼んだ。道端の萩の細い枝の先端に、萩の花が一輪、二輪と咲き始めた。花芽はまだ小さく肩を寄せ合うようにしているのもあるが、少し伸びた先端に咲いた花は、いかにもの秋の先触れのような感じがする。市場に行ってツルムラサキを買ってきた。野菜...秋めく

  • バジルの花

    今朝も早朝から30℃に迫る気温だ。ベランダの鉢に水やりをしていると、バジルに可憐な白い花が咲いていた。少しでも爽やかさを味わうため、花を摘んでグラスの水に浮かべた。花はきれいなことはもちろんだが、いい香りが食卓に漂う。プランターに3本のバジルを植えたが、今年は随分と楽しませてくれた。サラダやトマトソースに、摘みたてのバジルの香りを添えるのはいかにもぜいたくだ。しかも、葉は積んでも積んでも、そのあとから成長してなくなることがない。秋口になっても、葉はやや硬くなっているが、寒さがくるまで十分楽しむことができる。aiチャットくんにバジルの楽しみ方を聞いてみた。すぐに箇条書きの10点が返ってきた。料理に使用する:バジルは、イタリア料理に欠かせないハーブです。パスタやトマト料理に加えると、さわやかな香りが広がります...バジルの花

  • 小さな秋

    この暑さいつまで続くのか。朝から青空で、陽射しがジリジリとすると、不安でこの先どうなるか心配になる。朝散歩も、暑すぎて、10分以上外にいるのが難しい。不安とストレスに押しつぶされそうな毎日だ。この時期、テレビや天気予報など、うっかり見ていると、不安がさらに募るばかりだ。散歩の途中で、青い柿の実を見つけた。猛暑に押しつぶされそう日々に、ふと見つける季節の移ろい。そう言えば、暑さがおさまる処暑も昨日だった。あと10日もしないうちに、涼しい秋が確実にやってくる。不安を募らせる必要はないのだ。甲子園に高校野球が終わるころには、毎年秋風が吹いていた。今年の高校野球は、大きな盛り上がりを見せた。丸刈りの坊主頭から、長髪へ。監督の指示待ちから、自主性の尊重へ。監督の信頼を得た生徒たちの、決断力が躍動した。これから、スポ...小さな秋

  • 35℃前後の日が何日続いているのか。もう10日、半月という長さだ。雨は降るそうだが、しっとりと農地を潤すような雨はない。雲の峰がいくつもでき、いつ雷がなりだしも不思議のない空模様だ。稲光男ばっかり涼むない柳多留江戸は部屋にクーラーもない。暑さをしのぐには、日が傾くころ、縁台に出て涼むほかはない。女子や子どもたちは、雷が怖くて夕涼みもできない。そんな諦めが、この川柳に出ている。雷が鳴ると臍を隠すという俗信がある。臍を出していると、雷が見ていて取りに来るというものだが、これにはある根拠がある。黒い雷雲が出ると、冷たい風が吹いてくる。夕立と雷鳴にはつきものだ。子どもたちが、裸になっているとお腹を冷やして風邪をひく心配があった。それを避けるため、臍を取られるという怖さを教えたものらしい。昔は、雷が鳴りだしたら、パ...雷

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