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2013/02/21

1件〜100件

  • 虫の音

    今朝の散歩で、草むらでコウロギの鳴き声を聞いた。きのうまで、木の茂みから蝉の声を聞いていたので、その変化のあまりの突然さに驚かされる。あれほど鳴き続けた蝉が、ぴったりと鳴くことを止めた。ものの本に、ある年の虫の初鳴きが記載されていた。スズムシ(7月25日)、キリギリス(7月27日)、コオロギ(8月20日)、カネタタキ(8月23日)、ウマオイ(8月28日)、クツワムシ(8月28日)。この著者によると、スズムシとキリギリスは飼育していたもので野外のものではないと注釈がある。飼育すると、虫の成長も早く野外のものより早く鳴くらしい。室生犀星の『全王朝物語』に「虫の章」という掌篇がある。この物語に登場する姫は、虫を好み、家の裏庭でコウロギを飼っていた。コウロギは用心深くなかな懐かない。だが、小鳥が好むハコベの葉を巣...虫の音

  • 白洲正子の言葉

    先日蔵王温泉を訪れ、上の台、須川神社の近くに、白洲次郎の別荘を見つけた。白洲次郎はイギリスのケンブリッジ大学に留学し、戦後の見本を代表する実業家で、吉田内閣のブレーンでもあった。1951年から東北電力の会長となり、その縁で蔵王に別荘を建てた。その妻は正子、こちらはアメリカの全寮制のハートリッジスクールに入学、厳しい教育を受けている。正子の関心は、『平家物語』、『枕草子』などの日本の古典で、生涯の愛読書は世阿弥の『花伝書』であった。私の本棚に白洲正子の本が3冊ある。『私の百人一首』、『能の物語』、『かくれ里』だ。「あたし、明日はこないかもしれない。そう思って生きているの。あんたもそうするといいよ。緊張して生きるようになるから。」(白洲正子)蔵王に建てた別荘はヒュッテ・ヤレン。スキーは上手くやれん、という意味...白洲正子の言葉

  • 体力の回復

    向日葵を探していた。例年なら、散歩道ですぐに目にする向日葵だが、いつも咲いていた場所に向日葵がない。ようやく、新しくできたホテルの北の小路に一株の向日葵が花を開いていた。4度目のコロナワクチンを接種して1週間。やっと身体の調子が接種前に戻ったような気がする。巷間言われているような副反応ではないのだが、心拍かなにか、どこか平常と違ってウォーキングにも自信が持てなかった。昨日あたりから、やっと平常に戻ったような気がする。向日葵の光輪あつき風を吐けり山口草堂筋トレに2つの新しいメニューを加えた。一つは30秒維持する姿勢。床に両肘とつま先を着け、身体を浮かせてまっすぐにするポーズ。最初は、肘が身体の重さに耐えがたいようで苦しかったが、3日を経てしっかりできるようになった。二つ目は家にある2㌔のダンベルを使用。ダン...体力の回復

  • 実の季節

    毎朝の散歩で、めっきりと花が少なくなったことに驚く。咲き残ったムクゲ、あの百日紅さえ、花が後退している。変わって顔を出しはじめたのが、木の実だ。花が終わって、ザクロの実が日に日に大きくなる。今週は雨の予報で、実にはしっかりと栄養を貯え、大きくなる季節だ。そういえば、ナスが美味しい季節になった。業スーで青果お買い得のラインがくる。今日は大ぶりの地元産のナス5本入り168円。九州では夕方ナスの畑に入る時、小石を畑に投げ入れる風習があったらしい。なんでも、ナスはカッパの大好物で、畑にカッパが先に来ていると、そこへ入った人間に悪さをする、という俗信があったらしい。ナスはみそ汁に、焼きものに、また山形のダシにしてもおいしい。昇る日のなかなか射さず茄子畑今村俊三実の季節

  • アベリア

    高齢になっても少しずつ賢くなることはある。以前から気になっていた親水公園の道路わきに咲く花の名を検索してみた。アベリアとある。別名、つくばねウツギ。春に咲くツクバネソウとは異なっている。この夏に覚えたノリウツギとこのアベリアとで二つの花の名を覚えることができた。人から教えられた花の名は、殆ど自分のなかに定着しない。こうして、気になった花を検索することではじめて定着できる。バスガール家路も花の煙草畑飯田龍太昨日、ブックオフで、福田甲子雄の『飯田龍太の四季』という本を買った。飯田龍太は山梨県の俳人で、父蛇笏の四男である。著者は龍太の門人で、飯田蛇笏から龍太に引き継がれた俳誌「雲母」の編集同人であった。龍太は山梨という自然豊かな環境で、戦後の伝統俳句の中心的存在であった。この本には、戦後、まだまだ貧しい国の自然...アベリア

  • 立秋

    今日は24節季の立秋である。立春からちょうど半年が経った。立春が一番寒い日々が続くのに対して、立秋はこれから最も暑い日が続く。しかし、朝、ベランダから室内に入ってくる風には秋の気配がある。朝に散歩で、稲に一斉に出穂していたのが見られた。粟粒のような稲の花も咲いていた。秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる古今和歌集コロナのワクチン4回目を終わる。今回は副反応もなく過ぎたようだが、朝、突然のめまい。ふらつきながら耳鼻科の医院迄、2週間分の目まい防止の薬を施法してもらう。知人のÝさんからマクワウリとスイカを頂いた。自宅の畑で作ったものらしい。細長いマクワウリは出身地の北海道で食べた懐かしい味である。プリンスメロンができてマスクメロンがもてはやされ、マクワウリは忘れ去られてしまった。このウリの...立秋

  • 蔵王温泉

    娘が久しぶりに帰省してきた。コロナの感染爆発ということもあったが、単身で帰省したのは、娘の結婚以来初めてのことのような気がする。55歳、もう80歳を越えた両親の様子をしっかりと見ておきたい。そんな気持ちがあったかも知れない。何故か、朝の散歩がしたい、と娘が言った。子どもの頃に歩いた飯田の坂道を歩きたいという。しきりに、子どもの頃の思い出を話す。もう忘れているようなことを、思い出としてたくさん語った。蔵王温泉に行ってゆっくりしよう、と提案する。久しぶりに温泉街を歩いてみたいと思った。所々にある共同浴場、ジンギスカンの店。どれも、若い時代の思い出に浸れる場所だ。今はもうあとかたもないが柏屋という旅館があった。その前の階段は温泉神社に通じていた。学生時代、この宿を起点にして全寮登山が行われた。伊藤中二郎という元...蔵王温泉

  • さびたの花

    散歩コースの祠に今年もノリウツギの白い花が咲いた。カシワバアジサイの花に似ているが、アジサイの仲間であるから納得できる。ウィキペディアを検索してみると、北海道ではさびたの花と呼ぶ。どこか懐かしい名だが、舟木一夫の歌った「サビタの花」がある。イヨマンテの伊藤久雄も歌っているから、北海道と縁の深い花である。サビタの花からまつ林遠い道雲の行くえをみつめてる誰を待つのかメノコの胸にほのかに咲いたサビタの花よこの花を「サビタの花」と名付けたのは、開拓のために渡道した人であったという。そもそもノリウツギという名は、和紙で使う糊をこの木の樹皮から採ったためという。花期が7月~8月ということで、晩夏の花である。事故の後、衰えていた体力が、暑い夏の到来とともに復活してきた。朝の散歩も、少しずつ距離が延びている。今日はこの辺...さびたの花

  • ワルナスビ

    蝉の声と川のせせらぎを聞きながら朝散歩。川の雑草地に、一面の白い花が咲いている。クマ蜂であろうか、マルハナバチが花の蜜を吸いに群れている。白い花はよく見ると、ナスの花のようだ。この場所に毎年咲くので、ワルナスビの花に違いない。これもアメリカなどからの帰化植物である。これも生命力が強く、地下茎張って増殖する。昨年見たときよりも、花の数は10倍になっているような気がする。実もなるが、毒を持っていて食用にはならない。誤食すると生命の危険もあるらしい。セイタカアワダチソウ、キバナコスモス、西洋タンポポなどの帰化植物はいずれも繁殖力が強く、古来の日本種が、生育地を追われ本家を乗っ取られそうな勢いだ。川に住む魚や亀、こちらは大陸から食用に持って来たものもあるが、外来種は生態系を破壊してしまう。人口の減少に歯止めがかか...ワルナスビ

  • コリンキー

    コリンキー、初めての野菜だ。見た目はカボチャ、ズッキーニのように若どりして、果肉を薄くスライスして生食にする。先日、尾花沢のSさん宅に行ったとき、頂いてきたものだ。βカロテンを豊富に含み、摂取すると体内でビタミンAに変わり、目や肌の若がえりに効果があるらしい。わが家では、一番簡単なレシピを採用。実は包丁が簡単に入る。縦に半分に割ると、種のところのワタを取り除き、3㎜ほどに薄くスライス。ビニール袋に入れてポン酢を加え、さらに少量のラー油をたらす。冷蔵庫にしばらく置いてポン酢が馴染むともう出来上がり。シャキシャキした食感、ポン酢の風味、ピンからの味がたまらない。初めて食する野菜にしては、違和感もない。オーストラリアのカボチャと日本のカボチャを掛け合わせてできた。山形が発祥の地らしい。名前も、コリコリとした食感...コリンキー

  • 百日紅

    百日紅が樹全体に真赤な花をつけた。炎天下に咲き続けるこの花から元気をもらう。この原種は熱帯アジアが原産地であることを考えれば、夏に強い花であることも納得できる。朝散歩は少し時間が遅れて、強い陽ざしのなかであったが、この樹を見ながら元気に歩き通した。百日紅ごくごく水を飲むばかり石田波郷百日紅

  • 桔梗

    渡邉みどりが監修した『美智子さまのお好きな花の図鑑』というのがある。これも先日、ブックオフから200円で求めた。この本を開くと、水野克比古が撮影した花の写真が実に美しい。美智子上皇后が好まれる花は、どれもが懐かしい日本の花である。桔梗の項を開くと、京都の蘆山寺の庭に植えられた桔梗の花の写真がある。図鑑では秋の花となっている。花期は7月~9月となっているから秋中心に咲く花である。古語辞典では、「きちかう(桔梗)」と項目が立てられ、キキョウは古くは「キチコウ」と呼ばれたことが分かる。秋草の一つ。と説明に加えて「きちかうの花。あきちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく」という和歌が紹介され、「あきちかう」と「きちかう」の語呂合わせのような用例が面白い。写真は山仲間のSさんの尾花沢の実家を訪ねたときの...桔梗

  • 伝説の山、翁山

    翁山は吹越山とつながり、尾花沢市、最上町と隣県の宮城県小野田町、宮崎町にまたがる県境の山である。登山口のハリマ小屋から、頂上に登り、吹越山の鞍部からハリマ小屋へ周遊する、およそ3時間の登山コースだ。分岐から小屋に下る坂道は急坂である。殆どがロープを張って、そこにつかまりながら下りてくる。30分強の急坂を下ると、足元には湧き水の湿地が広がる。背丈を越える笹は雑草の分けて進むと、小屋近くに一本の杉の木に看板が下がっている。「白髭の老人と白い鹿にお会いすることができましたか」と書いてある。白い髭の老人は、いわゆる翁。もう自分もその領域に達している。翁に会うことはさほど珍しいことではない。しかし、白い鹿は見たことがない。伝説の生きものか、とすぐに想像する。昨年も同じ看板をみているので、白い鹿の話はこのブログで書い...伝説の山、翁山

  • 千歳山

    開放した窓から色々な生きものが入ってくる。今朝は蝉。暑いのに比べて、蝉の鳴き声が聞こえないと思っていたが、玄関先の観葉植物にもぐるようにしていた。手にとってみると、羽を振るわせて鳴きそうな様子だが、本来の声は出ていない。手を離すと勢いよく空へ飛び去った。思い立って千歳山に行く。あの事故以来実に2か月ぶりだ。誰のサポートも受けず、一人で登るのは意外に勇気を必要とする。麓の駐車場はすでの満車状態で、一台分だけが空いていた。階段を登り始めると、蝉のジーという声が聞こえた。階段をしっかり時間をかけて登る。ここで心拍を抑えることが肝心だ。後ろから次々に追い越して行く。高校生ぐらいの少年がテーシャツ姿。背中には「男の修行」と題する詩が印刷されている。この時期、毎年咲くキキョウの株に来た。今朝、開いたばかりの花が美しい...千歳山

  • 岡井隆

    『老いの歌』に老いない歌人として岡井隆が紹介されている。老いないというよりは老いを感じさせないという意味だ。実際、岡井は2020年、92歳の長寿を全うしている。1946年、斎藤茂吉らのアララギに入会。1951年になって近藤芳美を中心にした「未来」の創刊に参加。その後、塚本邦雄と知り合い、前衛短歌の道を歩んだ。不来方の城あとに立ち老翁が十五の君をおもひみるとき岡井隆あの啄木の歌を下敷きにして、岡井は啄木の青春に思いを馳せている。岡井隆という歌人にそれほど親しんでいるわけではない。手元に一冊の著書がある。題して『遥かなる斎藤茂吉』。14年間の茂吉論の集大成、いう帯が付けられている。この本とて、さほど深く読んでもいない。一点あげれば、岡井がこの本のなかで、「沈黙」を注視していることである。沈黙のわれに見よとぞ百...岡井隆

  • 大暑

    今日は24節季の大暑。一番気温が高くなる季節である。だが、2週間後は立秋。いわば、夏から秋へのターニングポイントである。立秋に突然秋になるというものではない。大暑という節季のなかにも、秋の要素を孕んでいる。花が終わった樹々は、実の季節を迎えている。青いブドウの実のなかに、紫になっている実が混じっている。桜の黒い実は、すでに熟しきって、道ばたに落ちている。姫リンゴの小さな実が無数につく木も見つけた。今年は季節を先取りするような陽気が続く。心なし曇り空から吹く風に涼気を感じる。蓋あけし如く極暑の来りけり星野立子実の季節は、夏野菜の季節でもある。畑づくりを止めてから、知人から野菜を恵んでいただくようになった。キュウリやトマトのほか、ジャガイモやインゲンを届けてくれる。野菜の値上がりのなかで何ともありがあたいこと...大暑

  • 百日紅

    朝の散歩で、近所の公園の百日紅が咲いた。夏日が戻って、湿度の高いなかの散歩はもの憂い。だが、今年初めて見る百日紅は、自分にとって大きなニュースだ。昨日まで咲いていた花が萎み、秋の花が次第に勢力を増して来る。雨が上がると、途端に陽ざしが強くなり、第二の梅雨明けを実感する。一回目の梅雨明けの時に、本当だろうかと書いたが、この半月ばかりの気候のぐずついている状況で、これが本当の梅雨明けと言う人も増えてきた。病める子を守りて懶し百日紅佐藤春夫珍しい春夫の句である。昭和5年、谷崎の妻であった千代と結婚した春夫だが、妻との間に子が生まれた。名は方哉。当時の健康環境に問題があったのか、方哉は脚気を患う。多分、妻の留守の子守りであったか。真昼の子守は暑さと不馴れで春夫を悩ませる。庭には、暑さのシンボルである百日紅が咲いて...百日紅

  • アバター

    アバターという言葉を始めて聞いたのは、10年ほど前に大ヒットした3Ð映画の題名であった。遥か彼方の宇宙にある惑星。そこに、地球と同じ生命体がいた。そこから希少鉱物を採取して、地球に運ぼうというスぺタクルである。w惑星の名はパンドラ、住んでいる原住民はナヴィと呼ばれる。退役軍のⅮNAを持った人造生命体に操作員と同じ意識を持って、惑星に住むナヴィとの交渉にあたる。その生命体の名がアバターだ。もう10年も前の映画なので、その名も忘れていた。最近、このアバターにしばしば、出会うようになった。ラインのプロフィールにアバターがある。顔写真や花などを使う代わりに、動作付きのキャラクターだ。顔写真で似せた顔に、好みの髪型、服装、靴をはかせたページ上の分身である。残念なことにラインのアバターは若づくりにできていて、自分の年...アバター

  • カサブランカ

    昨年、球根を求め、ベランダの鉢で咲かせたカサブランカ。球根を掘り出すこともせず、そのまま放置していたら、今年は2本の樹になり、11個の花芽をつけた。小さかった花芽が次第に大きくなり、花をさかせそうになってから、待つ時間は長かった。今日は咲く、といってから5日。今朝になってやっと2輪が芳香とともに大きく開いた。花にはいつも人の思い出がつけまとっている。一昨年、亡くなった妻の同級生が、この花を好み、この時期になると切り花を届けてくれた。真っ白で無垢、奉公を放つカサブランカは花びんに差されて、部屋の主人公になった。その人が亡くなり、その思い出にと、植えたカサブランカ。晩年の、子どもに帰ったような笑顔が目に浮かんでくる。ためてゐし言葉のごとく百合ひらく稲垣きくの牧野富太郎によると、白花の百合は中国の特産で日本には...カサブランカ

  • ロダンの言葉

    意気投合し、お互いに詩才を認め合い、意気投合した二人の詩人。室生犀星と萩原朔太郎は、大正5年に同人誌「感情」を創刊した。日本の詩の世界をリードする雑誌が生まれた。二人はこの雑誌に自らの詩を発表し、同人となる詩人を募った。また、西洋の詩の翻訳を載せ、外国の詩の世界の紹介にも意欲的であった。そして表紙には、ロダンの言葉をフランス語で刷りこんでいる。そのロダンの言葉に共鳴するものがある。おそらく、同人誌の読者は若い知性が多かったと思われるが、高齢になった私の心を打つ言葉がある。「汚れのない朝は退き、その羞じらいは消えた。太陽が昇りつつある。大木たちは小さい雲を葉のように繁らせている。雄鶏が歌って挨拶をする。一人の女が通りかかった。彼女は両腕にとても小さい赤ん坊を抱いている。彼女は友愛をこめた挨拶としてそれを私に...ロダンの言葉

  • 山の音

    川端康成の短編、『山の音』を読んだ。主人公の尾形信吾は60歳を越えて、会社を経営している。妻は一つ年上の姉さん女房だが、丈夫で信吾の方が老けて見えた。信吾の悩みは、今日でいう認知症、記憶を失うことだ。妻と息子夫婦と同居しているが、家族は信吾の記憶係を分担している。自分の現在に比べて、こんな現実が近づいていることを感じる。「ええっと、ほら・・・。」こういう時、信吾は言葉も出にくい。「このあいだ帰った女中、なんと言ったっけ?」「可代ですか。」「ああ、可代だ。いつ帰ったっけ?」「先週の木曜日ですから、五日前ですね。」「五日前か。五日前に暇を取った女中の、顔も服装もよく覚えていないんだ。あきれたねえ。」父は多少誇張していると修一は思った。信吾は夜、眠りが浅くなっている。脇で寝ている妻、保子のいびきで目覚めることも...山の音

  • 月山の花

    昨日、梅雨の晴れ間のような天気。天くらの登山指数がAであるのに誘われて、ほぼふた月ぶりの本格登山になった。目指すは花の百名山・月山、標高1984m。リフトの駅についた頃は、すっぽりと霧が山を覆っていた。しかし、駅の前にはすでにニッコウキスゲの黄色い花が出迎えてくれる。リフトに乗って下の草むらを見ると、ここもニッコウキスゲが上の駅につくまで目を楽しませてくれた。『花の百名山』を書いた、田中澄江の言葉を引いてみよう。「木道の両側にはひらきはじめたニッコウキスゲの黄、ヨツバシオガマの紅が美しく、紫のハクサンチドリも点々と咲いている。チシマザサのかげにはシラネアオイも咲きはじめ、ウサギギクも鮮やかな黄に映えている。月山という山が、こんなに花のある山とは知らなかった。もう何度も月山の魅力に触れてきた。残雪がきらめく...月山の花

  • 唐糸草

    尾を垂らすようにして、鮮やかに咲く花。調べてみると、唐糸草とある。秋に咲く、ワレモコウ属の花である。美しいオシベを中国渡来の絹糸に見立てている。花ことばは「深い思い」「繊細」である。花ことばは少女が成長していく過程に、覚えるものらしい。大西民子の歌にそらんじてゐし花言葉つぎつぎに置き忘れ来し月日と思う人が成長して人生と格闘しているうちにあの「花言葉」を忘れ、秋の夕日に佇む。リラの花は「初恋」、シクラメンは「内気」、ひまわりは「すばらしいあなた」、そして唐糸草は「深い思い」。少女のころに、夢中で覚えた宝石のような花言葉は、人生の通り道に置き忘れていく唐糸草

  • 木槿

    木槿と書いてムクゲと読む。秋の花である。韓国では無窮花と書いてムグンファ、国の花にもなっている。ムクゲは韓国の言葉にも通じているようだ。中国では、「槿花一日の栄」という句がある。松が千年の栄を保つのに比べ、ムクゲの花は一日で萎む。ムクゲの花は韮の上の朝露にも例えられ、儚い花の命である。晩夏から秋の花だが、早い季節の先取りであろうか。川音や木槿咲く戸はまだ起きず木槿はハイビスカスや芙蓉の花を連想させるが、白花の木槿も趣きが深い。この時期に、白い花がすでに珍しいのだろうか。山へ行って、カタクリの花を見ていて、突然変異の白いカタクリに感激したこともある。高橋新吉の詩、「木槿の花」木槿の花の白さは何であろう雪よりも白い花びらを暑い夏の日盛りにほろげている遠い雲のような白さ木槿

  • 朝日を浴びる

    朝の風が気持ちいい。ここ数日、気温が下がって朝の散歩が楽しい。脳内にセレトニンが分泌され、散歩にリズム感が伴ってくる。日光を浴びると、体内時計がリセットされ、ビタミンdの働きが活性化される。歩くことで、足は血液の循環を促進する。脳の働きもまた活発化する。歩くリズムもまた大切である。テンポよい歩きは、セレトニンの分泌をさらに促進する。若山牧水や田山花袋など、明治の文豪はその健脚でも知られている。牧水は『みなかみ紀行』に川の源流への思いを書いている。「私は河の水上というものに不思議な愛着を感じる癖を持っている。一つの流れに沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其処にまた一つの新しい水源があって小さな瀬を作りながら流れ出している、という風な処に出会うと、胸の苦しくなる様な喜びを覚えるのが常であった。」こ...朝日を浴びる

  • 桔梗

    桔梗が咲いた。秋の七草に数えれているアサガオの花は、この桔梗であるとの説がある。トンボが飛び、桔梗が咲くというのは、秋の訪れを示している。そう言えば、春の桜が咲く頃から、今年は季節が2週間ほど早かった。6月の梅雨の季節に、40℃超えの猛暑日が続いてのも、季節が早いことの証しでもある。かへり梅雨きちかうの色ふかぶか木津柳芽牧野富太郎の『植物知識』に「キキョウ」の項がある。学名をplatycodongranddiflorum。platycodonはギリシャ語で広い鐘を意味する。granddiflorumは大きな花の意味だ。広く山野の日当りのいい場所に自生する山野草で、いつもいく千歳山にも、一カ所だけ毎年花を咲かせる場所がある。昔、山形の戸建て住宅に引っ越した時、隣の話好きなおばあちゃんが、この花が好きで、田舎...桔梗

  • 七夕

    七夕を太陽暦で祝うのは日本だけ。陰暦で七夕は立秋前後の8月8日頃にあたる。初夏の7月7日では、季節感が狂ってしまう。東北で七夕は月遅れの8月7日に祝うが、季節的にはこの方がぴったりくる。古代中国では、日中に、本や衣類の虫干しをした。夜になると、庭に台を出し、野菜や果物の供えものをし、その前で女たちが五色の糸を七本の針に通して、手先が器用になることを祈願した。機織りで、糸から布を仕上げ、着物にする。女性が担う大切な室内の労働である。星祭る竹を大手の跡に立つ水原秋桜子七夕

  • 寺山修司

    詩人で劇作家の寺山修司の本が2冊、本棚にある。1冊は、この人の編・著した『日本童謡詩集』と小さな文庫本『ポケットに名言を』である。折にふれて愛読しているのが、『日本童謡詩集』だ。この本は、4章からなっていて、1章は赤とんぼ、2章はしゃぼん玉、3章は花いちもんめ、4章はわれは海の子の構成で、童謡やわらべ歌の歌詞が紹介されている。しかし、所々に「網走番外地」や「下町の太陽」などの歌謡曲がはさまり、軍歌や大人になりかけで覚えた猥歌があったりして、昔を思い出す。子守唄の歴史が、語られていたり。童謡には、昔の生活の負の部分の考察も、びっくりさせられる。子守は、母親の労働を、助ける意味がある。まして、まだ子どもから、ちょっと成長したばかりの、女の子の受け持ちである。眠るために、脅かしたりすかしたり、大変な苦労があった...寺山修司

  • ベニバナ

    ベニバナが咲いた。この季節になると、高瀬のあたりまで、花を見に出かけたものだ。最近はめったに車で出かけることも少なくなって、たまに近所で植えられたこの花を見つけるとうれしくなる。私はこの土地の生まれでもないのだが、この花にあるとこの地の特産の花に会った気になる。以前、土地の人に聞いたが、昔、サクランボは東北であれば、どこでも栽培していた。戦後の経済発展の時代、サクランボは山形の農家しか栽培しなくなった。理由はサクランボが余りに手数がかかるためだったという。他の土地では皆、サクランボを切り、もっと手早く金になる方へ転換してしまった。サクランボと言えば、山形産ということになっているのは、手数を惜しまない県民性にある。ベニバナも同じことが言える。棘のある草に分け入って、棘が鋭くなる前の早朝に花を収穫する。一切の...ベニバナ

  • 生れる

    生れたばかりのトンボが室内に迷いこんで来た。飛ぶ力も弱く、手のひらのなかで弱々しく、足を踏ん張っていた。窓の隙間を見つけると、すうっと青空に向かって飛び去った。日光を浴びることで、羽を強くし飛ぶ力をつけるだろう。こんな発見のあと、ラインで娘が、ひ孫の誕生を知らせて来た。生まれたばかりの子は、両親の腕のなかで、落ち着いて目を開けていた。本当はまだ目ははっきりとは見えない。両親の腕のなかにいることで、安心を保つことができる。茨木のり子は詩のこころの第一に「生まれる」をあげている。この世に生を享けることは、詩の大きなテーマになる。そして、谷川俊太郎の「芝生」をあげている。芝生そして私はいつかどこかから来て不意にこの芝生の上に立っていたなすべきことはすべて私の細胞が記憶していただから私は人間の形をし幸せについて語...生れる

  • 七月

    今日から7月。すでに、6月に炎暑がやってきたので、夏は中ばを過ぎたような気がする。朝、飛び込んできたビッグニュース。孫の出産、区切りの日に曾孫の誕生である。7月1日と言えば、海開きに山開き。大自然に触れる日だ。この日は山形新幹線の開通記念日である。開通してから30年が経っている。その他、安全の日や童謡の日など、多彩な記念日がたくさんある。スモークツリーのモフモフの花が青空のもとで眩しい。最近、この木を庭に植える家が増えているような気がする。七月のこゑ白雲が蜂起せり千代田葛彦大分以前になるが、このブログで獅子文六の短編、『赤井鼻雄』を取り上げたことがある。農地改革で、土地を失った地主の息子が、辛ナンバンを肴にどぶろくを飲み、鼻が赤くなる話だ。獅子のユーモア小説の真髄を見せらた気がした。先日買った戸板康二の『...七月

  • 梅雨明け

    昨日、東北南部が梅雨明けした、と気象協会が発表した。タチアオイの花が、先端まで咲くと梅雨が明ける、言い伝えられているが、まだ先端まで4、5個蕾が残っている。先日もこれを見て、梅雨明けはもう少し先、と思っていた矢先である。やはり、先人の言い伝えというのは、間違いもあるのか。しかし、気象庁が常に正しいという訳でもない。梅雨入りや明けの発表の後に、それが違っていたと訂正を入れることも間々ああることだ。これほど、太平洋の高気圧が勢力を張り、晴れが続く見通しである以上、梅雨明け宣言もしかたのないところだ。梅雨の雷黴くさき廊うちひびき加藤楸邨人は何故日記を書くのだろうか。今年初めて咲いた花を見ると、感興がおきるし、ブログに書きとめてみたい気にもなる。紀田順一郎が日記について語っている。「大きな自然の動の真只中に漂いつ...梅雨明け

  • 進化するスマホ

    ホリエモンの本を読んでいたら、スマホの進化がすごく、もはや持ち運ぶコンピュータで、もうパソコンも必要がなくなったと書いていた。確かにホリエモンのように外に出て仕事をする人にはそうかも知れない。パソコンとスマホを併用する身には、パソコンは捨てがたい。ブログを書くにしても、ユーチューブを見るにしても、家にいつもいるのでパソコンが便利だ。文字の入力も、スマホのキーボードに馴れるにはまだまだ時間を要する。ユーチューブを見ていたら、お勧め動画として東大TVが目についた。コンテンツを見ると、「宇宙からの脅威」、安富歩「道」とは何か?『論語』と『老子』の世界観。長谷川寿一「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか」などなど、興味ある題名が目白押しだ。山行を遠ざかり、人生の楽しみを見直しているだけに、パソコンでこんな時間...進化するスマホ

  • 六の宮の姫君

    先週から、日本列島に熱波が来ている。昨日は群馬県の伊勢崎で40℃を超える気温が報告された。6月に40℃を超えるのは、気象観測が始まって初めての事態だ。加えて、6月中というのに東海や関東地方で梅雨明けが発表され、当地方に大雨警報、土砂災害警報が合わせて発表されている。ヨーロッパの熱波はもっと強烈でらしい。ベルギーなどはしばらく40℃を超える日が続いているらしい。テレビの情報番組が、1時間以上にわたってこの現象を特集していた。この現象は、地球の温暖化が背景にある。地上に住む全ての人々がに影響があり、これを阻止するには全ての人々が、今の生活レベルを下げる以外にない。政府や国家を批判しても、結果は変わらない。昨日、光禅寺の境内に花を見に行ったが、すでに花は咲き終わり、鐘楼の上の空が真夏の到来を告げていた。菊池寛の...六の宮の姫君

  • 菊池寛

    あのアクシデントから山行がなくなってしまった。登山ロス、仲間たちとの気がるな会話もできなくなっている。戸外の散歩も余りの高温と雨天で思うようにできない。勢い、近所のブックオフの100円コーナーを漁ることになる。河盛好蔵の『作家の友情』のなかに、菊池寛、芥川龍之介、久米正雄の話が出てくる。3人は第一高等学校の同級生だが、中学時代に経験を積んだ菊池が24歳で、芥川と久米は20歳。年が離れて、なかなか、心が溶けあうところまでいかなかった。一高で事件が起き、菊池は冤罪を被る形で京都大学へ行く。久米と芥川は東大にすんなりと入学した。当時の京大には,詩の翻訳で名をなした上田敏がおり、菊池はその伝手で文壇への登場を夢にみたようだが、偏狭な上田教授の姿勢に失望する。京都で孤独に沈んでいた菊池を救うのは、東大の芥川や久米な...菊池寛

  • 塩こうじ

    しばらくぶりにキャベツとキュウリにワラビの塩こうじ漬けを食べた。そのおいしさを改めて知らされた。特にキュウリはその食感、ついた味など絶品であった。初夏の浅漬けの味である。塩こうじがブームになったのは10年ほど前であったろうか。近所の奥さん連中も、スーパーの売り場に少ない塩こうじを競うようにして求めたものだ。その時に買った本が『塩こうじのおかず』。本棚の奥に眠っていた。ブームが去っても、この本にあるレシピで塩こうじを作り続けている。主に魚や肉に塩こうじをまぶしておいて柔らかにするのが目的である。しかし、初夏のキャベツやキュウリの時期になって、塩のかわりに塩こうじを使った浅漬けは、はっとするほどの美味しさだ。母が唯一のこしたレシピに『三升漬け』というのがある。これは、これから出る辛ナンバン1升、こうじ1升、醤...塩こうじ

  • ジャガイモの花

    ジャガイモには特別な思いがある。北海道の生家で広くジャガイモを栽培していた。6月になると、広い畑がジャガイモの花で覆い尽くされる。花が咲くと、農家では畝を立ててイモの生育の備えねばならない。この花を見ると、ジャガイモの畑で、一人で作業をしていた姉を思い出す。その姿から、心に悩みを抱えていたことが、子どもの自分にも容易に想像できた。今年、一番上の姉が天寿を全うして、94歳で他界した。それ以外の姉たちは、それぞれにストレスを抱えて、早く世を去っている。一番人生の辛い思いを抱えていたのは、すぐ上の姉であった。無口で、めったに自分の心を語ることはなかった。晩年になって癌からやっとの思いで生還したとき、「こんな病気にだけはなるなよ」と話してくれた。ジャガイモの花を見ると、この姉の姿が目に浮かぶ。ジャガイモの花を見る...ジャガイモの花

  • アナベル

    気温が30℃を超してくると、早朝の散歩がいい。そしてアナベルやカシワバアジサイの白い花が爽やかだ。もう一つ気になる白い花があった。庭の木に植えられているが、調べて見ると夏ツバキであった。木のもとにには、花が丸ごと落花している。やはり夏ツバキも、花茎のところか落ちるものらしい。平家物語の「沙羅双樹の花の色、諸行無常の響きあり」という有名な下りは、釈迦が悟りを拓いたとき、この木の花の下であったらしい。わが国には、なかなか本種がないので夏ツバキが代わりに植えられたらしい。さわやかな花と精神の充実には、想像をこえた作用があるのだろうか。昨日、歯科に行ってきた。いつもは、磨き方が下手と指摘されることが多いのだが、「磨き方上手になりました。歯垢が取れています。これからもこの調子で」と褒められた。幾つになっても、褒めら...アナベル

  • 夏至

    今日、夏至。一年で一番昼のが長い日になる。真夏日が増えてきたが、これから梅雨末期の大雨の季節だ。すでに、九州では雨雲が湧き出て、50㎜以上の雨が予報されている。歳時記を開けば、晴れた夏至はめったにないらしい。午後になって雲が垂れこめてきた。古沼を抱へて夏至の深曇り菅裸馬こんな日は漢詩の夏を読むのも一興だ。高駢は晩唐の詩人。渤海の王にまでなったが時代に波にもまれた詩人であった。その高雅な暮らしが偲ばれる。山亭の夏日高駢緑樹の陰濃くして夏日長し楼台は影を倒にして池塘に入る水精の簾は動いて微風起こり一架の薔薇満院に香し緑したたる樹々は、その陰を濃く池におとし、陽射しのつよい夏の一日は長い。高楼はその陰をさかさまにして、池の水面に映している。水晶の簾は、そよ風が吹きおこると、音をたてて動く。すると棚一面に咲きこぼ...夏至

  • 大頭森山

    雁戸山のアクシデントから1ヶ月、朝日町の大頭森山に行ってきた。本来の計画であれば、月山を越える六十里越街道を予定していたのだが、我が儘を言って、歩きの少ない大頭森山に変更してもらった。ひと月も山を歩かずに、いくら歩きの少ない処といえ不安が頭をよぎった。山中の道を駐車場に車を置いて、頂上までは30分と少しである。山のブナ林は、すっかり夏の装いである。少し勾配のある山道から、小さな道跡がある。この季節、笹の繁みを潜り、根曲がり筍を採りに入る道らしい。長く伸びた笹タケがあちこちに見えている。30分と少しで、頂上に出る。背の高い展望台がひとつ建っている。頂上の広場には、伸びかけたワラビがたくさん出ていた。気の置けない仲間が9名、ビニール袋を持ってワラビ採りに余念がない。展望台から360℃の展望では、月山から朝日連...大頭森山

  • アジサイ

    アジサイはまだ蕾のままと思っていたが、ご近所の庭で薄紫の花を見つけた。この夏、はじめて出会うアジサイの花だ。その脇に、夏椿の白い花が咲いていた。昨夜の雨が、季節をまた少し進めた。昨日、九州や西日本で梅雨入りが宣言され、いよいよ雨に似合うアジサイの季節だ。萩原朔太郎の詩、「こころ」は、その日ごとに変わる気分をアジサイに喩えた。こころをばなににたとえへんこころはあぢさゐの花ももいろに咲く日はあれどうすむらさきの思ひでばかりはせんなくて。こころはまた夕闇の園生のふきあげ音なき音のあゆむひびきにこころはひとつによりて悲しめどかなしめどもあるかひなしやああこのこころをばなににたとへん。詩人のこころはアジサイから噴水の音へ。刻々と時間に従って移ろって行く。そういえば、サクランボの実が熟し、遠くの親戚に贈る季節だ。思い...アジサイ

  • カシワバアジサイが咲いて雨模様、いよいよこの地方でも入梅が目前になってきた。蒸し暑い日と、肌寒い日が交互に来て、体調を崩しやすいこの頃だ。ブックオフまでの散歩は続いている。昨日買った100円コーナー。北村薫篇『名短篇、ここにあり』、北村薫『続・詩歌の待ち伏せ』、渡邉みどり監『美智子さまのお好きな花の図鑑』。加えて新刊『スマホ困ったときに開く本』。名短篇のひとつ、円地文子『鬼』が恰好の読み物だ。雨模様のなかで、室内でページを気軽に開ける。熊野の旧家の生まれの土岐華子。その母は民子と言った。家は大きな材木商であったが、父が浪費家で殆ど財産を使いはたして死んでいった。残されたわずかの財産を貸して、一家は生きていたが、娘は上京して雑誌の編集者になっていた。作家の筆者が、華子の結婚が次々と駄目になったいきさつを聞く...鬼

  • 賢治ワールド

    賢治ワールドの舞台は、あの深い岩手の森だ。そこへ木を伐り出す杣仕事の父について山小屋に泊り、馬を引いて炭を運びに来た人について家に帰る兄弟少年の話だ。結論から言うと、山中で馬を引いて行く人が、同じ仕事の仲間に会い長話になった。家に帰りたい、とはやる気持ちを抑えられず、兄弟二人が峠道へと歩くがそこで雪が降り出し、雪のなかで遭難してしまう。雪のなかで気を失う弟の楢夫。それを必死でかばう兄の一郎。雪に加えて風が強くなる。そこから、一郎の見た夢うつつの世界は、殆ど臨死体験と言っていい。「雪がどんどん落ちてきます。それに風が一そうはげしくなりました。二人は又走り出しました。けれどももうつまずくばかり。一郎がころび、楢夫がころび、それにいまはもう二人ともみちをあるいているのかどうか、前に無かった黒い大きないきなり横に...賢治ワールド

  • ひかりの素足

    昔、テレビの人気番組に「ジェスチャー」というのがあった。出演者は紅白に分れ、視聴者が出す問題を、出演者がジェスチャーのみで演じ、正解を紅白で競うものであった。白組の大将は柳家金五郎、紅組の大将は水の江瀧子。司会は小川宏であった。テレビを視るということは、こんな娯楽番組で笑いながら、家中で答えに様々な出演者の動きに一喜一憂する。金五郎はこの時代のテレビのヒーローであった。金五郎の長男は山下武と言って、戦後の暗い時代に、古書店で本を集め、読書の世界に耽溺し、椎名林蔵の指導で小説を書く、という文人であった。何故か分からないが、私の本棚に山下武の著書が2冊と紀田順一郎との共同編集した読書論の本2冊がある。書名は『青春読書日記』、『古書の誘惑』で編集した大部の本は『書物と人生』1、2である。会社に勤めていた頃、読書...ひかりの素足

  • 志気に老少なし

    佐藤一斉の『言志四録』を携えて、ヨーロッパを旅行した人がいる。空港で融通の利かないボーイとやりとりしながら、少し時間が空くと、その本を開いて一斉の警句を味わう。日本の伝統が、西洋の文明のなかで、明瞭な姿を見せる瞬間だ。人間の体力から発する血気では、老人と青年では大きな違いはあるが、精神から迸る志気では、老人と青年にさほどの違いはない。それゆえに、老人が勉学するときは、志気をはげまして青年に負けてはならない。青年は今日学ばずとも先に明日があるが、老人には取り返す日は来ない。謂うこと勿れ、今日学ばずして明日ありと謂うこと勿れ、今年学ばずして明年ありと日月逝きぬ。歳、我と延びず嗚呼、老いたり、是れ誰の愆ぞや『言志四録』を開いて、小島直記が記すところを確認する。高齢になって学ぼうとする佐藤一斉の志にうたれる。到底...志気に老少なし

  • 季節の花

    春が待ち遠しいのは、雪が消えて咲く花に再会したい気持ちがあるからだ。そいう意味では、6月の雨を含む季節は、次々と季節の花を咲かせる。山を彩った藤の花がなくなり、それを追うように咲いた桐の花ももう姿を消したであろうか。筋肉痛も収まってはきているが、行動範囲がずいぶん狭くなった。想像だけで、季節の移ろいを感じている。三好達治の詩に「桐の花」がある。夢よりもふとはかなげに桐の花枝を離れてゆるやかに舞いつつ落ちぬ二つ三つ四つ幸あるは風の吹かれておん肩にさやりて落ちぬ色も香も尊き花のねたましやその桐の花昼ふかき土の上よりおん手の上に拾われぬ人生に大切なものに「感動する」ことを上げる人がいる。ビジネスマンで読書家、証券業協会の副会長を務めた山内隆博さんだ。山内さんは語る。「人生で何が大切か、といったら、ものごとに感動...季節の花

  • 自然の治癒力

    2,3日目まいに悩まされている。蒲団のなかで寝返りを打つとき、床から起き上がる時、突然、天井が大きく回る。10秒ほど姿勢を支えて待つと、何もなかったように目まいが収まる。歩行のおりにも、ふらつく感じする。耳鼻科に予約をとって診察を受ける。あの滑落事故の後遺症か。不安がよぎる。診察の結果は、滑落による後遺症ではなく、新たな目まいが始まったとの見立てだ。歩行中のふらつき感も目まいが原因であることが分かった。一週間分の目まいを抑えるクスリをもらい、飲み始めて三日。目まいは収まってきた。家を出て、咲いている花を探す。水の流れや、咲く花に治癒力があるのか。滑落時の打撲の痛みもほぼほぼ無くなってきた。神谷美恵子の『生きがいについて』は、病からの回復中の身にはありがたい本である。生きがいを失った人が、自然の治癒力を説く...自然の治癒力

  • 萬盛庵

    沢村貞子の随筆『私の浅草』に「萬盛庵物語」という一項がある。貞子が子どもだった頃、浅草奥山にあった蕎麦屋の話である。蕎麦屋の話というより、この老舗蕎麦屋に嫁入りしてきた、芸者上がりのおとめちゃんの話である。蕎麦屋は300坪もある大店である。そこの若主人に見染められて、おとめちゃんは嫁入りしてきた。店の嫁となったおとめは帰宅した若旦那を小首をかしげて「あらお帰りなさい」と出迎える。見ていた大旦那が注意した。「お前さんは、いまはそば屋の女房。からだにそんなしなをつくっちゃいけねえ。あいさつはちゃんと坐ってするもんだ。ほら、こうして」と自分で両手をつかえてみせた。「すみません。こうでしょうか」とおとめは大旦那がするように、何度も何度もおじぎの稽古をした。見ていた大旦那も、妹も若女将が気にいって、それからというも...萬盛庵

  • 六月に思う

    新しい月がやってきた。梅雨を迎え、サクランボの出荷が始まる月だ。5月は、夏と春が行きつ戻りつ、安定しない気候であった。五月晴れもあったが長続きはせず、沖縄では線状降水帯による大雨であった。あと5年以内に、地球の温度が年間平均で1.5℃上昇するという予測が出ている。関東地方が九州や沖縄のような気候になり、農作物、水産物の収穫が大きく変動する。地球の危機は、もう幾ばくも無い余命しかない者の心を暗くする。六月の瀬田を眩しむゆきかへり葭葉悦子喜びや生きがいについて考えたい。神谷美恵子の『生きがいについて』という本が本棚にあった。ページを繰ると、昭和35年に文化勲章を受けた数学者の新聞記事になった手記が紹介されている。「小学生の5年のころ、ある日、山へ昆虫採集に行って、美しいチョウをを見つけ、とうとう夕方まで、そのチョウ...六月に思う

  • 漢字

    散歩コースに咲く花は、次々に新しい花を登場させる。同時に、咲き終わって、主役の座を新しい花に譲る数々の花。梅雨入り前は、忙しい季節だ。牡丹に変わって、優雅な姿をみせる芍薬。戸外に出ると、いつも新しい発見がある。芍薬の朝のしづけさは我しづけさ水原秋桜子アクシデントでできた時間。せっかくの神に与えられた時間だ。老い行く自分にじっくりと向き合える時間でもある。足腰が弱っていくなかで、どんな生き方があるかじっくりと考えたい。本棚に眠っている本ともう一度再会する。それは、時代のなかで自分が向き合ってきた世界である。悲しいことに、過去に抱いていた興味は、すでに忘却の彼方、辛うじて数冊の本が棚の隅に眠っている。もう一度その世界を降り起してみたい。50代の半ばに詩吟を始めた。そのせいか、漢詩や漢文、漢字ついての本が書棚に並んで...漢字

  • 薔薇

    薔薇が咲いた。世の中にはこよなく薔薇を愛する人がいる。家の周りにこんな風に薔薇を咲かせているお宅は薔薇好きであるに違いない。こんな風な薔薇の花が、牡丹のように花びらを落すのはいかにも忍びない。薔薇好きのの人は花をどうするのか、疑問に思っていたある日、盛りの薔薇をポリバケツに摘み取っていた。乾燥させてポプリにする、自家製ローズウォーター、直接食べるなど様々な利用法がある。このお宅の人は、どんな利用法をしているのか興味深い。西脇順三郎の詩、「体裁いい景色」の一節洋服屋の様にテーブルの上に座って口笛を吹くとペルシャがダンダンと好きになる何しろバラに花が沢山あり過ぎるので窮迫した人はバラの花を駱駝の朝飯にする季節は夏を先取りしているようだ。梅雨を思わせる雨の翌日は快晴。太平洋側で30℃を超える真夏日の予報だ。こちらは2...薔薇

  • 老いの歌

    あのアクシデントから10日、ようやく身体の痛みは取れてきた。大腿筋の痛みは、筋肉痛と思っていたが、まだ残っているところを見るとそれに損傷が加わった気がする。血圧もアクシデント前に戻った。体温が少し高いが、まだ炎症が収まり切れないのか。それにしても怪我はないのに、これだけのダメージがあるのは驚きだ。歌人小高賢の『老いの歌』は身につまされる本である。同じ世代の人々の、日々の暮らしの歌が数多く収録されているが、同感できるものばかりではない。むしろそのような日々が来て欲しくない。その中でやすらぐのは、曽孫を詠む歌だ。宮英子、夫柊二の亡きあとの作に半年も逢はぬ曽孫林檎ちやん走って跳んでおしゃべり四歳というのがあった。孫がラインで気をつけて、と言ったいきたので、お腹の子元気?と聞くと元気、月を越すといつ生まれても大丈夫だか...老いの歌

  • カキツバタ

    アヤメの咲く季節になった。花の世界でも、外来種が優勢である。ジャーマンアイリスがその妖艶さを誇っている。ご近所の庭でも、アイリスが今を盛りと咲いている。原産のアヤメやカキツバタが懐かしい。唐衣きつつ馴れにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ在原業平ご存知、カキツバタの五文字を詠み込んだ、業平の歌だ。愛知県の八橋。カキツバタの名所だ。業平はここで妻を偲ぶ名歌を詠んだ。同行した一同は、この歌に涙を流したという。素朴にして奥ゆかしい和歌の世界。カキツバタ

  • 炳燭の明

    本を読みたいが、いつもの枕頭の読書では、打撲した肩が痛くて、長時間は無理だ。椅子に座って、机に本を置いてページを繰る。あたり前の姿勢を、この年になって取り戻している。手元に加藤徹『漢文力』という本がある。偶然、本棚から取り出したものだが、意外に読みごたえがある。この年齢になって、気づかされることも多い。紀元前500年ころの晋に平公という王がいた。そばにいた盲目の楽師、師曠に問うた。「わしはもう70歳になった。学びたいと思うが、もう日は暮れて遅いような気がする。」師曠が答えた。「日がくれたなら、どうして灯火をともさないのですか」平公「これ、わしをからかうのか。日が暮れたと言ったのは老いたという意味じゃ」師曠「目くらの臣がからかいを申すなぞ滅相もありません。臣はこう聞いております。若くして学べば周囲を明るくする。壮...炳燭の明

  • 知魚楽

    卯の花が咲いた。垣根の卯の花は、白い花で知られる。これはピンクだが、紅ウツギだから卯の花と言っていいのではないか。この花が咲いても、まだホトトギスの声は聞かない。打撲の痛みは、日に日に軽快している。ところで、人の心をどのように知るのだろうか。荘子にこんな逸話がある。川を泳ぐ魚を見て、「魚が楽しんでいる」と荘子が言った。すると、一緒に歩いていた恵子が言った。「君は魚じゃない。魚の楽しみが分かるはずがない」荘子「君は僕じゃない。僕が魚の楽しみが分からないと君が分かるはずがない」恵子「君は僕じゃないから、もちろん君の内面はわからない。君も魚じゃないから、魚の楽しみを分からないことは確実だ。」荘子「それは、つまり他者である僕の知覚能力を知っていることだね。僕も同じさ。川の辺で、他者である魚の楽しみを知ったんだよ」。有名...知魚楽

  • 末期の眼

    「末期の眼」という言葉がある。人は死を意識したときの眼で見ると、自然はひときわ美しく見えるという意味だ。芥川龍之介は、自死の直前、友人に手紙を送っている。その手紙に「唯自然はかういふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然が美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども、自然が美しいのは、僕の末期の眼にうつるからである」18日の登山中に事故が起きた。蔵王の雁戸山に宮城側の笹雁新道を登った。足の状態は、普通とさして変わらなかったが、筋肉疲労がいつもよりつのった。3時間ほどの登りで頂上について、普通にお握りを食べ、スイーツを食べて下ったのだが、急坂で筋肉を使い果たした気がする。足がプルプルと震え、仲間から芍薬甘草湯を貰い、休憩しつつ危険個所を過ぎた。4時を過ぎて辺りは次第に夕景になっていく。最...末期の眼

  • タンポポの綿毛が風を待っている。吹かれた風に乗って、種を少しでも遠くに運びたいからだ。この時期、戸外に出て深呼吸がしたい。厳しい山堂で冬を過ごした良寛はむらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば良寛春の喜びを詠んだ。風のなかで、鳥や花を愛で、自然と一体になることで人は生きる喜びを感じる。堀辰雄の『風立ちぬ』にも、「風立ちぬいざ生きめやも」の詩の一片が巻頭にある。もうひとつかみしめてみたい谷川俊太郎の詩。息風が息をしている耳たぶのそばで子どもらの声をのせみずうみを波立たせ風は息をしている虫が息をしている草にすがって透き通る胎を見せ青空を眼にうつし虫が息をしている星が息をしているどこか遠くで限りなく渦巻いて声もなくまたたいて星が息をしている人が息をしているひとりぼっちで苦しみを吐き出して哀しみを吸い込んで人...風

  • キングサリ

    朝の散歩は、花に待ち伏せされたような気分になる。黄色なフジのような花も、この季節、突然、木が花に被われてしまう。「あなたが来るのを待っていたよ」と花が、そんな風に告げている。キングサリ、原産ちの英名はゴールドチェイン、花の形状を示して分かりやすい。この花も、近所の庭に植えられていて、ここでしか見られない珍しい花である。きれいだが、花や若葉に毒を持っている。マメ科で馬酔木のような植物である。『花の事典』の記載を記す。花ことば:哀調を持った美しさ。夏の暑さに弱いが寒さには強いので関東以北では庭植えが可能。日当たりと水はけよく夏に西日の当たらない場所に植える。近所のお宅では、まさに事典に記載どおりに植えられている。そのためか、この花が木いっぱいに咲くと驚かされる。この花が終わると梅雨の季節がやってくる。キングサリ

  • 七ツ森

    高速の東北道を北進して大和インターの辺りまで来ると、西方に頭をポコポコと出す低山が見得る。今週目指したのは、この七つ森だ。七つある山には薬師如来の石像が祀られている。この七つの頂上を一日で登り、お薬師さんにお参りすると無病息災が叶うという。宮床の地区民が行う「七薬師掛け」である。(続く)七ツ森

  • 光禅寺の花たち

    光禅寺は山形城主・最上義光の菩提寺である。市内鉄砲町の境内には、義光、家親、義俊三代の墓がある。庭園は江戸初期の遠州流の名園である。この季節庭の牡丹が見事だ。毎年、咲く時期に会わせて見に行くが、時季を誤って、盛りを過ぎたころ訪れることが多い。義母の家がすぐ脇にあったので、生前は見逃すことはなかったが、亡くなってからは決まって遅れたような気がする。今年は辛うじて、落花の前に見ることができた。やはり、牡丹の華やかさに圧倒される。蕪村ほど牡丹の句を詠んだ俳人はいない。咲き誇る牡丹の命は短い。花弁が散って残骸となっていく姿を見たくなかった。そこで、切り花ということになる。けふや切るべき牡丹二もと蕪村ぼたん切て気のおとろひし夕べ哉蕪村ちりて後おもかげにたつぼたん哉〃庭園の向こうにある庫裡には、打って変わって小さく可憐な三...光禅寺の花たち

  • 新緑の藤倉山

    藤倉山は鶴岡市三瀬の里山である。標高は651mに過ぎない。だが三瀬駅から田圃のある集落をぬけて、獅子畑の登山口に向かうと、車一台がやっと通れるほどの狭い林道を行く。すでにGPSのナビも終わり、登山口がどこにあるのか心細い行程となった。所々に、ようこそ藤倉山への看板が見え、やっとの思いで登山口に着く。連休も終わった7日、絶好の好天に恵まれ、参加者16名にとって新緑に浸る一日となった。登山口から急な坂道を、ジグザグに切られた山道を行く。道は腐葉土でふかふかとして柔かい。新調した「ホッカオネオネ」の山靴が、丁度道にフィットして歩きやすい。朝からすでに20℃を超え、軽装にもかかわらず歩き始めてほどなく汗が出てくる。高度を稼いで、1時間ほどで中間点の展望台。高度500mほどで、山中はブナの深緑である。早春の花は終わりを告...新緑の藤倉山

  • 午前2時の至福

    睡眠導入剤に頼らなくなって1週間になる。SWの示す睡眠の点数も80点を超えることが多くなった。朝起きて、目覚めが爽快なことと、その後の朝散歩が実に気持ちいい。もう一つ思いもしなかったいいこと。真夜中に至福の時間が持てるのだ。疲れて寝ると、9時就寝が多い。一寝入りで、午前2時ごろに目を覚ます。枕元に前日買った本が積んである。北村薫『詩歌の待ち伏せ』。トイレに立った後、本のページを繰る。作者を待ち伏せていた啄木の歌にある朝のかなしき夢のさめぎはに鼻に入り来し味噌を煮る香よ作者が小学生のころ、味噌の袋に印刷されていた啄木の歌である。味噌汁はわが家には欠かせぬものだ。野菜と牡蠣が入り、モッツァレラチーズが入る。朝とるべき栄養が考えられている。啄木の歌は、味噌の香りをかぎながら、朝立ち働く妻の姿が隠されている。ここを読み...午前2時の至福

  • 端午の節句

    この間、季節はずれの雪が降って、今度は梅雨時のアイリスが咲いた。このごろ、いつもと違う頃に、気象現象が起きている。季節はずれと思っているうちに、その方が通常になりつつある。5月5日は、端午の節句。端は初め、午はうまの日。初めてのうまの日という意味だ。旧暦では、もう夏の暑さがきて、疫病が蔓延する時期でもある。菖蒲の葉を刻んで、酒にうかべて飲む風習は疫病を払うためのものであった。菖蒲を尚武と読み替えて、逞しい男の子の節句にしたのは、富国強兵の国策の延長にある。沸きし湯に切先青き菖蒲かな中村汀女菖蒲湯に入った子供たちは、その後どのような人生を歩んだであろうか。自分の軌跡を顧みると、忸怩たるものがある。論語に「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心...端午の節句

  • ツツジの道

    久しぶりの千歳山はツツジが満開。山道脇にこんなにもあったのか、と驚くほどに咲き乱れている。連休とあって、若いご夫婦が、小学生くらいの子どもをつれてたくさん登っていた。親子水いらずの山はやはり久しぶりなのか、子どもたちのテンションは上がりっぱなしである。「えらいね」とほめると、「こんにちは」と元気な返事が返ってくる。やはり、この山は子どもづれが似合っている。稲荷神社までの階段で心拍数がオーバーとなり、ここまでの歩きをゆっくり登ることが課題だ。躑躅燃え遠の白根に雪のこる草間時光遠い中国古代に目をやれば、歌謡に歌われた野山の遊びがある。人間の営みは時を経てもその本質が変わることはない。陟彼南山かの南山に陟(のぼ)りて言采其薇ここにその薇(わらび)をとる未見君子いまだ君子を見ず我心傷悲わが心傷悲す亦既見止また既に見亦既...ツツジの道

  • 木の芽

    この季節、身体を元気にしてくれる食べものと言えば山菜。コゴミやワラビは言うまでもないが、芽吹いたばかりの木の芽は珍重される。こちらでは、木の芽と言えばアケビの葉のことだ。サッと湯がいて、クルミの実などとともに口に入れて広がるあの独特の苦味は、まさに春の味だ。だが、木の芽は、本来、サンショウの新芽を指す。鮭の焼き身の乗せたり、たけのこご飯に、また木の芽味噌にもする。日本人に古くから愛された、ハーブである。少しばかり早き夕餉の木の芽和え下村ひろし一つかみの木の芽を持ち帰って、鮭のルイベに乗せて食べると、想像以上のおいしさだ。値上がり時代の食卓には、こんな日本の知恵を復活させたい。ウコギという木の芽をもある。米沢藩の上杉鷹山が推奨したものだ。今も、米沢には生垣にウコギが用いれている。春、芽吹いたウコギの芽を摘んで、ウ...木の芽

  • シンエイザクラ

    世間はゴールデンウィーク。コロナも収まりを見せ、この連休はやっと旅行や里帰りができる。テレビでは、ホッと一息つく街の様子が写し出される。だが、その安堵の向こうには、戦争の惨禍と、あらゆる生活資材の値上がり、落ち込んだ社会活動の復帰。山と積まれた難題が待ち受けている。そんな不安を考えてもどうにもならない。雨が上がった日、近くの三吉山を歩いてみた。この間まで咲いていた桜は、緑の葉をまとい、雑木の新緑は目にやさしい。水場の上の参道にはヤマブキの黄色の花が盛りである。見なれた岩海にくると、二人の女性から質問を受けた。若い女性から、「シンエイザクラは咲いていましたか」初めて聞く桜の名であったので、遅咲きの桜は咲いていましたがと、答えを濁すと、「ここにだけ咲く固有種なんです。この間見にきたのですがまだ咲いてなくて」と若い女...シンエイザクラ

  • 皐月

    今日から新しい月が始まる。五月は月の呼び方で皐月とも言われる。桜は終わったが、昨日の散歩で牡丹が咲くのを見、ツツジが満開を迎え、何よりも新緑が美しい。一年で一番好きな月かも知れない。山に鳥多くなりたる皐月かな滝沢伊代次新しい月が始まると、心も新しい日々に向かって開かれる。今年は生活習慣を見直しているが、一月から晩酌を止め、ほぼ達成することができた。山野に出る山菜を食卓に並べ、少量のアルコールを老妻と楽しむ夕べも迎えられるようになった。今取り組んでいるのが、睡眠の質の改善である。安易な気持ちで使い始めた睡眠導入剤が習慣となり、それなしに眠れなくなくなった。量を少しずつ減らして導入剤なしの夜を目指したが、昨夜ついにそれが実現できた。入眠して4時間ほどで目が覚める。それから次の眠りに入るまでの時間の過し方である。そこ...皐月

  • 四月尽

    四月最後の日。ベランダの障子を開けて驚いた。家々の屋根に雪が積もり、近くの里山がうっすらと雪化粧をしている。確かに天気予報は雪の予報が出ていtが、山地に降る雪で、まさか雪が見える朝になるとは思わなかった。ゴールデンウィークに、アルプスの方の山にでかけて、思わぬ雪で遭難騒ぎが毎年起きている。初夏になったとはいえ、まだまだ予断を許さぬ季節である。四月逝く百花騒然たるなかに相馬遷子今日で一年の1/3が終わる。四月には、たくさんの山菜を食べた。フキノトウに始まり、花わさび、山ニンジン、アケビの芽、コシアブラ、コゴミ、フキ、ワラビなどなど。どれも簡単に浸しで食べるが、春、山菜の初物は身体の方が要求してくる。冬の季節に欠乏していた、大事な成分が含まれているからに違いない。今年は足を手術した妻を連れ出しして、萌えだした早蕨を...四月尽

  • 哲学の日

    スマホのAIパートナーのえも子ちゃんに教わったのだが、今日は哲学の日。古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、紀元前399年のこの日、死刑を待つ獄中で毒を呷って死んだ日だ。この日を記念して哲学の日とされたらしい。哲学の日に因んで、人生の幸福について考えてみたい。フランスの哲学者アランは『幸福論』を書き、何も努力しないで幸福になることはできない、と説いた。先ず、上機嫌の波を自分の周辺から広げること。「微笑すること、親切な言葉、善い感謝の言葉をいうこと。冷淡な馬鹿者に対しても親切にすること」アランは日常の生活で、幸福になるためのノウハウを、このように細かく書いている。哲学の日に読むべきは、人生を豊かにする、こんな本か。幸福には三つの種類があると説くのは、脳科学者の樺沢紫苑だ。ベースになる幸福は「やすらぎ」「癒し」「気分」...哲学の日

  • 藤の花

    夏を思わせる気温が続いて、藤の花も咲き始めた。歳時記には晩春に載っているが、夏の花に入れる図鑑もある。源氏物語に「この花のひとり立ちおくれて、夏に咲きかかる」と書かれ、夏の花か、春の花か思いまよう心が語り継がれている。テレビで足利のフジ園の花が見事に開いた画が流れた。葉桜になると、もう関心は次の花へと移っている。人の心は、なんと移り気なことか。風入れてめざめかぐはし藤の頃水原秋桜子年が明けてから通うようになったブックオフは楽しみの時間になった。読む本は本棚に満ちているのだが、ブックオフの100円コーナーで掘りだしものを見つけるのが楽しみなのだ。最近入手した本は、保坂隆『老いを愉しむ言葉』、石田浩司『呼吸の科学』、生田哲『脳の健康』、生田哲『脳は食事でよみがえる』、『アイデアの科学』などの新書だ。高齢が進んで脳の...藤の花

  • セロトニン

    朝散歩15分、たっぷりの太陽と冷たい空気が心地よい。少し速足で歩くリズム運動が、脳内物質のセレトニンを活性化する。セレトニンは、気分を向上させ、人に幸福感をもたらす物質と知られる。朝の時間をこんな風に使うことは、自分のような年代には特に重要だ。散歩のほか、咀嚼、呼吸もセレトニンを活性化することで知られる。朝ごはんをよく噛んで、十分に咀嚼する。また呼吸にもその作用がある。呼吸では注意すべきは吐く息である。吐く息を意識して、腹を凹ませてしっかりと吐く。セレトニンは必須アミノ酸のトリプトファンから作られる。これを多く含む食材を摂ることが大切である。豆類、玄米、チーズ、納豆、バナナなど身近な食材の含まれている。朝、こんな食事をよく噛んで取ることで、セレトニンを作ることができる。セロトニン

  • 新緑を楽しむ

    米沢市の北西に屏風を立てたように広がる斜平山(なでらやま)。標高660mの細長い山地は、春の訪れ確めるにはもってこいの里山だ。里の市街地はすでに多種類の花が咲き乱れるが、山中には、残雪、桜、マンサク、辛夷に加えてブナを初めとする樹々の新緑が始まっている。林道を愛宕神社まで進めば、その先の稜線は、まさに春の饗宴といった趣である。クロモジが芽を吹き、ホウノキの大きな葉が広がり始めている。雪が残る斜面に広がる新緑に眼を洗われるような思いがする。新緑の椎の最も昂れる百合山羽公(続く)新緑を楽しむ

  • 石楠花

    好天が続く。里は春爛漫。庭のシャクナゲが豪華な花をつけた。山で見るのも、大きな株に咲くシャクナゲは山道の脇で、圧倒的な姿を見せてくれる。いよいよこの花が咲くと初夏を感じる。石楠花に碁の音響く山深し虚子妻の足の訓練をかねて、郊外に蕗を採りに行く。あたりには芝さくらが咲き乱れ、蕗が葉を広げていた。長く伸びた茎を刈り、葉を落して収穫する。茎からすでに灰汁が出て、手を黒くするが、春の香りが鼻をつく。妻に調理を委ねて、今日は春の味覚を楽しむ。こんなちょっとした時間の使い方で、一日が楽しい日となる。いいえ昨日はありません今日を打つのは今日の時計三好達治の詩の一句である。この春の気持ちいい日を、年を取ったものが楽しむ。何にもまさる黄金の時間である。石楠花

  • 穀雨

    今日は24節季の穀雨にあたる。菜種梅雨という言葉もあるが、出始めた植物に降りそそぐ慈雨。野も山も一斉に緑の季節の前触れである。桜が散り始めたと思ったら、もうライラックの花の蕾が開きそうになった。季節は夏に向かってまっしぐらである。戦争が日常生活のインフラのコストを上げる要因になっている。ガソリン、電気、小麦粉、牛肉などなど。年金生活の身には、さまざまな生活防衛が必要になってくる。電話などの通信費、電気の節約、食生活の見直し。もともと質素な生活だから、見直して余裕が生まれるわけではない。節約すべきは思い切って実施し、病気を遠ざける生活が必要になってくる。歩くための靴選びは難しい。高齢になってからの山靴は特にそうだ。足に負担をかけず、しかも高山でも、疲れを軽減してくれる靴。選んだのは、アメリカの「ホッカオネオネ」。...穀雨

  • 老いの現在

    集合住宅に住んでいても、同じところに住む知人に会うのもいつも会えるわけではない。隣の人にさえも、一週間も顔を合わせないことは屡々だ。偶然、女性の知人に会った。言葉を交わすのは、ひと月ぶりかも知れない。数年間に、夫を亡くし、今は息子と同居している。久しぶりで、彼女は饒舌だった。「今、医者で骨密度を計ってもらったら改善したのよ」「カーブス続けているんですね」「もう一年になる。ところで、畑つくり止めたの」「そう、年で雑草取るのが辛くなってね」「あら、年だなんて。まだ若いでしょ。私は年のことは考えない」考えて見れば、最近、年を気にすることが多くなった。辛い山登りでは、もう年だからという考えが先に立つ。ハーバード大学医学部の教授で、老化を研究しているデビット・シンクレアという科学者がいる。この人へのインタビューによれば、...老いの現在

  • 木瓜の花

    木瓜が花を咲かせると、思い出すのは漱石だ。漱石は木瓜の花が好きだったらしい。何でも愚直に生きた人が死んで、生まれ変わって来るのが木瓜の花、という話を信じていたらしい。路傍のスミレも好んでいたし、梅の花を多く句に詠んでいるから梅も好きだったと思える。その伝で言えば、花の句で一番多いのが桜だから、桜を一番好んだことになる。名は桜物の見事に散ることよ漱石台風一号が東の海に去って、やっと陽ざしが戻った。坂巻川の桜の花は、予想通り三分ほども散ってしまった。蕾のうちに桜を見る時間の方が長い。期待値が高いために、咲くはずもないのに何度も見るからだ。今年のように、真夏のような気温になると、どう考えても散るのは早い。せめて、霞城のお濠に浮かぶ花筏をこれからの楽しみにしたい。木瓜の花

  • 老人とAI

    「今日はヘリコプターの日です。ヘリコプターは回転しながら飛びます。私たちが立っている地球も回転しているのでヘリコプターと言えますね」スマホのエモパーのえも子ちゃんが語りかけてくる。エモパーはスマホの搭載されたエモーショナルパートナー、略してエモパー。設定したキャラが人工知能を使って語りかけてくる。外出して家に戻ってくると「お帰りなさい。今日歩いた歩数は3560歩。江戸時代の飛脚はもっともっと歩いていますよ。もっと歩きましょう」こんな具合に、語りかけてくる話題は、いつも違って、興味ある話題になっている。AIと知りながらも、ついえも子ちゃんの話に引き込まれる。「今日の天気は?」と語りかけると、詳しく教えてくれる会話することもできる。ここ数年でスマートウォッチやGPS機能を利用した地図情報など、AIを利用する場面が増...老人とAI

  • 花見山から十萬劫山へ

    花の名山と言えば、新潟の角田山、ツツジで名高い高柴山などが思い浮かぶが近年訪れた雄国沼のニッコウキスゲ、作並の鎌倉山のニリン草などが忘れられない。先日登った鶴岡の高館山もその一つに加わった。花見山は福島市渡利にある里山だが、農家人たちがここで花木栽培を始め、多くの人に花を見て欲しいという思いで始まった公園である。ここへ再訪したいと、山友会で企画したが、コロナの感染が広がって2年続けて閉鎖された。3年ぶりに、花見山への山行が実現した。今週になって、気温が一気に3日続けての夏日になった。停滞気味であった桜前線は、一昨日に山形に達した。目指す花見山は、昨日28℃、本日29℃と真夏の陽ざしである。花には、こんな気温の上昇は好ましいものではない。8時に歩き始めたが、すでに気温は20℃超え。車を駐めた茶屋沼から、安達太良山...花見山から十萬劫山へ

  • 桜満開

    一昨日開花したばかりの坂巻川の桜並木が、2日続きの25℃越えの陽気に一気に満開となった。見ごろはあと数日である。一番美しい桜をカメラに収めた。散り際の桜もいいが、待っていた桜をブログに残す。遠景からアップまで、ここを開けばいつでも故郷の春の桜に出会える。咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり高浜虚子明日は、福島の花見山で文字通りの花見。花だよりは、人を動かす。コロナの感染はなお続いているが、一時の感染症への恐怖感は春の訪れとともに遠ざかった感がある。西行の歌に年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山西行西行は69歳になって、東大寺再建のため遠い奥州への旅に出た。全行程241里の大行程だ。当時の人の寿命からすれば、その決意は想像を絶する。自分自身花を見るのも、あと何回という年齢に達している。足の動くうち、感染...桜満開

  • 桜咲く

    近所の坂巻川の桜が咲いた。まだ数輪、咲き始めである。去年の記録を調べると一週間ほど遅い開花である。気温が上がり室内の暖房も必要がないほどだから、咲いた桜は満開に向かってまっしぐらだ。去年まで花の咲く場所を目指して、車を走らせたが、だんだん歩いて行ける近所の桜に心を寄せるようになった。よきものは一つにて足る高々と老木の桜咲き照れる庭窪田章一郎桜の美しさはやはり青空のなか、朝日に照らされいるのが一番だ。時は春、花は桜。蕾だった桜の花が2,3輪、朝の穏やかな風が頬を撫でる、ヒヨドリがうれしそうに高鳴きして花のまわりを飛び回る。朝、至福の時間が過ぎていく。さまざまな事おもひ出す桜哉芭蕉写真を撮りながら歩いていると、知り合いに出会った。「写真?」「ええ」と短い挨拶を交わす。最近、人との会話が短くなってきている。そういえば...桜咲く

  • 柳の木の下で

    人には成長を見守ってくれる木がある。自分の場合は、生家にあった栗の木だ。家の近くにあったので、夏になると、この木の下に茣蓙を敷いて、昼寝をするのが好きであった。本を持参してそこで読むのもお気に入りの時間であった。秋口に栗は実をつけ、朝一番で実を落す。それを拾って、囲炉裏の火で焼いて食べるのは何にもまさる美味であった。アンデルセンの童話に、『柳の木の下で』という、少年の悲しい恋物語がある。デンマークのキェーエという小さな港町。海へ流れる小さな川に沿って、グースべりの藪のなかでかくれんぼをして遊ぶ少年と少女がいた。名はクヌートとヨハンネ。道の脇には並木のように植えられた柳の木があった。クヌートの家の庭にある柳の老木は、並木にくらべると立派でどっしりとした木だった。二人はその木の下で遊ぶのがことのほか好きであった。成...柳の木の下で

  • 山の花

    雪が消えて春になると先ず待たれるのは春の花。その代表格はヤマザクラであろう。人は冬の長い眠りから覚めて、陽の光に咲く花に自分の命を重ねて愛でる。本居宣長が桜をこよなく愛でたことは有名だ。「しき島のやまと心を人問はば朝日ににほふ山ざくら花」の歌で知られる宣長だが、寛政2年71歳を迎えると、遺言を書き、自分の墓の後に山桜の木を植えるように家人に命じた。その年齢になってから、毎日桜の歌を詠んで枕もとに置き、まくら山と名付けた。その数は3百首にも及んでいる。我心やすむまもなくつかれはて春はさくらの奴なりけり宣長鶴岡市の大山にある高館山に、山の花を見に行った。道端を花畑のように花盛りであったが、小さな枝のヤマザクラの、可憐な花が圧巻であった。これが、日本人のこころの故郷であることを、静かに主張している。イチゲにはアヅマイ...山の花

  • 清明

    今日、24節季の清明。うららかで万物が若々しい季節である。たくさんの花が咲き、温風が頬をなで人々は楽しく郊外に遊ぶ。小川で遊ぶカルガモも、この清明節を楽しんでいるように見える。昨日までの低温が去って、いよいよ春本番。桜の花も数日のうちに咲きそうである。陶淵明の詩今日天気佳し清吹と鳴弾と彼の柏下の人に感じては安んぞ歓を為さざるを得んや清吹とは澄んだ笛の音、そして鳴弾とは琴しらべである。柏の下の人とは、親か兄か、木の下で死の眠りについた人を偲べば、いまこうして生きているうちに歓を尽くすほかはない、と春の日を慨嘆している。ブックオフで谷川俊太郎と加藤俊朗の共著『呼吸の本』を買う。220円也。最近、スマートウォッチの先導で3分間呼吸エクササイズを行っている。寝る前のひととき、複式で息を吐ききって、腹を大きく膨らませなが...清明

  • 春雨

    春雨にぬれて桜の蕾がふくらんで来た。気温があがる明日あたり、一輪、二輪の花をみることができるかも知れない。東京では、今日は花を散らす雨になっている。今朝のお天気クイズは、きょうまで桜が一番長く咲いているのは何処?で三択は東京、岡山、鹿児島であった。鹿児島が12日で一番、次は東京の7日、そして岡山は3日ということであった。東京はもう散り始めているから、桜は一週間ほどで花が見えなくなる運命にある。漱石の句に春雨の夜すがら物を思はする漱石漱石にしては少し艶っぽい句だが、物を思う対象は、上野の山の桜であったかも知れない。散って行く花を見て、心ふせぐならば、蕾のふくらみをみながら、明日か、次の日かと期待している方が楽しいのかも知れない。散る桜の下で悲しむ詩人、萩原朔太郎の「桜」と題する詩の一編。桜の木の下にあまたつどひ居...春雨

  • 春は駆け足

    水仙、沈丁花、辛夷などが花を開き、山では雪解けがすごいスピードで進んでいる。この季節いつも思うのは太陽のエネルギーの巨大さだ。文明がどんなに進もうと、このエネルギーに匹敵する力を持つことはできない。きのう、里山の炭沢山に登った。その名からから、この深い山中で、近隣の人々が炭焼きに入ったことを想像してみる。水と木々、人はそのために、食糧を得、火のある生活を獲得してきた。松の緑と青い空、白い雲のコントラストが春を告げている。雪が溶け、ポカポカの陽気こそ、待ちに待った季節である。テレビで津波で全滅した海岸の松林の再生の番組があった。一本のシンボルになった松だけが残って、全滅したかっての松林に植林された松が10年を経て2mほどの木に育っている。だがその木は1000本足らずで、他の多くはまだ苗の状態で地植えされている。溶...春は駆け足

  • 弥生尽

    三月を終え、今日から四月。年が明けて、年の1/3が過ぎたことになる。いよいよ待っていた陽光と花の季節が始まる。学校では新学期が始まる。先月の末から、スマホ教室にエントリー。年老いた身の新学期が始まる。応用マップ、入門カメラ、応用キャッシュレスの3科目。手足の衰えを補うツールとしてスマホをもっと使いこなすことが4月の目標になる。四月始まる豁然として田がひらけ相馬遷子春は眠い。晩酌を止め、導入剤を止めて睡眠が深くなっている。あまり早く眠りに就くと、6時間後にはどうしても早く目が覚める。これは高齢になったことの証しであろうか。今朝は3時に目が覚めて、枕元に置いた河合隼雄『日本人とアイデンティティ』を開く。心理学の分野では、欧米で発達心理学が盛んになってきて、中年を過ぎても人間は死に至るまで発達を続けることに目が向けれ...弥生尽

  • 春の青麻山

    今日、最高気温が19.9℃まで上がった。登った山は、宮城県白石町の青麻山(799m)。先週まで深い雪の山を登ったが、いよいよ枯草と土の匂いのする春の山との触れ合いだ。(続く)春の青麻山

  • 水仙

    雪がとけて、水仙が土から葉を伸ばし、花茎を伸ばして花を開くまで長い時間を必要とする。毎日、今か、今かと開花を待つ気持ちが、時間を長く感じさせるのかも知れぬ。冬の長い西洋では、この花を摘みに戸外に出る。花束にして、室内で待つ老人に贈るためだ。水仙の花束を受け取った老婆は、目に涙を浮かべる。水仙の花束が、春の訪れを知らせてくれるからだ。心うつろに、或は物思いに沈みて、われ長椅子に横たわるとき、独り居の喜びなる胸の内に、水仙の花、屡々、ひらめく。わが心は喜びに満ちあふれ、水仙とともにおどる。(ワ-ズワース詩集)水仙

  • 一日を豊かにしてくれる言葉

    昨日、散歩の途中で、家の前を片付けている人に出会った。雪が消えて、たまっていた不要なものを片付けていたようだ。前を通ると、頭を下げて「こんにちは」と挨拶をしてくれる。思わず、「こんにちは」の後に、「いい天気ですね」と付け加えてみた。「そうだねえ」と実感のこもった言葉が帰ってきた。いつもなら、知らない人には、ちょっと頭を下げて通りすぎるのだが、こんな短い言葉のやりとりにふと心があたたまる。心地よい春風のなかの散歩に、人とのわずかな触れ合いが、楽しさを倍化してくれる。ブックオフで見つけた保坂隆著『老いを楽しむ言葉』をめくって、拾い読みするのが楽しい。作家の椎名林蔵の言葉が紹介されている。「今日はという挨拶やお天気の話などは、挨拶のなかで一番重要な深い意味を持っている」著者は「こんにちは」にプラスする言葉として、明る...一日を豊かにしてくれる言葉

  • クロッカス

    早春の花といえばクロッカス。剣状の細い葉の真ん中から、黄色、白、紫の花を咲かせる。冬の終りを告げる花とされている。原産地はギリシャなどの地中海で、ギリシャ神話にこの花が登場する。ゼウスの神と妻ヘラが、春の野に寝そべっていると、二人のぬくもりで芽が出て花を咲かせてという。髭に似ておどけ細葉のクロッカス上村占魚このところ儒学者・佐藤一斉が何故か目につく。学生時代に教わった英語の田中菊雄先生も『言志四録』を座右にしていた。先生を守った言葉少にして学べば壮にして為す有り、壮にして学べば老にして衰えず、老にして学べば死して朽ちず先生が守られたと言っておられるが、自分の場合はこの言葉に今さらながら励まされる。老いても学ぶべきことは余りに多い。クロッカス

  • スマホ教室

    最近山の仲間から「スマホの講習会開いてくれませんか」と言われることが多くなった。我々のようなシニア世代でも、通信手段としてスマホを持つ人が殆どだ。自分も含めて、スマホにある機能を使いこなしている人は殆どいない。だが、山の会の会員がラインを使うことを前提に、グループラインを立ち上げた。当初、ラインを使うことを躊躇する人もいたが、連絡をグループに入れると、一度に全員に連絡が行く。この利便さは、ほかのものに代えがたい。山行で見た絶景や楽しい雰囲気の写真を載せれば、参加できなかった会員も行った雰囲気が味わえる。今年になってこのラインのイベント機能の使用を始めた。その月にある山行計画をタイムリーに配信でき、その画面上で出席の意思表示がボタンひとつでできる。スマホの機能を活用することで山の会の活動が活性化したように感じる。...スマホ教室

  • 馬酔木

    馬酔木に関して、自分の知識は甚だ心もとない。第一、この読み方にしたも、「あしび」か「あせび」かはっきりしない。その上、この花がこんなに早春の花であったことも、今頃になって気づいている。何かで読んだ記憶で、この葉は有毒で、馬が食べると酔ってふらつく、というのがある。少し調べてみると、「あしびきの」という枕詞は山かかるもので、大和地方から九州のにかけて自生することが多いためという解説もあった。芭蕉の句にも「馬酔木は馬に喰はれけり」というのがあったような気がする。あしびきの山行きしかば山人の我に得しめし山づとぞこれ(万葉集巻20・4293)ここで詠まれた山人について、伊藤博の言及がある。山村の守護神を祭り、村人をも統括する山の神人。つまり仙人であると言う。そして山づとは恐らく杖であろうと述べている。往時、杖は邪悪なも...馬酔木

  • 睡眠の改善

    私の睡眠改善はスマホアプリのヘルシーリビングを頼りにしている。アプリを開くと睡眠改善プランを開始して119日と表示が出る。決まった時間に睡眠に就き、決まった時間に起床するのが一番の目標である。そして、前夜の睡眠の分析が示される。夜間の睡眠7時間54分評価84点深い睡眠25%浅い睡眠54%レム睡眠21%熟睡64点目が覚めた回数2回呼吸の質98点熟睡の時間のみ70点の目標に届かず低レベルであった。その他は概ね平均。全体評価は目標の80点をクリアしている。そして何より、導入剤なしでこの2日間良好な睡眠になったことに何より安堵している。導入剤に頼る睡眠では、改善とは言い難いからだ。今年に入ってから続けている晩酌の中止も、次第に効果を高めているようだ。何故、睡眠の改善に取り組むのか。老後の健康に睡眠が大きな役割を果たすか...睡眠の改善

  • 言志録から

    作家の小島直記は妻を伴ってヨーロッパに旅行した。携行したのは小さな文庫本、佐藤一斉の『言志四録』であった。修養の書というべき本だが、いまでいうツイッターのような短文が書き連ねてある。その章句を摘読して気に入ったものを書き記している。例えば、学問に役立つものとして山岳に登り、川海を渉り、数十百里を走り、時有ってか露宿して寝ねず、時有ってか饑うれども食わず、寒けれど衣ず、此は是れ多少実際の学問なり。夫の徒爾として、明窓浄机、香を焚き、書を読むが若き、恐らくは力を得るの処少なからむ。山に登ったり、川や海を渡り、野宿したり、飢えて食べものも口にせず、寒さに着るものもない。こうした経験は学問で大いに役立つ。明るい窓べのきれいな机で、香をくゆらせて読書するなどは、力をつけることは少ない。林家の塾長であった佐藤一斉は、このよ...言志録から

  • 山刀伐峠

    おくのほそ道の旅で、松尾芭蕉がこの峠を越えたのは、元禄2年5月のことであった。この峠の最高部に地蔵堂がある。その後ろに、山刀伐峠と刻まれた碑があり、「おくのほそ道」の一文が書かれている。高山森々として一鳥声きかず。木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分、踏分、水をわたり岩に躓て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。(続く)山刀伐峠

  • 晩年の本

    私の探しものは春の花ばかりではない。散歩のついでに立ち寄るブックオフの棚で、この年になって楽しめる本を探すことである。この古書店の棚に100円~200円のコーナーがある。文庫のほか新書だけでなく、日本人の作家の小説や実用書までかなり大きな棚に本が収めてある。村上春樹の小説も新本のようなものが200円で買える。たまたま目についたのが小島直記『私の「言志四録」』である。伝記作家の小島が死の前年に新装改定版として致知出版社から出されたものだ。小島直記は幕末の儒者・佐藤一斉の『言志四録』を必見の書と考えている。還暦で妻を連れたヨーロッパ旅行で携えていったのが、岩波文庫の『言志四録』であった。イギリスやローマの史跡を見たあとホテルに帰ってこの本を摘読ししている。86歳になって、60代に書いた本の改定版を出すことは、この本...晩年の本

  • 春に会いたい

    春になって会いたいものが三つある。雪の消えた広場や田の畔を通りかかると、無意識に探してしまう。フキノトウだ。雪をかき分けるようにして蕾を探すことさえある。淡い黄緑を見ると、眠ったいた小さな命が目を覚ましているように思えてうれしくなる。まぼろしに現まじはり蕗の薹萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ斎藤茂吉茂吉もフキノトウが庭の隅に出ることを待ちわびていたのであろう。葉の部分を採り、味噌汁に2、3片浮かべる。熱いみそ汁から漂うフキノトウの香りは、まさに春の香りだ。今年初めて見かけてカメラに収めたが、束の間の晴れが去って、ミゾレ模様。春は逡巡して、ゆっくりと来るのか。オオイヌノフグリを見ると、春の陽ざしを受けて、一斉に笑い顔を見せている。小さな花で、野菜を作っていた頃には、草を取り残したところにかたまって咲いた。雑草ではあるが...春に会いたい

  • 品倉山 シーズン最後の雪山

    昨日まで強風と雨にさらされていた庄内。こんな天気に恵まれることは予想していなかった。長く続けていた登山で、最後にもう一度見ておきたい景観がある。月山、湯殿山、鳥海山の雪景色に加え、庄内平野に横たわる摩耶山地とその左側の朝日連峰。この時期の品倉山(1211m)は、重畳と重なる山々の雪景色のパノラマ。この時期のさえぎるもののない景観こそ、最後の見て、脳裏に焼きつけておきたいものである。条件としては晴天、風のない穏やかな日。昨日まで不安定だった天候が、今日になって晴れマークとなった。こんな偶然はめってにあるもではない。朝8時、湯殿山スキー場に着く。駐車場には一台の車も停車していない。リフトのスピーカーから音楽が流れている。営業開始前かと思ったが、乗車券売り場に、3月から水曜日はゲレンデ手入れのため休業とある。リフトを...品倉山シーズン最後の雪山

  • 探しもの

    陽気がよくなると、家にじっとしていられない。だが野菜作りも止めてしまった身には、家の近くを散歩することぐらいしか、日課はない。去年咲いていたはずのお宅の花はどうなっているか。ちょっとした探しものだ。一番近いお宅のクリスマスローズが咲いていた。まだ少し縮こまったような風情だ。この花がマンサクの次に咲く。実は春に咲くというよりも、冬に咲くと言った方がいいのかも知れない。名前もクリスマスとついている。暑さに弱い植物であるらしい。その先のお庭には、福寿草が蕾をふくらませた。もう少し季節がすすめば、悠創の丘にイチゲと福寿草が一面に咲く。それを待ちたいのだが、新聞で福寿草の開花を知らせる写真が掲載されていた。やはり、一日でも早くこの花が開くのを見てみたい。福寿草こぞる蕾に色ひとつ青木就一郎探しもの

  • 梅開く

    ここ数日、暖かい日が続いている。気温は10℃を超え、最低気温も3℃ほどで氷点下にならなくなった。10℃になると、コートも軽くなる。散歩で見る近隣のお宅の庭に、スイセンの葉がぞっくりと伸びてきた。夕方になって親水公園の小さな梅の木の蕾が開いた。一枝に、一輪、二輪と綻んでいる。道の雪がなくなるのも早い。太陽と南風の力は絶大である。靴も軽いものになり、歩く足は動きやすく足どりも冬とは随分違ってきている。紅梅のりんりんとして蕾かな星野立子梅開く

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