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2013/02/21

  • 癒しの言葉

    清々しい朝の光に、美しいリラの花。とある本のなかに、こんな言葉を見つけた。「老齢は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが、視野はますます広がる。」(イングマール・ベルイマン)言いえて妙だ。失われて行く体力を補って余りある、広い視野。若い日にには見えなかった、自然の美しさが、老いたるものも目に深く入り込んで来る。だんだんと体力を失ってきた妻の喜びは、春の味覚を得て、近隣の人へのわずかなお裾分け。「幸福は分かちあうことでふくらんいく」(ラシーヌ)武者小路実篤にこんな詩がある。生きよ、生きよ、何処までも生きよ。死んでも生きよ。永遠から永遠に向かって輝いてゐる一道の光の内に生きよ。生命の流れのなかに生きぬけそれを命じているのだ。朝日のなかを歩きながら、こんな詩の言葉が静かに心を満たしていく。今朝も、十分な睡...癒しの言葉

  • ミドリニリン草

    この季節、山登りの楽しみは、高山に咲く花を見ることだ。マンサクに始まって、春が深まると咲く花もどんどん種類を変え、懐かしい花たちに対面できる。カタクリが終り、今はニリン草が最盛期である。近年注目されているのがミドリニリン草だ。白い可憐なニリン草のなかに、突然変異のような緑の花のニリン草。クローバーの四つ葉のように、変異して、見つけた人に幸運をもたらすという話が広まっている。この花を求めて、ニリン草の咲く山地を訪れる人が増えているらしい。上高地徳沢で、「幸せのミドリニリン草」と名付けて、客を呼ぶ花として宣伝された。その後、高尾山、北海道旭川、佐渡など日本全域でこの花の報告が集まっている。宮城県白石の青麻山でもこの花がさくことが知られ、この季節、多くの人が入山している。我が山友会でも19日、この花を求めて、下...ミドリニリン草

  • リラの花

    その季節の初見の花。ブログの記事には、これも一つの題材になる。今年の花は、ほぼ2週間、季節を先取りして咲いている。5月も連休を過ぎないとなかなか咲かないリラだが、今年は今朝、近所のお宅に庭に花を咲かせた。しかも、その庭続きのお宅では、フジが花を垂れ、咲き始めていた。確か札幌のリラ祭りは、6月と記憶しているが、先日札幌で桜が開花した。桜からひと月ほどでリラが咲くから、札幌でも今年は5月中にリラが見れるかも知れない。こんな花を見ていると、夏がくるのもさほど先のことではない。花が早く咲くだけではない。山のなかで、アゲハ蝶が飛びまわている。陽ざしの強いところを選んで、気持ちよさそうに日光浴をする。まちがってだろうか、手の甲にとまるものもいる。人を恐れるということもないようだ。夕風や野川を蝶の越えしより白雄新緑、吹...リラの花

  • ワラビの初摘み

    大坊川の土手にツツジが咲く季節になった。記憶では、この花が咲くと、ワラビ出るはずだ。例年より10日以上に早い季節の進みぐあいだが、ワラビの粗朶に近づいてみると、ワラビが2、3本出ているのが見えた。あまり肥料分のない土手のため、細い初ワラビだが、よく見ると方々に萌えだしている。初物の春の味覚に出会えてうれしい。石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも(万葉集・巻81418)春いちばんにワラビを見つけて、思い出すのは、志貴皇子の名吟である。春のよろこびの歌にワラビが詠まれるのは、この時代から食用に採取されていた証でもある。わらびにつく「さ」は接頭語。わらびが生き生きと芽吹く活力を喚起する力を持っている。苗にさをつけてさなえ、枝にさをつけてさえだ、乙女にさをつけてさおとめ、どれも奥深い意を添えて、...ワラビの初摘み

  • 流山の保育園

    4月からひ孫の保育園通いがはじまった。その様子は、園から届けられる保育日記が孫たちが親やジジババにまで共有してくれる。その日での園での様子が細かく知らされいて興味深い。はじまる前は、一日中庇護されている親から離れるのは不安で大泣きかと心配されたが、いざ始まってみると、ニコニコで園に行くのが待ち遠しいらしい。「初めての登園でしたが、ニコニコとても愛らしい笑顔でお母さんと離れることができましたね。お部屋の中をとても活発に動き回っていた〇〇でしたが、周りのお友達が泣いていると、私もママがいないことに気がついたようで、泣きはじめましたが、抱っこするとまたニコニコと笑って、沢山の癒しを頂きました」こんな懇切な記事に写真が添えてある。「流山はすごい」という本にも書いてあったが、保育については首都圏では飛び抜けて頑張っ...流山の保育園

  • 新緑と高山の花々

    新緑のなかに身を置くことに特別の意味がある。冬の長い眠りから覚めて、新しい生命が動き始める。冬にこもっていた部屋を出て、そんな生命の躍動に出会うとき、生きる喜びをあらためて意識する。人間はそんな風にして年齢を重ねていく。雪が消えて、ウグイスの囀りを聞きながら、新緑をや足元の高山の花々の饗宴を見る時が一年のうちでもっとも刺激的な時間だ。仙台市作並。昔からの温泉の街として名高いが、そこに岩峰を聳えさせるのが鎌倉山だ。標高520mの低山だが、この季節は山の花を愛する仙台市民のいこいの山となっている。先ず目に飛び込んでくるのは、ほとんどの斜面の埋めつくすカタクリ。花期は終わりに近づいている。そして、これでもかとうち続くニリン草の群落。こちらは咲きはじめ。陽ざしが降りそそぐに合わせるように花が開いていく。花にくわし...新緑と高山の花々

  • 光禅寺

    久しぶりに光禅寺を訪ねた。家の近くの桜は終わりに近づいたが、この寺の枝垂桜と参道の老木がわずかに花を残していた。義母が元気であったころは、この寺の庭を散策することが好きであった。年を経て、庭の花木もだんだんn少なくなっている。池の水はなく、これから花期を迎える牡丹の花芽が伸びつつあった。庫裡のあたりに植えられているオキナグサが、はやくも花を咲かせていた。外へ出たとき寄り道の定番はブックオフである。100円~200円の棚を中心に、興味のある分野の本を見つけるのが楽しい。思わず新書の棚で手をのばしたのは、高橋源一郎『一億三千万人のための論語教室』。最近ブックオフで買った孔子関連の本は、加藤徹『本当は危ない論語』、井上靖『孔子』とあわせて3冊目だ。高橋はこの本を書くために20年の時間を費やしたと語っているが、8...光禅寺

  • 日のうつろい

    昨日、花吹雪のなかを歩いて、桜の花に青い葉が顔を出した。朝方、小雪が舞い、花か雪か、ちょっと勘違いするような光景だ。足元にチューリップ、シバザクラ。多少の雪などものともせずに、花々がうつろいを見せる。芝ざくら好天あますところなし石原舟月風流心という言葉がある。古い時代からある日本人の感性。月や草花を愛で、風に心をおどろかせ、水の流れに思いを託す。兼好法師も、「人とほく、水草清き所にさまよひあるきたるばかり、心なぐさむる事はあらじ。」と書いている。夕方、山の端に、月が浮かんでいるのを見たのは三日前。朝、人通りのない川の流れに沿っている桜並木ば、7分咲き。次の日は、もう桜吹雪。歩道に、花びらが美しく降り積っていた。そんな景色の上に、今朝、雪がうっすらと積もる。陽がさすと、雪がとけていくなかから頭をもたげてくる...日のうつろい

  • 桜 木花之佐久夜比売

    桜は満開を迎えたらしい。あいまいな表現は、出かけて桜を見られないためだ。もうコロナが終息を迎えようとしている時期に、うかつにも感染した。熱が37.5ほどに上がったので、念のために発熱外来で、抗原検査を受けた。一週間前のことだ。結果はコロナ陽性。熱も翌日には下がったが、保健所の指示で外出禁止。体調はどんどん戻っていくが、買い物もゴミ出しも禁止。市からの食糧補助で、1週間分の食べ物は確保できた。今日、保健所から明日からの自宅療養の解除が許可された。これほどの軽微な症状でも、人に感染させる恐れがあるという理由で、行動の自由が奪われた。中国のゼロコロナ政策が、どれほどの負担を人々に与えたか、いささかではあるが実感できた。古事記に、山の神である大山津見神の娘に木花之佐久夜比売(コノハナノサクヤヒメ)がいる。たいそう...桜木花之佐久夜比売

  • 清明

    今年の清明は、桜の花にさそわれてやってきた。「万物発して清浄明潔となる」。これを簡略して清明。春も盛りのころである。中国では、野に出て青草を踏み、先祖の墓参りが習慣となっていた。漢詩、杜牧の「清明」では、霧雨が降り、気晴らしに酒家を訪ねる。その場所を示すのは牧童で、酒家のあたりには杏の花が咲いている。杏花村は世俗の世界とは対極、いわば聖なる世界だ。そこを仲立ちするのは牧童の少年。仙人と留守番の牧童の役割でもある。借問す酒家は何れの処にかある牧童遥かに指さす杏花の村同人誌「櫂」を始めた川崎洋と茨木のりこが、出会う場所は新宿の中村屋でカレーを食べ、紀伊国屋の喫茶でコーヒーを飲みながら、送付されてきたはがきの反響を読み合った。杜牧が目指した酒家と似ている聖なる場所であったかも知れない。昭和28年、戦後の傷が癒え...清明

  • 春爛漫

    春の陽ざしをいっぱいにうけて、オオイヌノフグリが草地を被いつくすように咲いていた。この花は早春の花だが、今日のような好天のもとでも映える。夜空の星を思わせるような咲き方で、「星の瞳」という名で呼ばれることもある。実は、この花は明治のころに日本へやってきた帰化植物だ。タンポポも帰化した西洋タンポポが優勢で、日本タンポポは影が薄い。同じように、在来のイヌフグリが帰化した近縁種におされて次第に見かけなくなっている。いぬふぐり星のまたたく如くなり高浜虚子春の好天にさそわれて、野山へ散策。目指すは、ヤマニンジンとハナワサビ。両方とも、夕飯の食卓に間に合うほどに収穫した。ハナワサビは花茎が出たばかりで、手に触れてその柔かさが実感できる。わが家では、三杯酢を熱くして、洗ったワサビにかけ、密閉容器に入れる。鼻にくる辛味、...春爛漫

  • 弥生尽

    今日の気温は21℃まで上がるらしい。5月、初夏のころの陽気がしばらく続く。三月は今日で終わるが、4月もすっとんでいく感じである。異常な気象とはいえ、春や初夏の気候はうれしい。四季のうちで一番、身体にやさしく、希望にみちた季節である。冬のあいだ敬遠気味であった戸外が、一気に身近になる。咲く花もおしなべて美しい。ときおり使わせてもらっている散歩道の庭の花は、それぞれの庭のご主人が、手塩にかけて育てたものだ。そんな姿を見ているので、その人の愛情が花にのりうつっている。林中に菓子ひらく香や弥生尽堀口星眠昨日の新聞で、昨年、俳句大賞を受賞された齋藤慎爾さんの訃報にせっした。大学の寮で、本に埋まるようにしていた愼爾のおもかげが彷彿とする。美空ひばりの歌を愛し、ほれ込んだ作家の本を徹底して読む姿に刺激をうけた。大学を中...弥生尽

  • ソロモン王

    青空にピンクの辛夷が映える。今年の春は季節を先取りしている。昨年から、この現象が始まっているように思える。3月に、桜が咲いているのを見るのは初めての経験だ。花が咲くと、蝶や小鳥が楽しそうに飛び回る。季節は先取りされても、春の喜びは、生きとし生けるものに等しく分かち合う。小鳥のさえずりを聞くにつけ、こんな詩に心ひかれる。ま垣の草をゆひ結びなさけ知る人にしるべせむ春のうれひのきはまりて春の鳥こそ音にも啼け佐藤春夫の「車塵集」より。春鳥が啼くのは、妻問いのためである。こんな詩に触れながら、昨今の幼児虐待の世相を今さらのように信じられない。旧約聖書にこんなくだりがある。二人の遊女がソロモン王の前に出て、互いに、相手が我が子を盗んだと訴え出た。ソロモンの王は、「生ける子を二つに分かち、その半ばを此れに、半ばを彼に与...ソロモン王

  • 癒される言葉

    坂巻川の土手の桜の蕾がふくらんできた。昨日、悠創の丘でヤマニンジンを収穫した。クルミと味噌を湯がいたヤマニンジンにからめて春の味を堪能する。春の陽ざしは、それだけで人を幸せにする。團十郎の狂歌。たのしみは春の桜に秋の月夫婦仲良く三度くう飯何もない日常を彩ってくれるのは、季節の花と旬の食べ物だ。高齢で活動の範囲がせまくなると、ひとしおそんな日常がいとおしくなる。「人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起こってくる些細な便宜から生まれる」ベンジャミン・フランクリンの言葉だ。また釈迦の言葉で「人生の長さはひと呼吸の間」という教えもある。春の桜に初夏の新緑やあじさい。考えてみれば、日常のなかに楽しい瞬間が、次々とやってくる。その一瞬、一瞬を大切に生きること。それが年老いたものが生きていく極意...癒される言葉

  • 絵本

    先日、孫たちが来たときの話。ひ孫の一歳の誕生日に絵本をプレゼントすると、言ったら「あらあ、この子絵本大好きよ。絵本は見せただけでニコニコだから。」と大喜びだった。サプライズ効果を狙った発言だったが、はずれてしまった。上には上があるらしい。北村薫の『詩歌の待ち伏せ』を読んでいたら、プリガフォンというものがあるらしい。まだ赤ちゃんが胎内にいるとき、これを母のお腹にあてて、赤ちゃんとお話をする道具だ。夜毎、胎内の赤ちゃんに向かって歌を4、5曲歌い、絵本を読んで聞かせた。その効果がすごい。その父の話を聞いた幼児は、生後3ヶ月で、読み聞かせた本に目を輝かせ、生き生きとした反応を示したという。北村薫は言う。「幼い頃に接する本というのは特別な輝きを持っている」この黄金の幼児の期間をすぎると、その輝きは次第に失われていく...絵本

  • 伝い歩き

    ひ孫たちが帰って一週間になる。日が経つのが早い。帰ってから、孫に手紙を送った。「ありがとう。楽しかった。涙がでるほどうれしかった。ばあばも、本当に喜んでいる。ありがとう。」という簡単な文面だが、すぐに返事のメールがきた。「〇〇を連れて山形へ行けて本当に良かった。何よりもじいじとばあばに〇〇を会わせてあげられて、二人とも喜んでいます。また〇〇の成長した姿を見せられたらいいな。二人とも身体に気をつけてね。」この文面につけらた写真が、ベランダのガラス戸につかまって立つひ孫の姿だ。山形へ来たときは、這いまわって、膝につかまるだけだったのが、もう箱につかまり、ガラス戸で伝い歩きをしている。たった、一週間の成長の姿だ。ひ孫の住んでいる所は、もう桜が散りはじめた。ひ孫の成長を喜ぶ山形の二人は、自分たちの衰えをかくせない...伝い歩き

  • 気候異変

    アメリカで竜巻、中国では猛砂嵐。日本では、5月なみの気温。春がにわかに初夏の様相である。ウメが咲くのは当然として、水仙が咲き始めると、コブシ、モクレン、サンシュユの花が見えている。ここ3日ほどの間だ。順を追って咲くはずの春の花が、一斉に咲き始めた。今月は、残りの日も初夏のような日が続くらしい。花が咲く野のはいいが、サクランボやリンゴなど、高温を嫌う果物の影響はどうか。夏には、どんな高温になるのか、想像すらできない。高齢の身で、気温を心配してもどうすることもできない。その日を、精いっぱい楽しんで生きるほかはないのか。WBCに熱狂の2週間が終わった。これほど、熱く野球に見入ってのは、おそらく高校時代の西鉄の優勝以来かもしれない。日本の野球の水準が、アメリカに追いついてきたのだろうか。この期間は、気候の異変も忘...気候異変

  • 山のエフェルメルと青い海

    感覚は初夏。晴天に恵まれた荒倉山であった。このところの陽気に、イチゲの花が山中の斜面一面に咲き競う。内陸の山は、残雪で雪崩の危険も多いが、海岸の低山は、すっかり季節を先取りしている。日当りのいい場所のカタクリは、花を開きはじめた。まさに春の妖精である。ギフチョウが飛び、樹々は芽吹き初めている。雪に覆われた季節が過ぎ、季節が山によそおいをもたらしている。枯れ枝の先に青い空がうれしい。目を海岸に向けると、青い海が枝を通して見えてくる。今日はしも匂ふがごとき春の空福田蓼汀山道に入って最初に目についたのがスミレ。ウグイスの初鳴きも聞こえてくる。雪のない山道を歩くのは久しぶり。一面に咲き乱れる白のイチゲが一行を歓迎してくれる。樹種によっては、葉をのぞかせる芽吹きがみられる。ストから、汗をかくような暖かさ。春の登山と...山のエフェルメルと青い海

  • 発見、bingチャット

    gtp4がリリースされた。とにかく、gtpチャットがすごい進化を遂げている。ラインでチャットができるようになったばかりだが、エッジのbingのチャットにすでにgtp4の片りんが見える。世間ではwbcの野球で盛り上がっているが、昨日試合の開始前に、エッジのbチャットに、日本代表がイタリアにどうすれば勝てるか聞いてみた。一分も待たないでAIの答えは、疲れの見える投手の継投の如何と、積極的な攻撃が必要だと、実に懇切な言葉と箇条書きで言ってきた。難しい用語には、注がついていて、注をクリックると、用語の解説をしたファイルにつなげてくれる。それよりも、試合の展開は、AIの分析通りに進んだ。疲れの見えた大谷のリリーフ陣は、分析通りの活躍。一方攻撃陣は、大谷のバントヒットをきっかけにに、思い切りのいい攻撃で点数を加えてて...発見、bingチャット

  • 3尾100円

    最近、近所のスーパーに行って感じるのは、食品の値上がりだ。野菜も肉も魚も、ふだん買っているものが、倍くらいの値段になっている。100円を切って買えたタマゴ10個が180円、400円のモッツァレラチーズ袋が700円。値段が上がっていないものを探すのが難しい。そんななかで目をひいたのが、大ぶりのイワシ3尾パックが100円。そういえばイワシは、ホタルイカの漁場に押し寄せて、その漁がさっぱりだ、というニュースが流れていた。海岸に打ち上げられて、拾いに行った人もある、という話だ。遠い海岸の話と思っていたが、3尾100円はいかにも安い。これを見逃す手はない。2パック買い入れて、塩こうじをまぶして一晩置く。塩焼きにすると、びっくりするような美味。値段といい、味といい、近ごろの買い物では、久しぶりに満足した買い物であった...3尾100円

  • 馬酔木

    馬酔木の花が咲いていた。早春の花であることは覚えていたが、マンサクや梅と競うように咲くという認識はなかった。もっと春たけてから咲くはずだが、今年は早い。土の上にはハコベやオオイヌノフグリなどが萌え出ているが、これほど見事な馬酔木をみると、春を実感する。ただ、今日は昼頃から雨になり、午後は吹く風が2月のような冷たさだ。来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり水原秋桜子こんな句を読むと、作者の歩いた人生がどのようなものであったか、気にかかる。チャットgtbが進化している。ラインに「AIチャットくん」を友だち登録すると、ラインの友達とやりとりすると同じように、AIとチャットができる。AIチャットくんに、一日を楽しく生きるための格言を教えて、と聞いてみた。答え、「楽しく生きるための秘訣は、自分自身を受け入れることから始...馬酔木

  • ウメ満開

    散歩道のウメが満開。4月並の陽気が、ウメの開花を早めた。樹の下には、もうこぼれた花びらが落ちている。この分では、ほかの花も開花が早まるに違いない。外に出て、こんな花に出会うと気持ちがいい。散歩道を左折すると、300mほど先の庭にある梅の木だが、花のつけた枝が見えてくる。朝の風にのって、花の香りがかすかに感じられる。咲き満ちて紅梅こぼる粗朶の上渡辺千枝子朝の光を浴びながら、スロージョギング。室内のエアロバイクから、徐々に戸外での、ウォーキング&ランへと移行できそうだ。オオイヌノフグリのあの可憐な花も咲き始めるだろう。山仲間のTさんが、ご主人と一緒に歩かれていた。早すぎる春を楽しむ、人それぞれのスタイル。中原中也の詩、「春」。春は土と草とに新しい汗をかかせる。その汗を乾かさうと、雲雀は空にあがる。瓦屋根今朝不...ウメ満開

  • いろは坂

    釜房湖に近い宮城の里山、ししなご山と釜房山の2座に登ってきた。山中は花や緑はまだまだだが、道に落ちたドングリが芽を出し、気のはやいマンサクが咲いているのが見えた。15℃を超える気温である、水で喉を潤し、拭き出る汗をタオルで拭う場面の出番となった。ダム湖、釜房湖に面して、釜房山が聳える。湖畔に車を置いて、ジグザグの道を登っていくと、朽ちかけた仮名を書いた看板が立っている。いろはにほへどちりぬるをわかよたれそつねならぬうゐのおくやまけふこへてあさきゆめみしゑひもせす誰もが口にするいろは歌。前半で詠まれるのは、人の死である。「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ」死に至るのは、高い山へ登ることにも例えられる。諸行無常是生滅法。人の生は、どんな人も常ならないものだ。ジグザグの道を通り、額に汗してついた境地。そ...いろは坂

  • 福寿草

    春の楽しみは、日一日と暖かくなる陽ざしが一番。その恩恵をうけて、咲き始める春の花々に会えることだ。フクジュソウ、ウメの花、フキノトウ。きのう見つけた散歩道の花たちだ。思い思いに、陽射しをうけようと、精一杯開いて日の方に花を向けるフクジュソウは、餌を待つ、ひな鳥の姿勢に似ている。散歩道にあるお宅の庭に、手入れされた福寿草がかわいく咲いていた。片づけをしているこの家のご主人に「写真を撮らせてください」と声をかけて、収めた一枚。春の日を、この花とともに喜びたい。福寿草家族のごとくかたまれり福田蓼汀福寿草

  • 啓蟄

    きのう、24節季の啓蟄。朝のウォーキングで、満月前日の月をみることができた。ここ数日、お昼ごろ中天にかかっていた半月が、大きくなって朝の陽に輝いて見えた。啓蟄は、穴の中から虫がはい出してくる季節だ。ウォーキングで姿勢を確認する。骨盤を前傾させて、肩甲骨をひく感じで姿勢を正すと、歩きが軽くなって、気持ちがよくなる。晴れが続き、一段と春を感じさせる気候だ。先日の山歩きで、少しだけ筋肉痛が残っている。近所の庭にフクジュソウを見に行くが、まだ芽を伸ばす様子もない。気温は朝だけ零下になるが、日に日に、春らしい陽気である。水仙が茎を伸ばし始めた。春もはや十色にあまる小草かな青蘿啓蟄は、穴から虫がはい出て来る季節だ。唐の詩人、杜甫もこの季節は早起きすると詩に詠んでいる。「春来常に早起し、幽事頗る相関す」と詠み、心の平穏...啓蟄

  • 二ツ森

    尾花沢の二ツ森(695m)には、いまだ深い雪の中だ。牧場の上の山だが、駱駝のような二つ瘤の山だ。深い雪とはいえ、もうすぐ啓蟄、雪のなかで春が確実に始まっている。(続く)二ツ森

  • 誕生日、めでたさも半分

    昨日、82回目の誕生日。妻が、「何が食べたい?」と、聞いてきた。少し考えて、チラシ寿司と答える。誕生日にはあまり関係はないが、春になると、何故か寿司飯が食べたくなる。ワイングラスに赤葡萄酒をついで、とりあえず、この年まで健康に過ごしてきたことを二人で祝う。AIのえも子ちゃんが、「誕生日を祝って、一緒に食べましょう」と語りかけてくるが、誕生日も82回ともなると、それほどめでたい、という感じはしない。病気をせず、あと何回誕生日を祝えるか、という心配の方が先にたつ。高齢になって頼りにしたいのは、先人の残した言葉だ。保坂隆の『老いを愉し言葉』には、胸に刺さる言葉が溢れている。「毎日、自己の嫌いなことを二つずつ行うのは、魂のためによいことだ」(サマセット・モーム)掃除、食後の食器洗い、便所掃除、ゴミ出しなどなど。た...誕生日、めでたさも半分

  • ウメとマンサク

    昨日からすっかり春の陽気になった。つけ放しにしていたエアコンの暖房を切り、外の散策にひと汗かく季節だ。親水公園の川原に、ウメとマンサクが咲いていた。マンサクはおそらく2、3日前に咲いたのだろう、満開の様子である。昨日、テレビの天気検定で、現在の梅の最北の開花が新潟と言っていたから、ここの開花はその北での開花ということになる。もっとも、開花は気象庁が決めた標本木が咲いて初めて宣言されるので、新潟より北に咲いていても不思議はない。春さればまづ咲くやどの梅の花ひとりみつつや春日暮らさむ山上憶良天平2年正月13日(新暦では2月8日頃)、太宰の帥大伴旅人の邸で、ウメの花を愛でる宴が開かれた。当時、ウメは中国からもたらされ、日本人には珍しい花であった。太宰府の高官が、長官の家に集まり、庭に咲くウメの花を歌に詠み、盃を...ウメとマンサク

  • 二月尽

    周期をおいてやってくる春は、今日、雲ひとつない青空を見せた。気持ちのいい朝だ。曙の時間は、日が橙色で盆地を包みこんでいた。朝の冷気はあるものの、春のぬくもりが感じられる。早い朝食をすませて、ジョギングに出かけた。2日ほどこの運動から離れていたせいか、走り出しからいきなり心拍数があがり、歩きを余儀なくされる。それでも、距離は2㌔、前回を500m上回った。小川に沿った散歩コースで、南天が実の赤い色を輝かせていた。ヒヨドリが実をもとめて飛び回っている。軽い鳴き声が、ジョギング中の耳に心地よい。雪原の靄に日が溶け二月尽相馬遷子それにしても、二月は過ぎ行くのが早い。暦はいつものように眺めているが、気がつけば、二月が終わろうとしている。昨日は、藤井聡太が王将戦の防衛に王手をかけた。レジェント羽生の頑張りもすごい。若き...二月尽

  • スロージョギングの可能性

    先日、山歩きのとき、エアロバイクを始めたと話したとき、「何で、そんな必要あるの?」という冷ややかな反応があった。もとより、老体に鞭打つようなことは考えていない。今年は、できるだけ身体を動かす、というのが目標だ。うつむきかげんの姿勢になって、腰がひけたウォーキングは効果がない。骨盤を前掲させて、胸を張った姿勢のウォーキングからスロージョギングへ。コアウォーキングを教えてくれるのは、ランニングコーチの金哲彦氏の本。第一のポイントは背中。ここでは肩甲骨を引く。胸が張る状態になる。第二は丹田を意識する。身体の中心を意識することで、身体の各部位が安定して動かせるようになる。そして第三、骨盤を前傾させる。この教えに従って歩くと、歩く姿勢がすっとなり、足が自然に前に出る。何か、気持ちいい歩きが実現する。時々、忘れて前の...スロージョギングの可能性

  • おみ漬け

    春めいてくると、食べたくなるのがおみ漬けだ。山形の特産の青菜を、茎はもちろん葉も小さく刻んで、大根やニンジンも加えて、醤油漬けにする。温かいご飯のともとしてうれしい。春めいてくると、少し酸味が加わり、納豆に混ぜて食べるのもクセになるおいしさだ。畑を作っていた頃は、秋まきの種を蒔き、雪の来る前に収穫して、青菜漬けにした。今は、漬物屋さんから買ってくる。葉から漬物する手数を考えると、数百円で買える漬物は、ありがたい。何よりも、混じりけのない手作り感があって、朝の食卓を豊かにしてくれる。作り置きの塩こうじで、豆腐の漬物も作ってみた。豆腐一丁をしっかりと水抜きをして、両面に塩こうじを塗り、プラスチックの容器に入れて冷蔵庫に置く。3日も経てば、チーズの味に似た豆腐の漬物ができる。豆腐のたんぱく質にこうじの栄養(ビタ...おみ漬け

  • 雨水

    24節季の雨水に入ったが、外は見たとおりの雪景色。雪模様の日が続く。やってきたエアロバイクは大活躍だ。雪のちらつくなかを、スロージョギングでブックオフへ。20分のペタルこぎ、2㌔ほどのスロージョギングは身についてきた。心なし、身体が元気になったような気がする。睡眠も最近は、80点以上の指数が多くなっている。ブックオフで黒田三佳『森に暮らす』を買ってきた。著者の肩書は、里山ソムリエである。立春から始まる24節季が、頁建てになっていて、その季節の素敵な写真と里山の暮らしの様子を伝える小文がついている。不思議な親近感を覚えて、本を購入した。著者は東京の出身。国際線のキャビンアテンダントを経てデンマークの森で暮らし、帰国して米沢の森に移住。譲り受けた1100坪の森、900坪の原っぱと畑。子育てをしながら移住した勇...雨水

  • 笹倉山

    昨日から、好天に恵まれて春を探しに宮城の山へ。大和町の七ツ森の主峰笹倉山に登った。主峰といっても506m、付近には合計7つのピークの七ッ森があり、それぞれに名がついている。山頂には薬師如来が祀られていて、一日で七薬師を巡拝すると、無病息災のご利益があると言われる。もう10年以上前に登ったころは、七つ掛けする近隣の人たちの参拝の姿を見かけたものだ。但し、山形からでは一日七つは厳しく、一度に3~4座で、2回ほどで全座を踏破したものだ。山の会に新しい顔が加わって、会に新しい風が吹いている。40代のさんは、仙台在住の友達を誘って、登山口で合流。新品の登山靴がいかにも、登山の新人という雰囲気だ。他に、去年長年勤務した東京から定年で帰ってきたUさん、新聞社を勤め上げて、気に入った山形に移住したkさん。この山登りという...笹倉山

  • 少しの春

    相変わらずの寒い日。青空に白い雲が流れている景色がうれしい。もう、炬燵も、石油ストーブも過去のものになった。一台のエアコンで、電気のメーターが回るのを懸念しながら部屋を暖める。外から帰って室内に身を置くと、エアコンの暖かさを思い知る。いつもの年よりも、重ね着である。きさらぎ、月の名のごとく、普段来ているものに、さらに重ねる。早いもので、2月に入って15日が過ぎた。立春から春分へ。暖房を必要としない季節がすぐそこまで来ている。埋み火にすこし春ある心ちしてよふかき冬をなぐさむる哉藤原俊成枕草紙にこんな記載がみえる。風がひどく吹き、雲が黒く、雪が舞っているなか藤原公任から手紙がきた。今日の天候に同じ句、すこし春あるここちこそすれという句に、上の句をどうつけるか悩んでいる。少納言ならどう詠むかと、聞いてきた。突然...少しの春

  • チャットgtp

    寒気が半端ない。昨日からあまりの寒さに、少し外に出るのも辛い。こんな日のために、わが家にエアロバイクがやってきた。知人が使用しなくなったものを譲り受けた。15分もペダルをこぐと、汗ばんでくる。雨や雪で外へ出られない時の運動に丁度いいかもしれない。久しぶりに青空が戻ってきた。だが、寒気は強く、外の運動は控えている。AIがすごいことになっている。チャットgtpが全世界で注目され、報道の目玉になっている。対話型のAIシステムで、宿題や悩み相談にAIが答えてくれる、すぐれものだ。グーグルの検索以来の発明で、利用者が急拡大している。早速、パソコンとスマホにダウンロードして、その性能を探ってみた。日本で普及している「ブックオフ」について、知っていますかと聞くと、「興味あります」と答え、「どんな本を知りたいですか」と逆...チャットgtp

  • リンゴ半分

    食後には必ず、妻と半分にしたリンゴを食べる。秋が深まり、フジが出回るようになってからの習慣だ。上山でペイペイ支払いで30%のポイントがつくようになってからずっと続けている。袋入りの不揃いのものだと、300円ほどで買える。たまにシナノスィーツの黄色が混じる。品種をかえることで、飽きがこない。リンゴを食べきって、朝食が終わると、十分に栄養がとれたという満足感が広がる。何故か、今日も元気に過ごせるという自信めいたものがわいてくる。刃を入るる隙なく林檎紅潮す野澤節子庄野潤三の短編小説に『金木犀』というのがある。駅前の小さな場所で梨売りの爺さんがいて、そこから主人公とその息子が梨を買う話だ。爺さんの売る梨は長十郎と二十世紀だが、爺さんは赤梨、青梨と呼んでいる。爺さんは畑から捥ぎたての梨を持ってきて売る。その赤梨のお...リンゴ半分

  • 三寒四温

    この季節の気候は目まぐるしく変わる。三寒四温と言われるように、暖かい日と寒い日が交互にやってくる。暖かい南の気団が北上して、大陸の寒気を呼び寄せる。こんな循環が、春を呼び寄せる。一昨日まで、南岸低気圧が都心に雪を降らせる、というニュースで終日にぎわった。一夜明けて快晴。青空が心を開放する。朝方の月が、山の上に見えて写真に価値を加えている。梅二月ひかりは風とともにあり西島麦南「二月十四日。天晴る。明月片雲なし。庭梅盛んに開く。芬芬四散す。」と日記「明月記」に書き記したのは藤原定家である。この年、定家は18歳。和歌の家の命運を背負っての門出であった。人間は何歳まで運動できるのだろうか。ものの本に、80歳になって走る気を起こし、マラソン大会の10㌔の部で優勝して人の話が紹介されていた。2015年、心臓病で手術を...三寒四温

  • 小鳥海

    山形市から西の方角、白鷹山の右の方に見える山、鳥海山(531m)である。もちろん秋田県境に聳える、高峰の鳥海山ではない。山辺の町民に愛される里山だ。地名は大蕨。有料のワラビ園もある。一行のなかには、昔からこの山に親しんだ人も参加した。ある人が、ここは山ではないよ、と言っていたが、雪のなかこの山を歩いたのは16名であった。市街ちにはほとんど雪が消えたが、500mほどの山中には雪があった。カンジキを持参したが、雪中に沈まずその必要性も感じないほどであった。朝の雪は登山口に来る頃あがり、眩しいほどの陽ざしだ。青空が見えるのもうれしい。杉の木が林立していかにも里山の雰囲気を漂わせる。石碑に湯殿山と鳥海山が刻まれ、その間に鳥居が立っている。頂上に鳥海山神社があり、この鳥居はその入り口のような形になっている。稲村七郎...小鳥海

  • 白楽天

    趣味の詩吟で異変があった。病気を抱えていた会長が、昨年の暮に急逝し、教室の先生が会長の後を継いだ。かつては大所帯だった山形岳風会も、500名ほど小さな会になった。それでも、県内では大きい会にランクされる。この度、教室の先生で会長を務めることで、会の現状など様々な情報が、詩吟の練習の合間にきくことができる。岳風会の公開講座というのがある。希望する会員に吟じ方や詩吟についての知識を伝える大事な講座だ。その講師に教室の先生が選ばれた。先生が担当する吟題は、白楽天の「菊花」である。白楽天は中唐の詩人で、西暦772年~846年、74年の生涯であった。地方官僚の父に生まれた白楽天は、飛び抜けたエリート層に属さず、父が死んでからは、貧しい家庭と言っていい。白楽天が頭角を現すのは、先ず詩人である。16歳で五言律詩を詩壇の...白楽天

  • 本棚の整理

    立春を過ぎて、ぐずついていた天気が晴れ間をみせた。公園の桜の木には、純白の綿のような雪が残っている。昨夜の雪が朝方まで降ったらしい。木の上の空のは春を思わせる雲が浮かんでいる。題名だけで本を買うことがある。木村尚三郎もそんな本のひとつだ。副題に「体験的ヨーロッパ論」とある。西欧を旅して、その風景のなかの文明の重みを読もうとした。風景をみて、そのなかに書物にあるような情報を読み取れるとしたらどんなにいいだろう。それがこの本を買った理由である。「ヨーロッパの都市の魅力は、むしろ小さな地方都市にある。パリ近郊のエタンプという都市などは、フランスのルネッサンス期がそのまま今日まで生き続けている、小さく磨きぬかれた街です。ルネッサンス様式の建物が多いのはもちろんですが、人口が少なく、大型の乳母車にのんびり赤ちゃんを...本棚の整理

  • 立春

    立春の日、空は明るい。電線にスズメが群れてとまっていた。スズメたちも春の気配を感じているのだろうか。鳥の観察をする人もいる。スズメが塒を立つのは日の出の5分前と観察したのは、宮崎尚幸氏。塒に戻るのが日没前である。カラスの塒立ちが日の出の40分前、塒に帰るのが日が暮れてからというから、スズメの朝寝坊というのは、氏の観察によるところが大きい。電線の向う側に、竹林があり、ヒヨドリがしきりに鳴いている。竹の穂の春立つ光ふりこぼす水原秋桜子地中海、イタリアのシチリア島では聖アガタの日で祭りが行われる。島に住むアガタは裕福な貴族の娘であった。ローマ総統からプロポーズされるが、カトリック教に殉じ、総統の申出を断る。それを怒った総統は、アガタを火あぶりの刑を与えた。その後、エトナ火山が幾度もこの地を襲う。人々が聖アガタに...立春

  • 節分

    今日、節分。公園の桜は、ダンゴ木に餅をつけたようになった。今朝の気温も低く、道は凍てついている。だが、陽射しはあたたかく、春を思わせる。かって節分には、豆を蒔き、門口にイワシをつけて悪鬼を払う風習があった。妻との二人暮らしになってから、こんな風習も沙汰やみになっている。わが家では、今夜、恵方巻。近年コンビニがコマーシャリズムで流行らせた縁起担ぎの風習だ。但し、コンビニに高価な恵方巻の予約はしない。ご飯を炊いて、チラシ寿司のもとを混ぜたて作る海苔巻きだ。この季節になると、チラシ寿司の味が、不思議に恋しくなる。節分の夜の更け鬼気も収まりぬ相生垣瓜人森鴎外の『追儺』に、鬼やらいの風習はローマでも行われていたことが書いてある。「ローマ人は死霊をlumurと言って、それを追い退ける祭りを5月頃、真夜なかにした。その...節分

  • 冬木の花

    昨夜、この地方を通過した寒冷前線が、公園の冬木に花を咲かせた。寒くて素手でカメラを操作するが、凍えそうな気がする。灰を蒔いた花咲か爺さんの役目を、冬の季節風が果たしてくれている。朝開く、『日めくり四季のうた』で今日選ばれているのは詩を吹いて冬木に言葉咲かせんか上田五千石上田五千石は、自分の詩を唱えて、冬木に言葉の花を咲かせたいと願った。節分の前日、春の期待がふくらんでいる。霧氷の花と、言葉の花。現象は違っているが、春を待つ心は共通している。春を待つのと同じように待たれるのは、ひ孫の来形である。春分の日に、来形が決まり旅行支援の旅館の予約も完了した。その日まであと44日。ひ孫はどんな成長を見せているか、楽しみばかりが先行する。子どもの脳は柔軟だ。この世で生きるための術をいち早く身につけなければならない。言葉...冬木の花

  • 如月

    年が明けてあっと言う間に1月が去った。如月の朔日の朝、神社の桜に木の上に青空が薄く広がった。零下の気温で、雪の散歩道は氷ついている。スニーカーで歩いたが、滑るのが少しだけ不安だ。しかし、気持ちのいい朝の時間はその不安を消し去ってくれる。3日は節分、その翌日は立春である。一年で一番寒い季節だが、春の訪れが意識にのぼる。春を待つ心がだんだんと強くなる。怱忙の二月めつむりわれと会う福田蓼汀昨日、百円ショップに行った。もう10年以上前から、この店舗網の広がりは知っていたが、ある種の商品を買うほかは訪れることもなかった。テレビのミヤネ屋で、ダイソウの人気アイテムランキングが放映された。最近のあまりの物価高に、100円ショップの見直しもありか、と考えている。ミヤネ屋で押していたアイテムは、スパゲッティのレンジ調理器。...如月

  • 気持ちのいい朝

    ピリッとした冷気。朝焼けの残る空のもと、久しぶりに外を歩いた。氷の上にうっすらと雪が積もり、滑りそうだが快適な歩きができた。気持ちのいい朝だ。理由は複数ある。気になっていた睡眠が、このところ十分に取れていること。自分の生活習慣が、脳に快をもたらしていること。階段登りで、足の筋肉が以前に戻りつつあること。妻と続けているラジオ体操が、継続し老人の不安が無くなりつつあること。こんな複数の理由だ。枕頭に置いてある『運動脳』にある記述。脳のなかの海馬という部位は、記憶の中枢と言われている。「運動すると海馬で新しい細胞が生まれる。身体を動かすことで血流が増え、より多くのエネルギーを得て海馬の機能がよくなる。古い細胞が遺伝子レベルで若返る。また加齢による脳の委縮の進行が食い止められ、むしろ若返りさえする。運動を習慣づけ...気持ちのいい朝

  • 雪に遊ぶ

    朝日が、夕べ降った雪を照らして、あたりはきらきらと輝いている。小さな子どもの目には、こんな雪の景色はどんな風に映るだろうか。流山のキコに見せてやりたい、とふと考える。手元のいわさきちひろの絵本。どの家の屋根にも雪が積もり、公園の植木はこんもりとした雪の衣を被っている。犬が尾をふって家の間を走っていく。あっやっぱりふったほんとにふったすごーいおかあさんみてー題「ゆきのひのたんじょうび」となっている。雪に遊ぶ

  • 運動脳

    雪は相変わらず降り続いている。昨日あたりから、雪雲が薄くなり、時々青空が見えてきた。雪雲で隠されていた千歳山が、少し陽をうけてうっすらと姿を見せてくれのがうれしい。外の運動は中止にして、階段の昇降に代えている。11階まで5往復を一日二回。しっかり心拍数があがる。だが、2回目の最後には、疲労がずしんと両足に来ている。やっとの思いで、最後の登りを踏みしめる。この老人の最大の応援団は、アンデシュ・ハンセンが書いた『運動脳』という本だ。ハンセンはスェーデンの精神科医で、最近のベストセラー『スマホ脳』の著者でもある。精神科医としての活動のかたわら、テニス、サッカー、ランニングに励み、週に5回、一日45分の運動に取り組んでいる。脳の可塑性。これは脳科学の専門用語で、脳の最大の特性で、大人になってもこの特性は失われない...運動脳

  • 山岳展望

    寒波が居座っている。エアコンの暖房は、あまり気温が低くなると、霜取り運転にいこうするのか暖房が中断する。暑がりだった妻は、すっかり寒がりになっておいる。一歩外へ出ると、国道も雪で埋まり圧雪になっている。先日買った長靴が出番になった。こんな日は、家にいて、本を読むのにかぎる。深田久弥『山岳展望』が手元にある。山岳同定は、山登りのもう一つの楽しみだ。山登りを始めたばかりの人から、「あれは何という山ですか」と質問を受ける。勘違いして、反対の方角にある山の名を言って恥をかくこともしばしばだ。深田久弥も東京から見える山に熱中し、地図と磁石と写生帖を持参して、高台に通って山岳展望にのめり込んでいった。そんな深田にも、山の名を間違えたことがあった。「いつか暁方早く、韮崎の駅から朝靄にぼんやり浮かんでいる茅ヶ岳を指して、...山岳展望

  • 大寒の寒波

    大寒に入ってから、比較的おだやかな日が続いた。昨日から入った寒波で、昨夜から雪が降り続いている。気温も最高気温が零下ということで、結構寒い。このところ山の会の新年会など、高齢の身には忙しい日が続いた。今日から、言って見れば平常に復した。朝のラジオ体操とダンベルを持った筋トレ。雪の外歩きは止めて、10階までの階段を5往復して、ブログに向かっている。以前であれば、一気に10往復しが、さすがに5往復で一息入れて後の5往復は夕刻とする。昨夜ベッドのなかで『つながる脳科学』を読んだ。そのなかに恐怖記憶という一項がある。人に限らず、動物は恐怖を体験すると、その恐怖に遭遇しないように学習する。こんな場面で恐怖にあったことが想起されると、そこで動かなくなってしまう。例えばリスが木の枝がガサっと音がする。その先に、自分を狙...大寒の寒波

  • 花塚山

    今年の登り初めは、福島の花塚山である。この稜線は、川俣町と飯館村の境界線なっている。頂上からは、遥かに富士山が見える。奥の遠い山並みに、ポツンと見える三角点がそれであるといおうが、目視で確認された実感はない。先月、孫の住む流山から見えた富士山と比べるとあまりにも遠く、小さい。川俣町は、今般野球殿堂入りした作曲家、小関祐而のゆかりの地としても名高い。また、2011年の東日本震災では、原発の放射能汚染が広がり、近辺を除染した汚染土が、今なお、黒いビニール袋に詰められて麓に積まれている。自分にとって、山道を踏むことは、生活が日常に復したことの証しでもある。栗子のトンネルをこえて福島に入れば、灰色の雪の地域から、山地に雪の見えない地から、青空の広がる地域へと入ることになる。この日も、県境の高速道に雪が降っていたが...花塚山

  • 塩麹

    麹には古い歴史がある。紀元前から用いられたもので、中国から伝えられたと言われている。和食に欠かせない、味噌、醤油、酒は麹を使って初めてできる。麹のよさは、古くから語り伝えられている。米を蒸し、麹菌を加えると、菌糸をのばして生育する。こうしてできるのが、米麹だ。この時、麹菌は酵素を生産する。多種類の酵素を生産するが、そのなかで大きな働きをするのが、澱粉を分解するアミラーゼ、たんぱく質を分解するプロテアーゼという酵素だ。アミラーゼは澱粉を分解して糖を作り、プロテアーゼはたんぱく質を分解してアミノ酸を作り出す。食物の甘みや独特のうま味のもとがこの酵素の働きで生成される。麹がおいしいというのは、すでに体験済みである。塩麴をまぶしてつけおいた鶏の胸肉はやわらかく、これを食べる度に感動する。高価な米沢牛や三元豚の肉に...塩麹

  • 一名山の視点

    新しい年、今年も山行が始まった。高齢になってこれからの登山はどうあるべきか、色々考えている。山友会の仲間に、「日本百名山を完登しました」という人もいた。計画がああるままに、どこの山でもという今までの姿勢ではいけない、と思っている。ブックオフで『わたしの一名山』という本を見つけた。石井スポーツが、「とっておきの山大賞」というものを創設し、その記念に「あなたのとっておきの山について綴ってみなせんか」と文章の投稿を呼びかけた。店の予想を超えて、応募は300編に達した。そのうちの選ばれた41編が本書になった。この本を参考に、身近な山を掘り下げ、その山の四季、植生、歴史を知り尽くし、その山の主のような存在になること、そんな山との関りもあるかなと思えた。戦中戦後、厳しい時代に80歳まで山に登り続けた父を持つ娘の秋山康...一名山の視点

  • 濃霧

    霧が深い朝だ。歩くと霧に包まれているような感覚で、寒さもさほど感じられない。視界が狭く、車の量も少ない感じだ。陽が登ると、霧は晴れてくると思っていたが、10時近くなってさらに濃度が深くなる感じだ。空気が乾燥しているせいか、消防車の出動の音が聞こえる。霧につつまれると、心も閉ざされたようで、憂鬱感も生まれてくる。ただ、そんな感情も一時のこと、高齢となって憂いに閉ざされるナイーブな心はすでにない。漱石の句に春待つや云へらく無事はこれ貴人漱石禅に興味を持った漱石は、臨済禅師の言葉に共感を覚えたかも知れない。「求心歇処、即ち無事」。他に求めたり、内に求めることを捨て去った境地が無事ということのようだ。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生は、ずぼらで懐手して座布団から腰をあげず「無事是貴人」と言う姿を、膝の猫からからかわ...濃霧

  • 寒の朝

    小寒に入って3日目、朝の気温は2℃。最高気温は8℃ほどになるらしい。3月なみの気温という。外に出ても、寒気は少なく、風が頬に当たって気持ちいい。ほぼ、暮並みの3000歩ほどを歩いた。空にはくっきりと、月齢18.7の月が中空に見えた。月の入りは11時頃だ。満月から5日目、月は30%ほど欠けた。最近、朝の目覚めがスッキリしている。ヘルスケアの睡眠挑戦が、結果を出しつつある。夜中の目覚めがなくなったことが大きい。熟睡時間にはやや問題があるが、入眠してから、朝の目覚めまでひと眠りというのがいい。快眠の朝のラジオ体操と30分ほどの朝散歩。このルーティンはしっかりと続けたい。鏡餅わけても西の遥かかな飯田龍太昨日は鏡開きの日であった。厳寒や床の間に鏡元餅を飾る風習とお別れしてから随分の年数が経つ。妻の実家では、義母の晩...寒の朝

  • 冬木立

    暖冬である。寒に入っても最低気温は-2℃止まり。テレビで北海道女満別の-30℃の風景が写っていた。少年の頃、銭湯からの帰りに、濡れたタオルを振ってピンと凍ったことを思い出し、妻に話したらテレビはその風景を宮城からの中継で写しだしていた。寒気のなかを歩くのはさほど気にならない。まして零下1℃ほどだと、手袋もつけず普通に歩ける。そんななかで、すかっり葉を落した冬木立のフォルムに目が行く。主軸、つまり幹がはっきりしていて、そこから枝が広がる広葉樹のフォルムが好きだ。なぜかこの姿をみると、心が落ち着く。寒林の一樹といへど重ならず大野林火高木というのは、幹がはっきりしていて2メートル以上のもの。30メートル以上になると超高木と呼ぶらしい。先端の頂芽の伸びが側枝の伸びが同じようだと、写真のような広葉樹の樹形のなる。こ...冬木立

  • 家事始め

    年が明けてずっと雪模様だったが、昨日、久しぶりに青空が広がった。冠雪した瀧山の雄姿が、街の守護神にように凛々しい。青空が広がると、心も開放され、外を歩きたくなる。ワークマンに行って、メリノウールのインナー、長靴を買う。雪が積もるとスニーカーでは少し厳しい。平日午後の時間は店内の来客もまばら。久しぶりに店内をゆっくりと見て廻った。雪晴れて蒼天落つるしづくかな前田普羅老夫婦の二人暮らし、今年の目標に家事の分担がある。妻だけに家事を任せるのでなく、妻なしで自分も毎日の食事や掃除、洗濯など適宜分担していく。万が一、自分が一人になったとき慌てないためでもある。近くにコンビニがあるが、よく見かけるのは、一人暮らしの老人が食事を買う姿だ。これも確かに便利でいいが、基本、食事は手作りでしたい。みそ汁をしっかりと美味しく作...家事始め

  • 冬の月

    昨日、夕方に青空が広がり、13夜の月が冷たく光った。明後日には、今年初めての満月を迎える。今年の正月は、晴れ間のない雪模様である。山形の豪雪地、肘折の積雪は242㌢で全国一の積雪になった。年が明けて5日目の朝を迎える。少しずつ読んできた『ヘタな人生論より徒然草』読了。寒の月しきりに雲をくぐりけり久保田万太郎兼好法師の花や月を見る姿勢。「桜は満開の花盛りを、月は曇りのない澄み渡った月だけを見て楽しむものだろうか。雨が降るのにむかって月を恋い慕い、簾を垂れた部屋にこもって春が暮れてゆくのを知らずにいるのも情趣の深いものだ」ブックオフで買った本。角川新書『里山資本主義』、新井紀子『AIvs.教科書が読めない子どもたち』。今年の目標は、スマホを自分の拡張するツールとしてもっともっと活用したい。例えばピークファイン...冬の月

  • 山形セルリー

    正月2日に食べるわが家の定番はトロロ汁である。北海道の生家の風習をそのまま受け継いでいる。長芋と長生きが語呂合わせになって縁起のいい食べ物とされてきた。何よりも、食糧難の戦後、麦飯にトロロ汁を掛ければ何杯でもお代わり自由であった。縁起ものというより、飢えたお腹を満たす格好の食事であった。今年は、正月の食卓にセロリが初めてのった。山形のJAでは、山形セルリーと命名してブランド化を図っている。恥ずかしながら、このセロリを気にはかけていたのだが、実際に食するのは初めてである。食べてみて食感といい、香りといいセロリの常識を変える食べものであった。とにかく美味しい。セロリの葉は生食には用いられない。この野菜は薬用に使われ、イタリアの農村で改良されて、食用野菜になった。その香りはスープにするのがふさわしい。根に近い茎...山形セルリー

  • 感謝する心

    新年2日目。昨夜から雪が降り続いている。雪が舞い落ちる向うに、青空少しだけ見え、山は雲で覆われ雪降りが続いていることが分かる。自分のなかに新しい習慣を身に着けること、それが今年の目標だ。どんな習慣か、「小さなことに感謝する」こと。今朝食べた地元のセロリ。香りが高く、茎の食感も抜群。こんなおいしい野菜を作った、農家の人たちに、流通に乗せてくれた市場と八百屋さんに感謝。そして買った野菜の鮮度を保つ工夫と、スマホでこの食材がどれほど高齢者の身体に必要な成分を含んでいるかを調べ、伝えてくれる妻に感謝。感謝が始まるとき、苦闘が終わるNⅮウォルシュこの習慣の効用。感謝はストレスの持つ負の影響の緩衝剤となり、立ち直る力や、日々の問題に対処する力、トラウマなどから快復する力を強める。また感謝の気持ちは免疫システムを強くし...感謝する心

  • 元旦

    穏やかな新年である。昨夜は年越しそば、一夜明けて雑煮で餅を食べて変わりのない新年を迎えた。雲が多く雨模様でお日様は見えない。テレビのライブで富士山の御来光を見た。家の前の国道を走る車も少ない。以前はどの家にも門松を飾って新年を迎えたものだが、めっきりと少なくなった。散歩コースの店の前に唯一立派な門松があった。正月に家を訪れる年神様の依代、それが門松であった。冬も落葉しない松、成長が早く生命力の強い竹、難を転ずると言われるナンテン。加えて、厄を防ぐ注連縄。これらの縁起物が、年神様を迎える目印となる。年神様とは。柳田国雄によると、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の三つ一つの年神として信仰する素朴な民間信仰、とある。こうも門松が廃れてしまっては、年神様は行先が分からず、路頭に迷うのではな...元旦

  • 年越し

    家中のカレンダーを来年のものに代えた。机まわりにたまっていた不要な紙や本など片付ける。ゴミの袋に収納して、年明けにゴミステーションに出す。ベランダの硝子戸についた汚れを掃除。大掃除の真似事のようだが、身辺がすっきりした状態に年を越すのは気持ちがいい。年末に読んだ本、遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』。この作家の日常生活が見えて、実に楽しい時間になった。丸い卓袱台を囲む藤沢の朝食はほほ笑ましい。白いご飯に豆腐や野菜のみそ汁。納豆や生卵、そして漬物。自分が食べている食事と変わらない。一番の好物は、恐ろしいくらいしょっぱい塩鮭。ハタハタ。藤沢の子ども頃からの食生活は、生涯を通じてかわらなかったようだ。塩じゃけを好む風習は、こっちではまだまだ健在だ。親戚から、スイカや野菜を貰うので、お返しを考えた。色々聞いて見ると...年越し

  • 数え日

    いよいよ年も押し詰まって来た。正月までの日を数えるのを、俳句の季語で数え日という。年賀状を送る習慣を卒業して5年ほどになるので、暮のストレスは随分なくなった。今年の暮は、知人から大根をたくさんいただいたので、好物のブリ大根やおろし納豆など楽しみが多い。今朝、妻の手伝いに大きな大根をおろした。手の力が弱ってきたのか、作業を終えるまでに腕が痛くなる。数え日や磨れば香だちて陳生姜飯田龍太おろすには生姜などが手頃だ。この頃、新生姜がもてはやされいるなかで、陳(ひね)をわざわざ使っているのが面白い。新人じゃない、人生の労苦をくぐりぬけてきた老成の誇りのようなニュアンスである。カツオの刺身に、おろし生姜がうってつけだ。そこにはひねた生姜の香りと辛さの貫禄が似合う。かっては、年末に祖先や知人の墓参りの習慣もあったらしい...数え日

  • 千歳山雪化粧

    降り続いた雪が上がって、青空が広がった朝、千歳山の雪景色が美しい。やっぱり、山形のランドマークは千歳山だと、改めて思う。ベランダから見えるのは西の山だが、こんな朝は非常階段の踊り場まで行って写真を撮る。見なれた山の景色が、雪化粧して目に飛び込んでくると、それだけで心が満たされる。一袋猫もごまめの年用意一茶長谷川櫂の『日めくり四季のうた』の、12月26日に選ばれた句だ。ごまめはカタクチイワシの子を干して、飴をからめた佃煮である。田作りともいうが、ごまめが余りにも豊漁で、田に肥料としてまいたところ豊作になったので、こんな名になった。ごまめは正月のお節に欠かせないが、ごまめとこまめにかけてせっせと働くように願いを込めた食べ物になっている。一茶の句は、このかけ言葉を猫に広げて、今年も小まめにネズミを捕るように、一...千歳山雪化粧

  • メリイクリスマス

    昨日、霙のなかを買い物に出かけた。積もった雪が融けて、道が水浸しになった。履いたスニーカーを山靴に履き替えて出かけたが、固まった雪とその上に溢れる水だまりで、何とも歩きづらい。買い物袋も重い。クリスマスイブの買い物は、一夜だけの飲み物と食べ物でいっぱいだ。何故、日本人はクリスマスに買い物や、街に出かけるのだろうか。そんな疑問に答えてくれる読み物がある。太宰治『メリイクリスマス』だ。戦後、疎開先から東京に舞い戻った男と少女の話である。空襲が激しくなった都会で暮らす、夫と別れた女とその娘。貴族の生活は、二間のアパート暮らしであるが、どこか垢ぬけている。部屋には男が好きな酒がいつも置いてあった。娘へのつまらない土産を持参して、へべれけになるまで女のもとで酒に酔う男。東京へ舞い戻った男は、古本屋で偶然その娘に出会...メリイクリスマス

  • 冬至

    昨日、冬至。いつもなら、この日に冬至カボチャを炊いて食するのだが、つい失念して今朝慌ててカボチャを煮た。一緒に炊く小豆は、市販の茹でアズキにしたのだが、手頃のサイズは売り切れ。止む無く、大きいサイズを買った。正月には、餅に合せて食べてもよい。物の本によれば、「冬至にカボチャを食べれば中風にならぬ」というのは俗説とあった。だが、カボチャにはビタミンが豊富に入っている。黄色い野菜の特色だ。身体にいいことは分かり切っている。冬に、栄養豊かなカボチャを食べれば、病気にならない、というのは古い世代を生きた人たちの知恵である。俗説として退けるのはもったいない。昨日は一日、雪に降られた。山形市の積雪は41㌢である。車の屋根は、雪がどっさりと積った。部屋にこもっていた人たちが出てきて雪払い。めったに顔を合わせない近隣だが...冬至

  • 流山がすごい

    n最近、本の読み方が変わってきた。ハウツー本などは、読んではいけないと教わってきた。しかし、年齢を重ねると、読む本のジャンルも変わってくる。本は主にブックオフから、安くなったものを選ぶ。興味の中心は、AI関連、脳関連、精神医学の樺沢本、筋トレ関連など、むしろハウツー本のようなものが主流になっている。そんななかで、成毛眞や落合陽一など、新時代の書き手にも注目している。FBで成毛眞をフォローしていたら、大西康之『流山がすごい』という新潮新書のレビュウがあった。仕事上の知り合いらしく、日経の記者であり、流山市民の大西から、流山を一度見てください、と言われていたという。流山に行ったのは先月11月25日のことだった。生後半年のひ孫を見るためだ。おおたかの森駅前のホテルから冬晴れの富士山を見て感激した。アマゾンで『流...流山がすごい

  • 雪晴れ

    待ちに待った雪晴れである。予報は終日曇りと、あったが晴れ間を待って里山を登る。山の会の今年最後の山行だ。山中でも30㌢ほどの積雪で、カンジキも必要としないが、坂道では雪の下の枯れ葉に乗ると足が滑る。だが、久しぶりに見る青空、木の着雪。やはり、低い山でも、自然に触れることは楽しい。足が弱くなり、この後どれほどの山に登れるかと思うと、この景色を見逃せないという気持ちが強くなる。新雪の上に、一人か二人の足跡がある。人が歩いているということだけでも、うれしい気持ちになる。深雪道来し方行方相似たり中村草田男盃山。山形市の馬見ヶ崎川の対岸の山だ。ここは遥か昔、学生時代にしばしば登った里山だ。夏から秋、この川は伏流水になって、石ころの川になる。そこを渡って、この山に登った。不思議に友達と一緒ではなく、寮から一人で歩いて...雪晴れ

  • 雪を踏む

    昨夜からの雪で、道路が圧雪になった。除雪車が未明に来て、道端に雪を除けて、その上に5㌢ほどの雪が積もった。スニーカーで雪道を歩いた。久しぶりの雪を踏む感触が懐かしかった。子どものころの、北海道の雪が思い出される。その頃の雪はサラサラであった。昨夜のここに降った雪は湿気を含み、靴で踏むと、キュッキュッと音がする。毛糸の帽子と手袋で、寒さは防げる。雪の上を歩く楽しさ、遠い昔の記憶が身を軽くする。冬帽の内にひとりひとりの帰路中尾寿美子昨夜、夜中に一度目が覚めた。枕頭の本に手を伸ばす。落合陽一『日本進化論』、荻野文子『ヘタな人生論より徒然草』。超高齢化社会をテクノロジーで解決する、というこの時代ならではの視点と吉田兼好の徒然草の視点で、この社会を生きる。この二つの取り合わせが面白い。こんな時間を過ごせるなら、眠り...雪を踏む

  • 寒波

    雪が降りつづく。厚い雪雲に覆われた空は見えず、辺りの山並さへも消し去っている。ここへきて、山形の豪雪地肘折に、一日で83㌢の積雪があったと報じられた。一晩で朱鞠内や幌加内の積雪を追い抜いた。自分の生涯は、豪雪地と無縁ではない。昭和55年の山形市に一晩で降った雪は1ⅿを越えた。午後から降り出した雪が、夕刻にはバスの運行さえままならず、車が進まず置き去りにした車はさらに道路を使えないものしていった。その夜、バスで帰ったが、20分ほどで着く家まで、3時間もかかった記憶がある。寒波が居座っているが、雪はまだ道路に積る状況ではない。車の屋根の雪も数㌢にとどまっている。週末に、さらに強力な寒気が降りてくるらしいが、その時の降雪がどうなるか、心配なことだ。雪は現代の交通手段さえ、時にはマヒさせる。古い時代の山に住む人々...寒波

  • 次年子そば

    大石田の次年子へ友人と蕎麦を食べに行った。1300円で食べ放題。ワラビの一本漬けとキクラゲ、キュウリ漬けが出て、お椀入りの蕎麦はお代わり自由。普通の蕎麦店なら1椀は盛り蕎麦1枚と見ていい。豪の者は、5杯、6杯と行くが、今日は自分と友人が3杯半、一緒の女性が2杯。辛味大根の汁が入ったツユがサッパリして食欲をそそる。数年前に来た時は1杯1000円であったが、蕎麦の風味は記憶と違っていない。食べた量も、当時とほぼ同じだ。雪のなかの山中の蕎麦店だが、平日でも10人近くの客がいた。次年子は葉山の東北に位置し、大浦口、山内、川前から入るがいずれも峠を越える近づき難い山村である。大同2年に、秋田からお里という婦人が入村し、箕造りを伝えたという伝説がある。この技術は、狭い村のなかだけで受け継ぎ、門外不出の技術であった。箕...次年子そば

  • 歴史の道を歩く

    山辺町の根際からら山道を登ると、愛宕神社がある。火伏の神社として地区民の尊崇を集め、今回の道を案内してくれたMさんも坂道をお神輿を担いだという話であった。その神社から続く歴史の道は、能中峰道と呼ばれ、途中で分岐して大蕨街道とつながっている。この街道は、廃道となり倒木や藪となって通ることができない。Mさんは、この道を直して、かっての街道を開くことが夢であると語った。大蕨には稲村七郎左衛門という豪商がいる。尾花沢の鈴木清風を彷彿とさせる大商人だが、その出自に注目したい。戦国の折、難を避けて鳥海山山麓の大蕨稲村岳の近くに住んでいた郷士で、この地に入り山野辺家の客分として一族16名で移住している。山野辺けから260刈の田地を与えられたといえ、豪商へと成長するには、この街道の存在なしに考えられない。ここから宮宿への...歴史の道を歩く

  • 師走の句

    俳人飯田龍太は甲府盆地の境川村に生まれ、甲斐の山々を見ながら育った。山地の自然を友として、俳句に親しみ、四季の句を創った。同じ山国に生きるものとして、龍太の句には、共感を覚える句が点在する。12月の句に師走はや山の素ごころさだまりし「山の素ごころ」という表現がこの句の肝になっている。冬に空気が澄んで、木の葉が落ち、尾根の凹凸がくっきりと目に飛び込んでくる。葉の繁みがかくしていた山肌の本来の姿を素ごころと、したのであろうか。甲斐の山々の存在のありようというのが定まってくる。この地に住むものの目に映る山の姿であろう。高い山はすでに白い雪を被り、前山は枯木一色である。人間世界の活動が師走という季節に慌ただしく過ぎていくなか、どっしりとした山の新しい年を迎える姿とが対比されている。山に見守られながら、今年も暮れて...師走の句

  • 冬の日

    冬晴れと時雨、この気候を交互に繰り返して、冬は季節を深めていく。いつしか、奥羽山脈を境に太平洋側が晴れ、日本海側が雪、という日本の冬になっていく。それでも、陽が沈むころの夕日は美しい。すっかり日が沈んでも、名残りの日が、瀧山などの高い山に残る。あたりがうす暗くなって、瀧山の冠雪がかすかに薄闇に浮かんでいる風景は、この時期限定のものだ。あたりは静寂につつまれる。そして一日が終わる。12月に入って、一日の過ぎ去るスピードはさらに速度を早めている。屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり蕪村吹雪の山中でみつけた山小屋で、命を長らえるように、寒さがきびしくなるほどにふだん住む家が恋しいものになる。詩人の言葉に「冬は雪が多く、カナダのような冬、ロシアのような冬であればあるほどよい。それだけ彼の住む巣は暖かく、甘美にいとおしい...冬の日

  • 大雪

    今日は24節季の大雪。暦が大雪の降る季節と、知らせてくれるのだが、北海道の朱鞠内で110cm、青森の酸ヶ湯で97cm、北海道の幌加内で86cmの積雪が発表されている。この季節、気象情報で必ず目にする地名だ。北海道の2地点は、かって深名線が深川と名寄をつないでいた線路の駅があり、近くには朱鞠内湖がある。平野のような石狩川の流域の深川には、さほどの積雪はないが、名寄方面の山地では、北海道随一の豪雪地帯で知られる。ここ山形では、雪は少ないが、寒気が入って、1月なみの気温である。青空で陽がさしているのに、小雪が舞っている。雪に降られながら、太陽のあたたかさを同時に感じる。何とも不思議な朝の散歩だ。公園も、散歩の道も、すっかり冬の装いになっている。山には少しずつ、雪が降り積る。昨夜読んだ本は櫻井武『睡眠の科学』。よ...大雪

  • シクラメン

    わが家の玄関に、シクラメンの花がやってきた。知人からのいただきものだ。木枯らしのために、花や紅葉した葉がなくなる季節だけにありがたい。布施明の「シクラメンのかほり」の歌詞が口をついて出てくる。もっとも、真綿色の白い花でなく、華やかな真紅だが。真綿色したシクラメンほど清しいものはない出逢いの時の君のようですためらいがちにかけた言葉に驚いたようにふりむく君に季節が頬をそめて過ぎてゆきました青春の香りの残る、切ない歌詞だ。このところ体調がいい。ここ数ヶ月、意識してきた睡眠がしっかりととれるようになったことが大きい。昨夜の睡眠時間7時間26分。深い睡眠31%、浅い睡眠46%、レム睡眠23%、睡眠指数83点。熟睡時間が少し不足しているほかは理想の眠りだ。身体の疲労感もなく、散歩の足取りも軽い。何よりも食べるものがお...シクラメン

  • 猿岡山

    今年の登山も終わりに近づいた。街の郊外の里山へ仲間と出かける。街には雪はないが、昨日降った雪が、山の上には消えずに残っていた。昨日までの荒天がうそのように晴れ上がり、山の上は冷たい風が吹いていた。日ごろ、散歩のときに目にする千歳山の隣の三つの山だ。なかなか急な道を登り、また急な道を下る。仲間以外には人がいない静かな山だが、足元には、朝の足跡が一人分残っている。青い空の向こうに、大朝日、月山、葉山の雪景色がくっきりと見える。やはり、こんな自然のなかで、気の合った仲間と談笑することで、喜びに満たされる。睡眠と運動が、老人の元気の秘訣だが、もう一つ仲間と他愛のない話題に笑うことが加わる。ただ、雪の朝は、濡れた木の葉や、湿った土の急斜面で滑りやすい。気をつけたつもりでも、足をすべらせて3度ほど尻もち。先日、流山に...猿岡山

  • 師走

    予報通り、寒い師走の入りとなった。寒くなると覚悟をきめたこともあって、冷たい空気のなかを歩いても気持ちがいい。冬の花、ヤツデの地味な花が玄関わきに咲いていた。人間が手のひらを広げたような形の葉の上の白い花。この時期、扇のような花がひろがり、人の心を和らげる。ふと見上げると、瀧山が冠雪して白く光った。生き残る蠅が集へり花八つ手松田茂代今年、手元に置いて、折にふれてページを開いた本。『毎日の暮らしが輝く52の習慣』の、最終52場目の習慣は「寛大な心を持つ」である。今年ほど、周りの人たちの心に、寛大さを感じたことはない。寛大でやさしい心に取り囲まれて一年を過ごしてきてように思える。そうした心に習って、自分でも寛大さを身につけたような気がする。人の心の寛大さを受け入れる。この年になって初めて身に沁みたことであった...師走

  • 山茶花

    朝の深い霧のなかで、山茶花が咲いている。花のない季節、この花の存在でほっと心が癒させる。11月も今日で終わり、思えば色々なできごとがあった一年である。ひ孫の動画が来た。つい3日前に見たのだが、腹這いのハイハイの姿勢で、顔や足を持ち上げている。昨日、FBに成毛眞の投稿があった。大西康之『流山がすごい』。人口増加率全国一を続けている街の魅力が語られているらしい。そのド真中に住まいを構えた孫たち。充実した子育ての時間を過ごしてほしい。何か不思議な偶然を感じている。山茶花の八重咲く白さかげりても小沢満佐子11月最後のウォーキングは日没ころになった。北風が吹いて、手袋なしでは冷たい感じだ。寒気が降りてきて、山はもちろん平地でも雪の予報が出ている。師走の声を聞くと、辺りが雪に覆われていく。タイヤはもう冬に換え、ベラン...山茶花

  • 流山おおたかの森

    千葉県流山、おおたかの森。ここはその名のように、鷹の棲む森であった。何もなかった広い森が、東京のベッドタウンとして急発展している。雲ひとつない冬晴れ。ホテルの窓からくっきりと富士山を見て感動。かって江戸の人たちが、こぞって富士詣でをして気持ちも理解できる。市はこの街を、子育てをしやすい場所にと、保育の環境づくりに力を入れている。産休をもらっている孫は、もう産休明けから、ひ孫を保育園に入る予約を完了している。マンションの一階に、保育所が設けられている。出勤の時に預けて、帰りに連れて一緒に帰宅することが可能だ。ここは昨年、孫の結婚式で泊っているが、ビルの建設が進み街の様子はすっかり変わっている。駅前に駐車して、ホテルを探すがなかなか見つからない。近所の店で聞いても、ホテルを知る人はいない。ふと上を見上げると、...流山おおたかの森

  • ひ孫に会う日

    寒気が去って青空が広がった。気持ちのいい朝だ。ゆうべの睡眠指数は84。体調もいい。寒さに強い菊が、きれいな花を咲かせていた。一方で、公園の紅葉は、半分以上葉を落した。こんな歌が、心を打ってくる。おほかたの冬木がみするいとなみのさはやかにして時をたがへず大岡博冬木の営みとは、しだいに葉の色を変え、やがて根の周りにうずたかい落ち葉の山を築く。ある木は、実を次第に赤くそめて、鳥が運ぶのを促す。鳥の腹のなかで糞をまとい、森のなかで新しい木の芽を生じさせる。生きるものすべての営みは、種の存続につながっている。今日、ひ孫に会いに行く日。その笑顔にふれて、元気をもらいに。ひ孫に会う日

  • 深呼吸ストレッチ

    冷えこんだ。空き地の雑草に、霜が降りていた。寒い朝でも、身体を動かすと温まり、朝散歩もさほど負担にならない。ラジオ体操、筋トレが朝のルーティンになっている。昨日、ブックオフで見つけた『深呼吸ストレッチ』を読んで新発見をした。この本はサッカーの内田篤人と大迫勇也が監修したものだが、ストレッチを行う時の呼吸法が解説されている。アスリートの呼吸法を学ぶこともいいことかも知れない。強調されているのは、ストレッチでは複式呼吸を採用すべきという点だ。人体の内臓は左右対称になっていない。位置も、大きさも、重さも違う。そのためバランスをとるためには、筋肉で支えるようになっている。呼吸に使う横隔膜に偏りが生じると、身体のバランスが崩れる。正しい呼吸で、つまり複式呼吸で筋肉をバランスよく使えるようになれば、身体のバランスも整...深呼吸ストレッチ

  • 初冬

    11月はもう20日以上が経ってしまった。こんなに日が経つのが早く感じるのは、生涯でもはじめての経験だ。昨日、車のタイヤを冬のものに換えた。合わせて6ヶ月の点検も。週末、ひ孫の顔を見に行くための準備だ。冬を迎えて、木の実が赤さをましている。ふと開く句集がたまらなく懐かしい。ひといつかうしろを忘れ小六月飯田龍太畑を止め、外の作業は減っているのに、心のどこかで11月は忙しない。雑木林にうず高く積る落葉を見ると、やはり冬じまいが、身についた習性なのか。落ち葉を集めて、火をつけると、昔口ずさんだ童謡を思いだされる。「さざんかさざんか咲いた道、たき火だたき火だ落ち葉たき」この歌からは、焼き芋のいい香りが漂ってくる。立冬の前の、貴重な小春日。なすこともない身ではあるが、飯田龍太の句に逆らうように、過去の記憶が浮かんでく...初冬

  • クララとお日さま

    冬になって南天の実が日々その赤さを増している。この上に雪が積もる日もまぢかである。昨夜、楽しみながら読んでいカズオ・イシグロの長編『クララとお日さま』を読了した。小説の語り手クララは、AIを搭載したロボットの少女である。病弱であすをしれない少女ジョジ―の話相手に買われた。ペットを飼うように、知能を備えたロボットが家に入る日は、現実の世界でもそう遠い日ではないように思われる。クララは主人と生活し、観察し、心のうちを読み取り主人にとって最善の行動を心掛ける健気なロボットだ。読んでいくうちに、彼女がロボットであることを忘れそうになる。その度に、クララは自分の活動の源である、太陽との話が挟み込まれる。ジョジ―の病気を治してもらえるように、お日さまに一生懸命にお願いする。太陽はクララにとって神のような存在だ。だが、...クララとお日さま

  • コロナワクチン5回目終了

    5回目のワクチンはオミクロン株対応の2かワクチンだ。懸念した副反応も、注射部位に痛みがある程度で、発熱も倦怠感もなく、4回目よりも軽い。ただ、妻は注射部位の痛みで手が上がらない位になった。月末にひ孫の顔を見に行くので、とりあえずほっとしている。今朝は、目覚めが6時過ぎになって、体調はいいようだ。朝、外に出ると、車の屋根に霜が降りていた。昨日、瀧山に2回目の降雪。この山に三度雪が降ると、そろそろ里が降雪の季節になる。冬タイヤの交換も、21日に点検をかねて行うことにした。11月は忙しい。ここへ来て、今年は交流する人が増えた。ラインで近況をやりとりするのは、家族のほかに、山の仲間、詩吟の仲間、ブログの友達などなど、深いつながりが生まれているように感じる。人生の幸福のうち、第2のオキトシン的幸福である。人とのつな...コロナワクチン5回目終了

  • 岩部山三十三観音

    今月最後の山行は、南陽市小岩沢岩部山三十三観音である。この山は、古くから石切場として、石材を切り出しが行われていた。江戸の中期、この地に住む金毛和尚の発願で、山中の岩に観音像三十三体を彫り、御詠歌をつけて一山で悩む人々を救う聖地とされてきた。石に彫られた像は、年月を経て風雨による損耗もみられるが、その温顔はいまなお、対面して温かさを感じる。ゆっくり回って3時間余で三十三観音を礼拝できるが、古い時代の民衆の信心を追体験することができる。観音さまは多種多様で、それぞれ姿を変えて、苦悩する人々を救う広大無辺の慈悲を垂れた。六観音が多様な観音像を集約したものである。聖観音と十一面観音、千手観音、不空羂索観音、馬頭観音、如意輪観音をさす。六道、つまり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を支配し、ここで苦しむ人間...岩部山三十三観音

  • 黄葉

    漢詩に「霜葉は二月の花よりも紅なり」と詠まれているが、黄色く変わる紅葉も棄てがい。なかでもイチョウやカラマツの黄葉は、秋の終りに見ておきたい。例年であれば天童の運動公園や千歳公園に、イチョウを見に出かけたものだが、今年は実現せず、近所の大学病院のイチョウで我慢することにした。日曜日とあって、公園を歩く人の姿もまばらだ。雑木林の木々の葉は、すでに散り木の下の落葉が、宝箱をひっくりかえしたような豪華さだ。山の日にねむきからまつ黄葉かな山上樹実雄午後、上山の日本の宿、古窯へ行く。年に一度、毎年続けている詩吟の仲間の集まりだ。参加するメンバーも変わっている。発足当初から参加しているメンバーの方が少なくなっている。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」漢詩のこんな句が実感させられる。コロナ禍で、人の集いもまま...黄葉

  • 紅葉狩り

    気持ちのいい秋晴れが続く。紅葉は山から里の下りて来た。どこを歩いても、美しい紅葉が見られる。明日からはこの好転も下り気味になるので、妻をこの秋初めて、紅葉狩りに連れていく。場所は市内の紅葉公園。特設の駐車場が設けられていて、大勢の市民が足を運んでいる。週末のこの時期、一番の日和かも知れない。入り口のカエデの紅に圧倒される。子ども連れの若い夫婦も多く、子供たちは紅葉よりも、池の中を悠々と泳ぐニシキゴイに夢中のようだ。紅葉せり松その上に枝を垂れ水原秋桜子池に二羽のカルガモが、餌をもらっていた。陽ざしも、小春日和で暖かい。紅葉狩りの帰り、ブックオフに立ち寄り、念願であった本を買う。ノーベル文学賞に輝いたカズオ・イシグロの『クララとお日さま』。この小説の主人公のクララはAIロボット。病弱の少女ジョジ―のもとへ。二...紅葉狩り

  • 身に入む

    小春、今朝はことのほか目覚めが気持ちいい。昨日、三吉山を歩いたせいだろうか。もう紅葉も終わりで、目ぼしい写真も撮らずじまいだった。多分、しばらく続いていた晩酌を抜いたのが、一番大きいのかも知れない。睡眠時間約7時間、深い睡眠3時間、浅い睡眠2時間17分、レム睡眠1時間37分。睡眠の記録を始めて、初めて深い睡眠が浅い睡眠を上回った。睡眠指数は80点。前回書いたように、飲酒が眠りに秋影響を与えているのは明らかだ。朝の散歩も足が軽い。目のさめるようなカエデの紅が、白い壁に美しい。身にしむやほろりとさめし庭の風室生犀星枕頭に置いた詩集で、悲しいものに触れるのも眠りを心地よくしてくれる。人生には楽しいこともあるが、悲しいできごともたくさんある。そんな気持ちを詠んで、心に共感と癒しをもたらしてくれのが、詩集の一片だ。...身に入む

  • 睡眠ファースト

    昨日、落葉が散り敷く道を歩いた。カサカサという足音が心地よい。冬が近いことを知らせる音だ。フランスの詩人、グールモンの詩の一片が心に響く。「シモオン、木の葉の散った森へ行こう。落ち葉は苔と石と小径を被うてゐる。シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?」こんな、気持ちいい散歩の日の夜は、安眠を約束してくれる。スマートウォッチの「眠活チャレンジ」に参加して9日が過ぎた。このチャレンジでは6時間以上の睡眠が3日間達成することが最低目標だ。ここ4日間、自分の意識でも快適な睡眠がとれていることを実感している。あらためて三橋美穂の『睡眠メソッド』から、睡眠の大切さを確認して置く。睡眠の主な役割は、脳を休め、細胞を修復し、記憶情報を整理する。睡眠中に新しい血液が作られる。これによって免疫力がアップする。睡眠中に分泌され...睡眠ファースト

  • 小春日

    先月の末から晴天が続く。朝の気温が下がっても、10時ころからは晴れ渡る青空、色が濃くななるカエデの紅葉。気持ちのいいウォーキング日和だ。一方で、乾燥による火事が方々で起きている。ブログにも火の用心という記事が出ていた。最後の陽ざしに、トンボが低く飛んでいた。精霊トンボというものもいるらしい。お盆のころに現れるが、この陽ざしのなかで命を長らえるのもまた精霊トンボとも言えないか。清衡とんぼ秀衡とんぼ高夕陽津田清子このトンボは平泉の光堂から迷い出た、清衡や秀衡の魂とみている。悠創の丘の芝生の上を低く飛ぶトンボ、一体誰の精霊なのだろうか。孫からひ孫の新しい動画が来る。まだ言葉を話せないのに、親からの言葉に、理解と安堵の表情を見せる。そういえば、猫をニャンニャン、犬をワンワンと教えると、違う犬を見てワンワン。違う猫...小春日

  • 立冬

    今日、24節季の立冬。季節の上で冬が始まる。安眠のために、アロマオイルのラベンダーを取り寄せた。テッシュを小さくたたみ、その上に一滴、香油をたらし、身辺に置く。寝るときは枕元。そのせいか、眠りが少し深くなったような気がする。外は、散歩道のお宅の庭で、秋草が色づいていた。冬が始まると、身体のなかに緊張感が走る。生まれた土地が北海道であったから、この季節は寒さに耐える心構えが身についている。いたずらに暖房に頼るのではなく、身体を動かし、筋肉をつけることで寒さにも強くなる。麗かに且つ爽かに冬立ちぬ相生垣瓜人睡眠がいかに大切か、最近つくづく思う。三橋美穂の『睡眠メソッド100』からのアドバイス。睡眠2時間前のスロージョギング。この手軽な運動で体温を上げる。片足立ち1分を3回で、53分歩いた運動量。睡眠にいい習慣ば...立冬

  • 紅葉、最後の輝き

    七ヶ宿の蛤山を登った。この秋、最後というべき紅葉に出会えた。高い地点の木々はすでに葉を落とし、夕べの寒気で、対面の不忘山は雪景色に変わっていた。登山道には、散った木の葉がうず高く積っている。その葉を踏み鳴らす音を楽しみながらの山歩きだ。1000mの頂上に立つと、不忘の方から吹きおろす冷たい強風が、ごうごうと音を立てて吹きつける。寒い。すでに冬山のなかにいる。晴天の予報は、ここへきて霙のような小粒の雨さへ降って来た。11月の登山は、いつの場合も冬山を想定した準備が必要だ。冬山の深き襞かなこころの翳飯田龍太仲間のNさんが言った。「紅葉は紅が混じってこそきれいだね。カエデの紅葉が好きだ。」確かに錦秋とは、黄色、紅、緑などの色の多様さに魅せられる。万葉集では、黄葉と記される歌が圧倒的に多い。天雲のたゆたい来れば長...紅葉、最後の輝き

  • 鈎掛森と龍馬山

    月が変わって11月。2日は鈎掛森のブナの紅葉。その夜は、山に登れない人も加わってBBQ。そして3日は、金山の龍馬山。山友会の行事が続く。山は紅葉の装いがピークとなって、音もなく葉を散らす。やがて山が眠りにつく準備だ。この季節の山行は、季節の移り変わりの証人になることでもある。時間の経過は、一年を通して変わることはないが、山の木々の活動は、はっきりとその変貌を目に焼きつけてくれる。低い標高から高度を上げると、樹種も、紅葉の進み具合も変わり秋の深まりが実感できる。ブナの下に来ると、実が葉にかくれるように落ちている。クマの好物というが、こんな小さな実を、いったいどのくらい食べて冬を越すのか。山には生命の不思議が、いたるところに散らばっている。何歳まで、こうやって山を歩けるのであろうか。強度の強い運動は、年齢とと...鈎掛森と龍馬山

  • ポイント生活

    10月が終わる。秋の日は、つるべ落としというが、日の経つのも同じような感覚だ。立ち止まる日もないまま10月が終わる。公園のカエデが最後の光芒を放ち、ヒヨドリがその枝に遊ぶ。親水公園のせせらぎは、もう止められて流れを止めた。そもそも、この人工的な流れは、朝の7時を過ぎないと流れないし、冬の季節はお休みになる。朝の散歩のいっときを癒してくれるが、時間や季節によって流れを止めてしまうのは、興ざめというほかはない。秋の風万里見るべき手だてなし飯田龍太若い山の仲間が、遠い浄の滝の紅葉の写真を送ってくれた。山深い人跡稀な滝と、水に映る紅葉がみごとというほかない。清少納言の言葉。「ただ過ぎに過ぐるもの。人の齢。春、夏、秋、冬」電気をドコモ電気に変えてポイント生活が始まった。電気代の支払いをⅮ払いにすると、一定のポイント...ポイント生活

  • ハロウィン

    韓国のソウルで悲しい転倒事故が起こった。繁華街のイテウォンにハロウィンの集いに10万人もの若者が繰り出し、狭い路地で人津波が起こり、149名もの圧死者が出た。ここ数年、コロナの感染者が出て、繁華街の人出は規制されて3年振りで規制がゆるんだ矢先のことであった。日本でも1960年の安保デモで国会に入ったデモ隊、近年では花火大会で歩道橋での圧死事故など悲惨な記憶がある。何故、古代ケルトの祭りが、ソウルや日本で盛り上がりを見せるのか、理解に苦しむ。先日、散歩の途中、カボチャのジャック・オー・ランタンをかたどった置物を飾った庭があった。こんな田舎町でも、ハロウィンのシンボルが置いてある。ハロウィンがそれだけ人々に浸透しているのであろうか。このカボチャは目や口をくり抜いて、中でローソクを灯し、悪霊を驚かして家に入るこ...ハロウィン

  • 秋の歌

    俳人の長谷川櫂に『日めくり四季の』がある。かって日本の家庭にはどこの家にも日めくりがあった。365日、大きく日にちがあり、干支や六曜などの暦にその日の格言などが書かれていて、朝新しい日をめくると何か新しい気分になったものだ。長谷川はこの本で、その日の一年分のうたを入れて言葉を添えている。季節感と人の暮らしの匂いが立ち上がってくる。時々、この本を手にとると、自らの体験と重なることもあって驚かされる。秋の山ところどころに烟たつ暁台暁台は江戸時代の俳人だが、詠んだ山村の景色は今も変わらない。稲刈りの済んだ田では、モミや稲わらを焼く烟が立ち上がる。先日、山登りで通った山近くの田では烟が見え、江戸から続く山村の景色が懐かしかった。10月の日めくりには、悲しいうたも見える。秋山の黄葉を繁み惑ひぬる妹を求めむ山道知らず...秋の歌

  • 木に会いに

    一気に気温が下がった。だが、空はこれ以上はないだろうという青空。計画していた里山に、木に会いに行く。与蔵山、あまり聞いたことのない山だが、この季節最後の紅葉の里山を見にでかけた。鮭川村、名が示すように、庄内の海から鮭川に鮭が遡上する村である。ここで名高いのは、巨木の存在だ。トトロの木と呼ばれる小杉地区の大杉。かご山の大桂は幹回り104m。藤九郎沢の大桂は、かご山の倍もある幹回り20m。与蔵山のブナの巨木は、山道の道しるべになっている。幹回りは10mを越えたと思われる大木で、黄色く色づいた葉が、きらきらと陽ざしを遮っていた。羽根沢温泉を過ぎて与蔵峠の長い林道を行くと、世蔵山の登山口に着く。ここから沢筋の道を与蔵山へ進む。見晴らしのよい山道では、息を呑むような紅葉である。(続く)木に会いに

  • 秋の憂愁

    山登りで疲れた日の睡眠は深い。夜中に目を覚ますこともなく、朝までひと眠りだ。翌日は、足に疲れが残っているが、今朝は足の動きも軽くなっている。睡眠がいかに疲れを癒すものかは、この一事で知ることができる。目にする秋の花も、ひときは鮮やかに見える。夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しいのです。伊藤整の『変容』に出てくる言葉だ。霜降の季節を迎えて、この季節にさく花や木の実は、本当に美しく見える。このところ妻を整形外科のリハビリに連れて行っている。そこで、しばらくぶりに会った人が二人いる。学生時代の後輩で元気印のK君だが、身体に癌が見つかり、以後2年間病院へ通い詰めと話していた。話す声も弱々しく、元気だったころから見違えるような様子であった。詩吟の仲間で突然、病のため退会したNさん。どこから出るのか、...秋の憂愁

  • 駒ケ岳

    高畠町上和田地区は、上和田有機米の産地として名高い。この地区は福島地区と隣接していて、豪志峠は上和田と福島の恵庭を結ぶ古道があった。この地区の上に、豪志山、駒ケ岳の1000m級の山が県境となっている。登山口は右へ行けば駒ケ岳、左は豪志山に通じ、駒ケ岳と豪志山へ峰続きで、近年この山を結ぶ登山道ができ、登山口から2座を一周することができるようになった。昨日、このコースを登山仲間とともに歩いた。もとより、弱った足のリハビリの意味合いと、残り少なくなった紅葉をこの目で堪能する目的がある。だが、周遊で約12㌔、歩く時間が7時間ともなれば、リハビリの目的は越えてしまっている。スマートウォッチでウォーキングの歩数を記録するようになって3年近い日が経過した。今日の駒ケ岳の歩きを含めて、1000万歩のメタルを獲得した。一歩...駒ケ岳

  • AIのことども

    月山に雪が来て、秋晴れが続く。朝の散歩に好適の天気だ。菊の花が大きく開き、柿紅葉が見ごろになった。ヒヨドリの鳴き声に加えて、モズやムクドリも見かけるようになった。日、一日と秋は深まって行く。昨日、知人にいただいた柿の実を、焼酎につけて渋抜きをした。後、何年続けられるか分からない、夫婦の共同作業だ。山形出身のドイツ文学者の神保光太郎の昭和14年の句に柿の実をひとり喰みつつ泪ながせり光太郎ブックオフから買ったAI関連の本が3冊ある。若宮正子『老いてこそデジタル』、小林雅一『AIの衝撃』、成毛眞『AI時代の人生戦略』。どの本も高齢者の知的興味を満足させてくれる面白い本だ。若宮はAIを搭載した炊飯器の調理の仕方を説明している。「AIが、過去の料理記録から、過去のレシピやその他のレシピや、そのレシピの食べ残し量を勘...AIのことども

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