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kitasendo
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2009/10/24

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  • 私の「地」

    ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...

  • その人はなぜ意地悪なのか

    誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...

  • 太陽系とは私である

    「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...

  • アニコミ、プラコミ、ミネコミ

    こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...

  • 誰が世界を見てゐるのか

    一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...

  • 最も好きになれない人

    夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...

  • ぢつと見つめる

    じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...

  • 鶯は今年も「ホーホケキョ」と鳴いてゐる

    鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...

  • その人は変はらないでゐてほしい

    呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...

  • 仕事とお金

    ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...

  • 私を咎めるのは誰か

    そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...

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まるくまーる(元教育部長の講義日記)
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