母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
「あの人のあの一言で私は傷ついた」 などと言ふことがあります。 この場合、あの人が私を傷つけたと私は思つてゐるのですが、傷ついたのは私の体ではなく、私の心でせう。言ふまでもないほど当たり前なことのやうに見えますが、こゝでちよつと疑問を呈したい。 「誰かが私の心を傷つける、といふことは本当に可能なのか」 といふ疑問です。 誰かが私の体を傷つけるといふことは可能です。誰かがナイフを持つて私の脇腹をぶすり...
私たちにとつて結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした。(小室眞子さん) 私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を愛する人とともに過ごしたいと思つてゐます。(小室圭さん) (記者会見 2021年10月26日) 眞子内親王が小室圭さんと結婚し、いよいよ皇室を離れていかれることになつた。長年の思ひを実らせて結婚にまで至られたこと、心からお祝ひ申し上げます。 今...
邪馬台国の卑弥呼が当時の魏の皇帝に使者を送つて外交を展開し、「親魏倭王」の称号を受けたことが「魏志倭人伝」に記録されてゐます。しかし「邪馬台国」も「卑弥呼」も、いかにも漢字が怪しい。 「邪馬台」はふつう「やまたい」と発音するが、この表記は当時の中国における「以音(声をもちいる)」といふやり方で、日本語の音を漢字で表記するとき、わざと見下げた感じを使つたのでせう。多分発音としては「やまたい」ではなく...
日本テレビで新しくスタートしたドラマ「二月の勝者」を面白く観てゐます。 舞台は「桜花ゼミナール」といふ中学受験塾。吉祥寺校の校長として赴任したのがスーパー塾講師の異名を持つ主人公の黒木蔵人です。 この塾は生徒たちを偏差値で3つのクラスに振り分ける。 Ω(オメガ)クラスは偏差値が57以上のエリートクラス。Aクラスは49から56のミドルクラス。そしてRクラスは48以下(これを黒木は「お客さん」と呼ぶ)。 さうした...
今、衆議院の選挙期間中、『無敗の男』(常井健一)を読んでゐます。副題に「中村喜四郎 全告白」とある。 これまで中村喜四郎の名前を特に意識したことはない。偶々あるところで「これまでの選挙14戦14勝、選挙の鬼」といふやうな文句を目にして興味を持つたのです。 選挙に連戦連勝といふ議員は他にもゐやうが、中村の場合は、途中にゼネコン汚職の嫌疑で1年半の実刑判決を受け、それでも選挙に負けなかつた。ふつうでは考へら...
前回の記事で、 「誰かが思いがけなくあなたの人生にかかわってきたら、そのひとはどんな贈り物を受け取りにやってきたのだろうと考えなさい」 といふ神の言葉を紹介しました。 「誰かが思いがけなく私の人生に関はつてくる」 これを何と言ふのかと考へてみると、まさに 「出会ふ」 と言ふのでせう。 「出会ふ」を辞書で引くと、5つくらゐの意味が書かれてゐますが、その中で私たちがふつうに理解してゐるのは、 「人・事件など...
誰かが思いがけなくあなたの人生にかかわってきたら、そのひとはどんな贈り物を受け取りにやってきたのだろうと考えなさい。… あなたのところへやって来るひとはみんな、贈り物を受けとりに来るのだ。それによって、相手はあなたに贈り物をする――あなたの経験、そして真実のあなたを満足させるという贈り物だ。 こんな単純な真実がわかれば、すべてのなかで最も偉大な真実が見えてくる。わたし(神)があなたのものへ送るのは天...
丸テーブルに私と2人の友人が座つてゐる。テーブルには林檎が1個置いてある。 「世界の中の林檎」といふ客観的な視点で見れば、テーブルの上に林檎は1つしかない。しかし「私の中の林檎」といふ主観的な視点なら、3人の中にそれぞれの林檎が存在してゐるのです。 世界の中の林檎は、私の一存で扱ふことができない。私がそれを独占しようとすれば、あとの2人はそれを阻止しようとするかも知れず、奪ひ合ひが起こる可能性もある。 ...
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル …… 『雨ニモマケズ』宮沢賢治 宮沢賢治が特に好きといふ訳ではなくても、上の「雨ニモマケズ」は日本人でほとんど知らない人はゐないでせう。もちろん全文を諳...
私たちは、(「原理」を)絶対視すると愛情が流れない。「原理」が思想に固まってしまうのです。 「原理」を消化した自然人間(本然たる人間)になるようにと、人間を正常化する目的なのに、「原理」という理念にとらわれてしまっているのです。 そうなると、結局一つの思想家になって、豊富な人間性をもった人間同士の関係が崩れ、孤立しやすい。私は「原理」を悟ったと、悟ったそのものに主管されて、結局、盲目になりやすい危...
人生の悩みの大半は、直接間接に人間関係に関はつてゐると言つていゝでせう。どうして人間関係に難しさが伴ふかといふと、自分自身の中の人間関係に原因があるのではないかと思ふ。 私の中の人間関係とはどういふこと? 私の中に何人もの人がゐるのか? 自分は自分、ただ一人ではないのか? ■私の中に3人ゐる? 一見すると、私は私で一人しかゐないと思はれる。しかし、私の中には少なくとも3人の人(人格、あるいは心)がゐる...
脳科学者の茂木健一郎さんが 「『KAWAII』は対立とか闘争とか争ひとか、さういふものと無縁な世界だと思ふ」 と言つてゐます。 「かわいい!」 といふ価値評価は、日本では若い女性を中心に圧倒的な人気を誇つてゐると思ふ。 それに対して、 「KAWAII」 は、日本だけではなく世界中で通用するブランドになり得る。茂木さんが敢へてアルファベットで表記するのは、さういふ意図があるのかといふ気がします。 「きれい」とか「美...
久しぶりに介護日記です。 脳梗塞を起こして入院し、1ヶ月後に退院してから、早いもので8ヶ月以上が経つ。日々1ミリづつ弱つて来てゐるやうな気はするものの、大過なく過ごしてゐます。 今日の夕方、もうそろそろ夕食を食べさせようかと、様子を覗きに行つてみると、部屋にウンコ臭が漂つてゐる。「またやられたか」と思つて目を凝らしてみると、ベッドのすぐ下に太いバナナ状のものが転がつてゐる。そのすぐ横には、尿漏れパッ...
前の記事で、小学生の娘が友だちとの関係で問題を起こした出来事を紹介しました。父親はそれを賢明に対処できたとも言へるのですが、もう少し深く考へてみたいと思ひます。 娘が友だちから仲間外れにされたと感じて、つい 「あんたなんて、死ねばいゝのに」 と口走つてしまつた。 その話を聞いて、父親は娘の「思ひ」と「手段」をきちんと分けて受け止め、娘と一緒に問題解決に取り組んだ。それは賢明な対処だつたと思ふのですが...
ある方の体験談です。 小学生低学年の娘があるとき、友だちに向かつて 「あんたなんて、死ねばいゝのに」 と言つたといふ。それが友だちの親伝ひに、自分たちまで伝はつてきた。 小さい子どもとは言へ、穏やかならざる言動なので、親としてもどう対処したものかと悩むところです。母親は慌てたが、父親は少し考へた。 ■「思ひ」と「手段」を分ける まづ、どういふいきさつでその言葉が出たのかを確認すべきだと思ひ、娘に事情...
今日我々は、「闘ふ」といふ表現をよく使ふ。ちよつと使ひすぎではないかといふ気がします。 「テロと闘ふ」「犯罪と闘ふ」、さらには「貧困とも闘ひ」、「少数者の権利獲得のためにも闘ふ」。「再挑戦」と言へばよささうなところで「リベンジ(復讐)」と言つたりもする。 ほとんど無意識のうちに「闘ふ、闘ふ」と繰り返してゐます。 日本では間もなく衆議院選挙が行はれる。すると、日本全国の小選挙区ごとにいくつもの政党が...
知り合ひのブログに、「自己牧会プログラム」実践者の印象的な体験談が紹介されてゐます。 その体験談によると、プログラムを実践し続けることで神を感じることが増える。面白いことには、こちらからは神に語りかけてゐるつもりでもないのに、ふいに神からの声が聞こえるやうな体験をするのです。 例へば、その人には、長年親しくつき合てゐる友人がゐる。長年の友人だから、自分の名前を一番たくさん呼んでくれた人だらうなと思...
あなたがたはまた「どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか」と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言...
『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド)は1994年に全米ベストセラーの第1位になつたらしい。確かに面白い小説です。 著者のレッドフィールドは、所謂プロの作家ではない。本業はセラピストで、本書は最初自費出版だつた。それが口コミで広がり、大手出版社が目をつけて版権を買ひ取つたといふ。いかにもタイトルに相応しい経緯です。 ペルーで、ある「写本」が発見される。それには古代の予言として9つの知恵が記されて...
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母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
茂木健一郎さんがツイッターで 「ジャニーズは学芸会、BTSは完成度の高い学芸会」 と評したことについて、Youtubeでその真意を説明してゐます。 私自身はジャニーズにもBTSにも特別な関心がないし、彼らが学芸会であらうとなからうと正直どうでもいゝが、茂木さんがこの問題を取り上げる着眼点に惹かれる。何にどう惹かれるか、私の感じるところを、少し書いてみようと思ひます。 「学芸会」の意味は、 「演者たちは熱心で真剣だ...
欠かせぬ日課となつてゐる買ひ物をしながら、先日、ハッと気づいたことがある。 「私の買ひ物は思考と言葉に頼つた買ひ物だな」 と思つたのです。 例へば、醤油を買はうとする。最初に目が行くのは値札です。値段はもちろんサイズによつても違ふし、種類によつても違ふ。あまりに多くの醤油が並んでゐるので、まづは値段で絞り込むのです。 値段が近ければ、次は成分表を見る。大豆は国産か外国産か。有機栽培の表示があるか。...
信仰者を自認する人は、自分が神を信じてゐると思つてゐる。 それで例へば、孫がガンに罹つたときには、 「この子を若くして死なせないでください」 と神に祈る。 神は私の祈りを聞いてくださるはずだと信じるからです。ところが、その祈りもむなしく、孫は死んでしまふ。 そのとき、おばあさんは 「どうして神は私の祈りを聞いてくださらなかつたのか」 と、問はずにはゐられないでせう。 しかし、救命の祈りさへ聞いてくださ...
LGBTQ問題について、また、徒然に考へてみます。今回は、少し科学的に。(尤も、素人ですから、厳密ではありません) 自然現象でも社会現象でも、それが正規分布を示すことが多い。グラフにすると、平均値を中心として、左右対称の釣り鐘型になる分布ですね。 例へば、日本人の身長。最新のデータによると、男性の平均は170㎝、女性が158㎝です。しかし言ふまでもなく、その平均値を中心としてもつと高い人もゐれば、低い人もゐ...
「甘受」といふことについて考へるやうになつて、もうかれこれ8年になる。この概念は『原理講論』の「復活論」に短く、わづか1項ほどで扱われてゐるに過ぎないのですが、考へれば考へるほど、人生において重要なキーワードだと思はれてきます。 これがどういふシステムなのかについては、私の過去の記事を参考にしてください。 「許可を出したのは私である」 「なぜ『甘受』がベストなのか」 今回は 「甘受するとは、何を甘受す...
鬼といふのは形相は怪異、人を痛めつけ、人の財産を強奪して島に溜め込む悪辣な輩。さういふイメージもあります。 しかしその一方で、「鬼神」とも言ひ、神と並び称される超自然な力の持ち主でもある。「鬼滅の刃」では、いくら切られても死なない不死身の存在です。 鬼についての、かういふ寓話を聞いたことがあります。 鬼は神から造られたが、初め、神のことが嫌ひであつた。どうしても虫が好かない。良い奴か悪い奴か分から...
私は昔から相当に観念の強い人間で、 「このことは、かうでなければいけない」 といふ思ひが強い。 観念の人は、現実を観念に合はせようとするので、ものごとの微妙な変化に気がつきにくい。そして、自分自身も変はるのが難しい。 ところがそんな私でも、この2、30年で世の中の空気がずいぶん変はつてきたのを感じるのです。そしてその空気を吸いながら、私自身の変化も感じる。私が感じるくらゐだから、よほどの変化だら...
神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 存在するものは、どんなものでもすべて受け入れる。それが神の性稟のやうです。本当でせうか。 存在するものを受け入れることを「肯定」、受け入れないことを「否定」とすれば、我々の態度にはどんな場合も「肯定」か「否定」かの二択しか...
およそ2年ぶりくらゐで訪ねてみると、男の子はずいぶん成長したやうな声に変はつてゐた。Youtubeのチャンネル「神様が見える子供たち」です。 神様から聞いた話だと言ふ彼の話がとても興味深い。 「人間関係なんていらない。友だちなんていらない」 と言ふのです。 しかも、 「無理して友だちを作らなくてもいゝ」 といふやうな話ではなく、 「友だちはないほうがいゝ」 と言ふのです。 本当に神様の話だらうか。少なくとも、...
昨秋から母の介護を動画にしてYoutubeにアップしてゐるのですが、先日、動画のひとつにかういふコメントがつきました。 こういうのやめてくれないかしら? 世界では虐待とよびます。 「虐待」といふ言葉を見た瞬間、ドキリとしました。 「私が一体いつ、どんなふうに、てつこさんを虐待したのだらうか?」 と、不意を突かれたやうな気がしたのです。 動画は、「ぐるぐる動き回る...
先日、知り合ひの婦人と話してゐると、娘が妊娠中だといふ。 「初孫になりますか。無事に生まれるといゝですね」 と言ふと、その婦人は少し眉を曇らせて、 「つわりがひどくて、仕事も休んで、今家に帰つてきてるんですが、すごく甘えるんです」 と言ふ。 体がしんどいから、背中をさすつてほしいとか、あれしてほしい、これほしいと、しきりにねだつてくる。 「つわりは大変でせうから、それくらゐしてあげたらいゝぢやないで...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。 (『学生との対話』小林秀雄) 昭和49年(1974年)に、小林は鹿児島で学生相手の講義を行なひ、そのあとの質疑応答で、冒頭のやうな答へをしてゐま...
河合隼雄の『とりかへばや、男と女』。タイトルの「とりかへばや」は平安朝に書かれたとされる物語『とりかえばや』に由来してゐます。 権大納言に息子と娘があつた。ところが息子は控えめで優しく、女の子の遊びを好み、娘は反対に、大胆で、男の子のやうに振る舞ふ。父はそのうち変はるだらうと思つてゐたが、ふたりの振る舞ひは変はらない。仕方なく、娘は男として、息子は女として育てると決意するのです。 物語のテーマとし...
LGBTQに関する法案をG7サミット前に国会に提出するかどうかで、自民党内が紛糾してゐる様子を見ながら、改めてこの問題に意識が向きます。 世間では、 「LGBTQの人々を差別するな」 といふ論調や 「この法案を通せば、社会が却つて混乱する」 などといふ論調がほとんどのやうに見受けられます。 それも確かに問題ではあるけれど、私としてはもう少し基本的なところ、つまり、 「なぜ、LGBTQといふやうな人々が存在するのか」 と...
我々の中には「良心」があります。そして、この「良心」は「私だけの第二の神」であるといふ。 現在、世界に80億の人々が生きてゐるなら、80億の「良心」があるといふことであり、それはつまり80億の「第二の神」がゐるといふことにもなります。日本では「八百万の神」と言ひますが、その100倍の神がおられるとは、驚くべき多神教です。 さらに考へてみると、神は宇宙のどこにも存在する遍在神でもあるといふ神観もあります。そ...
村上春樹の小説『アフターダーク』の中で、男が女にこんな話を教へる場面がある。男は「ハワイに伝はる神話だ」と言ひますが、実際は村上の創作のやうです。 3人の若い兄弟が漁に出て嵐にあひ、流されて、島に漂着する。美しい島で、真ん中に高い山が聳えてゐる。 漂着した夜、3人が同じ夢を見て、神様のお告げを聞く。 「少し離れた海岸に3つの大きな岩がある。それを転がして、好きなところへ行き...
「自我とは、考へる生き物である」 さう言つてもいゝほどに、自我は朝から晩まで考へ続けてゐます。 「自我」とは、ふつうに「私」と思つてゐる意識です。その「私」がどうしてそんなに考へ続けてゐるかと言へば、「私」を守るためだと思ふ。 「私」がちやんと生きていくためには、「私」を環境に適応させなくてはいけない。どうやつて食料を過不足なく確保するか。それは今だけでなく、将来にわたつても考へなくてはいけない。...
「分からう、としない。分かつたと思つた瞬間、神との関係が断たれる」 といふことについて、考へてみようと思ひます。 例へば、今私が隣人との人間関係の問題を抱えてゐたとします。 細かな問題でよくぶつかり、その都度ひどく文句を言はれる。どうしてこんなに性に合はない人が目の前に現れてくるのか。どうしたらその悩みを解決できるのか。それを私は知らうとするでせう。知つて、対処してこそ、その問題から脱却できると思...
インターネットで偶々出会つた動画。わづか5分あまりの短いものですが、その間、づつとバイクで走り続けてゐます。 若い男性が運転し、女性が後ろに座って、必死に男性にしがみついてゐます。そのバイクを後ろからづつと追ひかけてゐるのは、多分白バイでせう。動画はその白バイから撮つてゐます。 どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、とにかく白バイに捕まらないやうに、凄いスピードで逃げ続ける。かなり巧みなハンドル...
「思ひ通りでなくても、大丈夫」 といふアファメーションがあります。 夫が家庭のことを顧みてくれない。 子どもが期待通りに育つてくれない。 いくら頑張つても、仕事で実績が出ない…。 人生には、思ひ通りににいかないことがいくらでも起こる。むしろ、ほとんど思ひ通りにいかないと言つたほうがいゝかもしれないほどです。 だから、さういふときに 「思ひ通りにいかなくても、大丈夫」 と自分自身に言ひ聞かせることで、自分...