こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
人生に特別な相手が現れて自分が満たされたと感じる、というのは非常にロマンティックだ。だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」――つまりほんとうの自分という存在を丸ごと――分かち合う相手をもつことだ。… 人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。… 最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。 (『神との対話』ニー...
男性と女性それぞれの社会的役割について、『神との対話』の中で言及されてゐます。 それによると、人類歴史の初期には、母系社会であつた。そして、統治者の地位や宗教的な権力者の地位をはじめ、商業、科学、学問、癒しの領域などでの影響力のある地位も、すべて女性が握つてゐた。全般的な能力において、女性が男性を上回つてゐたのです。 それなら、男性の実情はどうであつたのか。男性には、女性の卵を受精させる力と、力仕...
天下無双の剣豪と言へば、日本では何と言つても宮本武蔵でせう。彼はその生涯で、名の聞こえた数十人の剣豪と真剣の果し合ひをして、無敗だつたとも言はれる。 文字通り「無敵」の剣豪です。 有名な彼の肖像画を見ると、彼は両手に刀を握つてゐる。ところがその手は下方にだらりと垂れてゐて、何の構へもない。誰かとこれから一戦交へるといふ姿にはまつたく見えないのです。 しかしこの立ち姿を彼は、 「構へあつて、構へなし...
最近の記事で何度か 「『義務』はない。『機会』があるだけだ」 といふ神の言葉について考へてゐます。 私は教育部長だつた最後の数年間、原理講義をするときに「復活論」を強調するやうになつた。「復活論」の中でも、特に「悪霊の再臨復活現象」です。 こゝに「甘受」といふキーワードが出てきます。悪霊が直接間接に与へる「苦痛」を「甘受」することを通して蕩減条件が立つ。その条件をもつてその人も悪霊もともに復活すると...
前回の記事「義務と機会」で 「他との関係において、義務は一切ない」 といふ神の言葉を紹介しました。 そのこととも関連があるやうな気がするので、前にも一度ご紹介したことがある夫婦問題カウンセラーのアドバイスを再び取り上げてみます。 夫婦にはさまざまな問題が起こる。仲がこじれる。会話がなくなる。どちらかが浮気をする。離婚の危機に陥る。… 問題の形はいろいろ違つてゐても、大切なことはいつもただ一つだとカウ...
義務ではなく機会、それが宗教の要石であり、本質的ないのちの基盤である。そこを逆に考えているかぎり、いつまでたっても肝心なことがわからないだろう。(『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) この世には義務が溢れ、我々はそれに縛られてゐる。さう思つて暮らしてゐます。 日本国憲法も「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」を定めてゐる。結婚すれば、夫としての義務、妻として...
「ときどき、ふと、どこからともなく不安が襲つてくることがあるのです」 「どんな不安ですか?」 「例へば、毎日母の介護をしてゐるでせう。こゝ数ヶ月は体調が崩れることもなく、食欲もあるし、排尿便通も正常です。すると、かういふ状態でかういふ生活がこれからもづつと続いていくやうな気がしてゐるのです」 「それは悪くないですね」 「さうなんですが、ときどき、体調がちよつとおかしくなるときがある。そのとき急に、...
=目次= 中世における世界の定義 中世の世界観が崩壊し始める 人それぞれ、世界の定義は違つてゐる 『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド)の主人公がペルーへ向かふ飛行機の中で1人の歴史学者と同席します。彼はニューヨーク大学の歴史の助教授ウェイン・ドブソン。 2人は初めて偶然に会つたにも拘はらず、同じ目的でペルーに向かつてゐることが分かる。話が弾み、ペルーに到着後も行動を共にする約束をします。 ド...
あなたがたの宗教は神を偉大な謎にして、神を愛するのではなく、神を恐れさせている。宗教はあなたがたの行動を変えるのにほとんど役立っていない。あなたがたはいまも殺しあい、非難しあい、「間違っている」と相手を糾弾する。… だから、わたしの観察によれば、宗教はあなたがたのめざすところではなく別の場所に連れていく。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 駐留米軍が撤退するや否やアフガ...
はじまりは神である。終わりは行為である。行為は創造する神、あるいは体験された神である。 一瞬一瞬に神は自らを表現している。それはあなたがたを通じて行われている。あなたがたは、神がどう創造されるかをつねに選択している。 わたしがあなたを創造したのは、あなたがわたしを再創造できるようにするためにである。これが私たちの聖なる仕事である。これがわたしたちの存在理由である。 わたしはプロセスの結果ではない。...
親愛なる者たちよ、わたしはいつもあなたがたとともにいた。あなたがたから離れたことはない。わたしはあなたであり、あなたはわたしであって、わたしたちは決して離れない。それは不可能だからだ。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) そら、ごらん。いいかね。「オンドリが鳴く前に、あなたは三度、わたしを否定するだろう」。あなたの考えによって、わたしを否定する。あなたは言葉によって、わたしを否定する。...
でも、どうしてそんなことが可能なんですか? 二つの基本的な原則を適用することによって。 わたしたちはすべて一体である。 充分ある。 それは、そうしたいですよ。だが、どうすればいいか、わからないんです。決まり文句をくり返すだけでなく、道具(ツール)を与えてください。 いいとも。それが公平というものだろう。これが道具(ツール)だよ。 「そうであるかのように、行動しなさい」 (『神との対話3』ニール・ドナル...
先日の記事でも紹介した夫婦問題カウンセラーの話です。 パートナーが浮気をしてゐる気配を感じたとき、浮気の「証拠」を探すかどうか。カウンセラーは「探さないほうがいゝ」と言ふのです。 浮気の決定的な証拠を握つて離婚を迫り、有利な条件で慰謝料をもらはうといふのがゴールなら、証拠を探してもいゝでせう。しかしもし、元のやうな円満な夫婦関係を取り戻したいといふのがゴールなら、証拠は探さないほうがいゝ。 証拠を...
わたしが言つたのは … 人間という種は、無制限で永遠で自由な愛を経験したいと切望するということだ。結婚という制度は、永遠を創造しようとする試みだった。結婚によって、生涯のパートナーになることを約束しあおうとした。だが、「無制限」で「自由」な愛の創出にはあまり役立たなかったね。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 前回の記事「許す神は良い神か」で、...
ある夫婦問題カウンセラーがネット動画で、 「浮気・不倫相手からパートナーを取り戻す方法」 について教へてくれてゐます。 このテーマは、単に個別の夫婦の課題であるにとどまらず、敷衍すれば神と人類の課題でもあり得る。さう思ひながら聞いてみると興味深いので、紹介してみます。 「取り戻す方法」といふからには、パートナーを取り戻して元のやうな夫婦関係に戻りたいと願つてゐることが前提です。その前提の上で、カウン...
人生はどのやうに動いていくものか。その仕組みを少し分析してみようと思ひます。 冒頭の図は、人生の循環を表してゐます。「出来事」から「行動」まで5段階の工程があり、その内「解釈」から「思考」までの3つは私の内面で進む工程です。 ①まづ、何らかの出来事が起こる。 ②その出来事の意味や理由などを私が解釈する。 ③その解釈によつて、それに対応した感情が生まれる。 ④感情に基づいていろいろな考へが生まれる。 ⑤そして...
モーセが40年間の荒野生活の後、イスラエル民族の解放者となるべく神によつてエジプトに遣はされようとするとき、モーセが神に尋ねます。 「私がイスラエルの人々のところへ行つたとき、『あなたを遣はした方の名は何といふのですか?』と聞かれたなら、何と答へたらいゝのですか」 そのときの神の答へが 「私は、有つて有る者」 といふものでした。 「有つて有る者」。これを英語版聖書では、 「I am who I am」 と表現してゐ...
車で繰り返し同じ道を走つても、いつも助手席に座つてゐる人は意外とその道を覚えない。あるいはまた、しよつちゆう電話をかける相手があつても、その人の電話番号をスマホの電話帳に登録してゐると、決してその番号を空で言へない。 自分のほかに何か頼れるものがあると、人の脳はサボる、といふか、消費エネルギーを最小限に抑えてしまふ仕組みになつてゐる。脳科学の専門的な知識はないが、何となくそんな気がする。 脳の省エ...
思考のコントロールとは、最高のかたちの祈りだ。だから、良いこと、正しいことだけを考えなさい。否定的なことにこだわり、闇のなかにいてはいけない。たとえ、ものごとが荒涼として見えても、いや、そういうときこそ、完璧さだけを見つめ、偉大さだけを表現し、それから、つぎにどんな完璧さの実現を選択しようかということだけ考えなさい。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) ...
「老年的超越」といふ概念があるやうです。私もつい最近知つたのですが、初めて提唱されたのは1980年代。スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが、多くの高齢者を観察しながら発見したものです。 どういふものかと言ふと、 「高齢期に高まることが見て取れる、物質的・合理的な世界観から、宇宙的・非合理的な世界観への変化」 です。 高齢期になると、内面の感じ方、世界観が変化するといふのです。 こゝで言ふ「高齢期...
ほとんどのひとは、何かを「もって」いれば、何かが「できる」、そうすれば何かに「なれる」と信じている。彼らは存在――行為――所有というパラダイムを逆転させている。じつは宇宙では「所有」が「存在」につながらない。逆なのだよ。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 本来の人生のパラダイムは、「存在」(何かである=be)→「行為」(何かができる=do)→「所有」(...
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こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
4年前に退職し、それと同時に母の自宅介護が始まつた。その介護は3年半続いたが、私は再就職もせず、それにほぼ専念した。 専念したと言つても、週に3日はデイサービスに行く。月に1週間はショートステイのお世話になる。デイサービスに行き、ショートステイで家を空ければ、家に残つた私には取り立ててすることがない。往々、時間を持て余すことも多かつた。 こんな生活は、私の人生でほぼ初めてのことだつた。家に独りでゐれば...
Amazon Primeで「沈黙の艦隊」シーズン1を観てゐます。8話まである。しかもそれをひと通りではない。多分もうすでに6回は繰り返し観てゐる。それほど面白い。 魅力の要素は、いろいろ思ひ当たります。 VFX(ビジュアルエフェクト)技術が相当高い。主役である最新鋭原潜「やまと」の戦闘ぶり、米国第3艦隊、第7艦隊の偉容など、何度観ても感嘆する。 突飛なストーリー。日本と米国が極秘裏に共同で開発した原潜を、日本人クルー...
アニータ・ムアジャーニは臨死体験とそこからの奇跡的な生還を機に、意識が大きく変容し、それに伴つて生活も一変した。彼女の発言は徐々に広がつて人々の注目するところとなり、有力な後援者の力で本の出版にまで発展した。その後は、世界各地を講演旅行するやうになつた。 ある講演会での出来事です。 講演の最中、一人の若い女性が立つて質問をした。ついこの前、最愛の一人息子を亡くしたといふのです。自分はシングルマザー...
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。(『喜びから人生を生きる』第7章) 私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存...
このごろの物知りといふのは、もう大変なもんですな。しかしものを知るといふのは、自分の知恵は何にも働かさないといふことです。学問は独学です。独学は質問することです。(小林秀雄の講演録より) 昔も今も「文士」と呼ばれる人は星の数ほどもゐるが、その人の作品を100回以上も読み直すほどのファンを持つ文士は、滅多にゐないでせう。しかし、小林はさういふ稀有な文士の一人です。私はさすがに...
さして特別な体験ではなくても、自分自身をよく見つめる機会を得たので、少し書いてみます。 5日ほど前のことです。玄関で呼ぶ女性の声がする。 誰かと思つて出てみると、見知らぬ人で、 「給湯器を使つておられますよね」 といふ話を始める。 給湯器を勧める電話はときどきあるが、直接訪ねて来る人は珍しい。少し説明を聞いたあとで、「詳しい上司」と紹介された男性が現れる。彼がパンフレットを示しながら、懇切に説明して...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...
Youtubeで、ずいぶん昔の小林秀雄の講演録を聞いてゐると、アルベルト・ジャコメッティといふ彫刻家の話が出てきます。スイスの芸術家で、彫刻だけでなく、絵画や版画の作品も多いやうです。1901年の生まれだから、1902年生まれの小林とほぼ同世代です。 ジャコメッティが森に入つて木を描かうとします。すると、自分が木を見てゐるのではない。木が自分を見てゐるのを感じる。その視線が強くて、木の視線の中に自分が埋もれてし...
タイトルの表現は、意味不明。といふか、当たり前のことしか言つてゐないやうに見えます。 「今の自分には、何がどこまで見えてゐると思つてゐますか?」 と尋ねてみませう。 すると、答へは、 「見えてゐるものしか見えてゐない」 といふことになるでせう。 見えてゐるものは何で、どれだけあるか。それは自分で分かる。しかし「見えてゐないもの」がどれだけあるかは、絶対に分からないのです。当たり前ですね。それで「見え...
先日の記事「どの子に死に水を取ってもらふか」に、コメントを寄せてくださつたかたがゐます。 斎藤一人さんの 「子どもには可愛い子どもと可愛くない子どもがゐて、たいていの親は可愛がらなかつたほうの子に世話になつて死んでいくんだよ」 といふ言葉を紹介したところ、 「自分のお腹を痛めて生んだ子に、可愛いとか可愛くないとかはありません」 と言はれるのです。 多分女性のかたでせう。実感かもしれません。 改めて自分...
「謝罪」といふことが、最近気にかかります。 人は「謝罪」に何を求めてゐるのか。誰が誰に「謝罪」を求めるのか。「謝罪」で何が解決するのか。さう言つたことを、改めて考へます。 気になるきつかけは、最近話題の所謂「小西問題」です。 立民参議院議員の小西洋之氏が、憲法審査会の開催について、 「サルのやること」 「蛮族の所業だ」 などと発言。 それに対して関係者は相当気分を害したが、その中でも維新の馬場代表は...
【ニール】でも、わたしは善と悪が存在すると教えられて育ちました。善と悪は対立すると教えられてきました。神の目には、あるものはまずい、いけない、受け入れられないと教えられてきました。 【神】神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) ニールが最初に「でも」と言つて、神...
インドの伝統哲学ベーダーンタ学派(「ベーダ聖典の極意」の意)の言葉に、次のやうなものがあるさうです。 「理由」のある幸福は、形を変へた不幸である。なぜなら、その「理由」はいつでもたやすく取り去られる可能性があるから。 「理由」は「条件」と言ひ替へてもいゝでせう。 つまり、 「これこれでないと、私は幸福ではない」 といふのが、「理由」のある幸福です。 「お金が...
Youtubeのショート動画で、斎藤一人さんがこんなことを話してゐます。 子どもには可愛い子どもと可愛くない子どもがゐて、たいていの親は可愛がらなかつたほうの子に世話になつて死んでいくんだよ。 統計的な根拠があるのかどうかしらないが、面白い着眼点だと思ふ。 親も子も、行く末がどうなるかなど、分かりはしない。親は何人かの子どもを育てながら、どうしても可愛い子と可愛く...
私が自分の生涯で最も長く深く付き合ふ人と言へば、それはもちろん自分自身に違ひない。しかし、その自分をどれくらゐ知悉してゐるかと自問すれば、かなり心許ないでせう。 なぜ心許ないか。我々の目も意識も、自分自身を見ることに長けてゐないのです。 顔に埋め込まれた目は、直に自分の顔を見ることができない。どうしても見ようとすれば、鏡を覗くか、カメラの目を通して写してもらふかしかない。 意識も、これと似たところ...
自分に何かの問題が起こつたとき、我々はまづその問題を解決しようとする。当たり前ですね。問題があるまゝでは支障があつてつらいし、放つておいてこぢれたらますます困る。だから、問題は一刻も早く解決しなければと思ふのです。 解決するためには、原因は何か、そしてそれにどう対処したらいゝかと考へなければならない。しかし我々は、「考へる」ことによつて問題を解決しようとは思つても、「考へ方を変へる」ことで問題を解...
新約聖書の「へブル人への手紙」の中に、有名な聖句があります。 信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 (へブル人への手紙11:1) 「望んでいる事がらを確信」する。これをふつう、我々は「信仰」と考へるでせう。「私が願つてゐることは必ず実現するはずだ」と確信するその度合ひが強ければ強いほど、その人は「信仰が強い(篤い)」と見...
あなたがジレンマに陥らないよう、言っておこう。わたしの言うことを信じるな。ただ、そのとおりに生きてごらん。経験してごらん。それから、何でもいいから、ほかの生き方をしてみなさい。そのあとに、経験を見つめて真実を探しなさい。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) この神は、一風変はつた神です。神なら「わたしの言ふことを信じよ」と言ひそうなのに、反対に「信じるな」と言ふのです。...
『原理講論』の「総序」には、「真理」といふ言葉が繰り返し出てきます。 宗教とは何か。内的無知を克服して内的知に至るため、内的真理を探究してきたものである。 科学とは何か。外的無知を克服して外的知に至るため、外的真理を探究してきたものである。 しかし、その2つの真理がバラバラではいけない。いつかはそれらが統合され、一つになる必要がある。そしてそれを「新しい真理」と呼ぶ。 ク...
神はあなたがたの人生すべての創造者であり、決定者であると信じているなら、それは誤解だ。 神は観察者であって、創造者ではない。神はあなたがたの人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 「神は観察者であって、創造者ではない」 これはちよつとショッキングな自己紹介ですね。「神が観察者」だと言ふのは、何だかあまりによそよそし...
「改革」について、少し考へを進めてみようと思ひます。取つ掛かりとして参考にするのは、ネットの「まいどなニュース」にあつた記事です。 そのタイトルは、 「主婦が始めた投稿で(スーパーマーケットの)投稿コーナーが激変」 といふもの。 どのスーパーにもその一角に必ずあるのが「お客様の声」コーナーです。買ひ物客が意見や要望などを投稿すると、スーパー側からの返答とセットになつて掲示される。 投稿には、批判やク...
彼(ウェスレー)の躊躇を見た伝道者(モラビア教の牧師シュパンゲンベルグ)は言った。 「あなたはキリストをご存じですか?」 「はい、彼は世の救い主であられます」とウェスレー。 「その通りです。しかし、彼があなたを救われたことをご存じですか?」 「私は彼が私の救いのために死なれたことを望みます」 ウェスレーの答えに、シュパンゲンベルグは重ねて尋ねた。 ...
巨匠・宮崎駿監督は数々の名作アニメを世に送り出して、その時代時代の子どもたち(多分かなりの数の大人たちも)を熱狂させてきた人なのに、自分の仕事を後悔することもあるといふ。 作り手としては当然、子どもたちを感動させ、喜ばせようとする。そしてその狙ひ通り、子どもたちはその作品に熱中して、ビデオ画面に釘づけになる。ところがそのことによつて、却つて、子どもたちが現実に触れる機会を奪つたのではないか。宮崎さ...
何かを実現しようとするとき、 「さうならなくてもいゝけど、さうなつたら嬉しい」 といふスタンスが、一番実現可能性が高くなるらしい。 さう教へてくれたのが、作家の小林正観さんです。尤もこの方法、現実の厳しい競争社会では採用されさうに思へない。 私自身は競争に弱い。意志力強固で、「一度決めたら、絶対やり通す」といふやうなタイプではない。 だから、そんな緩いスタンスで実現可能なら、私に向いてるなと思つたの...
「正しい人にならない」あるいは「正しくない人になる」。今後、これをもつと目指さうと思つてゐます。 「正しい人」といふのは、 「私は正しい」 と思つてゐる、正義の人です。 反対に「正しくない人」とは、 「私は正しくない」 と思つてゐる人ですが、かと言って不正義の人といふわけではない。 大抵の人は 「私は正しい」 と思つてゐるでせう。 誰かと喧嘩をするとき、 「私がおかしい。相手が正しい」 と思ひながら喧嘩を...
どんな人も、どんな出来事も、一切否定しない。一切裁かない。 そのやうに決めて生きたら、人生はどうなるでせうか。 私自身、「否定しない、裁かない」といふ生活態度を心がけてはゐるものの、「一切」といふレベルにはまつたく達してゐない。そのレベルは、ほとんど不可能に見えます。 しかしそもそも、どうしてそんな生活態度を目指さうとするのでせうか。そんなことに一体どういふ功徳があるのか。 私がこのブログを始めて...
この季節、鶯が山で鳴き始めてゐますね。 日本人である私には、その鳴き声が 「ホーホケキョ」 と聞こえる。 しかし、当の鶯がほんとうに「ホーホケキョ」と鳴いてゐるかといふと、さうではないでせう。多分、人間の文字でそれを正確に表すことはできない。これはどういふことか。 我々は 「耳ではなく、脳で聞いてゐる」 のです。 鳴き声ばかりではない。仮令、山で鶯が熱心に鳴いてゐたとしても、私が別の何かに没頭してゐた...
Netflixオリジナルドラマ「ナイト・エージェント」の中に、こんなセリフが出てきます。 米国副大統領の娘が大学で美術を専攻し、毎日絵の研鑽に励んでゐる。彼女の描く絵を見て、教官がこんなふうに評するのです。 「君はまだ、自分を出してゐないね。隠してゐる。世界の変化を訴へるなら、自分が見られることを恐れるな」 もう一つ、別の場面。男女2人組のプロの殺し屋がゐる。女性もプロらしく暗殺に対しては冷酷なところがあ...
カウンセラーは、悩みを抱へた人が訪ねてきたら、アドバイスをする。上司は、部下がヘマをしたら、注意をするか助言をする。父母は、子どもがおかしなことをしさうなら、忠告をしたり叱つたりもする。 カウンセラーも上司も父母も、自分の役割を弁へており、必要な場面ではそれを果たさうと思つてゐるのです。しかし、それは本当に彼らの役割だらうか。やゝ疑問に思ふところがあります。 カウンセラーとクライアントの関係を例に...