当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
罪作りなのは、誰も悪気がないことです。住まい手本人であったり、住宅メーカーの営業の方だったり、あるいは大工さんだったりが、俯瞰的な視点とは全く無関係に外観を定めていく結果として、無秩序な街並みができてくる。そんな感じです。そこに一定レベル
この国の風景が、今のような羅列に変わり果てたのは、戦後の復興期のスクラップアンドビルドの頃からのものではないかという想像は容易につきます。それがそのまま、実に今まで続いているわけです。基本的には一般に広く作り続けら
例えば、住宅街の風景を見ても、和風の設のものがあったり、住宅メーカーのサイディングのものがあったり色も素材もまちまちだし、形もまたまちまちです。なんとなく偶発的に羅列されたそこには秩序などというものはなく、ただただバラバラのものを並べたと
良く、海外へ旅行などされたあとに、この国の街並みについて嘆くつぶやきをされる方は少なくありません。確かに、無秩序に電柱が立っていて、張り巡らされた電線は蜘蛛の巣のようにカオスで、法則性の見つからない要素にどこでシャッターを切っても、なんと
バブルの惰性のような数十年間とは裏腹に、定住しないNOMADOと呼ばれるライフスタイルが取り上げられたり、近年、タイニーハウスという極めてミニマルな居住空間の家が脚光を浴びたり、暮らしのありようもごくありふれたステイルブックをなぞるような
おそらくは、時流に乗り、バタバタと年相応の時期が来たから皆がそうしているからと、なんとなくの雰囲気で住まいづくりをするというような時代はもうとうの昔に終わっているのかもしれません。人が生涯で返済できる借財で、誰もが判で押したようにすまいづ
そういう状況下で、折り合いをつけながら暮らしていくために、私はどんな住まいを提供していけば良いのかということをずっと考えています。すなわち、「これまでと変わってないですよ」というイメージ戦略だけで、なんとなく希薄な内容をずるずると先延ばし
一見、何も変わっていないように見えても、コロナと未だ終息しない戦争によって、社会の仕組みは大きく歪み、瓦解し、再構築を余儀なくされ、私たちの暮らしもずいぶん変わりました。表面は、戦後の大量生産大量消費の物質社会が連綿と続いていて、未だそれ
不確実な時代に突入した感が否めない今、住まいという少しばかり時間を超越して何十年、果ては何百年という時間スパンで見なければならない代物の住まいについて、いつも考えているのは二つの視点です。一つはリアルにそこに繰り広げられる住まい手自身の暮
このところの気候変動は、私たちの皮膚感覚でも明らかに数年前とは違うという過激なレベルで変容していっていて、四季のある穏やかな気候帯の日本列島は明らかに激しく荒々しい気候へと移り変わっているようでなりません。冬は、より厳冬の度合いが増し、夏
イベント開催 7/31「Swing By」y」より道お茶会のお知らせ。
いつもと毛色の違ったイベントです。笑SwingBy(※寄り道の意味)ゆーったりとちょっと寄り道。夏休みはこどもだけじゃない。笑ここはちょっと大人の寄り道。SwingByと相成りました。これからやりたい事をお仲間で話しているうちに、トントン拍
建物に本来の断熱性能があれば、室内外の温度差はしっかりとキープされ、すなわち外部からの熱の影響を極限まで受けにくくなります。その上で、家電などの生活排熱や中で暮らしている人の排熱など、室内で発生した熱の分だけを外に出してあげれば穏やかな室
私たちが文明の力として持っているエアコンは、言葉では「冷房」という単語で表されていますから、部屋を冷やしてくれている装置というイメージがほとんどだと思います。ただ、これも厳密に言えば、市内の熱を屋外に排出する装置だという見方もできるわけで
最近の酷暑の警告はしばしば35℃を超えてしまう気温ですから、いくらその空気を動かしたり、室内外で出入れをさせて風通しよくしたりしたところで、私たちを取り巻く環境はほとんど改善されないということになってしまうのです。少し真上までは、サーキュ
昨日は本当に暑かった。追い山が15日の早朝に終わり、福岡は例年夏本番の時期を迎えることになるのですが、いやぁ初っ端から日差しがきつすぎます。実は私は昨日から東京出張でバタバタと出てきて、本日すぐ福岡に戻るのですが、福岡も東京も変わりなく暑
春と秋の、窓を開けて外部と一体になれば心地よいという時期を中間期と言いますが、この中間期に窓を開けて快適だという感覚の時期が、かつてはずいぶん長期間あったのですが、昨今の温暖化や異常気象によって、なんとなくそれぞれ1週間くらいしか感じられ
さて、エアコンで室内の気温を下げることを有効に達成しようと思えば、室内外の環境を一旦遮断する必要があることはお分かりいただけると思いますが、日本の住まいはとにかく風通しよく、外と一体になることでなんとか温度や湿気を外に逃してやり過ごすとい
そういう意味では最近の酷暑は、むしろ冬の寒さよりも非常に厄介だと言えなくもないですね。太古の昔から、着衣を季節に応じて加減して、寒さには着込んで、焚き火や囲炉裏に火を灯し、暖をとることはずっとやってきた人類ですが、涼をとることは裸以上に調
代謝と言って良いのかもしれませんが、体内では常に必要な熱量より多めのエネルギーが作られていて、平熱を保つために常にあまりの部分を体の表面や呼気から出してその調整を図っていますから本当に人間の身体とはすごいものです。皮膚の毛穴から汗をかいて
ここ福岡は、今、博多祇園山笠の真っ只中です。中心部に行けば飾り山が各所で見れますし、みずはっぴをきた男たちが各所で動いているのが風物詩です。この季節は15日の追い山まで、梅雨の最終盤らしい激しい雨模様の日が続きます。15日の早朝は雨上がり
戦後のこの国で繰り返されてきているスクラップアンドビルドとは全く真逆の発想にて、足るを知る暮らしのための住まいを構築できたらとずっと考えています。研ぎ澄ました私的な空間であれば、今までよりも質を上げたうえでミニマルで荒れると思うし、肉薄し
最近の社会情勢からすれば、住まいはかつての「帰って寝るだけ」というような場所ではなくなってきました。在宅ワークやオンライン授業といった、かつては出向いて場所を変えざるを得なかった暮らしの要素が、住まいの中にどんどん入り込んでしまって、コロ
この飽食の時代にも、腹八分目という言葉が有効です。健康管理のためにも、なるべく満腹ではなくて、八割にとどめておくのが良いということです。フルで胃袋を満たしてしまうことは、何かと心身ともによろしくないということかと思います。過ぎたるは及ばざ
私自身、長きにわたる住まい創りの中で、それ相応の歳ではあるし、ではもう作らなければ良いのではないかと思ったりもしますが、ここが難しいところで、私が創らない分、結局誰かが作るわけで、ニーズがある限り、どこかでその帳尻は合ってくる。それが、大
豊かさという概念を、大量生産と大量消費で作り出し、栄耀栄華を貪ってきた感の拭えない現代人は、今、地球という膨大なスケールの私たちの母体を取り戻せないほどに汚染して、タイトな状況に追い込んでしまっています。一度味わってしまった物量の豊かさは
ピンチはチャンスと言いますが、この時期、社会ストック、環境負荷を十分に考慮して、何より住まい手がいつまでも愛着を持って暮らし続けられる、決して一過性ではない住まいを創り出すことは、将来的に私たちの国や社会が持続していくための必須条件となり
図らずも、社会情勢や経済の状況、また待ったなしの環境悪化の改善について気づいてしまった私たちは、住まいづくりにおいてまさに三重苦を強いられるような状態になってしまっておりますが、過去の人類の歴史を見てもこういう苦しい状況下で案
あえて、状況厳しい折に、「質の向上などできないさ」と言われてしまえばそれまでですが、現時点ですでに、社会ストックを着々とやってきた欧州などと比べれば、大きくみぞをあけられているこの国が、これから乗り越えていかなければならない課題は深刻で、
世の中が世知辛くなれば、物事はなんとなくうわっすべりになり、これまでの形骸化した外見の部分だけがかろうじて形を形成したままになり、中身がすっぽり変わってしまうということも考えられないわけではありません。住まいづくりも、予算を考えるときに、
世の中が大きくシフトチェンジしようとしているこの流れを感じ取ると、おおよそ数十年この国で行われ続けてきたスクラップアンドビルドはもういい加減終わっても良いのではないかと思わないではいられません。住まいづくりを生業としている私たちにしてみれ
ずっと、学校教育でも受けた「夏を旨とすべし」と戦ってきたような気がします。兼好法師は冬はなんとなかるというけれど、福雄岡野冬も結構体感的には寒いんです。然るべき気密断熱性能を持つべきだとずっと言い続けてきました。何十年という日々の中では、
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史