当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
ただ、逆に言い方を変えれば、厳しい条件下の住まいほどに、個性的で豊かな表情の住まいになっていく傾向は否めません。大手ビルダーが企画プランをむゆとりのある土地にポンと置くような感覚のスケジュールでは到底敵いませんが、タイムスケジュールを緩め
そういう意味において、冒頭で述べましたように住まいづくりに大きな壁が立ちはだかって、なかなか厳しい状況下にありますから、述べた要素の柱を全て要望通りに満たすということが難しい状況だということは言えると思います。であれば、住まい手それぞれの
都市部での地価の高騰と建設コストの急騰は、これまで当たり前に成立していた資金計画を圧迫するほどの状況となっています。これは以前から、よくそういうお話をするのですが、住まいづくりはいくつかの大きな柱となる要素のバランスの上で成り立っていて、
厳しい景気動向と重税感の中で、利便の良い都市部の地下だけは下がらないという状況が続いています。景気が悪くなれば地価も下がるのですが、地下だけは明暗をはっきり分けて、街中は上がる一方、過疎化していく郡部の方は叩き売りというような感じです。街
もう、使い古された言葉かもしれません。検索すると、住宅メーカーさんですら、広告に使っているミース・ファン・デルローエの言葉ですが、今、社会は本当の意味で、この起点に戻る必要があるのかもしれません。社会情勢が激化する中、大きな構築物である住
怒涛の如く押し寄せてくる社会状況の変化を前に、どんな住まいを提供したら良いのか、この厳しい現状の前で何をしたら良いのかと立ち尽くしてしまいそうになる自分がありますが、基本的にはシンプルに、本当に必要なものは何かということを厳しく反芻し、エ
考えてみれば、今、私たちの暮らしは、いろいろな意味でミニマル化と肥大化を同時に進めています。かつて住まいの中にあった。例えば終戦を告げた玉運放送のみんなが正座して聞いたラジオも、音楽を楽しんだレコードプレイヤーも、東京オリンピックやプロレ
確かに物価上昇や、資材の枯渇で、今私たちは住まいづくりにおいて大変な時代を迎えしています。楽ではない。ただ、世界の金太せい建築の巨匠たちが活躍した19世紀末から20世紀前半のモダンムーブメントもゆとりの施錠の中で安穏と育まれてきたわけでは
「Les is more」レス・イズ・モア。「簡素であることは豊かなことである」とでも言いましょうか。いうまでもなく、第二次世界大戦中にナチスの弾圧を逃れて、ドイツからアメリカに亡命した巨匠、ミース・ファン・デルローエの言葉です。モダニズ
長年住まいづくりをしていると、どんな住まいで誰と一緒にどんな暮らし欲しているかということが、微に入り細に入り少なからずその住まい手の人生に大きな影響を与えているということを日々実感しています。逆に言えば、その人がどんなことにフォーカスして
社会が必ずしも良い方向へ進んでいるとも言えない近年の状況を見ても、それに翻弄されていく時間から少しでも解放されて、自分自身を取り戻すためのスペースとして、住まいは重要ではないかといつも痛感しています。それは大きさでもなくて、華美な贅沢品で
労働のほとんどを屋外で過ごしていた古き時代は、「寝ぐら」という言葉があるようにただ就寝するだけの場所だった住まいも、滞在時間が増えに増えて、仕事場や学校という屋内も含めると、現代人は実にその生涯の9割以上を屋内空間で過ごしているそうです。
日本人の心の根底には、ものの哀れや儚さに一つの美徳を見出すところがあって、石造りのヨーロッパなどの住まいに比べると、一時的にその場に簡単に結んだ草庵をよしとする感覚がどこかしらあるような気がします。かつての庶民の家などというものは、よほど
とかくストレスが多い現代社会において、住処が皆さんに与える影響は大きいのではないでしょうか。人口減少、少子高齢化が角田善に進み、経済最優先の国の路線も翳りが見えてきて、地球温暖化の影響か自然災害の急増も見え隠れして、このところの物価高騰も
目まぐるしく変化していく社会の影響を常に受けながら、住まいづくりをしていく中で、現状としては決して加速拡大路線を今もって続けているような錯覚は、すでに20年前に脱ぎ捨てなけれじならなかったのに、なんとなくのイメージ戦略ばかりが先行して、増
コストが急激に変化したおかげで、近頃は弊社などでも予算の立て方が非常に難しい感じが否めません。過去の実証データがそのまま参考データとして使いづらくなっていて、正直予測不可能な感じなのです。そういう意味では、無駄を一切省いたベースになるもの
いわゆる、これまでの方が少し作為的に、国の基幹産業的な様相からさまざまな手練手管でスクラップアンドビルドをし続けてきたと捉えると、少し見えてくるものがあります。これからは、お金を回すための建設行為も国力の先食いでなかなか厳しいものがありま
便乗値上げだと騒ぎ立てても、ある意味仕方ないことなのかもしれません。というのも、住宅の建設単価というものは、私たちの感覚的には物価上昇スライドほど価格上昇してきておらず、その内訳的には資材の上昇や大手が司る住設などに関してはそれなりに上が
近頃の建設単価の上げ止まりは、これまでかつてないほどの上がり幅と、多岐におよぷ連鎖反応によって私たちの住まいづくりに対しての考え方にも直接影響を与えるほどにインパクトがあるものになっています。コロナと戦争によって致し方ない部分もありますが
気候変動や環境悪化の現状からして、住まいの性能を欲するみなさんのニーズは日に日に高まり、私たちがこんなことを考え始めた30年以上前からすると、意識は非常に高まり、住宅産業全体の先細り感を支える市場になるほどに伸びてきている分野だということ
温度以上に、湿気のコントロールについては曖昧な表現がされている場合も多くて、現実的なイメージができていないことも少なくありません。しっかり断熱・気密を施して、室内を一旦外部としっかり切り離せている空間内では、内部発
湿気のコントロールは意外に温度以上に難しいものがあって、色々な人が色々なことを言っているので混沌としています。ベースとして、外部環境と室内環境の空気そのものの絶対湿度を違うものにするためには、内外をしっかり区画することが条件ですが、耳障り
これからの季節、福岡などではいかにこのじめじめから逃れられるかが課題となります。湿気との戦いが始まります。かつては、「全開放して風通しよく…」などという処方が有効でしたが、昨今の温暖化の影響や建て込んだ住宅密集地でのお話とし
GWも終わり、いよいよ季節は夏に向けての梅雨の時期がやってきます。ここ福岡では、だいたいGWのとどんたくを過ぎて、少し落ち着いたら梅雨入りとなり7月の博多祇園山笠くらいまでが梅雨の期間に入ります。近年気候変動で前倒しになってきているのか、
さて、 GWも最終日となり、日常が戻ってきました。ご家族とゆったりとした楽しい時間を過ごされた方も多いかもしれませんね。コ私は体調を自分基調に戻すべく、なるべく遠出の予定入れずに様子を見ながら執務をして静かに過ごしておりましたが、福岡は期
天邪鬼な私は、周囲を見渡して同じように振る舞うのではなく、しばらくは様子を見てから自分ならどうするかを考えて動き出すようなところがずっと昔からあります。ともすると、ネット情報は一気に盛り上がり、反対意見を封殺してしまい、人々を過激に一方向
コロナ規制が緩和しても、完全に元の社会が元ってくるというわけではありません。手元のスマホ依存や、在宅ワーク、オンライン授業などのカオス情報が肉薄して、自己選択の中進んでいくというスタンスはしっかり残っていくという感じでしょうか。いよいよ新
この自己責任という言葉ですが、しばしばそれぞれの立場で都合よくさ変われるので、権力側が多用するなど私などはあまり良い印象がありませんが、言い返せば、自己選択の時代がやってきたということもできるのです。こうなると、この国の人たちは俄然弱さが
さて、この数年のコロナに関しては真実を語る術を私は持ちません。不確実な陰謀論に加担するつもりもないし、さりとて人類が主の保存のために、一人でも多くの人が生き抜くためにオープンな努力をしてきたとも思っていません。ただ、藪の中のことばかりです
5月に入りました。GWで人の動きも活発になり、コロナの規制も緩んだことでいよいよ社会が少し通常に戻ってくるということでしょうか。一連のコロナ発生以降、矢継ぎ早にワクチンが配られて何度も何度も接種されて、マスクと戒厳令下のような日常が始ま
折角授かった命、物心ついてからカウントするとして、誰にも平等にわずか数十年しかありません。漫然と日々の羅列をしているとすぐ終わってしまいます。歳のせいかそんな思いもすこ時ずつ強くなって、一つ一つを丁寧にしていきたいなという思いが募ります。
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史