当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
近頃の世相で一番恐ろしく感じるのは、一見何もかも自由で溢れかえっているように思えるデジタル情報社会が、果たして本当にそうかという部分でもあります。大前提を覆すようなことを言ってしまいますが、 SNSなどの情報は、その人の検索履歴などの能動
考えてみれば、情報が溢れて自由だという当初の想像は、現実の方が遥かに加速度的に進んでいて、もう私たちはその環境を手中に収めているといえると思います。というかそのかつて見たこともない大海に知らず知らずのうちに押し出されて、これまで家族や、小
インターネットというものが、自由を象徴する輝かしい未来だとまだ希望に満ち溢れていた頃、情報メディアはより拡大膨張し、自由度が増すものだと誰にも信じられていました。国民のほとんどが情報端末を握りしめて毎日を過ごし、リアルな視野よりもそのちっ
いよいよこの国は参議院選挙に突入しました。投票日の7月10日まで、一人一人が自分の頭でしっかりと見極めなければなりません。本当はこれから3年間選挙がなく無風状態が続くので、大変重要な選挙なのですが、既成メディアは意図してか、その重要性をそ
以来30年余り、九州福岡の地での異端児のような孤独な住まいづくりが始まり、今に至っています。北海須に通い詰めてできたお仲間は、手放しで私の仕事に協力をしてくださり、そのご縁は今も薄れることなく私のベースとして続いて
これからどんどん巨大な建築を創り続けていくのだろうと、自他ともに思っていたところに、北海道のお仲間の話で、彼の地ではもう気密・断熱した高性能住宅の設計が始まっているという。私は本来、京都では社寺の純木造の仕事をしていたので木造が大好きだっ
当てがあるわけでもなくただ、独りよがりに独立しましたから、すぐに仕事があるわけでもありませんでした。机の固定電話の前にじっと座り、来る日も来る日もぼっとしている日々が続きました。やはり前述の元ボスに、ずいぶん仕事を振っていただき助かりまし
私が独立開業したのは、実に今から34年前26歳の時でした。その時の自身の人生設計では実は一年遅れでした。前の年にバブルの名残のような巨大プロジェクトのコンペに参加していて、武者修行のアルバイトのような加わり方から始まって、いつしかボスの片
今でこそ、設計という私たちの仕事のツールはほとんどパソコンの中であり、マウスを使ったCAD(キャド)図を描くことが当たり前ですが、私がこの仕事を始めた40年前は、まだ全て手描きで、大きな製図台に固定された紙に定規と鉛筆で一本の線を描くこと
冒頭でも書きましたように、私は2020年の基準義務化に向けて、当時、随分皆さんにものを言い、結局肩透かしをくらい、今度の改正に関しては本当にほとんど何もこれまでずっと語らずにきました。いまだ全貌が明らかにされているわけではないので、正直ど
それでも根強く業界自体の中にも反対意見があったと言うことは伺っていますが、こう言うことに消極的な意見があること自体、こう言う法律を作らなければならない理由で、業界全体が高みを目指して、住まい手の暮らし、環境エネルギー問題を解決するべく志を
よく私は引用しますが、建築基準法の冒頭は「この法律は国民の生命を守る最低限の…」という書き出しに始まります。最低限のと本当にそう書いてあるのです。だから、とは言ってもなんですが、建築基準法に書かれている基準を遵守したところで
細かな運用などに関しては、2025年までに練られていくし、私たちのように実務者には説明会や講習が矢継ぎ早に続いていくことでしょぅが、いわゆる「底」作りですから、悪く考えればこれまでも性能向上を訴えながらより良いものをと、そんな底レベルより
この13日に、悲願だった改正建物省エネ法が国会で成立されました。2020年には適合義務が始まると散々お話ししてきた私は、完全に肩透かしをくらい、そのあと脱力感でこのお話はあまりしていないのですが、お顔見知りのさまざまなお仲間の努力もあって
高性能住宅はわずかここ数年前に発明されたものでも、特段、新たな技術というわけでもありません。確かに、さまざまな部分で検証が進み、進化はしていますが、もう何十年も根本的な原理はあまり変わらないように思います。メディアは革新的な新基軸のように
厭世観と冒頭で書きましたが、正確に言えば、全てに時流に乗って迎合しようとは思わない気持ちが強くなったと言う方が近いのかもしれません。ほんものを求め追求するお仲間はたくさんいらっしゃいますし、そう言う方たちと連携して、良いモノづくりをするこ
私たちの取り組む高性能住宅の分野でも、昨今の高性能ブームを反映してか、ちょっと気の利いた住宅の広告にはもう、ほとんど「高性能」を謳っているのだからどれが本物なのか、そうでないのかなどということは、ほとんどわからない状態になっています。まし
この数年のコロナ禍以降の世界は、情報伝達という分野をデジタル化してネット上で拡大させる大きな流転喚起となりました。ともすると、リアルな世界を一旦置いておいて、全てその仮想世界の中で済ませてしまおうとさえしているかのようです。この広がりは無
国力が弱まり、経済も左まい、この先どうなるという不安ばかりの昨今ですが、今この場ばかりを眺めていても仕方ありません。少し長い時間スパンで俯瞰すれば、まあ80年も政変も戦争も起きなかった時代を送った私たちの存在の方が稀有であって、歴史をなぞ
ではどう折り合いをつけていくか、優先順位としては一般的には真っ先に一番妥協が入ってしまう性能に関しては私は揺るがしません。その上で例えば予算が厳しければ規模を考える。狭さは間取りの妙や視線の解放で演出する。またパターンとして最初に予算バラ
さて、長年こんな仕事をしているともうかなりの数に及ぶご家族に肉薄して、それぞれのご家族のための住まいを創造してきていると、それが圧倒的な「特殊解」であり、汎用性や時流とはまた一線を画した特殊なものであるという確信があります。それはいわゆる
何もかもを結果から逆算してしまえば、さまざまな条件下で満たされないことの方が目立ってしまうかもしれません。ただ、個性的な住まいとは万人向けの汎用性とは全く違うレイヤーで、一個人、あるいはそのご家族のことを満足させる可能性を含む特殊解ですか
私たちは、結果から言えば皆さんの住まいを作っていますが、本来の住まいというものは私たちが作り出した表皮の部分、つまり外側の部分で囲まれた、その中で繰り広げられる暮らしそのものであって、その形のないものを豊かにするための器を私たちはいつも作
昔から、「折り合い」という言葉が好きです。物事は、なんでも結果ありきで画一的なものでは決してなく、ケースバイケース、その時々の事象に対して、ベストではなくベターを紡ぎ出していくことの大切さをこの歳になると強く感じます。とかく真面目な日本人
さて、この項の最後です。少し私の日常の出来事を切り取ってみても、ずいぶん歪みが生じている社会の一端がうかがえるほどに、一般庶民にはなかなか暮らしにくい世の中になってきたような気がしています。貧すれば鈍すの言葉ではありませんが、重税感と経済
ついついボヤキばかりになってしまいますが、その絵業マンと攻防が終わってすぐの話です。今度は事務所にご近所のガソリンスタンドから封書が届いている。いつも使っているスタンドではないので、なんだろうと思って開封すると、そこには私が月末に支払った
さて、その営業マンは本当に私の感情も物言いも全く意に解さない風で、時に私の言葉を遮り、今時間がないのですか?であればかけなおしますが…を繰り返します。おそらく、気が弱い方でああれば完全に向こうのペースに乗り、あたかも非の打ち
先進国と空いばりしながら、食べるものに困っているという現状を、民間のこども食堂などのボランタリーな組織が支えている現実は、まさに国が機能していない証拠ではないでしょうか。偉そうに言っても、国が未来ある子供の生命線である食を補償できていない
月が変わり6月となりました。5月の末は自動車税や固定資産税などの税金ラッシュで、年度末から諸々支払い続けて、末日に最後の出費も多く重税感をあらためて感じながら過ごしました。この国の税金はあまねく国民に平等に科されて、本当に国民のために還元
例えば、一人一人の動きは微々たるものであっても、少しずつでも変えていくことこそが変化の始まりだと思います。お金の回し方をなるべく地方で循環させる努力は、実行経済の活発化につながります。大手ショッピングモールよりもコンビニチェーンよりも個人
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史