当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
字の如く「採暖」は暖かさを採るための「点」ポイントであるのに対して、暖房は、空間の寒さを取り除く設えです。寒いという刺激を柔らかく取ることができれば、すなわち無刺激になります。そのためには室温で示される空気の温度はもとより、その空気が抱え
そろそろ、タイトルの種明かしをしましょうか。「快適」とは刺激がないということなのです。つまり、何も感じないこと。「あったかーい」と感じるのもつまり刺激ですから、長く続けば不快になるのです。住宅展示場の床暖房に数十分の見学で感動して、それを
例えば、こたつやホットカーペットという採暖器具がこれから登場する季節ですが、あったかーいとその刺激的な暖かさに喜ぶのは瞬間なのです。みなさん少しお酒を飲んで、ホットカーペットの上で寝てしまって、起きた時の感覚を味わった方も少なくないのでは
寒くなれば、あったかいものが恋しくなるのは当然で、そろそろ暖房機に入ると昔でいえば、いささか刺激的な灯油の燃焼ガスの匂いや窓ガラスの曇りも、なんだかあったかさの象徴として、イメージが私たちの記憶に深く刷り込まれています。それは当然の感覚な
ここ九州福岡でも、段々と朝晩が冷え込むようになってきて、今朝はたまらずに暖房を入れたなどというオタクも出てきているかもしれません。私たちのいう高性能住宅ではまだまだ先の話ですが、そろそろそういう季節に入ってきました。これは住まいの熱性能の
創り出すことは、創造するということで、その創造の先に具現化できたものには「愛着」が湧きます。確かに「買う」ことは簡単ですが、買うことはすなわち創造の部分をどこかに依存して結果だけを消費することに他なりません。飽きたり、劣化したりすれば新し
私はよく、住まいの耐久性の一番の要因は、「愛着」だと言います。どんなに頑丈に作られたところで、愛着のないものを手入れをして住み継ぐことがあるでしょうか。私は「メンテナンスフリー」という言葉もまやかしだとずっと言っています。5年、10年とい
いつの頃からか、日本の住まいはバタバタと建てて、最も簡単に壊す消費の対象になってしまいました。戦後の混乱期の住宅難に仮設的に建てられるものならばいざ知らず、戦後80年も経って未だプレファブの仮設住宅のようなものが量産されているのは異常な事
もう一つの出来事は、ある日どこからかけたたましいコンクリートなどの掘削音が聞こえてきて、地鳴りがするほどの振動と騒音が終日続いた日がありました。弊社よりももっとお近くの方からは、きっと苦情が出たのではないだろうかと思えるレベルです。どこが
最近、弊社の周りの風景でで二つほど出来事がありました。一つは見慣れた風景の中のとある住まいが、建て替えのためなのか解体が始まったということ。瀟洒なレンガタイル張りの大きめの住宅でしたが、私の記憶では20年経っていたかどうか。もったいないも
住まいと現実の暮らしの折り合いをつけることは、大変重要なことであることなのですが、皆さんは住まいの性能向上が、あたかもここを完璧に補ってくれるツールのように過信して、しかも限られた情報から性能の一部を表す数値のみに終始する住まいづくりは少
小窓の情報が正しいか間違っているかという問題は、視野角が狭いだけに往々にして起こりそうです。このことだけにあまりにも偏るとは判断を謝ります。皆さんは病気でお医者様にかかるときに、医学部の勉強を自らされるでしょうか。自分の顧問弁護士を雇うた
学校や職場という、第二第三の自分の居場所(元々は逆転していたのかもしれませんが)が全て自分の住まいの中に入り込んできたこの数年が、完全に元の形に戻ることがあるのだろうかと時々考えます。「アフターコロナ」ではなく、「ウィズコロナ」だとはよく
この日曜日の人出はどこもすごくて、車の往来も日に日に増しているように思います。日本人は素直というか楽観的というか、感染者数が激減している原因よりはその結果で潮目が変わったと理解している方が多いのかもしれません。ただ、本当に収束に向かってい
コロナ禍の中で、第5波と言われた感染大爆発が一定のおさまりを見せ始めて、社会は少し以前の流れに戻り始めているかのように見えます。天邪鬼な私なとどは、そのおさまりの根拠がまだあまり腑に落ちていないために、なんだか悶々とした日々を送っています
快晴の秋空の中、去る14日佐賀県小城市で展開中の山東美建とのコラボプロジェクトOGYCALの2棟目、K邸が上棟を迎えました。今年2月に完成したモデル棟の左側の隣地に建設されるK邸は地元に根ざしたご商売を始めたご夫妻と3人の子供さんのための
さて、今回はUa値に関してその数値の意味を少し詳しくご説明して、その数値だけでは計り知れない物があることをお話ししました。エコ・省エネの流れに沿って、様々なメディアが大きく取り上げているだけにそれだけが一人歩きすることには、長年こんなこと
Ua値について少し詳しく書きました。今その数値だけがクローズアップされて、万能のように扱われることには少し問題があるためです。あくまで外皮の断熱性能の平均値ですから、必要な断熱性能の基準値であっても、それをどう理解してその場所に合わせて、
Ua値は、建物の外皮の熱の伝わりやすさを建物の外皮の面積で割った平均値だと言いましした。このことを良く理解して使えば、大変有効で大切な物差しですが、あたかもこの数値がその建物の性能全てを表しているような誤解がしょうじては何にもなりません。
例えば良く、気密断熱のお話しをさせていただくときに、今まで魔法瓶とかクーラーボックスを例え話として例に取ることがありました。私自身もよくそういう例え話をしますが、断熱性能とは内外の熱の行き来を断つものですから、いずれも間の層を真空にしたり
時代もずいぶん変わったなぁと思うことがあります。私が今のような高性能住宅にめざめて、是非とも北部九州でもそういう手法で住まい創りをしたいと、足繁く北海道へ渡り、当時の北海道の諸先輩方の薫陶を受けていた頃は、この手の住まいは「高気密高断熱住
ウィズコロナで巣篭もりの暮らしがずいぶん定着して、住まいというもののあり方も、少しこれまでとは様相が変わってきているのかもしれないと、リアルな人と人とのコミュニケーションを潜望鏡に見立てて、俯き加減でスマホを覗き込む様を形容してこんなタイ
このところ日々、皆さんが感じているストレスは、ごくごく限られた周囲の人とのコミュニケーションで時間が過ぎて、そのほかは何層にも薄い膜が張ったような何とも心地の悪さが拭えないヴァーチャルな交流に終始し、近しい人とは近過ぎて、遠い人とは遠過ぎ
羨望鏡というのは、いわゆる潜水艦が水の中から潜ったままで水面にニョキッと伸ばして水上の様子を伺うやつで、イメージとしては見たい方向へ照準を合わせものを見ることができるのだけれど、視野角がそんなに広くなく全体の世界を把握するには心許ない気も
このところのお客様との打ち合わせで、リビングからテレビをなくすというお話を伺うことが増えました。壁に投影するプロジェクターが安価で良いものが出まわりはじめて、見ない時はない方が良いという感覚が増えています。口の悪い私はかつて、リビングのテ
緊急事態宣言が解除となり、日々報じられる感染者数も一気に減っていますが、これをどう理解したら良いのか正直私には腑に落ちる答えがありません。それ自体は大変良い事なのですが、果たして結果だけを見て楽観的に自分を解放して良いものかどうかという部
さて、この項の最後です。ご近所の小さなマイホームの出現に端を発し、少し住まい創りで私がいつも考えいてることをつらつらと書いてみました。世相は景気の低迷やコロナの蔓延、関連してウッドショックなどという必ずしも住まい創りに適した時代とは言い難
住まい手はある意味一生に一度のこと、ビルダーや私たちのような設計の立場の人間はそれなりに場数を踏んでいくので、やはり冷静に判断をするという意味では我々の方が客観的な視点で物事が見れるのは確かだと思います。だからこそ、私たちは俯瞰で物事を把
三軒の住まいは、同じ会社が一斉に建てはじめて、おそらく分譲広告を出して販売された家なのですが、その身を寄せ合うように建っている佇まいとは裏腹に、外壁はアイボリー、ダークグレイ、ブラウンの3色に見事に変えられていて、何か脈絡があってバランス
ご近所に見る3軒の新居の土地はかつて我々と同じくらいの世代の子供がいる一家族のための住まいが建っていました。おそらく親御さんが他界されて相続か何かでその土地を売却されたのかもしれません。曲がりなりにも福岡市内のこの辺りも地価はずいぶん高騰
このところ、事務所の周りの風景が虫食い状に描きなおされて、数十メートルの私の通勤に要する坂道の右左でも、新しいおうちが建て替えられています。かつて幼馴染が住んでいたご実家の土地が、いつの間にか解体されて、一軒分の土地が3つに分割されたかと
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史