三河・百々城 「流人道中記」青山氏の始祖の地 今も初代の墓と亀趺碑が残る
百々城は愛知県岡崎市百々町にあります。百々は地元では「どーど」といいます。青山氏といえば、東京の青山の地名の由来で知られています。資料によると古くは上野国吾妻郡青山郷に住んで青山を氏とし、三河に至って岡崎の酒井家に養われ、松平氏に臣従し松平信光の岩津入城のときに従い百々村に領地を与えられたとされます。その後、明応と天文の井田野の戦いで二代にわたり討ち死に、元亀二年の武田軍の三河侵攻時には山縣昌景迎え討ち岡崎侵入を阻止し、重傷を負い百々城で没したと伝わります。青山氏は徳川家にとって最古参の譜代と言える家柄だったのですね。最近読んだ浅田次郎さんの「流人道中記上・下」に登場する青山玄蕃は、青山氏の流れをくむ者として痛快な生き様が描かれていました。徳川家康の関東移封に従った青山氏ですが、地元に残り帰農した一族が始祖の地...三河・百々城「流人道中記」青山氏の始祖の地今も初代の墓と亀趺碑が残る
2022/03/26 11:47