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三河・長篠城から岡崎城へ鳥居強右衛門勝商が救援を求めて往復した道 その3
武田軍に包囲された奥平貞昌(信昌)が籠城する長篠城を鳥居強右衛門が、夜陰に紛れて脱出し岡崎城の織田信長、徳川家康に救援を求めて走った道をその1その2でたどりました。その2では長篠城から「脱出成功!」のノロシを上げたとされる雁峰山までをたどり、今回は雁峰山から奥平氏の拠点だった滝山城のある明見までをたどります。今回の参考資料は(1)「奥平氏と額田」額田町教育委員会発行2005年(2)長篠城址史跡保存館の展示パネル(3)「郷土強右衛門と金七郎、二人脱出説検証」夏目利美2007です。※強右衛門の道その1は→こちらその2は→こちら強右衛門の道その3では雁峰山(かんぼう山)から明見までの道をたどります奥平貞昌は、武田の手を逃れて作手を退去して明見の地を拠点としていました。長篠城の脱出に成功した強右衛門ですが、作手の野郷(...三河・長篠城から岡崎城へ鳥居強右衛門勝商が救援を求めて往復した道その3