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仕事帰りの電車のドア付近でぼーっと窓の外を眺めていると月がひとつ。 電車通勤しているサラリーマンなら誰しもこんな経験があるのではないだろうか。 私も20代後半、東京で京浜東北線にゆられ窓の外の月を見ていた。 帰りの電車から 見上げる月を見て 私はエレファントカシマシの「恋人よ」という歌の最後に出てくるこのフレーズに心を掴まれてしまった。見覚えのある光景だ。 このフレーズは歌全体の場面設定である。つまり、宮本浩次は電車のドア付近に立ち、ぼーっと窓の外を眺めている。月がひとつ輝いている。別れた彼女のことを考えている…。 怠けてるふりで 知らぬ顔 男達は今日も笑うのさ 卑屈なる魂 すり減らし 男達の…
赤き空よ!この空の下 俺のすべてがあるさ 第一声、このフレーズに心を掴まれてしまう。「俺のすべてがこの空の下にある」というのは、「この空の下以外には俺の生活はない」ということ。「過去や未来のどこかではなく、『いま』『ここ』にしか俺の生活はない」ということ。「あるさ」という表現に吹っ切れ感、吹っ切れたいという思いが伝わる。美しい過去やありもしない未来に常に囚われているが、「いま」「ここ」にしか俺の生活はないと赤き空を見ながら自分に言い聞かせている。ここじゃないどこかに自分の人生があるような気になることは、誰しもあるんじゃなかろうか?私はいつも囚われている。だから、このつかみのフレーズにぐっときて…