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  • 七支刀

    2025年5月22日に七支刀のCT解析結果がニュースになった。七支刀は百済と日本が初めてお互いの存在を認識し同盟を結んだ際に百済から日本に送られたとする解釈があり、今回の結果はそれを裏付けたものとなった。 七支刀の年代解釈 日本書紀では神功52年西暦252年に百済から七支刀がもたらされたとの記事があり、120年繰り下げる紀年論からは西暦372年のこととなる。 また神功55年西暦255年の百済の肖古王崩御は百済の記録から西暦375年と確定する。 このため、百済から我が国への七支刀贈答を西暦372年とするのが定説となっている。 七支刀の銘文冒頭の年号について泰?四年とあり、東晋太和四年と解釈すると…

  • 継体持統㉙:斉明天皇暗殺説

    百済救済を決断した斉明天皇は、軍を率いて北九州まで行幸し、北九州で唐突に崩御した。何があったのか? 斉明天皇九州行幸の理由 日本書紀によると、660年7月の百済滅亡の報に接し、斉明天皇は「筑紫(九州)に行幸し、救援の軍を派遣する」こととし、661年1月に難波を出発して3月には博多港の那大津に到着。病気等の前触れなく661年7月に突然崩御した。 天皇皇后の親征は異例中の異例で、畿内を離れての遠征は、神武東征、景行親征、仲哀親征と、神功皇后の三韓征伐しかない。雄略天皇は新羅親征を企図するも断念し、継体天皇も結局親征は行っていない。 なぜ、斉明天皇が北九州へ行幸したのか。 『継体持統㉘:斉明天皇九州…

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