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  • 継体持統㉘:斉明天皇九州行幸の不思議

    658年11月有間皇子が粛清され、659年3月には斉明天皇が示威のため国内巡幸を行い、以後、斉明天皇の親政体制に移行した。ところが息つく間もなく660年7月に百済滅亡という大事件が発生する。 中大兄皇子は何してた? 有間皇子粛清後は斉明天皇の親政に移ったようだ。 皇太子の中大兄皇子が有間皇子を引き継いで難波朝廷のトップに君臨しても良さそうなのに、そのような記録、痕跡は一切ない。 百済滅亡を知った後の660年12月に難波宮で百済救援戦争の準備をするが、斉明天皇自身が難波宮へ出向いていて、斉明天皇が親政体制を敷いていたことが確認できる。 一方、皇太子の中大兄皇子は全く出てこない。斉明天皇が崩御する…

  • 継体持統㉗:蘇我氏の仕返しクーデター

    左大臣巨勢徳太が生きている間はおとなしくしていた有間皇子。巨勢徳太薨去後、斉明天皇粛清を企図する。 国庫を浪費する斉明 日本書紀の斉明紀の前半は、数々の土木工事の記載で溢れている。それに対し人々が怨嗟の声を挙げたという。 大化改新によって大量の富と人力が中央政府に集中していたが、それを使って斉明天皇が土木工事を好んでした。 「斉明が土木工事を好んで国庫を浪費し人々が怨嗟の声を挙げた」ことは定説となっているが、以下留意点を挙げておく。 土木工事自体は国防強化の文脈で読める。唐が北東アジアへの攻勢を強める中、予算を国防に注ぎ込むのは当然ではある。山頂に城砦を造営するのは国防そのもの。怨嗟の声はあっ…

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